《いつか見た夢》第72章

薄汚い地下から這いでてきた時は、すでに日も傾いてきていた。空が朱になり、それが薄くなっていくとだんだんと紫っぽいから青くなって、ついには黒に染まる。

そんな誰もが知り當たり前のことも、ふとした時に見上げてみてみれば、思いの外、慨深い気分にさせられるものだ。

しかし、そんな気分とは裏腹に辺りには、すえた臭いが漂っていた。再開発が進むロンドンではあるが、ここだけは別だ。いまだ暗い雰囲気があり、何かあれば人間の一人や二人が消えても、なんの不思議もなさそうなほどなのだ。

ましてや、時間ももう夜になろうという時間だ。そういった雰囲気が、より一層深まっていく。事実、裏路地から出ると、ここに赴いた一時間ほどまでとは比べものにならないほど、ストリートを歩く人影がなくなっていた。

の犯罪者らが、しずつき始める時間帯になるわけだが、まぁ、そうだとしても、よほど刺激することがなければ大したことはない。連中は、そのほとんどが盜っ人やチンピラばかりだからだ。

一般人であっても、財布の中をさっと出してしまえば、それだけでことなきを得ることが大半なのだ。いくら連中でも、殺人となればやはり、そうそうできるものではないのだ。

今の時代、たとえそれがチンピラであろうとホームレスであろうと、あらゆる底辺にいようとも階層の住み分けがなされているものなのだ。人間というのは、どんな狀況であっても、常に自分よりも慘めな者をみれば、安心してしまうという心理からくる現象なのかもしれない。

さて、もし縦に階級分けをするとなれば、間違いなくロンドンの最下層ともいえる地區を歩いているのにはわけがあった。

俺はまず、晝にハイドパークをほぼまっすぐ、北に一キロほどいったところにある街の一畫に、行きつけの武屋がうっそりと店を構えている。いうまでもないが、わかりやすいようにはなっていない。古ぼけた小さなオフィスビルの中の地下一階に、ガンミュージアムと銘打たれているものだ。

Advertisement

名前の通り、これらはかつて二次大戦、米ソの冷戦時代の頃に英軍が使っていた武で、目には見えないが壊れてしまっているために廃棄されるはずだったものを、軍からの承諾を得て、こうして展示しているらしい。

格段、この手の銃だなんだの武に興味があるわけではないが、職業柄、自然とこういったものにも目がいくようにはなった。

昔は、こういった銃や戦闘機、戦車に潛水艦といった類いのものを興味津々に見ている連中など、やばい奴らだと思っていたものだと、つい思い出し笑いを浮かべてしまう。

今でこそ、職業人としてそれなりの知識をにつけたつもりだが、俺は今も昔もそういったものよりも、音楽を聴いたり、知的分野での読書なんかのほうがはるかに好きだ。まぁ、読書は沙彌佳からの影響も否めないが。

ガンミュージアムの番をしている男に話しかけると、すぐに線でここの支配人が呼び出される。この支配人こそ、俺が使っている武商人なのだ。

彼に武がほしいと耳打ちすると、小さく頷いて彼は、いつもの場所に、と短く告げた。それに俺が頷くと、彼は再び奧に引っ込んでいった。

あとは取引するための、いつもの場所に行きさえすれば、そこに俺に合わせた武が置いてあるというわけだ。そこに俺が武と引き換えに金を置くという寸法で、そのほうがお互い足がつきにくいうえに、互いに信頼されてさえいれば、取引もスムースにいくのだ。

とりあえずは用事を終えることができはした。しかし、新たにやることができたため、すぐに移しなくてはならない。俺は先ほど締めあげた若いチンピラからの報をたよりに、そこを訪れるつもりでいたからだ。

ガンミュージアムを出た俺は、さっそくそこを訪れるべくビルを出る。結局、あのチンピラから聞きだせたのはマフィアどもの城と、マフィアどもが今になって騒ぎだしたことについてのみだった。

