《いつか見た夢》第94章
靜かな夜だった。視界にめるのはひたすらに暗い夜の海原ばかりで、今は水滴が船をかすかに揺らし、そのしぶく音がするだけだ。この暗黒の海原をんでいると、昨日までの慌しさがまるで噓のようだ。
じっと飽きることなく変わり映えすることのない景を見つめていたところ、背後に人の気配をじてにわかに張が走る。しかし警戒することはない。その人はきっと、昨晩俺と桜井を窮地から救った藤原真紀であろう。
「ここにいたの」
そういって真紀が問いかけてくる。けれどその響きは言葉とは裏腹に、ずいぶんと無関心さを窺わせる。俺の行に呆れたからかもしれないが、こんなのはいつものことなので今さら気にするようなことでもない。
「どうにも船っていうのは苦手でね。船室は息が詰まって仕方ないんだ」
「そうね」
沈黙が降りる。俺はこの沈黙が嫌で舵室も抜け出して甲板にまで出てきているというのに、このはお構いなしにもう何度目かもわからない同じ狀況を作っては、それを俺が移してこの沈黙を破るということが続いていた。それも昨日からずっとだ。
だがこちらとしても、いい加減なにかいいたげなのにいわないもどかしい空気には飽き飽きしていた。これまでと同じように、しかし違うパターンに出て沈黙を破る。
「いい加減こんなのはやめようぜ。なにかいいたいことがあるんだろう。さっさといったらどうなんだ」
そういいはするが、真紀のいいたいことはほとんど予想できていた。昨晩のことだ。窮地を救ったのはなぜかこの真紀で、なぜこんな東南アジアの海を海賊船を待ち伏せていたのか理解できずにいるのだ。
しかし一日のあいだ、それもほんの何時間かのあいだで目まぐるしく変化する狀況と環境に激しく力を奪われていた俺は、真紀に満足のいく説明をする暇もなく深い眠りについてしまった。気付いたのは日が落ちる直前だったので、時間的には六、七時間ほど前という合だ。
その間真紀とは今のようなもどかしい空気が何度となくあり、その都度どう口裏を合わせるかを考えて、適當にその場をやり過ごしているというわけだ。桜井も起きて二人できちんと話せる狀況にもならなかったというのもあるが。ともかく、今はやっとこうして二人だけになれたのだから、存分に話をできる狀態になった。
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「そうね、そうさせてもらうわ。単刀直になんであなたがここにいるのか、それが聞きたいわ」
「それについてはあんたのほうが詳しいんじゃぁないのか」
皮げにを吊り上げていう俺に、真紀はあくまでもいつものすまし顔をきめたままだ。……ちっ。可くないだ。別に今に始まったわけでないと知ってはいても、鼻でも笑わないノーリアクションにこちらもなんだか気を削がれる気分になる。
俺はそんな真紀を無視するように話し始めた。だが、気をつけなくてはならない。真紀に助けられたからといって、このの全てを信じてはいけない。武田がいっていたではないか。俺がくのと前後して、この東南アジアにミスター・ベーア側からエージェントが送り込まれたということを。
「俺は知り合いからの依頼をけて、あの海賊船に乗り込む必要があったんだ、船長に聞きたいことがあったんでね。ま、取り逃がしちまったがな。それであんたのほうはどうなんだ」
「私も依頼があったのよ。ミスター・ベーアから直々にね。桜井義人を救出して、渡邉政志の持つ報を聞き出すことと、今回のためにすでに送り込まれているエージェントの救出。そうしたらどう、あなたがそこから逃げてくるなんて私も最初は混したわ」
そういう真紀は相も変わらず無表で、全く混したなんていう言葉の通りになったのかなんてとても思えない。むしろこの狐は、はじめからそいつを知っていたんじゃないか……そう思えて仕方ない。武田のいう通りにエージェントが送られたとしたら、遅かれ早かれ俺と邂逅するに違いない。
となると、この真紀がそうである可能があるのだ。元々得の知れないところのあるだから、その可能は十分に考えうる。かといって、このがまるきりそうであるというわけでもない。もしかすると、あの朽ちかけた船著き小屋にいた二人がそうである可能もないとはいえない。
しかし……仮にあの二人がスパイだったとして、あの時點で俺に実は武田側に潛伏したミスター・ベーア側のスパイだったと告げないのは不自然ではある。俺の顔が組織で割れているかいないかによっても大きく変わるが、割れていないとすれば、こちらにミスター・ベーアからの使者だと告げておいたほうが後々行もしやすいものではないのか。
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けれどもあの二人にそういった節は見られなかった。おそらく、二人とも救出に迎えをやるとして、連中の仲間がくる手はずになっていたに違いない。なのに実際に俺たちを助けにきたのはどうしたことなのか、敵対側のエージェントである真紀だった。まるきり矛盾したことに俺は真紀の橫顔を眺めながらに考える。
あるいは別の考え方もある。武田の野郎はあらかじめ東南アジアに派遣していたエージェントからもたらされた報をもとに、俺を送ることにしたといった。そうはいっていたがこの報元がどこからもたらされたのか、という點は気にならなくもない。
武田と落ち合う前に俺はなんの巡り會わせか、ミスター・ベーア本人と會うことになった。そして見せられた、あの奇妙な映像記録。それに武田の得の知れなさも合わせてだ。これは今にして思えば、暗にこちらを試していたとはいえないだろうか。始めから自分がそうだったのであまり気にしてはいなかったが、ミスター・ベーアもいい加減、ちょこちょこ問題を起こしかねない、あるいはすでに起こしている俺を目障りに思い始めているということはないとはいえない。
つまり、俺が裏切り者ではないのかと思い始めていないか、ということだ。俺もいい加減、こんな足軽家業などさっさと卻しようかと思っているところに本人直々に出迎えとなると、それの牽制か監視の意味を含んでいるに決まっている。そんなことはこれまでの仕事でいくらも見てきたことだし、今度はその標的に俺がなったとしてもなんの不思議もない。
