《いつか見た夢》第11章

目的の駅に著くと、俺は階段を二段飛ばしで上り、改札を抜ける。

待ち合わせにしたコンビニは、やはり學校帰りの高校生や中學生であふれていた。綾子ちゃんは、雑誌を立ち読みしていたが、俺の姿を見つけると雑誌を棚に戻し、店から出てきた。

「すまないな、待ったか?」

「いえ。私もつい十分ほど前に來たばかりですから。それに、ここまではさやちゃんと一緒でしたので」

「そうか、それは良かった。本當は何かあったりしないか、し心配だったんだ」

聞けば沙彌佳は、駅まで一緒に來た後、他の友達と帰ったのだという。

「それじゃぁ行くとしようか」

「はい」

綾子ちゃんは笑顔で頷いた。その笑顔は、心なしかいつもより楽しそうに見えた。

「これからどうしましょうか?」

繁華街へと続く、アーケードを歩きながら、綾子ちゃんが聞いてきた。

「ああ、なるべく自然にした方がいいだろうからな。君は行きたいところとかないか?」

「え? わ、私は特にないです……」

俺の問いかけに、綾子ちゃんは普段に比べ、不思議なほど聞き取りにくいほどの小聲になってしまった。

「ないのか? 普段と同じようにしないと折角の囮作戦も臺なしになっちまうぞ? それに、今まで學校が終わったら直帰だったんだ、ちょっとくらいなら、遊んでも構わないぞ。むしろその方が自然じゃないか?」

「え、あ、あの、えと……そ、それなら く、九鬼さんはどこか行きたい場所はないですか?」

綾子ちゃんは妙に落ち著かない態度で、珍しく聲を荒げて反問してきた。しかもなぜか、耳まで顔が真っ赤になっている。特におかしいことも言っていないはずなんだがな。

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「俺か? んー……特にないな」

「あ……そ、そうですか……」

今度は、がっくりと肩を落とし、うなだれた。なんだか……いつもの綾子ちゃんと違うのは気のせいだろうか。

「綾子ちゃん、大丈夫か? なんだったら、今日はやめておくか?」

「えっ!? だ、駄目です! わ、私、ちゃんとやるって決めたんですから!」

「そ、そうか。でも調子が悪くなったら、すぐに言うんだぞ?」

「は、はい。で、でもご心配には及びません! 私は大丈夫ですから!」

今日の綾子ちゃんは、態度がころころ変わって、まるで沙彌佳になったみたいだ。けれども、朝はそんな風に見えなかったし、囮になるということに張しているのかもしれない。だとすれば仕方のないことだ。

俺自もやはり張しているのだから、當たり前だ。俺はそう察して、これ以上は追及はしなかった。

結局お互い遠慮しあって、何をするでもなくブラブラとアーケードを歩いた。一人なら、ふらりとそこらの本屋やCDショップにでもるところだが。

まぁ、それでもいいかもしれない。何もすることなく、ただ二人ほっつき歩いていたんでは、逆に不自然だ。

「なぁ」

「は、はい?」

「確か、クラシックとかジャズが好きって言ってたよな?」

「はい。父の影響もあるんでしょうけど……結構好きですよ」

「そうだったな。じゃぁちょいとCD屋に行ってみないか? クラシックはともかく、ジャズには興味があるしな」

俺は初めて會った時に、趣味の話なんかを聞いていて、そういったジャンルの音楽を聴くといっていたのを思い出したのだ。

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俺はロックやポップスだとか、レゲエ、ファンクあたりしか聴かないから、あまりその辺の音楽は分からないのであまり気にとめなかったが、これを機に、新しいジャンルを開拓するのもいいかもしれない。

「分かりました。行きましょう」

會話らしい會話もすることなく歩いていた俺達だったが、ようやく自然にできそうな場所に行けそうだ。

アーケード街のCD店にると俺達は、早速ジャズのコーナーへ行った。

高校生や中學生と言えば、まず流行りもののジャンルのコーナーへ行くものなのか、二十代半ばくらいと思われる店員は、そんなもの見向きもせずにジャズコーナーへ行く俺達に、奇異の視線を向けたようだったが、それも一瞬だった。

