《いつか見た夢》第95章

薄暗い部屋の中に閉じ込められた俺は、後ろ手に縛られた腕を試しにかしてみたものの、ほんの數センチたりともかすことはかなわず、ため息をついた。

視界にはうっすらとだが部屋の様子が見える。何がっているのかわからないダンボールの箱が七個に、放置されたままの機と椅子が一つずつ。それにどういうわけか電気の通っていない冷蔵庫という、なんとも殺風景な部屋だ。窓は板張りにされており、その隙間からかすかにってくるが漂っている埃を照らしていて、ここが手放されてから隨分と経っているようだった。

そんな部屋の中央に置かれたパイプ椅子に座らされて、どれほどの時間が過ぎたろう。三〇分か一時間か、あるいはもう二時間以上は経っているのか。俺には知りようもないが、とにかくまだ今が夜であるということは確かだった。差し込むは明らかに太とは異質のするであることが街燈りであることを窺わせるのだ。

を取り巻く狀況としては連中に捕われただけで、言葉の通り、今のところはまだ命を取られるという狀況ではないことだけは間違いない。今後はわからないが、とにかく今はまだ大丈夫だ。だからこそ連中のアジトにまで連れてこられたのだから、そこはまだ信用できる。

それよりも真紀のことだ。結局、連中に捕われてからというもの、耳にしていたイヤーモニターは取り去られ、もっていかれてしまったのだ。殘念ながら古典的な戦法論者である俺は、現在のようなハイテク報戦については疎い部分があるため詳しくはわからないが、場合によってはそこから真紀の居場所を逆探知しようなんてことも可能かもしれない。真紀のことだから、俺が心配したところでそんなのはとっくに気付いているだろうから、その辺りは気にする必要はないにしても、安否が気にならないはずはない。

こんな小さな島國では、車で走したとあればそれだけで連中に気付いてくれといっているようなものだ。真紀はああ見えて、どうしたことなのかスピード狂なのだ。必要がなければいちいちスピードを上げる気になれない俺としては、どうにも引っかかる側面の持ち主なのである。

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そんな真紀が簡単に捕まることはないとは信じているが、それでも事に絶対はない。捕まってしまえば、どんな目に遭わされるか想像できる。もっとも、今回の一件について、あのが裏で何も絡んでないというのが前提の話だが。なんにしてもあのはあので、自分でなんとかするだろう。

それよりも、俺たちを襲った連中が何者なのかということのほうが気にかかる。事によっては、今後の自分の行にも大きく関わってこないともいえない。突然、アジトに侵していた俺を拘束したことから推察するに、はじめから俺を狙っていた可能があるのだ。

普通であれば、まず俺の所屬する組織やなんだといってくるに違いないはずなのに、連れてこられた車中においても一切それらしいことは聞かれなかったうえ、それどころか、誰一人として口を開かなかったのだ。この點からも、彼らがとても訓練された兵士であることが窺えるが、彼らの雇い主、もしくは飼い主である人がいることはほぼ間違いないと考えるべきで、その人が何者で、目的はなんであるか。狀況が狀況なだけに、こればかりは確かめておかなくてはならない。

それにだ。連中のリーダーらしい男が俺を捕らえるとき、一応聞いておくなどといっていた。これは何者なのか知らずにそこに居合わせた俺を拘束しておこうという意味か、もしくは始めから知っていて、とりあえず形だけは拘束しておくかの二つの意味にとれる。

しかし狀況証拠からの推測では、彼らの目的が後者であることは間違いなく、最初から俺たちが狙いであったことを示している。あのアジトにいた連中が狙いであれば、鉢合わせた俺に対して何一つ口を聞こうとしなかったことはおかしい。簡単にでもこちらの辺を探ろうとするのが普通だからだ。

だというのに連中はそんなことなど一切しようとはしなかった。もっとも、連中にとって俺とアジトにいた一味の殲滅の両方が目的だったとも限らないが、なんにしてもこうして目的が達されたと見ていいだろう。椅子に括りつけられてはいるが尋問をしかけようという雰囲気でもないことは、車中で目隠しをされなかったことやここまでの間、ほとんど力ずくで押さえ込もうとするといった強手段に出ないことからも明らかだ。

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すると前方右手にびている廊下から、かすかながら複數の足音と気配がじられた。ほとんど音は立てることもない靜かな足取りではあるけども、いやに敏になっている俺にはよくわかる。

(三人か……いや、四人だ)

予想通り、廊下から現れたのは先ほどの黒い野戦服にを包んだ四人の男たちの姿だった。一人の男以外は全員が小銃を片手に、いつでも発砲できるような態勢が整っているのも暗がりからでもよく見える。先ほどの手際の良さから判斷するに、こいつら全員が一級品の兵士の中でもとりわけ、優秀な殺人技を持った連中であるに違いない。さすがに俺でも、こんな連中相手に走劇を企てるのは無謀な賭けといっていいだろう。

