《いつか見た夢》第59章

部屋の中は、たった今から何か魔の儀式でも行うのかと思えるような裝だった。

小さな髑髏の置もあれば、ヒンドゥー教の曼陀羅をもした絵もかざってある。他にも部屋のあちこちに、何か宗教的な意味合いを持つ置が幾何學的にかつ、計算されて配置されているように見える。

はそんな中、一人で水タバコをくゆらせていた。その姿は、ジプシーやベリーダンサーかを思わせる恰好をしており、薄い生地の下には素けて見えた。あまりに先ほどまでとは違う異様な空間に圧倒され、俺にここが風俗の店であるというのを忘れさせるものだった。

それでもかろうじてその名殘を見せているのか、は下著を付けていないのも分かった。生地がけているせいで、首がはっきりと見えているのだ。がそうなのだから、きっと下も付けていないのだろう。

日本人であるはずだが、髪は結って後ろにやっていて目は大きくも厚いその顔は、隨分とエキゾチックな顔立ちをしている。

とでもいうのか、一度見たら引き込まれてしまうような、そんな顔だ。

「あたしに用があるってのは、あんたなのかいって聞いてるんだけど」

黙っていた俺に、が再び問いかけてきた。

「そうだ。あんたがkaolっていう人なのかい?」

「ああ、まあね。とはいっても、kaolってのはただのハンドルネームだ。

それで? あたしに何か聞きたくてここに來たんだろう?」

水タバコの管をもち、は俺に語りかけてくる。高圧的な言いと態度だが、不思議と嫌にじない。むしろ、背筋をぞくぞくとさせられ、今すぐにもこのにむしゃぶりつきたくなるにかられる。

「何日か前に、あんたに加藤という男が會いにきたはずだ。俺はそのことに関して、あんたに聞きたいことがある」

「……」

俺が加藤の名を出しても、は丸きり反応しない。瞬き一つせず、じっと俺を見つめているままだ。

「……そんなこと知ってどうするんだい」

「まずその前に、加藤が一昨日死んだというのは知ってるかい?」

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がゆっくりと頷きながら、鼻から肺にたまった煙をはきだしている。

「俺は彼にある人たちの近辺を調べてもらうよう依頼したんだ。彼はその中で何かを摑めたはずなんだが、そいつを俺に伝える前に死んでしまった。

だから、彼の報を教えたかもしれない人に當たってみることにした。そこでまずあんたに會ってみることにしたんだよ。

あんた、三日前に加藤と會ったろう?」

しの間沈黙があったのち、がゆっくりと頷いた。

「そう、おまえが依頼主だったのかい。彼があたしに依頼するくらいだから、どんな人間かと思ったけれど……とんだ子供だったね」

「やっぱりあんたが報提供者だったのか」

は水タバコの管を口にくわえ、紫煙を吸い込んでいる。口をはなすと同時に、大量の煙が吐き出されている。

「まあね。あいつとはお互いもちつもたれつの関係だった。ただの友達とは言わないが、いい関係だったよ」

そういって再び管から煙を吸い込んでいる。煙を吸い込む姿はとても妖艶で、そんな仕種一つだけでムラムラときてしまう。がゆっくりと管をくわえ込もうとするのを、わざと見せつけているのか。の醸し出す雰囲気は、これまで俺の見てきたどのよりも能的で、唾をごくりと飲み込んだ。

「ふふ。あたしがほしいかい?」

「……ああ。だけど殘念ながら持ち合わせがない。今日來た理由はそうじゃぁないからな、今度にしておくよ。

それより教えてくれないのか」

「若いというのはせっかちだな」

の両端を歪ませて笑う顔は、こちらの意思なんか目ではないとでも笑っているかのようだ。

「まあいい。今度というなら今度はきっちりと相手してもらおうか。それで加藤があたしから聞いた報だったね。

藤原真紀と斑鳩孝晶に関してだが、この二人は対外的には見知らぬ人同士を取り繕っているが、実際には違う。二人の間には共通の背後関係があるのさ」

「共通の背後関係」

俺の反問には頷いた。瞬きをほとんどしないため、その目は怪しく濡れている。

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「そうだ。この二人の経歴を調べることができたが、藤原真紀は北は北海道にある片田舎で生まれている。四才ごろまでその町に住んでいた藤原は、その後、埼玉にある施設にいれられている」

