《いつか見た夢》第77章

誰かの話し聲に似た音と、ミシリというの鈍い痛みに目を覚ました。うっすらと開けた瞼によって、視界はまだ薄暗い。

それとともに視界に飛び込んできたのは白い天井と、同じをした壁、それに本來ならそれらとを同じくした床は差し込むに焼けたのか、かすかなブラウンに染まっている。おまけに今ベッドに寢かされていることも明らかで、やはり同じ白いのシーツとかけ布団がかけられてあった。

考えるまでもなく、ここは病院だった。が訴えるこの痛みから察するに強くどこかにぶつけたんだろうが、うまくをとったのか、劇的な痛みのする箇所は今のところはじられない。けれど問題はどうしてこんなところにいるのか、そして一この狀態はどうしたものなのかと、まだぼんやりとした頭でどういった経緯でこんなところで寢ているのか、記憶を巡らせる。

確か……田神のアジトである古ビルから、俺を狙ったらしいスナイパーの正を探ろうとしてアジトを飛び出したとき、目の前に何人もの警察がビルの前に陣を敷いていた。そこを強行突破し、道に出たときに……そうか、そうだった。ちょうど道に出てきた車とぶつかったのだった。

より正確にいえば、曲がり角だったため、運悪く出くわした車に向かって俺がぶつかりにいった形になる。逆にいえば、だからこその軽傷だといえそうだ。もちろん、向こうも狹まった道ということもあって、徐行運転に近い速度だったというのも不幸中の幸いだったといえる。

「くそ、ドジったのか」

おそらく俺はバリケードを敷いていた警察連中によって、ここに連れてこられたとみて間違いないだろう。こう結論づけたとき、思わずそうつぶやいていた。その聲に反応したのか、部屋の隅のほうでゴソリと人のく気配をじた。

「目が覚めたようだ」

落ち著いて冷靜さをじさせる男の聲がしたあとに、こちらに向かって歩いてくる足音があった。一人でないことは言葉のニュアンスから確かだが、その足音は二人分ある。

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「気分はどうかな」

俺を見下しながらそういう男は、いかにもインテリといった印象を抱かせる。

「……」

男の問いに答えることなく、じっと黙り込む。二人が何者なのか気になるところではあるが、それ以上に気になったのはインテリ風の男の後ろにいる男だ。どういったわけなのか、男は俺に対して睨みつけてきているのだ。

「まず、君がどうしてここにいるのか、理解できるかな」

この質問にも俺は答えることはない。どう答えようと、自分にいい結果にはなりえないというのを理解していたからだ。この狀態の人間に対して、なにも心配そうにしていない態度はどう考えたって、連中がこんな狀態にした張本人に違いないのだ。

「おい、てめぇ! 黙ってねえで答えろやっ」

だんまりを決め込んだ俺に向かって、後ろにいて睨みつけていた男が突然、塞きをきったような怒聲を張り上げた。馬鹿でかい聲で、周りの空気が瞬間に発するような振をもって震わせたすらあるほどだ。

「おい落ち著け、南部」

「うるせえ! これが落ち著けるもんかよ、佐々木! こいつが……こいつがぁ!」

南部と呼ばれた男は、今にも俺の倉を摑もうという勢いだが、それを佐々木と呼ばれたインテリ風の男が何度も落ち著けといい窘める。南部とかいうほうは、よほど俺のことが気にらないらしい。

「毆ったところでなんの意味はない。それにそれをやったら、おまえだってただじゃぁすまないかもしれないんだぞ」

「やかましい! んなこたぁ、わかってるっ」

聲でガラスがビリビリと震しているようで、南部が怒聲をあげるたびに周りの窓ガラスが放つ反が形を変えている。

「……そうか、あんたらは刑事か」

二人の関係と、佐々木の言葉から裏を読んでみたところ、二人は刑事だと思われた。まぁ、車に激突したらしい俺がこんな場所で寢ているのなら、二人が刑事であってもなんらおかしい話ではない。となると同時に、ここが警察病院であることも間違いないだろう。

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俺は二人の様子を冷めた目で見ながら、ぽつりとつぶやいた。それに佐々木が頷いて答える。

