《いつか見た夢》第27章

一週間ほど前の作戦の時に捕らえた、エリナと呼ばれるから話を聞いた俺は、それに併せて今自分のに起きていること、俺が考え思ったことを田神に話した。エリナのことを留意してか、なるべく離れたところでだ。

田神は終始無言のまま、時折頷きながら俺の話を聞いていた。その間に見た夢の話だけはしなかったが。

一通り話終えると、目を瞑りながらなにかを考えているようだった。俺は何も言わず、何か言い始めるのを待っていた。すると田神は、考えごとがまとまったのか、目を開けて口を開いた。

「……君の話を聞く限り、その人は相當に訓練されていることは間違いないだろう。それと、フィクサーの存在だな」

「フィクサー?」

「要するに、後ろ盾……協力者といったところか。要人を暗殺して廻るくらいだから、そこには々と利権が絡んでいることだろう。

となると、そういった人間が立ち回られるのは、厄介なはずだ」

「だがな、連中は個人の集まりにすぎないと言ってたんだぜ? それと利権がどういう風に絡むってんだ?」

「それは分からないが……その武田という男だが、かなり臭いな。多分、個々の目的とかいうのを良い裁にして、何かしら癒著している可能がある。

まぁ、それがその男の目的というのもありうるが……とにかく、斷言はできないが、そのコミュニティを裏で牛耳っている人がいる可能だけは、頭にれておいた方がいい。

そもそも、対組織ということそのものが、有り得ないと思わないか? わざわざ、そんなことをしなくとも、その関係者首脳だけの暗殺でこと足りるというのに」

田神の言葉に、俺は押し黙った。確かにそうだ。わざわざ、そんなものを組織する必要もない。癒著したいのであれば、俺達のいる組織なんかにそれを依頼すればいいはずだ。

それだけで自の手を汚さずに、利権を手にすることができる。これではまるで、一級品の私設軍隊を作っているようなものだ。

やはり、田神に話しておいて良かったかもしれない。俺だけでは、そこまで見抜いたり考えたりはできなかっただろうから。

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「……うまくやれよ、九鬼。これはある意味で、組織へのスパイ行為になりかねない。かと言って、そういったコミュニティの中でも、君はきにくい部分もあるだろうから」

「ああ。そいつは百も承知さ。場合によっちゃぁどちらからも手を引くことすら考えてる。あんたと同じでね」

田神を見ながら、ニヤリとしてみせた。

「……九鬼、俺は……」

「いいさ。別に俺はあんたを売ったりはしない。でも、あんたはいずれはこの組織を裏切る。それはなんとなく気付いてたんだ。

あののことをなぜ匿おうとするのかは分からないが、俺とあんたは似た者同士なのさ……だからかもな」

「そうか……すまないな」

「気にすることはない。こんなこというのもなんだが、俺は元々、組織だなんだというのは、好きじゃぁないんだ。そんなことのために命を張れるわけがないからな。

もし組織だとか國家のために命を張れというのなら、俺は間違いなくとんずらするさ。

あんたは表面にこそ出さないが、そこらへんは俺と同じだと思ってる。目的が何かは知らないが、お互いそのために、組織を利用してるに過ぎないだろう?

それに、組織だ國家だとか言う奴らほど、実際にはどうしようもない連中ばかりだ。そんな腐って、生きてる価値もないような奴らに、同志ってのを売る気にはなれないさ。神なんざ信じちゃぁいないが、それだけは誓って信じてもらっていい」「九鬼……」

どことなくバツの悪そうな笑いをみせる田神に、俺は肩をすくめてみせた。

「それよりもあのじゃじゃ馬だが、どうやって手なずけなんだ? ありゃぁ、あんたにだけは心開いてますってじだ」

「別に格段難しいことをしたわけじゃない。……まぁ、餌付け……とでも言うのか」

「餌付け?」

思ってもいない言葉に、俺は顔をしかめた。元はといえば、敵ともいうべきをたかだか一週間かそこらで心開かせ、その上手なずけたというこの男の調教師としての手腕は、相當のものだと思う。