「どういうことだ?」

純粋に驚いた。真紀はごころつくかつかないかという頃に、突然施設にいれられたなんて想像もしなかった。

「理由はよくある両親の離婚が原因だ。生まれてすぐに両親が離婚、母親に引き取られたのを機に上京した。しかし、母親は育児ノイローゼになってしまい、これ以上子供を傷つけまいとして施設にいれたらしい。母親としての最後の理だったのかもね」

そこでまた管をくわえて、煙を吸い込んで吐き出した。

「藤原真紀は、この施設でもう一人の斑鳩孝晶と知り合っている。この二人は同じ施設で育てられたんだ。

斑鳩は比較的裕福な家の出だが、両親は共働きだったこともあり、ほとんど家には帰ることがなかったそうだ。帰りはいつも、日付の変わった深夜で、朝は斑鳩が登校する前にはすでに家にいないという生活だったらしい。

そんな生活が何年か続いたある日、今から遡って七年ほど前に、斑鳩は施設にれられることになった。理由は父の浮気、それに母親の仕事などからのストレスによる待……じつにバイオレンスな時代を送っているみたいだな。斑鳩はそんな中、たまたま施設の関係者と知り合うことがあって、自分から施設にりたいと言ったらしい。

らしいというのは、そこらのことは本人が頑なにそう主張したからで、実際にはよく分からない」

「そして、った先で二人は出會ったというわけだな」

「そうだ。斑鳩はかなり人見知りのする子供だったらしいが、藤原とはうまが合ったのか、よく一緒にいることが多かったそうだ」

あの二人が一緒にいる……。想像してみるが、いまいち的に思い浮かんでこない。それほど今の二人の姿や言からは暗い過去があったというのが想像できないのだ。の話では真紀の親は分からないが、なくとも斑鳩の親はまだ生きているらしい。

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それにしても、あの斑鳩が人見知りするだって? そんなの今の奴からはとてもイメージできそうにない。

そういえば以前、斑鳩が唐突に學校に來なくなった時期があった際、小町ちゃんが両親に連絡をとったようなことがあったが、知らない顔をされたらしいことをぼやいていたような記憶があった。だとすれば、これで合點がいくというもので、親元から離れて暮らしていたというのにも必然的に納得がいく。

施設にりたいという、本人なりの防衛本能と両親の利害が、奇しくも一致してしまったというわけだ。つまり、奴は半ば両親から見捨てられてしまっているのだ。

これで二人の背後関係は分かった。やはり睨んだとおり、あの二人は顔見知りだったのだ。そして二人が顔見知りであるというのを悟らせないようにしていたのは、施設にいたというのを知られたくなかったからかもしれない。だが、それでもあの二人の時折見せる、異様な雰囲気やいかがわしさにはまだ説明不足だ。それ以外に、何かあるはずなのだ。

「二人の出生は分かった。問題はそれだけじゃないはずだ。加藤は何か、とんでもないことを知ったと言っていたらしいからな」

俺がそういうと、の目が鋭くる。

「……二人の預けられた施設、ここにはどうもあまりよくない噂があったようでな」

まるでこれを知ったら、俺はもう引き返すことはできないと暗示しているかのようだ。タバコの煙をくゆらせることもなく、じっと見つめてきている。

「その施設がなんなんだ」

俺を試しているのか、もったいぶるに俺は先を促した。

「その施設はね、元々、舊日本軍との繋がりもあった場所なんだ。そして、不思議なことに預けられた子供の數と、今いる子供の數が合わないのさ。……どういうことか分かるかい?」

俺は首を振った。そんなこと言われたって分かるわけがない。

長して施設を出ていった。そうじゃないのか」

「違う。子供たちはかに売られていってたのさ」

の言葉に眉をひそめた。売られる……この意味が分からないわけではないが、この現代の日本でそんなことが行われているというのか、このは。

「元々の建の所有者が軍隊ということもあって、今も運営しているのは當時の軍関係者の孫だ。

また、この施設には時折、海外からの來客があってその客達の肩書も中々なものだ。みな、軍の幹部だったり政治家だったり、あるいは投資家だったりとね。時には、製薬會社の人間も出りしていたようだね」