連中が騒ぎだしたことは事前にマーロンから聞いて知ってはいたが、あくまで推測の域を出ないものだった。もちろん、あの親父のことだからそれだけでも十分、納得のいくものだった。

Advertisement

あのチンピラから聞けたのは、やはりそれを補強するもので、さらにはそれだけでなく、連中同士だけの爭いではなくなっているというものだった。

話によると、連中の中には今回の取引の失敗のために、ベケットら一味による報復だとんでいる者もいるらしい。連中同士の仲たがいだけでなく、組織でも上からの命令に憤りをじて、ひそかに行を起こしていたのだという。今回のマフィア騒は、こういった連中が騒ぎ立てているようだ。

ベケットの一味は誰がベケットを始末したのか、麻薬を買い取るはずだった一味はベケットらが、あるいはそれとは違う連中がやったのか。もう一方はこの二つ以外にも思いつくことがあるに決まっている。

つまり、今回の一件に関して、まだ連中は互いに誰がことの原因を作ったのかわかってはおらず、疑心暗鬼になっていることがこれらのことから理解できる。もしそいつがわかっているなら、こんな騒を起こすはずがない。

それとともに、俺としても悠長に構えてはいられなくなってきたのも事実だった。 いわゆる過激派とでも形稱していいのか、この連中にとっては俺は間違いなく憎い相手であるはずなのだ。

ベケットが組織ぐるみで俺を雇ったと見られる限り、誰が俺を依頼しようと提案したのか、誰が俺のことを知っているのか、見當もつかない。

もし知っている人がいるとして、そいつが他のマフィアどもに捕えられてしまったら……もちろん、実行犯である俺のことを喋るに違いない。連中のことだから、しでも自分の助かる道があるのなら、俺のことなど簡単に見限るに決まっている。

やれやれ……こんなはずではなかったはずなのに、想定していた最悪のパターンで事がいている。しかし、いつまでもうるさくいっても仕方がないので俺は、ある紹介人を訪ねることにしたのだ。その人は裏世界の住人には非常に顔のきく人で、俺も何度か世話になったことがある。

Advertisement

今俺がロンドンでこんなにまでひっそり……とまではいかないが、裏世界の住人でありながら比較的穏やかに暮らせているのは、間違いなく彼のおかげといってもいい。

その名をデニスといって、ファミリーネームは聞かなかったのでわからない。そもそもがこの世界の住人達は、ファミリーネームを捨てている者もなくないので、デニスもそんな人間である可能はある。まぁ、本人が名乗らない以上は、そこらへんはどうでもいいだろう。

俺は、組織からの給品や恩恵はなるべくけないように心掛けているため、イギリスに國する際に、パスポートを用意してくれたのがこのデニスだった。

デニスはまだこの業界にりたての俺に、なんでか良く計らってくれた人で、個人的にも數ない信頼をもてる人だ。なんで、こんなどこの馬の骨とも知れない俺に良くしてくれたのかはわからないが。

まぁ、今回はそのあたりを含めて訪ねるつもりだった。もしかすると、最悪を想定している俺としては、この國から出ないといけなくなることも考えられないわけではないのだ。そのためにもやはり一度、彼に會っておいたほうが良いと判斷したということもある。

最寄りのチューブから彼の以前住んでいた地區に近い駅の、二駅手前で降りた。ここからは歩きでいくことになるのだが、そのためにはルールがあった。彼がいつも住む場所を変えているからだった。

デニスはその顔の広さから、スコットランドヤードからも危険人と指定され、ブラックリストに載っているほどの人なのだ。

そこでそんな彼と接するには、いくつかの手順が必要になってくる。まず、降りた駅から南に歩いて十分ほどのところにある、私設書籍箱に赴く必要がある。俺はその書籍箱の場所にまでくると、さっそく箱を開けて中を確かめた。

中には一枚の便箋がれられており、その便箋の中にある紙を手にとって読むと、同地區にある郵便局に行けと書かれてあった。文字は、筆跡鑑定されないようパソコンで打たれたものが印字されてあり、それ以外は一切書かれていない。