「……そうだ。その様子だと、だいぶ意識がはっきりしているみたいだな。車とぶつかったのだから何かあってはまずいと念のため脳検査なんかもしておいたが、目立って悪い部分は見當たらなかったというからな。

もう理解もできているだろうが君は、我々によって逮捕されている。罪狀は、殺人に銃刀法違反、傷害罪と公務執行妨害だ。それと違法滯在や、テロ行為ならびにスパイ容疑もかかっている」

「テロ容疑だって?」

男の言葉を聞いて、一瞬わが耳を疑った。テロだと? 誰が? 俺がか? 一、どういったわけで俺がテロ容疑にかかったというのだ。他の罪狀にいたっていえば、それは十二分に頷けるものなので別に文句はない。それでも、テロ容疑というのはどう考えたっておかしい。濡れではないのか。

第一、俺がいつどこでテロルなど起こしたというのだ。確かに俺は人殺しではあるが、至ってまともだ。無差別に人を殺したことなど一度だってない。あるとすれば、仕事で依頼された連中の部下を始末してやっただけだ。そうしなければこちらも危険なのだからた當然だ。

中にはもちろん、要人もいなかったわけじゃない。だがそれを始末したというだけでテロだなんて、これはどう考えたって甚だおかしいことではないか。

スパイ容疑だというのも笑える話だ。おそらくこれはデニスの計らいでもらったパスのおかげだろう。今現在はパスの戸籍上、九鬼という姓を名乗っていないため、それが朝鮮や中國なんかのスパイだと思われたと考えればわからないでもない。というのもこれらの國にも當然、諜報部というのが存在しており、その中でも特別に対日本報部があるためだ。

これらの國では、時に反日を植え付けるための教育プログラムがなされることすらある。だから日本人である俺が、わざわざ偽造パスで國してきたとなると、何かあるに違いないと勘繰られるのは當然というわけだ。あるいは中朝國家はもちろん、それ以外の國による現地工作員かもしれないといった疑だろう。

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おまけに田神の部屋に転がりこんでからというもの、そういったこととは一時的にとはいえ無縁なっていた狀態だった。その直前まで俺を尾行している連中がいたことを考えれば、警察や公安が俺に対して余計な確信を深めたとしても、決して不思議はない。

しかし一番の問題は、俺の持つパスがなぜ偽だとわかったか、である。もちろん、公安の人を疑い調べあげるノウハウなんかを嘗めるつもりはない。偽造である以上、どこかでバレないという保証などありはしないのも、また確かだ。

それでも、偽造がバレる瞬間というのはまず空港から降り立って、國審査をけるときなのだ。このときにバレなかったのに一年以上も経っていまさら、というのは々つじつまが合わない。

おそらく、國してからこの一年と數ヶ月のあいだで、誰かがそういった報をリークしたと見るほうが自然だ。とてもではないが、そうでもないと説明がつかないのだ。

「おいっ、聞いてんのか、てめえっ」

「怒鳴らなくても聞こえてるさ」

ビリビリと空気を軋ませる怒聲に、俺はうんざりしたように煽ってみせた。南部とかいう男はみるみるうちに顔を紅させ、思いきりこちらの倉を摑んで毆り飛ばそうと拳を握り振り上げたところ、佐々木に腕を摑まれて再び制止させる。

「やめろ」

「うるせえっ、放しやがれ」

俺はこの男を挑発して、倉を摑んできた腕を逆にこちらが摑んでやろうとしたところ、それがかなわないことに気がついた。腕がのあたりにあることにはもちろん気づいていたけれど、なんとあろうことか、俺は見事に拘束を著せられていたのだ。これでは反撃はおろか、相手の腕を摑むことなどできはしない。

「こいつのせいであの人は死んだんだぞ、黙ってられるかっ」

「気持ちはわかる。だが、今は駄目だ」

なんとも対稱的な二人だ。佐々木のほうは刑事としては珍しく、グレーがかった小灑落たスーツを著ていているうえに、細めの眼鏡をかけた好青年といったじで顔も悪くない。隣の男と比べても全的に細くスラリとした軀は、それだけでいかにもインテリらしい冷靜さを醸し出していて、同時に年齢不詳なもさせる。