このの顔に冗談を言っているような節はない。きっと本當のことなんだろう。よく知らない方が幸せなことがあるという言葉があるが、全くその通りだった。真紀と斑鳩は、そんな場所で何年も過ごしていたというのか……。

それとも施設の裏の顔は、一切知らされることはなかったのだろうか。いや、知らされなかったというより、知る機會そのものがなかったのかもしれない。

「それはつまり、人売買といっても過言じゃぁないんじゃないのか? 金や権力を持った奴らから、施設の運営を出させていたんだろう」

「そうだ。その上、運営者の片倉という男もなかなかのやり手でね。現在、幹事長の相談役を任されているんだそうだよ。

全く、こんな人間が國民の上に立って政をしようだなんて、世も末さ」

は事あるごとにタバコの管を口に含ませ、鼻から煙を噴かせている。

「二人はどうしてそんな場所で、何年も過ごすことができたんだろう」

確かに施設の話は驚くべきことだが、これが真紀のあの得の知れないバックグラウンドにはならない。まぁ、あのが良くも悪くも、ねじ曲がってしまった理由としては納得がいくというものだが。

「簡単さ。あの二人は片倉のお気にりだったらしい。だが、お気にりとは言っても、ただ、他人に向けたを注いでもらっていたわけじゃない。片倉は軍関係者の孫と言ったろう? 二人はずっと訓練をけていたのさ、片倉からね」

「訓練というのは……」

聞かなくたって分かる。軍で訓練といえば、戦闘訓練以外において他はない。他にもあるだろうが、この場合はそれを指しているに違いない。斑鳩にノされたことを思いだせば、簡単に理解できることだ。あるいは武、それも実戦式の訓練をけているのなら、説明できるというものだ。

「二人は戦闘訓練をけている。そして早くから、片倉の右腕として手腕をふるっていたということだ。つまりこの二人は、戦闘のエリートといっていいかもしれないね」

先ほど管をくわえた際、相當量の煙を吸い込んでいたのかは言い終えたのち、口から肺に殘っていた紫煙を大量に吐き出した。それを舌と口をうまく使い、煙を遊ばせている。

しかし、これで大まかの謎は解けた。政治の中樞に食い込むような人間のそばにいる者なら、ある程度の人員起力はあるかもしれない。いや、実際にあるのだろう。事実あの狐は、ことあるごとに”私たち”といっていた。だというなら、決してありえないことではないはずだ。

と同時に、加藤が死んだのはそういった余計なことを知ってしまったから、と見ていいのだろうか。もしそうであるなら、俺も危険だったかもしれない。なんせ、俺自も得の知れない男達に掠われたのだ。加藤と會った後では無事ではすまなかっただろう。

「加藤が死んだことに関して、あんたはどう思ってる? 俺はとてもじゃぁないが、ただの事故死とは思えない。……友人は証拠から事故じゃないかと言っていたんだが」

「そうかい。だったら事故なのかもね」

いい仲だったというわりに、はとても淡泊なけ答えだった。人によって付き合いの仕方は違うものなのだから、これがの付き合い方だったというのなら俺が口だしすることではないのかもしれない。しかし、こちらが拍子抜けしてしまうほどの言いだと、本當にそんな仲だったのかと疑ってしまう。

俺は軽く肩をすくめ、話題を変えた。

「ところで、今回のこととはもしかしたら関係がないかもしれないんだが、加藤は他にそれらしい人間と會ったりしていないだろうか。

実は昨日、加藤と會う日にわけの分からない連中に尾行された。何か心當たりはないか?」

「素人さんを尾行するなんて、とんだ連中だね。よほどの理由があったと見える」

「まさにその通りだよ。だが、そのよほどの理由というのが俺にはさっぱりなんだ。もし何かあるのなら教えてほしい」

俺は、吸い込まれてしまいそうなの瞳を見據えながら言う。

「何も知らないと言ったら?」

挑発的な言葉のあとに大きな瞳を細める。きっとこうやって何人もの男を手籠めにし、さらには骨抜きにしてきたのだろうか。そう思えるほど、の仕種一つ一つはとてつもなくエロチックだ。どうすれば男が反応するのか、そいつを知り盡くしているようだった。

