《いつか見た夢》第82章

運命なんてものを信じるかといわれれば、人はなんと答えるだろうか。

俺ならば間違いなく、そんなものは自分で切り開いていくものだと答える。ただ待っているだけで何か事が起きるかもしれないだなんて、そんな夢語は信じない。運命なんてものは書いて字の如く、命を運ぶ、もしくは運ばれるてくる命と書くので、自分が意志をもったとき初めて、今そこにある命が運ばれてきたときにこそ、そう呼ぶに値するものなんだろう。

ただ待った結果にあるものが運命だなんて、そんなものになどなんの価値もありはしない。自分で勝ち取ったものにこそ価値があり、それこそが運命と呼ぶに相応しいのだ。

つまり今、この狀況は自分にとっての運命といっていいことになる。予期せぬことだったのは間違いないが、自分自でしっかりと考えて起こした行の結果なのだから。

「どうしてここに……?」

くようにつぶやく彼に、俺はバツが悪いこともあってなんて答えればいいのか、全くわからずにいた。同じ會場にいるのだから、こういうことも十二分に考えられることだというのに、なんでそいつをシミュレーションしなかったのか自分を呪いたくなる。

「なんだ綾子、この青年と知り合いなのか」

男は綾子ちゃんに向かっていいつつも、目はこちらに向けたままだった。

「あ……はい。同じ高校の先輩なの」

人のことをいえた義理ではないのだろうが、綾子ちゃんにも揺はあるのが見てとれるほど、ぎこちない紹介の仕方だった。

「九鬼です。はじめまして」

視線を外して會釈する俺に、この親父は全く目を逸らすことはない。それどころか、細めて見るその目はどこか侮蔑を含んでいるようにじさせる目だ。

「九鬼……そうか、思い出したぞ、君が九鬼か。五年前に、うちの娘にちょっかいを出していた男だな。どんな男なのかと思っていたが、隨分とまぁ……」

「ちょっ……お父さん」

綾子ちゃんの親父は、突然聲を低くして鋭くいった。面識なんぞないが、それぞれ報としては互いを知っていたらしい。

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「それでもようやくその気になった娘の前に、いまさらなんの用なのかね。まさか、復縁したいとでもいうんじゃなかろうね?」

やれやれ、隨分と嫌われているものだ。話には聞いていたから、多分に高慢な親父とは思ってはいたがまさかここまでとは。

「……なんだ、何がおかしい」

「いいえ、別に」

笑いたいわけでも、笑うべきところでもないのはわかっているが、以前想像したままの態度をぶつけてきた親父に、俺は思わず苦笑せずにはいられない。これでは綾子ちゃんがうんざりするのも仕方ない。もしこれが彼の父親でなければ、即一発お見舞いしてやっているところだ。

「あなた、し失禮よ。申し訳ありません、渡邉様。彼には厳重に注意いたしますので」

事態が思わぬ方向にいきかねないことを察してか真紀は、目の前の親父に対して平謝りするもこっちの態度がよほど気にらなかったのか、男はますます不愉快そうに顔を歪めていっている。

「藤原くん。君には六角先生のこともあるから大目に見てきたし、これからもそのつもりだが、この男は々見當違いもいいところではないのかね。こういった場は、もっと教養のある者だけがいていい場所だ。それなのになんなんだね、この男の態度は」

俺はなにもいわずに、ただ親父のまくし立てる言葉を右から左へ聞き流し、関心は目の前の綾子ちゃんだけに向けていた。こんな父親を前に、よくこんな気立てのいい子が生まれたものだと、ほとほと心したのだ。

いいや、むしろこんな父親を反面教師にしたといったほうがしっくりくる。思えば過去に、綾子ちゃんがこの親父に対して愚癡をもらしていたことがあったので、そうしようとするのは自然なり行きだったのかもしれない。人間、本當に唾棄したくなるものを見聞きすれば、そうならないよう努力したりするものだ。彼にとって、この父親はそういった対象であるわけだ。

「お父さん、いい加減にして」

放っておいたら一時間でも人を罵倒していそうな父親に、綾子ちゃんはしい眉をひそめて強く制した。

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「この人は私の命の恩人なのよ。これ以上の侮辱は私が許さないわ」

鋭く言い放った綾子ちゃんは、親父の口が開こうとする前に俺の手をつかみ、親父と真紀を殘してその場を離れる。そのきにつられるように、俺もそれに従った。

それを目の當たりにして親父は俺たちの背中に向かってなにかいってきたが、俺も彼もそんなことに構うことなく人の隙間をって歩き、先ほどの場所とは正反対のところにまでやってきた。周囲には會場に彩りを與えるために祝賀用の大きな花飾りが何本もあり、ちょっとした壁になっている。その花飾りの後ろにまで、綾子ちゃんは手を引っ張ってきた。

