《いつか見た夢》第71章

まどろみの中からだんだんと意識が浮上し始めるのをじて、目を覚ました。なんとなく甘い匂いにわれたのだ。

そうか、ここは真紀の……。薄く瞼をあけた俺は、ぼんやりとした頭で考えた。昨晩は真紀の車に乗ったまま、あのが滯在するホテルにまでやってきて、部屋に泊まったのを思い出した。もう瞼が落ちてしまい、意識が沈みそうになっていたときに、ホテルに著いたのだ。

襲いくる眠気に気持ちよくなっていた俺は、不機嫌になりつつも真紀の泊まっている部屋まで連れ立ってると、すぐさまベッドに倒れ込んだはずだ。

しかし、今の下著以外取り払われてになっている自分のりを見る限り、真紀が服をがせてくれたのだろう。ついでに布団もかぶせてくれていた。

「目が覚めた?」

俺の橫に下著だけの姿で真紀がそういった。

「あんた……」

こいつの妖艶ぶりを示すみたいに、下著は紫をしていた。おまけにそれが、意外なほど良く似合っているのがどうにも目の毒だ。まぁ、かといって起きぬけからにむしゃぶりつきたいとは思わない。ましてや、目の前のがあの藤原真紀であるのなら、なおさらのことだ。

「その恰好で寢てたのか」

ぼんやりとしながらも、そう口にした。真紀は俺よりも早く目を覚ましていたようで、すでにいつものすました表をしている。

「そうよ。寢るときはいつも下著だけど、それがどうかしたの」

「いや。そいつはそうかもしれないと思っただけだ」

つまり俺は、このと再び一つ屋の下で、一晩を過ごしたことになる。最初のときは寢巻を著ていただけに、あの頃から相応に時間が経っているのだなと、慨深い気にさせられる。

「なに。私がこの姿で寢ちゃいけないの?」

「別にそんなこと言ってないだろう? あんたらしいと思っただけだ」

ぐっと背びしながら、俺は起き上がった。いつも思うことだが、なんで起きぬけに背びをすると、こうも気持ちがいいのだろう。

「それより、起きてたんなら服を著てくれないか」

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「あら、気になるの?」

「さぁな。だが、いい歳した人でもない男の前でいる恰好じゃぁないな」

ベッドからおりて洗面所へと向かった。両手に水をためてみると、ずいぶん水が冷たくじる。どうやら今日は、外気溫が最近としては低いのかもしれない。

冷たい水でもって顔を洗い終えると、橫から純白のタオルが手渡された。

「あなたって、変なところでうぶよね」

「なんの話だよ」

タオルで顔を拭き終え目の前の鏡に目をやると、真紀はいまだガウンを羽織ることもなく、下著姿のままだった。

「普通、いい歳したがこんな恰好でいたら、もっと違う行にでるはずなんじゃない?」

ニヤリとしたがどうにも妖艶さを醸し出しているが、このにそんなことをされても正直にいって、欝陶しいだけなので無視して話を切り上げた。

「ところで、あんた今日はどうするんだ」

「どうって」

「俺は今日からまたくつもりだ。それであんたはどうするんだと聞いてるんだ」

真紀の橫を通りすぎ、ベッド脇のソファーにかけてあった服を著て、攜帯で現時刻を確認した。ちょうど朝の九時になったばかりで、普段の俺からするとかなりの早起きだ。

「食事はどうするつもり」

「もちろん、朝食くらいはとるさ。寢起きの食事ってのは必要だろ」

真紀の質問に頷きながら、攜帯をしまった。それから部屋から出ようとして立ち止まる。

「そういうあんたこそ、朝食はどうするんだ。なんだったら――」

あんたも一緒にどうだと言おうとしてやめた。こんな臺詞、俺が真紀を口説いているみたいではないか。

俺はたとえ噓でも、このにそんなことを言いたくはない。

真紀のことだから、いったらいったらでまた何かいってくるにちがいないのだ。だったら、それをわかっていながら、わざわざ自分からそんなことをいう必要もないだろう。

「なに?」

いいかけた俺に、真紀が続きを促すように聞いてきた。それにかぶりを振って、軽く肩をすくめた。

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「いや、なんでもないさ。それじゃぁな、また何かあったら頼むぜ」

真紀への捨てぜりふとしては上々だなんて思いながら、俺は立ち止めた足を、再びドアに向かってかした。まぁ、きっと真紀のことだから、また勝手なことばかりとでも毒ついているかもしれないが。

ホテルのレストランで朝食をとったあと、足早にホテルを出てタクシーに乗り込んだ。今日も早速、マーロンのところに行くつもりだった。

郊外とはいえ、昨晩ロンドンで起こった出來事が、あの親父の耳にはいっていないはずはないだろう。ホテルのロビーにあった新聞の朝刊にも大々的に一面を飾ってあったのだから、何かしら他の報を摑んでいるにちがいない。

