《いつか見た夢》第34章

高速で移り変わっていく景を、どこふく風といったふうに眺めながら俺は今、田神らとともにK市に向かっていた。

伊達は今日の夕方に、駅に近いホテルで松下薫というと會うことになっているからだ。正確には會うことになっていた、といった方がいいだろう。伊達はすでにこの世にはいないのだ。

「とりあえず、昨日一日で俺ができうる限りで知ることができた、島津製薬の報だ」

い大きな封筒にれられた資料を渡され、俺はその中を取り出した。それと、松下薫と思わしき人の寫真もっている。

「このが、松下薫か?」

「ああ」

寫真に寫っていたのは、髪をボブカットにして妖艶さを醸し出しただった。日本人のはずだが、あまり日本人らしく見えない。まさしく、妙齢なだ。

寫真を見た俺は、思わず下半を反応させてしまい、気を鎮めながら資料を見た。

「島津製薬は、一八八九年に開業醫として島津乃介が始めた會社で、醫者としての腕もなかなかのものと評判だったという話だ。

現在の雛型となったのは、その乃介の孫、新次郎の代になってかららしい。新次郎は醫者としては父や祖父にこそ劣ったが、経営者としてはかなりの手腕を持っていたようで、一代で大病院に長させている。

當時、最新鋭の技や多くの醫師を抱えたようだが二次大戦の際に、一度は沒落しているんだ。けれど新次郎は、その知識と時代を読む力に長けていたため、薬を処方することで新しく立て直した。それが現在まで続く島津製薬だ。

今は、その孫の宗弘が経営者となって、運営されている」

田神は車を運転しているためか、こちらには一切目をやることなく、淡々と語った。

「ま、そこらはよく聞く話だな。で、連中がやっているのはどんなことなんだ?」

「あまり良くない噂ばかりだったな。今まで島津の薬を使うことも度々あったが、正直、もう二度と使う気にはならないな」

「あんたがそう言うってことは、よほどみたいだな」

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田神はゆっくりと、首を縦に振った。

「もう分かっていることだろうが、彼らが人実験を繰り返しているその理由だが……」

田神はそこで言い淀んだ。

「その理由は? なんなんだ」

「ああ、不死の薬を作るため……なんだそうだ」

「不死の薬だって?」

田神の口から出た予想外の言葉に、俺は聲を裏返してしまった。不死だなんて、一どういうことなんだ……そんなのとてもではないが信じられるわけがない。この二十一世紀の世の中で、そんなことを本気で実踐しようとしているというのか。

これが雑談であれば、冗談にけ取るところだが、田神がまさか今そんなことを言うはずがない。つまり、連中が行っていることは、大なり小なりそれに近い、もしくは本當にそいつを研究をしているということなのか……。

全く、一昨日といい、今日といい、とんでもない與太話ばかり飛び出てくる。り行きとはいえ首を突っ込んでいる俺が、とても馬鹿らしく思えてくる話ばかりだ。

「なぁ、あんたはその話、信じるのか……? 一昨日も同じ臺詞を吐いたな」

「……なんとも言えないな。不死なんてものにはお目にかかったことがないし、仮に出會ったにしても、それを確かめる手立てもない」

「全くその通りだ。しかし、あんたがガセネタ摑まされたとも思えないからな……まぁいい。そいつは松下薫に直接聞くとしよう。

それよりも問題は、松下がきちんと時間に來るかってことだな。伊達の失態は、連中から見限られたとも言い切れない。真田の時みたく、連中が私設の軍隊を持っているかもしれないぜ。

その場合、下手したらすでに伊達のことを嗅ぎ付けて警戒して、今日現れない可能があるぜ」

「いや、俺は現れると思う。伊達は凰館のことがあった次の日にも、仕事をこなしていた。だから、きっと今日も來るはずだ。問題は彼がうまいこと喋ってくれるかどうかだが……」