ミスター・ベーアと武田。両者ともに、互いの組織、もしくはそれに準ずるところにエージェントを送り込んでいないとはいえないのだ。いや、これまで二人に會ったことのある數ない人間の一人であろう俺が見た二人は、間違いなく腹の中に何を飼っているが、予想もできない何かを飼っているという印象があった。むしろ、スパイを互いに送り込んでいるということを前提に考えなかった俺のほうが、今更さえするたらくといってもいい。
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だが、こう考えれば合點のいくこともある。なくとも今回に限っていえば、そう考えたほうがしっくりとくるのだ。武田の報が本當だとしても、それをミスター・ベーア側のスパイがキャッチし、それを主の元に送ることで本來武田側のエージェントが救出にくるはずが、ミスター・ベーアの意をけた真紀がいち早く先に姿を現した……この筋書きは憎たらしいくらいに考えうる可能だった。
ミスター・ベーアが俺という裏切り者の存在を、まだ気付いてはいないということもないわけではないだろうが、ここまでくるとなくとも裏切り者は存在し、それが誰かと探りをれている段階にきていると考えて問題はないと考えてよさそうだ。
となると隣のこのは救出にきたのは確かかもしれないが、それを見極めるための監視役も兼ねていると見たほうが自然だ。同時に、まだ裏切り者の判斷材料には欠けているとも思っているに違いない。もしすでに今回の作戦に現れるエージェントが裏切り者だというのがわかっていれば、はじめから助ける必要もなかったのだから。
その點ではまだこちらに分があるらしい。真紀が監視役であるという足枷はついてしまったが、それでも桜井は確保できたのだし、その上真紀から組織側のしい報すら橫から掻っ攫うことすらできるかもしれない。危険な賭けだが、こうなった以上はやらないわけにもいかないのだ。なんにしてもしばらくは、真紀とともに行したほうがのためなのは間違いない。
真夏の太が容赦なく照りつける中、眼下には見ているこちらのほうが暑くなるようなワイシャツを著込んだ男たちが、みな足早に歩いている様子が見える。目と鼻の先にはこの國の一大商業地區の高層ビルが所狹しと立ち並び、彼らもまた、そこへ向かっているのだ。
數日前に、真紀に連れられる形でこのシンガポールに到著した俺と桜井は、そのまますでにアジトの一つとして予約しておいたらしい高級ホテルの一室にやってきた。シンガポールという國は、まっさらな白が基調となっているらしく、どこもかしこも建の壁に白ばかりが目をつく。この部屋もその例にれず、天井から壁まで全て白に塗り固められていて、視界が白っぽくじて仕方ない。
さすがにあの高層ビル群はそういうわけにはいかなかったようだが、そこまでびる通り沿いの建にはやはり白が所々に見えた。真夏の暑さに白が際立ち、余計に暑くじるのは俺だけだろうか。まぁ、ここに植者が訪れるようになるまでは林のジャングルだったわけだから、真夏の熱さをより強調するジャングルを切り拓いて、あえて人工的な白をいれることでその暑苦しさや圧倒的な大自然の恐怖からを守ろうとした先人たちの知恵が、白を基調にした理由なのかもしれない。
だとしてもこんな暑い中、全くご苦労なことだ。俺はそんな男たちを目に、左手に持ったウィスキーグラスを口にやり、一気に流し込む。ぬるいは粘にれた途端、灼熱の熱さを持って食道を流れ落ちていき、俺は小さく息をついた。
そこで背後から聞き馴染んだ聲がして振り向く。
「こんな朝からお酒だなんて信じられないわ」
「別にまだ時間じゃぁないんだからかまわんだろう。それで」
呆れ気味にため息をついた真紀にとって、仕事の前になるかもしれないのに酒を飲むこと自に呆れているのだろうが、いつものことだからあれこれ指図される覚えもない。そんな俺に促され真紀も深くは追求しなかった。
「いっていたように、今夜決行よ。準備はしておいて」
無言で頷いた俺は開け放たれている窓の手すりに肘をかけ、持ちの準備とチェックをし始めた真紀を流し見る。準備などすでにできている。油斷はできない狀況でこの數日のあいだ、真紀と一緒に行をしてきたがこれまでのところ、まだ不審なきは見せていない。
その反面で二日前の夜、閉じこもっているのは嫌だと適當に夜の繁華街をぶらりと出歩いた。真紀のきを監視する目的で、それとなくってみようと思ったがやめておいた。今までこのをったことがない俺がここにきてうなど、逆に怪しまれかねない。そこで俺は深夜まで適當なバーやクラブを飲み歩いたのだ。
當然ながらそんなのはカムフラージュで、目的は作戦後の逃走経路を作っておくことだった。いい加減ミスター・ベーアや武田の足軽家業から卻したいと考えている俺にとって、今回の作戦が両者を出し抜くことのできるチャンスが訪れたのだ。
あまりに急な事態になったのには理由があった。真紀から救出されて一日経った船の中で、気を失っていた桜井が目を覚ましたところで俺が桜井がボートで言いかけたことの続きを聞き、そうせざるを得なくなったのである。今一度、桜井が告げたことを思い出してまたグラスに口をつけた。
「さて、一応聞いておこうか。あんたが海賊に拉致された理由である、政志のやつがどんな契約をわしたのか」
「……多分、三週間くらい前のことだったと思う」
二週間近い拉致監生活で、正確な日時など覚えていない桜井は、思い出すようにとつとつと話し始めた。
「私と渡邉社長は取引契約のためにシンガポールを訪れた。そのときはまさか、自分がこんな目に遭うだなんて思いもしなかったが……空港に著いたところで先方の使いの者が待っていて、彼の運転する車に乗って早速予約してあったらしいホテルまでいったよ。その場はとても契約を取るための場とは思えないほどアットホームな雰囲気で、なかば形骸化しているすらしたほどさ。
そして翌朝のことだった。そのままホテルに泊まった私たちは、前日に親睦を深める意味合いで晝食にわれたので先方の使いを待っていた。ところが、その使いの者はいつまで経ってもホテルに來なかったんだ。はじめのうちは向こうからっておきながら禮儀知らずだなんだと社長も怒っていたよ。だが」
「向こうにそれどころじゃぁない、なにかが起こっていた」
桜井の言葉を聞くまでもなくそういった俺に、桜井が頷く。
「その通りだよ。さすがになにかあってもいけないと、向こうに連絡をとったが繋がらない。いや、繋がらないといってもコール音すらなかったというわけじゃない。電話にでる書が、いつまでも向こうの社長が外出中だということばかりしかいわなかった。