タクシーの運転手に行き先をつげると、運転手はすぐに車を発進させる。さすがに一流ホテルお抱えのタクシー運転手で、アクセルの踏み出し方ひとつとっても、かなりのものだった。発進させる時に、全くの振じさせずにきだしたのだ。

そんなタクシーでシティ周辺にくると、やはりいつも通りの混み合だったため、そこでタクシーを乗り捨てた。ここからなら、歩いていったほうが早い。

いつもであれば、真っすぐにマーロンの店に直行するところだが今日はそうはしなかった。やつが開店準備をし始めるのは、早くとも午後の二時頃からだ。こんな時間では、まだ店にすらいないだろう。

そこで俺が向かうのは、マーロンのよく足を運ぶ場所だ。近年、ロンドンでも東京同様、夜に働く人間目當てに朝方、あるいは晝前まで店を開けているパブやバーなんかがある。マーロンはそういった店に足を運んでいるはずで、それが日常であることはとっくの昔に調べあげてあることだった。

親父がよく足を運んでいるのは、店の看板はおろか、店の名前すら書かれていないパブだ。名前など知らなくても、場所は知っているのだから問題はないが。

飲み屋が軒を連ねているストリートの、一畫からさらに奧まった場所にあるその店は、灰の石の壁を強引にくり抜いて、そこに焦げ茶をした木の扉を取り付けてあった。

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一見してここが店だとは、とても思えない作りだ。そう思えるとなると、當然ここが何時から何時まで経営しているのかも、わかりようがないのだ。俺も、マーロンの親父がここを使っているというのを知ることがなければ、例外ではなかっただろう。

木の扉を引き開けて下へと続く、壁と同じ石の階段をおりていく。階段は薄暗く、気をつけなければ頭をぶつけてしまいそうになるほど、天井は低い。

やや急勾配になった階段を、頭をぶつけないように一番下までおりると、右に店のガラス張りになったドアがあり、中の様子をうかがえるようになっていた。しかし、そこから見る限りではマーロンの姿は見えない。

俺はドアを開けて店へとった。外界からる際に通った、はじめの焦げ茶の木の扉と同じ素材の木を使ったテーブルと椅子、それにカウンターや壁に打ち込まれた柱も同じものであることが窺える裝だ。

電気を使った照明は、店の天井中央にのみ暗い橙をした電燈があるだけで、あとは全て蝋燭のだけであるため、店はぐっと落ち著いた雰囲気になっていた。

そんな店には、やはり夜の労働を終えて、一杯やっている同業者らしい者たちが數人、酒を飲みかわしながら肩を寄せ合っている。

そんな中、カウンターの奧まった場所に見知った顔をした男が一人、ぐっとウイスキーをに流し込む姿が目に映った。探していた人であるマーロンだ。

探し人を見つけて俺は、さっそく隣まで歩みよった。

「よう、やっぱりここにいたな」

「なんでぇ、おまえ。どうしてここがわかったんだ」

「一応なんでも屋だぜ、俺は。ある程度は報屋みたいなこともやるんだ、あんたほどはなくともな。ま、あんたがここにいるかどうかは、なかば勘みたいなもんだったんだけどな」

「それでわざわざ、おれのとこに來たってことは、何か買いたい報があるってとこか」

マーロンの言葉に頷き、マーロンと同じものを頼むと俺は、すぐさま本題を切り出した。

「あんた昨晩の件、もう聞いたか」

「郊外の倉庫が瓦礫になってたって話か」

「さすがだな。耳が早いぜ」

ニヤリとの端をゆがめ、小さく頷いた。

「やれやれ、そのためにわざわざ俺を探しにきたなんて、俺もされてるねぇ」

肩をいからせて笑い、マーロンはショットグラスに殘りないウイスキーを一気に呑んだ。

「冗談はいいから早く教えろ」

「へぇへぇ、気の短けぇお客さんだ。

……それで、昨晩の件だったな。まず、おまえはどこまで知ってるんだ?」

「大して知りはしないさ。まず、あそこの所有者を知りたい」

「あの倉庫は、例のマフィアのものだぜ。ベケットとは違う奴らのだ。連中、東地區に専用の取引場所を作るために、あの倉庫を買い取ったらしい。あの辺りは例のサブプライム問題で真っ先に放置されたから、はした金だったろうな。