「どんなものが聞いてみたいですか?」

「どんなものって言われても、どう答えりゃいいのか分からないな」

俺は苦笑しながら肩をすくめた。

「ジャズと一言でいっても、割りとジャンルがあるんですよ」

「へぇ、そうなのか? じゃぁ……良くオシャレなじの喫茶店とかで流れてるようなやつは? 落ち著いた靜かなじの」

「うーん……クールジャズのこと、でしょうか?」

「クールジャズっていうのか。試しにどんなのか聞いてみたいな。何か有名なのはないか?」

「有名なものですか……ああ、それでしたら、あれなんかいいかも」

綾子ちゃんはそう言うと、お目當てのCDを探し始めた。

俺には何がなんだか分からないので、ただついていくだけだったが、ある一畫に來た時、綾子ちゃんはお目當てのものを見つけ、そのケースを俺に差し出した。

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「これなんか気にると思いますよ」

「『SOMETHIN' ELSE』? へぇ、マイルス・デイヴィスか」

「マイルス、ご存知なんですか?」

「ああ、名前だけだけどな。名前はかなり知られてるだろ? キング・オブ・ジャズってね」

「なるほど。そうかもしれませんね。それにジャズ好きに、彼を知らない人はいないですから」

俺は頷いた。本當に名前だけだが知ってはいる。後はせいぜいトランペッターだということくらいだ。

「このアルバムの一曲目の『枯れ葉』は、九鬼さんなら、絶対に気にると思います」

「枯れ葉か……確か、元々はシャンソンだったな。マイルスもやっていたんだな」

「というよりも、マイルスがジャズに定著させたという方が、より正確だと思いますよ」

「へぇ、そうなのか。じゃぁこいつは綾子ちゃん的に何點評価?」

し意地悪げに聞いてみた。けれど、綾子ちゃんはその言葉を待ってましたと言わんばかりの顔で

「もちろん、百點満點ですよ」

と自信たっぷりに、はにかんだ笑顔を見せ、俺の心臓は、また唐突に鷲摑みにされたのだった。

しばらくの間、綾子ちゃんのジャズ談議は続き、その様子は普段からは想像もできないほど饒舌だった。

CDを買い終え、店を出た後もそれは続き、ジャズのり立ちから、シーンの立役者になった希代のミュージシャン達、演奏方法やリズムだとか、とにかくマシンガントークなのだ。

俺が一を言えば、綾子ちゃんは十を言う……それはまさに、ジャズマニアに相応しいものだった。俺もジャズというものに興味がなかったわけではないので、綾子ちゃんの話は參考にはなったが。

けれど、お互い気をよくしたのか、CDショップにる前と後では、まるで別人のようだった。

アーケード街の店の中にっては、服やアクセサリーを見てまわる。綾子ちゃんがこれかわいいと言えば、俺がこういうのはどうだと返し、あんなに張していたのが、馬鹿らしいと思えるほどだ。

しかし、ふと見たショーウインドーに、黒のジャケットを見た時、すっかり本來の目的を忘れていたのに気付き、我にかえった。

(何をやってるんだ、俺は)

