《いつか見た夢》第47章

沙彌佳が綾子ちゃんと揃って今日、笑顔で卒業式を迎えることとなった。二人とも自分の希していた高校にかったのだ。それも二人とも俺の通う金城高校だ。これで四月からは、二人とも俺の後輩ということになる。妹に対して後輩というのもくすぐったいが。

「こら」

頭をポコンという音をさせながら、小町ちゃんにはたかれた。教科書を読みながら教室を歩いていたとこも、ちょうど俺の橫にきていたらしい。

「九鬼。今はまだ授業中だぞ」

「あ、すみません」

素直に謝りながら、教科書に目をやった。

小町ちゃんは自分の授業が、このクラスでは今日が最後なんだからしっかりしろと付け加え、また教壇の方へと行った。俺はそれを目に、窓の外に視線を向ける。このあいだ中學にったと思ったら、もう三年間が過ぎようとしているのだから、時間が経つのはとても早いものだ。

かくいう俺も四月からは最上級生になり、いい加減、進路というものを本格的に考えなくてはならない時期にきているのだ。まぁ、就職なのか進學なのか、それすらもまだ決まっていない。大半のやつなら、とっくにそれくらいは漠然ながら決まっているだろうし、進學を決めているやつなら、もうその目指すべき大學も決まっているのだろう。いや、仮にもこの學校は進學校なのだから、その大部分が大學に進むに決まっているのだ。

「こら、九鬼っ」

教壇から小町ちゃんの激を飛ばすような聲とともにチャイムが鳴り、今日一日最後の授業が終わった。

來週からは授業が早あがりになることもあって、帰宅する生徒たちの顔はどこか開放のあるものだった。実質的な授業も、來週はただ暇を持て余して何もすることはないだろうし、俺達生徒にものを教えなくてはならない教師達もいくらかは楽だろう。

教室を出る際にチラリと青山を見たが、俺が教室を出たことすら気付くことはなかったのか、黙々とバッグに教科書やノートを詰め込んでいる。あの様子では黒田のことを摑めていないのだろう。事実、一日二日ではまず無理だと言っていたのだ、それも當然だ。

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俺は青山にそれを追求することなく、下駄箱へと階段を下りていく。そこで思わぬ人と出會った。藤原真紀だ。

「こんにちは先輩。お久しぶりですね」

友人と一緒にいるため、気の悪い敬語でそう挨拶してきたのだ。

「……久しぶりだな」

間違いなく俺の顔は引き攣っていたことだろう。前にも一度、こんな風に言われた記憶があるが、このからわざわざ挨拶してくるとは思わなかったし、嫌な顔の一つでもされたら敵わないので、今回は無視しようと思ったのだ。

ところがこのはそんな俺の気持ちなどお構いなしに、俺を下駄箱の端にくるようジェスチャーした。ため息をつきながらそれに従う。

「なんだ」

「なんだとはご挨拶ね。せっかく私から後輩らしく挨拶したのに」

「あんたにあんな風に呼ばれた瞬間、俺は鳥が立ったぜ。それで用件はなんだ」

「単刀直に言うわ。あなた最近、誰かに付きまとわれているでしょう?」

途端に俺は自分の顔が険しくなるのがわかった。それも當然だ。なんでこのがそれを知っているのだ。その事実を知っているのは青山ただ一人のはずなのに。

「……あんた、なんでそれを知ってるんだ」

「ちょっとね。それよりも今はあなたのことよ。その様子じゃ本當みたいね。

いい? もし、何かあったらすぐに私を頼りなさい。あなたが危険にさらされた時、あなたを一番考えてやれるのは警察でも友達でも、ましてや家族でもないわ」

「おい、待ちなよ。あんた、一なんのことを言ってるんだ。俺が黒田……付きまとわれてるのが、そんなにまずいことだっていうのか」

「そうよ。あなた、相手からはただスカウトされてるだけで何の害もないと思ってるつもり? だとしたら大間違いよ。相手は去年あなたが出會った、今井のような人種なのよ」

それを聞いて息を飲んだ。やはり、初めて駅で出會ったときにじた、あの覚は読み通りだったのだ。

「もちろん、俺だって奴のことをただのスカウトマンだなんて思っちゃないさ。奴が話した容もな。それに俺自、奴のことはなんとなく今井と似たような雰囲気ってのはじ取ってたんだ、別にあんたにそこまで言われる必要はないと思うぜ」

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「それが分かってないというのよ。あなた、去年あなたが験したあの事件が、あまり大きく報道されてないことに気がついてる?」

