《いつか見た夢》第31章

「はあ……こんなに気持ち良かったのって初めてかも」

「そうかい」

の言葉に俺はをニヤリとさせた。以外と若い商売というのは、セックスによる絶頂は験したことがないが多く、なぜだかそういうは、自分に染めてみたいというを強く抱かせる。そして気付けば、そのにどっぷりと漬かってしまうというわけだ。

けれど、どんなにそういう経験がなかろうと、商売は商売と割り切るのが、互いに良い関係というのを築いていけるのだ。だから、俺としても金を払わない分、今回はいつまでも拘束させるわけにもいかないというわけだ。

「でも驚いちゃったわ。今日はもう、電話はしてこないと思ってたのに」

「いつでも良いと言ったのは君の方だ」

苦笑しながらにいった。

「ま、そうなんだけど。でもお兄さんなら私、ずっとタダでも良いよ?」

「嬉しい申しれだが、そういうわけにもいかないだろう。今回は別としても、俺と寢た分だけ君は損するんだぜ?」

「うーん、そうなんだけどね。なんかお兄さんからは、お金いらないってじなのよね」

「君は本當に変わってるな。普通なら、いらないなんて言って、なんだかんだで後で請求してきたりするも珍しくないってのに」

「ふーんだ。私、そこまでがめついてませんから」

そう言いながら、は頬を膨らませながら橫を向いた。そんな仕種に、俺はドキリとさせられた。一瞬だが、沙彌佳とダブって見えたのだ。

俺は目をこすって、彼を見た。

(一俺は何を考えていたんだ)

きっと、沙彌佳も変に意地を張ったり図星をさされた時なんかに、良く頬を膨らませていたのを思い出したからだろう。昨晩の、あのい兄妹に、俺と沙彌佳を重ねて見てしまったからだろうか。

……馬鹿馬鹿しい。ただの錯覚に決まっているのだ。

「どうしたの?」

「ん? ああ、いや……ちょいと懐かしいことを思い出しただけだ。大したことじゃない」

そう言って俺は、とのピロートークもそこそこにベッドを出た。さすがに互いの粘にまみれたままでは気分も良くない。

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それに一仕事終えたままでと會ったため、や硝煙の臭いが染み付いたままなので、シャワーを浴びることにしたのだ。はそんな俺を嫌な顔ひとつせず、抱き著いてきたが。

とはいえ服をげば、や硝煙の臭いなど、ほとんど気にはならなくなるはずではある。

シャワーを浴び終えて部屋に戻ってくると、扇的に腳を投げ出したまま、はすでに眠りに落ちていた。その姿に再びをかきたてられたが、それをこらえてシーツをかけてやった。

俺はの部屋のサイドボードにあるブランデーを取り、グラスに注いだ。そのブランデーを、グッと一息に流し込む。焼けるような熱さとぶどう特有の薫りをじながら、軽いため息をつく。

一気に呑むと、これをやらずにはいられない。しかし、それもまた強い酒の楽しみでもある。

もう一杯だけグラスに注いで、俺はベッドに戻った。壁にかかった時計を見ると、すでに午前五時を過ぎている。

「勝利の酒、か」

一人ごちながら、一口酒をなめた。ほのかな甘味と口中に広がる薫りを楽しむ。片手にグラス、片手で橫で寢るの髪をすいて、昨晩のことを思い返した。

猛スピードで走っているためか、ガタゴトとトラックの荷臺にいる俺達は揺らされていた。

子供達はいきなりトラックに乗せられたことで、一度は緩みかけていた安堵の表を、再び強張らせている。

「そう怖がる必要はない。俺達は君達を殺したり、売りさばこうってわけじゃぁないからな」

日本語が通じているのかは別として、子供達に聲をかけた。無言で見つめる子供達に、俺は立ち上がって肩をすくめ、運転席の方へと移した。

運転席から荷臺を覗けるように設けられた小窓を、軽く叩く。

「本當に助かったぜ、田神」

「なに、気にするな。実は、以前からあの凰館には目をつけていてね。俺が雇ったスパイを潛り込ませていたのさ」

窓を開けて田神に禮を言うと、そんな返答があった。

「スパイだって?」

「ああ。本來なら自分でやるところだったんだが、どうにもできない理由ってのがあったんでね。それでそいつを雇って、監視させていたんだ」

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「そうだったのか。……あんたが雇ったというのは、もしかして初老の爺さんか」