だがすぐにそれは噓で、そこにいるんだということはわかった。もちろん最初こそ、もう會社を出て社長自らが出向くのかとも思ったがそうじゃない。彼らは」
「死んだ。殺されたんだ」
再びそう告げると、やはり桜井はもう一度頷いた。その直後、電話の向こうから聞こえた悲鳴に、ただならぬことが起きていることを悟った桜井と政志は、すぐにホテルを離れることにしたという。日本人にしてはなかなかに迅速な行といってもいいだろう。やはり一年の大半を海外で過ごすという政志にとっては、こうしたこともまた、あらかじめ考えられていたのかもしれない。
「ホテルを出たところ、社長が唐突に大使館にいくといって別行をとることになった。危険なことが起きている、そう思っての行だったはずなのに、単獨で大使館にいくという社長の考えに私は賛同しかねたが、それよりも私にも話した契約の容が重要なので、念のために船を使ってこの國を出るよう指示された。
そうまでいわれればこちらとしては、もうなにも言い返せないのでそうすることにしたよ。しかし港にいって船に乗ろうとしたとき、あとしだけ社長を待ってみようと思った。思ったが……それが間違いだったんだろう。待っていると、突然、いかにも堅気ではない恰好をした男たちにかこまれた。あとは前にも話した通りだ」
「なるほど、経緯はわかった。それでその契約の中は」
さすがにそこで桜井も一度は口を閉ざしかけたが、ここまでいったのだからと諦めもついたのか、また口を開く。
「君は、わが社がどんなものを商売にしていると思う」
桜井はどれほど俺が知っているのか試すような言い方をして、こちらの反応をうかがっている。嘗めた野郎だ。もしこちらが知らなければ、そのままお茶を濁そうとしているのだ。だがそういうわけにはいかない。
「最初に斷っておくが、適當にいおうとしたって無駄だぜ。もし會社のためという大儀のために噓をついたって、どうせ後でわかるんだから今いっておいたほうがのためだ。俺としても、できればわざわざ海賊船から救い出したやつの始末はつけたかないんでね。
確か、工作機械の製造と販売に始まって、現在ではそれらのノウハウを生かしてエネルギー産業界へ參。その背景には政志の妻である麻里子の存在がある。麻里子の父が政界にも影響を及ぼすほどの大投資家だからだ。こうして、さらに渡邉産業は海外に進出することができた、そうだろう」
「……そうだ。特にエネルギー産業界はまだ未知數といっても過言ではないから、昨今も革新的な技が多數生まれているのが現狀なんだ。今回も、その技をこのシンガポールに売りに出そうというのが今回の目的だった」
「つまるところ、その技はあんたらの新商品ってわけだ」
「そういうことになる。しかも相手は大口の取引相手だ。これにうまく乗じることができれば、我が社の利益は鰻上りにあがっていくのも間違いなかった」
過去形の言い方に強いのれをじた俺は、そうもいかなかったというのがすぐにじとれた。桜井は……いや、もっといえば政志がその翌日に、何者かの妨害をけることになったわけだ。
「社長は私にいったよ。今回の取引は、わが社にとんでもない利益が生まれるかもしれないとね。だが、どんな事業なのか聞いてみれば、社長はとんでもないことをいい出した。あまりに突拍子もない言葉だったので、真剣にこの人はどうかしてしまったんじゃないのかと思ったくらいさ」
「前置きはいい。さっさといいな」
「……わかったよ、頼むからそんなに睨まないでくれよ。社長は、どうやら本気でタイムマシンの製造に関わっていくつもりらしい」
「タイムマシン」
今年にってからというもの、やけにこの単語を耳にすることになった気がするのは、決して気のせいではないだろう。そのせいもあってか、桜井の言葉を聞いたとき、あまり驚きはなかった。対して桜井は、なかば呆れ顔になって笑みを浮かべている。これが當然の反応というものだろう。かくいう俺自も似たようなものなのだ。
それでも桜井ほど突拍子もない話だとも思えなくなっているのは、確実にミスター・ベーアや武田の闘爭の背景にあるものでもあるのだ。あの二人がどこまで本気にしているのかは知らないが、これだけは確実にいえる。両者とも、どうやらそれらが可能であるということを本気で信じている節があるのだ。
そしてここで、またもや件のタイムマシンときた。一どれだけの人間が、その夢の乗りの存在を本気で信じているのだろう。もちろん、俺とてそんなものがあるのだとすれば、全く気にならないといえば噓になる。だとしても、それは実現不可能だからこそ、夢や憧れであるものではないのか。だが、そいつを本気で作り実現させようとする二つの勢力があるということが、実は夢語でないということを意味しているのではないのか……そんな気になってきて仕方ない。
けれども変にファンタジーを夢見てしまう自分がいるのもまた確かで、理や量子のことを詳しく知らない俺にとっては、だからこそ実現可能なのかともかに思ってしまう。いいや、もしかすると俺は、なかば現代を舞臺にしたファンタジー世界に足を踏み込んでいるかもしれない。
思えば、春に訪れた島津の研究所で出會った怪、ゴメルの存在がそうではないか。機関銃による一斉掃を浴びていながら、塊になることもなく妖怪の百目玉のようになってまで再生し続けようとしたゴメル――あれはまさしく、ファンタジー世界における化そのものだ。
オカルトにも決して明るくない俺だけども、熱心な信者や研究者たちによれば魔法も科學も元をたどれば同じだともいう。だとすれば、坂上が生み出したあの怪は、科學という現代の”魔法”が生み出した、確かに実在する空想上の生以外の何者でもない。そうだとすれば、タイムトラベルだって可能なのでは――そう考えたとしても決してやぶさかなことではない。
「ただし社長がいうには、タイムマシンはよくありがちな時間を跳躍する乗りではなく、裝置といったところらしいが。タイムマシン……タイムトラベルにはいくつもの理論が存在していて、殘念ながら大半が論破されているのが現狀だ。一応は説明をけたけれど、殘念ながら私には理解できなかった。けれども社長は、本気で可能だと考えているらしい。
社長から聞いた話だが、一九八〇年代にアメリカで、タイムトラベルについての実験が行われたことがあるという。軍主導で行われた実験で、砂漠のど真ん中に研究施設を作って巨大な裝置を作り上げたらしい」