「ごめんなさい、九鬼さん。父があんなことを……」

「いいや、別に構わないさ。ただ初対面の人間にまさか、いきなりまくし立てられるとは思わなかったがな。それよりもよかったのか」

肩をすくめながらいうと綾子ちゃんは、恐そうにして顔を俯かせ、ただただ謝って、別に構いませんと言い捨てた。よほどあの父親のことを恥ずかしく思い、気にらない様子だ。

「それにしても、まさかこんな場所で會うなんて、さすがに驚いたよ。君がいいところのお嬢さんだってのは知ってはいたが、それでもここまでとは思わなかった」

花飾りの壁の向こうをざっと見渡しながら告げると、綾子ちゃんはそんなことありませんと畏まって否定した。慌てていった彼の様子がどことなく可く、俺は思わず小さく笑ってかぶりを振る。

「まぁいい。なにがともあれ、君のおかげで助かった。そいつには禮をいっておかなきゃな」

「別に私なにもしてないですよ」

きょとんとする綾子ちゃんに真紀との腐れ縁についてしばかし話してみると、何か思い出したようで二度三度と頷いた。

「藤原さんって、高校の文化祭のときの……同じ會社に就職されたんですね」

會社といわれて、思わず苦笑する。もしかしたら真紀は、綾子ちゃんの親父に警備會社か何かの人間だとも伝えているんではないのか? 俺がこんな格好で紛れていることにも、あまり驚いてはいなかったあたり、考えられない話ではない。あるいは、あくどいことをやってそうな親父だったから、あのの本を知らないわけでもないのかもしれないが。

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「まぁ、似たようなものかな。しかし君も婿探しとは……ずいぶんと時間が経ったんだな」

綾子ちゃんに限らず、世の大抵の人間にとっても同じことがいえる。ある時期に差しかかると、皆唐突に時間が経ったんだと認識するのかもしれない。俺にとっては目の前のドレスアップした綾子ちゃんを目の當たりにするにあたって、そいつを強く実した。

だけども、俺にはどうしても沙彌佳のことが頭を離れないこともあって、とてもではないがこんなにも時間が経っているだなんて思えない。いつまでたっても俺の時間は前に進むことはない。進んでいるようでいて、同じところを延々と行ったり來たりしているのだ。

「そういえば九鬼さんは今、どんなお仕事をなさってるんですか」

綾子ちゃんがいきなり言いにくいことを突っ込んでくる。他意はないのだろうけど、なんとも言い難い質問だ。

「ま、一言でわかりやすくいえば、便利屋みたいなものかな。依頼があればそこに赴くってじのな」

「便利屋……」

どうも言葉の意味がわからないのか彼は、クエスチョンマークを頭に浮かべているのが表から見てとれる。

「もっと砕いていえば……探偵まがいなものさ。んな調査をしたり、報の買い付けのためにんなところに潛したりもするんだ」

ふと、後ろめたいことをやっている連中が家族にだけはそいつをにしておく気持ちが、このとき理解できた。理屈ではわかっていても、いざそいつを験するとでは、えらい違いだ。全てが本當とはいわないが、あながち噓でもない。さすがに殺し屋をやっているだなんて思いもしないだろうし、彼にはそいつを知ってもらいたくはない。

「そう、なんですか……」

どんな職業を思い描いていたのか、俺の言葉を聞いて綾子ちゃんは、たちまち驚いた表を見せ取り繕うようにそういった。いわゆる、スーツに會社というサラリーマンとでも思ったのかもしれないがまさか、そんな職業に就いているとは思いもしなかったんだろうというのが、雰囲気から手にとるみたいにわかる。

しかし気を遣いすぎといってもいいくらいに相手に気を遣う綾子ちゃんは、そこからなんと口にすればいいのか考えあぐねてしまい、俺も俺でなんとも気まずいこの雰囲気に押し黙ってしまう。これが他の誰かなら構わないのだが、綾子ちゃんに対してはどうにも後ろめたい気持ちになって仕方がなく、なんともむずくなる。

「と、ところで、六角って奴はどこにいるか知っているかい」

沈黙が降りて居心地が悪くなった俺は、そいつを打開しようと唐突に話をふった。綾子ちゃんも同じ気持ちだったのはいうまでもなく、話にのってくる。

「先ほどまでスピーチで、壇上にいましたけど……脇のほうで顔見知りの方たちと、おしゃべりしていたのは見かけましたよ」

「親父さんも挨拶にいったわけか」

あまり人前に出ない権力者だけあって、ここの連中もターゲットに取りろうと必死のはずなので、強そうな綾子ちゃんの親父がそれに飛びつかないはずはない。そう読んでいってみたところ、図星を指され綾子ちゃんも苦笑しながら軽く頷いた。

あの親父にとってこのパーティーは、んな意味で重要なプレゼンであるに違いないだろう。真紀にいった綾子ちゃんの婿探しは當然として、六角という財界は當然、政界にすら大きく顔が利く人間の懐にることができる可能を、みすみす逃すわけがない。上流連中の政略結婚など別に興味などないが、かつての想い人がそうしないといけなくなると話が変わる。このまま目の前の綾子ちゃんをさらって、どこか遠くの地に消えるのもいいかもしれないという気になってくるのだ。