「ようやくおでましか」

現れた四人は、俺からし離れた場所に立ち距離をとる。こちらが飛びかかったとしても、連中の元にこの手が屆く前に三人が弾丸を確実に食らわせることのできる、実に絶妙な距離だ。たとえ椅子にくくりつけ、飛びかかれないような狀態にしておいても二重三重の警戒を解かないあたり、やはり相當の訓練をけていることがわかる。

「きたところ悪いが、早速こいつを解いてくれ。どうせ、俺を拷問にかけようだなんて思っちゃぁないんだろう」

「それは君の返答次第だな、ミスター」

「ミスター?」

こんな場面で聞きなれない言葉を耳にし、思わず口をついていた。その口調は厳格さを帯びているがどこか穏やかさもじられ、決して慇懃なものでもない。普段からそういった上品な言葉を口にしているのかもしれない。

「隨分と上品な奴だな。別に気取る必要はないぜ」

ニヤリとの端を吊り上げていう俺に、男はやれやれといった合でいった。

「別にそんなつもりはない。もし気に障ったんだとしたらそれは許してほしい。これが私の喋り方なんでね」

「そうかい。だったら構わんさ。

それであんたはなんで俺を捕らえた? 別にあのアジトにいた一味の殲滅のついでというわけじゃぁないだろう」

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「そうだ。むしろ、彼らを殲滅したのがついで……いや、君への手土産みたいなものかな」

「土産なんて、ねだった覚えはないがね」

「気にらなかったかな?」

「ああ、全く気にらんね。手土産っていうのが本當だとしたら、その俺にこんな仕打ちはしないだろうからな。あんたらの狙いが俺だったってのはわかっていたことだしな。だが、なぜなんだ」

疑問を口にすると、男はしの沈黙のあとに靜かに語りだした。

「君には悪いがね、私は理由など知らされてはいない。それは彼にしか知らされていないのだから」

「彼だって? あんたらの雇い主はなのか」

意外なことに、この連中の背後にいたのはだったらしい。別に背後の人だろうとかまわんが、それでもまさかだとは思わなかった。

「雇い主ではない。私たちは有志のもと、彼のところに集った集団でしかない。……結局それで報酬を得たりしているので、雇い主といわれてしまえば、それもあながち否定できないのかもしれないが」

暗がりの中で苦笑する男に俺は、お返しとして肩をすくめて見せようとするもくくりつけている縄にそれを阻まれる。

「まぁいい。で、そのお姫様が俺の柄をしがってるってわけか。見知らぬを追っかけられる日がくるだなんて思いもしなかったぜ」

「あながち君の知らない相手ではなさそうだぞ。経緯など詳しく知らないが、彼は君と會えることを期待しているらしい」

「……なるほどな。つまり、お姫様のわがままのために、わざわざあんたらは駆りだされたのか。ご苦労なこった」

めいていった俺に、銃を手にした奴の一人が銃口を思い切りちらつかせて見せる。どうやら、そのお姫様のために有志で集ったというのは本當らしい。もとより実力のある連中なのだろうが、そのお姫様に忠誠心を持つことで、より強固なチームになったということなのかもしれない。

それにしても、俺に會えることを期待しているだなんて、一どこの誰なのだ。冗談めいて口にはしたが、口にしたこともないようなに會いたいといわれても、これっぽっちも実など沸かない。むしろ、疑問と怪訝なしか沸かないというものだ。俺に限らず、世の男は一度だって會ったことも見たこともないようなに迫られて悅ぶほど、おめでたくはないだろう。

「返答次第というのは、そのお姫様に會うかどうか……そういうことだな」

「そうだ。彼に會うと答えさえすれば、今すぐにでも君をその椅子から解放するし、煩わしい連中から君を護ろう。君は今のところ、一介の殺し屋だ。無條件に警護がつくとすれば、決して悪い條件ではないと思うが。もちろん、今後の生活についても保障する」

「はっ、俺があんたらのような得の知れん連中からを護ってもらいたいような輩だと思ってるのか、あんたは。悪い冗談だぜ、そんなのは。俺は自分のくらい自分で護る。土下座したってあんたらになんか警護してもらいたかないね。ましてや、自分で正を名乗らんようなと會えばなんて條件付き、百億積まれたってごめんだ。

、そんな話に乗るほど馬鹿じゃぁない。たかがと會っただけでそんなサービスがつくだなんて、考えるまでもなく詐欺みたいなものじゃないか。甘い話ほど危険なもんだ、どうせ何か裏があるに決まってる」

「……君の知りたい人のことも、私たちが知っているとしてもかな」

まくし立てた俺に、男は不意にそんなことをいってこちらを黙らせる。

「俺の知りたい奴だと」

「そうだ。君がなぜあの海賊船に乗せられたのか、裏で糸を引いていたのは誰か、とかね」

「どういう意味だ。あんたらのお姫様がそいつを知っているっていうのか」

「そうだとしたらどうする」

全くなんだというのだ。俺が知りたい奴だと。そいつはまさか、あの取り逃がした海賊船の船長のことをいっているのか。裏で糸を引いている人といったことから、やはり俺が睨んでいた通り、今回一連の事件にはやはり誰かが暗躍していたのだ。