「知ってるぜ。結局は失敗に終わったんだ。だが、そこに參加した様々な分野の研究者たちは、そこで得られたデータを用いていくつもの論文を発表してる」
「……知って、いたのか」
驚く表をする桜井に含みのある笑みを浮かべ、肩をすくめる。知っているも何も、俺にとってはあまりにタイムリーな話題なのだ。このプロジェクトに、若かりし頃の坂上も參加していたというのは忘れたくても忘れられない事実だった。あの野郎がどんな容の実験をしていたのかは知らないが、その集大の一つとしてあのゴメルという怪を生み出したという事実は記憶に新しい。
聞けばその実験施設自は、アメリカの將來を二分するかもしれないという非常に重要なポジションに置かれていたらしく、失敗に終わったとき被った損失は、それだけで小國ならば一夜にして國の経済が傾いてしまうほどの額だったというから、よほどのことだったんだろう。
桜井の話はこれまでの経緯から、俺にとっては一聴の価値があるものだった。そもそも、タイムトラベルの理論自は実に二〇世紀もかなり早い時期からあるものらしく、理論の系化される以前の一九世紀にはすでにタイムマシンを用いた、そのものずばり『タイム・マシン』というSF小説が存在するくらいだ。俺自何年も前に、この作品を映畫として見た記憶がある。
施設の設立時期は不明で、同じアメリカにすでに存在していたフェミニ國立加速研究所という施設と競い合う意味と、同時に一方が失敗したときの保険をかけてのことだったというのが大筋な見方だという。フェミニ國立加速研究所の設立が一九六七年なので、なくともこれよりは後の設立ということになる。
違うのは、これが國家の、さらには軍主導であったことだ。結局は國益に使用されるという點ではフェミニ研究所にしても同じだけども、軍が主導するとなると當然、そこには軍使用という目的が絡んでくる。軍主導だからといって、全ての軍人がそれらを利用したいとは思わないだろうが、それを何かしら利用してみたいと思う輩が存在するのもまた然りだろう。當時、研究自はフェミニ、さらには歐州原子核研究機構などよりも進んでいたというから、そこらへんはさすがに軍主導といったところか。
しかし、あるときこの研究施設が突如として凍結されることとなる。理由は以前から何度も聞いている通り、実験自の失敗だった。失敗した理由が、軍の先走った結果主義によるものであるらしいということまでしか、政志は桜井にはいわなかったようだった。
「君はすでに知っているようだが、このプロジェクトには本當に様々な人間が大なり小なり関わっている。アメリカ軍主導とはいえ、當時バブル経済の真っ只中だった日本人もこれに加擔していないわけではない。我が社もプロジェクトに使われた機械の製作に攜わっているんだ。
社長はどうも、実験の失敗した理由を知っているような節がある。確証はないが、何かいいかけたところを自でいい止めていたので、多分間違いない」
「で、そいつがどんな風に今回の一件に絡んでくるんだ」
「……簡単な話さ。社長は再び、失敗したかつての実験を再現しようとしてるんだ。今度は功させる意味での再現だ」
「そのためにわざわざシンガポールを選んだのか」
「いや、シンガポールを選んだのは布石に過ぎないよ。必要だったから選ばれただけなんだ。
実験自は……日本國で行うか、それとも海外で行うか意見が割れていたらしい。結局は多コストがかかったとしても、國の優秀な研究者たちが集まりやすいという理由で國で行われることが決まったという。社長がいうには、それだけの理由ではなかったそうだが。ともかくそういうことになった。それが始まったのが今から大よそ一三年ほど前の話だ。
しかしだ。ちょうど半年ほど前に、突然それが中止になった。詳しい理由は話してもらえなかったけれど、N市で起こった政治家の真田暗殺事件が関係しているという話だったよ。多分、彼が大きく関係していたんだろう。暗殺のニュースを聞いたとき、やけに揺していたから。それからさ、社長がすぐに東南アジアに事業を展開するといい出したのは。當時の説明では、今びてきている東南アジア諸國になら十分にビジネスチャンスがあるからだということだったがね」
納得のいく説明に俺は小さいながら力強く頷いた。さらに桜井によれば、シンガポールが選ばれたのは東南アジア経済の重要な立場にあるためだという。確かにシンガポールはイギリス連邦の一ヶ國として、治安も比較的落ち著いているうえ、貿易が経済を支えているので資の輸送についても行いやすい。
それだけではない。ここで武田のいっていた、水という資源が浮上してくる。政志たちは海水を濾過ろかして真水にする技と、東南アジア特有のった空気を取り込んで水へと化させる技といった様々な技を売り込み利益を上げることで、運営費も稼げるという算段だったのだ。シンガポールにしても水を確保できるうえ、その副産としてエネルギーも確保できるという一石二鳥であるなら、乗らない手はないというわけだ。
さらにシンガポールは発展が著しい國の一つでもあるので、そこに投資する投資家も一儲けできるというカラクリになっているのだろう。おまけに、日本と違って人件費も安いとあれば、互いに悪い話ではないというわけだ。全く、実の娘を放っておいて年がら年中仕事ばかりしている政志らしい。
それだけでなく、政志はこの國の経済産業省に強いパイプを持っているという點も挙げられる。つまるところ、この話はシンガポールが國を挙げての一大プロジェクトとして推進していることになるのだ。一國の一大プロジェクトとなれば、そこには潤沢な資金も集まりやすい。それでいて、コストという點についても日本などの先進國で行うよりもはるかに安くつくわけだから、商売人としてあまりに旨味のある話というわけだ。國家プロジェクトになるのだから、そうそう中止になることもないという安定もある。
そして桜井の話した実験というのが、N市のTビルで行われていた実験のことだというのはすぐにわかった。そのときは裏にそんなことがあったなど、知りもしないで作戦を決行したのだった。
こうして全の郭が摑めてくると、なぜ真田が暗殺されたのかもおのずと見えてくるというものだ。奴は武田とミスター・ベーア、両者からすれば中立的な立場だったのだ。しかし、その真田と政志の奴は手を組んでいた、そう考えていいだろう。
