《いつか見た夢》第79章

暗い森の夜道を、搬送用のトラックがガタゴトと悪路に揺れながら走っている。なんせ舗裝もされていない道だ、そのせいで道の凹凸合は最悪といっていい。荷臺部分に座る男たちのも、それに合わせて幾度となく揺れていた。互いにを寄せ合い、所狹しに六人ずつが対面する形で座っている。

男たちは全員が黒い服にを包んでおり、同じのマスクをしていた。分厚い革のブーツに、黒の手袋、黒いジャケットという出で立ちは男たちが軍の部隊に所屬していることを窺わせ、その誰もが傍らに機関銃をおいているのだ。

幾許もしないうちにトラックはスピードを緩め、ついにはきを止めた。それと同時に男たちの中の一人が手でトラックを降りるよう指示し、一斉に他の十一人全員が銃を手にトラックから降りてを屈めると、ゆっくりと暗い森の中へと踏みいっていく。ある者は、裝備品とは別に二十リットルはりそうなポリタンクを背負っている。

季節はすでに夏にってはいるが、ここは森の中とはいっても標高が二千メートル近い山の中だ。標高の低い場所にある都會の街中と比べれば、このあたりは晝でもうっすらと寒い。そんな土地ではたとえ夏であろうと、夜ともなればとてもではないが薄著ではいられないほど寒い。おまけにあたりには、人家らしいものは全くといっていいほど見當たらない。

そんな中、男たちは何を警戒しているのか、用心深く歩を進めていく。その全員がスコープをつけていて、なるべく音が立たないような足場を選びながらの、慎重な行軍だった。

そのうちに部隊の先端をいく隊員が、なにか見つけたようで立ち止まって後続の隊員たちに注意を促した。彼から前方百メートルほど先、トラックを降りた地點から北に一キロほどいったところにぽつんと、人家らしい明かりがあったのだ。どうも彼らの目標はそこのようで、やや切り立った丘からそこをむことができた。

それをけ、先ほど隊員たちを指示した者が再び手を使って二手に別れてそこにいくよう、指示をだした。この男こそが部隊を率いている隊長らしい。右回りで五人、左回りに四人、そして隊長と他二名で真正面というふうに、三方から攻め込むつもりなのだ。

Advertisement

二手に別れてもなお、じりじりと確実に明かりの燈った人家へと進んでいっていた部隊が、ついに人家へとたどり著く。人家は周りの壁をすべて丸太で作られており、こじんまりとしたコテージのような面持ちをしており、窓は四方の側面に一つずつ、建の中央付近から真上に向かって煙突が突き出ている。

向かって右側の隊員らが、建のドアにそっと張り付くように配置につくと、ほぼ同時に左側に回っていたメンバーも裏口についた。配置についたのをその様子を窺っていた隊長に合図すると、隊長がそれを見計らい、さっと手でゴーサインをだした。

次の瞬間、隊員たちは銃を構えたまま真正面のドアと裏口から、なだれ込むよう人家へと侵し、間れず機関銃による一斉掃をしかけた。

それが數分のあいだ続くと、隊長が人家へりやめさせる。中には硝煙の臭いと煙が立ち込めていた。

「生存を確認しろ」

隊長の短い言葉をうけて、隊員の一人がゆっくりと掃された中心に向かって歩み寄る。數分間で九のライフルから発された弾の數は、數千発どころか、実に一萬発を超える。それだけの弾丸は全て同じ箇所一カ所に向かって放たれたというのだから、向けられた相手が生きているはずがない。

だというのにそこに向かっていく隊員二人の恐る恐るといったじの足取りは、明らかに不自然だった。

ゴクリ――。メンバー全員が二人の様子を見守るなか、誰かが靜まり返った建の中では固唾をのむ音は良く響いた。

「……隊長、死んでいます。すでに死となっています」

「よし。だが、まだ油斷はするな。こいつらは化けだ、我々の常識ではものは計れん」

隊長の言葉に頷きながら、隊長の男は死を収容しろと部下に命じる。隊員たちが命令に即座にき出し、死と呼ばれたそれを運ぶために、袋に詰め込んでいく。そのきには一分の隙もなく、手慣れた様子だ。