そう言われてはっとした。確かにあんな風に刺されたにも関わらず、俺と今井のことを扱った記事がほとんどなかったことに、言われるまで全く気にしてもいなかった。それこそトップニュースとは言わないまでも、たとえ小さくても記事にされたっておかしくない話だ。

「……いつか言ってたよな、あんた。報ってのは隠蔽されてたりするかもしれないって。つまり、俺が院することになったあの事件は、そうしなきゃならないことだってのか? 他にも、今井とももう會わないとも言ったよな。人間一人を、そんな風に扱えるなんて普通じゃぁない。あの事件で俺のところにきた刑事にしたって、また何かあれば來るとか言っておきながら、あれきり來やしない。一俺の周りで何が起こってるんだ」

「落ち著きなさい。周りの生徒たちが見てるわ」

俺は聲を次第に大きくし、喚き立てるように早口になっていた。もちろん、これ以外にも言いたいことは山ほどあったが、気付けば周りの生徒たちが何事かと俺に視線を向けていた。

「……ちっ」

俺が舌打ちし周りを一瞥すると、生徒たちはそそくさと視線を外し、足早に各々の目的の場所に向かうように離れていった。

真紀は俺を見據えながら、ため息を一つついた。

「一旦外に出ましょう、話はそこで」

「……分かった」

真紀の提案に頷き、俺と真紀はそれぞれの下駄箱に行き、靴をはき変える。

すでに真紀は校舎を出て、一緒にいた友人を先に帰るよう促しており、俺が出てきたところでこちらに目を向けた。

「こっちに行きましょう」

無言で真紀に著いていく。真紀が連れられてきたのは、校舎端の花壇のある場所だった。

「さて、私が言いたかったことはさっきの通り。あなたにはとにかく、今あなたに付きまとっている連中からは、なるべく関わらないようにしてほしいということよ」

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「俺がどういう立場に置かれているのかは、教えてくれないのか?」

「殘念だけど言えないわ。言ったら、あなたを巻き込むことになるもの」

真紀のけ答えに、俺は眉をひそめた。巻き込むからだって? 何をいってるんだ、すでに巻き込まれているじゃないか。

「もう巻き込まれてますって顔ね」

思ったことがそのまま顔に出たため、真紀は俺の表を読み取るように言った。

「そりゃぁそうだろう。俺は今井に何度か殺されかけたんだぜ? それで巻き込まれてないだなんて、それこそおかしな話じゃぁないか。違うか?」

「……そうね。確かにすでに巻き込んでいるかもね」

「なんだ? やけにあっさりと認めるんだな」

「ええ、確かに事実だものね。たとえ、それがどんな形であれ、あなたが私や今井と関わったことは変えようのないことだから。

でもね。だからこそ、これ以上はあなたには深く関わってほしくないの。だからあなたに何かあった時は、間違いなく私を頼りなさいと言ってるのよ。だからもう一度だけ言っておくわ。もし、あなたに何かあった時に本當に助けてあげられるのは、友達でも、警察でも、家族でもないわ。私だけがあなたを助けることができるのよ。

いいわね、何かおかしいと思うことがあれば、すぐに私に言いなさいよ? 分かった?」

「だが、あんたは」

だから頼れないだなんて思ってるんだったら、余計なお世話よ。良い?」

真紀は今井と対峙したときのような鋭い視線で、有無を言わせぬよう貫いてきた。けなくも俺は、真紀にただ頷くことしかできなかった。

翌朝、俺はいつものように、沙彌佳に起こされた。

今日は土曜日ということで休日のはずだ。いつもであればこんなに早く起こしにくることなどないのだが、妙にウキウキとした沙彌佳はそんなことはお構いなしの様子だった。今日から學式までは休みなので、そのせいかとも思ったがどうも違うらしい。そんな雰囲気ではなかったのだ。まぁ、そのこともなからず意識はしているとは思うが。

「なんだってこんなに早く起こしたんだ。いつもの休日なら、後一時間は寢てられるはずなのに」

「いいからいいから」

休日で嬉しいとはいえ、俺をわざわざ起こす必要はないだろう。愚癡をいう俺に、沙彌佳はそんなことはどこ吹く風で、朝食のトーストと目玉焼きやサラダを差し出してくる。休日はいつもトーストなのでそれ自は良いのだが、浮かれているからといって、俺までそれに巻き込むなと思いながらもトーストをかじった。

「父さんたちは?」

「もうとっくに出かけてるよ」

「もうか。早い出発だな」

時計を見ればまだ八時半にもなっていない。それなのにもう出かけているなんて、隨分と早い出発だ。まぁ、朝俺が起きる時分には両親が出かけていたというのも良くあることだが、こんなに早くに出かけるとは。もしかしたら日帰り旅行か何かかもしれない。