「ま、そこらは適當になんとかしよう。こんなことは別に今に始まったことじゃぁないしな」

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「相変わらず向こう見ずなやつだな、君は」

田神が半ば呆れながら笑った。自分でもそう思わなくもないが、そういう分なのだから仕方ないではないか。

「なに、俺に任せてくれ。の相手は割と慣れてるんだ。特にこういうはな」

「そうか。なら、今回は君のお手並み拝見といこうかな」

俺は何も言わず、ただニヤリとしただけだった。

K駅にほど近いシティホテルを前に、小さなビルのに俺達はいた。

「あんたが言ったように、部屋は松下の名義ですでに一室予約されている。後は、よりも先に行っておく……それから先はなるようになると思う」

「……今回は君がやるといったのだし、島津製薬の件は君のヤマだ。好きにすればいいさ」

腹をくくったのか、田神はどこか悟ったような口ぶりだった。本來なら自分が行くべきとでも思っているのかもしれない。

「ああ、そうさせてもらう。大丈夫とは思うが、何かあった時は頼むぜ」

俺は車を離れ、一人ホテルへと向かった。生前伊達が指定していたホテルは、シティホテルというだけあって、かなり豪奢な作りになっていた。

階數は前に泊まったN市のホテルに比べるとなく、ランクも幾段か落ちると思われるが、俺からしたらそんなのは大したことではない。

ホテルの正面玄関から堂々とってロビーを突っ切り、フロントまでいった。

「今日予約した、松下の連れだが」

「はい。松下薫様のお連れ様ございますね。いつもご利用ありがとうございます。すでに、松下様はお見えになっておいでです」

「わかった。部屋はどこだい?」

「は……いつものスイートでございますが」

「ああ、いや気にしないでくれ。最近ちょっと疲れていてね」

「そうでございますか。でしたら、案の者をお呼びいたしましょう」

「そうだな、頼む」

かしこまりましたと告げたフロントマンは、ちょうどロビーにいたボーイを呼んだ。彼に案させるようだ。

「お荷の方はよろしいですか?」

「ああ、もう部屋の方に連れがいるんだ」

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適當に相槌を打ち、やや軽薄そうなボーイにけ答えしながら、スイートルームへと案される。

格段、怪しいと思われるようなことはないはすだ。今日の服はいつもと比べ、シックなシャツとスーツだ。フロントの人間も、いくらほぼ毎月予約している常連客であっても、正確に顔までは覚えていまい。田神の話によれば、一月ごとに伊達と松下、互に予約していたらしいので大丈夫だろう。まぁ、仮に覚えがあったにしても、たいした問題ではない。

とはいえ、さすがに、顔の傷だけはうまくエリナの手で化粧を施してもらいはしたが。

エレベーターを降り、ホテル上階のスイートに著いた。ボーイはそのすぐ前の扉を叩いて聲をかけた。

「松下様、お連れ様がお見えになりました」

しばらくすると、部屋のチェーンと鍵の開く音が聞こえた。

「では、私はこれで失禮したします」

行儀よく一禮し、ボーイは去って行った。それと同時に扉が開かれ、中から松下薫が顔を出した。俺は素早く部屋に押しり、は唖然として何が何だか分からないといった顔だ。

もちろん、すぐさま扉は閉め鍵とチェーンを掛けた。この昨今こんなものを付けなくとも、カードキー式になっているが。

続けざまに、の口を塞ごうとするがその前にが言葉を発っした。

「あなた誰なの? 聡一郎さんはどうしたの?」

俺はしばかり驚いた。見知らぬ男が押しってきたのだから、んだりもするかと思ったのだ。

「あんた伊達の話、知らないのか?」

「なに、聡一郎さんに何かあったの?」

どうやら、伊達と定期的に會っているというのは本當のようだ。口ぶりから推測するに、いちいち連絡をとる必要もない仲なのだろう。

「伊達は一昨日の夜死んだぜ。殺されたんだ」

前置きもなく淡々と事実を述べると、はその大きな瞳をさらに大きくし、絶句した。それもそうだろう。今日という日を、きっと心待ちにしていたのだろうから。このの態度から、そう見ていいだろう。

「ああ……噓……そんな、聡一郎さんが……噓……」

噓はついていない。事実、俺と田神で奴を地獄に送ってやったのだ。そうされてもおかしくないことを、あの男はしていたのだ。當然と言えることだ。

「死に際に今晩、あんたとここで會うということになっているのを聞いてね。それで推參したというわけさ」

「ああ……聡一郎、さん……」

松下薫は、みるみるその瞳に涙がたまっていきしい頬から顎へ、そして床へぽろぽろと流れていった。そしてガクリとその場に膝をついたのだった。

うっすらとシャワーの音がれてくる。松下薫が浴しているためだ。

結局、松下は號泣こそしなかったものの、しばらくの間、聲を殺すように鳴咽をもらしながら泣き続け、つい數分前にようやく泣き止んだところだ。泣き止んだ彼は、シャワーを浴びたいと一言だけ告げ、部屋を出ていった。