だがそいつは無理な話というもので、俺一人ならともかく、彼を連れて人知れぬところに逃げおおせるほど、現在、この世界は甘くない。どこに行くにしろ、どうあっても人目につくうえ、その気になれば今現在は衛星からでも個人の顔を把握しようと思えばできなくもないほど衛星の監視システムの能も上がっているのだ。そうなれば、走した俺に追っ手がかかるのも時間の問題だ。

まぁ、今のところはそのあたりの向が知られてはいないはずなので問題はないが、もし綾子ちゃんの親父が六角と繋がりを持つとなると、そういった可能が極めて高くなる。

そこまで考えたとき、自分が馬鹿なことを考えていることに気付いて自嘲気味に笑った。何を考えているのだ、俺は。仮に人目をかい潛り、數多の追っ手を返り討ちにしたところで、彼を危険に曝してしまうのに変わりはない。そんなことは絶対に許されない。俺の都合で俺が死ぬんであれば、それはそれで仕方ない。だが、綾子ちゃんは俺の世界とはまるで無関係なわけだから、そんな彼をこちらの都合で巻き込めるわけがない。

「九鬼さん?」

「ああ、いや。もし良ければ、その六角ってやつのところに案してもらえないか」

急に黙りこんだ俺に綾子ちゃんが呼びかける。とりあえずターゲットの顔を拝んでおくのも悪くないと踏んだ俺は、彼に案を頼んだ。正直にいうと、もはや六角なんぞどうでも良くなっていたのが本音だが俺の直は、まだ何かしら面白そうなネタがあるはずだと告げている。

綾子ちゃんは俺を案するために、再び先ほど見かけたらしいあたりにまで案してくれた。するとフロアの端、とまではいわないが、ホテルの大きな窓ガラスに近いところに寫真で見たターゲットの男が取り巻きに囲まれて、談笑しているのが見えた。皆、男に取りろうと必死で、その景はまるで主人に尾を振る犬みたいに稽だ。

そして取り巻いている連中は、どれもこれも財界や政界に幅を利かせている連中ばかりで、改めて、ターゲットがこの世界の重要人なのだと窺わせる景でもあった。それは同時に、奴を後ろからっていると目される、ミスター・ベーアと呼ばれる人の存在も。

けれど俺はそれ以上に、六角の背後や取り巻き連中の邪魔にならないながらも確実に連中を監視している、黒服の男たちに目がいった。以前、真紀や組織の工作員たちと組んで作戦を行ったことがあったのだが、そのときに組んだ連中がなかば陣を組むようにして周囲を取り囲んでいた。

中には俺とは全く面識のない男もいて、そのの一人は、日本人らしいがどことなく外國人っぽく見えなくもない、不思議な雰囲気と外見を持った男もいる。その男は護衛のわりに歳がいっているが年齢をじさせない、がっしりとした格と高い上背をしていた。

この世界にもやはり引退というものはあって、やはり例によって高齢の者から現役を退いていくのは変わらないが、中にはどう見てもこの業界に限らず引退していてもおかしくない者がなからずいる。別に正確に何歳までという規定もないので構わないのだが、ここではやや浮いて見えなくもない。あの男も年齢は六十近くに見え、引退していてもおかしくない年齢ではあるがその優秀さから、まだ現役を退く必要はないのだ。つまりそれだけ作戦の立案も悪くないわけであり、おそらくは、あの男が今回のチーフなんだろう。

「すみません。ちょっといいですか」

その男に近づいて耳打ちすると、男がわずかに方眉をあげ、こちらに気を向けた。さらに小さな聲で続ける。

「不穏な奴がいる。そろそろ引き上げたほうがいい」

そう耳打ちすると男は途端に顔をしかめ、どういうことだと反問してくるがそれには答えることなく、ただ肩をすくめるだけだった。

実際にそんなやつなど俺以外にはいないが、連中のきを見るにはちょうどいい。六角がミスター・ベーアの傀儡ならば、これでなんらかのきを見せるはずだし、場合によっては武田の野郎を出し抜く何かが摑めるかもしれない。

男はそんな俺の意図など考えることなく、急ぎ足に六角のところへ行き耳打ちした。それに軽く頷いてみせた六角は、取り巻きの連中に手でジェスチャーしてみせ歩き出したときだった。

「おい、なんだあれは」

大きな窓ガラスの向こうに広がる闇夜に向かって、誰かがんだ。すると、六角の警護に當たっていた組織の連中がそちらに向かって、一斉に視線をやる。俺も當然その言葉に反応し、訝しげに首をひねる。

視界に眩しいが飛び込んできて、そのが何かにつられていている。それは、とても有り得ないだった。ヘリだ。それも報道用や個人所有のみみっちいものではなく、背景の黒に溶け込んではいても軍用機であるのがはっきりとわかる、戦闘用のヘリだ。はヘリの追跡用の照明だったのだ。

なぜあんなものが……疑問が頭を掠めたときはすでにが自然にき、んでいた。

「伏せろ」

橫にいるチーフの男を突き飛ばし、し離れたところにいる綾子ちゃんのところまで一気に跳躍し、庇うように抱いて床に伏せる。

床にがぶつかる衝撃と、つんざく激音がしたのはほとんど同時だった。ヘリから機関砲の掃によって、窓ガラスは當然、壁や床、シャンデリアといったものがたちまち破壊されていく。