「それじゃ、私もいただきます」

どこか浮かれた様子の沙彌佳は、いつもの俺の隣の席について、焼き上がったばかりのトーストを手にとった。俺は無言で食べながら、時折コーヒーを胃に流し込む。

そのうちにトーストが無くなると、それを見計らった沙彌佳が席を立ちトースターにパンをれて焼き始めた。相変わらずその行には無駄がなく、逐一俺の行に目をらせているんだなとぼんやり考えていた。

「はい」

「ん、おお、すまん」

焼き上がった二枚目のトーストには、すでにマーガリンが塗られていて、後は俺がその上に好きなものを乗せたら出來上がり、というわけだが沙彌佳は本當に良く気がきくと思う。

「……で、だ。こんなに朝早く俺を起こしたのには、何か理由があるのか?」

「うん。お兄ちゃんに後で見せたいものがあって」

「見せたいもの?」

「そう。夕方でも良かったんだけど、なんか変に早起きしすぎちゃって」

「で、ついでに俺にも早起きさせたってわけか」

「うん。でも、普通の日よりは遅くに起こしにきたんだから、別にいいでしょ?」

「おまえなぁ……」

まぁ、今日一日くらい別にいいか。どうせ眠くなればあとで晝寢でもすればいいのだ。

朝食を終えリビングでつまらない土曜朝のワイドショーなんかを見ていたが、あまりの退屈さにテレビを消し、ソファーに足を投げ出して寢転んだ。正直にいって、何もない休日というものほど退屈な日はないだろう。

せっかくなので久々に沙彌佳を引き連れて、街に繰り出すのも良いかもしれない。本當なら、綾子ちゃんと行きたいところだが、彼は今日、例の親父さんと週末を過ごすということなので、おうにもえない。

まぁ、卒業祝いなんかも含めた意味だろうし、なんだかんだで、たった二人の親子の間に水を差すのも憚られるというものだ。というわけで妹と二人で出かけるのは、実に院以來……いや、綾子ちゃんと出會う前以來ということもあって、久しぶりに、それも良いと思ったわけだ。

その沙彌佳は、臺所でさっき食べた朝食の後片付けをしている。よほど気分が良いのか、俺達が生まれる前に流行った、昔の歌を口ずさんでいる。あいつの聲は、こういう時に綺麗な聲なんだといつも気付かされる。

ふとテーブルに置かれた新聞を手にとった。まだ中の広告なんかがはさまっていて、ポストから取っただけで誰も読んでいないことは一目瞭然だ。俺はその広告の束を取って、新聞を広げた。

広げた先の紙面には、ある製薬會社に多大な投資がなされたと出ている。また別の紙面には、ヨーロッパのある地域でバスが突然発し、テロの可能を示唆するような容の記事もあった。新聞をざっと読んではみたが、これといって自分に直接関係がありそうな記事はなかった。

俺はため息をつきながら新聞をたたんで、テーブルに投げた。それでもそれなりに時間は経っていたらしく、すでに十時を過ぎていた。當然ながらすでに沙彌佳も洗いを終え、二階にあがっているようだった。

沙彌佳に、久しぶりに出かけるかと聲をかけてみようとすると、ちょうど二階からドアの開いた音が聞こえた。きっと沙彌佳が下に降りてくるのだろう。だとしたら上に行くのは手間だ。ここで待つとしよう。