誰が言った言葉だったか、『真の婦とは才能である』と聞いたことがあった。このを前にすると、この言葉がよく理解できる気がした。目の前のにはその言葉の通り、婦になるべくして生まれてきたようにすら思えてならないほどの妖艶さがあった。

「あんたが知らないなら、また一から出直しだ。それか、直接その施設とやらに乗り込むしかないだろうな。唯一、新しい手掛かりなんだから。

あるいは……あるいはあんたが何か知っていて教える気がないんであれば、レイプしてでも聞き出してやる」

再び肩をすくめながら、俺はニヤリとしてみせた。男の本能を刺激してやまないへのせめてもの抵抗のつもりだが、ただの虛勢にすぎない。しかし今いった言葉は本當だ。たとえ遠回りになろうと、得られた報がそれしかないのなら俺はそこに乗り込む気持ちに変わりはない。

互いの眼を見つめ合いながらしばしの沈黙の後、が不意に笑いだした。

「くっくくっ、あはははははは。なんだいそりゃ。面白いね、いいよ、あんた」

つい今の今までの間クールそのものだったの笑顔は、とても同一人とは思えないほど、くしゃりと顔を綻ばせているものだった。笑顔そのものはなんとなく実年齢よりも若くみえ、見ようによってはのようにも見えなくもない。いや、もしかしたらこっちの方が実年齢に近いのかもしれない。ともかくの笑う姿は、先ほどまでとのギャップがありすぎて対応に困る。

「いいねぇ、あんた。気にったよ。まさか今時、乗り込むなんて言うやつがいたなんてね。おまけにあたしをレイプするだって? を前にそんなこと言う奴、普通はいないよ」

「普通ならそうかもな。

だが時代に関係なしに、俺みたいなのはいると思うけどな。人が多すぎて見えにくくなった、ただそれだけだと俺は思うね。

もしくは過去が化されているかのどちらかだろう、きっとな」

は何がおかしいのか、さらに高笑いになり腹を抱え込まんと言わんばかりだ。だが俺は、決して自分でいったことが間違ったことだとは思っていない。どんなに輝いてようと、ひしめくの數が多くなれば必然的に影ができて、は見えにくくなる。ただそれだけの話ではないか。

「まあいい。確かに加藤の死に関して確定的なことは言えないが、昨日男が一人、あたしのところに訪ねてきた。今まで何人も報を買いにくる客はいたが、そいつは初めての客だったよ。加藤に命じて我々を探っているやつがいるから、何か知ってるなら教えろとね」

「探してるやつってのはまさか」

「そう、あんたのことさ」

そうだったのか。となると、昨日の三人は真紀や斑鳩の仲間ということになる。きっと加藤は、真紀と斑鳩のことを調べていくうちに、あの連中のことまで知ってしまうことになったのだ。それで加藤の死には納得がいく。今井の時だって、真紀のいった『もう二度と會うことはない』という言葉から察しても、人一人くらいならなんとかなるだろう。

これで構図がはっきりとしてきた。まず昨日の連中は真紀・斑鳩の一味であるが、俺と真紀・斑鳩の関係を知っているわけではなさそうだ。もっというと、俺という人間そのものを知らない風だった。つまり、連中は同じ組織の別の派閥か何かということだ。

黒田は、この連中とは全く別の組織に屬していて、敵対関係にあるというのもはっきりしてきた。昨日俺があんな目にあったのも、このためだったわけだから疑う余地はないだろう。