何が起こったのか理解できない一般人は、容赦なく機関砲の餌食にされ瞬く間に塊へと変わっていき、あたりには阿鼻喚の聲があがって飛沫や片が飛び散る。

「九鬼さんっ」

腕の中にいる綾子ちゃんがぶ。俺が影になっているため、あたりを見ることができないのだ。だが、今の今まで華やかだったパーティー會場が瓦解していく音と震、死んでいく者たちの悲鳴に不安になっているのだろう。

を庇う背中に、床や壁のコンクリートの破片が飛んできて當たる。それらに混じり、何からかげでり気のあるものも一緒に背中に飛んできた。想像したくないが、誰かの片だろう。

案の定、伏せている俺達の橫に、慘めなび聲をあげて倒れてきた男の顔は苦痛に満ち、まだ生きている俺達を恨めしそうに睨んでいる。おまけに、弾が顔を掠めたようで、左のこめかみから眼底、頬骨のあたりにかけて吹き飛んでしまっていて、眼球は破れて中の水分が流れたのかひしゃげている。

「ひっ……」

ちょうど真橫に倒れてきたこともあって、腕の中の綾子ちゃんには酷い形相の顔がよく見えてしまったらしい。恐怖を押し殺した短くくような悲鳴をもらす。

砲撃によって破壊されたフロアの天井から吊されたシャンデリアが、再び砲撃の弾が當たりミシミシと音をたてて床まで一気に落ちる。

巨大なシャンデリアだけに、真下にいた、まだかろうじて息のあった連中は下敷きになって押し潰され、落ちた衝撃でクリスタルのきんきんとした高くき通った音が何百にも重なって砕けて、耳障りな音がフロアに響く。

風通しの良くなったフロアに、今度は発音が響いた。どうやら手榴弾が投げ込まれているらしい。

「耳をふさげ」

それをすぐに察知した俺は、綾子ちゃんにんだ。彼は完全に心ここにあらずといったじで、全くく気配がない。俺は仕方なく、綾子ちゃんの腕をとって耳元までやってふさがせる。すると彼はのろのろともう一方の耳に、自分で手をやってふさぐと祈るように目をつぶって直させる。

ヘリはバラバラとメインローターの回転する音を響かせながら、ゆっくりとホテルの壁の側面に沿って移しホバリング、また戻ってホバリング、といったきを繰り返している。ここにいる人間は、誰一人として生かすつもりはないらしい。

そのヘリからの機関砲による砲撃音が不意に止んだ。怪訝に細めた目でそちらのほうを見遣ると、中からこちらに何かライフルかと思われる機銃を向けてきた人影があった。

幾人かがやはり、唐突に止んだ砲撃に訝しんで顔をかしたのがわかる。

あの六角もその一人だったようで、ヘリに顔を向けたが次の瞬間、男の顔が水のったパンパンの風船が割れる音に似た、低い音をたててぜた。顔面が突然後方に向かって飛び散り、々になった衝撃でごと同じ方向に引きずられて、六角の上骸骨部分は完全になくなった。同時に弾道上にいた護衛のにも風を開ける。

いくら見慣れているとはいえ、やはりこの景は思わずこちらの顔をしかませるには十分なものだ。目をつぶったままの綾子ちゃんがそれを見なかっただけでも、幸いといったところだろう。

(一どういうことなんだ、これは)

ヘリの襲來は予想通り、六角の奴が目的だったのは間違いないとしても、関係ない連中まで皆殺しにする意味がわからない。理由づけするとなると、俺ならばやはり島津製薬のときのように非人道的といってもいい実験を繰り返し、沙彌佳を苦しめたとして復讐してやるに十分なものなので、それなら理解できないわけではない。

だが今回は、だとしてもあまりに明確な理由をじさせない。六角が目的だというのは間違いないので奴を始末しようというのなら、まだいくらもやり方があったはずだ。ここまで徹底的に、他の連中まで巻き添えにする理由はなんなのか……。激しい憎悪をじさせるようで、ただの無差別のようにも思わせる。

ホバリングしたまま一向に離れそうないヘリを睨みながら、橫の死を蹴って離し顔を反対に向かせると、のろのろと起き上がった。風通しがよくなったため、メインローターが巻き起こす風に砂塵が低く舞い、反対側の壁に追いやられていく。

吹きつけられる風に顔を左腕で覆い、ヘリにいる、六角を撃ち殺した奴の面を拝んでやろうとしたが風は容赦なく吹きつけるため、うまく目を向けることができない。ただ、奴はなにを思っているのか撃った方向にライフルを向けたまま、こちらに向けることなく代わりに顔を向けてきているように思われた。

