《いつか見た夢》第23章

地下五階へたどり著いた俺達は、今までとは勝手が違うことに気がついた。

「……今のは?」

聞き間違えるはずはない。銃聲だ。連続する銃聲は、サブマシンガンによるものだろう。ここに來て、ようやく連中も上で起こっている異常事態に気付いたのだ。

「ほとんど武を使わずにこれたのは、先の連中のおかげではあるが、ここからはそうも行かなくなったな」

真紀と田神が頷くと同時に、けたたましく非常を知らせる音が鳴り響いた。俺達はようやく、本格的に銃を構えながら慎重に、かつ素早く進んでいく。

通路をT字になった場所で、早速、警備隊の死が出迎える。やはり眼を撃ち抜かれている。

「連中、目的の場所に向かって行ってるんだよな?」

けたたましい音のため、大聲で真紀に問い掛ける。

「ええ! ここからしばらくは路地はないから走って行きましょう!」

その聲に俺も田神に目配せして、走りだす。田神をやや先頭に、真紀が、そして最後尾を俺がという形だ。あまり広いとは言えない通路に、警備隊の死が転がっているため、いまいち走りにくいが仕方ない。

異常を知らせる音に混じって、やはり前方でかすかに銃聲が聞こえる。

警備隊の連中も、侵者の予想外の強さに驚いて援軍を呼んでいるだろうが、それも葉わぬことだ。大部分の奴らが、すでに地獄に墮ちているのだから。

「この通路をこのまま行った突き當たりを左よ!」

真紀が走りながらぶ。

「分かった!」

田神はそれに応え、前方に銃を構え発砲した。通路の先に警備隊がいたからだ。弾は見事に連中の一人に當たり、ぶち倒された。

きっと、俺達を応援と勘違いしたのだろう、突然のことに警備隊の連中は泡を食っている様子だ。退路などほとんどない狀態では、連中に勝ち目はないと言っていい。俺も構わず、銃を立て続けに連する。

俺達を仲間ではないと気付いて、こっちに銃を向けたが、そのの二人が瞬間橫にぶち倒される。

俺達から見て左の通路にも、兇悪な侵者がいるのだ。もう、警備隊の奴らは殘り4人だけとなっている。

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俺は先の侵者がやったように、三発立て続けに連して、二人を倒す。田神はそんなことなど気にせず確実に當てるために、一人に的をしぼって撃っている。

