緩やかな傾斜の続く山脈に作られた、緑かな山道。

南の街ギズウィックと小さな村、そして山の麓のマロースブルクを一直線上に繋ぐこの山道は、馬車こそ通れないものの歩いて行くには近道だった。

數十年前に大きな街道が敷設されてからは、人通りも途絶えて久しい。

……かのように思われていた。

久々に、そこを駆け抜ける者がいたのだ。

籠いっぱいの果を抱え、三つ編みの赤を揺らしながら逃げる、一人のだ。

不幸な事に、彼は大収穫に浮かれてこの近道を選んでしまった。

「はぁ、はぁ……！」

そして、そのを追いかけるのは小さな影。

それも複數だ。

「イヒー！　ヌベスコイダリマキ！」

「ソベンヌョゲベテラサパコヌキ！」

を追う者達は、毒々しい緑の小さき者達……ゴブリンだ。

その雙眸は左右別々を向いており、また歯を剝き出しにした口元からはだらしなく涎を垂らしている。

控えめに言って、とても正気ではない。

意味不明な言語をび、ゴブリン達は末なナタを振り回す。

「ベヂョアモマキリシニキ！　ヒーヒヒヒヒーヒー！」

「ひっ！？　あっ……！」

は木のに足を引っ掛けて転ぶ。

「あ、ああ……」

振り向いたは、絶に目を見開く。

ゆらゆらと揺れながらにじり寄るゴブリン達の獰猛な殺意に、は死を覚悟した。

だが、その時だった。

「アチ！」

接近しつつあったゴブリンのうち一匹の頭に、橫から一本の矢が刺さる。

「アチーアチチチチーアチー！」

泡を吹きながらゴブリンは倒れた。

「ゲボバゾゾンヌョ！　アチー！」

「バヒバヒバヒバヒ！　バッヒーアチー！」

殘る數匹も、次々と抜かれて絶命する。

最後の一匹が倒れた。

は我を失っていたが、橫合いから聲が掛かる。

「キミ、大丈夫だったかい？」

鼓を溶かすような、ふわりとしたソプラノボイス。

は木れ日に照らされた救世主の顔を見上げる。

手を差しべるのは、肩口で切り揃えた蜂のような金髪と、晝の青空のような碧眼を持った年だった。

スラリとした手足、まだあどけなさの殘る甘いマスク。

そんな貌が首を傾げて、心配そうにこちらを伺っているではないか。

まるで、お伽話に出て來る白馬の王子様だ。

は己の顔が熱く火照っている事を自覚した。

ましてや涙を清潔なハンカチで拭かれれば、の奧底が切なく締め付けられるのを誰がじ得ようか。

すっかり、は彼の虜になっていた。

「その……ありがとうございました」

「キミ達を守るのがボクの使命だ。禮には及ばないよ。ああ、怪我をしているようだ。見せてごらん」

は言われるままに、スカートをたくしあげて膝を曬す。

年は、しげしげとそれを見つめ、やがて深刻そうな顔でを抱き上げた。

「手當てをしなくては。この近くに治癒の泉がある。案しよう。そこで禊みそぎをすれば、明日にはすっかり治っているよ」

「まあ、王子様ったら……そこまでして頂いても、よろしいのですか？」

「大丈夫さ。キミはまた隣町にやってきて、買いに行く姿をみんなに見せてあげて」

年は泉の前へと辿り著くと、をそっと抱き下ろす。

「じっくりと中を洗って、ボクがいいと言うまでは出ないように」

「それは、何故ですか？」

「穢れを洗い落とすには、充分な時間が必要だからね」

は一切の疑いを持たず、年の言葉に頷いた。

そして、年はに背を向けながら腰のレイピアを引き抜いた。

「でも、その間に野盜が現れたらコトだ。ボクはここで見張りをしているよ」

「ふふ……ありがとうございます、王子様」

けた笑顔のまま、は服をぎ、そしてほとりに畳んだ。

は自らの空想に耽る。

ああ、王子様は何かの間違いで、ありのままの私を見て下さらないかしら、と。

年は自らの過ちを嘆く。

名も知らぬしき娘よ、頼むからこっちを見たりはしないでくれ、と。

しかしその數分後、彼らは最も歓迎されるべきでない者達に目撃される。

野盜や野良犬であれば、まだ良かった。

今や騒の象徴とされる、黃い外套を纏った男。

――“落日の悪夢”。

かの者が現れた時、必ず大きな波が引き起こされる。

災難の大小は様々だが、いずれにせよ災難は災難だ。

そして年に振りかかるそれは、彼にとって何よりも致命的なものだった。