「くそ、風のせいで……おまえは一何者なんだ」

眩しいに相手がよく見えないが、俺はそいつに向かってんだ。ローター音に掻き消され、相手に屆いたとは思わない。それでもばずにはいられなかった。

するとヘリはホバリングをやめ、一度大きく後方下にさがる。それを見て俺は走りだした。逃げるつもりなのだ。

逃すものか。なにがなんでも取っ捕まえて、白狀させてやる……。そんな思いで俺はずたずたになったフロアを走る。だが床に倒れたいくつもの死が邪魔して、上手く走れない。それでもなんとか、死を避けながら走る。

幸いなのは外壁とヘリの間はせいぜい三、四メートルといったところで、しかも窓ガラスのあったところは全てなくなって躓つまずきそうなものも一切ないため、思い切りジャンプすることなくヘリの下腹部にせり出た足掛けに摑まれるはずだ。

だが、そんなときだった。

「待ちなさいっ」

鋭くの聲に俺は気をとられ、走るスピードを緩めてしまった。中途半端なことが危険だとわかっていながら中途半端にスピードを緩めたことが災いして、窓の直前になって止まろうとしてしまったのだ。

一瞬で全の気が引く。こんなところで止まっては、とてもではないがスピードを完全に殺すことは不可能に近く、命綱などない今、どう考えても百何十メートルも下の地面めがけて真っ逆さまになる。

そしてそれは免れそうになかった。目の前には暗い夜の空が広がっていて、視界の脇にヘリがある狀態では、最後の一歩はもう空中に踏み出すことになるのは間違いない。跳ぶことができてもヘリに摑まれる保証などない。

それでも中途半端な狀態でありながら、俺は踏ん張りをきかせて跳んだ。どっちみち落ちるかもしれないなら、やるだけはやってやろうと床を蹴ったのだ。

いや、意識したわけでなく、が勝手にいたのだ。

不思議に、何もかもがスローモーションに見えた。極度のにおかれたとき脳のアドレナリンが過剰に分泌されて起こる、あれだと不意にそう思った。過去にも幾度か、似たような経験をしてきたことがあるからか、妙に落ち著いて頭の片隅でそう考えていると、ヘリにいた狙撃手がこちらに向かってライフルをばしてきたのがわかった。

妙なことに、世界がスローモーションに見えるというのに、なんでこいつがこっちのきについてこれるのだと考えながらも、は本能に忠実で、すでにライフル砲を摑もうと空中に飛んだの前に左腕がいていた。落ちるスピードはゆっくりだが、せり出されくる砲と腕のきははいつもと変わらぬ速さだった。

なんとか、なんとか摑むんだ……そう強く念じながら、ついに手が砲れ摑むことができた。このときにはスローモーションにく世界の中で、自分だけが普段通りにけることなどもはやどうでも良かった。

「ぐっ」

を摑んだ瞬間、スローモーションだった世界が唐突にいつもの速さでき出した。なんとか摑めはしたものの、腕に自分の重と下に落ちようとする重力が一心かかって鈍い痛みが走る。

俺が摑まったことで、うまくホバリングしていたヘリがその衝撃に大きく揺れた。ライフルを持った奴もそれによって下に引きずられたが、なんとかもってくれた。

下に向かって左右に揺られる覚と気持ちは、とても表現できるようなものではなく、いつ落ちてもおかしくない狀態で焦燥だけが先行する。それを助長するように、摑んだ砲がつるつるのため先が外れないか、とてもではないが気が気でない。

だがふと気づいた。揺られているのは俺が摑まったためでなく、実はあえて揺らされているのではないかということに。もちろん俺が飛び移ったことで、急激に機が傾いたのは事実だ。しかし、いつまでも揺れ幅が減ることなく、どちらかといえば揺れが大きくなってきているように思えるのは、決して錯覚ではないだろう。

そしてその思は見事に的中した。しかもそいつをやっているのは他の誰でもない、ライフルを差し向けた奴本人だったのだ。

「待て、待つんだ。今揺らされたら……」

だんだんと、揺れの勢いに腕が堪えられなくなりつつあって、俺は上を見上げてぶ。こいつはまさか、とんでもないことをやろうとしているのではないか……脳裏をよぎった考えに、俺は今さらながら冷や汗をかいているのを実し、やめろと奴に向かってぶが、一向に止める気配はない。

「うっ――」

揺れが最大になったかというところで、奴は思い切り俺を壁に向かって投げようとした。俺としてももはや耐え切れそうになく、渾の力を振り絞り最も揺れ幅が壁に近づいたときを見計らって、飛んだ。

飛んだ瞬間、心臓がみ上がる思いで壁に摑まった。だが、先ほどの掃でボロボロになった床はざらついていて、おまけに、うまく指をかけられそうな場所が見當たらないだけでなく、しがみついた壁も衝撃でミシリと嫌な音がした。

必死になって、床がざらついていようがなんだろうが腕の力で落ちそうなを支えてしがみつくが、つるつるの砲を摑んでいた左手にはあまり握力がなく、ずるずると下にがさがり始める。しかも砲を摑んだときの衝撃によって腕が痛んでいることもあって、思うように腕がかない。