だが、あそこはテムズ河が近いせいもあって、かなり手引きしやすい立地だな。そのうえ、買い手もほとんどつかない場所であれば、考えようによっちゃ悪くはない」

「ベケット以外となると、二つに絞られるがどっちかな」

「そりゃぁ、前回の取引で、ベケット達ともう一方を相手取ったほうに決まってるさ。奴ら相當、金狂いらしいからな。

ともかく、自分達の縄張りが荒らされたんだ、やっこさん、相當お冠だって噂が早くも流れてるぜ」

マーロンに相槌をうって、目の前に置かれたウイスキーのったグラスに、口をつけた。

「あの辺りに不審な人がいたということはないか」

「それさ。この數日のあいだ、あの辺りに見かけない男が一人うろついてたって話だ。

連中は、そいつが今回の件となにか関係があるんじゃないかってんで、やっきになってるらしい」

おそらく、その人こそ例の黒づくめの男だ。だとすれば、そいつがすでにこの世にいないとわかるまで、まだしばらくはかかるだろう。あれほどの瓦礫の下敷きになったのだ、死を掘り起こすまでどんなに短くても、一週間か二週間はかかるはずだ。

さらに、連中が探して回っているとなると、あの男が間違いなく連中とは関係がなかったことを示している。しかし、プロである奴がなんの前報もなしに、連中の所有している倉庫をアジトになどするだろうか。考古學者じゃあるまいし、偶然だったと片付けるのには、あまりに早合點しすぎだろう。

奴は、あそこがそういった場所だと知っていて、ほとんど使われることがないというのも承知の上であそこを選んだにちがいない。もちろん、何かあったときの用心のために、有利になりそうなポイントとしてもだ。

つまり、奴にはメイヤーからの依頼以外に、何か他の目的があったと見ていい。むしろそのためにメイヤーに近づいた……こう考えたほうが合理的だ。そうでもないと、わざわざマフィア所有の件を一時とはいえ、アジトになどするはずがない。

ならば、奴の目的とは一なんだったんだろう。

「他にはないか?」

「やはりマフィア絡みでもう一つある。ベケット殺しの件で、マフィアが靜観してたろ? それがなぜか、昨日あたりから連中のきが妙に慌ただしくなってる。昨晩、俺の店にもそれらしい連中がきて、何か知らないかと言ってきたな。

なぜ突然、き出したのかは今のところはっきりしないんだが、どうも昨晩、西地區のほうであったお偉方のパーティーが臭いな」

「どういうことだ」

「こいつは、連中の言葉を斷片的に拾いあつめた推測にすぎん。それでもいいか?」

さすがマーロンといったところで、相変わらず慎重な言いだ。もちろんそれは、この親父の頭の良さに結実しているからだろう。

そう聞いてくる親父に、俺はただ頷くことしかできない。なにかしら、報がほしい今は推測であっても聞いておくべきだが、この親父に限っていえば、推測もかなりの信憑があるものだ。

「話によると三つの組織は今、協定を破棄して仲たがいの狀態になっているらしい」

「なんだ、隨分と唐突な話だな」

「俺もそう思ったんだがどうも、最近はそうじゃなかったらしい。多分、発端は例の取引の失敗だろう。

しかし……おまえもわかっちゃいると思うが、取引が失敗したのに連中が大人しかったのには、裏がある。それが」

「昨日のパーティーだった、あんたはそいいいたいんだな」

そうだとマーロンが強く頷いて肯定した。

「実をいうと、昨晩もよおされたパーティーは前々から予定されていたものらしくてな、かなりの大が招待されていたそうだ。中には、海外からの重鎮がいたっていう話だ」

「海外からの重鎮だと」

「ああ。それもフランスからの客人だそうだ。

おまえもご存知とはおもうが、我が國とフランスは大層仲がよろしくない。まぁ、おまえの國でいえば韓國や中國との間柄に近いといえばわかるかな。

あのパーティーの主催は、國のナンバースリーといえる人の側近だ。いや、側近というよりも、事実上のナンバースリーだろうな。相談役というやつさ。

政治家のスポンサーともいうべき人なんだが、こいつがまた臭い奴でね。四十を過ぎたばかりの若造だが、二十歳そこそこの時分から、商売敵から政敵まで自分の前に立ちはだかる奴は、全て葬ってきたという男だ。事実、その年齢にして、國でも屈指の株長者だからな。

それとともに、やっこさん、例のベケットとも繋がりがあったみたいでな。いや、それどころじゃねえ。ベケット達は當然、ほかのマフィア連中の資金源にもなってるって話さ。というよりも、ほぼ確実にそうだろうな。

そんな奴だから、周りからの評価にはやたらと気にしているんだ。ま、無理もない話なのかもしれんがな。

とにかく、そんなやつにとって、昨晩のパーティーは重要だった。今マフィア連中にロンドンで騒がれると奴の面子は潰れかねない。だから奴が連中を止めていたってとこだろう。