それと同時に、最後のもう一人が左側からの銃撃によって倒れたのだった。俺達は一気に通路の突き當たり手前の壁まで走り寄り、をひそめた。

田神がを低くし、そっと顔を出す。

そこに連中の銃が撃ったと思われる、乾いた音が聞こえた。瞬間に田神はを隠したため當たることはなかったが、頬が赤くなっていた。

「大丈夫か」

「ああ。それよりも、連中は君の読み通り三人だった。実質的な攻撃手はやはり二人だ」

たった一瞬、顔を覗かせただけでそれらを把握したこの男は、やはりさすがだ。

「真紀。目的の場所はあの向こうにあるんだな?」

「ええ。あの向こうに、全を管理しているシステムサーバーがあるの。そして、隣に今回のターゲットがあるわ」

「良し。だったら連中にドアを開けさせるとしよう。それを俺達が奪取する方向で行った方がいいな」

俺と真紀はそれに賛同し、一拍おいて銃を構えた。

「田神、援護してくれ。俺が行く」

「分かった」

田神は俺に合わせるために一度深呼吸し、を乗り出して発砲する。

すかさず俺は田神の橫から走り抜け、連中に向かって発砲しながら駆けていく。

奴らがを隠している間になんとか通路の端にまでよると、開かれたドアの中に向かって數発撃つ。その間に真紀と田神が駆けてきた。

ドアの橫に隠れながら、一瞬だけ顔を覗かせて中を見た。確かに、連中は田神の言う通りに三人だった。

一人が、広い部屋の中央付近にあるコンピュータを使って、何やら作していた。

中は機や他のコンピュータなどが置かれていて、やろうと思えば十分中で戦えるだけの広さとがある。

田神に目配せすると、意を汲み取って頷いた。

「今度は俺が先に行こう。頼む」

「ああ」

俺は中にやはり數発ぶち込むと、田神はを低くしながら中へと駆け込んで行く。

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「あんたも先に行くんだ」

真紀にんで、先に行くよう促す。

「分かったわ」

田神も真紀が先にくることを察したようで、援護する。

「今だ、行け!」

その言葉を合図に、真紀もなだれ込んで行った。

真紀が行ったのを見送ると、俺も連しながら一気に中へと飛び込む。

その時俺の耳には、いまだ鳴り続けている非常音に紛れて、かすかに電気が落ちていくような音が聞こえた。

奴らがシステムダウンさせるのに功したらしい。だが、逆に言えば恰好の反撃のチャンスと言える。

ここぞと言わんばかりにを乗り出して、反撃に出ようとした時、心臓がみ上がる思いがした。

なんと奴らはこの瞬間を狙って、俺が這い出てくるのを待っていたのだ。

俺が飛び込んだ先がまずかったようで、田神や真紀とはし離れた前方部分だったのだ。

まずい……。そう思ったのは一瞬だ。次の瞬間、後方から銃聲が聞こえ、連中の一人に當たったのだ。

さすがに奴らも一旦を隠さざるを得なくなり、俺もそのすきに機のに隠れる。

危なかった……恐らく撃ったのは田神だろうが、やつもこの瞬間を狙っていたのだ。

やつが俺と同じように、同じ時を狙っていなければ、今頃はきっと外の警備隊達のように、ぶち倒されていただろう。田神の冷靜な判斷のおかげで、俺は命拾いしたのだ。

さて、ここからどうするか……。一旦攻撃が止むと、互いが互いの息遣いすらも聞こえてくるような錯覚に陥ることがある。

今がまさにそうで、たった今あったように、またこっちが這い出てくるところを狙っているんじゃあるまいなと、疑心暗鬼になってしまう。

その時、後方から何かがコロコロと転がってきて、俺の足に當たった。振り向くと、それはつるつるのボールペンで、機の下から転がってきたようだった。

このボールペンには見覚えがあった。確か真紀が使っていたものだ。

俺は機の下を覗く。すると向こうもこっちを覗いていたようで、真紀があっちへ行けとジェスチャーしていた。つまり一カ所にではなく、全く違う方向からの挾み撃ちにしようというわけだ。

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きっと考えたのは田神だろう。あの男は、こういう時でも常に頭が回転しているようなやつだ。

いい加減に、このけたたましく鳴っている音をどうにかしてほしくなってきたが、この音のせいもあって、二人はボールペンをやったのだろう。

俺は首を縦に振って、その場から素早く匍匐前進ほふくぜんしんし、部屋の端に來た。連中がいる場所は階段が二段あり、俺達のいた場所よりもやや高くなっていたため、下手に進むとこっちがやられかねない。