は何百、あるいは何千という弾丸を中に食い込ませていったために、四肢こそかろうじて繋がってはいるものの手の指は七本がちぎれ飛び、には鼠が食い散らかしたチーズのようにぼこだらけだった。むしろ、赤やピンクの片ばかりしか見えずに、素が見れる部分のほうが面積的にいうとはるかになかった。

Advertisement

それならば當然といってもおかしくないだろうけれど、生前は人で通っていただろうその貌は、もはや見る影などない。と同じように両の眼球は飛び散ってしまっていて、軽いウェーブのかかったしいブロンドの髪も、と頭蓋骨から飛び散った脳漿のうしょうによって濡れていた。

それにしても……と、隊長の男はそんなの死と、それを収容すべく行する部下たちの働きを見つめながら思う。目の前に転がった死は見たところ、ほんのちょっと前までただの人間と同じ姿形をしていたはずなのに、なぜここまでする必要があるのか。いや、これは人間の形をしただけの化けだとは理解しているつもりだ。だがそうだとしても、依然として理解できない部分がないわけではなかった。

というのも昨晩、突然、軍上層部にいる上から呼び出され、裏に今回の作戦を言い渡されたのだ。それ自は何も問題などなかった。こういった表沙汰にされることのない作戦こそ、彼の仕事の本分だからである。問題は、付け加えられた條件のほうだった。

「いいかね、これから君に言い渡すことは、國家の、果ては人類そのものの危機になりえることだ。それを重々承知したうえで命令を聞いてもらいたい」

こんな奇妙なくだりから始まった指令は、ある人の暗殺と、その死を細切れになるくらいにズタズタにすること。それと、片になったとしても、それらをすみやかに回収してくること……。これらを徹底的に行えというものだったのだ。そして回収した死は、八時間以に指定された軍用施設にまで送り屆けることも、指令の中には含まれていた。

「収容、完了いたしました」

「わかった。これから八時間以に基地まで戻らなくてはならん。撤退だ、急げ」

しかしこれが命令であり仕事なのだから、それは遂行されなくてはならないのだ。そこに疑問を持つことなど、彼らには許されない。たとえそれが、どんなに非道なものであっても。

Advertisement

を回収し終えると仕上げにと、ポリタンクを背負っていた隊員たちがそれの蓋をあけ、建の壁や床に中のをぶちまけるようにかけていった。は非常に強い発火のもったもので、隊員たちは一人また一人と足早に建から出ていき、最後の一人がドアに向かってを線引くように流していく。

ドアに著くとその隊員は、余ったをドアの周辺にかけて、ポケットからジッポのライターを取り出して火をつける。隊長がそれを見て軽く頷くと、隊員はそれを床の、が溜まっているあたりに向かって投げると、が火に反応して激しく燃えはじめた。

これで建は、あっという間に燃え広がっていく炎によって消し炭へと変わっていくことだろう。なんせ木製なだけあって、燃えていくその速さも段違いだ。

燃え盛る炎が建を四方から、あるいは中から溢れて完全に建を包んでいくのを、隊員たちは誰一人として一瞥することなくその場を離れ、ヘリコプターに乗るための地點を目標に移していった。その彼らの様子を暗闇に紛れ、遠く離れた高い木の上から見ていた一人の男の存在に気付くことなく……。

俺が謎の男の手によって刑務所行きの護送車から助け出されてからというもの、早いものですでに二週間以上が経っていた。

八月にってからは、世間も遅ればせながらようやく夏休みムードになったようで、子供たちが思い思いに休みを堪能し始めたのか街に溢れ返っている。おそらく、この猛暑にもが慣れてきたんだろう。

とはいえ、うだるような暑さは健在なのでこちらとしては人が溢れてきた分、道を歩きにくかったり人目が多くなったりといった小さなデメリットも多くなったといえる。

そんなくそ暑い晴れた夏の日に俺は、街のど真ん中にある噴水が何カ所も吹き出る造りになった公園のベンチに座って、清涼飲料水のったペットボトルに口をつけていた。アメリカに本社をもつ大手企業が出している白濁をした飲料水で、青い柄の外裝をしたやつだ。

