《いつか見た夢》第32章

車の中には田神とエリナ、そして俺の三人がいた。なんでがいるんだと田神に聞いたところ、著いてくると聞かなかったのだという。やつも隨分とエリナのに敷かれているようだ。

「家に、伊達はいるだろうか」

ふと、そんな疑問を口にした。

「今はいないはずだ。伊達は毎週、この時間に必ず家を出ている。多誤差はあるが、後二時間ほどで帰宅するはずだ」

相変わらずの報収集能力だ。俺ならその場その場で特攻をかけるタイプなので、最低限のことしか調べずに、乗り込んでいただろう。

「何をしてるんだろう」

「商談、だそうだよ」

「商談……」

十中八九、人売買の件だろう。奴の商売がわれた今、スポンサーや何かに平謝りにでも行っているのかと邪推してしまう。

その原因を作ったのはこの俺なわけだが、ざまあみろという気持ち以外、何も思わない。それどころか、これでもまだまだ足りないくらいだ。

奴にはもっともっと苦しんでもらわないといけない。そのため田神には、殺すのであれば子供たちのためにも、なるべく苦しませてから死なせるよう、釘を刺してある。

田神は苦笑しながら、善処しようとだけ告げたのが、つい十分ほど前のことだ。

「ところで、あんたに話しておきたいことがあるんだが、し聞いてくれ」

俺は先ほどガスから仕れたネタを、田神に話すことにした。とにかく小難しいことは、田神に話すに限る。

田神は車を運転しながら、俺の話に耳を傾けてくれた。助手席に座るエリナも、珍しく黙っている。

「つまり、空間歪曲などが本當にありうるか、ということだな」

「ああ。話くらいは俺も知っているが、それが本當にできるのか、となると話は別だぜ。

それどころか場合によっちゃぁ、一國のトップにだってなりうる可能のあった奴が、本気でそんなことを考え、実験までしていたなんて、俄かに信じがたいんだ」

「……理論上は確かに可能だ。だが、それを行うには、あまりに危険すぎるのは間違いない。普通なら、それに立ち會うのだって危険だろうな」

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「だが俺達は、それを行ったかもしれない場所に立ちっている。エリナも含めてな」

田神がそれに頷く。

「まだあるぜ。そうなると俺やあんた、それに真紀が組織の命令であそこに行かされた理由には納得はいくんだ。

だが、となるとだ。こいつは、いよいよそうなんだという、現実味を帯びてくるということになる。それと同時に、うちの組織も何かしらそういったことを知っていたんじゃぁないかってことだ。

それに実験自も、実はある程度は功ないしは、それに近いところまでいっていたんじゃぁないか、そう考えてしまいたくもなるぜ。

だってそうだろう? そうでもないと、俺達みたいな人間がわざわざあんなところに派遣されることなんて、まずないはずだ」

田神に向かって、俺の考えを一気にまくし立てた。やつは無言で俺の話を聞いている。

「今も言った通り、空間歪曲というのは確かに理論的には可能なんだ。あくまで理論上ではあるが、理論が可能ということは、決して間違っているわけではない、ということだ。

俺は、真田の実験は々と危険が孕んでいるのも間違いはないが、それを補強していけば、可能のような気はするよ」

「こんな突拍子もない話を、あんたは信じるっていうのか?」

「……現実にそれを見たわけではないからまだなんとも言えないが、一九八○年代にアメリカでもやはり量子力學などを取りれた実験が、すでに行われているんだよ。

結果は言わずもながらだが、これらの実験が、さらにこれらの學問に飛躍的に、そして新しく定義を投げかけるようになり、発展させる結果になったという事実はある」

「現時點では不可能でも、いずれは可能になるかもしれない……そういうことなのか?」

「ないとは言えない。事に絶対というのは、ほとんどと言ってないからな」

「そいつはそうだが……」

それでも俺には、いまひとつ納得いかなかった。

量子力學は、科學の世界にこの上ないほど、劇的な新しい考えをもたらした學問だ。それを否定するつもりはない。田神の言うように、かつてアメリカなんかで、それにまつわるような実験があったというのなら、それも間違いない事実なのだろう。だとしても、やはり鵜呑みできないというものだ。