「お兄ーちゃん」

案の定、階段を降りてきた沙彌佳を見た俺は、その姿に目を見開いた。

「……おい沙彌佳。なんだそれは」

「えへへ。制服だよー金城の」

「いや、そいつは分かってるんだが、その制服はどうしたんだって意味だ」

驚いたことに俺の前に現れた沙彌佳は、うちの高校の制服を著込んでいたのだ。

似合う?などと言いながら、スカートの裾を持ってし持ち上げたり、くるりと背中を見せたりして、制服姿の自分を俺に見せてくれる。

「おまえ、見せたかったものってもしかして」

「そう、私の制服姿だよ。四月からはよろしくね、お兄ちゃん。あ、この場合は先輩って呼んだ方がいいのかな?」

「いや、別にそれは気にしなくてもいいだろ」

「ね、ね。それよりもどう? 私の制服姿。似合ってる?」

「ああ、思ったよりも似合ってるな」

「むー。全然が篭ってないっ。もっとこめて言ってよ。それに思ったよりもってどういうこと」

っておまえなぁ……。一、兄貴に何を求めてるんだよ」

半ば呆れるように言った。それもそうだろう。家族に対して、それ以上なんと言えばいいというのだ。

「え、そりゃ……」

「どうしてそこで顔が赤くなるんだ……。大、制服ってそんなに早く仕上がるものなのか? もっと時間、かかりそうなものだと思ってたんだが」

「うん。私もそう思ってたんだけどね、昨日、卒業式の後にお母さんとついでにって、制服も頼みに行ったの。そしたら、ちょうど私にぴったりのやつがあって、それでね」

「なるほどな」

今思えば今朝に限らず、確かに昨日の夜からどこか嬉しさに綻ばせていたが、そういうことだったのか……。事を飲みこんだ俺は、ため息をついてソファーから立ち上がる。初々しい姿の妹の頭に、手をやった。

「おまえは大のものは著こなせるからな。十分似合ってると思うぜ」

「ぁ……ありがとう」

赤らめながら言う沙彌佳に肩をすくめて見せながら、俺は久しぶりに出かけないかと提案してみた。その答えは予想できたがその前に寫真を撮ろうということになり、二人で寫真を撮りたいと言い出したのだ。

「別に今じゃぁなくたっていいだろ? 學式の日には、否応なく記念に寫真を撮るんだ。今撮ることはないだろ」

「それはそうだけど、別にいいじゃん。今撮りたい気分なのっ」

「そうかよ……大、なんだって俺まで……」

愚癡を言いながらも、結局はそれに従ってしまう自分に、なんだかけなくじながらも一緒に寫ってやることにした。

「じゃあ、庭に行こう。確かカメラは……」

沙彌佳はそう言いながら、カメラを取りに父の書斎に行った。書斎には父の趣味のカメラなんかが置いてあるからだ。

「先に出てるぞ」

書斎の方に向かって言い放ち、一足早く庭に出た。今日はまさしく小春日和というじで暖かく、一日とても過ごしやすそうなおだやかな日だ。

「お待たせ」

玄関から出てきた沙彌佳は、その手にカメラと三腳を持っている。

「お兄ちゃん、手伝って」

こんなもの取り付けたこともないし、どうすれば良いのか分からなかったものの、ああじゃないこうじゃないと二人で言うに、カメラをなんとか三腳にとりつけることができた。

「撮るのはどうするんだ、これ」

「大丈夫。後はこれ押せばいいだけだから」

そういって沙彌佳は、俺を花壇の前に行くよう促す。

「うん。その辺りがいいと思う。じゃあ押すよ」

撮影ボタンを押したのだろう、沙彌佳は小走りにこちらにやって來て俺と腕を組んできた。

「ほらほら、カメラ見て笑って」

しおいて、カメラはカシャリという音を出して俺達を撮ったのだった。ちなみに俺は全く笑えていなかったと思う。

流れていく景を俺は、心ここにあらずという気分でぼんやりと眺めていた。隣には沙彌佳がいて、幸せいっぱいという顔で俺の腕にがっしりとしがみついていた。

「なぁ……」

「ん、なーに?」

し手を放してくれないか。……なんていうか、恥ずかしいんだが」

「でも私たち以外、誰もいないよ?」

「まぁ、それはそうなんだがな……」

俺達は今、電車に乗って海に向かっているところだ。どこか出かけるかと聞いてみたところ、海が良いと言い出したのだ。まぁ、確かに海なら移の電車代ですみそうなので、それで手打ちにしたのだ。そこで今向かっているのは、K県にあるわりと有名な公園だ。

昔の有名なポップスグループが、そこを舞臺にした歌を唄っているのを思い出し、行ってみようということにしたのだ。そこなら海が見えるし、近くにはオシャレな店なんかもあったりするということなので、時間も適當に潰せるだろうと踏んだのだ。

「……まぁいい。今日だけ特別だぞ? 卒業祝いってやつだ」

「うん。ありがと、お兄ちゃん」

沙彌佳は俺の肩に頭を置きながら、一言そう言った。

「このペースなら、公園に著くのは後一、二時間はかかっちまうな」

鈍行に揺られながら俺は、著している沙彌佳にも聞き取れないような、小さな聲でぽつりと呟く。けれど沙彌佳は、目的の場所まで乗り換えもあるうえ、特急や快速なんかに追い越されてしまい、時間がかかるこの鈍行に乗るのを選んだ。

まぁ、ゆっくりと座れるのは魅力ではあるし、今日は俺なりの卒業祝いを兼ねているので、本人がそうしたいのであればそれに従おう。

ちなみに、寫真の方はあの後も何枚も撮った。撮ったというより、撮り直しさせられたのだ。さすがにうんざりしてきた俺は、どうせ學式にも撮るなら今はこれでいいじゃないかと言い、沙彌佳の撮影會を終わらせたのだ。なんだってあんなにまで細かいのか、俺にはいまいち理解できないところだ。