「その通りだ。よく分かったな」

「消去法ってやつさ。手當たり次第連中を地獄に叩き落としてやったが、あの執事の爺さんだけはやった覚えがないんでね」

しかし、これで謎は解ける。思えば、あの門番だった奴を縛っておいたのに、それを切って解いた奴がいた。スパイが潛したのではなく、始めから潛していたというわけだ。一応は仲間の形をとっていたから、助けたといったところだろうか。

「それで、あんたがあそこを目につけていたってのは、伊達のことか」

「そうだ。奴にはかなり黒い噂があってね。俺自の目的のために、なかれ絡んできたんだ。だから奴を調べあげる必要があった」

「そうだったのか。ま、それはそうと、あんたは嫌がるかもしれないが、俺もそいつに便乗させてもらうとしようか。奴には、是非とも聞かなくてはならないことがあるんでね」

それに田神は無言だった。

なぜか田神はやたらと、自分の仕事に人が介するのを嫌がる。それが始めから組んで行う仕事であれば文句はないようだが、大抵の場合、それを良しとしない。どんなことであれ、自分の仕事に他人を巻き込むことが嫌なのだという。

だから、きっと俺がそれに関わるというのを、嫌がっているのだ。

「……安心しなよ。もし奴があんたの獲だと言うなら橫取りはしないさ。

俺としては、妹のためにも放っておくわけにはいかないだけなんだ。もしかしたら、奴がそいつに関わったかもしれない可能があるんだよ」

「……分かった」

間をおいて、田神は了承した。小窓からは田神の顔は見えないので、どんな顔をしているのか分からないが、きっと無表な顔をしているんだろう。

「で、これからどうする? あんたがこいつで突っ込んできてくれたおかげで、出は楽だったが、子供達はどうするつもりなんだ?」

「おいおい、まさかその辺を考えなしに連れ出してきたのか、九鬼」

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「そのまさか、さ。かなり的になってたんだろうな……。だが、見捨てるわけにもいかなかったのも事実でね。それにな、予定としてはなんとかなると思っていたのさ、屋敷の外に出てしまえばってな。

ところが、警達に囲まれてるだなんて、思いもよらなかったことなんだ。まぁ、それが、あんたの雇った奴の仕業なのか、はたまた、連中の仕業だったのかは分からんが」

「……実を言うと、凰館のすぐ近くに待機していたんだ。というのも、今夜今までデータにない奴が來るという報がってね。

それに、最近は警察のきが慌ただしい。だから、警が送り込まれたんじゃないかと言われたんだが、さっきのこともあって、スパイからその人の特徴を聞いたら君の特徴と一致するだろう? それで、逐一突する機會を窺っていたというわけさ」

「なるほどな。……しかし、この俺が警と間違われるだなんてな。

まぁ、もし本當に警であれば、大切な資料や証拠品が奪われてしまうからな。ということは、このトラックは偶然ということか」

「いや、このトラックは間違いなく子供達の搬送用だ。彼の報から、子供らは助けてやるべきだと思っていたんでね」

「だとすると、行くあてがあるのか?」

俺の位置からは見にくく、分かりにくかったが俺の問いに、田神は黙って頷いたようだった。

「なら、そこらはあんたに任すとするよ。実を言うと、まだ野暮用があるんでな。だが、子供らをどこに連れて行くのかは聞いておこう」

「知り合いに、寄りのない子供をれている児施設をやっている人がいる。その彼らのところに預けるつもりだ。

……もちろん、児施設を隠れみのにしているってわけでもない。そこらへんは安心していい」

俺の雰囲気を悟ってか、田神は付け加えるようにそう言った。相変わらず、変なところで勘の鋭いやつだ。

「分かった。それじゃぁ、適當なところで降ろしてくれ」

「ああ」

それから程なくして、田神は俺をトラックから降ろすべく、トラックを停止させたのだった。

何臺もの車が行き來し、それに紛れて遠くで電車の音が聞こえる。そんな都會の喧騒を目覚ましがわりに、俺は目を覚ました。

いつもとは違う目覚めに、俺は意識を一瞬で覚醒させる。目だけで部屋の様子を見た。

(そうか。ここはの……)