一方の南部と呼ばれたほうは、白いワイシャツに黒いスラックスと同じのベルトをしていて、長は俺よりも五センチかそこらは高く、板が張っているのがシャツの上からでもが良くわかるガタイをしている。そして短髪の頭という出で立ちは、いかにもといった熱漢さを思わせる。いや、不良刑事といったほうがしっくりくるかもしれない。

「……それで、俺はこれからどうなるんだ」

二人を無視する形で尋ねてみると、再び南部がわめき立て、それを佐々木が窘めつつ質問に答える。

「意識を取り戻したから、君は明日にでも署に連行されることになる。そのあとはもちろん、刑務所行きだ」

すでに容疑が確定しているうえ、どうも話から察するに俺は連中の知り合いかなにかを殺したようだ。多分、あのバリケードを強行突破したときだろう。もしかすると、この二人もあの場に居合わせたのかもしれない。

「このあと念のため、もう一度異常がないかを確かめるための検査があるが、そのあとすぐにでも護送車で柄を更迭される。以上、君のこれからの流れだ」

「……こりゃぁ、親切にどうも」

それだけいうと、佐々木は踵を返した。それに南部が続いた形だが南部は、絶対にてめえを死刑にしてやる、と再度、刑事としてあるまじき言葉を吐き捨て部屋から出ていった。當然、鍵は厳重にかけられ門番が一人か二人見張りとしてつけられている。そういった、なんともVIP待遇なのは想像に難くない。

二人が部屋をでていくと、俺はため息をらす。さすがに佐々木の説明を聞いて々焦りがでてきたのだ。検査がいつ行われるのかはわからないが、意識を取り戻した以上はおそらく今日中とみて間違いないだろう。通常なら検査結果が出るまで、一日から數日といったところだがここはあくまで警察病院だ。せいぜい數時間、下手すればすぐその場で判斷が下されるということも十分考えられる。いや、この場合はそういう想定で考えたほうがいいだろう。

かといって、今ここから抜け出せそうな方法が思い浮かぶわけでもなかった。よくよく見れば窓もあるにはあるが、外側に鉄格子がされていて窓からは抜け出せそうにない。空調の配管なんかも考えられたが、明らかに人間がるには狹すぎる。あとは二人が出ていった、たった一つの出口のみだ。これだけでも考えだというのに、ご丁寧にも拘束というおまけ付きだ。

マジシャンには縄抜け、拘束抜けなんて技があるらしく、そいつを駆使すればあるいはこの忌ま忌ましい拘束を外すことも可能だろう。そんな技が俺にあればよかったが、殘念なことにそんな技はない。マジシャンに限らず、古い武にもやはり関節を自在に外し、拘束を抜けるといった技があるのを思い出しはしたものの、結局は自分ができないのでは意味はない。

とにかく、護送車に乗り込んでしまうと本格的にまずいことになる。護送車の警護のいる中で連中から逃げ出せることは、おそらく不可能に近い。そうなる前に一刻も早く、ここから出るためのアイディアを練らなくてはならない。こんなところで捕まって、死刑臺に送られるなんてことだけは絶対にあってはならない。それでは今までやってきたことが、全て無駄になってしまう。

その前に、なんとかここで出したいものだが一どうしたものか……だが、いくら頭をひねろうともそんなアイディアが浮かぶはずもなく、いたずらに時間が過ぎていくだけだ。ここは一つ様子見することにして、チャンスを待つとしよう。

鉄壁そうに見える要塞も、所詮は人が作ったものだ。どこかにスキがあるはずだろうし、場合によっては、その人間そのものが逃げ出せるための要因になることすら有り得るのだ。そういった手段を用いて鉄壁の要塞から出した人間が、確かにいるのもまた事実だからだ。

とりあえずは連中が再度検査をするということだから、そのときにチャンスがないとはいえない。なんとかチャンスのできそうな隙を作るしかない。

拘束をつけられたまま、どれほどのあいだベッドにい付けられていたのか、気づくと空がうっすらと夕焼けに染まりはじめていた。ここには時計なんてものはないので、時間などの概念があまりない。せいぜい、窓の外から見える景だけがそれをじさせてくれる。