そんな風にぼんやりと外を眺めていると、車アナウンスが流れ、次が乗り換えの駅であることを告げた。

「ここだ、降りよう」

沙彌佳は俺の橫にぴったりとついて、電車を降りた。

「急ごう。すぐに電車がくる」

「うん」

二人足早にホームの階段を抜け、次の電車に乗り換えるべく、線のホームへ急ぐ。

沙彌佳は俺の歩幅に合わせて移しているため、かなりの早歩きというよりも走るような形になっていた。しかし、それが功をそうじてか、ちょうど電車がホームにってきたところだった。

「これに乗るの?」

「ああ。こいつでいいはずだ」

頷きながら相槌をうつ。

「ここからまだ乗り換えるの?」

「いや、もうこいつ一本でそこまで行くはずだ。なんだったら寢ててもいいぞ」

「え、別に良いよ。それほどは眠くないし」

「そうか。おまえ、さっきの電車の中で結構眠そうにしてただろ? だから無理してるのかと思ったんだ。まぁ、おまえがそういうならいいけどよ」

ガラガラの車で俺達は、そんな話をしながら席に座った。それと同時にドアが閉まり、電車はゆっくりとき出していった。

アナウンスによって、ようやく俺達の目的の駅まできたことが告げられた。家を出発してから、すでに二時間半が経過しており、いい加減シートに縛り付けられているのにも飽きてきていたところだ。

「沙彌佳」

先ほどから反応も薄くコクリコクリとしていた沙彌佳だったが、見れば案の定、腕に絡ませたまま眠っていた。やれやれ、全く人の腕にしがみついたまま眠れるなんて、用なやつだ。

そんな妹に俺は、普段ならさっさと起きろと言うところだが、不思議と気持ちは穏やかでしだけ笑顔になりながら、そっと起こしてやった。

「沙彌佳……沙彌佳。起きろ、そろそろだ」

「う、うぅん……ぁ、ごめん、私寢てた?」

「ああ。ま、いいさ。とにかくそろそろ著くから起きろ」

「うん、大丈夫」

徐々に落ち始めていたスピードはついになくなり、一拍おいて扉が開かれる。

「降りよう」

まだどこか寢ぼけているような沙彌佳を立たせ、電車を降りた。今日は休日ということもあって、普段ならあまりいないであろう駅にも、人込みとまでは言わないが、わりと人がいるのが見けられる。けれど、この駅で降りた人達の目的も俺達と同じなのだろう、向かっている場所は同じのように思える。

「この人たちも同じなのかな」

「じゃないか? まぁゆっくり行こう。なんだったら、ついでに中華街にでも寄ってくか?」

「お兄ちゃんの食いしんぼ」

「何言ってるんだ、おまえもだろ?」

冗談に冗談を返しながら、公園に向かって歩き出した。やはり他の人達も目的が同じようで、俺達と同じ方向に歩いていた。

「お兄ちゃんに任せてるから問題ないとは思うけど、こんな場所から海に行けるの?」

「海に行くというより、海をのぞむってじだな。構わないだろ?」

「うん、それはいいけど……そんな場所があるの?」

「あるらしい」

俺自行ったことがないからなんとも分からない。だから、そうとしか言えないのだ。とにかく海が見えるということなので、悪い気はしないだろう。実際には海辺に行きたかったのかもしれないが、そうなると自分達の持ち金の兼ね合いもあるので、仕方ない。

俺達は公園に向かう道中、小灑落た店が立ち並ぶ通りを歩き、他もない話に華を咲かせた。

「ようやく著いたな。ここから向こうに行くと、海が見える丘らしい」

インターネットで仕れた報を頼りに、沙彌佳に説明する。沙彌佳も相槌をうってその場所へ走って行った。移している途中、一度も解かれることのなかった沙彌佳の腕から、この時ようやく、実に數時間ぶりに解放された。