そうだった。昨晩は田神たちと別れ、日付が変わろうかという頃にに連絡し、部屋を訪れたのだった。

はレイミと名乗った。本名かどうかは知らないが、そう名乗ったのだからそうなんだろう。部屋に著くやいなや、レイミは俺を求めてきた。そんなに、俺も応えないわけにはいかない。

なだれ込むように部屋にった俺達は、すぐさま行為に突した。こうなった時、男のあいだに言葉などいらない。本能の赴くままに互いを求め合うだけだ。

人は良く、セックスにだなんだと口にするが、このを前にする時、それだってくだらないものになる。セックスするのに、とやらで互いを結びつけるなど、あってはならないことだろう。

からしてみれば、そんなことは口実にすぎない。もっと純粋に男を求めたっていいはずだ。男はそうなのに、がダメなどと誰が決めつけたのだ。

同時に、男はもっと寛容になるべきだろう。にまみれたを、ゴミでも見るかのような目で見る。処信仰なんか、それを最も表していると思う。

確かに処が良いとは思うが、そんなことなど別にどうでもいいことだ。処だとかそうじゃないだとかにこだわる奴ほど中を見れず、外面だけを見ている証拠だ。

全く、くだらない話だ。それでいながら、形はどうあれ、躙し、支配したいと思っているのだから。事実、自人が過去にレイプされたと知るやいなや、手の平を返したようになる男がざらにいるではないか。

そんなことを考えていると、部屋の奧からレイミと名乗ったが出てきた。営業用の濃い化粧を落とし、素顔に戻ったは、とてもらしい顔をしていた。

それとともに、娘がまだ二十歳も過ぎていないというのも分かった。多分十七か十八といったところだろう。というよりも、と言っていい。

そのは、デニムのパンツにクリームをしたニットのセーターという普段著に戻っていて、その手にはコーヒーのったカップを持っている。

「あら、起きた?」

「ああ。すまないが俺にもそいつをくれないか」

「わかった」

短くいって、レイミは踵を返して再び奧へと消える。それを見送り壁の時計を見ると、時刻は十一時になろうというところで、六時間かそこら寢ていたようだ。

ほどなくして、新たにカップをもって俺の前まで持ってきてくれた。

「砂糖はれてないから。その代わりミルクたっぷりよ」

俺は頷きながら短く禮を告げて、コーヒーをすすった。カップから口をはなし、小さく息をつく。

味い。こんなに俺の口に合うコーヒーを飲むのは、隨分久しぶりだ。思えば朝に、落ち著いて味いコーヒーを飲むなんて、一どれくらいぶりだろう。もしかしすると、沙彌佳と暮らしていた時が最後ではなかったか。そんな気がする。

一時は、沙彌佳とすごした日々を思い出すのがつらくて、その頃とはまるで考えもつかないような、退廃的な生活をしていたことがある。今もそう大差ないと言えば大差ないが。

その時期に、朝にコーヒーを飲むなんて習慣がなくなり、歳を重ねるにつれ、起きぬけの一杯がビールになり、それがウイスキーへと変化していった。そしてそんな朝も、いつしか朝すらもまともに起きなくなっていったのだった。

起きるのは、仕事がない限り午後の二時か三時で、寢起きにはまずウイスキー……なくともここ一年以上は、そんな生活を送っていた。

「どうかしたの?」

レイミがきょとんとした顔で聞いてきた。

「いや、ちょいと昔を思い出しただけだ。久しぶりに、味いコーヒーを飲んだということもあるかもしれない」

「おいしいでしょう、これ。モカっていうの。結構高いんだから」

そうなのかと相槌をうちながら、またコーヒーをすする。確か、モカは沙彌佳もよく飲んでいなかっただろうか。

「それに、ちゃんと豆から挽いてるんだから」

そう言いながら、レイミはし誇らしげに笑う。そのえくぼが、彼にはよく似合っていた。

コーヒーを飲んで、まだのままだった俺は服を著た。このまま今日一日くらいは、のんびりと過ごしたい気持ちになるが、そういうわけにもいかない。今晩は田神とともに、伊達聡一郎の家に乗り込むつもりなのだ。