(今、夕方の四時か五時頃だろうか……)

結局、佐々木と南部の二人がでていったあと、三十分とせずにこの病院のスタッフがきて検査室へと、ベッドごと運ばれた。そのとき、なんとか暴れようとしたものの、拘束の前にそれも空しくただもがくだけに過ぎなかった。

そして予想通り、ものの數時間で結果がでるということで、今日の夕方にも……つまり、そろそろ護送車が迎えにくることになってしまったのだ。それでもまだ何かできないかと頭をフル回転させはするが、やはり全く出できそうな手だてやアイディアが思い浮かぶことはなかった。

そんなことに思いを巡らしていると、鉄製の扉からガチャガチャと重い金屬質のした音が聞こえてきた。考えるまでもなく、護送車に俺を乗せようとするためにきたのだ。俺は無駄だろうとは思いつつも、再度を思いきりかして拘束から抜けようと試みるが、やはり結果が変わることはない。

「おら、刑務所行きのタクシーがきたぞ」

なんともなご挨拶とともに扉からってきたのは、あの南部とかいう男だ。もちろん、その後ろには佐々木も一緒だ。

しかし俺は、二人とは一足遅れてってきた人に興味をひかれた。先ほどはいなかった人で隨分背丈のあるだったのだが、どこかで見たことのある顔だったのだ。

「あんたは確か……」

「あ、あなた……」

思わずつぶやいた言葉に、が応えた。どうやら向こうも、こちらのことを覚えていたらしい。

「なんだ里見、おまえ、この野郎と知り合いなのか」

南部はジロリと睨むように、里見と呼ばれたのほうを向いた。隣の佐々木も意外だったようで、細い目を丸くしてのほうを向いている。

「え? い、いえ、別にそういうわけじゃないです……」

しどろもどろにいうは場違いなほどに顔を赤くしていう。それでは明らかに知り合いだと告げているようなものだと人事ながら心の中でつぶやくと、やれやれとため息がれた。

「別にそのとはなんの関係もないぜ。ただ単に、どっかの誰かと勘違いしたんじゃぁないのか」

「……ふん、まあいいだろう。どのみちお前をムショにぶち込むことには変わりないからな」

「南部のいう通りだ。里見、いまは私をはさむときじゃない」

「え、と、あの私、そんなわけじゃ……は、はい」

先輩二人にお灸をそえられたように、シュンとする。あの様子からは、本人としては本當になんでもなかったとも、はたまた俺に気があるのかどちらとも取れる態度だ。あれでは他が勘違いしたとしてもおかしくない。

まぁ、こちらとしても自分の的センスの範疇から程遠い人間に好意を抱かれても、甚だ迷なだけではある。おまけに立場も立場なのだからなおさらだ。

それにどれだけの期間、男所帯だろうと思われる場所で働いているのか知らないが、自分の意思表示もできないようななど、どれだけ人であってもこちらから願い下げだ。仮にも俺よりはいくらか年上なんだろうし、それでこのたらくでは魅力もなにもあったものじゃない。

とはいっても、あの藤原真紀みたいな狐もまた願い下げだ。

「おい、足枷だ」

南部の指示で見張り番だったらしい警察二人が寢ている俺の足首に、鉄の足を鎖で繋いだ足枷をはめ、その鎖にもう一本の鎖でもって拘束にかけられた鎖に繋いで、逃げ出せないよう厳重に枷をかけられる。これではまるでアメリカの囚人並の扱いだ。

「よし、連れていけ」

しっかりと施錠されたのを見屆けると、南部が見張りの二人に命令し俺を立たせる。前に南部と佐々木、左右に見張りの二人がそれぞれについて、後ろに里見とかいう刑事、といった配置で護送車まで連れていく気らしい。