勢を戻してどうするか決めかねていた時、視界の脇に田神と真紀が銃を構えたのが見える。

それならばとを乗り出し、連中のいた場所のすぐ橫からぶち込んでやろうと、トリガーに指をかけながら、一気にコンピュータの橫から銃口を向けた。

しかし、連中はすでにその場にはいなかった。

一瞬、怪訝な顔でしかめたが、理由が分かった。このコンピュータの後ろには階段があり、そのまま隣のターゲットのある部屋に通じていたのだ。

しかも下に行くには、このコンピュータの後ろの階段一つしかないのだ。先ほど一人は田神の弾に當たって負傷しているため、が転々と床に落ち、それが下へと続いていた。

「ちっ!」

攻撃してこなくなっと思えば、こういうことだったとは。もっと早く行しておけば、一人くらいは地獄にたたき落とせただろう。

田神達も、俺の様子に何かじたようで、足早にこちらに反対側から駆け寄ってきた。

「やっこさん、もう下に行っちまったみたいだぜ。どうする? 追うか?」

「追った方がいいだろうな。連中がターゲットを盜むまではいいが、その後は、我々が奪取しないといけない」

俺は田神の言葉に頷いたものの、真紀は何やら考えていたようで、頷くことはなかった。おもむろに、奴らがさっきまで使っていたコンピュータをログインさせ、この施設の見取り図なんぞを引き出していた。

「どうしたんだ? 先に行こうぜ」

真紀に話しかけはしたが、真紀はちょっと待ってと言ったまま、また黙って畫面とにらめっこしている。

「……分かったわ。作戦変更よ。私と田神はこのまま奴らを追うわ。あなたは、ここを引き返して地下三階まで戻って」

「どういうことだ?」

「これを見て」

そういって真紀は、畫面を指さした。そこには、やはり先程呼び出した施設の見取り図だ。

指さしたところには、ターゲットがある部屋に通じている、一本の通気孔があった。

「こんなもの、作戦前に見た見取り図にはなかったぜ?」

俺はわけが分からないといった口調で、真紀に問う。

「ええ、なかったわ。これは最新の見取り図……ぬかったわ、本當に」

真紀が珍しく悔しそうにを噛んだ。奴らがもしかしたら、それを使って逃げるかもしれないというのを言いたいわけか。

「……まぁ、仕方ない。じゃぁ俺は三階まで戻るとしよう」

そうなると、一刻の猶予も許されない。俺は踵を返し、全力疾走で元來た道を戻って、地下三階まで上っていった。

全力疾走で三階まで戻ってきた俺は息を切らし、通ってきた管理室に設置されている、通気孔の前に前まで歩みよった。

五階に殘してきた真紀と田神は大丈夫だろうか。うまく時間稼ぎできていればいいが。

俺は一息つく間もなく、通気孔の……いや、大きさからして通気管と言った方がいいだろうか。俺はその通気管の蓋をこじ開けようと、隙間に指をれて渾の力をこめて引っ張った。

予想通り、元々出用に作られたわけではないから、かなりの固さだ。

「っく……」

力をこめているためにき聲がもれ、服に隠れていて見えなかったが見える。そのに、管がこれでもかと浮きだっている。だが、それでも蓋は開く気配はない。

俺は指と手にさらに力をこめる。肩が、二の腕が、掌の筋さえも怒張しているのが分かる。その時にようやくミシミシという金屬が歪むような音が聞こえた。けれど、まだまだだ。

あまりの力のために、指がちぎれ飛ぶのではないかと思われた時、ついに蓋がバキンと盛大な音を立てて外れた。

俺はその反のため、後ろに吹っ飛んでいた。餅をつきながら、気付けば汗も滲んでいたこともようやく分かったのだ。

(こんな固いもんを取り付けやがって……)