「わあぁ。お兄ちゃん見て見て、ほんとに海が見えるよ」

海が見えたことがよほど嬉しかったのか、振り向いた沙彌佳は、はしゃぐように言った。

しは落ち著けよ、はしゃぎすぎだ」

妹の様子に気恥ずかしい気持ちになり、俺は苦笑する。全く、やはりこいつは子供だな。

「でも、思ったよりもよく見えるんだな。たいして見えないものと思ってたんだが」

沙彌佳に遅れて海の見える場所にくると、確かに海が見える。想像以上にはっきりと眼下に海を見下ろすことができたのだ。

「この辺り一帯からは、海が見晴らせるようになってるみたいだな」

沙彌佳は海を眺めながら、ふいに唄を口ずさんだ。それは俺がここを選んだ際に、そのヒントにした歌だった。沙彌佳はそれを知ってか知らずか、その歌を口ずさんでいる。この歌のオリジナルは男グループが唄っていて、俺の聲ではそのキーの高い聲は出せないが、沙彌佳にはそのキーの高さがちょうど良いのか、無理なく出すことができている。

「あの唄だけは他の誰にも歌わないでね、か」

ちょうど沙彌佳の唄ったフレーズを小さく復唱する。きっとこの唄の歌詞も、ここからこんな風に見下ろしながらつけられたものなんだろう。俺は唄に出てくるの主人公のように、黙って沙彌佳が唄う聲に耳を傾けながら、ぼんやりと海とは別にほかの場所を見ていた。

「"ぼくがあなたから離れてゆく"……」

沙彌佳が歌い終わる。この唄は、男でも一度は共できるような歌詞で、俺は結構好きだった。それでいながらどこか他人事みたいに、突き放したがするのも。

「……私この歌の歌詞、あまり好きじゃないな」

俺のそんな考えを読み取ったのかどうかは分からないが、沙彌佳がふいにつぶやいた。

「そうなのか? 俺はメロディーにうまいことマッチしていて好きだけどな。それに共できる部分もあるしな」

「うーん……そりゃ人間だから心変わりっていうのはあるから、それは分かるんだけどね。私が嫌なのはそこじゃないんだ」

「だったらどんなところが嫌なんだ?」

「うん。サビの最後の部分の、あなたから離れてゆくってフレーズが好きじゃないの」

「なるほどな。だけど、どんなことにも別れってのがあるもんだろ? 男の間ならなおさらだ。どちらかの心変わりってので、途端に関係は瓦解しちまう。そいつをなかなかに詩的に表現できてて嫌いじゃぁないね、俺は」

「うん……」

そう言ったきり、沙彌佳は今まで見ていた海から視線を外して俯き、俺に腕を絡めてきた。俺の気のせいか、しだけ震えているようにも見える。

「どうした? 突然」

「……ごめん。今ね、すごくこうしてたい気分なの」

「……分かった」

この時、沙彌佳の脳裏にはきっと、前に話してくれた夢のことが思い浮かんでいるに違いない。俺はなぜだか、漠然とそう思えたのだった。

特別何かをするわけでもなく、二人腕を組みながら公園を散策した。三月も後半に差し掛かり、気溫はますます上がっている。そのため、園には花が咲き始めていて、七といわず、極彩に彩られ始めていた。きっと後一月とたたずに、公園は春を謳歌しているようになるだろう。その代表とも言うべき桜が、すでに花を咲かせ始めているのだ。

「さて一通り見て回ったが、そろそろ戻らないか?」

「うん、そうだね。ねえ、今度はもっとお花がいっぱい咲いてる時に來ようよ」

「また俺を人がわりにするってことか。おまえには好きなやつがいるんだろう?」

肩をすくめながら、くつくつと笑った。こいつには、まだ人というのと俺の、明確な境界線はないのかもしれない。家族を大切に想うということに関しては、決して悪いことではないが。

「……うん」

「だからなんでそこで暗くなるんだ、おまえは」

「べ、別に暗くなってなんか……」

「そうか? そう言う時は、大図星なんだと誰かさんが言っていたけどな」

俺はニヤリと口を歪めた。

「もうっ。意地悪っ」

いつか俺にしたことのお返しに言われ、沙彌佳はむくれてそっぽを向いた。妹のそんな様子に、俺はまた肩をいからせながら笑うのだった。

結局俺達は、周辺の店を冷やかすだけで何も買わずに帰ってきた。最初は何か一つくらい買ってやろうという気になっていたのだが、なんとも珍しい日もあったもので、沙彌佳は何もいらないと言ったのだ。それで手持ち無沙汰になったこともあり、こうして俺達は帰るということになった。まぁ、自分の財布がこれ以上軽くならなかったということで、俺も良しとしよう。