鎖で歩幅を制限されたために、歩くには小刻みに走るといったじになりながら、エレベーターに乗り込む。先ほどの検査室にいく際にも使われたエレベーターだけれど、先ほどはベッドにくくりつけられたままだったのでここが何階であったのかはわからなかった。ただ上にあがったということしかわからなかったのだ。しかし今はその戒めはないので、ここが三階であったのがわかる。

エレベーターで一階に降りるまで、なんとか拘束や鎖を解けないかと連中の様子を盜み見る。けれども、鍵を見つけることはおろか、とてもこれだけの人數を出し抜けることなどできそうにない。

そのうちエレベーターは一階につき、両脇の二人に歩くよう腕のあたりをれるように促された。そんなことしなくとも歩くというのに、いちいちれないでもらいたいものだ。

エレベーターを左に曲がり、まっすぐ先に見える黒っぽい扉。その扉が不意に開かれた。どうやら外にもまだいるようだ。

「……ところで」

「うるせえ、口開くな」

しでも刑務所送りになるのを長びかそうと口をきこうとしたところ、南部によって止められる。しかし、そんなことにめげる俺ではなく、無視して続けることにする。とにかく、しでもチャンスを作るべきだ。

「まぁ、そういうなよ。あんた、隨分と俺のことが気にらんらしいが、一なんだってそんなに俺を目の敵にするんだ? まさか、理由がないとはいわないよな」

すると前を歩いていた南部と佐々木はゆっくりと立ち止まり、こちらを振り向いた。南部の顔はもう我慢ならないといった表になっている。

「……てめえが殺したからだろうが」

「南部」

「うるせえ佐々木っ、引っ込んでろ! もう我慢ならねえっ!

てめえが、畠さんを殺したからだ、てめえがぁ!」

激昂し、今度こそ倉を拘束ごと摑みあげる南部は、その勢いのまま右手でもって毆ろうとする。それを佐々木や周囲の三人が制止しようとするが、俺はチャンスといわんばかりに上をできうる限り反らし、そのまま南部の顔あたりめがけて頭突きを繰り出した。

「ぐっ、野郎」

拘束をされたままでは思い通りに頭突きを食らわすことはできなかったものの、南部の正拳突きを回避することはできた。無駄な足掻きともとれないことでもないが、何かしでも隙をつかなくてはならない今は、なにか行を起こさなくてはならない。あるいはこれが、本當に出するための機會にならないとはいえないのだ。

「てめ……この、畠さんの敵……」

突然暴れだした俺に四苦八苦していた周りの連中は、四人がかりでなんとか取り押さえることに功し、南部が顎のあたりを気にしながらなおも睨みつけてくる。

だがこれでようやく理由がわかった。きっと南部のいう畠というのは、バリケードを敷いていた連中の陣頭に立っていた男のことだろう。強行突破をかけた際に、一番最初に弾丸でもってぶち倒してやった警察だ。どうやら、この三人にとっての上司だったということだ。なるほど、これでこの男が俺のことをこんなにまで嫌悪……いや、憎悪といってもいいだろう、する理由がわかった。

「なるほどな。通りで俺のことが気にいらないわけだ」

四方を囲まれながらも、俺は不敵に笑って見せる。ムショに送られたあとどうなるかはわからないまでも、今ここで死ぬことはないのだから思いきり嘲ってやるつもりだった。どのみちこいつら相手では自分に好転する気配もないのだから、もうどうにでもなれだ。

「ふざけるなよ、貴様」

普段溫厚そうに見える佐々木が聲を荒げて怒鳴る。ふん、そんなの知ったことか。

しかし暴れることができたのはこの時だけで、外に待機していた連中が何事かと飛んできたことによって、その場はおさめられた。廊下に半ば打ち付けられる形で取り押さえられたのだ。

その後、引きずられるように後ろの開け放たれた青黒い護送車に乗せられると、外に待機していた連中二人が運転手として前座席に乗り込んだ。俺のいる広い後部席部分と、前座席とのあいだには目の細かい金網がされており、運転手らとはなんとかコミュニケーションがとれないわけではない。ここでなんとか連中を言いくるめて、出するためのチャンスを作れないものか……。