このままでは落ちてしまう……嫌な予がしたところで腕が思い切り、誰かに摑まれた覚に思わず顔をあげる。

「九鬼、さん……」

驚いたことに、俺を落ちないよう支えてくれたのは綾子ちゃんだった。ドレスが床に散らばったや埃やなんかに汚れることは構うことなく、自分の重よりもずっと重い俺を持ち上げようと引っ張る。顔がうっすらと紅していて、必死に力を振り絞っている。

にこんなことをされては、こちらとしても泣き言などいってはいられない。俺は再び腕に力をこめ直し、引っ張られる方向に合わせて上を持ち上げていく。

左腕が痛みに悲鳴をあげているがあとしだと心中で自分を鼓舞して、コンクリートにざらつく床を摑むように左手をへばり付かせる。しがみついた壁にっていた亀裂から、ポロリと破片が地面に落ちていった。

そこまでくると、あとは足を窓枠の縁にかければいい。右足を大きく広げて縁にかけると、引き上げようとする力と自分の力によってが一気に軽くなって、半ば転がりこむ形でようやく建の中に戻ることができた。

一息つく間もなく俺は、こちらを気にしていたらしいホバリングするヘリのほうを向く。全く意味不明の行をとる奴らだ。さっさと逃げれば良いものを、なんだっていつまでもこっちのり行きを見守る必要があるんだ。だったら、そもそも始めから俺を引きずり上げておいたほうがいいはずなのに、一どういう理由で……。

心毒づきながら連中のほうを見ていると、なにを思ったのか、ライフルで俺に助け舟を出してくれた奴が被っていた、黒っぽい戦闘用ヘルメットをとったのだ。

直後、ヘリの眩しく照らすライトに阻まれ、その眩しさに瞼の上に手をかざしたため、そいつの顔を拝むことができなかった。それでも、そいつが長い黒髪を後ろで留めただということだけは、一瞬であってもはっきりとわかった。

それを見たとき、なんともいえない心臓の高鳴りを覚えた俺は、怪訝に思いながらも再度窓のほうへと駆け寄る。

まさか……いや、そんなはずは……だがしかし……。こんな思が渦巻いている中で俺はただ、もう顔を引っ込めたの乗るヘリを神妙な面持ちで見つめた。ヘリはぐんぐんホテルから離れていき、あっという間に豆粒よりも小さくなったかと思った頃には、もう夜空に紛れて見えなくなった。

「九鬼さん」

背後から綾子ちゃんの不安げな聲がする。

「ああ」

一言そうつぶやいただけで、俺はもう何もいうことはなかった。最後の一瞬だけ見えたあの長い髪のは、おそらく島津の研究所で出會ったあのだろう。だとするなら、それはつまり、あのが妹である可能があるのだ。

はっきりと顔を見たわけでもないし、これまでだって確証なんて何一つ得られた試しもないが、なんとなくだがそんな気がするのだ。これを妄想だと笑いたい奴がいるなら笑えばいい。だが俺には、どうやってもその疑念と可能が頭から消えないのだ。いや、それどころか、ますますそう思えて仕方ないのだ。

「……あなた、彼らとは知り合いなの」

今しがた現れたヘリの乗組員たちのことをいってるんだろう、床に転がった無數の死の合間をぬって真紀がやってきてそういった。俺はただ、わからないと首を振るだけで一杯だ。

その場でしのあいだ、彼方に消えていったヘリのあとを何を考えることなく見つめたあと、ため息をついて振り向いた。

ホテルで起きたヘリの襲撃による騒ぎで、ホテル周辺では何事かと人々が口々に騒ぎたてホテルのほうを見上げていた。そんな彼らを、國道を走る黒いリムジンの中から流れていく景の一部として、橫目に見ながら目の前にいる連中のほうへ向きなおる。リムジンは、乗車前の短いやり取りで高速にといっていたので、首都高速を目指しているんだと思われた。

目の前には六角の護衛として黒服連中のうちの一人が、向かって右に真紀、そして俺の右には綾子ちゃんが座って、それぞれ三者三様の表を見せていた。目の前にいる男は護衛チームのチーフをしていたらしい男で、白髪まじりの短髪に、歳のわりに若く見える印象の顔立ちをしている。笑っているわけではないはずなのだろうが、どこか薄笑いを浮かべているように見える。

真紀も真紀で足を組み、手はその上においたまま真正面にいる綾子ちゃんを、冷めた瞳でじっと見つめている。綾子ちゃんはそんな真紀に見つめられ、そわそわとして居心地が悪そうだった。別に真紀に見つめられるからとは限らず、人に何をいわれるでもなく、ただじっと見つめられていると落ち著かない気持ちになるのは當然だろう。真紀の容姿はなまじ悪くないだけに、なおのことだ。

二人とも、今度の騒ぎで著ているドレスが煤とで汚れてしまっており、せっかくの裝が臺なしだった。けれども妙なもので、それがまた不思議な気をもってしく見えるのだ。

「それで、いい加減どこに向かっているのか教えてくれてもいいんじゃぁないのか」

綾子ちゃんと真紀の微妙な空気に耐え兼ねて、目の前にいる男にそういうがこいつはまるで口を開く気配はじさせずに、ただニヤリとを歪ませ肩をすくめるだけだった。黙ってついてくれば、そのうちにわかる……そんな態度なのだ。