とはいえ手を組んでいたというとし語弊があるかもしれない。桜井がいった意見が割れたというのは、おそらくはタイムマシンの製造を本気で信じる者たちのことではないのだろうか。そこに真田は當然、政志やミスター・ベーアもいただろう。ミスター・ベーアは代理人をよこしていただけかもしれないが、とにかく狀況としてはそんなところだろう。先のアメリカのプロジェクトに様々な國の様々な人間が関わったというのだから、ありとあらゆる業界から必要とあれば集められているはずなのは、容易に想像できる。
この場合、真田は國で行おうとしていた一派に対し、政志は國外でそれを行おうとした一派だったと考えるべきだろう。真田のほうは奇しくも俺たちと、當時武田の配下だったエリナたちが爭ったことで計畫が頓挫した。おそらく真田はミスター・ベーアに対し、その報の隠蔽をしようとしていたのだ。これが真紀にマウスと呼ばせたものの正だ。これまでの経過からの推測も混じってはいるが、大まかには合っているだろう。だからこそ、わざわざあの日、俺と田神と真紀の三人がTビルにまで潛しなければならなかったのだ。
あるいは、武田側に真田の行っている実験の容がれていて、それを狙う武田の侵攻に対抗するために俺たちは送り込まれたのかもしれない。同時に、隠蔽しようとしていた真田の実験の進捗合も知るために、あのマウスと呼ばれたデータの報も手にれるためだ。
そんな合で中止になってしまった実験の再開のために、ミスター・ベーアは政志の主張する実験の海外移転に乗ることにしたのだろう。し前にホテルのパーティに、ミスター・ベーアが現れるかもしれないという武田の報に乗ってホテルに単乗り込んだことがあったが、その場でこの約が取りわされたと考えつくのは想像に難くない。全く政志という男は、つくづく取りることが上手い男ではないか。ここまでくると、なかば尊敬の念すら覚えるほどだ。
「そして、シンガポールの海上とその近くの陸に海水を汲み上げて真水へと転換するための施設を造るため、今回このシンガポールにまで訪れたんだ。建設にどれだけの資金と時間ががかかろうとも、社長はそれを惜しまないともいっていた。それに見合うだけの見返りがあるからだと」
つまりこの施設が桜井の話す技を提供するためというのも本當であるが、それはあくまで表向きの理由でしかないのだ。真の目的は真田の実験を引き継いで、今度こそタイムトラベルを功させるためというわけだ。なるほど。それで武田は、この施設建造を中止にさせるためにエージェントを送り込んだというわけか。
しかし、ここで一つの疑問が浮かぶ。一連の流れは理解できたが、それならなぜ桜井は拉致されたのか。もちろん、桜井が政志の書であり、契約の中すら知っているからというのはわかる。だからといって、わざわざ桜井を拉致した理由がいまいち腑に落ちない。
例の海賊の船長が乗組員と船を捨てて逃げたことが疑問だった俺は、野郎がはじめから潛者の存在を知っていたとのではないかと考えている。そこから考えれば、わざわざ桜井を拉致する必要がないように思われるのだ。正直なところ、それほど重要なことならば俺だったら、素直に政志のほうを拉致したほうが早いと思うのだ。なんせ奴は真田やミスター・ベーアの代理人とも顔見知りなわけだし、政志を拉致しておいたほうが々と有益なはずだ。
政志や桜井たちの取引相手が先に襲撃されたのも、どう考えてもこうした一連の出來事を知った人か、知っている人の手先がそれらを見越してのことだろう。こう考えれば、桜井だけを拉致して逃げるというのはどうも理にかなっていない気がしてならない。全ではほぼ完しているのに、良く見れば全く違う別のピースがはめ込まれたパズルのようで、どこか納得できないでいる。どこか……どこかでなにかを見落としていないか。そんな気になってどうしようもなかった。
「それと社長は、今回の取引が功したらすぐにもエージェントがくることになるともいっていたよ。私にすら話を通さないほどのことなのかと、勘ぐってしまったけれども」
「おい。すぐにもというのは、的にはいつになるんだ」
桜井の言葉を聞いて俺は目のを変えてそういった。あまりに突発的なことだったため、し冷靜さを失っていた。
「わ、わからんよ。ただ、そういったのはそれこそ取引のあった日の晩のことだから、もうこっちにきてるんじゃないか? もしかすると、私がこんなことになって延期されていないともいい切れないから、そうなっていればまだきていないかもしれない」
前置きしたように、本當にどんな狀況になっているのかわからないということか。なんにしても、あまりに俺にとって不利な狀況になっているのは確実だ。話に聞いてはいたが、ここまで不確定だと予測がつきにくいため、くにしても下手なきはできないのだ。
狀況を推察するには真紀がここにいることがそれを証明できる、唯一の狀況証拠ということになるけども、真紀が監視する目的でいるとしてもすでにエージェントと出會った後か前かで、全く狀況が変わってくる。つまるところ、真紀の存在がどちらにもとれる狀態であるならそれも意味はない。
となるとシンガポールに著き次第、すぐにも手を打っておかなければ本當に危険な狀況に追い込まれかねないということになる。もっとも、すぐにも真紀が俺に銃口を向けてきていないという保障もないが。
こんな理由から俺は、シンガポールに著いたその日から早速行に移ったのである。はじめは観客を裝って、あまり観るところのないシンガポールの街をぐるりと巡って、それとなく下見をしたりするなどして一日をつぶした。翌日は、夜に歓楽街を歩いていかにも怪しげな雰囲気のバーを見つけ、案の定そこで運ぶのならどんな危険なものでも運ぶという、その筋にも覚えのある男を紹介してもらうことに功した。
さらにその翌日、真紀が例の政志と桜井の取引相手を襲った連中のアジトを突き止め、そこに特攻をかけることになったという次第だった。これには正直なところ、あまり乗り気になれない俺だったが萬に一つの可能も考え、同行しておいたほうがいいかもしれないと真紀に付き合うことにしたわけだ。
「向こうの人數は」
今夜決行というくらいだから、それくらいのことは抑えてあるに違いない。俺は悟られないよう、さりげなくそう聞いた。
「実行部隊は八名。予備と思われる人員が三名。さらにアジトに連中の司令塔と思われる人が一人、この仕事場兼住居が連中のアジトということね。全員がプロのようだけど、特殊な訓練をけた経歴はなさそうだわ。
これがアジトの見取り図。きちんと目を通しておきなさいよ」