売買の記録を見つけることができれば、沙彌佳との接點に繋がるかもしれないのだ。もちろん、沙彌佳が売りされたかは分からない。だが、萬に一つでも可能があるかもしれないのなら、やはり調べておくべきだろう。

なにより、伊達はあの子供達への約束もある。そんな奴を、みすみす見逃すはずもない。それに、ガスからも報を買わなければならないので、悠長にもしていられない。

「仕事のことでも考えてるの?」

「ん? ああ、まぁな」

レイミはし考えるように、言葉にした。

「そう……。ねぇ、さっきあなたが眠っている時に見たけど、ジャケットの下にあったのって……」

「ああ、あれか。本だ」

「やっぱり……。あなたってどんな仕事してるの?」

「何してるように見える?」

「やっぱり無難に、ヤクザか何か、かな?」

レイミの答えに、思わず笑った。けれど、それが當たり前と言えば當たり前かもしれない。

「なるほど、ヤクザか。もしそうであれば、まだ楽だっただろうな」

笑いながら言う俺に、レイミはし拗ねたように聞き返してきた。

「何よ、そこまで笑わなくったって良いじゃない」

「ああ、そうだな、すまん」

それでもまだ笑う俺に、彼はそれでなんなの、と聞いてきた。

「……もし、殺し屋だといって、君は信じるか?」

「え? んー……どうかなぁ。でも、あなたがそう言うならそう、なのかな?」

「こいつはまた、やけに他人本意な答えだ」

軽く肩をすくめながらいった。

「でも……もし、あなたが殺し屋だって言うんなら、私からも依頼しちゃおっかな……」

レイミはどこか、ものうげな表になってつぶやいた。

「何かあるのか?」

「あ……ごめん。今の冗談だから、本気にしないでよね、私の殺し屋さん」

重くなりそうな雰囲気を吹き飛ばすかのように、軽い口ぶりで言ったに、俺はなんとも言えないものをじ取った。

「レイミ」

そう言って俺は立ち上がり、彼を抱き寄せた。し驚くような顔をしたレイミに、キスをする。

手に持たれたカップを脇のテーブルに置き、俺達はそのままの勢でベッドに倒れ込む。互いの舌を、かのように絡め合いながら、レイミのデニムパンツのボタンを外した。

「はぁっ……もうっ、またするの?」

「嫌か?」

をはなし問い掛けてきたレイミに、問い返した。

「もう。今回は有料なんだから」

拗ねたような口調だが、顔はすでに上気しはじめている。俺はニヤリと笑い、それに口づけで応えたのだった。

午後十六時半もすぎ、學校帰りの學生や営業を終えてオフィスに戻ろうとしているサラリーマンで多い電車に、俺は揺られていた。

學生服を著た學生達の會話によれば、明日から春休みなのだという。全く、羨ましい限りだ。

サラリーマン達も幾人かがノートパソコンを広げ、何やら作している。そんな中俺は何が悲しいのか、警視庁に向かっていた。

レイミとの行為の後で、聞き慣れない攜帯の著信が聞こえてきたのだ。最初はレイミの攜帯かと思ったが、どうも違うらしい。そこで俺は、自分の攜帯がなくなったので、仕方なしに最上の親父の攜帯を借りてきていたのを思い出した。

だがその攜帯は、音を鳴らしてはおらず怪訝に思ったところ、刑事かと思われるのものを拾っていたのを思い出したのだ。その攜帯に違いないと、俺はジャケットからその攜帯を取り出したことで、なお大きく鳴るように聞こえる電話に出た。