頼りはそれしかないので、黙って指示にしたがい俺はただちに、郵便局に行くことにした。イギリスは日本ほどは郵便局が多くなく、郵便局といっても數は限られる。

しかし、候補はいくつかあるわけだがそんなのはさしたる問題ではない。いうならばこれは、ぞくにいう作戦の一つといっていい。

もっとも必要になるのは便箋の中の紙に書かれた容ではなく、便箋につけられた郵便局の消印こそが、真に指示された郵便局ということになるのだ。

誰だって便箋の中に紙があれば、その紙に書かれたことが手掛かりになると考えるのが普通だ。これはそんな心理的な盲點をついた、いい作戦といえるだろう。

かといって、手紙の容が重要じゃないというわけではない。これらの中にも何かしらのヒントがないとは言い切れないのだ。デニスは、そこに書かれた全てのものに注意を払えといっていたのだ。

俺は書かれている文章と、便箋袋にられている鳩のイラストのった切手から、印字されている消印まで隈なく記憶し便箋袋はダストシュートにほうり込む。中の紙はジャケットのポケットに突っ込んだ。これはデニスが、場所を探らせないための一つの手段らしいので、それに従うつもりだ。

俺としても、彼を危険にさらすつもりはない。自分にとって必要な人間を危険にさらせば、いざというときの手段もその分減るわけだから、そういうわけにはいかないのだ。ましてや、それが有能な人間であればなおさらだ。

この汚れた世界だからこそ、信頼というものを失うことは文字通り、死に直結しているのである。

さて、便箋袋は捨てたが中の手紙を捨てるわけにはいかない。便箋と中の両方が必要になってくるかもしれないからだ。

デニスが以前、俺に教えてくれたやり方はこうだ。まず書簡のはいった場所へ行き、そこから中の手紙をとって確認する。そして便箋袋に押された消印の郵便局に行く。手紙の容はあくまで、警察や公安といった連中からの目を欺くための狂言容になっている。

さっそく消印に記されていた郵便局に向かうが、向かうあいだに次のヒントがなんであるかを予想しておく必要がある。郵便局員が何かを知っていて伝えてくるかもしれないし、局にある、なにかしらのヒントを自力で探し出さなければならないかもしれないからだ。

これらは半ば運によるところが大きく、デニスの謎掛けゲームを攻略する必要があるのだ。まぁ、非常にイギリス人らしい、手の込んだやり口といえる。

これがおおまかな手順だ。こういった伝言推理ゲームが二つか三つあったあと、最後に記されることになる場所にデニスがいる、あるいはデニスの使者がいるということになる。

郵便局に著くと、局にはそろそろ窓口閉店の時間とあって、局員らは慌ただしくいていた。窓口の閉店となると、俺としても早くしなければならざるをえない。

幸か不幸か、窓口はすべて対応していることもあって、こちらに注意を向ける者はいなかった。俺以外にもまだ數人の待っている客がいることから、まだしばらくは時間が稼げそうだ。

ロビーの端にいすわった俺は、注意深く局を見渡した。壁は昔ながらの石の壁だが、床はきちんと、大理石から薄く切り出したものを何百枚も敷き詰めてある。わりと歴史のある郵便局のようだ。

これは郵便局いがいにも銀行などにもいえることだが、ヨーロッパではこういった昔ながらからの場所に拠を構えているものは、非常に歴史が古く、対応する窓口カウンターもやり方がそのまま昔のままなのだ。

ここは大きな郵便局であるため、天井もビルの吹き抜けといわんばかりに高く、人の話し聲から書類をめくる音、さらには人々のく音が広いホールに反響して、かなりうるさく聞こえる。

また、ホールに立てられているいくつもの四角柱には、それぞれの面に四方を囲むみたいにして、大きな鏡が取り付けられてあった。それが一つの防犯に繋がっているのかもしれない。