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どこかはぐらかすような田神の態度に俺は、これ以上何も言うことはしなかった。だが相変わらず顔に出ていたのか、俺の顔を見るなり、

「……やっと見つけたのさ。自分の目的の一つがね」

と答えただけだった。この男も相変わらず、どこまでが本気なのか分からない口調なため、俺は軽く頷くことしかできない。

そろそろ次の場所に行くべきだと思い、俺は暇しようと田神に聲をかけた。軽く頷くだけの田神だったが、何か思い出したようで、引き止めた。

「九鬼。し待ってくれ」

そういって田神は、どことなく古ぼけた木箱をもってきた。その様子を見ながら、俺はどうしたのかとぼんやりと考えていた。

「これを君にやるよ」

木箱の中から取り出してきたのは、アンティークと思われるネックレスだった。

「おいおい、俺は男だぜ。こんなもの、とてもにつける気にはならないし、俺には似合わない」

そうは言ったものの、そのネックレスのデザインはシンプルで、わりあい俺好みのものではあった。しかし、明らかにのそれは、いくら好みと言えども、につける気にはなれない。

おまけに、とても豪華なのだ。中央付近には、小さめのピンポン玉くらいの寶石が三つ列んでいるからだ。

左から赤いルビー、真ん中に青いサファイアが、そして右端には緑のエメラルドがついている。だが、エメラルドだけは他の二つよりも、心なしか小さかった。

とりつけられたその配列も、首につけた際にはつけた者の、左に寄ってしまうようになっているらしい。そして、その三つの寶石から離れて、裝著者の右側になるように據え付けられたダイヤ……大きさこそ三つには及ばないが、それでも今まで見たことのない大きさのダイヤだ。

価値がいくらくらいになるかは分からないが、こんなにつけて歩いた日には、間違いなく拐されてしまうだろう。

それほどまでに、そのネックレスは高価そうに見える。

「まぁ、につけろとまでは言わないさ。ただ、こいつにはちょっとした“まじない”がある。持っている人間の願いを、三つまで葉えてくれるらしい」

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「おいおい……田神、それ本気で言ってるのか?」

子供じゃあるまいし、そんなことを信じることなどできようはずもない。田神は肩をすくめながら、苦笑した。

「別に信じろだとか、売り付けようってわけじゃない。げんかつぎとても思えば良いんじゃないかな。

それともし願いが葉うと、寶石が一つ輝きを失うらしい。その真偽を確かめてみるだけでも持っている価値はあるし、場合によってはこれを売るという手もあるさ」

そう言いながら、田神は俺にネックレスを渡してきた。確かに持っていても、決して悪いものではない。今後何かあった時に、そいつを渡して命拾いすることもあるかもしれない。

「分かったぜ、田神。こいつはありがたく貰いけておこう。だが、後で返せって言うのはなしだぜ?」

「もちろんさ。だが、離さず持っているんだ。そうしないと、効果は発揮されないから」

「せいぜいセレブ気分を満喫させてもらうさ。しかし、こんなのどこで手にれたんだ? こういうのはあまり興味なさそうなのに」

俺の素樸な疑問に、田神はニヤリとするだけで、答えることはなかった。

俺はそのネックレスを、ジャケットの左ポケットにしまいこんだ。貰えるものは貰っておくのもまた、俺の流儀だ。

「それじゃぁまた、會えたらな。あのにもよろしく言っといてくれ」

「ああ。

……そうそう、一つ言い忘れていたが、君も気をつけた方が良い。最近、警察のきが慌ただしい」

「警察?」

俺の問いに頷き、田神はリモコンを探しあてテレビを點けた。ちょうど晝時のワイドショーの時間だったようで、キャスターやタレントがさもそうであるかのように、早口に何かをまくしたてていた。

「どうも昨日の夕方、また一人議員が殺されたらしい。先日の真田暗殺のせいもあるようだが、この數日の間、いたるところで、警察が外を歩いているのを見かける。

俺達を、二人や三人の警が取り押さえられるわけがないとは思うが、用心はした方がいい」

その時、いつの間にか部屋の奧から出てきていたエリナが、テレビを見て、たった一言呟いた。

「……あのだ」

あの……。聞かずとも分かる。マリアとかいうのことだろう。

テレビでは、たった一発の銃弾によって撃ち抜かれたと、誰かが口にしていた。

 