今日は行一日目ということもあって、様子見とは言ったが、今回の作戦の目的まで失っては、全て無駄になってしまう。

そりゃぁ自然に……とは言いはしたが、本的なことを忘れてしまっては駄目だ。意味がない。俺はそう自分に言い聞かせ、あらためて気を引き締めなおした。

「あの……九鬼さん、大丈夫ですか?」

突然喋らなくなった俺に、綾子ちゃんが下から顔を覗き込んできた。その仕草に、なぜかドキリとさせられる。

「え? ああ、ちょっと考えごとをな。ところで綾子ちゃん。悪いが」

「あ! あれ! あれ見てください」

言いかけた言葉を遮って、綾子ちゃんは道の先にある、巨大なイルミネーションツリーを指差した。

大分冷えてくるようになったと思えば、すでに十一月も半ばを過ぎ、そろそろ気の早いクリスマスツリーが街を彩るようになってきたのだ。

「そうか、もうそんな時期なんだな……」

今年も後六、七週間ほどで終わると思うと、なんだか慨深い気持ちにさせられる。來週にはきっと、早くもクリスマスソングが、街のいたるところで流れるようになるのだろう。

「ねぇ九鬼さん、行ってみましょう!」

「あ、お、おい」

綾子ちゃんは急に俺の左手を手に取って、ツリーの方へと走りだした。

「そんなに慌てなくたって、ツリーは逃げないぞ」 俺はやや呆れながら、引っ張られるがままにされていた。かくいう俺もまんざらではないのかもしれない。

それに、こちらの怪我を気遣っているのか、しきりに右腕上腕部分を気にしていたのは見間違いではあるまい。

ツリーの前に來ると、その大きさが良く分かる。何せ、そこらの二階、三階建ての建と同じか、それ以上の高さがあるのだ。

ツリーの周りには、すでに人だかりができていて、いまかいまかと何かを待っている様子だ。ツリーの方も、裝飾は完全にすまされており、もしかすると今日、今これから點燈するのかもしれない。

イルミネーションなんざ、時期が來ればいくらでも見れるが、點燈式というのには立ち會ったことがない。そういう意味では、あまりお目にかかれないことに立ち會うことができるのだから、貴重といえば貴重だ。

橫目で綾子ちゃんを見ると、やはり點燈する瞬間を期待しているようだった。業者が準備を終えたのか、一旦ツリーから離れる。

どれほどの時間が流れたかはわからないが、ツリーに一斉に明かりがともった。ツリーの大きさもだが、その裝飾もかなりのもので、明かりがつくとよりその存在が際立ってみえる。

「わあ……すごく綺麗」

うっとりとした表を見せて、綾子ちゃんが呟いた。たしかにツリーも綺麗だが、ツリーからのに照らされた綾子ちゃんの方が……って、何を考えているんだ、俺は。

唐突に浮かんできたことを振り払うように、再び初心に戻って、例のストーカー野郎がいないか辺りを見回す。しかし、ざっと見たところ、それらしい人は見當たらなかった。

しばらくの間、人ごみにまぎれて二人ツリーを見上げていたが、ひとり、またひとりとできていた人だかりも散っていく。

「そろそろいこうか」

「ぁ……はい」

一瞬だけ寂しげな顔をみせた綾子ちゃんは、すぐにまたさきほどまでの明るい笑顔になって、歩きだした。

「さて……これからどうする? 今日はもうあまり収穫はないかもしれないぞ」

「あ、そ、そうかもしれませんね」

この態度から察するに、やはりというか何と言うか、綾子ちゃんは完全に目的を忘れていたようだった。まぁ、俺もあまり人のことをいえた義理ではないのだが。

「何か食べていくか?」

「え? でも、もう時間も時間ですし、今食べるとお夕飯に響きませんか?」

「いや、聞いてみただけだ。せっかくだしなと思ってね」

ほんのしだけ照れ笑いをしてみせ、肩をすくめる。

「まぁ、特に希がないのなら、今日はもう帰ろうか」

「あ、はい……」

綾子ちゃんは自分で正論をいったものの、それが託されたことに、わずかに眉を寄せた。それを見た俺は、心で苦笑いし、ため息をつく。

「それなら、あそこはどうだ?」

「あそこ?」

頷きながら、俺の中に浮かんできたのは、キシマイ堂だった。ここからなら、あそこは近いし、帰り道からはやや外れるが、その辺のことはさし當たり、問題ないだろう。

綾子ちゃんも、俺が提案した場所に賛したようで、嬉しそうな顔で頷いた。

キシマイ堂は、アーケード街からやや外れた場所にあるが、ここだけ盛り上がった小さな丘に立っているため、かなり目立つ。

裏手は、オープンテラスになっており、今はいないが、暖かい時期になると、こぞって人気のある場所となる。

それでも、マホガニーがふんだんに使われている店は、それだけでもとても雰囲気のある、人気スポットなのだ。

俺達が店にると、いったん客もひけた後のようで、いつもは満員禮の店も、チラホラと空席がある。

いつもこれくらいなら、男の俺でももうちょっと気楽にれるというものだが、それも今のうちで、後三十分とたたないうちに、仕事帰りのOLや、カップル達でまたごった返しになるだろう。