俺はジャケットから手紙をとりだして再度、容の文を確かめた。郵便局に行け、何度見ても文面には英語でそう書かれているだけだ。これ以外のヒントは一切ない。

となると、だ。局員の誰かがなにかしらの伝言をけ取っていて、それを俺に言おうとしているか。あるいは、局のどこかにヒントが隠されているかだが……。手紙から顔をあげ改めて局を眺めてみた。

ほんのしの時間だったはずなのに、窓口の局員たちは次々に対応をし終えて、閉店業務にはいっていた。空いた窓口に數人いた客たちもそこへいって、何かやり取りをしている。

すると局を、日本でも聞き馴染みのある曲が流れはじめた。よく、帰り時を示すときに流される、『家路』だ。この曲が流れると、対応のしていない窓口からは次々に局員が窓口カウンターではなく、奧にある自分のデスクのほうへと移していっている。

この様子だと局員に、何かしらのヒントを與えられている可能はなさそうだ。元々、自力でやらなくてはデニスに會う資格は與えられないというもので、そう考えてみると人に何かを聞かなくてはならないというのは、はじめから選択肢としてないも同然かもしれない。

しかし、こうも與えられているヒントがないとなると、本當にここで合っているのかといった疑念も浮かぶ。そんな間抜け、かつ、嫌な考えを軽くかぶりを振って否定した。

まさか。デニスの伝言ゲームのルールを考えれば、間違っているなどとはありえない。知的なゲームは、小難しくはしてあっても必ず、わかる人間にはわかるように作られているはずだ。

全くわからないように作ってしまえば、それはただの自己満足でしかないし、なにより知的な人間が匿しようとしながらも、それらをほのめかすみたいにすることで、これはこうなんだ、自分は知っているんだというアピールができない。ヒントが全くないとすれば、それはゲームとして意味がないのだ。

「お客様、本日はどのようなご用件でございましょう」

デニスとの無言のゲームに頭を回転させていたところ、六十は過ぎてあと一、二年もすれば定年、といった初老の男局員が聲をかけてきた。なりからみると、典型的なイギリス紳士を絵にかいたみたいに、制服をきっちりと著込んでいる。ちなみに、イギリスの定年は日本よりも五年長く、六十五までだ。

「ああ、いや。探しがあったかもしれないと思ってきてみたんだが、違ったかもしれないんだ」

自分でも苦しいかと思える言い訳に、苦笑いを浮かべて肩をすくめた。

「探しでございますか? どんなでしょう」

「あー……」

そういわれることまで予想していたにも関わらず、どういえばいいのかまでは全く思いつくことがなく、いい澱んだ。

「失禮、紙とペンをお持ちいたしましょう」

初老の局員はそんな俺の態度を、言葉では言い表しにくいと判斷したようで背を向けて、まだ空いている窓口カウンターに移していった。

この隙に逃げようかとも思ったが、そういうわけにもいかない。ここのどこかに伝言ゲームの次のヒントが隠されているはずなのだ。

それでもなにも考えが浮かばずに、ふと口のほうを見たところフロアを磨きにきたのか、ビルの清掃員がってきた。同時に、窓口カウンターを越えた先にある壁にかかっていた時計が定時刻を知らせ、下の部分から、ぽっぽぽっぽとおもちゃの鳩がでてきてうるさく鳴いた。たまたま自分のいる位置から見えた鏡に、おもちゃの鳩が見えたのだ。