まさか、あんなにまで泣かれるとは思わなかった俺は、やや躊躇いがちに軽く頷いただけだった。寫真や伊達からの話だけで、つい、ただのビジネスライクな関係で、ことに及んでいたのかと思っていたがそうではなかったらしい。

勝手な先観から、あの藤原真紀のような狐タイプのとばかり思っていたのだ。だから、今回役をかって出たと言うのに、とんだ誤算だった。

(さて、どうしたものか)

俺はベッドに腰掛けながら、この後のことを考えていた。多分、松下は俺のことを敵とは思ってはいまい。だからといって、味方だとも思っていないだろう。

とにかく、島津製薬でどんな実験を行っているのか、そしてその実験のために伊達が行っていた人売買でえられた子供達が、どうなってしまったのか。半ば予想がついてしまうのに自己嫌悪してしまうが、まだ百パーセントそうだと決まったわけではない。何萬分の一、何億分の一の可能しかなくとも、俺はそれに賭けるしかないのだ。

その時、聞こえていたシャワーの音がふいに途絶えた。隣の部屋にバスルームかられた湯気が見える。

しばらくすると、松下が白いバスタオル一枚でやってきた。黒いボブカットの髪は水滴で濡れ、そのしい顔に張り付いている。そして、彼に巻かれたバスタオルは、まるでそのラインを強調するかのようだ。

俺よりは確実に年上のはずだが、年齢など無意味にじさせるしなやかな腳は、思わず男の本能をわせる。今すぐにでも、このを抱きたいという衝に駆られるが、今はまだ駄目だ。まだ早い。

松下は、その腳を見せ付けるように、俺の隣にやってきて、腰掛けた。その重みのためにベッドが軋む。

「……それで? わざわざ今日ここに來たというのは、別にあの人の死を伝えにきたわけではないんでしょ?」

「ああ、まぁな。あんたにちょいと聞きたいのさ、島津製薬で行っている実験てのがさ」

「別に? 他の製薬會社と同じように、ただ薬を作って売っているだけよ」

「そのために人実験を行っているわけか」

「人実験だなんて……人聞きが悪いこというのね。臨床実験なんてどこも同じよ」

「そのために、わざわざ海外から輸してきた奴隷達を使うのか? そいつは々おかしな話だな。普通だったら、そこらの人間に金を払ってモニターになってもらえばいい。

だと言うのにあんたら島津製薬は、なくとも六年前から、伊達聡一郎から奴隷として買った人間を使ってまで臨床実験を繰り返している。さすがに、ただの新薬作りとは思えないね。

それにあんた、伊達に言ったらしいじゃぁないか。島津が凰館のバックスポンサーになるってな」

は先ほどとまではいかないが、驚きの顔をした。そのまま、しの間だけ何かを考えていたようだった。

「……そう。まさか、そこまで調べがついていたなんてね、思いもしなかった」

「今の時代、便利なモノがあるのさ。ま、これでも隨分と時間がかかっちまったんだがな。さぁ、もうこれ以上は無駄なんだから、洗いざらい喋ってもらうぜ」

松下は呆れたのか諦めたのか、どちらともいえない渋るような顔をしながら語り出した。

「……私もいつからそんなことをし始めたのかは知らない」

その瞳を窓の外に向け、は目を細めた。

「あなた、もう隨分前のことだけど、今井重工のお嬢さまが襲われた事件を知ってる?」

「ああ、十二年前の話だろう。それがどうした」

意外だった。確かに知っている。つい最近、それも二週間かそこら前に見た記憶がある。だが、今この場でその話題が出されたことに、ひどく違和を覚えた。

「今井の屋敷がなぜ襲撃されたのかって話」

「そいつは俺が聞いてることに関係してるってのか?」

「さあ、どうでしょう?」

は流れるような視線を俺に向けた。その流し目に思わずドキリとした。それを見た俺は、突如として沸き起こったにそのままを任せてしまいそうになるが、今はまだ駄目だ。

ぐっと自制しながら、俺は肩をすくめた。そういわれては、黙って聞くしかない。

「今井の家は実をいうと當時、島津の大株主だったのよ。それと、もう一つ。今井の末娘が病気だったこと。この二つがあったから、あの事件は起こった。

今井は島津製薬に出資し、島津は今井の末娘の病気のために薬を……それが両者の間でなされた契約だったの。だけど、それは突如として破綻した。

その理由は分からないわ。結果、島津は娘さんに薬を與えず、今井は島津への出資を取りやめた。互いにビジネスであるはずなのに、それをお互い簡単に託したの。これに関して、いまだ諸説言われてるくらいにね」