考えを巡らせはじめると自然に靜かになるというもので、護送車の前座席に座った二人も刑務所送りにされる俺にたいして、ようやく観念したかとでも思ったのかこちらを振り向いて軽く頷いたあと、車のエンジンがかけられる。

ゆっくりと進み始めた車が徐々にスピードをあげるかと思いきや、むしろスピードがやや遅くなったように思われた。どうしたんだと、唯一外が見える金網から覗く前座席のフロントガラスから、その理由がわかった。なんと、病院の外には何臺ものカメラがこちらに向けられていて、その何倍もの數の報道陣の人間が出張ってきているではないか。

「……なんなんだ、これは」

「おい、座ってろ」

外を見ようと立ち上がった俺に、助手席に座っている男が怒鳴る。しかし、俺からすると一どういうことなんだと聞かざるをえない狀況になっていた。

「おい、こいつは一どういうことなんだ。なんなんだ、このマスコミの人數は」

「おい、座っていろといっただろう。それにおまえ、知らないのか?」

なんの話だという前に、男が一足早く口を開く。

「おまえ、今全國でも有名な犯罪者なんだぜ。話にきけばおまえ、春に起こった政治家連続狙撃事件の容疑者なんだってな。もう証拠も見つかってるんだ、諦めな。

おまけにテロリストとして、國家反逆罪もあるってんだからどうしようもないな」

下卑た笑い聲をあげる助手席の男は、運転手の男に窘められるがお構いなしに続ける。

「大、おまえらみたいな犯罪者に限って恵まれてるのにおかしな思想にハマって、訳のわからんことを言い出すんだ。俺はな、今まで異常な奴を何人も見てきたからわかるんだ」

「恵まれてる?」

「そうさ。周りじゃ、おまえのことを半島や支那からのスパイだとかいって囃し立ててるらしいが、俺にはわかる。おまえはあんな劣等人どものスパイなんかじゃねえ、間違いなく日本人さ。

だってのに、お國に逆らうなんてどうしようもないクズでしかない。わかったか、このクズ」

やれやれだ。何を言い出すかと思えば……男の講釈に開いた口が塞がらない俺は、ただ小さくかぶりを振って、ため息をつくことしかできない。大、どうしてこんなに人がいるんだという質問の答えになってないのだから、そう思うのは無理もない。一つだけいえるのは、この男がバリバリの極右翼ということだけだ。朝鮮や中國のことを、半島だとか支那とかいう奴らは大抵そうだ。

別に俺にとっては、朝鮮人や中國人などどうでもいい存在だ。邪魔するなら始末するだけの話なので、そこに民族間や國家間の事による思想など、それこそ片腹痛い話なのだ。

第一、俺みたいな人種にとっては國家主義や民族主義……要するに全主義というやつほど唾棄すべきものはないと考えているので、そこに日本人だとか他の國の人間だとかは一切ない。だってそうではないか。國家なんてものは、どうせ弱いものを守りなどしないのだから、どこに行っても変わりはしないのだ。

まぁ、それはさておき、男の言葉から読み取ってみると、どうやら俺はどうしたわけか突然、國家に仇なすならず者というレッテルをられてしまったのは間違いない。に覚えなど全くないが、そうらしい。

そしてその犯人が俺だとなれば當然、マスコミも騒ぎ出す。ちょうどN市にいたときにあった、真田の狙撃事件がトップニュースになり全國はおろか、世界中で知られることになった事件なのだから、その注目度も高いのは至極當然のことだろう。

おまけに、やってないことを確実に証明できるものなど無いに等しく、むしろ、銃の所持、警察殺害などといった全く関係のないはずだった要素が、間違いなく俺を事件の犯人として仕立てあげる材料として、絶好の要素になるのも目に見えている。検察も、確実に俺のやってないことまで事件の容疑者として捜査を創っていくにちがいない。

下卑た言葉で俺を罵り笑う男を無視し、俺はさっさと車に備え付けられてある囚人用の座席に座ると、冷靜になって今回の一連の流れを整理してみることにした。おそらく、裏で誰かが警察に報を売った奴がいるのは間違いない。そいつ、ないしはそいつに関係を持っている人間が今回の黒幕ではないかと睨む。