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それに、もし量子力學で求められたものが現実のものになったとしよう。人間にはさぞかしバラの世界になるかもしれない。

所謂、パラレルワールドとかいう世界を験できるわけなのだから、知的好奇心が疼かないといえば噓になる。

だが、それは非常に危険なことであるとされている。平行世界においての自分と、出會ってしまうかもしれないというやつだ。

そんなことをしたら、互いの世界がとんでもないことになるのではないか、と言われているらしい。全く違う世界の自分と出會うのは、世界に時間軸に多大な影響を與えるとかで、よくタイムスリップする話なんかで描かれている未來の自分と過去の自分が出會うのが危険だというのは、これが起きてしまうからだと聞いた。

それに、別の世界同士を繋げるということは、すなわち空間そのものを捩曲げるということに外ならない。そんなことが可能であれば、それこそ歴史そのものが変わってしまうだろう。

空間を捩曲げ、場合によっては向こうの世界を侵略することも可能なのだ。もちろんその逆も然りだが。

だがこれらの理論というのは、あくまで理論であって、現実的ではないというのが學者たちの総意でもあったはずだ。

しかし田神のいうように、これから未來のある時點で、それが可能にならないとも限らない。ほんの百數十年前の人間だって、まさか人類が鉄の塊で世界の空を縦橫無盡に飛び回るなど、誰が予想しえただろうか。

現代の人類が世界の空を飛び回っているということを、その時代の人々に言っても、決して信じてはもらえないだろう。いや現在ですら、六十年代のコンピュータよりも、今や小學生や中學生だって使うことのできる、家庭のパソコンの方が遙かに、想像もつかないほどに高能なのだ。

現在からすれば、そんなポンコツと言っても差し支えない時代のコンピュータによって、人類は鉄と金屬の塊を、宇宙にまで飛ばして見せたのだ。

もちろん、これらにだって元よりちゃんとした科學的な理論が何十年以上も前からあって、それらを実踐し、幾度となく実験とを繰り返して応用することでなしえたことなのだ。

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そう考えれば理論があるのだから、空間を捩曲げたり、タイムワープなんていうのも、決しておかしな話ではないのかもしれないが……。そうは言い聞かせようにも、やはり無理な話ではないのかという思いが先立ってしまう。それを功しえた者は、間違いなく、その名を歴史に刻むことだろう。

そして応用次第では、世界中の航空産業は軒並み衰退していくことだろう。誰だって、大洋や大陸を橫斷するのに何十時間もかけるより、空間を捩曲げて瞬時に移したほうがはるかに時間の短になるのだ。

いや、時間という概念すらも必要なくなる。誰もがあの時こうしておけば……という思いは持っているものだ。それを正すことも可能だろう。いや、正してはならないのか……もう、俺には理解不能だ。

だが最後に一つ。核兵なんかよりも、はるかに厄介なものにすらなりうることだってあるということも、間違いないだろう。世界に絶した誰かが、歴史を変えてしまうかもしれない……そんな危険があるわけだ。

まぁいい。これ以上は、専門家でもない俺には、考えるだけ無駄なことだろう。その専門家達すら、デリケートに扱うべき理論なのだから。

「いまいち納得のいかないという顔だな」

「……ああ。どうにも、現代科學でそこまでのことができるのか、という疑問があってね」

「ま、君の言い分も分からなくはないが、今いったように、絶対とは言い切れない。それだけを心に留めておきさえすれば、いいんじゃないかな」

田神は笑うように言った。そんな俺は、ただ黙って肩をすくめただけだった。

伊達の家の前に來たとき、一旦そのまま通りすぎ、し離れたところに車を停めた。さすがに家のど真ん前に、車を停めるわけにはいかない。

奴の家に乗り込むのは當初の予定通り、田神と俺だ。エリナは渋ったが、何かあった時のために、車を運転してもらうことにした。その方が、逃げる際にもスムーズにいって楽だ。

エリナは田神に気をつけてね、と心底心配そうに送り出した。全く、一どうやってこのじゃじゃ馬を乗りこなしたのか、田神は、本當に不思議なやつだ。

予定では、後一時間足らずで伊達は家に帰ってくるという。死神が待っているのも知らず、呑気にしている奴の姿を思い浮かばせると、ついつい冷酷な笑みを浮かべてしまう。俺は奴を許すつもりはないのだ。