でナンバースリーの黒幕である男からの命令とあれば、マフィア連中といえど、いうことを聞かざるをえん……そういうことだ。ましてや、連中にとっての一番のスポンサーなわけだしな」

「そして、そいつは三つのマフィア稼業からも利益をあげている……ってわけか。全く、ボロい商売気だな。

まぁ、いい。それでそいつの名は」

「ボネット、ウィリアム・ボネットという名だ」

「ウィリアム・ボネット」

名前をしっかりと脳みそに記憶させ、俺はしっかりと頷いた。きっとこいつとは何か一悶著ありそうな予があったのだ。なぜそうじたのかはわからないが、とにかく、こいつのことを知っておいて損はない。

それにしても國が違えど、政治家とギャングの癒著なんて當たり前にあるものだ。まぁ、それを悪いだなんて青臭いことをいうつもりもないが、連中が驕っていて、実際にはどうしようもない連中だというのは間違いない。金持ちなんていう奴らを信じることなんて、俺にはできない。

「しかし、いくら資金源といっても、連中だって汚いながらも仕事はあるんだろう。いいなりってのはし考えがたいところだな」

「そこさ、ボネットの強運とでもいうのかな。いや、相當のキレ者だそうから、はじめから奴は計算していなかったとも言い切れないな。

ボネットは、テムズ河口一帯の地権なんかも持ってるって話を聞いたぜ」

「テムズ河口一帯か。それは、例の東地區の再開発事業も當然からんでるんだろう?」

「相変わらず察しがいいな、その通りだ。あの後に、そのへんのことを俺なりに調べてみたんだが、ベケット達がロンドンに拠點を遷すことになったのも、どうやらボネットの口添えがあったらしい」

それからもマーロンは、ボネットに関することを教えてくれた。もちろん、今回は報を買いにきたのだから、金は払うつもりだ。

ベケット達がリバプールからロンドンに遷った理由は前に話してくれたので知っていたが、それをうまくことを運ぶよう、裏を合わせてくれたのがボネットだったわけだ。

他にも、ボネットがテムズ河口一帯の土地の権利を持っていることに関しても、マフィアの輸に目をつむっていることが窺える。そして東地區再開発も奴が関わっているとなると、昨晩の倉庫や住宅街一帯も、ボネットが一口噛んでいると見て間違いない。

するとだ。これらのことからメイヤーの雇ったあの殺し屋が、このあたりの事実を知らなかったとは々考えにくい。むしろ、メイヤーが語っていたことを思い出せばあの殺し屋は、ボネットが雇ったスパイだったと考えたほうがいい。まぁ、はじめからボネット配下の暗殺要員だったとも考えられるが。

ともかく、ボネットに命令されてあの殺し屋はメイヤーに近づき、メイヤーは見事にそれに食らいついたわけだ。そして、ここからは俺の推理になるが、ボネットは、もはやマフィア連中を見限ろうとしているのではないか、ということだ。

英國第三位という肩書をもった男のバックにいるほどの奴なのだ、利用できる奴はどこまでも利用するが必要なくなれば、必ず始末をつけようとするだろう。

俺のこれまでの経験からも、こういった権力者というのは多かれなかれ、必ずそういったことをやっている。ましてや、そんなポストにいて、若い頃から気にらない奴らをたたき落としていった奴なのだ、そうでないはずがない。

政治家なんてのは、あくまで金持ちどもの駒にすぎない。ボネットのようなタイプの人間にとって、國第三位の人間のバックにいるというのであれば、いつまでもマフィアなんかと組んでいたいとは思わないだろう。ましてや、奴に暗殺要員ないしはフリーの殺し屋を雇うような金とコネクションがあるなら、當然だ。

もしこれから先、マフィア連中との癒著が知れれば、せっかく築きあげてきたものが、瞬時にして瓦礫へと変わっていくのだ。権力をしがる人間にとって、マフィアみたいな連中より、世間的にいう公的機関を味方につけたほうが、はるかに建設的だと知っているのだから。

他にも、ボネットに関することを聞き出した俺は頭を回転させながら口を開いた。

「ボネットに関してはわかった。あんたはフランスからの客人といったが、誰なんだ、そいつは」

「ああ、間違いなくオーギュスト・ジャックモンドだろうな」

マーロンの話によれば、この六十近いフランス人の男はフランスではかなりやり手の経営者らしく、國でもその筋では有名なのだという。

今回は、ジャックモンド含む數人の経営者らがわざわざロンドンにまで來たのは、ここロンドンをフランスから出て世界進出するための足掛かりの第一歩にするためで、國外初店舗を出すための視察なんだという。