俺は忌ま忌ましげに舌打ちすると、踏ん反り返ってシートに低く座り直した。ついでに走るリムジンの後方に見える、ヘリによって最上階が破壊されて大慘事を巻き起こしたホテルに視線をやり、頭の中でここまでの流れを整理していた。

ぼんやりとヘリが去ったあとの夜空を見つめていた俺だったが、にわかに周辺が慌ただしくき出したことで背後にいる綾子ちゃんに、ありがとうと伝えて真紀のほうへと大で歩みよった。

「おい、なんなんだこいつは。あんたの護衛もずいぶんといい腕をしているな」

し前までの、きらびやかさや華やかさなどまるでなくなったフロアを、指差していった。ヘリからの砲撃をければ、こんな防弾もなにもないホテルの壁など一たまりもなく々になるのは當然で、もはや壁はボロボロに砕け、百何十メートル下の地面にコンクリートの破片や鉄骨なんかが落ちていた。

おかげで下にいる連中は當然、周辺にいる人間たちにまで騒ぎが波及することになっていった。予期せぬ自ということもあって、おそらくは明日のトップニュースはこのことで間違いなく、話題も持ち切りになることだろう。

「まさか、ここまで大膽な行を起こすなんて思わなかったのよ」

必死に告げる真紀の態度からは、確かにそうかもしれないと思わせる節があり、押し黙って頷いた。真紀のいう通り、まさかこんな街中で軍用機を駆り出してくるなんて思わなかったので、それはお互い様なのだが……問題はなぜそんな目立つやり方をしたのかということだ。

おそらくあのヘリを員させたのは十中八九、武田の野郎だ。今夜のことを罠だと提言してくれた田神や、利がいっていたありがたい待遇からもなぜか気にらないと思っているらしいので、そう考えていい。奴の筋書きは俺が今夜ここでターゲットを消して、用済みになったところを始末するという常習手段を用いるつもりだったのだ。

なんともムカつく野郎だ。はなっから胡散臭い奴だと思って信じることはなかったが、やはり正解だった。この世界では人を欺くのが當然のこととしてまかり通っていて、世の道理など口先だけであったものではないことくらいは、嫌というくらい知っているつもりだ。

しかし、今回のように人に依頼してきておいて最後には始末するなんてのは、この世界でもご法度だ。この道理の通らない世界で數ないルールであり、それを破った者には死しかない。だからもう何がなんでも、必ず俺がこの手で武田の息のを止めてやる。

……ふん、まぁいい。忌ま忌ましくも今はまだやりたくてもできないので、放っておいてやる。ともかく、まずはこの狀況からするのが先決だ。

俺はと臓腑が散らばって、とてもここがホテルとは思えない戦場さながらのフロアを見て、顔をわずかにしかめる。幸いに、フロアの端にいた連中は怪我をしつつもまだける者もいるようで、もそもそと起き上がってきている。

「悪いが、俺はさっさとここからおさらばするぜ」

「待ちなさい」

真紀の制止をみなまで聞くことなく、続けざまにいう。

「いっておくが、俺はあんたに付き合う義理はないはずだぜ。俺にはなにがなんでも、あの連中を知る必要があるんだ」

「では君も我々のところにくるかね」

俺と真紀のあいだを割って、チーフの男がそういった。

「おそらく今日、この場を狙ってスイーパーが現れるのは予想できていた。我々としても相手を知る必要があった」

「そのために護衛対象を殺されてもか」

極めて事務的にいう男に、俺は自分のことを棚上げすることも省みずにいうと、こいつはさらに続ける。

「そうだ。おかげである程度絞り込むことができた」

「どういうことだ」

なにか言いかけた男が周りをちらりと見て、口をつぐむ。

「ここでは止めておこう。今から戻らなくては」

「私も行くわ。あなたはどうする」

真紀にふられた俺は、どうしたものかと思案する。どうやら、こいつらも今回の襲撃者のことを察知していたようで、それであえてこの催しに參加したらしい。となると、こちらにもメリットが生まれてくるというもので、武田の奴をやる手だてができるかもしれない。

俺からいわせてもらえれば、こいつらも同類だが武田のいけ好かない行と思に付き合わされた挙げ句、命を落としかけたことへの落し前をつける必要がある以上は、まだしばらくはこいつらについている方がメリットがある。しかし問題は……。

「綾子ちゃん、君はもう帰ったほうがいい。どうも君の親父さんもまだ生きているらしいしな」

崩れた壁の破片の下敷きになってひっくり返った彼の父親を親指で指差し、綾子ちゃんにいうと彼は弱々しくふるふると首を振った。

「嫌です……やっと會えたのに……。ううん、九鬼さんは何を隠してるんですか。またあの頃みたいに、九鬼さんに隠し事されるのはもう嫌です」

……やれやれ、痛いところをつかれたものだ。けれど彼を巻き込まないと決めている以上は、斷固として拒否しなくてはならない。今回のように、まさかヘリを員するなどの予想外のことがこの先起きない保証などもない。