確かにビジネスであれば、そんな簡単に互いの契約を破棄したりするものではない。考えてられるのは、やはり今井の娘に関してだろう。その薬の開発やなんかが芳しくないために、今井側から手を切った、これは十分考慮できるところだ。

しかし、この考えには一つだけ欠點がある。當時、その屋敷の側近として働いていたあの男、殺し屋だった佐竹がいっていたことだ。今井の娘は家族から見放されていたと。

あの男の口ぶりに噓はなかった。そうなると、もっと別の可能を考えるべきなのかもしれない。

「それで」

「これは推測もっているから、絶対とは言わない。けど、一番可能があるわ。おそらく新薬のために、今井のお嬢さんは、

をますます悪くしていった。

それを知って今井は、島津との契約を破棄したのよ。今井は、その時すでに島津をこえる大金持ちだし、わざわざ手を結び続ける必要はない。もとより、そのために手を組んだのなら、それは十分にあると思うわ」

「名探偵さんにはお手上げだ、といいたいとこだがな、殘念なことにその推理には一つ大きながあるぜ。今井は娘のことなんて、なんとも思っていなかったそうだ。彼は、親兄弟から見限られていたらしい」

「……そう。ちょっと自信あったんだけどな」

かなり自信を持っていたのか、苦笑う彼は、明らかに落膽のが見てとれた。

「まぁ、いい。それで、そいつがどう話に繋がるんだ?」

「今話したように、今井側から手を切るよう持ちかけたのは間違いないと思うの。そうでなきゃ、屋敷を襲うなんてしないもの。

屋敷が襲われたその日、幸か不幸か、今井本人が不在の時だった。本當ならその日、屋敷に今井自が訪れる予定だったそうよ」

「……だが、今井は屋敷には現れなかった」

松下の言葉をひきとり俺がいうと、がそれに首を縦にして振った。

確か佐竹は、襲撃のし前に解雇されたのだといっていた。そして、隔離されていたの屋敷に訪れるはずだった今井……。

しかし、は家族から見限られていたというから、もしかすると今井自、屋敷が襲撃されるということをあらかじめ知っていたかもしれない。

だとすれば、は父の手によって生き餌にされたということだ。佐竹はそのことに気付いていたのだろうか。今となっては、後の祭りではあるが。

「いくら見限られていたにしろ、彼の死は今井にとって、大層なスキャンダルになった。それと同時に無言の警告にもなったのね、次はお前だっていうね。

けど、それでも今井は島津の言いなりにはならなかった。そんな狀態が何年か続いて、ある日、今井は姿を消していたの。次期當主になるはずだった息子とともにね」

はそこで一旦ベッドを離れ、サイドボードに置いてあるバーボンを取り出してきた。

「あなたもどう?」

「ターキーか。そうだな、俺ももらおう。ストレートだ」

松下はロックグラスに氷を放り込み、バーボンを注いだ。続いて、同じ形のグラスにとくとくと、うまそうにバーボンを注ぐ。

「はい」

「ああ、ありがとうよ」

「ふふ、ありがとうだなんて。あなたみたいな人って、禮なんて言わないものと思ってたわ」

ただの癖のようなもので、そう教わって育てられたのだけの話だ。の言葉をけ流しながら、俺はバーボンウイスキーのを口に流し込む。

ターキーは五十パーセントを超えるアルコール度數のわりに、マイルドな口あたりが特徴のウイスキーだ。スコッチに慣れてしまうと、やや足りなさをじなくもないが、久しぶりに呑むとやはり味いものだ。