 

 

田神の寢座を離れたのは、晝も下った頃だった。

JRの快速で戻ろうとも思ったが、駅に到著した普通電車に乗り込んだ。急ぐこともないのだ。ゆっくり行ってもいいだろう。

電車の中で俺は、いかにして武田と接できるかを考えていた。エリナの話では、次の作戦には俺を投するはずだということで、その時までに先ばししようとも思った。

だが、田神の考えを聞いてからは、やはり一度この男のことを洗ってみた方が良いという気になったのだ。田神はこの男が臭いと言っていた。

俺としても元から田神を信用すると決めているだけに、こんな正を隠しているような輩と、簡単に手を組めるはずがない。訳の分からぬうちに勝手に先兵として使われるなど、俺は許さない。

俺という人間は、自分の意思だけでくのだ。決して駒ではない。所屬している組織だって、ただ利用しているにすぎないのだ。

ふと俺はここにきて、一つの結論に達した。もう組織も俺には必要ない、ということだ。

この業界のノウハウとやらも、嫌というほど學ばせてもらったし、自分なりのコネクションとその作り方も分かった。ましてや、俺は組織とは別口で勝手に営業して回った人間だ。そのつど真紀に小言を言われたが、もう良いだろう。

もう組織など走する頃合いなのだ。後はどうやってそれを実行するかだ。電車に揺られながら、俺はいかに組織を抜けるか、考えを練っていった。

 

結局、上手く組織を抜ける算段は考えつかないまま、鈍行は終點に著いた。俺はそこから地下鉄に乗り換え、いつもの武商人・最上の店へと足を向けた。

最寄りの駅を降りて最上の店に向かう途中、何臺ものパトカーがサイレンを鳴らしながら走り去っていく。昨日の今日で、また議員でも殺されたのだろうか。政治家が何人殺されようが知ったことではないが、こうも警察がいていると、どうにもやりにくくなる。別に怖い訳ではないが、裏世界の住人といえど、やはり警察は厄介なのだ。

こういった大きな事件が起こると、必ずと言っていいほど裏世界と表世界を結ぶ報屋に、報の買い付けにくるのだ。そのため、必然的に住人達のきは緩慢になり、俺のようにあれこれといているような奴は目立ってくる。

もちろん、もし邪魔するなら容赦はしないが、できるなら自分の仕事をスムーズにするためにも、避けたいところなのだ。

まぁ、まだ今のところそれらしいきもないので、幸運と言えば幸運であると言える。

いつも行く道とは反対から薄汚い路地を曲がって、ビル群の隙間道へとった。とりあえず尾行はない。以前なんの目的かは知らないが、尾行した連中がいたのを思い出し、前後左右には気を配りながら來たのだ。

また幾度か角を折れ曲がりながら、最上の店の前に出た。いつもの客の合図となるノックをする。

……おかしい。しばらく待ってみたものの、反応がない。いつもなら二十秒か三十秒待った後、ロックが解除される音が聞こえるはずなのだが……。トイレにでもってるのだろうか。それとも外出中というのも有り得るが……。

念のためもう一度合図のノックをしたものの、やはり出て來る気配がない。さすがにおかしい……そう思い俺はドアノブを摑んで回した。

ドアが小さく軋んだような音を立てながら開く。ドアに鍵がされていないというのは、あの親父に限って有り得ない。これは何かあったと見て間違いない。

俺はゆっくりと中へった。薄汚い店の中は、怖いほど靜まりかえっていて、人の気配というのをじられない。

以前來た時には置いてあった、骨董品すらまだ良い待遇をけていると思われた銃は、ことごとく姿を消していた。

あれらの銃は、俺がここに通うようになる以前からあったものなので、それらが失くなっているというのは、どうにも異常だ。

一応売りだったらしいので、売れたという可能もなくはないが、今現在の狀況においてそれは、あまり有り得る可能ではない。

用心深く店の中を進みながら、奧まで來た。これより先は、最上の親父しかってはいけない領域で、俺は立ちったことがない。今はそんなことを気にしてはいられないので、堂々とっていった。

