《輝の一等星》蛇の巣
 そこはよく日本史の教科書に出てくる、地上にはあったが、地下にはないはずの古めかしくも立派でとにかく大きな建の中。
 地震がなくなったとはいえ、肺鉄筋コンクリート造りの多いこの地下世界において、木造の巨大建築というのは中々ないもので、そこには日本特有の『わびさび』のようなものもじ取れるのだが、生憎ゆっくりと見している暇などない。
 どたどたと騒がしい建の中、一つの足音と、それを追っていくつもの足音がドタドタと響き渡っていた。
「ここはいったいどこなのよ!」
 そうんだ飛鷲涼は全力で逃げていた。その左目は赤く輝いており、狀況把握能力の高い『千里眼』のおかげで遠くからくる敵と鉢合わせることがなかった。ただ、そのおかげで下に降りられず、同じようなところを回ることになっているのだが。
 本來であれば、強引に前に進むこともできたのだが、今の彼にはその力がなかった。というのも、その手には本來あるべきはずの青い寶石のついた指がついていなかったからだ。
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 助けを呼ぼうにもスマホなどの電子機は彼のにはないし、そもそも、今、彼の服裝は城をベースとした花柄が描かれている、おそらくはどこぞのアンタレスのものだろう、著であるため、彼の持っていたものは指を含めて何一つとしてない狀況だ。同じ白とはいえ、白裝束でないのがせめてもの救いか。
 いったいどうしてこんなことになってしまったのか、そんなことは涼自が一番知りたかった。
 彼が目を覚ましたのは、小さな和室である。真っ白でふかふかの布団に包まれながら睡していたわけだが、起きた直後の頭痛と吐き気はやばかった。最悪の気分というのはああいうことを言うのだと思ったほどだ。
 和室には誰もいなかったため、なぜ自分がここにいるのかと考えていると、すぐに、意識が途切れる寸前の記憶を思い出した。
 そう、あのとき、アンタレスは、涼にキスをした。
「もう……もうもうもう、なんなのよ!」
 し思い出してしまっただけで顔が赤くなる。相手はだ、しかも、ずっと敵だと思っていた相手だし、會うのも二度目だ。全く知らない相手と言っていい。
 涼はなぜか、昔からの子からモテるという、ある種の宿命みたいなものを背負って生きてきたが、さすがに出合い頭にキスするとは會ったことがない。というか、年上から好かれたことも數えるほどしかない。
 そもそも、彼が涼への好意からキスをしたとは考えにくく、彼のにれて、舌がってきたときは、恥ずかしいだとか戸いだとかよりも遙かに怖いというのほうが強かった。魅力的なではあるが、涼をしている風ではなかったように思える。だが一方で、涼に毒を飲ませるためにキスする必要があるのかとも思う。
 しかもよりにもよって聖の前で……、という言葉が出そうになって飲み込む。
いやいや、どうして今あの子が出てくるのよ。そんな問題じゃないでしょ。
 とにかく、和室で目を覚ました涼は、のどこも異常がないことについて安堵するや否や、知らない場所から出ていくために部屋の外へ出ようと思ったのだが、服を著ていないことに気付いて、部屋の中にこれ見よがしに置いてある白の著を著たわけだ。ちなみに、著付けは何とか自分一人でやった。
連れ去ったのなら縛られているはずだし、部屋の鍵もかかっていなかったので、てっきり誰にかに助けられたのかと思っていたのだが、見つかった途端に追いかけられたので、千里眼を使って逃げるしかないではないか。
 引きずっている裾のせいで何度も転びそうになって走りづらい著を著てきたのを後悔しながらも、全で走り回るよりもましかなんてことを思い直して、走っていると、この建には所々に窓がある。
 二階か、最悪三階くらいならば飛び降りることも考えたのだが、予想よりも高いのと、この建自がかなり高いところに作られているため、落ちたら最後、今度こそ命はないだろう。
 涼を追ってきているのは、これまた歴史の資料集とかでしか見たことのない甲冑を著た武將のような男や赤い布を纏ったの忍、さらにはとりどりの著を著た大奧に出てきそうなたちなど、まるで紙や寫真の中でしか知らないような連中なのである。
 こんなときに『結界グラス』があれば、とつくづく思う。
 しつこい連中に、どうしたら彼らを振り切れるかと涼が考えていた時である。廊下の橫から見覚えのある鮮やかで、この城にいる誰よりもしく艶やかな和服を著たが現れたではないか。
「ドタドタバタバタとぉ、うるさいわぁ、ちょっとは靜かにできないのぉ?」
 そんな聞き慣れないながらも、聞いた瞬間に誰だかわかる妖艶でしくも狂気が見え隠れする特徴的な聲を発する。
 蛇を彷彿とさせる細い目に、病的なくらいに白い、しかし、人間として(人間ではないのだが)劣っている部分は見られず、むしろ彼を前にした人間は劣等にさいなまれることだろう。
「アンタレス……」
 の前で立ち止まった涼はそうつぶやき、警戒しながら彼との間合いを取っていると、涼を見たアンタレスは、
「あらぁ、どこに行ったかと思えばここにいたのねぇ?」
 なんで……、という言葉を飲み込む。自分の最後の記憶がこのということは、自分はここに彼によって連れてこられたのだということを理解する。
 アンタレスは、妖艶な笑みを浮かべながら、近づいてきて、
「行きましょう、お茶の準備はできているわよぉ」
「お茶? あんた何言っているのよ」
 涼が眉をひそめて聞き返していると、涼の後ろから迫ってきた集団が追い付いてきて、
「……っ! アンタレス、さま……」
 涼を追ってきた甲冑の男が彼へ言うと、アンタレスは涼の後ろにいる男たちの方を見る。
 そして、彼はゆっくりと口を開いた。
「うるさいわよぉ?」
『…………っ!』
 その瞬間、いったい何が起きたのか、涼には分らなかったが、彼もじた。
 アンタレスの口から放たれた言葉が、まるで目に見えない弾丸のように過っていく。
 何もしていない、ただ、アンタレスは、うるさいと彼らに告げただけだ。
 それなのに、空間は凍り付き、彼らは一斉にひざまずいたではないか。その中にはパクパクと口を開いたまま気絶するものまでいた。
「客人とお茶を飲むわぁ、邪魔しないで頂戴ねぇ?」
 はっ、と首を垂れた男たちを見下ろしたアンタレスは、ゆっくりと涼へ目線を戻す。
 なんとなく恐ろしくなった涼はできることなら今すぐにでも逃げたい心境だった。
 もしも、『結界』があれば彼と出會い頭にすぐにフェンリルを起していたのだが、肝心の右腕もない。
 このまま彼についていくべきか、それとも、死を覚悟して逃げるべきかを考えていると、アンタレスは、まるで手品のように小を一つその手に出して涼へ見せてきた。
「お探しのはぁ、これかしらぁ?」
「……っ! どうして……」
 アンタレスの手の中には、青く輝く寶石が付いた指があった。それはまさしく、涼の『結界グラス』である。
 涼が眠っているうちに彼が取ったという考えが普通だが、あの指は、涼自でなければとることができないはずなのだ。以前、詠がふざけて取ろうとしてきたが取れなかったし、翔馬に見せた時も、涼が取るまではこの指はとれなかった。それを、アンタレスは取ったというのか。
「さっさと行くわよぉ」
 そう言った彼は先に廊下を進んで行ってしまう。
その後についていくかどうか、涼が逡巡したが、やはり『結界』をそのままにしておくことはできないので、後を追ったのであった。
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