忌ま忌ましい気分になった俺は、舌打ちしながら管の中にを乗りれる。ここから五階までは、ざっと七、八メートルほど下といったところだろうか。もっとあるかもしれない。

耳を澄まして下の様子を窺うが、音は聞こえない。下から空気が舞い上げられているのか、風の吹くような音が聞こえるだけだ。

俺は數回、深呼吸をする。意を決して、中に足かられた。やや斜めになっているとは言え、ほぼ垂直になっている通気管をいくのは、さすがに躊躇する。

だが、そんなことも言っていられない。この下では、田神と真紀が必死に食い止めてくれているはずなのだ。せいぜい、頭だけはぶつけないようにしよう。

俺は再度深呼吸して、通気管の中を落ちていった。り落ちていくのは僅か、ほんの數瞬であるはずなのだろうが、俺にはやたら長くもじた。

通気管の中は、當然真っ暗で、何も見えなかった。おまけに狹い。下手にけば、をあちこちぶつけるだろう。

そう思った次の瞬間、踵に衝撃が走り、俺は白いの世界に飛び込んでいた。

俺の突然のに、例の三人は驚いて俺の方に振り返っていた。

俺はすかさず、銃を構えて二発立て続けに連した。速さのあまり、銃聲は一発にしか聞こえなかっただろう。

一発は、殘念ながら宙をかすめていくだけだったが、もう一発は、報員と思われる奴の元に當たった。そのまま、俺は柱のまで駆ける。

(これでまずは一人)

そっと口の方を見ると、こちら側はまだなんとか大丈夫のようだ。だが、まだ厄介な奴が殘っていた。

銃を得意としている方が無傷だったのだ。先ほど田神に撃たれた方も、なんとかやれているようで、まだこちらが完全に有利になった訳ではなさそうだ。

あれほどのことをやってのけた連中なので、油斷はだ。

口に田神と真紀、後ろには俺という完全な挾み撃ちの狀態でありながら、どうにも奴らに不利にさせているという印象が持てない。奴らは、まだ何かしてくるのではないかと、妙な節じずにはいられないのだ。

再度、柱からを乗り出して連中の方を見やる。するとなんと、さっき俺に撃たれた奴はまだ息があり、手の中に黒っぽい、楕円のような金屬球が握られていたのだ。

まさか……。

俺は田神達に向かってんだ。きっと奴は、口の方にいる田神達にそれを投げるに決まっている。

「逃げろ! 手榴弾だ!」

その瞬間、俺が隠れている柱が鋭い音とともに欠けた。まだ無傷な奴がこちらに発砲したのだ。

倒された奴は、自分が長くないことを悟り、仲間の退路と同時に口を塞いでいる田神たちを一掃するつもりで持ち出したんだろう。

それを別の仲間の手によって、口に向かって投げられる。それがやけにスローモーションに見えた。それでも俺は、一瞬早く柱のに隠れることができた。

その直後、音が部屋中に鳴り響いた。ほとんど閉されている部屋の中での発のために、やけに音が反響している。

なんとか耳も塞ぐこともできたため、さほど殘響もなかったが、田神達は大丈夫だろうか。俺は柱のから出て辺りを確認すると、口には田神達はおらず、侵者の二人がその口に向かって走り出したところであった。

「待て!」

ここで連中を逃がすわけにはいかない。俺は夢中になって銃口を二人に向ける。

やはり立て続けに三発連し、一人に二発、もう一人に一発當たった。二人は、走り出した勢いそのままに、床に倒れる。

手応えはあった。確実に二発當たった方は致命傷だろう。問題はもう一人の方だ。銃口をしっかりと向け、警戒しながら二人に近づいていく。

向かう途中、最初に倒した報員と思わしき奴の橫を通る時、橫目でチラリと見やった。間違いなく死んでいる。顔からはすでにの気が失せており、死人になっていることが分かった。

いつの間にか、非常事態を知らせるためのブザーの音は止まっていた。そのせいもあり、やけに靜かだ。

ゴクリ……。唾を飲み込む音が、やけに大きく聞こえる。

俺は、自分達を苦しめた連中の面を拝もうとしてしゃがみ込み、潛する時などに用いられるマスクを剝がした。

「こいつは……」

マスクを剝がした俺は、驚きのあまり聲を出していた。

俺の最後の撃三発のうち、二発をけた奴は間違いなく致命傷で、その顔にはすでに生気というものがじられなかった。だが、俺が驚いたのはそうではなかった。

「まだ……ガキじゃぁねぇか」

そう、そいつはまだ年端もいかない子供だったのだ。まだ高校生くらいか……いや、そう見えるだけで、実際にはもういくつか上かもしれない。なんにしても、俺よりは確実に若いだろう。

