１

その日は、朝から蟬が鳴いていた。

七月上旬――蟬が鳴き始める季節としては上々であるし、何しろ、それについて違和を抱く人間など居るはずも無かった。

午前五時四十二分、ユグドラシル・ブリッジ。

早朝ランニングをするジャージ姿の男は、立差橋梁ユグドラシル・ブリッジにて屹立する數十人もの人間の姿に、いつもとは違う雰囲気をじ取った。しかし、それは自分とは関係ないことであるとすぐに察し――ランニングをしたまま去っていった。

「それは正解ですよぉ。実際問題、気付いて警察でも呼ばれてしまったら厄介ですからねぇ」

雙眼鏡で覗いているのは、褐のをがさつに包帯のみで覆っているだった。目つきが悪く、どこかその表も虛ろだ。それに、がさつに包帯を巻いているからか、完全に彼のを包み込んでいるわけではない。

雙眼鏡のは踵を返した。

「リーダー、どうやら周囲に誰も見當たらないようです」

「ご苦労、フィトルア」

リーダーと呼ばれた男は、フィトルアの報告をけて目を瞑る。

これから始まるのは戦爭だ。

木崎という、一つの街を巻き込んで始まる大きな戦爭。當然死人も出ることだろう。

「だが、そんなことは関係ない」

リーダーと呼ばれた男は、フィトルア以下、彼の前に立っている組織構員に告げる。

「たとえ死人が出ようとも、魔師同士で殺し合いになろうとも……関係ない。我々が勝利すれば、それだけでいい。きっと、我々の戦爭を止めるために警察が関與してくることだろう。だが、足を止めるな、前へ進め！　退路など、この戦爭に參加を表明した時點で斷たれている！　勝って前を進むか、命令に逆らって死ぬか！　選ぶのは、お前たちの自由だ！」

聲高々にぶ彼の言葉に、賛同しない人間等居ない。

彼の目の前に立っている構員全員が、右手を掲げて雄々しくぶ。

「さあ、同士よ！　戦場へ向かおう！　そして、忌むべき相手『ヘテロダイン』を殲滅させるぞ！」

「おおおおおおお！」

今まさに、リーダーと構員のは一つとなった。

「いかがでしょうか、アリスさま？」

それを見下ろすような位置にある椅子に腰かけているのはアリスだった。その傍らには時雨も立っている。今日の彼はアリスの補佐の役目を擔う。そのため、アリスと常に行を共にしているのであった。

アリスは頷いて、言った。

「構員も思った以上に集まってくれた。これであとは全員が効率良く戦ってくれればいい話だが……」

「そこに関しては問題ないでしょう。何せ、彼らは魔のエキスパート、専門家です。専門分野はその分野の専門家に任せておけば何ら問題ありません。それに、彼らは実力も相當上ですからね。流石に全員が柊木香月以上とは言えませんが、それなりの魔師を集めております。ランキングホルダーの一覧を見ますか？」

「いや、そこまでする必要は無い。別に、あなたの目を疑っているわけでも無いし」

「お褒めに預かり、栄です」

アリスの言葉を聞いて、深々と頭を下げる時雨。

「……さて、ところで、これからどうしましょうか」

アリスの言葉を聞いて頭を上げる時雨。そして、首を傾げる。

彼もまた、その言葉の真意に気付いていないからだ。

「……どう、とは？」

「どうやって攻め込むか。最終的にヘテロダインの魔師を行不能にさせて、ユウ・ルーチンハーグを出來ることなら拿捕しておきたい。だけれど、そんな簡単にうまくいくはずがないこともまた事実。ならば、どのように攻めていこうか……」

「一般人はどうなさいます？」

「魔を見られた場合のみ、殺しなさい」

それを聞いて時雨は眉をひそめる。

「殺す、ですか」

「ええ、そうよ。二度は言わない。もし魔を行使した場面で一般人にそれを目撃された場合、または、今回の計畫を一般人に知らされた場合、その一般人を殺してしまって構わない。寧ろ、これは命令よ。殺しなさい。報の匿を管理するためには、必要不可欠なこと」