壁一面に、古今東西の古書がジャンルごとにまとめられて、本棚に置かれていた。本棚は、天井にまで屆くほど高く、まさに本の壁……いや、本の城塞といったじだ。

その本の壁の通路を真っ直ぐ進むと、突き當たりに出た。その突き當たりを右に行くと七畳か八畳ほどのスペースがあった。

そこが最上の親父の生活空間であり、商売の本拠と言ってもい空間なのだろう。

だがその空間の真ん中には、すでにうつぶせに倒れ、言わぬ死となった親父の姿があった。

「親父……」

目を細めながら、呟いた。店にった時から半ば予想はしていたが、思った通りだったのだ。

この親父とは決して仲が良かったわけでもなかったし、気でどこかいけ好かない奴ではあった。こんな仕事でもしていなければ、まず関わりたいとは思わなかっただろう。

だが、もう何年も付き合いがあるため、やはりどこか寂しくもじたのだ。

とはいえ親父がこうなってしまった以上、俺もやることを済まして、早くここから出なければならない。

悪いな、親父……心の中で謝りながら、手早く死を調べる。

死因は額を一発で撃ち抜かれていることからも、疑いようもなく銃殺だ。出量と後頭部が破壊されていないことから、サイレンサーがつけられていたことも間違いないだろう。

は、特に何か手掛かりになるようなものはにつけていなかった。しかし死のそばには、カードの束が不自然に落ちているのが目にる。どうやら、それらはキャッシュカードや名刺、どこだかの居酒屋のポイントカードだったりと様々だが、その中に、明らかにこの親父の持ちの中ではきな臭いカードがあった。

の大きな鳥が描かれた赤いカードは、どこかのクラブの會員カードのようだ。

俺はそれを拾って、書かれている文字を見てみた。

凰館……會員番號No.1479……。書いてあるのはたったそれだけで、後は一切何も書かれてはいなかった。當然、裏面にも何も書かれていなかった。

俺はそのカードをポケットにいれ、部屋の中をしながら狀況を推理してみることにした。

狀態から考えると、死を目前に控えた人間が、どこか別の場所に行くための算段をしていたところ、突如として謎の殺し屋によって頭を撃ち抜かれた。だから、こんなにもカードがぶちまけられている……そう考えてもいいのではないだろうか。

機には、二つ折の攜帯電話が無造作に置かれてはいるが、開かれているのがそれを裏付けていると思う。

だが、そうなるとどこに連絡しようとしたのか……これが問題になる。當然最も怪しいのは、この赤い凰と思われる鳥がプリントされたカードに書かれた、凰館とかいうところだろう。

クラブという場所は、會員証さえ掲示すればれるところもあれば、電話で予約をれなければならないところもある。昔、仕事でロンドンに行った時、まさにそんな場所に潛したことがあったので、この日本の大都會にそれがないとは言えない。

俺はその攜帯もポケットに突っ込み、銃がないか探した。すると機の中に、一丁の銃が隠されているのを見つけた。手にとってみると、それはワルサーP88という銃だった。

ワルサーといえばP38シリーズが有名で、俺がガキの時分に憧れたジェームズ・ボンドや、あのルパン三世が用しているものだ。

このP88は、そんなワルサー社がP38を目指して開発されたもので、マガジンは15発と舊シリーズの倍の総弾數だ。

また、値段が高かったのか生産は打ち切られており、そういった意味ではこういったヴィンテージが好きな者にとっては、垂涎もののモデルだったと記憶している。そんなモデルの銃を持っている親父にも驚いたが、あえてP38ではないのが、あの偏屈親父らしいと言えばらしい。

すでに弾は実裝されていて、迷う事なくそれをジャケットの側に銃をつり下げた。殘りの弾も當然頂いていく。

親父としては、あまり使いたくなくて持っていたのかもしれないが、道というのは使って初めて意味をなすものなのだ。機の中や、ショーウインドーに飾っておくものではない。

部屋を後にしようとした時、俺は後ろを振り向いて短く口笛を吹いた。せめてもの別れの挨拶だった。

店を出る際もう必要もないのだが、つい、いつもの癖で周囲に気をやりながら出て行った。まぁ、この界隈を出るのをなるべく見られたくないという気持ちはあるから、そちらに気をつける意味でも、その方がいいのだ。