「ところでこれからどうする? 時間的にまだ帰るにはし早いと思うが」

「だったら……久しぶりに」

「キシマイ堂は卻下だ」

「違うよっ。あそこに行きたいな」

「あそこ……」

沙彌佳の言うあそこはどこかと考えたところ、結論として一つの場所が出てきた。

「……あそこか」

「うん。駄目かな?」

「いや、構わないぜ、俺は。しかし、行くのは隨分久しぶりだな」

「でしょ? だからね」

俺は頷きながらそこへ向かおうと歩き出した。俺達の向かう場所。そこは俺達にとっては、思い出の場所だ。その場所はかつて、俺達がよくいじめられていた頃に俺がついぞ発した場所で、沙彌佳と俺が今の関係になった重要……と言うのは言い過ぎかもしれないが、そのきっかけになった場所だ。

俺はそういう場所にはあまり興味がないので行かないが、こいつは、たまにだがそこへ行くことがあったようで、何年か前に一度だけ沙彌佳に連れられてそこへ行ったことがあった。

「しかしなんだってまた、いきなりあんな場所に行きたいだなんて思ったんだ?」

あんな場所というのは、思い出深い場所ではあるがこれといって全く何もない場所なのだ。ただの河原の広場にすぎない。

「実をいうと、私もよく分からないんだ。なんとなくとしか言いようがない、かな」

「ま、そういうこともあるわな」

肩をすくめながら肯定する。人間、確かに気まぐれというのはある。そいつに多くを言うつもりもない。

「しかし、本當に行くの久しぶりだな。おまえ、どれくらいぶりなんだ?」

「多分半年ぶりくらいかなぁ?」

「そうか」

「うん。いやなこととかあったりすると行ったりすることはあるよ。なんとなく落ち著くっていうかさ」

「まぁ、人間、そういうのは確かにあるな。いつもは自分の部屋でいいんだが、そうじゃないってときがさ」

些細なやり取りをしているうち、河原に著いていた。確か、俺はあのあと泣きやまないでいた沙彌佳をなんとか泣き止ませようと四苦八苦していたっけな……。河原では、どこかのリトルリーグの野球チームが練習をしていた。皆一様に聲を張り上げ、ノックの練習をしているようだった。

「皆元気だねー」

「全くだな。俺には無理だな、あんなのは」

「そうだよね。お兄ちゃんって格のわりに育會系じゃないもんね」

「まぁな。同じスポーツをするにしても、俺はマラソンとかの方が好きだしな。チームワークだなんだってのは、どうもな」

「あれ? 昔、マラソンも嫌いって言ってなかったっけ?」

「うるさいな。あくまで野球とかと比べたらって意味だ。俺はどうでも良い上下関係にやたらうるさそうなのは嫌いなんだ。たかが一年二年の生まれの差しかないくせに、でかい顔するからな」

「あはは、しょうがないよ。それが學校っていうものでしょ?」

「まぁ、そうなんだがな」

俺は苦笑しながら、土手の座れそうな場所を見つけて座りこんだ。沙彌佳もそれに従い、足をばしながら隣に座る。

「……あの時からもう六年か。早いもんだな」

「私、あの時小學三年生だったんだよね。本當に早いよね」

ここに來ると話す話題といえば、そのことばかりだ。前に沙彌佳に連れられてきた時も、同じ話題をした記憶があった。

「六年たっちゃぁいるが、おまえはその頃とあまり変わってないけどな。がでかくなっただけだ」

「えー、私変わったと思うよ?」

「じゃぁ的にどのへんが変わったのか、俺に分かるように話してくれ」

「そりゃあ……」

言い淀む。々と考えているようだが、そうなる時點でまだまだだと言うのが、もろバレだ。

「くっくっく。そいつが答えだな。ま、そんなおまえが俺とは違う、別の誰かを好きになったんだから、その分は長したかもな」

「なんかそれ、あんまりフォローになってないような……」

「そうだな。あまりフォローしたわけでもない」

そう言うと、沙彌佳はまた唸るように黙りこんだ。やれやれ、俺を言い負かそうなんて十年早い。

俺達は何か會話するわけでもなく、練習している子供たちをただぼんやりと眺めていた。

「……そういえば」

「ん?」

「そういえばさ、お兄ちゃんのクラスにいたあのガキ大將の子も確か野球、やってたっけ」

「あー、言われてみれば、確かにそんな記憶もあるな。俺がこてんぱんにしたせいで、あの何日か後にあった試合に、出れなかったっていう記憶があるな。まぁ、自業自得だけどな」

懐かしい記憶に、下を向いて笑った。あのことがなければ、きっとそいつは試合に出ていたのだろう。チームではなかなかに優秀なやつで、四番を任されていたやつだった。

それにしても今思えばよくもまあ、そんなやつに喧嘩を吹っかけていたものだと思う。相手は俺よりも長、重、それに肩幅だってあったやつだったのだ。言うならば、某アニメのガキ大將と眼鏡のいじめられっ子のようなものだ。當然ながら、俺には青い貓型のロボットなど、いはしなかったが。