「報の匿……ですか」

「ええ」

アリスの頷きを聞いて時雨も頷く。

実際、彼も報の匿については疑念を抱いていた。どのようにして管理すればよいのかということもあるが、実施する側にも問題がある。報の匿を管理する一番の方法は、報を流出させないことだ。だから今回の作戦でも、あまり大っぴらに行しないことが念頭に置かれている。そして、萬が一行を一般人に見られてしまった場合は、問答無用で口を塞ぐ。そうしなければ、魔師組織として今後生き殘っていくことは出來ない――それがアリスの言い分だった。

だが、それは噓だと時雨も薄々理解していた。普通に考えていけば、アリスのその理論は完全にデタラメで噓っぱちということが解る。しかしながら、普通に仕事を求めてやってきた構員にとってそれを理解する必要など無かった。いや、理解するまでも無かった――とでも言えばいいだろうか。

仕事を求めてやってきた魔師にとって、今回の仕事さえクリアすれば報酬が手にる。裏を返せば、仕事に関してあまり関心を持っていないと言ったほうが近い。どうしてそうなってしまったのかといえば々話が長くなってしまうかもしれないが、若干省略して言えば、いち早く仕事を済ませて報酬を手にれたい魔師側と、魔師を集めて仕事を終わらせたい上層部とで利権が合致したことが原因と言えるだろう。

いずれにせよ。

いずれにせよ、魔師と上層部では個々にそのような契約が結ばれており、了承を得ている。

そして、その魔師の大半が――大抵変り者であるということも、アリス含む上層部にとって、周知の事実であった。

「アリスさま、そろそろ準備が整った頃かと」

時雨の話を聞き、アリスが椅子から立ち上がる。

同時に、アレイスターの構員が全員彼の方を見つめた。

沈黙。

數瞬にわたる沈黙。

それは永遠にも見えたし、一瞬にも思えた。

すう、と息を吸ってアリスは言った。

「諸君。今回はこのような場に集まってくれたこと、謝している。これならば、今回の我々の目的を容易に達することが出來るだろう」

ぐるり、と辺りを見わたす。

集まった人數は八十人。彼の予想であった七十五人を上回るが、アレイスターに所屬している魔師の半分以上が集まったことになるのは変わりない。

それぞれの顔を見る。

張している者、笑顔を浮かべている者、真剣にアリスの方を見つめている者。アリスの言葉など興味ないと言いたげにスマートフォンに目線を映している者。

この高臺ならば、実に多くの視線が目に留まる。

だが、そんなこと彼にはどうでもよかった。

アリスの話を聞いていなくとも、魔師が勝てばいい。ヘテロダインに勝てばいいのだから。そして、ひいては、彼の目的が果たされればいいのだから。

「これから我々は大きな戦爭へ足を踏みれる。きっと、これは魔師の歴史に殘る戦いとなるのかもしれない。だが、だからといって、委してはならない！　自分が一番大きく歴史に名前を刻むと躍起になって敵を殺すがいい！　ボスのユウ・ルーチンハーグを拿捕して、ここまで連れてくる！　それが我々の作戦だ」

余談だが、この空間で話している容は、時雨が防音障壁を魔で発させているので、外部にれることは無い。だからこそ、こんな聲高々に作戦容を発表出來るのである。

「アレイスターとヘテロダインの戦いが始まるぞ。諸君、ぜひ我々アレイスターに勝利を、そして、ユウ・ルーチンハーグのをここまで持ち帰ってきてほしい。よろしく頼む。以上」

踵を返し、アリスは元の席に腰掛ける。

それと同じタイミングで、アレイスターの構員のテンションは最高を迎えた。

そして、もともと班分けされていたチームごとに、ユグドラシル・ブリッジを後にするアレイスターの構員。

最後に、アリスと時雨だけ殘ったアレイスター。

「……それでは、行きましょうか？」

「ああ」

時雨の発言を聞いてアリスは頷く。

そして、アレイスターの構員は木崎市の街々へと散らばっていった。

彼らの目的はただ一つ。ユウ・ルーチンハーグを拿捕して、アリスの元に連れていくことだけだ。