「さて、どうやって中にる? 今時の金持ちが、セキュリティ対策を何もしていないというのは、いささか考えにくいぜ」

「大丈夫だ。奴の家にるにはパスが必要だが、それはきちんと用意してある」

さすが、用意周到なやつだ。多分俺なら、そんなことなど思いもせずに、いざという時になって、四苦八苦しただろう。

敷地ろうとした時、不審者がってきたのを知らせるライトが點燈した。だが、俺も田神もそんなことは気にせず、塀をよじ登って敷地にった。どうせ奴は今、この家の中にはいないのだ。

庭は金持ちらしく、ご丁寧にも白い砂利がきっちりと敷き詰められている。このことからも、あの凰館のデザインは、伊達の趣味であることが窺えるというものだ。

玄関に來るとその脇に、暗証番號ないしは、カードキーによって開錠されるようになっている類のものがついていた。

田神は躊躇せず、八桁の暗証番號を力していく。聞けばハッキングして報を盜み出したらしいが、今の世の中、パソコンとネットが繋がっていさえすれば、本當になんでも報として知ることができるのだなと思った。

「よし、開いたぞ」

田神の言葉を待たずして、俺はすでにドアに手をやっていた。しかし、ドアを開けたとたんに玄関にライトが點いたため、はばからず警戒してしまった。

「……伊達の奴は、獨なんだよな?」

「ああ。このライトも口にあったものと同じで、熱を持ってくものに反応してライトが點くようになっているんだろう」

「なるほどな。今時、ちょっとくらい金をかければ、そんなことくらいすぐにできるみたいだな」

田神は黙ったまま、苦笑した。

「ともかくだ。奴が帰宅するまで後一時間もない。手早く探すとしよう」

「ああ」

俺は田神に向かって、力強く頷いてみせた。

やはり一番に探すべきは、伊達の書斎だろう。ここ以上に、仕事上の大切なものをしまうのにふさわしい場所はない。

それにしても獨りだというのに、無駄に広い家だ。一部屋はなく見積もっても五、六坪はあるだろうか。そんな部屋が一階だけで、四つも五つもあるのだ。おまけに、二階もあるわけだから、俺からしてみると、もはや豪邸と言って差し支えないほどだ。

けれど、俺ならこんな家に一人で住みたいなどと思わない。確かに部屋は広い方がいいに越したことはないにしても、やはり、ほどほどにというのを忘れてはいけないと考えている。

「書斎を探したほうがいいな。二階か?」

「ああ。こっちだ」

まるで家主かのように、この家の構造を知っているようだ。だが、おかげでこちらとしても、それだけでも楽になる。

靴はがず、そのままあがった。こんな時にまでわざわざ靴をぐなどありえない。それに幸い、下はフローリングになっているおかげで、足跡のつく心配もなさそうだ。こちらの靴底も乾き切っているし、目に見えるような汚れらしい汚れもついていない。

そんな俺達は田神を先頭に、二階の伊達の部屋へと行く。それにしても、本當に広い家だ。いつだったか、綾子ちゃんの家にお邪魔した時を思い出す。

しかし、この家はその彼の家よりもさらに一回りは広いだろう。獨りなのに、こんなに広い家に住む必要なんてあるのだろうか。

しかも田神の話によれば、家政婦を雇っているというわけでもないのに、異様なまでに整理整頓されているのを見ると、かなり神経質なやつという印象をける。

いや、ある面では俺と似ているかもしれない。というのも、あまりが置かれていないという點だ。ただ俺の場合は、余分なを極限まで削っていったに過ぎない。いつ死ぬかも分からない人間には、余分としか思えないばかりだったからだ。

「ここだ」

初めて來る場所だというのに、よくぞ言い當てることができるものだ。そんな考えが顔に出ていたのか、田神は微笑をたたえながら言った。

「単純だ。例のスパイに張り込ませただけさ」

田神がニヤリと笑う。全く、その手際の良さに、俺はほとほと心してしまった。

部屋の中は、下の部屋同様に五、六坪ほどの広さがあり、部屋にってまず目に飛び込んできたのは、凰館でも見た、どっしりとした黒い大きな機だ。ってみると、表面はつるつるしており、何度も丁寧に漆が重ね塗られていることが分かった。