「何がほしい? あ、前の特大のは勘弁な」

あれは俺の経済狀況にかなりの大ダメージになるから卻下だ。

「え、えっと……あの、実は私、この前が初めてだったので、よく分からないのですが……」

こいつは驚いた。てっきり何度か足をはこんでいるものとばかり思っていたからだ。だが、これで前回のは、やはり沙彌佳のやつが口合わせさせていたことが分かった。帰ったら仕置きだな、全く。

俺は思わず苦笑いをし、口を歪ませる。

「あの、どうしました?」

「ん? ああ、いや、なんでもない」

クックックと肩で笑う俺に、綾子ちゃんは何事かと疑問をぶつけてきたが、俺はそんなのお構いなしに、メニューを選び、バニラのアイスクリームを注文することにした。

アーケードでの失敗を忘れないよう、店、外、ってくる客、くまなく目をらせるが、それらしい奴はここでも見けられない。

店員が注文した品をはこんで、おなじみの臺詞を言い殘し、立ち去っていく。

綾子ちゃんはレアチーズケーキを頼み、目を輝かせていた。聞けば、大の好なのだという。

「それでは、いただきますね、九鬼さん」

「ああ」

軽く手を合わせて、目の前にはこばれたアイスをスプーンですくう。

「んー、いつ頼んでもうまいな。綾子ちゃんはどうだ?」

「はい、とっても味しいです!」

満面の笑みで、フォークをケーキにさしている。こうしていると普段、大人びて見えても、やはり歳相応なのだと思える。

この景を見ているだけで、なぜだか、こちらも満たされた気になるのだ。

「あ、あの……」

「ん? なんだ」

綾子ちゃんは、食べていた手を止め、急に顔を赤らめさせている。つい、今の今まで普通にしていたのに、どうしたのだろう。

「あ、あの九鬼さん。よ、良かったら、これ、ひ、一口ど、どうですか?」

「お、換か。いいな。じゃぁ一口もらおうかな」

そういって、俺はアイスを皿ごと綾子ちゃんの前に持っていく。

「先にどうぞ」

俺の行に綾子ちゃんは、急に慌てはじめ、しどろもどろしていたが、落ち著いて深呼吸をし、なんとフォークでアイスを食べようとしていた。

「おいおい、綾子ちゃん。アイスはスプーンを使って食べるものだぞ」

「え!? で、でもそれじゃっ、か、間接……」

「間接?」

今日の綾子ちゃんは、本當にどうしたのか。突然あわてふためいたり、謎の言葉を言ったりと、まるで綾子ちゃんの中に、沙彌佳が乗り移ったのではないか、と馬鹿馬鹿しい気すらおきてくるほどだ。

「そこまで驚くことじゃぁないだろ。それともフォークで食べるのが當たり前ってのなら、止めないが……」

やれやれ。今日の綾子ちゃんには、驚かされることばかりだな。綾子ちゃんの態度に、俺は笑みをこぼした。

「そ、それじゃあいただきますね」

「おう」

綾子ちゃんは神妙な顔で再び深呼吸しているが、アイスひとつ食べるのになぜそこまでくなるのか、いまいち理解できない。

意を決して、俺の使っていたスプーンを持ち、アイスをすくってその綺麗な口元へと運んでいく。

目を細めながら、小さな口に運ばれていくその仕種はなぜだか、どうにもエロチックに見え、俺の男の部分が反応してしまう。

(な、何考えてるんだ、俺は)

かぶりを振って、沸き上がってきたものを鎮めようとするが、一度沸き上がったものは、なかなか鎮めることができない。

しかも、考えないようにすればするほど意識してしまい、とてもじゃないが今この場に立つことができないほどになった。

そんな俺を目に、綾子ちゃんはアイスを咀嚼し、飲み込む。

「うん、これもすごく味しいですね。私もこっちにすれば良かったかなぁ」

「そ、そうか。喜んでもらえてなによりだ」

「それじゃあ次は私の番ですね」

綾子ちゃんはアイスの皿を俺の前に戻し、おもむろにフォークをとる。

「あ、ああ、一口もらうよ」

てっきり、フォークを渡すために取ったと思ったのだが、そうではなかった。綾子ちゃんは、フォークをケーキにさし、一口分すくい取ると、左手を添えながら、俺の顔の前まで持ってきたのだ。