「最後に、昨日訪ねてきた男というのはどんな奴だったんだ?」

「あんたよりも十センチは確実に大きいやつだった。あたしを前にしても、眉一つかさない男なんて初めてだから印象的だったね」

この時俺は、その男がなんとなく昨日の三人のリーダー的存在だった、あの男のような気がした。

「あんたが加藤に話したのはこれだけか」

「ああ、まあね」

ニヤリとしているの顔は、それだけではないと暗示しているように見える気がしてならない。

「……まだ何か知ってるなら教えてくれ」

眼を細め、鋭くをつらぬく。相変わらず妖艶な微笑のまま、ゆっくりとタバコの管をくわえるは意味ありげに言った。

「なあ、あんた。あたしはあんたが気にったからここまで喋ったが、それ以上はさすがに無理があるってもんだよ。気にったからこそ教えたくないということもあるんだ」

口から紫煙を勢いよく吐きだしている。管を手に持ったまま、立てていた片ひざを肘置きにした。

「……俺に何かしろって言いたいのか」

「おや、察しがいい。あんた、若いが見込みあるかもね」

「それで何をすればいいんだ」

「そう固くなりなさんな、簡単なことさ」

そういうとは、初めて大きくいて立ち上がった。足をクロスにするような足取りで、ゆっくりと近づいてくる。

「ねえ、あんた。しさを保つのに一番の方法を知ってるかい?」

俺は近づいてくるの妖艶さに、ゴクリと生唾を飲んで首を振った。下半は金で縁どられた真っ白な腰飾りが、際どい部分だけをギリギリで隠している。やはり下著はつけていないようだ。が俺の首に手を回し、耳元でひどく悩ましげな聲で囁く。

「単純な話さ。男を抱いて、そのをもらうんだ。それも若い男のをね」

耳に息を吹きかけ、顎の辺りをペロリと舐められる。

「あんたは気にったし、金は加藤に免じて今日はいい。あんたはすっきりして知りたいことも知れる。そしてあたしも、ね……?」

再び生唾を飲み込んだ。心臓がバクバクと脈打っているのが分かる。

「さあ、こっちにきなよ」

いざなわれるまま俺は頷いていた。

夜も十時を廻ったところだ。周りには早くも老若問わず、酔っ払い達が大聲で馬鹿笑いをあげている。

近くまで地下鉄を使って一人訪れたのは、七階建ての小さなビルだ。

「小泉ビル……間違いない、ここだ」

向かいにある水の文字で書かれた看板とマークの有名コンビニ店に、ビル隣にある不産店。教えてもらった住所と地理的にも間違いない。

香織――kaolの本名だ。彼に教えてもらったビルを前にため息を一つ、俺は一階にったテナント橫の階段を上る。楽艶のビルと違い、きちんと一番上まで行くことができそうだ。

このビルの一番上に居を構えているのは、香織からの報によれば所謂ヤクザ者らしい。ただし組としては人數で広域指定暴力団ではなく、幹部連中もしは話のできる連中とのことらしい。俺がここに訪れた理由もなんの因果なのか、なんと斑鳩に関係のある連中だったためだ。

というのも、斑鳩には沙彌佳のいなくなる前から不穏なきがあったのは言うまでもないが、奴の周辺にも何か嗅ぐわしいことがあったはずなのだから、そこを突いてみようというのは當然のことだ。

いつだったか、綾子ちゃんといった縁日の會場に突っ込んだあの車に乗っていた人こそが、ここのビルのオーナーであり、連中の組長だったのだ。いや、今となっては組長だったというべきか。もう死んでしまっているのだから。現在はその時の若頭だった人が新しい組長の座についているらしい。

最上階につくと、右に曲がって左手にある黒い観音扉になっている部屋が連中の事務所になっている。これも香織の報と一致している。

いつの間にか歩く足音を消しているのに苦笑し、扉にそっと耳をやって中に誰かいないか確認する。すると、確かに人の話し聲がするのが分かった。喋っているのは二人のようだ。だが、口を開かないだけで後一人か二人いるかもしれない。もしくはそれ以上だ。

とにかく最低でも二人以上の人間がいるのは間違いない。俺は扉から耳をはなして二度三度深呼吸し、それからノックした。中で話していた聲が止まる。

し間があって、向かって右側の扉がカチャリと開かれた。

「誰だ」

中から出てきたのは長百七十センチちょっとの恐面こわもての男で、年齢は三十代後半といったところだろうか。ヤクザの事務所なのだからやはりヤクザ者のはずだが、恰好はやや青っぽいスーツを著た小灑落たサラリーマンといった風だ。ヤクザといっても、俗にいう経済ヤクザというやつなのかもしれない。