しかし、それがヒントになった。その鏡に映った鳩が、あの便箋にられていた切手のイラストと似たような構図になっていたのだ。

「お待たせしました、お客様」 

先ほどの初老の局員が手にペンと紙を持って、再びやってきた。

「今日は清掃員がきているんだな」

何気なく、そうつぶやいていた。

「はて、清掃は今日ではなく明日だったと記憶しておるんですが……どういうことだ」

初老の局員は、ってきた清掃員のほうを見やりながら、怪訝そうに告げた。

「今日じゃない?」

局員のなかば獨り言に近いつぶやきに、俺はまだ鳴いている鳩が映った鏡のほうを見た。まさか……。

「すまない。せっかく持ってきてくれたのになんなんだが、やはりここにはなかったみたいだ」

「はぁ……」

突然の俺の言葉に、局員は目をし見開いてつぶやいた。なんなんだ突然、とでも思っているのかもしれない。

それでも局員は、禮儀正しく頭をさげてってきた清掃員のほうに歩みよっていった。どうやら、彼はここの責任者かなにかなのだろう。

局員が清掃員のほうに向かっていったのを見計らい、ようやく鳴くのをやめ再び時計の中に引っ込んだ鳩が映っていた鏡に、足早に向かった。幸い、誰もこちらを見ている者はいない。

鏡の前にきた俺は、さっそく鏡になにかないか手短に調べてみた。見たところ、これといって何か書かれているわけでもない、どこにでもある普通の鏡だ。だが、特定の場所から見た場合にのみ、イラストと似たような構図になるのであれば、これが偶然とは思えない。

偶然だとしても、もしデニス、あるいはその周りの連中がこのことを知ったら、なにかそれらしいものを仕込むはずだ。俺ならそうする。

もちろん、外れである可能もないわけではない。けれど、外れるかもしれないと弱気になったままでは、結局はなにも進展はしないのだから、調べてみるだけの価値はあるはずだ。

そういうわけで、俺はこの鏡の表面にれようとして、思いついたようにそっと下から裏側を覗きこんでみた。すると鏡の裏側に、なにかが挾み込まれてあった。

鏡を持って、柱との間にできた隙間に手をいれて、それを素早く抜き取った。

「こいつだ。間違いない」

誰にも聞こえないような、小さな聲で一人つぶやいた。こんなところに不自然に挾み込まれている一枚の紙が、次の招待狀でないはずがない。

俺は人目を避けるために柱の裏に回り込み、折りたたまれていた紙をすぐに開いて確認した。清掃員からあるけ取ること。文面には簡潔にそう書かれていた。

紙をジャケットのポケットに突っ込んで、俺は先ほどの局員に口うるさく、なにかいわれている清掃員のほうへ歩みよっていった。

「まぁまぁ、間違いは誰にでもあるさ。そう咎めることもないだろう」

とりあえず客である俺にそういわれると、さすがの初老局員もバツが悪そうにしている。普段は、あまり客の前ではそんな姿は見せないよう、徹底しているのだろう。

「……まあいい。今度からはもっと気をつけてくださいよ」

そういい締め、初老局員は俺にたいして軽く會釈して立ち去った。話によると、會社には今日、この郵便局の清掃が予定されていたらしく、わざわざきたらこんな対応で困していたらしい。

「……悪いな、あんたのおかげで助かったぜ」

「いいさ。それよりも、デニスから何かメッセージをけ取ってるはずだ。そいつをよこしてくれ」

「あ? 誰だって?」

眉をひそめて、清掃員はなにをいってるんだと言わんばかりの怪訝そうな態度で、そういった。

「おいおい、あんたこそなにいってるんだ」

それでも清掃員の態度は変わらず、その態度からは本當に何も知らなさそうだ。もちろん紙に書かれていたことを信じるとすれば、彼として考えられるのはこの清掃員くらいしか考えられないが、どうにも違和があった。

「ったく、最近ついてないぜ。わけのわからんこと聞かれるわ、じいさんにどやされるわ……」

ぶつぶつと獨り言をいいながら、彼は仕事のために広げていた道を直し始めていた。そんな彼を見ていると俺はふと、あることに気がついた。清掃員からけ取るよう指示されてはいても、必ずしもそいつがわかるように口伝されているわけではなく、わからないように暗號化されているんではないかと。

典型的なイギリス人としての気質を持ち合わせたデニスのことだ、脳みそをひねらせなければわからないというのは、十二分にありうる話だ。いや、むしろはじめから、それが當たり前と考えるべきだった。