「もしもし?」

『あ、あの、その攜帯なんですが』

「あんた、昨日の刑事さんか」

『えっと……』

「聲で分からないか? 昨日、俺の橫で盛大にこけたろう。あんたに手を差し延べたのを覚えてないか?」

『あ! そ、その節は本當にありがとうございました。その時に攜帯落としていたんですね……』

「ああ。昨日は々と野暮用があったんでね、拾っていたのをすっかり忘れてたよ。こちらこそ、すまなかったな」

『いえ! そもそも、落とした私が悪いので!』

「そうか。それでこいつは、どうすればいい? 今、あんたどこにいる?」

『えと、それなら……』

そんな會話がなされた後、仕方なく俺は、警視庁なんぞに向かっているというわけだ。

電車のアナウンスで、警視庁の最寄り駅に著いたことが知らされる。

しかし、あろうことか、殺し屋という職に就いている俺が、まさか警察の本拠地に行くことになるなんて思いもよらなかった。ましてやここ數日のあいだ、政治屋どもの暗殺で隨分と殺気だっていそうなこの時期にだ。

別に連中が怖いわけはないが、邪魔にならないとは言い切れない。それを考慮すれば、あまり喜ばしいこととは言えないだろう。

かといって、どうすればいいなどと聞いてしまった手前、びくつくのもおかしな話だ。まぁ、せいぜい二度とお目にかからないよう、祈るまでだ。

警視庁に著くと、その庁舎の前に昨日の刑事が立っていた。向こうもこちらに気付いたようで、小走りでこっちにやってきた。

「ほら、これだろ」

「はい、これです。本當にすみません……昨日はとても急いでいたので」

「別にいいさ。きっとこいつも何かの縁なのかもな。それよりこのご時世、攜帯なしなんて不便だったろう?」

「はい。今朝気付いてちょっと慌ててしまっので……それで、その、中見ましたか?」

「いいや、見ちゃないさ。それくらいは弁わきまえてるつもりだ」

本當は、一度だけ開けてみたのだが、わざわざ言う必要もないだろう。

「そ、それで、あ、あの、もしよろしければ……」

は小聲で何かを言おうとしているが、それを察した俺は、の言葉を遮るようにいった。「さて、それじゃぁ俺は行くぜ。今度からは気をつけなよ」

「え? あ、ま、待って」

「すまないが、俺はこれから仕事なんでね」

「あ、そ、そう、ですか……」

「ああ。じゃぁな」

噓ではない。田神との約束の時間を考えれば、今からサバカ・コシュカに行くべきだ。おそらく、ガスのやつが何か仕れているはずだからだ。それに今から一旦寢座に戻って、金を補充しておかなくてはならない。ガスの報料は高いのだ。

まだ何か言いたげな刑事に背を向け、再び駅へと戻っていく。きっと禮でも、とでも言うつもりだったんだろうが、俺としては、とてもではないが警察の人間とよろしくしたいと思わない。

もし人が相手ならまだ考える余地はなからずはあったかもしれない。だがたとえそうだとしても、さすがにこちらにデメリットがありすぎる。念というのを、俺は侮るつもりはない。つい最近、それがあったばかりなのだ。

それになぜかは分からないが、あのには関わるなと本能が告げているのだ。基本的に本能に忠実な俺だから、それに従うが、その反面、なんであんなに、という疑問が沸き起こったのも事実だった。

そんな風にじた本能に、もしや錆び付いたのか、という可能も考えたがそれはないだろう。“人間は外見だけで判斷してはならない”それは、俺がこの世界で生きていく上で、したたかに學んだことだ。

だから、あのもきっと何かあるに違いない、俺はそう決めたのだ。犯罪者と法の番人。相いれるわけがない。仮に互いに惚れ合ったとして、きっとこんな世界から足を洗えというに決まっている。誰も好き好んで、殺し屋なんかと一緒にはなりたくないはずだ。

それに、俺がこの世界にった目的が達されないままでは、たとえ足を洗ってほしいと言われても、そいつは無理な相談だ。

そんなことをするくらいなら、そんなとはさっさと別れるに限る。人の人生の目的を奪うのであれば、俺はどんな理由であれ、それを排除するつもりだ。そうでもなければ、俺は自の歩んで來た道を、全て否定することになってしまう。