さて、思いも寄らぬ形ではあるが、銃と攜帯は親父から手にれた。問題は、例のカードに書かれた凰館とかいうところだ。

そもそも、あの親父がなぜ殺されねばならなかったのか、そこは考えなければならないだろう。個人営の武商人として、やはり同業者との衝突があったのだろうか。

ここ數年、世界的に大不況に見舞われているが、その波は、この裏世界にもなからず影響を與えているのだ。そのために獨自の開拓を広げているような、あの親父の類の武商人は、逆恨みというされてしまい、結果、雇われたプロによって亡き者にされたというのはある。

だがこの推論には、問題が二つある。まず第一に、あの親父が逆恨みを買うほどに儲けていたのか、ということだ。

それは有り得ないだろう。確かにそこそこに金回りが良かったようだが、そんなにまで稼いでいたという話は聞かない。

そもそも売れる、稼げるというのはどんな業界や世界であっても、業界人には必ず知れ渡るのだ。この國には、あまり武商人がいないことを考えれば、その世界で有名になるのは必然だ。

と同時に、金を湯水のように使うほど、あの親父が羽振りが良かったというなら、そんな噂もあっという間に有名になるものだ。だがそんな話がないのなら、同業者からの恨みを買ったという線は、いまいち信憑に欠ける。

そして第二に、仮に恨みを買ったとして、そんな個人営の弱小武商人をわざわざプロを雇ってまで始末しなくてはならなかったのか、ということ。

これは何年もこの業界にいる俺からしてみれば、かなり違和を覚える話で、そんな可能は最も低いといえるのだ。

商人達にしてみても、一応ルールというのが存在しており、それを冒してはならないという決まりごとはあるのだ。親父がそれを冒したというのもなくはないだろうが、そんなことに俺達プロはわざわざ介しない。當人同士で解決できることだし、そんな小をやったところで、こっちのメリットなぞたかが知れている。

この世界になくとも二十年はいると思われるあの親父が、そんなことをしたというのは考えられない。

よって恨みの線による殺害はないと見ていいかもしれない。まぁ、恨みは恨みでもソッチ方面の恨みはあるかもしれない。

のもつれというやつだ。まぁ、この男はに興味はないので、男である可能が高いが。

その男をが好きになり、逆上して親父を殺しにきたというのは? ……馬鹿馬鹿しい。を一切近寄らせないこの親父に限って、自分の蔵を教えるはずもない。

相手の男が実は殺し屋で、別の奴を好きになったから親父が疎ましく思うようになった……まだ、こっちの方が現実的だ。

とはいえ、それらに証拠があるわけでもない。仮にもしそうだとして、わざわざ殺すというのもし考えにくい。いくら殺し屋といえど、仕事でもない限り、簡単に人を殺すことなど滅多とあるものではない。

そう考えながら、俺は親父のところで見つけた赤いカードをポケットの中で握った。死はまだわずかに溫が殘っていたので、殺されてから一時間と経っていないはずだ。まるで、俺があの店に行くことを知っていて、先回りしたと言わんばかりだ。

そもそも一週間以上も前の話だが、俺を尾行していた奴らがいた。俺のことを狙っている人がいるかもしれないのだ。そんな俺が、行こうとした場所でこの有様だ。俺が関わっていないとも限らない。

それを確認するだけでも、それなりに探ってみる価値はあるだろう。それにこういう時には不思議と、思わぬ形で思わぬ収穫があったりするものだ。

まぁ、そんなものを期待するわけでもないが、とりあえずここに書かれた店に乗り込もうという意思は固まった。

 

 

 

「おークキさーん! 元気してた?」

店にるとジュリオは、相変わらず馬鹿でかい聲で俺に話しかけてきた。親父の店からジュリオの店までは歩くには遠いが、行けなくもないというほどの距離にある。おかげでジャケットを著込んだは、わずかにだが、じんわりと汗が滲んでいるようだ。