「九鬼ってもんなんだが、あんたらにちょいと話があってきた」

「……こっちに話なんざない。とっとと消えろ」

男が目を細め、あごを使って帰るように促した。

「いいのか。前組長さんのことだっていってもかい」

し前の自分であれば間違いなく逃げ出してしまいそうになるであろう、そんな恐面の男に向かって平然と言ってのけていた。つくづく俺は、変なところで図太い格をしているようだ。

前組長という単語を聞いたとたん、男の視線に鋭さが増した。さすがにゴクリと生唾を飲むことになった。これが迫力というものなのかと脳裏に浮かんで消える。

「……おまえ、なにもんだ」

「ちょいと訳ありのもんとしか言いようがないね。なに、別にあんたらに迷な話をしようってわけじゃぁないんだ。し聞きたいことがあるだけだよ」

「ちょっと待ってろ」

そういって男が扉を閉めた。中にいる組長か何かに伝えに行ったのだろう。耳を澄ますと先ほどの二つの聲ともう一つの聲が、何か言っているようなやり取りが聞こえてきた。

「待たせたな」

再び扉が開かれて、同じ男が顔を覗かせる。中にれということらしい。

部屋の中は、映畫やなにかでよく見るなんともヤクザ者らしい裝だった。焦げ茶をした革張りの三人がけのソファーがガラステーブルを挾んで向かいあって二つ。その隣にヴィンテージ・マホガニーと思われる大きな機があり、卓上には不釣り合いなクリスタルの原石らしきものが置いてあった。

達筆のため、なんと読めばいいのか分からない文字が書かれた紙が額縁にれられて飾ってもある。こういったものはこの組の心得なのか、それともただの趣味なのかいつも考えてしまう。

その部屋の中に男が三人、機の橫に一人とソファーに二人座っている。先ほど喋っていたのはこの二人だろう。そして招きれた男を含めた四人が部屋の中にいたことになる。皆一様に鋭い目つきで俺を見ている。

「おまえさんか、話があるってのは。……隨分と若いな、まだガキじゃねえか」

こちらから見て、ソファーの奧に座っている男が俺を眺めながらつぶやいた。態度と最初に口を開いたことから、この男が組長についた若頭だろう。オールバックの髪型と薄いピンクのシャツの元を開けた恰好は、組長というより若頭の雰囲気そのままだった。

「単刀直に聞く。あんたらの元親分を殺した奴についてだ」

「あ?」

ソファーに座っているもう一人が眉間にしわを寄せて凄んだ。この四人の中では一番積のありそうな奴で、力士か何かに見えなくもない。

招きれた男とともに、機橫にいる奴も俺を見る目に鋭さが増した。

「おいおい、いきなりご挨拶だな。誰が殺されたって?」

「あんたらの元親分さ。ここの組長だったはずだ」

再び奧に座った男に向かって言った。男は他の三人と違い、眉ひとつかさずいたって冷靜だ。小規模とはいえ、さすがに人の上に立っているだけのことはある。だがこちらとしても、そういった態度は予想していたことで驚くことでもない。

「……確かに親父が死んだのは事実さ。だがな、それで殺されたってのは暴論じゃねえのか?」

「……そうだな、あんたの言う通りだ。確かに決定的な証拠はない。それに、仮にあんたが親分を殺そうとしてたにしたって、俺にはなんの関係もないことだしな」

落ち著いて瞬きせず、ゆっくりと男に向かって一息にいった。こういうときに瞬きしたりするのは良くない。瞬きをするということは、それだけで人に焦ったような印象を與えるためだ。

良く大統領選においての討論會や、高度な政治戦や取引などに使われるテクニックだ。人は集中すると極端に瞬きをする回數が減る。他人の目には集中しているふうに映り、それが本気であるというアピールになる。

「ほう? だったら坊やはなんでこんなところに來たんだ。関係のない話ならここに來る理由はないだろう?」

「ああ、そうだ。こいつはただ俺の仮説の上でり立っていることだし、本當だとしてもなんら興味のない話だ。俺が知りたいのは仮に親分が殺されたとして、そいつを殺したのが誰かということさ」

「……そんなわけの分からない仮説の立証のためにここに來たというのか」

「あんたらの元親分はその日、護衛も付けず一人で車を運転していた。理由は知らないけどな。そしてその日の夕方、ある縁日の會場に車で突っ込み、中に乗っていた親分は事故で死んだんだ。頭からと脳しょうをぶちまけてな。