もそっとグラスに口づけながら、琥珀をしたを飲んでいる。その姿は実に蠱的で、せっかく押さえ込んだが、またずくずくと理の壁を破って顔をのぞかせる。

その口からグラスを離すと、カランと氷が心地よい音を響かせた。

「それで、どこまで話したかしら」

「息子ととんずらしたんだろう? そこからだ」

「そうだったわね。だけど、それから一年ほどして今井は死んだらしいという話を聞いたわ。私も詳しくは知らないけどね。

だけどそれに前後して、島津製薬からあるが盜まれるようになっていたの」

この話は聞き覚えがあった。確か、あのストーカー事件の時に青山から聞いた話だ。盜まれたのは確か……。

「……カメラ。デジタル機……」

記憶をたよりに、俺はそうつぶやいていた。それで間違いはなかったはずだ。松下はなぜそれをと言わんばかりの顔になり、肩をすくめた。

「あなたこそ素晴らしい探偵だわ。そう、島津の研究所から盜まれたのには、場違いとも言える高度のカメラなんかもあったわ。それ以外にも新薬なんかもね。

いえ、島津にとっては、その新薬が盜み出されることのほうが、はるかに由々しき事態だった」

「その薬ってのは、どんなものだったんだ?」

不死の薬を作るという、正気の沙汰とは思えない話をすでに聞いていた俺は、確認程度に聞き返した。

だが、松下の口から出てきたのは、それとは違い、全く予想だにしないことだった。

「……人間を進化させるため」

「進化?」

俺は聲がし裏返っていた。當然だ。人間の進化という単語が語られるなど、思いもしないことだ。

「そして、人間を不死の存在にするというのが最終目標だとも聞いたわ。いえ、逆かもしれない」

「おいおい、あんた、まさかそんな眉つばな話を信じてるんじゃぁあるまいな」

「見損なわないで。確かに不老だったら良いと思うことはあるわよ。だって當然でしょ? なんだから。

でもね、だからと言ってそんなこと信じられるわけないわ。自分を知っている人が老いては死んでいくのに、それを橫目に、一人だけ生きながらえていくなんて、考えたくもないわよ。

でも……そんな実験を本気になって続けている島津は、もはや、狂気にとりつかれているとしか私には思えないのも事実」

松下は、自分の雇い主を隨分ときつくいっている。まともな思考をもった人間なら、それが當然だろう。

「クックック、あんたも存外、大変みたいだな」

「お給料が良くなければ、さっさと辭めてるわよ」

そうか。だからこのは伊達にとりろうとしたのかもしれない。しかし、気付けば伊達のことを本気になってしまったのだろう。伊達をやったのが自分であるというのを明かさなかったのは、やはり正解だった。

「だが、その狂気に取り込まれた人間は、伊達から何人もの人間を買って、実験していたんだろう」

俺がそういうと、松下は黙った。どうもこのは印象ほど、凝り固まった人間ではないようだ。このの爪の垢を煎じて、あの狐に飲ませてやりたいと俺は思えたほどだ。

「……それを否定したいけど、できないのが痛いわね。しかも、それでお給料貰っている訳だしね……」

「それで実験の方はどうなったんだ?」

「當然失敗に決まってるわ。でも、それとは別に、様々な新薬ができたのも否定できないの。今、島津製薬から市販されている薬は、どれもがその実験からの副産にすぎないわ。もちろん、市販できないものもあるわ」

「その市販できないような薬ってのは、どんなものなんだ」

「人間の覚をとても鋭敏にして、集中力を増大させるという効果があるらしい。何年か前だったか、それが一応の完ということで合意がなされたらしいけど、副作用がいくつもあってとてもではないけど、そんなものを完品だなんて言えない代だった」

「……その副作用ってのは、唐突に頭がいたくなったりしないか? それと麻薬のような常習と同時にだ」

「……あなた、やっぱり探偵になるべきじゃない? ううん、本當は探偵なの? その通りよ」

そうか……六年半前、奴の明らかな異常さは、その薬が原因だったのだ。そうに違いない。

だとすれば、奴も実験にされた被害者だったというわけか。

「その薬は、に劇的な変化をもたらすかもしれないらしくて、それが今なお研究中といったところね。

……だけどそこまでに、あなたの言う通り、何百、いいえ何千かもしれないわ。人間を使って実験しているのよ、島津は。そして、それらも全て今井重工とのコネクションがあったからなのよ。それと、今井の持っていた株や事業の一部の買収もね。