こんな奴が、好んで人を殺していたというのか……。後方に死となっている最初にやった奴は、明らかに俺よりも年上の奴で、何も思わなかったが、今回ばかりはさすがに勝手が違った。

その時、ぶち倒されたはずのもう一人がき聲をあげながら、き出していた。

しぶとい奴だ……。俺は舌打ちしながら、銃口をもう一人の死にぞこないに向ける。

こいつもこの死んだ奴のように、まだ若い奴なのだろうか……そんな考えを持ってしまうのは、殺し屋として失格なのだろうが、俺にはどうにも引き金を引いて、とどめを刺すことをためらわれたのだ。

「う……くっ……」

「……おい、意識があるんだろう。今、お前に銃口を向けている。このまま弾をぶち込まれたくなかったら、大人しくするんだ」

口をチラリと見ると、田神と真紀がのろのろと顔を覗かせていた。あの二人はなんともなかったようだ。田神に至っては、すでに立ち上がっている。

「さて、あんたの面も拝ませてもらうぜ」

銃口は、いつでも確実にそいつの頭をぶち抜けるように構え、ゆっくりと歩みよった。

マスクに手をかけて、徐々に剝がしていく。すると、マスクの下から端正な顔立ちをしたが姿を現したのだ。

「お前……、だったのか」

「くっ……あ、あたしにるな……」

き聲混じりに、必死に強がって見せているの聲は、その顔に負けずと聲の持ち主だ。このも先ほどの奴と同様にまだ若く、せいぜい、二十歳そこそこといったところだろう。

俺に組み敷かれてもなお、抵抗しようとする心構えは立派だが、いつまでもそうさせるわけにはいかない。俺は組み敷いた腕を、力をこめてねじあげた。は、そのしい聲で一際大きなき聲をあげる。

俺はそのの聲と苦しむ顔に、なぜか妙なエロスをじて、顔をしかめた。が暴れたことで、俺と田神にけた弾によりできた傷から、が滲みだして床を赤く汚していく。

「子貓ちゃんよ。これ以上手荒な真似はしたかないんでな、大人しくしてくれよ」

田神と真紀が俺達に歩み寄ってくる。見たところ、怪我らしい怪我もしていないようだ。真紀は、ターゲットをこのが擔いでいたサックから取り出す。

ここで初めて、ターゲットがデータであることを俺は理解した。まぁ、真紀がわざわざ出向くくらいなのだから、うすうすづいてはいたが。

それよりも田神だ。この男は、組み敷かれたを見て、何か信じられないといった風な顔をしたまま、かずにいるのだ。

「おい、田神。どうしたんだ。早くこのを擔げるように縛り上げてくれ」

「え? あ、ああ、そうだな……」

そういって田神は、常備している拘束の腕に取り付けた。

「後は、ここの破で任務完了よ」

真紀は持ってきていたサックから、弾を取り出し、部屋の中央にあるコンピューターにとり付けた。それを見屆けると、俺達は駆け出した。

を俺が擔ごうとしたが、田神によって止められた。自分が擔ぐということなのだろう。

「早く」

真紀はすでに口に移しており、俺達に聲をかける。

何も持っていくものがない俺が先頭に立って走り、それぞれの階の管理室に真紀は弾をしかけていっていた。やはり、連中三人の手によって警備隊は全滅しており、あれだけけたたましく鳴っていた非常事態を知らせるブザーも、なんの意味もなく鳴っていただけだったようだ。