ここ數日は急激に気溫が上がっている。いつまでも冬の裝備のままの方がおかしいのだ。ジュリオの店にる前に、綾子ちゃんがいないか客やスタッフを見ていたが、時間が時間なのか姿は見けられなかった。

もちろん、中に引っ込んでいるという可能も考えたが、ジュリオに聞いてもしいたら、すぐさま退散すればいいと思ったのだ。

「ああ、見ての通りだ。ところで……彼はいるか?」

綾子ちゃんと言わないあたり、自分でも無駄に意識しすぎな気がしないでもない。だが、そんなジュリオも彼と聞いてすぐに綾子ちゃんだと気付いたようだった。

「おーアヤコさーんは今日休みよ」

「そうか。じゃぁいつもので頼むぜ」

「了解よ。おい、マルゲリータスペシャルだっ」

適當に席について、俺はジュリオと世間話に花を咲かせた。容は本當にどうでも良いことばかりだったが、この男のどこかノーテンキさは、いつも殺伐とした俺を楽しませてくれる。

そんな調子で食事をし終えた俺は、やはり気になっていたことを聞いてみることにした。

「ところでジュリオ、最近何か変わったことはないか?」

「最近? んー……特になかったね。でもなんで?」

「ああ、いや……なんとなく気になっただけだ、気にしないでくれ」

ここは異常なし、か。楽観もできないが一先ずは大丈夫だろう。

「……それでだジュリオ、あんた凰館という名前を聞いたことないか?」

凰館?」

「ああ、ちょっとしたクラブらしい。噂を聞いて興味が沸いたんだ」

俺が今日ここに赴いたのは、それを聞くためだった。ジュリオは、前の店で料理長を勤めていた裏でアコギなものに手を染めていた頃、そういった斡旋屋もしていたことがあったのだ。

思い當たることがあるのか、ジュリオはいつもの気な馬鹿でかい聲ではなく、本當にそれを仕事にしていたからこそ知っている、どこか危なげな表と、俺にしか聞こえないような小聲になって言った。