「ジャックモンドは経営者だが、幾人もの後続の経営者を育て上げた奴だ。その経営手腕はその筋じゃ有名で、その名は業界じゃドーバー海峽をこえたここロンドンにまで屆いてるくらいさ」

マーロンはそういうとグラスに余っていたスコッチを、一気に飲み下した。それを見た俺も、マーロンに習ってグラスのスコッチを一気に半分ほど飲み込む。

「ジャックモンドか。そいつに関しては何かないのか」

「こいつはいたって健全だ。まぁ、なにをもって健全とするのかは別として、ボネットのような黒い噂なんかは聞かないな。純粋な経営者なんだろう」

そんなフランスからのゲストに対してあんな大規模なパーティーをやるくらいだから、ボネットのやつはやはり、かなり周りからの評価を気にするやつなのは間違いない。

おまけに、そんなやつが主催したパーティーにメイヤーのような學者も呼ばれるとなると、ボネットのやつはもしかしたら、はじめからこうなることも予想してメイヤーに取りった可能もある。

「マーロン、あんた、ボネットの出資先についてはわかるかな」

々あるぜ。鉄道や航空産業にまで出資しているみたいだった」

「他にはないか? たとえば、研究の分野かなんかだ」

俺がそういうとマーロンは怪訝な表で眉をひそめたが、すぐに眉を一度大きく上げて、すぐに元の表に戻った。報屋という職業柄、マーロンも薄々、俺が単なるなんでも屋ではないということに勘づいているかもしれない。

「……そういえば投資とは違うが、バーミンガムにあるボランティア団に獻金しているって話は聞いたことがある。そのボランティア団の行はてんで怪しいところはないんだ。まっとうな団といっていい」

「その中に誰か有名な人はいないだろうか」

「いるぜ。やはりチャールズ・メイヤーって名の伝子學者だ。他にも、地元の名士や政財界にも顔のきくやつもいるらしい」

……やはり。ボネットのような奴は下の人間を使わずに、自らいて対象に近づいていくはずだ。そのほうが、相手も警戒心を解きやすいためだ。

ボネットのやつは、もしなにかあった場合、人を介して知り合うより直接の知り合いであるほうが、々と融通が利きやすいというのをわかっているのだ。

これでますますボネットが、はじめから駒として使うために、メイヤーに近づいたという風に考えたほうが良さそうだ。きっとメイヤーのことを調べあげ、いらなくなったマフィア連中をけしかけるように仕向けていったのだ。

他にもいろんなやり取りがされたとは思うが、要約すればそんなところであると見てほぼ間違いない。今まで敵という敵を、全て葬ってきた男らしいから、そんなことは朝飯前だろう。

「そうそう、こいつはサービスで教えておいてやるぜ。ボネットと客人であるジャックモンドとは、元から知り合いらしいぞ。

ボネットのやつは學生の頃にパリに留學していたんだが、その大學で経営學の教鞭をとっていたのがジャックモンドだって話だ。

それとジャックモンドは當時、経営學者でありながら伝子學方面でも博士號をとってもいるらしい」

経営學者がまさか伝子學にまで手を出していたとはしばかし驚くが、まぁ、全く関係のない分野の博士號を持っている人間自は、學者の世界では決して珍しいことではない。日本でも近年ではヨーロッパ同様、全く違う分野で博士號を持っている者も出始めているらしいから、別におかしな話ではない。

それよりも俺が気になったのは、ジャックモンドが伝子學を勉強していたということだ。

伝子という、ボネットとジャックモンドの意外な共通點を見つけた俺には、一瞬にして全てが繋がったと確信できた。

ボネット自伝子について勉強していたのかは別にしても、先のったケースをめぐる騒から推測すれば、奴もまんざらでなかったと見るほうが自然だ。

おそらく、殺し屋の男は例のったサンプルケースは、メイヤーに渡してないのではないのか。奴がメイヤーに渡そうとしたのは、同じようなケースにれられた、あるいは中はすでに他のに変わった、全く別のだったのではないのだろうか。

あの殺し屋がボネットの息がかかった奴であることは間違いないことであり、そのボネットは目的のためなら、どんなこともやる、あるいはやらせるような奴だ。そんな奴があのサンプルケースを、メイヤーのような人間に渡すだろうか。

はっきりいって考えにくいことだ。中だけ別のにすり替えて、あの取引場所に偽を持って行かせたに決まっている。ましてやボネットは、意外なことに伝子學方面の知り合いと、ずっと以前から知り合いだったわけだから、あのに興味がなかったとは思えない。