おかげで帰りにお荷が増えた今となっては、謝すべきことではあるが。

最初のフロアに來た俺達は、素早く一人一人順番に、相変わらず勢いよく開閉する扉をくぐって出ていく。

最後になった俺は、もう誰も生きていないこの施設の中を振り向き、口笛を吹いて一瞥した後、扉をくぐり抜けた。

扉が閉まった直後、真紀はその手に持っていた起裝置のボタンを押したのだった。

仕事が終わった翌日、普段ならすぐにでも寢座に戻る俺だが、なんの気まぐれかN市に留まっていた。

捕らえたは田神がなんとかすると言い、真紀もデータを本部に送るために戻ると言う。

俺はもう自分の仕事が終わったので、せっかくのN市見學をしたいなどと尤もらしい言い訳をして、別行することにしたのだ。

いや、本當は分かっているのだ。向こうに戻るというのは、またいつもの日常に戻るということだ。俺はどうにもそれが嫌だった。戻れば、また考えたくないようなことを考えてしまうだろう。

そうすると、とても戻りたいなどと思うわけがない。むしろ、しばらくこの街に住んでみるのもまた良いかもしれない。

なんのしがらみもなく、俺を誰も知らない街で生きると言うのも悪くないかもしれない……そんな考えが、今朝脳裏を過ぎったのだ。

実際には無理だろうが、せめてそういう気分にくらいは浸りたいと思うのだ。だから、俺は送っていくという真紀の申し出を斷ってここに留まった。

この街に何かあるわけでもないだろうが、ちょっとした現実逃避には持ってこいだ。

俺は誰もいなくなったホテルのスイートをそのまま貸し切り、優雅に朝から酒をあおっていた。

きっとこの景を見たら、真紀も田神も呆れてため息をつくことだろう。最近になって、酒ばかりをあおる奴というのはどんな人間であれ、どうしようもない奴なのだと気付いた。だが俺は俺、他は他なのだから、いちいち気にしていては、気が持たない。

そんなことをぼんやりと考えていたが、酒ばかりあおって何もしないというのは、せっかくここに留まった意味がない。

いくら呑んだくれとは言え、一応は市見學と言ったのだから、しくらいはそれらしいことでもして回るとしよう。まぁ、気付けば相変わらず晝などとうの昔に過ぎていたが。

ホテルを出ると、今日はずいぶんと暖かかった。いつもの革ジャンもいらないかもしれないと思われたが、この際だから著ておくことにする。

地下鉄に乗って行く気もない水族館などに行ったり、そこに隣接された外國の雰囲気を漂わせるテーマパークに行ったりと、自分でも何がしたいのかさっぱり分からない。

結局、俺は突き付けられた事実から逃げたいだけなのだろう。やることもなく、そこをぼんやりと歩いていた。

するとそこで教會の鐘が鳴った。見れば、結婚式だったようで、白のウエディングドレスを來た花嫁が花婿とともに出てきたところだった。大勢の友人や、親戚、家族たちに祝福されながら。それを見ていた周りの客も皆して拍手を送っている。

そして花嫁は、本當に嬉しそうにしながらそれに応えていた。花婿も、それを誇りにするようにした顔をしている。

俺は、それをどこか遠い世界の出來事のような目で見ていた。俺もこんな世界にらなければ、いずれはあんな風になっていたのだろうか。

自嘲しながら笑い、俺は二人の新しい夫婦に口笛を吹いてやった。俺からのせめてもの祝福のつもりだった。

結局何をしていてもいつもと変わらず、考えたくもないのに考え事をしていた俺は、日が落ちて夜の貌を見せ始めた街に戻り、呑んだくれ共が集う酒場を求めて廻った。

やっとのことでそれらしい場所を見つけ、中へとっていく。サバカ・コシュカのように、いかにもという雰囲気ではないが、ここも悪くない。

中の様子は、まさに外國から移住してきたような奴らが、所狹しと肩を寄せ合うように酒を飲みわしていた。

いわゆるイングリッシュパブのような店で、周りのことなど気にする風でもなく、勝手気ままに各々の時間を過ごしている。

もかなりの広さで、席が百二十、三十は確実にあるだろう。大型の晶テレビが數臺とりつけられ、サッカー中継が映し出されている。俺はその中をゆっくりとした足取りで、カウンターにまで行く。