それが一応、公式の死ということになってるが、なんの因果か俺はその場に居合わせたんだ。あの男が死んでいるのを見たが、どう見たってただの事故なんかじゃぁなかった。何者かによって額を撃ち抜かれていた後が、はっきりとあったんだ」

「あ、兄貴……」

力士のような奴が兄貴と呼ばれた奧の男に向かって、明らかな揺のを見せた。この男ほどではないが、他の二人にも驚きのが確かに浮かんでいた。

男も同様で、ようやくピクリと眉をかした。眉間にもしわを寄せている。しかしそれは他の三人のようなバレたといったものでなく、よくも俺のようなガキがといったじだ。

「で、仮にそうだとして、おまえさんはどうしようっていうんだ? そう思うのなら、警察にでも行けばいいだろうが」

「だからいったろ? そんなのは興味ないってな。別に俺はあんたらをゆすりたいとかそんな魂膽は一切ない。単純な話だよ。その殺したかもしれない奴のことを知りたいだけさ。もしかしたら、そいつは俺の知り合いかもしれないんだ。

でもそいつを調べるにはあまりに報が足りない。だからこうして、しでも係わり合いがある可能があるなら……ってわけなんだ。それともう一つ。加藤の弔いも含んでのことだ」

加藤の名を出したとたん、沈黙が下りる。とりあえず、香織の話では話せば分かるという連中だそうだが、さてここからどうしたものか。

今でこそヤクザなんてしているこの男は、元々加藤と知り合いでひょんなことから友が始まった。香織は詳しくは話さなかったが、この連中には加藤に何らかの恩があるらしい。

だからここで加藤の名を出せば、しは有利にことがくはずだ。話せば分かるということは、なるべく手のをひけらかした方が良いということでもある。

「……」

「おまえ、その話誰から聞いた」

「風俗嬢」

短く答える。男は思うところがあるのか、あいつかと言いながら舌打ちする。すると男は何か観念したように問いかけてきた。

「それで。おまえはそいつのことを聞いてどうしようっていうんだ?」

踏ん反り返ったように足を組んで腕をソファーの背もたれにかけていた男は、足を解き、両腕を膝の上にやって上を前のめりにした。

「さぁね。そいつが俺にとってのゴールなのかすら分からないんだ。とにかく今は、手當たり次第ぶち當たっていくしかないからだ」

軽く肩をすくめた。噓は言ってない。本當にどうするかなんて決めてなどいないのだ。あくまで俺にとっての目的は沙彌佳なのであって、それ以上は何かをんでいるわけでもない。もちろん障害があれば、俺は何がなんでもそいつを取り除くつもりではあるが。

「若いってのは向こう見ずだな……ま、おれも人のことを言えた義理じゃないがな。……おい」

男が機橫の男に向かって何か指示をする。一番ほっそりとした男は、それだけで男が何をっしているか分かるのか、すぐに機の上にあった電話をとって男に手渡した。け取った男は直ぐさま番號をプッシュし、耳にをやった。

「……ああ、おれだ。実はおまえさんとこに一人、依頼人がいるんだが今大丈夫か? ああ……ああ、分かった。向かわそう」

そんな短いやり取りの後に男が電話を切って、再びほっそりとした男に電話をやった。

「おまえさんは香織の紹介だからどうこうするつもりはないが、おれの口からは何も言うことはない。詳しい話が聞きたいなら今から紹介するところに行きな」

男は目の前のテーブルの上にあるメモ用紙とペンをとり、さらさらと紙にペンを素早くはしらせる。書き終わるとメモ用紙を切り離し、俺に手渡した。

「M區のRの裏通りに三波という家がある。そこに行ってみな。多分、おまえの知りたいことが分かるだろうよ」

「どうも」

俺は男達を一瞥しドアの方へと移すると、背後から男に呼び止められた。思わずドキリとしてしまう。驚いたことをなるべく悟られぬよう、ゆっくりと首を橫にして男を見やった。