「暑い……くそ、早くこいよな」

こんな暑さの中で俺は、涼しい建の中にるわけでもなく人がくるのを待っていた。連日のように記録的な猛暑だと騒がれているのに、頭がどうかしてしまいそうな暑さの外で人待ちなんてあまりしたいものではないけれど、向こうが待ち合わせにそういってきたのだから仕方ない。おかげで、つい先ほど買ったばかりの五百ミリリットルのペットボトルも、あっという間に中がなくなろうとしている。

そうしてもう何度目かのつぶやきのあとに、座るベンチの端に、一人の小男が向かって右側から気配をあまりじさせることなくやってきて、ちょこんとでもいうふうに座った。もちろん、待ち人きたるといったわけであるが、すでに前に二度も同じようにして俺と接してきているので、もう驚くこともない。

「次のターゲットが見つかった」

なんの抑揚のない聲で、小男が端的に告げる。以前二回とも同じ言葉で切り出されたことから、本當に仕事には私を持ち込まない格なのかもしれない。

「それで」

「次はこいつだ」

男がそういって差し出してきたのは、二枚の寫真だ。寫真にはいつものように同じ人が寫っていて、それが別の角度から撮られている。渋めの顔立ちで口の周りは當然、頬の下部分からみ上げや顎下にまである髭はとまだらになっているのが、そうじさせる。なかなかに高級そうな灰のスーツにを包んでおり、それが本人がかもしだす雰囲気とマッチしている。ジョージ・クルーニーを日本人っぽくしたら、きっとこんなじかもしれないといった雰囲気をもった男だ。

「今日の午後九時半、M區のシティホテルで會合が行われる。その壇上にあがったときに……」

「いつもと同じだな」

前回までと、全く同じ言い回しの男の言葉を遮るようにいうと、男はコクリと頷く。

「それと、今回が最後でいいということだ」

「……ようやくか」

つぶやく俺に、男はただじっとしたまま小さく肩をすくませると、ベンチを立ってきた方向へと去っていった。相変わらずの無想ぶりだ。

俺は去っていく男の背中を橫目に、盛大にため息をついた。どうにも事がうまいこといっていないことに、いい加減うんざりしていたからだ。

まず、俺を警察に売り飛ばそうとした男のことにしてもそうだった。初め、なんとも話ができすぎているとじたものも、結局はあの奇妙な男の筋書き通りに話が転がったことだったのが、気にらない、うんざりすることの要因になっていた。

警察から救い出された先はY県の片田舎ともいえない、全くの人里離れた森ともいうべき場所だった。そこで奴の部下らしい男たちの運転する車によって街に送られる最中、しぶしぶ男と契約をわすことになった仕事の詳細を聞くことになる。ミスター・ベーアなる人がいかなる人なのか、といったことも含めて。

この人が、いつ、どこで生まれたかなどはわかっていない。聞くところによれば、すでに初めから類い稀なる人と一どこで手にすることになったのか、一切謎に包まれている財産を持っているということが一つ。

これだけですでに、なかば眉唾ものだがその道のプロですらわからないとなれば、こちらとしては知りようはないし、信じざるをえない。ありとあらゆる人脈からたどっていっても、どういうわけか、あと一歩というところでルートが途絶え、男の関係者との繋がりがわからなくなってしまうのだという。

二つ目は、どうもなくとも三十年は前から財界に君臨しているらしく、おそらくは株取り引きで財を得たんではないかと噂されてはいるものの、どうやって莫大なる財を得てきたのか、その明確な手段も全てが謎だというから雲を摑むような話だ。これではまるで、現代版の巖窟王といっても過言ではないだろう。あるいは本當に、どこかで金脈でも見つけたりしたのかもしれないが……。

この男を連中が狙う理由は、例の男の口から聞いているのでそれはいいとして、果たして、そんなこの世にいるかどうかも怪しい人間の始末をつけるというのは、々骨が折れるというものでもある。