真紀がこちらに向かって、アジトの見取り図を投げてよこす。けだるげに見取り図をとって、どこから手にれたのか、そちらのほうが逆に気になる不産屋の間取り図そのままが印刷されたその見取り図を眺めた。
近年の急激な経済長の裏側には當然ながら、そうした裏社會の存在が常に息を潛めるという図式はどこの國においても同じだ。一味のボスはシンガポールではわりと名の知れた悪黨で、國において裏社會では顔が利く存在らしい。急激な経済長を裏側から支えるには決して生半可なことではできないことから、必然的にこの一味がシンガポール國における過激武闘派であることは察しもつく。
真紀がこの連中を襲撃する理由がここにある。武闘派である以上、何者かが一味に武を橫流しにしているはずで、それが誰なのか知る必要がある。そうすれば必然的に政志たちの取引相手を襲撃した理由も、その黒幕もおのずと見えてくるに違いないというわけだ。
窓際に差し込んでくる暑い日差しにを焼かれながら俺は、見取り図から顔をあげてさりげなく視線を忙しなく準備に取り掛かっている真紀にやって考える。だが俺には黒幕が誰かなどは、なかばどうでもよかった。知る必要があるのはそんなことではなく、送り込まれているというエージェントは誰なのか、なのだ。
政志が建設しようとしている施設なども俺にとってはどうでもいいが、これをめぐってエージェントがいたとなれば話は別だ。第一、俺はこの施設建造の阻止を目的としているのだ。つまり、一味とは敵の敵は味方といい換えることもできる。
連中を潰すのは構わないが、この連中を使って取引相手を襲撃させることで施設の建造を阻止することを考えているのが誰かなのかはやはり気にならないことはない。武田が俺をここに送り込んだということは即ち、武田側の工作員は俺だけになるわけで、政志がミスター・ベーア側の人間である以上、この建造を快く思わない別の思を持った者がいることになるのだ。
どうでもいいこととはわかっちゃいても、自分の仕事を有利に進めるうえで、快く思っていない連中を利用しない手はない。そうでもしなければ、とても一人では対処しきれるものではない。そこで俺は今回の襲撃は真紀の一味壊滅を監視する意味でも同行しなくては、不利になると判斷したのである。
萬一のために作っておいた逃走の手段も心もとないといえばそうだけども、うまく立ち回っていかないことにはそこまで辿り著くことすら不可能になっていく。生き殘れる可能をしでも上げるためにも、真紀を欺く必要がますます出てきたことに晴れない気分でため息をもらした。
一味のアジトは國でも一番の一等地住宅街の一畫で、その一番奧に存在していた。時刻は日付も変わったところで、さすがに國でも限られた者だけが住むことが許される場所なだけあり、辺りをうろつく者は一人もいない。良くも悪くも”品行方正”な人間が多いのだ。
周辺の家々は邸宅といってもいい豪奢なものばかりで、こんな圧倒的な人口度を誇るこの國においては不釣り合いなプライベート・プールを作っているところもあるらしい。縦に住む必要があるシンガポールでそんな贅沢が許されるとは、よほどの金持ちに違いない。
俺は真紀の運転する車の助手席から、一味のアジトを眺める。本來は真白いをした壁は人の背よりもやや高く、夜になった今はのライトに照らされて薄黃みがかったクリームになっている。庭からは熱帯気候の國に相応しい椰子の木が植えられていて、その緑がさりげないアクセントを作っていた。
「あれだな。どうやら見張りはいないみたいだぜ」
「気をつけて。アジトの部設計から判斷するに、センサーが取り付けられてあるみたいよ。侵者があれば、すぐに中の連中に気付かれるわ」
「それで連中は中で踏ん反りがえってるってわけだな」
皮にを歪める俺を目に真紀は、アジトからし離れた場所にある邸宅の壁に車を隠すように停めた。
「それじゃぁ手はず通りに」
「了解」
真紀に手渡されたイヤーモニターを耳につけ、軽い音聲のテストをして車から降りた。周音マイクもかねたイヤーモニターで、リアルタイムで真紀にも音聲が伝わるような仕組みになっている。これによって、サポートに回る真紀も瞬時に的確なアドバイスができる。
裝備は真紀が組織から調達してきていたものを流用しているため、自分の相にはあまり合わないかもしれないがここは我慢して、そいつを使うことにする。まだ晝間の熱気が殘る中、防弾チョッキを著込んだ背中にはすでにじんわりと汗がにじんでいる。
來た道を真っ直ぐ進んで適當な路地で迂回し、アジトに向けて足早に路地を抜ける。アジトの白い壁にぴったりと背をつけ、侵可能な場所を見つけるためにゆっくりとアジトを囲む壁の周りをぐるりと進んだところ、邸宅の裏手をし過ぎた先の側面から侵しやすそうな場所を見つけて足を止める。
「屋敷の裏手、西側から侵するぜ」
『わかったわ』
塀の上に手をかけて、懸垂の要領でまずは中がどうなっているか確認する。
「あんたの報告通り、見張りはいないな。……案の定といったところか侵者があったらすぐわかるよう、センサーがいたるところにあるぜ」
『でしょうね。外に見張りをつけないのなら、そうした裝置があるのが定石。待って、今ジャミングをかけてみる。向こうに気付かれるかもしれないから、ジャミングをかけられるのはせいぜい三〇秒が限界よ』
「それだけあれば十分さ。警戒しているわりに屋敷の構造はザルみたいだ」
そうなのだ。邸宅の壁には、小さいながら十分に気をつけさえすれば手や足をかけて二階に上れそうなでっぱりがついているのだ。これではまるで、侵してくださいといっているようなものではないか。そうしたデザインであることは窺えるのだが、その事実が建の構造にまでは気配りが及ばなかったともいえる。
ともあれ、これを見逃さない手はない。俺は真紀からの合図があった直後、勢いよく塀を上って敷地に侵する。著地した足元にセンサーがあった。燈臺下暗しとはこのことで、こんなすぐ近くにセンサーがあるとは思わなかった。しかしセンサーは反応する気配はなく、ジャミングがかかっていることが窺える。もし真紀のサポートがなければ、今ので向こうに気付かれたに違いない。
すぐに気を取り直し、一気に建の壁にまで走りよってでっぱりに手をかけ足をかけ、二階へと勢いを殺さずによじ登っていく。あっという間に建一階の屋の上に到達し、落ちないよう配慮しながら今度は二階の屋へと飛び移る。建のてっ辺にはアンテナが取り付けられているため、ここに真紀が用意しておいた偽のデータを流し込むことで、萬一俺が中にある監視カメラに寫ったとしても、監視室らしい部屋のカメラにはこちらの姿が映らないという仕組みだ。