この清掃員がなにも聞かされてないとなるとあと考えられるのは、清掃員がにつけているものの何かがヒントにされているか、彼が乗ってきた車かだろう。それ以外は、清掃員である彼とは関係のないものばかりなので、あまり考えられない可能だ。

ため息をつき、道をしまい終えようとしている彼を見る限り、あまり暗號化されたヒントをにつけているわけではないようだ。ポケットに何かれてあればわかりようもないが、それはないだろう。隠すようなヒントなどであれば、はじめからヒントとして隠す必要がない。

となると、外に廻してあるはずであろう、車に焦點がうつる。車となれば必ずある、ナンバープレートだ。こいつになら、思いつくのはこれくらいしかない。

もちろん、それ以外にもなにかないとは言い切れないので、まだ外に出る気配のない清掃員よりも早く、車のところにまでいってみる必要がある。々、無理があるかもしれなくとも、今はそれに賭けるしかない。

俺は早々にこの場をはなれ、外に停めてあるはずの清掃會社の車のあたりにおもむいた。白に青やら赤、黃やらといった極彩にいろどられたバンで、タクシーのように、上にはCLEANINGと書かれてあるランプが取り付けられてあったので、すぐにわかった。

當然、まずはもっともそれらしいと思われる、ナンバープレートを盜み見た。LOの二文字から始まるアルファベット四文字と、その後ろに數字が並ぶ形式のナンバープレートは、EUでは統一されている形式だ。LOとは、登録地がロンドンであることを示している。ちなみにイギリスでは日本やアメリカと違い、ナンバープレートは全てプラスチック製だ。

しっかりと記憶し、他になにかヒントになりえそうなものがないか、手短にバンを調べる。

調べてみたところ、特にそれらしいものは見當たらない。見當たらないが、それがまた頭の痛くなる事実にもなった。ナンバープレートに書かれてあるものがなんらかのキーなり、パスワードであったりするかもしれないが、仮にそうであっても、次はどこに向かえばいいのか……それが一切わからないのだ。

(くそ……一、どうしろっていうんだ)

こうも手掛かりがないと本當にここで合っていたのか、やはり不安になってしまう。しかし、鏡の後ろに紙があったという事実が、その不安を打ち消した。

そうなると、俺が紙を見つけてからここまでの間のやりとりに、なんらかのヒントが隠されてある、と見ていいだろう。何か見落としていないか……。

その間のやり取りを順を追って思い出してみたところ、あの清掃員がつぶやいていた獨り言を思い出した。ほんのささいなものだったが、もしかすると、そうかもしれない。

『ったく、最近ついてないぜ。わけのわからんこと聞かれるわ、じいさんにどやされるわ……』

わけのわからんこと……これが、次のヒントに違いない。俺は直でそう思った。ここまでの短いやり取りのあいだで、何かそれらしいことがあったとすれば、これ以外にはない。

俺は天啓でもうけたかのごとく、すぐさま引き返して、先ほどの清掃員のところに戻ろうとした。しかし、彼はすでに郵便局を出ており、こちらに仕事道を持って向かってきていた。

「なんだ、あんた。まだなにか用なのかい」

「ああ、たった今、あんたに用事ができたよ。

あんた、さっきわけのわからんことを聞かされたと言っていたな。一どんなことを聞かされた」

「はあ? なにいってるんだ、あんた」

わけがわからないといった表をしている清掃員に、とにかく教えろと、なかばわめき立てるみたいにしていうと、彼は肩をすくめて告げた。

「まあ、いいけどよ。おかしな話だぜ。今朝、日課になってるビルの玄関を掃除していたら、そばをホームレスのじいさんが通っておれにわめき立ててきたんだ。バスに乗れバスに乗れってな。

多分、バンに乗ってきてたおれに何か思うことでもあったんだろうな」

くつくつと笑う清掃員にたいして、俺は適當に相槌をうちながら考えを巡らせた。

バスに乗れ……間違いなく、これは次のメッセージだ。當然、乗るバスは、ロンドンの代名詞のひとつである二階建てのバスだ。今は赤いをしたバスは舊型となり廃止されているが、それでも観ルートを回るものとしてなからずいている。まぁ、なかば赤いバス自が、ちょっとした近代文化産のようなものになっているわけだ。