奴は伝子學という隠れた興味をダシにメイヤーに近づき、今回のマフィア一掃のための駒にしようと仕向けたのは、もはや疑いないことだと思える。

何も知らない一般人なら、証拠もないのに何を……とでも聞こえてきそうなものだが、それこそ素人判斷というやつ以外に言いようがないだろう。人を疑って當然という職業につくと、悟りでも開いたみたいに、とたんに事が見え始めるものなのだ。この世は、決して綺麗事なんかでは回っていない。

まぁ、この世が綺麗事で回っていないからこそ、たまにある、"談"というやつに人々はするんだろう。そして、まだこの世の中も捨てたものじゃないというふうになるわけだ。

「ありがとうよ、知りたいことは大わかったぜ」

俺は大いに満足いく報を聞けて頷いた。財布から無理矢理に詰め込んだ五十ポンド紙幣の札束から、適當に何枚か摑んで周りから見えないように、さっとマーロンのジャケットのポケットに突っ込む。そのあと、殘りのスコッチを一気に胃の中に流し込むと、おもむろに席を立った。

「もういくのか」

「ああ、知りたかったことは知れたしな。これ以上、あんたの時間を邪魔するわけにもいかないさ」

「けっ、日本人ってのは、なんでそんなことを気にするんだ? 日本人は意外と心が狹いみたいだな」

「くっくっく。そういうなよ。俺も日本人の無駄に気をつかうところは、あまり好きじゃぁないさ。徳とは思えないね。

だけど殘念ながら今は仕事中なんでね、しばかり急ぎの用事があるんだ」

俺は適當にマーロンをあしらい店を出た。今日は雲一つない快晴で、りも屆いていてこの時期にしては珍しく暖かい。

それに今日は祝日とあってか人の往來が激しく、俺はあえてそのストリートを、チューブとは反対側に向かって歩き始めた。

さて、俺がこれから向かうのはシティのほうに向かっていく途中にある、武屋だ。ロンドンは結構安全な街であるため、こういった裏の商売をあきなっている連中は多くない。この點は日本に近いだろう。

むしろ、隣は海峽を越えたパリなんかのほうがはるかに危険で、薄汚い街だ。ロンドンに流れてくる以前、ほんのしの間だけパリに住んでいたことがあるが、花の都なんていう敬稱とは裏腹に、どちらかというと鬱げな印象をもたせる街だった。

別に住むんであればパリでも良かった。あの街はなんでか外國人が自分を外國人と思わせなくさせてくれる、不思議な魅力があったからだ。

なのになぜこのロンドンに移り住んできたかというと、なんのことはない。仕事で々トラブったのが原因だ。

フランスにはいわゆる警察というのが存在していて、こいつらとなんの因果かめてしまったのだ。

警察とはいったがもっといえば諜報機関で、フランス対外治安総局(DGSE)と呼ばれている機関だ。まぁ、ロシアのSVR、アメリカのCIAと置き換えればいい。常任理事國には必ず、この手の諜報機関が存在している。

このフランスの機関は前の機関である、防諜外國資料局(SDECE)と呼ばれた機関が一九八二年の政権代を機に、名稱をDGSEへと変わったことから現在に至るわけだが、もちろん、連中の仕事容が変わったわけではない。相変わらず、世界中にスパイを差し向けて諜報活を行っているのだ。

特に、かつてのフランス領だった國々には常に工作員を派遣していて、なにかあればすぐに対応できるようになっている。フランス領だった國々は、やはり反仏が強いため、それらから生じる反対活、抵抗運なんかの抑止にあたるというわけだ。

當然、抑止というのは政治的渉のことではなく、の報復なので、この諜報機関によって命を奪われた者は數知れない。

有名なのは二次大戦中の四○年代に、アルジェリアで行われた諜報活だ。この頃はまだSDECEではなく、報活中央局(BCRA)と呼ばれていたが、基本的な中は言わずもながらだ。こいつらはアルジェリアでの一般市民もお構いなく殺してまわったこともあり、フランスは國際的な批難を浴びたこともある。

おまけにこの頃、アルジェリア側からスパイがフランス國に潛したという報のために、それらと疑わしい人間はフランス人であれ、潔白の者であれ関係なしに処罰したことが、ますます國からの批判、アルジェリア側とのをうんだ。

そのために國からは、ナチスに寢返った者もいたほどで、他にもアルジェリアをはじめ、アフリカのフランス植民地になっていた國々からは、ナチス・ドイツに肩れしようとしていた國もあったのだ。

新世紀になった今もこういった歴史的な事実のために、フランス植民地だった國々からはドイツに対し、親獨を持った國がなくない。

俺がそんなDGSEとめたのは、単純な話だ。仕事で、ある人を殺してほしいと依頼をけた俺は、すぐさまそいつを始末しにいく準備をしていた。そして、いざその時を迎えた日、突然、俺の寢座に厳つい連中が押しってきたのだ。