そして、部屋の両脇に大きな本棚が置かれていて、中には當然のようにビッシリと本が積まれている。中を覗いてみると、これはまた俺好みな本が何冊かあった。思わずそれらを手にとってみたくなるが、時間があるわけでもないので、ぐっと我慢した。

絨毯も群青の高価そうなものが敷かれている。この手のはちょっとした汚れや埃がつくだけで、非常に目立つため取り扱いが難しいのだが、そういったものは一切見けられない。むしろ、俺達によって靴底の汚れでくっきりと足跡が殘ってしまったほどだ。

伊達の部屋にった俺達は、手分けして互いの目的のものを探した。とは言っても、いとも簡単にそれらは見つけることができたので、大して時間は取られなかった。機の引き出しに、俺の知りたかったものがあったのだ。そう、凰館では見つけることのできなかった、売買リストだ。

これが見つかったということは、あのクラブのために、顧客になっていたと見て間違いない。丁寧にファイルされたそれは何冊にも小分けされており、中を見ると去年の十月から今年の三月、つまり今月分までのものしかファイルされていなかった。

引き出しの中からファイルをすべて取り出し、ざっと流し読んでいく。

それらを見て分かったのは、その月その月によってテーマがあるようで、そのテーマごとに仕れていることだった。

今月……つまり、昨日見たあの殘なショーのテーマは、兄妹による近親相を犯させるというもののようだった。先月分は、同士による絡みをテーマにしていたようだ。

さらに去年の五月分には、姉と弟ばかりがリストされていて、姉弟による近親相がテーマであったと推測される。ようするに姉と弟という立場こそ違え、行う容は昨日のものと、さほど変わらないということだろう。

全く、そんなことを考えつくなんざ、伊達を今すぐにでも地獄に叩き落としてやりたくなる。

そんな合に、テーマ分けされたそれらを糞悪い気分で見ていったところ、あるところで手をとめた。驚きのあまり、息をすることすら忘れ、そのファイルに釘付けになったのである。

一瞬、我が目を疑った。だが、間違いない……間違うはずがない。そのファイルの日付は、六年前の六月になっている。

「……見つけた」

立ち上がってやっとのことで絞り出されたのは、たった一言、それだけだった。俺は、そのページから目がはなせずにいられない。ずっと捜し求めていたのだ。六年前のあの日から、ずっとだ。

「どうした?」

いきなり立ち上がり、瞬きもせずに手に持ったファイルを凝視している俺に、田神が話しかけてくる。

「やっと……やっと見つけたんだ、田神」

視線を向けず、呟くように言った。田神は、俺からファイルをとり、一瞥したようだった。

「……この娘が、君の妹か」

小さく頷く。そのファイルには、俺が求めてやまない沙彌佳の寫真が添えられいた。

俺の持っている寫真と比べ、痩せこけてはいるが、間違いなかった。他人の空似というわけではない。そこに書かれているデータも、そうだと告げている。

気付けば俺は、小さく小刻みに震えていた。きっと興のためだろう。そのため、く握られた手は痛く、口の中は鉄と塩が混じったような味がした。

「九鬼」

田神が話しかけてくる。答えずに、田神の方に視線をやった。

「落ち著け。そろそろ奴が帰ってくる時間だ」

「大丈夫だ、俺は落ち著いてる。この上ないほどにな」

「ならいいが……」

何か言いかけた田神は唐突に、ズボンのポケットにれてあった攜帯を取り出した。マナーモードにしてあるのだろう。ただ低く、震え続けている音が聞こえる。

その音が五回目で途切れた。田神はそれを再びポケットにしまい、俺のほうを見た。

「ようやくおいでなすったか……」

低い聲で呟いた。

「ああ。今のはエリナからの連絡だ。後、ものの二分もあれば、ここにくるだろう」

俺は黙って頷いた。いよいよ、奴と対面できるわけだ。かぬ証拠を摑んだ限り、奴には全てを吐いてもらおう。

自分でも分かるくらいに、俺の熱は下がっていく。いつもそうなのだ。自分が抑え切れなくなるくらいに憤怒すると、なんでかそれが、逆に冷めていく。驚くほど冷靜になっていき、そして気付けば今のように、絶対零度のように気持ちが凍りつくのだ。