「駄目だ、君はくるな。こいつは仕事なんだ。それに今回は助かったが、これからも助かるだなんて保証はないんだ」

続けざまにまくし立てようとしたところ、突然男があいだに割ってっていう。

相手に喚きすぎだ。二人が知り合いなら、いい機會だ、一緒にきてもらえばいい」

「おい、あんた。なに言ってるんだ」

「君は、要は彼を巻き込みたくないのだろう。これから先なにがあるかわからないのは確かだ。だからこそ、自分の手元に彼を置いておけばいい。

そして彼にしてもそうだ。包み隠さず今の自分を見てもらえばいい。それで離れれば、それこそ君のむところなんじゃないかな」

「そんなことは言われなくたってわかってる。だからといって、そんな話を了承できるもんか。俺はそう決めたんだ」

的になってわめき立てたところで、この様子を見ていた真紀がもう時間だわと、男に促した。それに頷いた男はすぐに踵を返し、俺を見る。全ては俺次第だと訴えてきているのだ。

「できるわけが……」

「私、行きます」

「なっ……なにいってるんだ、綾子ちゃん」

こうなっては俺の意思などあってないようなものだ。紳士的に振る舞っちゃいるが、危険なこの世界の住人である男や真紀について行こうとする綾子ちゃんを放っておけるはずがない。男の言い方にしても、よくよく今考えてみれば、明らかに導している言い方だった。つまり俺は愚かにも、また良いように言いくるめられてしまったわけだった。

つくづく俺は、自分で思うほど頭の回転は良くないのだと気付かされる思いだ。自分でいうのもなんだが殺人機械としては、そんじょそこらの連中とは比較にならないと自認しているのだが、いかんせん、頭を使う方面にはいまいち向いてないのかもしれない。

もっといえば悪くはないのだろうが、人並みといったところで、なくとも人をうまく使う類いの人間ではないことは明確だろう。この男や真紀、あるいは田神なんかを見ているとそう思わざるをえない。

そう思案していると、いつの間にかリムジンは、走っていた高速を降りてどこかの閑靜な住宅街にまできていた。それもただの閑靜な住宅街ではなく、建っている家々はどれも豪邸といっていいものばかりだ。

そのうちにリムジンは豪邸が立ち並ぶ一畫を右に折れ、しいったところで高い壁の塀があるT字の差點にぶち當たった。そこを左に曲がってまっすぐ行くと、塀が途切れて巨大な観音式の門が現れた。綾子ちゃんは真紀の冷たい視線から逃げるように、その門を興味深げに見つめている。

運転手が門の手前で止まって、そこにいる守衛に二言三言いうと、すぐに門が音もなく門が開いていき車は徐行運転で敷地に進んでいく。なんとも広大な庭で、一面に芝生と所々に亜熱帯地域でよく見られる緑用樹林が植えてある。それらにはなにか謂れでもあるのかライトアップもされていて、これだけでもはやそこらの屋敷とは比べものにならない大豪邸だとわかる。

それらのあいだを突っ切って屋敷の前にまでやってくると、すでに車を待機していたらしい給仕がドアを開けた。

「ご苦労」

男はそういいがら車を出ると続いて、俺、真紀、綾子ちゃんの順で車を降りる。

「こいつは……」

なんとも馬鹿でかい屋敷だった。三階建てらしい屋敷は白っぽい壁で、各階にいくつもの窓が等間隔に設置されている。建の端にはそれぞれ塔が立っていて、見張り臺とも、隔離幽閉し監視するためのようにも見える。どことなく、鬱屈したものをじさせる塔だった。

十段かそこらの階段をあがり、主人を待ち侘びるかのように、すでに開かれている正面玄関の扉をくぐると、屋敷の中は中世ヨーロッパは貴族の城に迷いこんだのかと錯覚するほどのものだった。広々としたエントランスからは向かって三つに枝分かれした階段があり、二階へと繋がっている。

「おかえりなさいませ、ご主人様」

そういって屋敷へと案した給仕の男が、チーフに向かって告げると軽く頭をさげた。

「ご主人様だなんて、あんた、この城の主なのか」

「うむ。そういうことになるな、九鬼君よ」

ここにきて先頭をいっていたチーフの男は、振り返って薄笑いを浮かべる。どういうことだと口にする前に、真紀がいった。

「いかがでしたか、ミスター・ベーア」

「ああ。なかなかに悪くない。君の見立て通りだな」

ミスター・ベーアだと? 真紀が目の前のチーフらしい男に放った言葉に、疑問符が浮かんでは消えていく。

「ふふ、驚かせてしまったかな」

「……そういうことだったのか」

信じられないことに、してやったりといわんばかりに気にらない薄笑いを浮かべている男こそ、ミスター・ベーアと呼ばれる人そのものだったのだ。俺は驚きながらも、心ではついに獲の一人に辿り著けたことを悅んでいた。

武田のことは當然だが、思ってもいない大がかかったとあれば、このチャンスをみすみす逃すつもりはない。もしかすると、これまで明らかにされてこなかったことや知りたかった報は元より、それ以上のことも知ることができるかもしれない。

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