さすがに訓練された人間八人相手に、こうしたサポートもなしに仕事が上手くいくとも思えない。正確には、特攻だってかけることは可能だがそういうわけにはいかない事というものがあるため、こうした戦法でいくしかなくなったというのが本當のところだった。
一味が裏世界で有名なので、ここが襲われたとなるとそのバックにいるだろう黒幕が、の危険をじて隠れてしまわないともいえない。それをさせないためにここは一つ、安全策がとられたのである。面倒だというのが正直な気持ちだが、まぁ、真紀のいうことも本當のことなので従ったわけだ。
「取り付けたぞ」
『了解。さすがに早いわね』
「託はいいからさっさとしてくれ」
『相変わらずせっかちね、もうやってるわ。……よし、完了よ』
「わかった。屋敷に侵する」
今回まず侵するのは二階の予備部屋として、ほとんど使われていない部屋の窓からだ。俺は真紀の用意した工を用いて、窓ガラスを小さな半円のを開け、くり抜いたから鍵をといてそっと窓を上へと引き上げて開ける。真紀によれば、この部屋はほとんど使われていないため、あと三〇分足らずで行われる定時パトロールのときくらいしかドアが開かれることはないらしい。
『部屋を出たら、廊下左に監視カメラがあるけど、こっちの監視下においてあるから問題ないわ』
一人真紀の言葉に頷きながら小走りにドアへと歩み寄り、ドアを開けると中からそっと廊下の様子を確認した。建の外壁と同じ廊下の壁も真っ白で、染み一つない。一味がここに移り住むようになったのが三年ほど前からだという話だったが、そうだとしてもここまで生活のさせない雰囲気の場所があるものかとじさせるほど、どこか寒々しい印象をける。
誰もいないことを確認して廊下に出ると、真紀の言う通り、左の廊下の奧天井にカメラがこちらに無機質な視線を浴びせてきていた。どうもカメラというのは気に食わない。大した理由などないが、たとえそれが人が手にした撮影用のものだろうが、監視用のものだろうが関係ない。あの無機質なレンズにこっちを見るなと蹴り飛ばしてやりたい衝にかられる。
『大丈夫。向こうにはカメラにあなたが映ってるだなんて思ってないわ』
「あんたの方には俺が映って見えてるというわけか」
『映っていない映像と映っている映像の両方よ』
言葉のまま、カメラを完全に監視下においているというわけだ。全く、こんな短期間でシステムすら掌握できる真紀の報処理能力には恐れる。こんなを相手に出し抜くのは不可能なんではないのかと、一抹の不安が脳裏をよぎるではないか。
廊下の左奧にまでやってくると、真紀が突然制止させる。
『止まって。向こうから人がくるわ』
「何人だ」
「一人よ」
どうやら服の下に銃を隠し持っているらしい。おそらく、実隊という八人のうちの一人だろう。
(一人か……どうする)
考える間もなく、かつかつと確実にこちらへ近づく足音が俺にも聞こえてきた。迷っている暇はない。どのみち全員片付けなければならないというのなら、ここで景気付けに片付けておくとしよう。壁を背に相手がこちらに最接近するのを待って、一気に元をかき切ってやるつもりで俺は息を潛める。
れなくしていた足音が俺のすぐそばにきたところで、ピタリと止んだ。気付かれた――そう思ってを乗り出すつもりの俺だったが、以外にもそうではなかった。どうやら相手もイヤーモニターをつけていて、管制とやり取りしていたようだった。
「わかった、すぐにいく。こちらは……まぁ問題ないだろう。何か音がしたと思ったのは気のせいだったかもしれん」
そういって、野太い聲の男が踵を返してその場を立ち去っていく。俺はほっとしたのも束の間、一どういうことなのかと考えをめぐらせる。
「おい真紀、今の聞いたな」
『ええ。ここから見えなかったのでわからなかったけれど、來訪者があったみたいだわ。それも、アポなしのVIPよ』
「VIPだと。どういうことだ」
別に連中にだって客の一人や二人あっても驚きはしないが、なんだってこんな夜更けにくるのだ。しかも、そのためにわざわざ実隊という男も出向くためなのか消えたとなると、ますます意味深になっていく。會うとすればどう考えても一味のボスということになるが、そのために部下も出向くとなるとよほどの人だということになる。となると……。
嫌な予が背筋を駆け巡る。おそらくそのVIPが今回の襲撃事件を裏で糸引いていた人に違いない。連中の存続のためには、そうした人が必要になるのは明白なので、これはほぼ間違いないといっていい。問題は、なぜそんな人が一味に、引いてはそのボスに會おうとしているのか……。
時間も時間、おまけに今現在の狀況を考えるに、ただならぬ事態になると見ていいだろう。こいつは、もしかして、連中のボスを片付けにきたというのではあるまいか……そんな嫌な予がして俺は、足早にその場を移して男が去っていったほうへ向かった。とにかく、一刻も早くボスと會う必要がある。
「階段を降りて一階へいく。念のため、あんたはそこから移しておいたほうがいい」
『わかったわ。あなたも無茶はよしなさいよ』
いわれるまでもない。が、俺の予が當たっているとしたら、そうもいかない。俺たちが特攻をかけようとしたその日、それも人気のない深夜を狙ってなんの音沙汰もなく訪ねてきた人。どう振り払おうとも嫌な予が拭いきれない。
階段を一段二段くだったところで、かすかな銃聲が聞こえた。それも一度や二度でなく、他方向からであることも窺えた。嫌な予は見事に的中してしまったのだ。
俺は心舌打ちしつつ、降りる足を止め背後を素早く振り返ると同時に手にした銃の引き金を引いていた。一瞬だが、人の気配をじたためだった。
「うっ……」
小さなき聲をあげて男が一人、壁に寄りかかるように倒れる。その手にはやはり銃が握られていて、それがずるりと自の太ももの上に落ちる。
「真紀、背後から襲撃されかけた。どうやら訪問者は一味の暗殺を目的としたチームらしい」
小聲で鋭くいった俺に、イヤーモニターからは語気を強めた真紀が返す。
『みたいね。こっちもそいつらに追われて逃走中よっ』
「なにっ」