なんとか、その不粋な連中を返り討ちにして仕事を済ませようとしたところ、今度も直前になって邪魔された。しかも相手はプロの殺し屋で、こいつをなんとか締め上げてみたところ、なんとDGSEだったのが判明した。

どうもターゲットのほうに、暗殺者が狙っているという匿名の電話がはいっていたらしい。俺は間抜けにも、そんなことも知らず暗殺ポイントに向かっていたことになる。

そして、この匿名の報提供者こそ俺の依頼人で、後になってわかったことだが、そいつはDGSEの局員で幹部といっていい人間だった。つまり俺という殺し屋を雇ってダシに使うことで、自分の株をあげようとしたわけだ。

暗殺が失敗しても事前に知らせたことで、ターゲットからの信頼が得られる。暗殺が功しても、やはりそいつにとっては好都合……どっちに転んでもおいしいということになるのだ。おまけにターゲットはDGSEの局長という大だった。

もちろん、俺はコケにされた當然の権利を遂行すべく、依頼人だった男の脳みそをぶちまけてやったのは、まだ記憶に新しい。

こんなわけで、俺はフランスを離れることにしたのだ。いったんは日本に戻り、その後にここイギリスにやってきたのだ。

俺の好きなローリングストーンズやザ・フーといったバンドの生まれ故郷だったし、昔、ガキの時分の俺にとってヒーローだった、ジェームス・ボンド、シャーロック・ホームズを生んだ國といった、憧れみたいなものもあったかもしれない。

シティに向かってメインストリートを俺は、休日を楽しんでいるような面持ちをしながら、心ではやや張した気分で歩いていた。というのも、マーロンのいた店を出てすぐに、尾行されているような気配をじたのだ。

たまたま映ったビルの鏡みたいに研きあげられたガラスに、その尾行している奴を窺えることができたことで確信した。全く素人じみた尾行者は、おそらく店にいた連中の一人だ。店にったとき、店にいた連中の服裝を瞬時に見分けたが、そいつの服が、店の中にいた奴の一人の服と酷似していたのだ。

俺は何食わぬ顔で人々のあいだをって歩きながら、大勢の人が立っている差點にさりげなく近づいていった。そろそろ信號が、赤から青に変わろうとしていたからだ。

尾行者は、ガンでもつけているのかと思えるほどの視線で俺を見ている。実際に見たわけではなくても、背中にビンビン視線をじさせてきていることから、それは間違いないだろう。

おそらく尾行者は、俺が差點にきていることもあまり気にはしていまい。これだけの人間がいれば、たかが尾行者の一人や二人を撒くのに、なんの造作もない。

だが、かといってあまりに簡単に撒くわけにもいかない。尾行が素人全開なことをうかがわせることから、プロというわけではないだろうが尾行者には、なぜ俺をつけてきているのか、何者なのか、はっきりさせる必要はあるのだ。

差點にくると、すぐ信號が変わった。人々が一斉に歩き始める。

やや大で、空いた隙間を蛇行するみたいにして進んでいく。あっという間にストリートを橫斷し、さらにその先にいる集団の中に紛れ込んでいった。

尾行者は焦ったのか小走りに俺のあとをつけてきた。それを気配でじ取った俺は、ビルとビルの間の脇道にきたとき、さっとそこにった。

脇道にはいると走りだした。きっと尾行者は俺を見失ったと思って、完全に焦っているにちがいない。

もちろん、こちらもただ闇くもに撒こうとしているわけじゃない。この先には、ハイドパークほどではないがわりと大きめの公園があり、そこにい込むつもりだった。

その公園はハイドパークに比べあまり人気ひとけのある公園であるため、"尋問"するにはちょうど良い。

脇道もあまり人がいないので、走っている俺を見つけるのも決して難しくはあるまい。尾行者にこちらを見失ってもらっては困るのだ。

脇道の先にまでくると、目の前にある公園が目にはいり、ややスピードを落とす。公園の門からると、すぐにビルのになって見えなさそうな脇の木を隠した。

ここからなら、尾行者が近くにくればすぐにでもわかる。さてどうしてくれようか……。

尾行者の追ってきている様子を木からちらりと窺うと、ようやくそいつが脇道から出てきて、あたりをキョロキョロと見回しているところだった。

俺は、目の前の公園に行くか、それとも両側に続いている道を行くべきか迷っている男を、じっくりと観察していた。どうやら、他に尾行者はいないようだった。そもそも、対象に尾行が気付かれてしまうような素人の尾行をしているほどだから、多分一人だとは思っていた。