しかしそれでも、この人にはダミーが數人いることがわかってきたのは本當らしく、このダミーたちを片付けていけば、必ず本にもぶちあたる、こう連中は踏んだわけだ。探す手立てがない以上、こうでもしていくしかないのは當然のり行きだろう。

今にして思えば、ミスター・ベーアの作ったこの組織は、組織というわりに今ひとつ目的がはっきりしていない部分があったのも確かで、アメリカのCIAやロシアのFSBならびにSVR、イギリスのMI6といった他の諜報機関と比べても、國家の利益などを守るといった理由らしい理由もあまり聞いたことがない。

一応、殺し屋兼スパイとして國家の諜報機関も去ることながら、後ろめたいことをしなくてはならないような企業からの委託によって、利益を得たりはしている。世界中に俺みたいなやつがいるから、それは當然であるかもしれないが。

しかし、この組織そのものがミスター・ベーア私設のものであるとすれば、こうした疑問にも納得がいく。組織そのものが私のものであるなら、そこに特別な理由なぞ必要はない。あるとすれば、いつ狙われてもおかしくない自分のを守るためとでもしておけばいいことだ。

また同時に、そんな理由だとすれば、當然それに反発する者が現れてもおかしくはない。誰だって、一個人の所有でいたいとは思わないだろう。そこでこの人がとったのが常套手段ではあるが裏切り者は制裁を加えるというもので、こうして組織というものの優位を打ち出すことができた。

結社や組織なるものは、これまで歴史的に見てもこうした裏切り者への死の制裁というのは行われてきたので、別に不思議はない。今までに散々使い古されたやり方ではあっても、これ以上に有効な手段もないのも事実なのだ。なくとも、あの今井という男の例があるので間違いないだろう。あとはなるべくそんな者が出ないよう、現場では工作員の好きなようにやらせておけばいい。

となると、そのミスター・ベーアの目的というのがないのかといえば、そうでもない。なくとも組織の力を使って、ある実験プロジェクトの重要な機データを盜ませている。かつてアメリカで軍によって行われていた実験の、その後続プロジェクトとして継続されたものだ。これもまた眉唾な話になるが、その実験というのがタイムワープするためのものだというのだ。つまるところ、連中はタイムマシンでも造りたかったらしい。

もし本當にタイムマシンができたなら、それはそれで歴史的かつ人類にとっての夢ともいうべき大発明といって言い過ぎではないだろう。きっとノーベル賞の一つや二つでは足りないにちがいない。とはいえミスター・ベーアもよくもまあ、こんな半ば非現実的なプロジェクトに目をつけたものだと思うけども、そこが金持ち特有の著眼點の差というものかもしれない。

なんであれ、それを巡ってまた別の組織がき出しているのも事実で、その組織は騒なことに、殺しを生業とするコミュニティーだというのだ。そんなものがこの日本にあったのかと思わずにはいられないが、実際のところは日本にその本拠が置かれているわけでもないらしい。いや、ただの集まりである以上、どこが本拠ということはないだろう。

これでなくとも、このデータを巡って二つの組織がいているわけだが、俺はといえばどっちつかずのまま依頼の遂行をしていることになる。ミスター・ベーアのダミーを殺したということは、必然的に裏切ったことを意味しているが今はまだ、組織からそれらしいアクションは起きてない。つまり、まだ組織は俺という存在に気づいていないと見ていい。

組織の興りと形過程を考えてみれば、トップであるミスター・ベーアさえ片付けることができれば、あとはなし崩しになるはずなので、組織の連中が気付くまでにこの依頼を遂行してしまいたいというのが、今の自分の本音だ。

また、奇妙な男が依頼してきた仕事容には、當然ながら真紀が奪っていったマウスと呼ばれたデータの奪還も含まれている。まぁ、俺が無関係でないと説明された時點で、ただ一人の人間を片付けるだけで終わりとも思っちゃいなかったが。