迂闊だった。まさか、チームで襲撃するだなんて考えてもいなかった。大抵を単獨でく俺なので、勝手に向こうもそうだと想定していた。おまけに真紀も連中の待機していたらしい他の奴から襲われて逃げているとなると、俺たちがアジトに著いた時點で、すでに見えないところで人員が配置されていたと考えるべきだ。俺が侵したところで連中も行に出たということなのだろうが、まさか連中を襲撃しようとする勢力が俺たち以外にいたなんて、あまりに考えなしだった。
おそらく敵が背後から襲ってこようとしたことから、奴らも俺の侵経路がもっとも適していると踏んでいた。俺みたいな侵者は基本的に襲撃する立場なので、自分が襲われるときというのは基本的に侵が暴かれたときだと考える。よって、侵経路から敵が襲撃してはこないという先観を引き起こす。まさに連中はそれを想定しての行なのだ。
一対一、多対一、戦だろうが戦略だろうが、虛をつくのはそれらに関係なく勝つための絶対基本だ。そして逃走手段である車を襲撃することで、もし侵者が出できた際の対策も予めしておく。こう考えるだけで、このチームはかなりのチームであることが、これらの事実からでも簡単にわかる。
不意をつかれそうにはなったものの、なんとか一人撃退はできた。が、一人が殺られたと知れるのは時間の問題だ。それも一分だってないと考えるべきだろう。
そう考えてすぐにも撤退すべきだと、きた道を戻ろうとするが侵経路は俺が通ってきたところだけだったわけではなかったらしい。向こうから足音をうまく消してはいるが、こちらに確実に近づいてくる気配をじて仕方なく階段を降りることにする。厄介なことに挾み撃ちにされた形だ。
同時に、一階からはつんざくような連音が響いてくる。それも、かすかな地響きにすらじとれてしまうほどの激しいだ。突然の襲撃に反応した者がいるんだろうが的確とはいい難く、おそらくはこの連中相手では辺りをひっちゃかめっちゃかにする程度にしかならないだろう。
こうなれば、一味の連中をうまく利用して混戦に持ち込んで、それを機に出するしかない。どう考えても、ボスから事を聞きだそうなどという狀況ではなくなってしまった。もっとも、連中はそれが目的なのかもしれないが。
俺は足音を立てないよう、それでいて素早く階段を降りていく。互いの銃撃戦を利用する以上、一味の連中には一秒でも長くもっていてもらわなくてはならない。おまけに背後からも數人の襲撃者が追ってきている狀況だけに、こちらもつい焦りが生じてしまう。
一階の廊下に降り立ったところで、左手にあるリビングの方で小銃を持った男が一人、何発もの銃弾を食い込ませて倒れるのが見えた。まだ他にも銃聲がすることから、まだ何人か実隊だという八人のうちの數人がいるのだろうが、おそらくそれも長くは持たない。俺はリビングとは逆の右のほうへと向きを変え、裏口のあるキッチンへと向かう。
十中八九、襲撃した連中の仲間が二人か三人は待ち構えていると考えてまず間違いないが、それでも連中を全員相手にするよりは、はるかにマシだ。壁を背にしたまま裏口へ移していくと、案の定、黒い戦闘服にを包んだ男が三人、こちらに銃口を向けていた。まるで完全に裏口にくるはずだというのがわかっていたかのように、微だにしないでいる。
「そこの男、くな」
中央の男が威圧していうと、橫の二人が慎重にこちらに向かってくるように狹いキッチンを無駄のないきで散開しながら近づいてくる。
「無駄な抵抗はやめておけ。お前はもう囲まれている」
「ちっ……」
全くもって男のいう通りだった。背後からは、二階から侵してきた奴らが二人、背中に銃口を向けているのがわかったためだ。橫は壁になっていて、とても飛び出せるような狀況ではない。せいぜい上に飛び上がるか、伏せるくらいが関の山だ。
俺は仕方なく持っている銃を床に放り投げる。連中が銃を拾おうとしたところに活路を見出そうとはしてみたものの、キッチンの窓の外には、目視できるだけでざっと六人からの人員が控えているのを目の當たりにして、さすがに抵抗する気も失せた。ここで一人や二人を道連れにしたところで、結局は免れる運命は変わらない。ならば、ここは一旦おとなしくして事のり行きを見守ったほうが得策だ。連中の目的と、何者なのかということも気になる。
「懸命だ。大人しくしていれば命までは取らないと約束しよう」
「つまり、痛めつけられる可能はあるってわけだ」
せめてもの抵抗に減らず口を叩く俺の後頭部に、いものが突きつけられた。黙っていろという意思表示だ。
それからすぐに今までしていて銃撃音が止んだ。どうやら一味の実隊とやらはたった一夜、それもほんの三分と満たない時間でわずかな時間で壊滅したようだ。予備人員を含めて一一人いたはずで、全員が一応はそれなりの訓練をけていると真紀が説明していたけれども、やはり相手が何枚も上手だったのだ。
「終わったようだな、時間通りだ。撤収」
そういって背後から銃を突きつけていた奴が、俺に跪いて手を上げるよう促してきたので、それに黙って従う。全く無駄のない、隙が窺えないこの連中なら俺が抵抗して目の前の奴に手をかける前には、もう引き金が引かれていることだろう。そんな連中相手に、こちらがなにか手段を講じるのは時間の無駄というものだ。
「待て。俺は関係ないんだぜ、解放してくれたっていいだろう」
「そういうわけにはいかんな。お前が連中とどんな関係なのか、一応は問いただしておかないわけにはいかん。そいつを拘束しろ」
「……畜生が」
一全、どういうことなのか。その一端もわからずに俺は連中に拘束された。大人しくしろといわれた時點でこうなることは予想などできていたが、こうもそれが當たり前に進行するとなると、さすがに歯がゆい気分になるのは仕方ない。そうは思っていても、この狀況を打破できる手立てがないのではやはり結果は同じなので、結局はこれが最善なのだ。
シャングリラ・フロンティア〜クソゲーハンター、神ゲーに挑まんとす〜
世に100の神ゲーあれば、世に1000のクソゲーが存在する。 バグ、エラー、テクスチャ崩壊、矛盾シナリオ………大衆に忌避と後悔を刻み込むゲームというカテゴリにおける影。 そんなクソゲーをこよなく愛する少年が、ちょっとしたきっかけから大衆が認めた神ゲーに挑む。 それによって少年を中心にゲームも、リアルも変化し始める。だが少年は今日も神ゲーのスペックに恐れおののく。 「特定の挙動でゲームが強制終了しない……!!」 週刊少年マガジンでコミカライズが連載中です。 なんとアニメ化します。 さらに言うとゲーム化もします。
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