「あ、綾子ちゃん……こ、こいつは」

「あ、あーんしてください」

あろうことか、食べさせようとしていたらしい。

さすがに、これは恥ずかしかった。意図せず口が開いてしまい、綾子ちゃんはそれを肯定とけ止めたのか、口の中に持っていこうとするが、俺は顔を背けた。

驚いて、口が開いたにすぎないからだ。しかし、綾子ちゃんはめげずにまだ目の前から、手を下げようとしない。

以前、やはりこの店で同じ景を目にしたことがあったが、そのときの男は、やけに恥ずかしがっていたのが思い出されるが、今ならその男の気持ちが分かるというものだ。

こいつは想像以上に恥ずかしい。けれど、ここで拒否するのもまたまずいだろう。

食べさせようとかかげられた手は、わずかに震え、綾子ちゃんもまた恥ずかしさからか、顔が耳まで真っ赤になっているからだ。おまけに、その目にはうっすらと、涙が浮かんでいるではないか。

(これで拒否したら本気で泣きだしそうだ……)

「全く……仕方ないな」

今度は俺が意を決して、口を開けた。綾子ちゃんは、次こそ肯定ととらえ、俺にケーキを食べさせる。

うまいにはうまいのだろうが、気恥ずかしさのせいで、いまいち味がわからない。

「おいしい……ですか?」

おずおずと聞いてくる綾子ちゃんは、不安げな表をしている。その顔は、毎朝見る、あの顔と全くのおなじものだった。

「あ、ああ。今度はこいつを頼んでみるとするよ」

そう答えると、綾子ちゃんは満面の笑みで、それにこたえた。

「ありがとうございました」

會計をすまし、店員の聲を背に外に出ると、辺りはもう完全に夜になっていた。

店にいたのは、三十分かそこらだった。もうしくらいゆっくりしても良かったが、時間も時間だったため、出ることにしたのだ。

いや、恥に堪えられなくなって、といった方がいいのかもしれない。

俺にケーキを食べさせた綾子ちゃんは、その後も、それならばと何度も俺に食べさせようとしたのだ。……実際、俺も差し出されたものは食べてしまったのだが。一口俺に食べさせては、自分が。一口食べさせては自分が、といった合だ。

しかも、俺の頼んだアイスも食べさせようとしたのだが、さすがにそれは斷っておいた。もうまともにアイスの味などしなかったが。

けれど、綾子ちゃんがあんなことをするような子だとは思いもよらなかった。俺の綾子ちゃんへのイメージは、どちらかと言うと、しクールにしていて、そういったものにはもっとドライだとばかり思っていたのだ。

今日のことで、俺は綾子ちゃんへの評価を変えなければなるまい。おかげで先ほどの余韻のせいか、まだが熱かった。

帰り道、今日起こった出來事を二人語らいながら歩いていた。ジャズのこと、大きなツリーの點燈式のこと、先ほどのキシマイ堂でのこと。さっきから、もう何度も話していることなのに、また同じことをひたすら、飽きもせず話していた。

綾子ちゃんは、あれから絶えず微笑んでいたが、まだ頬が赤く染まっている。全く、おかげで恥ずかしい目にあった。けれども、そのことで腹を立てる気にはなれなかった。

不思議なもので、たしかに恥ずかしくはあったが、ああいうのも悪くないと思っている自分がいるのだ。そんな考えをぼんやりと巡らせているうちに、家まで數十メートルのところまできていた。

「あの九鬼さん」

「どうした?」

「今日は本當にすみませんでした……囮になるだなんて言って、結局……」

綾子ちゃんは、心底後悔しているような顔をしている。

「ああ、そのことなら気にしなさんな。実をいうと、俺も途中まで完全に頭から吹っ飛んでたんだ」

なんだかんだで俺自、かなり満喫してしまっていたのだ。だから、それはお互い様というものだ。

「それに最近、々あって気も滅っていたしな。いい気分転換になったよ。ありがとうな」

「そんな禮をいわれるようなことなんて私……」

「まぁ、いいじゃぁないか。確かに目的を忘れてしまったが、今日一日何もなかったんだし、たった一日かそこらで、奴がうまいこと出て來るという保証もなかったんだ。これで良しとしようぜ」