そうだ、再度思い出せ、俺がこんなみどろの世界にを投じた理由を。俺は妹を、沙彌佳を救うためなら、なんだってすると誓ったはずではないか。そして、それと同時に、沙彌佳を、そして俺達家族を崩壊させた連中には、その命で償わせると誓ったではないか。

最近、ただ漠然と殺しの世界でそれを行ってきただけに過ぎなかったように思う。

もう一度、俺は初心に戻るべきだと自分に何度も言い聞かせた。

寢座に戻った俺は、ベッドの下に隠してある金を一束とり、強引に財布に突っ込んだ。その足で急ぐようにアパートを出て、近くを通ったタクシーを捕まえ、サバカ・コシュカの近くでタクシーを乗り捨てる。

時刻はすでに午後十九時になろうとしている。サバカ・コシュカに著いて中にると、いつもは足の踏み場もないくらいに人がごった返しているはず店は、珍しく八割くらいのりだった。

「よう、親父」

「おお、お前か。ほれ、あそこでガスの野郎が待ってやがるぞ」

「そうか。今日は軽目にしておこう。ギネスをくれ」

「なんだ、スコッチ主義のお前が……天変地異の前れか?」

「くっくっ。単純にこれから仕事があるだけさ。まぁ、スコッチ一杯くらいどうってことはないんだが、まぁ、たまにはな」

「そうか……こんなこと言っても気休めにもならないかも知れんが……死ぬなよ」

「ご忠告どうも。俺だって死にたかないさ」

「……。ほれ、ギネスだ」

出されたギネスをけ取りながら、金を出した。

「釣りはチップとしてけ取っておいてくれ」

親父は肩をすくめただけで何も言わず、黙ってそれをけ取った。

「それじゃぁな」

そう言って俺はガスのところへ行く。さて、奴は一どんなネタを仕れてきたかな。

「よう、ガス」

「やあ、クキ。早速、仕れてきたネタを聞きたいかい?」

「ああ、そのためにわざわざここに來たんだぜ? 聞かせてくれ」

「分かった。どっちから聞きたい?」

そう言ってガスは、俺に選ばせようとする。つまりは、両方とも調べることができたということか。

ついでにいうと、そうすることで小出しに小出しにしながら、料金を吊り上げようという作戦なのである。まぁ、それが報屋という奴なのだから、仕方ないと言えば仕方ない。もちろん、あまりにこちらの足元を見ているようなら、一度痛い目を見てもらうことになるが。

「じゃぁ真田の方から聞くとしようか」

「分かった、真田からだな。まず、真田の死因だが……」

「待て。真田の死因は言わなくても大分かる。脳天に一発だったんだろう。奴が死ななくてはならなかった、それそのものの理由が知りたい」

こうやって報屋というのは、無駄に話して料金を巻き上げようとするので、油斷ならないのだ。

「そうか。……先週起こったN市のTビルにおける破事件の真相はどうだ?」

「Tビルで行われていたという、実験だか何かのことか」

「……その口ぶりだと、容までは詳しくは知らないようだな」

「分かった。なら、まずそれを教えてもらおうか」

ガスはわずかに口元を歪ませて、得意げに話し出した。

「……それにはまず、真田が大學時代に何を學んでいたかも話そうか。奴は今でこそ、いや、もう死んでいるから関係ないか。

もうあんたも知っているかも知れないが、奴は昔はかなりのドラ息子で、両親の金を盾にやりたい放題だったんだが、何を思ったのか経済學には進まず、なんでか量子力學なんてのを専攻していたんだそうだ」

「量子力學だと?」

しばかり驚いた。N市で林という報屋から買いれた話で、てっきり先観があったのだが経済學だとか、政治學あたりを専攻しているものとばかり思っていた。

口ぶりから察するに、ガスもそう思っていたようだ。しかもアマながらも真田は、量子學のレポートを今だに発表していたのだと言う。

政治家による論文というのであれば、しは注目されてもおかしくない話だが、全く聞いたことはない。

「もう十日くらい前になるが、N市で起こったTビルの火災事件を覚えているな? あそこでは、真田の発表した論文を研究するための施設があったらしい。うさん臭いとも思ったが、調べていくうちにどうも本當であることが分かったよ」