……伊達聡一郎、お前の命運は今夜限りだと思うがいい。

俺達の目の前には、布で口を塞がれ、後ろ手に縛られた男がいた。この家の主である伊達聡一郎だ。

部屋に戻った伊達は、部屋の口に隠れていた俺に組み敷かれ、田神によって椅子にくくりつけられたのだ。

帰ってきた途端、いきなりこんな風に扱われたためか、こいつは完全に気が転しているようだった。

だが、これでもかなり抑えた方だ。今の俺なら、すぐにでも両方の眼球をえぐり出し、臓を引きずり出すことだって、躊躇うことなくすることだろう。

しかし今回は一応は、田神の仕切りなのでぐっと我慢したのだ。まだ何も喋ってもいないのに殺せるはずがない。

「むうう、うー、うー」

猿ぐつわにされた口で、伊達は何かぶようにき聲をあげている。田神が、すっと伊達の前にでた。その手には今までどこに隠し持っていたのか、黒塗りのナイフがあった。正しく暗殺仕様のものだ。

「さて……伊達聡一郎、おまえには俺達にいくつか喋ってもらうとしようか。嫌とは言わせないぞ。それと沈黙することも許されない。

その場合、こんな風な罰をけてもらうことになる」

田神はそういうと、ナイフで伊達の高級であるだろう白い服を、切り裂いていった。

シャツの下から、贅があまりついていない、なかなかに引き締まった腹筋が覗いた。

「こんな風にな」

次の瞬間、その腹にナイフを押し當て、下にかしていった。伊達はその貌を、この上ないほどに引き攣らせ、くぐもったび聲をあげた。

実際には包丁かなんかで、すっぱりと指を切った時にできるような深さの切り傷だ。

しかし、てっきり服だけを切るようなものにすますのかと思いきや、一度相手を油斷させて切るなんて、なかなかやるではないか。

見た目ほど激痛ではないはずだが、この男には大層効いたようだ。

んだ場合も同じだ。その時は耳を削ぎ落とす。……いいな」

伊達は引き攣らせた顔のまま、何度も頷いて見せた。

(……面白くない)

できるなら、もっと泣きんで抵抗すればいいのに、こいつは完全に畏してしまっている。

それだけ田神の効果は絶大であったわけであり、尋問としてはなかなかのものだといってもいいだろう。だが、俺としてはあまりにあっさりとしすぎて、肩かしをくらった気分だった。

やはりこいつも、いざという時には、何もできない奴だった。そんな奴が人を売り買いしているのだ。俺はまた、ふつふつと怒り炎が燃え上がってきたのだ。

「よし、では質問をはじめよう。……頼む」

目で合図してきたのを俺は無言で頷き、伊達の猿ぐつわを解いてやった。伊達は、大袈裟とも言えるような仕種で、ヒューヒューと何度も大きく呼吸した。

さて、田神の尋問としての腕は、なかなかのものだと言うのはすでに半ば分かってはいるが、お手並み拝見といこうか。俺の気をしでも下げる意味でも、その方がいい。

「さて、伊達聡一郎。お前は七年か八年ほど前までは、一介のサラリーマンだったはずだな。そんなお前がなぜ唐突ともいっていい、高級クラブを作ることができたか聞かせてもらおうか」