現在は、新型も二階建てになっていたりするが、舊型にはなかった乗車口に自扉が取り付けてあったり、車掌がいたことに対し、ワンマンになっていたりなど、経営の効率化とサービスの向上がされているらしい。

そんなバスの路線に乗らなくてはならないわけだが、きっとナンバープレートの數字が、乗らなくてはならないバス停の數字にあてられていると推測される。プレートの數字は『8194』の四つだったので、単純に考えて、乗るバス停と降りるバス停の數字であるとわかる。

清掃員に小さく禮をいい、すぐに近くのバス停を探した。探すとはいうが、大都市に相応しく、ほんの一ブロックか二ブロックに一つはバス停があるのでたいしたことはない。

やはり、歩きはじめて二、三分もすると、すぐにバス停が見つかった。バス停に書かれている數字を見ると、『68』と書かれてあった。『81』のバス停に行くには、ここからだと二十分はかかりそうな場所にあるようだ。

ちなみにロンドンのバスは、各國の都市にある地下鉄のように、乗り換えができるバス停が存在している。數が多いわけではないが、東西南北に向かう路線への乗り換えが可能になっているのだ。こうすれば、ルートを無駄にたくさん回りすぎずにすむというわけだ。中心の渋滯をなるべく避けようとする配慮かららしい。

『94』番のバス停で降りた俺は、れ代わりでバスに乗り込もうとしてきた客から、すれ違いさまにさっと何かをけ渡された。ここまで自分のとってきた行が正しかったということだ。

バスが次の停留所にむかって走りさっていくのを見計らい、素早く手渡されたものを見ると、一本の鍵であった。家やビルの管理キーとは違って小さな鍵で、小さな箱か何かの鍵に思えた。

俺が小さな箱の鍵と思えたのは、これが銀行の貸し金庫にある鍵と同じように思えたからだ。おまけに、目の前にはこしらえてあったみたいに銀行だ。

「ここしかないよな」

もうここまできたのだから、信じていくしかない。俺は意を決して、銀行の中へとっていった。銀行は郵便局に続いて、そろそろ窓口終了の時間にきているようだ。

忙しそうにしている行員のに聲をかけ、貸し金庫が使えないか尋ねてみると、快く案してくれた。シティの銀行と比べると、あまり厳重なものでない貸し金庫なのかもしれない。

されると行員のは、それではごゆっくりと一禮して來た通路を引き返していった。このシステムはかなり古いシステムなので、金庫自にはあまり重要なはないだろう。しかし、今の俺にとっては必要なことだ。

目の前にあらわれた金庫は、引き出し狀の金庫になっていて、それがいくつも納められてあった。それら一つ一つが個人の貸し金庫になっているわけだが、本當にここでいいのか、いまひとつ判斷によわるところだ。

俺は目の前の金庫群の一つ一つにつけられてある、ナンバープレートを見つけて確認していく。おそらく、先ほどの車のナンバーと同じナンバーがあるはずだ。それがこの鍵の金庫に違いない。確証などないがここまでこれたのだ、自分の判斷を信じたほうがいい。

『8194』のプレートを探しているうちに、『8』から始まるプレート群があらわれた。固唾を飲みながら近い數字を探すと、『8193』と書かれたプレートの次に、たしかに『8194』の數字が書かれたプレートがあった。

こいつで合っているはずだ。俺は渡された鍵を、ナンバープレートの橫にある鍵に差し込んで回す。カチリという控えめな音がして、その金庫の鍵があいた。結果からいえば、これで合っていたというわけだ。

金庫をあけて中にあるケースを取り出す。ケース自にはなんの錠もないので、開けることはわけないが、問題はなにがっているのかという點だ。経験上、もうそろそろデニスの居場所がわかるところにきているはずだが、これを見る限りではまだ何かあるかもしれない。