思えば島津の研究所で意識を失い、利の病院にて意識を取り戻してからというもの、以來何者からか尾行されていたし、その前にも佐竹との一戦のあとになぜか尾行されていたこともあった。あのときは狀況が狀況だっただけに、あまり事を大きくしないほうがいいという判斷もあって撒いたが、今にして思うとあれも、意識を取り戻してからこの方現れだした尾行者どもの仲間だった可能はないだろうか。得の知れなさもあって撒いたわけだったが、それが逆に向こうを不審に思わせることになったというのも、十分にあることだ。

推測に過ぎないことであるが、日本に戻ってからというもの、それも佐竹の件以降、どうにも腑に落ちないことがこうも多いと、さすがに俺自がなんらかの事に組み込まれていないとも考えられないでもないのだ。ましてや今現在の狀況が狀況だけに、こういった可能を考慮しないわけにもいかない。

まず、尾行していた連中がどういった連中で、どういった理由があってのことか考えてみよう。もちろん狙われる理由など履いて捨てるほどあるので、全てにその理由がないわけではないけども、そのどれかに必ず答えがあるはずだ。

となると一番手っ取り早く、かつ、俺のことを疎ましく思う連中がいるとすれば殺し屋の連中だ。こいつらなら仕事と稱して俺を付け狙うことは容易い。そして、その理由も十分過ぎるほどのものなので、やはりこれが一番説明がつきやすい。

しかし一つ問題があるとすれば、なぜわざわざ殺し屋を雇いながら警察にも報を流したのか、ということだ。殺し屋を雇っておいて、なおかつ警察も員させるとなると暗殺する側、引いては俺のことを疎ましく思っている雇い主にもリスクが有りすぎる。田神の部屋で襲ってきたことを考えてみれば當然というもので、外に警察がいるときにあんなことをすれば、放たれた弾丸から足がつかないとは言いきれないのだ。

普通ならばやはり殺し屋だけ、警察にだけというのがベターだろう。仮に警察に頼ったにしろ、逮捕後ならこちらの柄などいかようにもできるはずなので、その両方をとなるとブッキングしたことによって共倒れにならないともいえないからだ。

あるいは……警察にリークした奴と殺し屋を雇った奴がそれぞれ別の人間だった、というのもなくはない。むしろこのほうが今回のことに関して、説明がついているのではないか。一人の人間を狙うとしても、そんな面倒でリスクを負うような真似はしまい。あまりに非効率的すぎる。

こうなってくるとだ。やはりそれなりの理由というのがあるわけで、そいつを探ってみる必要がある。警察のほうは佐々木が語っていた理由で十分だ。もちろん、濡れだといわざるを得ないものもあるが、この際それはどうでもいい。問題は殺し屋のほうだ。

尾行の手口から、おそらく追跡者はプロだろう。こちらが、ちょいと連中を問いただそうとしたときに限って姿を現さないことからも、それが一番可能が高い。警察ならばここまで正確に、追跡の影を消したり現したりはできそうにない。

こうして冷靜になって考えてみれば、俺にとって當面の敵は同業者ということに落ち著くわけだが、ここはやはり、島津の一件からと見たほうがいいだろうか。ヨーロッパにいたときにも敵を作ってきた俺ではあるけども、向こうを出したのがもう一年以上も前であれば、向こうからの刺客というのは考えにくい。この時代に、一年なんてのは間隔としては開きすぎともいえる期間だ。それにデニスのこともあるから、おそらくこの可能はない。

島津絡みでなら、あげられる理由はいくらもある。あんな非人道的なことをやっているような連中だ、殺し屋を雇うなんてのはわけないだろう。

同時に俺の顔が割れてしまったのは、あの日、島津研究所にいた面子の誰かとも思われる。あれだけ破壊された施設から防犯カメラのデータを発掘するのは至難の業だろうし、それよりは顔を知った連中が俺に関してなんらかのことを吐いた……このほうが建設的だ。なにより、武田を名乗る男のこともある。