そうか……だから、真紀はそのデータを盜み、あそこを発させたわけか。

「で、一どんな実験をしていたんだ?」

俺は當然の疑問を口にしたつもりだが、ガスは渋い顔になり、いうのをしためらっているかのようだった。

「どうした? 早く聞かせてくれ」

「ああ……その話を知った時は、なんとも酔狂な奴だと思ったよ。真田は、世界と世界をつなげるという実験を繰り返していたらしい」

「世界と世界をつなげる……?」

「ああ。俺はさほど學があるわけではないから、よくは分からない。要約すれば、違う世界と違う世界を繋ぐ、ということらしい」

俺はガスの言葉に唖然とした。違う世界同士を繋げるだと? 確かに酔狂な話だ。そんなことが可能だというのか。

確か量子の世界では、全く異なる時間軸を持った世界があるというのは聞いたことがある。平行世界とかいう奴だ。

ガスがそんな俺に頷きながら話を続ける。

「だが、それがうまくいっていたというわけでもないらしい。當然と言えば當然だが。

問題は、真田はその実験の果を完全に獨占していたということだ。奴は自が所屬している組織に報告しなければならないという義務があったようで、それを長いこと無視していたようだ」

「……その組織とやらは、まさか結社か何かか」

「よく分かったな、その通りだ。だが殘念ながら、それは調べようにも高度なブロックがされていて、調べられなかったよ。

一つだけ言えるのは、鳥をシンボルにしたマークがあったことくらいだ」

「鳥だと……? おい、それはもしかしてこんなじのマークじゃぁなかったか?」

ガスの話にピンときた俺は、ジャケットの中から昨日潛した凰館の會員証を出してみせた。

「ああ、し違うが、これに割りと似ていたな」

ガスは、そうカードをしげしげと見ながら言った。しかし、こいつはきな臭くなってきた。

真田が結社にいたというのは、以前ガスに紹介してもらった林も言っていた。だが、それが凰館と同じ、凰のマークを使っているとなると、さすがに疑わしく思えるのは必然だろう。もしかしたら、今夜乗り込むことになっている伊達と真田は、繋がりがあったのかもしれない。