ケースを臺におき素早くあけると、中には一枚の書面がっていた。俺はそれを見て、思わずニヤリとを歪ませた。これは典型的な暗號文を記したものなのだ。

書面に書かれてある文章を、定められた數に従って文字を飛ばしていく。三という數字であれば、その文字から三文字飛ばした文字を。四であれば、そこから四文字飛ばすといった合だ。

今回は、當然ながら『8194』なので最初の文字から八文字飛ばし、次の文字は一文字を、次は九文字を飛ばして文字読んでいく。それを繰り返していくと、一つの文章が浮かび上がってくるという、かなり古典的な方法がデニスらしいやり方だ。

すると、一つの文章が浮かび上がった。そこには、東地區にあるI地區の工業地帯の地名が記されていたのだ。そこで待つと明記されてある地域は、俺の寢座からほんの二駅のところにある地域だ。どうやら、デニスのやつはかなり俺の近くにいたらしい。

あの辺りは工業地帯とはいっても古い地域で、昔は石炭を錬したりするのに地下にまで工場こうばを作ってあり、そのためにちょっとしたアンダーグラウンドタウンになっている場所もあると聞いたことがある。

今の時代、アンダーグラウンドタウンなんて見かけなくなってしまったそうだが、その跡地なんかを、やはり城にしている者はまだいるらしいのだ。

デニスのことだから、地下にいるとは言い切れないが、だからこそ地下に潛っているともいえなくもない。だからこそ、奴はいまだ警察から何十年も姿を消し続けていることができるのだ。

いたる所に拠點を遷し続けるデニスも、ようやく、それらしい場所にをおいたようだ。それでもあと一年としないうちに、そこから姿を消してまたどこかにひっそりと、息をひそめるに違いない。

普通であれば、こんなにまで拠點を変えるのは危険きわまりないが、それを簡単に行ってしまうあたり、デニスの凄さであり、彼を必要としている人間達からもそのために協力させることができる、重要な人であることが窺えるというものだ。

ともあれ、なかばわらにも縋るようなものではあったが、ようやく、デニスの謎解きゲームも終わりに近づいたというわけだ。

俺は近くのチューブを経由して、I駅を降りた。そこから一昔、あるいは二昔は前に建てられたと思われそうな小さい雑居ビルが立している路地を、適當に進んでいった。これらの路地は昔の名殘で、地下にるカムフラージュのために建てられたものがあり、そのせいでどこかに地下に口に通じているのだ。

駅周辺はそうでもないのに、一歩奧まったところにり込めば、たちまちここらは半世紀前、一世紀前の東地區を彷彿とさせるような治安の良くない雰囲気が漂い始める。俺の住むアパートもお世辭に治安が良いとは言い難いが、ここらはそれ以上だ。

辺りにはゴミが散していて、一いつそこに捨てられたのかすらわからない大きなゴミ袋がいくつもあった。それだけならまだしも、野良貓なのか野良犬なのか、はたまたホームレスのものかと思わせる、糞尿すら転がっているのだ。

もちろん、何に使ったのかすら想像もつかないような、化學質のカスなんかと一緒にだ。まぁ、それでも昔のパリに比べればマシだというから、昔のロンドンやパリの路地など想像したくもない。

それらの放つ臭いが混じり合い、思わず眉をひそめて息をとめた。地上こそこんなだが、地下はそうでもない。なので地下にるまでのあいだ、我慢すればいいだけのことだ。

そうしている間に、視線の先に地下へと続く口が目にはいった。あとは、地下のどこかにいるはずのデニスに會えればいい。

俺は一人、小さく頷きながら地下へ続く道を進んでいった。

      クローズメッセージ
      あなたも好きかも
      以下のインストール済みアプリから「楽しむ小説」にアクセスできます
      サインアップのための5800コイン、毎日580コイン。
      最もホットな小説を時間内に更新してください! プッシュして読むために購読してください! 大規模な図書館からの正確な推薦!
      2 次にタップします【ホーム画面に追加】
      1クリックしてください