凰館ね……知らなくは、ないけどね」

「知ってるのか」

「知ってクキさんはどうするの? ここはクキさんみたいな人でも、あまり寄り付かない方が良いよ」

「ご忠告痛みるね。だが、そういうわけにもいかんのさ。仕事に妥協はできないだろう?」

仕事と聞いて、ジュリオの顔が曇った。ジュリオは、俺の職業を知っている數ない人間だ。まぁ、仕事というのは噓だが、あながち間違っているわけでもない。

いい淀んでいたジュリオだったが、俺にそこまで言われ、仕方なくといったじで口を開いた。

「……凰館というのは、知る人ぞ知るクラブなんだ。この國にはあまりないけど、私の國やヨーロッパの大都市には、そういったものがなくないよ。

でも、この凰館はかなり危険だよ。そこにいる皆、クキさんみたいに訓練されたやつらばかり。

しかも誰かの紹介なしでは一歩だって、ることができないよ」

「所謂會員証が必要というわけか」

俺の呟きにジュリオは頷いた。

「なら、こいつでどうかな」

そう言って、俺はポケットから赤いカードを取り出した。

「クキさん、それ……」

イタリア人らしいアーモンド型の大きな瞳を、さらに大きく見開いてジュリオは驚いた。

「何かの拍子で手にれちまったんでな。だが、住所も電話番號も書かれちゃぁいない。おかげで寶の持ち腐れというやつさ」

苦笑しながら肩をすくめ、カードをジュリオに見せた。

「う、うん、一度だけ本を見たことあるけど、間違いない……本だよ。どうやって……」

「言ったろ? ただの偶然さ……ま、そのおかげで仕事にも絡んじまったんだが。それで、元々は俺のものじゃぁないが、るのにこれだけで大丈夫だろうか?」

「所有者の名前を言うだけと聞いたことがあるから、問題はないと思うけど……」

その後、ジュリオはその他凰館にまつわるいくつかのエピソードを聞かせ、最後にここの住所を教えてくれた。

「ありがとうよ、ジュリオ。……それと、今日俺がここに來たことは、彼にはにしておいてくれ」

自分でも々しいと思ったが、まぁ、いいだろう。関わってほしくはないが、彼の幸せを願っているのは本當だ。

「了解、もちろんよ。クキさんこそ気をつけて」

「ああ、またな」

店の外に出ると、すでに日が傾いていた。俺はジュリオに教えてもらった場所を頭に叩き込み、歩きながら何度も頭の中で復唱していた。

暇を潰す意味もあって、地下鉄は使わずに歩きでサバカ・コシュカへと向かう。ジュリオの店からは歩きだと早くとも三、四十分はかかってしまうが、考えるにはちょうど良い。

俺は普段あまり歩かない目抜き通りを歩き、目的の場所へと向かう。當然、尾行対策だ。こういうところでなら、いくらでも紛れることのできる人込みや、撒くこともできそうな建がたくさんある。

さて、今日はガスの奴はちゃんと店にいるだろうか。奴はたいていはサバカ・コシュカにり浸っているが、たまにいない時がある。まぁ、いない日は仕事なのだろうが俺が使いたい時には、いつも間が悪いようで店にいないのだ。

とは言え、今は新しくニーロという報屋も得たので、必ずしもガスに頼る必要もないのかもしれないが。

その時、信號で立ち止まっていた俺の橫に、その向こうから走って來ていたが躓いて転んだ。

「おい、大丈夫か」

「え、ええ、大丈夫です。すみません」

別に放っておいても良かったのだが、自分の真橫で転ばれたというのに、何もしないというのも何かおかしな気もしたので、転んだに手を差し延べた。

謝りながら手を差し延ばそうとしたが顔をあげた時、その顔に明らかに驚きの表になったのが分かった。だが驚いたといっても、顔の筋をを引き攣らせるほどのものではなかった。大は、この顔にある傷を見ただけで、視線をそらすのだ。まぁ、今となってはあまり気にならなくなったが。

「ほら、どうした、摑まれよ」

そういって俺はの中途半端に延ばされた手を摑み、引き起こした。

「あ、あの、どうもすみませんでした」

「いいさ。にしても走って転ぶなんざ、よほど急ぎだったようだな」

「あ、はい。ちょっと事件が、あっ」

はしまったという顔をしてみせたが、後の祭りというものだ。

「事件……あんた刑事なのか? ……ああ、通りでな」

俺は刑事かもしれないをざっと見てみた。その黒髪はショートに切り揃えてあり、どちらかと言うと男っぽい印象をける。

かなり大柄で、日本人というには及ばず、外國のにだって負けない長だ。おそらく百七十臺半ばくらいはありそうだ。その格の良さが、誰もが著込んでいるような濃紺のスーツの上からでも分かる。

そして、あまり化粧をしていないことが、より男っぽさを強調していた。見たところ俺より二歳ばかし上だろうか。つまり、二十代も半ば後半だというのに、化粧をほとんど施していないというのは、よほどハードな生活を送って化粧する時間もないのか、そういうのがあまり意味のないような仕事環境のどちらかだろう。

ごくごく最低限のことにだが気を遣ってはいるようなので、決してを捨てているわけでもなさそうだが。

まぁ、どちらにしろ俺の好みの範囲から程遠いのは間違いない。

「え……? な、なんで」

「いや、なに、気にしないでくれ。言われてみれば確かにそんなじはするなと思っただけだ。それにスーツ著たお巡りなんて、いないと思ってな。刑事でもない限りな」

「は、はぁ」

「それより、現場に向かうんだろう? 早く行った方がいいんじゃぁないのか」

「あ、そうだった! 失禮します!」

丁寧にお辭儀して、刑事は俺が來た道を走っていった。刑事と名乗ったわけではないが、俺はそう決めた。

走り去っていった刑事を橫目で一度し、転んだ場所を見遣ると、そこに転げた拍子にそうなったのか、攜帯電話が落ちていた。

俺はため息をついてそれを拾った。二つ折りの攜帯で、開いてみたが買ったままという印象そのままのディスプレイだった。 攜帯を閉じた俺は、信號が青になった橫斷歩道を渡って、もう近いサバカ・コシュカへと急いだ。

 

 

 

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