それと、俺が突如意味不明の指名手配をうけたことに関しては、男の部下から解放された翌日にはそれが取り消されていた。というよりも、死んだことにされたらしい。

これもこの世界によくある噓っぱちの報そのもので、中國に逃げ込もうとしたスパイ、つまりここでは俺が、アメリカと韓國の合同軍事演習に巻き込まれて死んだ疑いがもたれた、というものだ。よくもそんな都合良く……と思ったシナリオだが、実際に今現在、韓國は北朝鮮からの突然の砲撃によって、北緯三十八度線近くでは住民らの張が高まっていたらしく、それに伴って、本當にアメリカとの急軍事演習を黃海沖で行っているではないか。

これは警察に捕まった日の一日前のことであり、二日か三日だけではあるが世間のきを一切知ることのできなかった俺にとって、全くの予想もしなかったことだった。そのため、なんだその理由はと思ったところ、このニュースを知ったのである。同時に、その海域に南から航行してきた不審船が、”間違って砲撃された”らしいというニュースも飛び込んできたのだ。

それによれば、アメリカの戦艦からの再三に渡る警告を無視したためだそうで、そこには日本の警察が追っていた犯人らしい人間の死があがった、こう説明されていた。それをどう捩曲げたのか知らないが、その死を例のスパイのものだということにしたわけだ。

おかげで俺は國籍も何もない、宙ぶらりんな人間ということになるがまぁ、それはそれで構わない。そもそも死んだことになったのは、デニスから貰ったパスの、もう存在してもいない人間なのだ。九鬼という俺自はまだ生きているのだから、別に大したことじゃない。

むしろ、そうやって死んでくれたおかげで、安心して世間を堂々と闊歩できるのだから、いいことだと捉えている。パスなんかは、また後でどうにでもできることなのだ。

そうして、連中が調べてきたターゲットを始末するようになったわけだが、今回が最後だという。このダミーたちはミスター・ベーアの側近だと目されているようで、同時にこの人の、世間的な代行人でもあるらしい。もしかすると、ミスター・ベーアなんていう人間は存在しておらず、単に、ダミーと思われる人間たち全てがミスター・ベーアなんではないのか、と考えてはみたが結局は全員を片付ければ同じだという結論に達した。

だが連中は、そうは思ってはいないようだった。もしそうであるなら、誰かが、あるいは全員がマウスの行方を知っているはずなのに、これまでのところ、誰一人としてマウスの行方を知る者はいないというのは、やはりオリジナルがいるに違いないということらしいのだ。確かにターゲットたちがそのことに関して口を割ったことはないし、知らないの一點張りだったことを考えれば、連中の言い分もわからないでもない。

かといって、果たしてそうなのかと疑問を思わないわけでもない。どういった経緯で希代の大富豪かつ、一組織のトップに立ったのかはわからないが、世界経済に影響を與えるほどまでの地位に就いているらしい男が、そんな簡単に口を割るとも思えないのだ。

確かに政治家や普通の富豪なんかであれば、慘めに命乞いする連中など珍しくもないけども、経験上、その辺りを遙かに突き抜けてしまった類いの人間は、間違いなく肝っ玉が座っているうえに、そのために命を賭けているような連中が多い。こうした事実があると考えてみると、やはり連中の言い分を鵜呑みにはできない。

まぁいい。それも次のターゲットで判明するだろう。もしこの寫真に寫っている男がマウスのことを本當に知らないとすれば、連中の言い分が正しいになるのだからそれを今あれやこれやと考える必要もない。

「それよりも……」

ピラピラと、寫真で顔を扇ぎながらそう口にした。とりあえず今は、この寫真の男のことは置いておくとして、どうしても知っておかなくてはならないことがある。俺は口の開いたペットボトルに口をつけ、殘りを一気にへと流し込んだ。

殘りもなくなってしまって、完全に溫くなっていたを飲み干すと、公園を出る手前に置かれてあるゴミれに容を投げれる。ガタンと音を立ててペットボトルはゴミれに沈んでいった。

ガヤガヤとやかましいくらいに、店には荒れ狂れ者たちの怒聲とも罵聲ともとれる聲が、幾重にもなって響いていた。まだ夕方の五時半を回ったばかりだというのに、もうアルコールがまわって出來上がっている者もいる。そんなサバカ・コシュカの店に俺は、カウンターの一番隅に座りそんな連中の馬鹿笑いや話し聲に耳を傾けていた。