ともあれ、こうなるとこちらからしてみても好都合だ。幸い、この辺りはいま人影も一切ない。俺はいったん木を隠し、息をひそめた。

周りに人がいないこともあって、先行していた俺がいないとなると公園にったはずだと、男がこちらに向かって足早に歩いてくる。

公園にってくると、足が芝生の上にある落ち葉を踏みしめる音がして、すぐそばまで來たことがわかる。歩く音が最大になったと思われたとき、俺は木のから男の服の元とともに元を親指で思いきりつかみ、もう片方の手で男の右手を後ろ手に組ませて木にぶち當てた。

「よう、さっきから人の後ろをつけるなんて、どういうつもりだい」

「なっ、なにしやがる、放しやがれっ」

こちらが元を押さえているというのに、男はやかましいくらいのび聲をあげた。俺は構うことなく男の元を親指で強く押さえ、さらに摑んでいる腕を思いきり締めあげる。

男がぐっという苦悶のき聲をもらした。尾行していた男は、背丈が俺よりもいくらか低く、歳は三、四歳ほど年上と思われる男で、二十代半ばといったところの風貌をしていた。いや、白人は日本人なんかと比べるといくらか老けて見えるので、実際にはまだ二十五にも達していないかもしれない。

「さて、あんたには答えてもらうぜ。なんで俺をつけていたんだ」

しゃべりやすいよう、元の指だけは放してやったが、まだ元を摑んだままにしておく。何かあっても、これならいつでも締めあげてやることができる。

「し、知らねえよ、おまえのことなんて。偶然、おまえと一緒の道を歩いてきていただけだろう」

「見えいた噓はやめるんだな。だったら俺が走りだしたとき、なんでおまえも走りだしたんだ。おまけに、そこの道を出てきたとき、明らかに俺を見失って狼狽していたじゃないか」

そうまくし立てると、男が押し黙る。俺はわずかに摑んでいる腕に力をこめた。

「さぁ、人がまだ優しいうちに吐いたほうがいいんじゃぁないか? 先にいっておくが、あまり嘗めた態度をとらないほうがいいぜ。もしそんな行をとったりしたら、俺はおまえの摑んでいる腕の骨をぶち折るくらいは簡単だ」

続けてまくし立てると、俺の本気が伝わったのか男は、わかった、しゃべるよと焦るようにいった。

「お、おれは人に頼まれておまえをつけてただけだ。別に恨みがあるとか、そんなんじゃねぇよ」

「誰に頼まれたって?」

「うう、知らねぇ……昨日になって突然、一人の日本人が俺に、今日おまえを尾行するよう頼んできたんだ。一年、二年じゃ到底稼げないような額のゲンナマを渡されたら、誰だってそうするだろっ?」

男が慘めに、早く放してくれとぶ。だが、まだ男を放すわけにはいかない。おそらく、その日本人らしい男とは、昨晩の殺し屋であることはほぼ間違いないだろう。そうそう同じ日に、一連の出來事に関わっている人間を、あの殺し屋とは全く違う日本人がこんな素人を訪ねるわけがない。

となるとあの男は、はじめから俺を狙っていた可能が高い。話の途中から、俺を始末しようなどといい始めた男だが、それが噓で、はじめから始末する気でなければ、わざわざ俺を尾行させようなどとは思わなかったはずだ。

だが、その行につじつまがあっても、その機はなんなのかという疑問が殘る。もちろん、今まで何人もの人間を地獄に墮としてきた俺なので、始末してきた人間の関係者が恨みをのんで依頼した、というのは考えられなくもないことだ。

だがあの男は、俺を狙っていたにしてはおかしい節があったのは否めない。奴が俺の名を知っていたのは間違いないにしても、なぜか顔だけは知らなかったのだ。だから俺が名を告げた際、妙に驚いていた。

いや、名を知っていて顔を知らなかったのは、もしかしたら俺の名は業界に知られていても、顔寫真はまだだった可能はあるはずなので、おかしいことではない。

奇妙だと思える點は、はじめから俺を狙っていたように思わせるのに、それでいながら名前しか知らなかった、という點だ。

奴の俺と出會うまでの行は、俺を狙っていたと仮定したほうがつじつまがあうのに、どうして、俺の名前しか知らなかったのか……。

ターゲットにしているのなら、はじめからこちらの顔を知っていて當然のはずだ。なのに奴のあの態度は、間違いなく俺の顔を知っている風ではなかった。この矛盾は一どういうことなのか……。

まぁいい。それは、この男をさらに締めあげればわかることもあるかもしれない。この男には、まだいくつか聞きたいことがあるのだ。

俺は時折、苦悶のきをらしている男にさらに質問をあびせ答えるよう、うながしていった。

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