それに、と一拍おいて綾子ちゃんの目を見據えながら、また口を開いた。

「俺も結構まんざらでもなかったんだ。君と楽しめて良かったよ」

「……え?」

「……い、いや、だから君と楽しめたって」

いいかけて、言葉をつぐんでしまった。綾子ちゃんが、目に涙をためていたのだ。次の瞬間、瞬きをすると同時に、その涙が流れていく。

「え? お、おい、綾子ちゃん、ど、どうしたんだ、大丈夫か?」

予想だにしなかった自に、さすがに驚いた。しかし、それは仕方のない話だろう。泣かすつもりなどなかったのに、なぜかは知らないが、いきなり泣かれてしまったのだ。

「ぁ、ごめんなさい。いきなり泣いてしまって……」

「そ、それは構わないが……」

綾子ちゃんは必死に涙を拭きながら謝ったが、俺は何て言っていいのか、さっぱり分からない。

「……うれしかったんです」

「うれしい?」

「だって九鬼さんが……そんなこと言ってくれるなんて思いもしなかったから」

「お、俺、そんな変なこと言ったかな……?」

「変じゃないですけど……とにかくうれしかったんです。私のために迷がかかってばかりで……なのに」

綾子ちゃんの目からは、また涙があふれようとしていた。

「あ、ま、まぁそういうのはあまり気にすることじゃぁないと思う。半ば俺が首つっこんでいっただけの話だしさ」

くそっ、もっと気の利いたことを言えないのか、俺は。

「さやちゃんも同じこと言ってくれましたけど、やっぱり……」

「綾子ちゃん」

俺は話している言葉をさえぎって、彼の肩に手をおいた。

「沙彌佳にも言ったが……君と初めて會ったあの時點では、こんなことになるだなんて誰もわからなかったことなんだ。

そいつは筋違いってやつだよ。だから君が気にするようなことじゃぁないんだ」

「九鬼さん……」

「首つっこんだ以上、俺も無関係じゃぁない。何かしらの責任ってものがあるんだよ。ならそれはきちんと果たさなきゃな。

だから、怪我のことも何もかも含めて、それは俺の責任であって、君のせいじゃぁないんだ」

「……もう九鬼さんって、本當……」

あふれかけた涙を拭い、綾子ちゃんは笑いながら何かいいかけたようだったが、それ以上いうことはなかった。

とその時、綾子ちゃんの後ろのほうから、車がそのヘッドライトで俺たちを照らし、脇を通り過ぎていった。通りすぎ様に運転手は、クラクションを鳴らして冷やかしていき、俺はあわてて肩から手をはなした。

「あっと……す、すまん」

「ぁ……いえ……」

「と、とにかくそういうことだから、気にしないでくれ。半ば俺もやりたくてやってるんだからさ」

綾子ちゃんは何も答えずに、ただ黙って俺を見つめていた。

ばつが悪くなり、なんとも言えない空気になってしまって、俺は話をそらした。

「そ、そろそろ家に戻ろう。沙彌佳も心配しているかもしれないからな」

その場にいたたまれなくなったためか、早口でそう促し、背を向けて歩きだそうとした時だった。

「なっ……」

背中に誰かが抱き著いてきたのだ。もちろん、今そんなことができる人間は一人しかいない。

「あ、綾子ちゃん?」

「……お願い」

「……」

「お願いですから、今だけはこうさせてください……今だけでいいですから」

綾子ちゃんは額を背中に當て、手には俺の制服が握られている。今綾子ちゃんは、どんな表をしてどんなことを思っているのか、俺からは窺い知ることはできない。

おまけに俺は俺で、心臓が場違いと思えるほど早鐘を打っており、とても自分のものとは思えなかった。

しかし脳みそはそれとは裏腹に、こんなとき斑鳩ならどうするだろうか、などとぼんやり考えていた。

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