いや耳を傾けているわけでなく、勝手に耳にってくるのでそれについ聞き耳を立ててしまう、そんな合だ。時として、そういった話の中からも何かしら重要なヒントが與えられたりすることもあるので、そういう意味では、まぁ、やはり聞いていないわけでもないが。

「おら、俺のおごりだぜ」

やかましい店でも一際馬鹿でかい聲で親父がそういいながら、グラスに並々と注がれたストレートのスコッチを差し出してきた。手にしていた瓶がバランタインの三十年だったのを、俺が見逃すはずもない。

「あんたにしちゃぁ、気前がいいな」

「抜かせ。おまえの出所祝いさ。いらねえってんなら、このまま俺が飲むぜ」

俺は苦笑して差し出されたグラスを取って、一気に半分ほど飲み込んだ。出所祝いというだけあって、普段ならショットグラスにって出てくるところ、今回はロックグラスにれて出してきていた。半分ほど減りはしたがそれでもまだ、ざっと見てショットグラスの三、四倍の量が殘っている。

「なんでぇ、まだまだいけそうな飲みっぷりじゃねえか」

「いいや、こいつでそろそろ打ち止めだ」

結構呑んでるからなと付け加え、俺は遅れて出されてきたチェイサーに口づける。店に姿を見せたのが、つい四十分かそこら前のことだ。しかし久しぶりに顔を見せた俺に、ここにり浸っている輩から何杯ものウイスキーをおごられるはめになったのだ。そこでこの追い打ちとくればさすがの俺でも、もういい加減うんざりするというものだ。

ここに來る連中も皆が皆、脛に傷をもつ連中ばかりなので、俺がやらかしてしまったところをなんとか出てきたんだなと、暗黙の了解というやつで何もいわないでいてくれたのは気兼ねしなくていい。あれこれと言いたい格でもないので、そこは本當に助かった。

それに気遣いは嬉しいが、これからまだ仕事が殘っているので、これ以上は仕事に異常をきたしかねない。これが何もない日であるなら、まだ飲み足りないところだが、さすがに今は飲み過ぎといってもいいレベルだ。

「それで? お尋ね者だったおまえがここにきた理由は」

「いっておくが、俺は単に嵌められただけだ。嵌められたところを、きちんと白紙に戻してやっただけさ。

まぁいい。それよりも、ガスのやつはどこにいる。やつに用があってきたんだ」

俺がそういうと親父の雰囲気が一変した。いや、それを待ってましたといったほうが正しい。

「多分、ガスのやつはこないぜ」

「どういうことだ」

親父はカウンターを他の若いバーテンに任せ、ぐっカウンターからを乗り出してくる。どうやら、あまり大きな聲ではいえないことのようだ。

「どうもこうもないぜ。実は昨日、店じまいをする時間がきてからのことだから、午前四時か四時半くらいだったと思うが……ガスが姿を見せたのさ。それも、えらく必死の様子でな、息も絶え絶えってじだった」

「ガスのやつが」

「ああ。それで、俺にこんなことを言い殘して、またすぐに出ていったよ。明日おまえがきたら、それは罠だと」

「罠……一、なにをいってるのかさっぱりわからないが……」

怪訝な表を見せながらいう俺に、親父も重々しく頷いた。

「それは俺だって同じさ。だがやつは、今日の早い段階で、必ずおまえになにかメッセージが伝えられるはずだといっていたぜ。後、これを聞いたら必ずS區のHビルに行けともいっていた。話は通してあるから、ともいってたよ。

あの様子は、まるで誰かに追われてるみたいだったな……おれにはわかるんだ、ああいった顔を見せるやつは、もう先が長くないってよ……」

親父が珍しく俯かせながら、靜かにいった。その心は俺としても同じだ。変なところで金にがめついた奴ではあったけれど、決して悪い奴ではなかった。むしろ、妙にのある奴で、仕事も正確ないい奴といった人間がガスだった。