しかしそうなると、田神にも危険がないとはいえないのではないだろうか。やつも島津の研究の一端を知ってしまった人間だ。俺だけに殺し屋が襲撃してきて、やつにはなにもないというのはまず有り得ない。田神のにも、同様の危険が迫っていると考えておいたほうが良さそうだ。それは當然ながらエリナにもだ。

島津の研究所でいただいてきた坂上の研究データに関しても、田神に渡して以來なんの音沙汰もない。あれも必要で、沙彌佳に投與されたNEAB−2とかいう、ふざけた新薬のデータがあれば、あるいはそこから治療薬を造ることも可能だからだ。

そこまで考えたとき、突然、車のクラクションが高々と鳴らされる。考えることに沒頭していたために、その音に思わずはっとさせられる。

「くそ、なんなんだ、こいつらっ」

音に顔をあげたのとほぼ同時に、助手席に座っている右翼野郎が言い放つ。俺は迷わず席を立って前方を覗こうとするが、ここからでは何が起きているのかよく見えない。だが、確かに護送車前方に邪魔するように一臺の白い車が走っているのが見えた。

しかもそれは一臺だけではないらしい。右翼野郎はこいつらと複數型でいったことから、俺の位置からは見えないだけで、おそらく四方を囲むようにして、あと二、三臺、周りにいるようだ。

護送車の後ろにもいるはずのパトカーから、何か制止するような聲がしたかと思うと、その聲が不意に途絶えて金屬の塊が壁にぶつかって砕ける音もした。

「くそがっ、どきやがれ……おい、こいつら、なんとか――」

臺詞も途中で、助手席の窓ガラスが割られるような音と混じって、銃の連音が響く。フロントガラスに細かい蜘蛛の巣狀の亀裂がいくつもった。

「うわああっ!?」

それを真橫で見た運転手の男が慘めにぶ。同時にその様子を目の當たりにした揺からなのか、急ハンドルをきったために車が大きく揺れた。揺れに耐え切れず、俺は車の中でをとることすらできずに倒れ込む。

「今度はなんなんだ」

誰にいうでもなく、倒れ込みながらんだ。すぐさまフロントガラスが割られる音がした後に、運転手の男が悲鳴をあげるもその聲が、車からあっという間にフェードアウトしていく。

それがおそらく時速五十キロか、あるいは六十キロかそこら出ている車の外に投げ出されたものだと理解するのに、一秒だってかかっていないだろう。だとすれば今車は暴走しているのか……そう、半ば絶的になった顔をあげた時、助手席から、今まで見たことがないフルフェイスの戦闘用らしいマスクを被った奴が俺を覗いていた。

「よし。このままポイントαまで行くぞ」

どうも運転席には別の奴も乗って車を運転しているみたいだ。そいつの聲に助手席の奴がこちらを向いたまま頷くと、その手に何か黒いものを取り出して投げる。

一瞬、それが弾かとヒヤリとしたがそうではなかった。投げられたそれは白い大量のガスを撒き散らし始め、それが瞬く間に車に広がって視界がぼんやりと白に染まっていく。フロントガラスが割られたことで、前方からの風によって後ろにガスが勢い良く流れてきているのだ。

俺はすぐに匍匐前進してでも後方に引こうとするも、拘束のせいで、まともに匍匐前進などできない。その間にも白いガスは車に溜まる一方で、ますます視界が白になっていく。まるで深い霧の中にいるような錯覚に陥ってしまう。

「おまえら一何者なんだっ、俺をどうする気だ……」

まだ言いたいことはあるはずなのに、急激に頭が重くなってくる。どうやらこのガスは、強い催眠効果を持った催眠ガスらしい。くそ、やれやれだ。また眠らされるのか……。

どうせ催眠ガスというなら、殺される心配はない。初めから殺す気であれば、わざわざ護送車を襲うはずもないだろう。

全く……最近意識を失ってばかりではないか? ……まぁいい、もう知ったことか……どうにでもなればいい……。殺される心配はないのだから、今はこの眠気にを任せよう……次は一どこで目が覚めることやら……。

額に何かがぶつかるような覚があった。それが車の床だとぼんやりと気付くことができたあと、すぐに意識がブラックアウトしていった。

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