「そんなやつ、とっくの昔に記憶の彼方にやっちまってたから忘れてたが、唐突に思い出すんだな、おまえは」

「なんとなくね。そういえば私、そのせいもあって野球がすごく嫌いだったんだよね」

「あるよな。嫌いな奴が関わってる全てのことを、無駄に嫌いしちまうこと。俺もあの頃は野球が嫌いだったな。いや、今もはっきり言って好きじゃない」

「そうなの?」

「ああ。さっきも言ったが、どうにも、ああいう皆でやらなきゃならないようなスポーツはこれっぽっちも好きになれないんだ。今はマラソンなんかはさほど嫌いじゃぁないんだがな」

「自分との闘いってやつ?」

「どうだろうな。結局は集団だろうが個人だろうが、行き著くところは自分の限界との勝負だろうけどな。だが、ああいう自分のペースでできるものの方が、俺には向いているのは間違いない」

「そっか。でも言われてみればお兄ちゃん、サッカーとかも好きじゃないよね」

「あれも好きじゃぁないな。ま、人間好き嫌いや、向き不向きってのがあるからな。俺は集団でやるのが嫌いで、嫌いだからこそ本気になれないし、不向きなんだよきっと」

ふと、唐突にこんな場所に來て、こんな話をしだした沙彌佳に、ちょっとした疑問が浮かんだ。いや、疑問というよりも疑念といった方が正しいだろうか。

「……なあ」

「なに?」

「おまえの好きなやつってさ……もしかしてあのガキ大將だったやつか?」

「……は?」

目が點になるとはまさにこういうことを言うのだろう。沙彌佳は俺の顔を見ながら、真顔で何を言われたか分からないという風な顔をしていた。

「お兄ちゃん、それ本気で言ってるの?」

本気で人を馬鹿にしたような顔をした沙彌佳は、妙に迫力のある低い聲で言った。

「あ、いや……俺の知らないところで劇的な再會でもしてそこから……なんてのがあったのかと思っただけだ。こんなところに連れてきて唐突にそんな昔の奴の話するから、無駄に勘ぐっちまっただけさ。気にするな」

「……そう。ならいいけど。というよりも、なんで私があんな人好きにならなきゃいけないの」

「だから悪かったって」

全く。こいつの聲は澱みないため、本當に迫力がある。けれど、それでつい押し黙ってしまう俺もなんともけない話だ。ましてや、こいつは妹だというのに。

その沙彌佳がおもむろに立ち上がって、思い切り背びする。

「ね。今日は楽しかったよ」

「ん、そうか。楽しかったんならそれは何よりだ」

「最近暖かくなってきたけど、やっぱりまだ夕方はし寒いね。そろそろ帰ろうよ」

「もういいのか?」

「うん」

「そうか。だったら帰るとしようか。母さん達も帰ってきてるかもしれないしな」

俺も立ち上がり、最近になって舗裝された、散歩するには都合が良さそうな堤防道路に出ると、その手が突然後ろに引かれた。

「っと。なんだよ、いきなり」

「ねぇ。今日お兄ちゃんが私を連れていってくれたのは、私の卒業祝いか何かなんだよね?」

「え? ああ、まぁ、そんなもんかもな。だからさっきも何か買ってやろうって言ったんだ。でもおまえ、何もいらないって言っただろう?」

「そうだったね。何かしいっていうわけじゃなかったから……。

でも記念……っていうのかな。それはしいかな」

「なんだ。結局しいんじゃぁないか。別に無理にいらないなんて言う必要なかったんじゃないのか。まぁいい。あまり高くないものだったら、買ってやってもいいぞ」

「ううん。じゃないの」

じゃない? だったら……」

「あ、あのね。お祝いっていうなら、これで最後にするから、どうしても一つだけ葉えてほしいことがあるのっ」

沙彌佳は俺の手を握りしめたまま、早口に言う。その顔は逆になっているせいでまぶしいのか、うつむいている。

「ああ。だからなんでも一つだけだってなら別に良いって」

間いれず、沙彌佳はに飛び込んできて、潤ませた瞳で俺を見つめる。それは今まで見てきたどの顔よりも蠱的だ。

「お、おい、沙――」

的に、このままではいけないと思って俺は抱きしめる沙彌佳を引き離そうとしたが、それは突然のキスによって阻まれた。

おまえ……なんで――

何が起こったのか理解できない。ただ、そのらかい沙彌佳のといつもとはし違う香りだけが、俺の考えることの全てだった。

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