以來、島津製薬は市場を拡大し続けているわけ」

「なるほどな、こいつは面白い話が聞けたよ。で、あんたはずっと今のポストにいたいのか? いや、島津の下で働いていたいのか?」

「……殘念ながら、私には辭められないわけがあるの。でも、それができるのなら、すぐにだって辭めたいわ」

「なんなんだ、その理由ってのは」

「……単純よ。母がね、とても重い難病にかかっているの。治せなくはないけど、それには數千萬のお金が必要なのよ。それを、會社に肩代わりさせているというわけなの」

「なるほどな。……もしかしたら、俺、いや俺達がなんとかできるかもしれない」

「え?」

俺の言葉に、今度は松下が素っ頓狂な聲をあげた。

「な、何いっているの。そんなの無理よ」

「いいや、決して無理な話じゃぁないぜ。ようするに、連中に金の話なんざできないくらいに混させてやればいいのさ。後は、あんたはその隙にとんずらすればいい」

俺の出した提案に、松下はえらく困しているようだが、俺は見逃さなかった。その顔には、そんな可能があるというなら、それに賭けてみたいという思が滲み出ているのを。

「まぁいい。あんたが乗り気であろうとなかろうと、俺には島津とはどうしても決著を付けなくちゃぁならない因縁があるんでね。もし、あんたがその気になれば、多なりとも、それを手伝ってやってもいいってだけの話だ。ま、ついでだと思えばいい」

「……し時間をくれない?」

「ああ、構わない。だが、あまり時間があるわけではないから、早めにな。

それと、こいつは俺の個人的に聞きたいことなんだが、いいか?」

そう、俺にとってはこっちの方が重要なのだ。サックの中から、伊達の家で手にれたファイルを取り出して、松下に見せる。沙彌佳のページを開いて、指差した。

「こののことだ。あんた、何か知らないか?」

松下は俺からファイルをけ取り、しげしげとページに添付された妹の寫真を見た。

「……ごめんなさい、分からないわ。でもこれを見る限り、六年前に島津の研究所に連れて行かれたのは間違いないと思うわ」

「そうか……」

そう簡単にはいかないか。あまり期待はしていなかったが、どこかで期待していたのだろう、やはりなからず落膽があった。

「でも」

「でも、なんだ?」

「島津の研究所に行けば、何かしら記録があるはずよ。連れてこられた人達は、行が逐一記録されることになっているから。だから、きっとこの子のことも何か分かるはずよ」

松下ははっきりとした口調でいった。もちろん、島津製薬にはもとより行くつもりではあったが、スムースに行くというならそれに越したことはない。そして、連中が何も知らず呆けているうちに、大暴れしてやるつもりなのだ。

松下にはいえないが、伊達を地獄に落としたのだから、島津の連中を地獄に落とさない道理はないというものだ。ましてや連中は、不死だとか人間の進化だとか、狂気の沙汰としか思えないことに取り組み、何百何千という人間を殺したのだ。

だというのに、連中を地獄に落とさないというのでは、沽券に関わる問題だ。奴らは、間違いなく沙彌佳を実験のように扱ったのだ。そんな連中を許しておけるわけがない。

カラン、という氷がグラスの側をたたいた音がした。その音にはっとし、音の発生源の方をみやると、松下がひどく扇的な眼差しで俺を見ていた。

ルージュがひかれ、わずかに開かれた側で、舌がちろちろと別の生かのようにいているのが分かる。俺としても、いい加減限界にきている。そろそろ理を取っ払い、その下にあるの塊をぶつけてもいいだろう。目の前には、バスタオル一枚でいる一匹の牝がいるのだ。もう我慢することもない。

俺はバーボンを一息に呑み、グラスをらかそうな絨毯の上に投げる。その勢いのまま、の肩に手をやった。

「時間をちょうだいっていったけど、いいわ、あなたに賭けてみたい。その代わり、お願い。私をこの不安から解放して。

今だけ……今だけでいいから」

これより先、言葉はいらなかった。語りかける言葉など、たとえどんなの言葉であっても陳腐でしかない。

を引き寄せ、そのに口付ける。舌が俺の口に割ってり、それに俺も舌で応える。舌の絡み合いには興し、鼻息が荒い。

グラスはそばのテーブルに置き、俺の背中や頭に手を廻してくる。

「お願い……何もかも、今は忘れさせて」

強引にをベッドに寢かせた。に巻かれたバスタオルがはだけ、その長い腳がより強調される。

すでにり気を帯びた間に手をやり、さらにその高ぶりを解放させてやる。

は頬を桜に染め、首を立たせていく。その様子を、俺はニヤリとを歪ませながら、濡れそぼってきたそこに顔をもっていった。

部屋の中は、になった男の荒い息と、ベッドが軋む音。それに混じって聲だけがあった。

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