思えば、確かに林もその連中を裏切ったから殺されたんではないかと言っていたのが思い出される。おまけに、その結社連中のことは、ブロックされて調べがつかないときた。

まぁ、その辺りは伊達を締め上げついでに聞くとしよう。

「真田に関してはこんなところだ。さて、お次は武田と名乗る人のことだが、この人、どうも武田という名前自が偽名らしい。

本名は分からずじまいだったが、まあ、その辺はいいだろう。とにかく、とても奇妙な人であることには変わりない」

「どんな風に奇妙なんだ?」

俺の問いかけに、ガスは頷く。

「どうにもな、経歴らしい経歴が一切出てこないんだ。おまけに年齢不詳だしね。そこで、こいつを見てほしい」

ガスはポケットから、プリントアウトされた一枚の寫真を出した。

「まさか、こいつが武田なのか?」

ガスはそれにも再度首を縦に振り、口を開いた。

「ああ。これは、灣岸戦爭の時に撮られた寫真だ。そしてもう一枚」

そういって、新たにさし出された一枚の寫真。そこには、やはり灣岸戦爭時代に撮られたというものと同じ顔が寫っていた。

鋭そうな目に、やや掘りが深目の鼻筋は、日本人のようにも、どことなくラテン系のようにも見える顔立ちをしている。男の俺から見ても、なかなかにととのった顔だ。

所謂、日本の若いが好きそうな、中的ではかなさをもったような男子ではなく、絵に描いたような、男の理想をいくようなタイプの男子だ。

一枚目の寫真は戦爭時というのもあり、髭を蓄えていて、なんとなくチェ・ゲバラのようにも見えなくもない。

「二枚目の寫真がどうかしたのか?」

「二枚目の寫真は、つい最近撮られたものなんだ」

「なに?」

つい最近だと? どう見たって、二枚目とも同時期に撮られたものにしか見えない。髭があるかないかの差はあれど、とてもじゃないが、二十年も経っているようには見えない。

確かに、十年前とほとんど変わらずいる人間もいなくはないが、それでも、ここまで全く年齢をじさせない人間がいるだろうか。はっきり言って、俄かに信じがたい。

髭ありの一枚目と、最近撮られたという二枚目の撮られた時期が反対であれば、まだ納得もいくものだ。

「あんたも信じられないようだな。もちろん、俺が噓を言っているわけではないのは、分かってくれると思う」

俺は二枚の寫真を見比べながら、ただ頷くばかりだった。

「一枚目の寫真は、外人部隊で小隊を率いていた時のものだ。だが、そんな経歴があるにも関わらず、出生や出がどこかなんてものが、一切分からなかったんだ。なんとも奇妙な話だろう」

「確かに……だが、データベースなんかなら、こいつのことがしは分かるんじゃぁないのか?」

「殘念ながら、そのデータベースにすらカスリもしなかったよ。寫真と照らし合わせてみたにもかかわらずね。當然、今どこにいるかなんてのは、以っての外だ。

だが、斷片的にだが、いくつか分かったことはある。この武田という男は、政財界に顔が利くということ。二枚目の寫真はそれこそ、さっきの真田が生前行うはずだった、幹部會とやらに出席しているところのものだ。

もしかしたら、真田の死にも何かしら関わった可能もあるな」

真田が殺された日、真田はN市で開かれるという幹部會に出るはずだったという話は確かに聞いた。この男が同じ日にN市にいたとなると、やはりかなり黒い人ということになる。

「また、いくつかの宗教団や學者との繋がりもあるようだな。政財界においてもそうだが、國外関係なしに、世界中に何かしらコネクションをもっているらしい、ということまでしか、分からなかった」

「そうか……」

ガスは間違いなく一流の報屋だ。そんな奴ですら分からなかったとなると、後は誰に頼んでも結果は変わらないだろう。

「それと、もう一人のの方もだったな。マリアと呼ばれているらしいが、この人な経歴も謎だな。三、四年くらい前から突如、武田の周りにいるようになったらしい。顔寫真を撮れるほど表だった行はしていない。

また、武田と縁のあると思われる人間にも當たってはみたんだが、みな一様にそんなは見たことがないとのことだ。あんたの言っていた集団筋にかなり近い人間に聞いたにも関わらず、だ。

おまけにそれ以上探れば、命の保障はないとまで言われては、俺にはもうどうしようもないよ」

「要するに、何も分からなかったということか」

俺は無意識に低い聲を出していた。ガスは思わずびくつき、取り繕おうとあれこれ言い訳していたが、俺の耳には一切ってこなかった。 ギネスを一気に飲み干し、テーブルに叩きつけた。何か言っていたガスは、喋るのをやめて沈黙する。

「とりあえず、この寫真はもらっていくぜ」

そう言って、二枚の寫真をポケットにしまいこんだ。

「あ、ああ、別に構わない……それで」

急に俺の態度が変わったのに怖じけづいたのか、下手に出ているガスに、財布から一萬円札を二枚ばかし取って握らせた。

「今回の報酬はこれだけだ。俺の知りたいことの半分しか分からなかったんだからな」

「あ、ああ、そうだな。仕方ない、仕方ないさ……」

俺は、本當に知りたかったはずのマリアとかいう報が何も得られなかったことに、苛立ちをじながら席を立った。ガスが悪いわけでもないのだが、こうもこっちの思い通りにいかないとなると、さすがに腹立たしい気持ちになるのは當然だ。

とにかく、今から田神と合流しなければならない。いつまでも、呑んだくれているわけにはいかない。伊達聡一郎が真田や武田という二人の人に、何かしら関わっている可能が出てきた今、こっちを締め上げる方が、確実に知りたいことにありつけそうだ。

そう思案しながら、俺は呑んだくれ共の間をすりぬけるようにして店を出た。

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