「いらっしゃい。初めて見る顔だね」

多分この店の店主だろう、50歳前後と思われるこの店にはどちらかと言えば不釣り合いな、優男が聲をかけてきた。

「ああ、旅行でね」

「そうかい。楽しんでる?」

「まぁ、ぼちぼちだな」

苦笑しながら軽く肩をすくめた。店主もそれに釣られて、笑った。

「何にしましょう?」

「ジョニー・ウォーカーはあるかい?」

「おや? 珍しいチョイスだね。どれにしようか」

「グリーンラベルがあれば、そいつを」

「分かった、グリーンラベルね」

そういって店主は棚からジョニー・ウォーカーの瓶を取り出す。俺はその間に、革ジャンのポケットから財布を出し、二千円取り出した。さすがにこれだけあれば足りるだろう。

「二千円からで。九百円のお釣りね」

釣りをけ取り酒が出て來るのを待っていた時、急に店が沸いた。何事かと思えば、サッカーの試合で贔屓のチームがゴールしたらしい。

サッカーになど興味のない俺だから、どうでもいいがこういう雰囲気だ。久しぶりにナンパをするのも悪くない。

しかし、それとなく店を見回し、したものの、殘念なことに俺のお眼鏡にかなうような者はいなかった。せっかく人が久しぶりにその気になったというのに、あんまりだ。

俺はため息をつきながら、仕方なしにサッカー中継を眺めた。また店が活気に溢れ出し、先ほどと同じように、だんだんとざわめきが消えていく。

テレビの中の選手が、華麗にディフェンスを二人三人と抜き、ボールを蹴った。キーパーの頭上をすれすれに、ネットを揺らす。途端に店は、またも歓喜の嵐が沸いた。

しばらくの間眺めていると、前半終了を告げるホイッスルが鳴る。

の客達も、それに合わせてまた各々の時間に戻っていく。それと同時に今しがたのゴールや選手の論評に華を咲かせ始めた。

その時、突然畫面が切り替わり、キャスターが現れる。周りの幾人かの客は、明らかに不機嫌そうな態度で悪態をついたが、キャスターの喋り出したことに、俺は耳を疑わざるを得なかった。

『サッカー中継の時間ですが、ここで臨時ニュースです。今日午後5時半頃、民自黨幹部の真田氏がA県N市のホテルで、他殺で発見されました』

このニュースには、さすがに呑んだくれ共も、耳を傾けざるをえないだろう。テロップには、『民自黨幹部・真田氏暗殺か?』と出ている。

「悪いが、音量を上げてくれ」

店主に言い付けると、店主もまんざらではないようで音を四つか五つ上げ、店にキャスターの聲が響く。

『今日午後5時半頃、A県N市のホテルで民自黨幹部、真田博之さなだ ひろゆきさんのが発見されました。

真田さんは、今日午後六時に開かれる予定だった幹部會に出席するためホテルを出ようとした時、何者かによって殺害されたものと見られ、警察は犯人の行方を追っているとのことです。それでは、中継の――』

そこまで聞いた俺は、スコッチを一気に飲み干して考えた。確かに、真田博之は政界の大だ。大膽不敵な言と行で、五十代という若さで、すでに時期首相候補の一人とすら言われていたはずだ。

だが何故だ? いきなり暗殺されなければならないようなことがあったからだろうが、その理由がいまひとつ分からない。これは直だが、もしや昨晩の俺達の仕事が絡んでいるのではないだろうか。

自分が直接関わったということもある上に、昨日の今日なのだ。しかも、暗殺なんて言葉が公共の電波になぞ、そうそう乗るわけがない。

暗殺は間違いないだろうし、それを実行したのも間違いなくその手のプロだろう。これもまた直だが、昨日の暗殺者三人の仲間がやったのではないか、そんな気がしてならなかったのだ。

こいつは一度調べてみておいた方がいいかもしれない。そう思い立つと、俺はグラスをカウンターに置いて、店を後にした。

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