一瞬迷いを見せた伊達だが、田神のチラつかせたナイフに、がっくりとうなだれるようにしゃべり出した。

「わ、私は雇われたんだ、山本と名乗る男に。も、もちろん最初こそ私だって戸った。私に経営なんてできるわけはないと。

だが、彼は言ったんだ……必ず繁盛させてやるから、と。だから」

いに乗ったわけだな」

伊達が首を縦に振った。

「その繁盛させてやる方法というのが、人売買だったってのか?」

俺はつい口を挾んだ。伊達はなぜそれを、と言わんばかりの顔になって言った。

「そ、そうだ。だが、わ、私だってそんなことをやるだなんて思わなかったんだ。本當だっ」

「だが、お前はそれに乗った。過程はどうあれ、結果はけして許されるようなことではないはずだな?」

「う……」

田神の抜くような視線と言葉に、奴も言葉を失った。こいつのこの様子では、人売買というのを分かっていながら、それに手をつけたようだ。ほぼ間違いないだろう。

「次に山本という人のことを聞こうか。どういう人なんだ」

「わ、私も詳しくは知らない。ただ……」

「ただ、なんだ」

「話によれば、かなりの地位に就いた男らしい。現政権すら、彼の傀儡に過ぎないとすら言われてる……そう聞いた」

「そんな人が、何もない一介のサラリーマンを雇ったというのか。にわかに信じ難い話だな」

俺は冷ややかな目で言った。田神もそれに同意するように首を振る。

「だが、この男の言葉を信じないわけにもいかないな。現に、あんないかがわしいクラブをやっていたわけだしね。

それに見方としては、何も持っていなかったからこそ選ばれた、そうとも見ることができる」

「なるほど。そいつは確かにありえない話じゃぁないな」

そうだ。権力者は、自分の都合のために何もない弱者を利用するというのは、日本に限らず、世界中どこにいってもある話だ。

それどころか、いつの時代にだってある。俺からしたらそんな連中も、俺や田神のような同業者達に、眉間を撃ち抜かれて當然のようなものなのだ。

つまるところ権力者暗殺というのは、自業自得なのだ。権力を得るというのは、己の魂と引き換えといってもいいかもしれない。

それでも人殺しなんて、という奴は、この世を甘く見ているとしかいいようがない。その連中の死のおかげで、今のこの世界があるのだから。そう考えれば、権力者というのはすごいのかもしれないが。

とは言え、権力を持つというのは、それに比例してその義務も大きくなっていく。だというのに、それは私のせいじゃないと、政治家ども責任を他になすりつけようとする。 それでいて連中は、自の権力にだけはしがみつこうとする。そんな奴を殺して何が悪いというのだ。

連中はただ権力をして、暴利を貪るだけの寄生蟲に過ぎない。後は口でなんとでも言えばいいわけだから、時には世間から

されることもあるだろう。だが、それだけだ。本當は誰しも、権力者を好いているはずがない。

そして、その山本という人もまた然りだ。當然その権力の一部を手にし、あまつさえ、なんの関係もない子供らを死に至らしめたこの男も同罪だ。

しかし、連中も今の時代は、どの國においても小粒ばかりになったのは否めない。それとも、そんなことばかり考えているから小粒になったのか。

そして、消しても消してもそんな連中が沸いてくるわけだから、そう考えると、俺にとって殺し屋という職業は、さしずめ害蟲駆除業者といったところだろうか。

「他には」

「ク、クラブでの収益の三割は彼のもとにいくようになってる。ま、また、左翼の広域暴力団なんかも事実上、彼の支配下にあ

ると言っても過言じゃない……」

「山本の居場所は」

「し、知らない……ほ、本當だ。いつも彼の使者と會うだけで、會ったのもほんの數える程度なんだ」

伊達の慘めなほどすがるような言いように、それが噓ではないということが分かる。

「ならば、その使いとはどこに行けば會える」

「それも知らないんだっ、私は毎週同じ日に、指定されている場所に行って指示をけるだけなんだっ。うっう……なんだって

私がこんな目に……」

「その人の名は」

「ま、松平……」

その時、今の今まで冷靜にしていた田神の顔にわずかに曇ったように見えた。

「下は」

「由だっ。松平由まつだいら よしのぶだっ」

「松平由……」

「知っているのか?」

松平という名に、心當たりがあるのか、田神はしきりに何か考えているようで、いたたまれなくなった俺は、田神に聞いてた。

「ああ……。昔、ちょっとな。だが、これで松平には會わざるをえなくなった。思っている以上の大が釣れるかもしれない」

俺はそうかと短く答え、肩をすくめた。あまり過去にこだわらなさそうな男だが、やはり昔、々と苦労してきたのだろう。

「さて、これでお前への尋問が終わったわけではない。お前は真田博之という男と、武田と名乗る男と関係があるはずだ。その

二人について知っていることを、洗いざらい喋ってもらおう」

まさか真田と武田の名を出されるとは思わなかったのか、伊達は驚いたような表になった。

真田に関しては、やはり先ほどガスから仕れたネタと、なんら変わりはしなかった。だが、一つだけ確信したことがあった。

奴はどうも、例の実験を本気で取り組んでおり、ある程度功にまで漕ぎつげていたらしいということだ。信じられないことではあるが、本當のことらしい。

それを聞いた田神は、しだが苦い顔になっていた。よほど実験の容を気にしているのだろうか。

「武田という男に関しては、私たちの間でもよく分からないんだ。何年か前、松平から紹介された。話によれば、山本様からの命令でしかかない、特別な人ということくらいだ……」