「おまえ、加藤と知り合いなのか」

「ああ」

「……やつはなんで死んだんだ」

俺とは目を合わせせずに、一人ごちるように呟いた男に俺は首を振るだけだった。

「分からない。だが、ただの事故なんかじゃぁないって俺は思ってる。奇しくも、加藤の死とあんたのとこの元組長を殺したかもしれない奴は、なんらかの形で結びついてる可能があるから調べてるんだ」

「……そうか」

男が加藤に恩があるというのは本當なのかもしれない。昔かたぎな奴とは聞いていたが、確かにその通りだ。きっとこの男も、加藤の死を知って衝撃をけたに違いない。うなだれる男を目に俺は黙って肩をすくめ、ドアを開けて部屋を出た。

扉を閉めると、俺はそのままを扉にもたせ、そこでようやく深く息を吐きだした。今頃になってバクバクと、心臓が早鐘を打ち始め張の糸が切れたのを実した。

「……なんとかなるもんだな」

一拍おいて、気を新たに階段を下り始める。全く、いくら口利きがあったとはいえ、まさか、単ヤクザの事務所に行くなんて思いもしなかった。

実際には行くまでの間、とてつもなく不安だったのにいざ扉をノックした辺りから、まるで自分が自分じゃなくなったような気がしていたのだ。おかしなことに、全くといっていいほど張していなかったのだ。アドレナリンが過剰分泌したためなのか、はたまた、何も考えがなかったからなのか。ともかく、良い意味で冷靜でいられたことがうまくことが運んだことに繋がったのは間違いないだろう。

階段を下りながら、男に手渡された紙に目をやった。男が書いていたのはM區Rの簡易地図だ。通りの名前と目印になる建やなんかの名前が書かれ、中心からやや外れたところに目的の場所と思われる印がしてあった。男はただ行けと言っただけで、ここに何があるのか全く見當もつかない。

それでも一つだけはっきりとしているのは、ここは一般人が立ちるような場所ではないということだ。いい加減俺も學習するというもので、ヤクザ者から紹介をけるような場所が普通のところであるはずがない。良くないことが起こりそうな、そんな予があるのだ。

先ほども、電話口で男が俺のことを依頼人などと口走っていたのが思い出される。逃げ出すのであれば、多分今が最後かもしれない。

俺はそう考えてかぶりを振った。馬鹿な。泣き寢りなんて、もうごめんだ。あんな慘めな気分になるくらいなら、危険だろうがなんだろうが、自分で納得がいくまでやると誓ったばかりではないか。沙彌佳のためだったらなんだってすると誓ったばかりなのに、逃げ出すなんてことをするはずもない。

それでも一瞬、ほんの一瞬だが綾子ちゃんのことが脳裏を掠めた。本當にそれでいいのかと。

だがそれも、あくまでほんの一瞬だった。彼のことは大切ではあったが、妹がまだ死んだと決まったわけでもない以上、俺にはあいつを探し出す権利があるはずだ。その権利があり、そうすると決めたからには多の危険があっても俺は行ってやる。そしてそうなった以上、俺にはやれる限りやらなくてはならないという義務もあるのだ。権利と義務……これは常に一でなくてはならない。

ビルを出るとふわりと風が凪いだ。今晩は最近としては寒い夜だ。けれども、つい先ほどのやり取りの後で溫が急激に上昇したには心地が良い。

俺は渡された紙をくしゃりと握って、そのまま上著のポケットに手を突っ込んだ。渡された紙に書かれた場所が危険なのかそうでないかは別に、俺にとって賽が投げられたようなものだ。

の安全を考えれば行く必要はないが、そんなことをしてしまえばもう二度と沙彌佳に會えない気がしてならない。それどころか、會う資格すらなくなってしまうように思えて仕方ないのだ。

やれやれ、全くおかしな話ではないか。沙彌佳と最後に會ったあの日、仲たがいし結果的に綾子ちゃんを選んでしまったというのに、今となっては逆のことをやろうとしているのだ。これがおかしいと言わずになんという。

突風が吹き、寒さにもう片方の上著のポケットにもう一方の手を突っ込んで、中の攜帯を握りこんだ。駅近くにある時計を見ると、すでに二十三時になろうとしている。どうやら今晩は家に帰れそうにないようだ。

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