まさか、そのガスがこんなことになろうとは、思いもしなかった。きっと奴ならしぶとく生き殘るに違いない……そう思えるような奴だった。だったが、やはりこの弱強食の世界では、そんな優しさやさというのは、ただ壽命をめるだけでしかないんだと、改めて再認識させられる。

「S區のHビルといったな……そこに何があるんだ」

「さあな。なんにしても、確かに伝えたぜ」

親父はそういったきり、口をきくことなくその場からいて再びカウンターへと戻っていった。俺は一どうしたものかと俯いて、ガスの伝えようとしたことに考えを巡らせる。

罠というのが何か検討もつかないが、今日までに伝えられたメッセージといえば、晝に依頼された男の暗殺があげられる。ガスのいうメッセージとは、このことなんだろうか。思い當たるのはこれ以外にはないので、罠だとするならばこのこと以外に考えられない。

まだあった。そもそも俺がガスに仕事の依頼をしたのは、田神のことなのだ。俺と田神が別れて以來、なんの音沙汰もないというのがどうにも気になるのだ。エリナに任せていた報収集を俺に伝えるため、面倒であってもその橋かけ役を引きけていたので、何か伝えられる、あるいは伝えられたかもしれない以上は何がなんでも田神を探し出す必要がある。

きっとやつのことだから、エリナからなにか伝えられたに違いないだろうが、予期していた通り、田神のになにかあったと見てまず間違いない。だとしても田神の格上、なにもいってこないというのは々考えにくい。きっと何かしら、別の手段を使ってでも俺との接をはかってくるはずだ。

けれどこの二週以上ものあいだ、全くの音沙汰なしというのであれば、こちらから田神を探す他ない。濡れではあるが皮にもスパイなどと、ありがたくも大々的に俺の存在が知られた以上は向こうとしても、ある意味探しやすいはずなのにそれがないとすれば、當然だろう。

そこで俺はガスの寢座にわざわざ赴いて、田神を探すよう依頼したのだ。それが三日ほど前のことで、三日後である今日、田神を見つけて接をはかれるようにするための算段を伝えるよう、この店を指定しておいたわけだ。もし生きて會うことがあれば田神のことだから、きっとの危険を案じて直接會うんではなく、回りくどかろうとも伝言ゲームか何かみたいにしてメッセージを伝えてくるに違いないからだ。

よって考えられる可能は……まず一つ、エリナから報を與えられずに四苦八苦しているか。二つ目、エリナから報を伝えられたものの思わぬ敵の出現により、俺に伝える前にどこかにを隠さなくてはならなくなった。三つ、あるいは敵に命を狙われたため、捕縛されたか。最後はそのいずれでもなく、死んだか……この四つだ。

最後の可能は真っ先に捨てるところだが、ここまで何もないとなるとその可能も無きにしもあらずで、最悪のケースを想定してかないとこちらも危ないとしては、致し方ないところだ。その場合は、俺が一からく必要もでてくる。

しかし、ガスが何を告げたかったのかは別として、田神が死んだというんであれば探し人死すの一言ですむところを罠だと、意味深なことを告げたあたり、まだ田神が死んでいないと見てもいいのではないだろうか。もしかすると、罠だと伝えようとしたのが田神からのメッセージである可能もあるのだ。

もし罠というのが、今夜俺が片付けなくてはならない仕事のことだとしたら、田神が事前にそれを察知し自分を探すガスに目をつけないはずもないので、萬一のことも考えてここは一旦仕事の延期ということにしておこう。どうにも、今回で最後でいいだとか、ミスター・ベーアという人像にしたって、何もかもが胡散臭く思えて仕方ないのだ。

ともかくだ、これからの俺の行が決まった。ガスの言にもなったろう言葉にしたがって、まずはS區のHビルにいってみるとしよう。話はまずそれからだ。

俺はグラスに殘っていたスコッチを一気にへと流し込むと、すぐに席を立ち店を出た。

ガスのした言葉に従い、地下鉄を乗り継いで向かったS區のHビルにたどり著いた俺は、ビルの付嬢に今日ここに來るよう言づかってきたと告げると、すぐにビルの最上階に行くよう案された。話はつけてあるとは聞いてはいたが、そのあまりの対応の良さにこちらの方が怪訝に思ってしまう。