「では……」

田神が俺に目配せする。無言で頷いて、持っていたファイルを渡した。

「お前は日本での人売買市場において、かなりの発言力を持っているな。この資料がそれを語っているが……どこで、それを行っている」

「そ、それは……」

「言うんだ。そもないと……」

先ほどと同じように、田神ははだけている伊達のにナイフを當て、すっとナイフを引いた。

猿ぐつわをしていないため、部屋中に悲鳴が響く。抵抗する意志を完全に失っているためか、先ほどに比べ、ガクガクと

震えだしていた。

「さて、次はさっき言ったように、耳を削ぎ落とすとしよう」

田神はつとめて冷靜に、淡々と言いながら伊達の右耳を引っ張って、ナイフを當てた。

「ヒッ! ま、待ってくれっ、言う! 言うからやめてくれ!」

「ならさっさと言うんだ。こっちだってお前の相手などしている時間はないんだ」

「み、港區にある倉庫街……いつも、そこで取引してる……月に2回か3回、船で……」

「九鬼。このファイルに、それを示すようなものが書かれているはずだ。見てくれ」

田神からファイルをけ取って、それらしいものがないか探してみる。

その間にも、田神による尋問は続いた。

「そしてお前は凰館のオーナーとして、働くようになったんだな。だが、そのファイルの數を見ると、どう考えてもクラブに

いたたちの數と合わないな。他の子供たちはどうしたんだ」

「さ、真田の弟子になる馬飼という議員によって買われることがほとんどだった……う、馬飼はつい何日か前に何者かによって殺された……。

あいつは真田の命令で、人実験を行うための実験しさに、子供たちを買っていってたんだよ。実験は、量子理論によるものだけではなく、新薬のための臨床実験も行ってたんだ……」

「新薬の臨床実験……」

伊達の言ったことに、つい復唱してしまう。

そういったことが、この世のどこかで行われているということくらいは知っている。だが、実際に見聞きするのとはわけが違う。

そのために、わざわざ海外から人間を輸したというのか、その馬飼……いや、真田は。そして、この男もそれに荷擔したわけか。

「その新薬の実験はどんなものだったんだ」

「私も詳しくは知らない……ほ、本當だっ、何も知らされてないんだっ。……た、ただ、Y市にある製薬會社にそれらを回していたということだけしか知らないんだ……」

「Y市、だと」

「心當たりがあるのか、九鬼」

「……ああ、しな」

なんということだろう。Y市の製薬會社といえば、即座に生義則のことが思い出される。あの時のことが、まさか今に繋がっているとでも言うのか。

思えば、最近ちょくちょく製薬會社と聞くことがあった。一度探りをれてみるべきだとは思いはしたものの、それどころではなくなって、そのままだった。

けれどこうなってくると、本格的に探りをれる必要がでてきた。

だが、それよりも先に、今ここで聞いておかなくてはならないことがある。この六年の間、捜しに捜してようやくつかめたのだ。

俺は、なるべく冷靜を心がけながら聞いた。

「おい、伊達。お前さんに一つ聞きたいことがある。このについてだ」

妹のことをなんて他人事みたく言うのに、しばかりためらいがあったが、この男に妹と告げるのは、なんでか癪だった。

ファイルから沙彌佳のページを探しだし、伊達に見せる。

「お前はこののことを知っているはずだな? 六年前だ。覚えてるはずだ。一どうしたのか、聞かせてもらうぜ」

「お、覚えてない、そんな昔のことなんて……」

伊達の言いように、なるべく冷靜さを保ったつもりだったがもはや無理だった。

「……そうか」

次の瞬間、俺はこの男の顔面に下半から力のった拳を、思いきり叩き込んでいた――。

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