指し示されたエレベーターで、ビルの最上階へとあがるべく上昇ボタンを押した。ボタンの數字は二十五階を示していて、このビルが二十五階建ての建造であることを教えている。ビルの高さは、一階あたり三メートルとして七十五メートルはなくともあるようだ。いや、近年の建築事なら人立ちれない屋上や最上階の上にあるフロアは階數として數えないこともあるそうだから、実際には後十メートルか十五メートルは高い。

そんなことを上昇していくエレベーターの中から、沈みゆく太に照らされて青暗くも茜に染まっている街を眺めながら考えていた。不思議と、誰かから素のしれない場所に行けだとか人間に會えだといわれると、妙に落ち著かない気分になるものだ。

職業柄なのか、自分の格だからなのかはわからないがもしかしたら、ここに行けというメッセージそのものが罠なんではないか……そんな風にすら考えてしまう。ガスが命を賭して伝えようとしたメッセージが実はガセネタ、そんなありもしないことをだ。

エレベーターは乗っている人間に駆音を響かせることなく、靜かに最上階へとついた。開くドアも、ほとんどといっていいほど音がしない。

降りてみた先のフロアは意外にも、全くが置かれていない寒々しい場所だった。四方はエレベーターに面している方以外は全てガラス張りになっていて、フロアに沈みゆく夕が余すことなく差し込んできている。何もないと思っていたところ、フロアの一番端の中央に黒っぽいをした機と椅子があった。それとともに、橫には夕の逆で影になってよく見えないが、一人の人が立ってのもわかる。

俺は眩しさと一誰なんだという疑問に目を細め、ゆっくりとその人のほうに向かって歩みだした。

(一何者なんだ……こいつがガスのいっていた、話のつけてある人なのは間違いないだろうが)

機の側までくると、機の上に置かれてあった金縁の置き時計がカチコチと、秒針が時を刻んでいっている音が響いてきた。目の前の人はこちらがきたにも関わらず、背を向けたままこっちを向くこともなく後ろ手に組み、ただじっと無言で沈んでいく夕を眺めている。

その後ろ姿からはこの人が男であるというのが窺えるが、どうにもこの後ろ姿に見覚えがある気がしていた。髪はオールバックにされていて背丈は俺と同じかし小さめだ。おそらくは高級なんだろうと思わせるダークグレーのスーツと、同じく高級ある黒い革のビジネスシューズを履いた後ろ姿は、確かにどこかで見覚えのある姿だった。

「……あんたか、俺をここに呼んだのは」

「……」

こちらの呼びかけに、男は無言を貫いた。いつまでも外を見続けるはずもないだろうから、向こうの反応を待つことにした。まさか耳が聴こえないなんてことはないとは思うが、多分、夕が沈みきるまでの時間だろう。

案の定、男の肩から見える夕は沈み男がそこでようやく、小さいながらも肩をすくませるようなきをみせた。そのきに、俺はひどいデジャヴュにも似たものを覚え、過去から記憶の波が押し寄せてくるのをじた。

「夏の夕は長くていい。……そうは思わないか」

「その聲……まさか、あんたは……」

告げられた聲に懐かしさとともに、やはり様々な記憶が次から次へと甦っては脳裏をかすめ、また次の記憶が甦っては脳裏をよぎっていく。

「久しぶりだな」

振り向いて見せたその顔は逆になってはいても、見間違えることのない懐かしい顔だった。

「親父……」

そう、その顔はかつて日本を出てこの薄汚い世界に飛び込む前、考えの違いから踵を反した父……九鬼真太郎、その人だったのだ。

      クローズメッセージ
      あなたも好きかも
      以下のインストール済みアプリから「楽しむ小説」にアクセスできます
      サインアップのための5800コイン、毎日580コイン。
      最もホットな小説を時間内に更新してください! プッシュして読むために購読してください! 大規模な図書館からの正確な推薦!
      2 次にタップします【ホーム画面に追加】
      1クリックしてください