知りたい……。武田に、なかば釣られるような形で東南アジアに乗り込んだ俺だけども、今回はどうも始めから勝手が違うと、釈然としていなかった。裏で武田ともミスター・ベーアとも違う別の誰かの存在を考えたことがあったが、もしそれがこいつらのいう”誰か”というのなら、これはどうにも好奇心がくすぐられてたまらなくなる。

だが、だからといってすぐ手のに乗せられる俺でもない。連中の張った罠ともいえないのだ。

「ふん、ならそいつにいっときな。そういうことは直々に出向いてからいえってな。俺はあんたらの思い通りにはかない」

そうまくし立てた俺に、男は無言で小さなため息をついて周りの男たちに顎で合図する。まずい、眠らせる気だ……連中が手にしている銃とは別に、裝備のポケットに手をいれたのが目に映り、咄嗟に警戒してをよじらせるがそれも虛しく、出しているに取り出されたされが押し當てられる。

「彼の言う通り、都合よく事を運ばせてはもらえなかったか。暴れるかもしれないということで、念のために縛っておいたが正解だったな。殘念だよ。君の意思でついてきてくれさえすれば、こんな手を使わずにすんだんだが。

だが申し訳ないがね、君がどうあれ彼の元に連れて行くのが我々の仕事だ。強制的に君を連れていかせてもらうとしよう。なに、決して悪いようにはしない。それだけは誓って約束する」

勝手なことを……そう吐こうとした俺の腕に、押し當てられたものからチクリとした痛みと同時に、薬が注されていく覚を覚えてすぐにそんな気など起きなくなってしまった。起きなくされたのだ。

「それは象やカバなどの大型獣に使用される即効の麻酔薬だ。死なない程度に薄めてはあるが、君に使うのがし心が痛む。だが、我々の要求を拒むというなら今は我慢してもらおう」

「くっ……畜生が」

即効という男の言葉通り、すぐに意識が朦朧とし始める。悪態をつこうとするものの、もう口すらまともにかなくなりつつある。それでも意識を保とうと気を張っていたところ、突如として周囲から轟音がして地響きがした。

「何事だっ」

鋭くぶ男の聲がどこか遠くになった気がして、もう自分の意識があとわずかしか持たないことを自覚した俺だが、たった今なにが起きたのか、それだけは確認しておかなくてはと朦朧とした意識の中であたりを見回した。

さらに轟音が響くと、目の前にあった壁が大きく崩れ、そこに一臺の黒いバンが突っ込んできた。バンは連中を轢き殺しかねない勢いで俺の橫につけると、勢いよくドアが開かれて中から出てきた人に椅子ごと引きずられ、中に乗せられた。

「いいぞっ」

耳元で誰かがんだような気がする。うっすらと瞼を落とし始めた俺に、誰かがぶ。

「我々は必ず君を彼の元に連れていく。それを忘れるなっ。そして君の知りたかった奴の正もだっ」

遙か遠くでした聲の直後に、今度はの聲がしてバンがき出す。

「突っ込むわ。振り落とされないようにしてっ」

もうどんな聲も衝撃も、俺には屆かなかった。そのの聲が、真紀のものだということを意識することができたのが意識の限界だった。

気がつくと、俺は薄暗い部屋の中に一人、ベッドで眠っていた。意識のはっきりとしない、やけに重い目覚めで、今ここがどこで、自分が今どういう狀況であるのか、それすら判らない。けだるげに首をかし部屋の中を見渡すと、どうやらそこが俺の全く知らない部屋であることだけは認識できた。

置いてある家類はどこか高級そうにも見え、おそらくここがホテルのようだという気はした。けれど、ここがホテルらしいすっきりとしないじがするのは、どことなく生活が漂っているからに他ならない。その事実だけで、俺はぐっと意識を覚醒させてベッドから飛び起きようとするが、起き上がろうとした瞬間、支柱にした腕から力が抜けてしまって再びベッドに突っ伏してしまった。

おかしなことにもう一度同じように腕に力を籠めてみるものの、結果は同じで、腕全がぶるぶると震えるだけでまともにいうことをきかない。どうしたことなのかと混濁した意識の中でこうした経緯を思い返すと、そこでようやく事態が飲み込めた。

(確か俺は……)

「目が覚めたかな」

人がやってきた気配をじるとともに聲がして、首だけをそちらに向けてその人を眺める。口の周りから頬を通ってもみあげのところにまで続く髭を蓄えた白人で、見るからに初老といっていい年齢の男だった。しかしその格は年齢に見合わない屈強さを持っていて、意識が途切れる瞬間に俺を引きずっりこんだ男なのだとすぐに察しがついた。その男がベッドの脇を通り過ぎ、ベッド近くにある窓のカーテンを引いた。

「眩しいかな」

「いや……」

日差しが部屋に差込んで、男が聞いてくるが別に大したことはない。この事実から、おそらく今は夜明け時というところか。

「そうか……俺は三、四時間ほど眠っていたんだな」

赤道直下付近にあるシンガポールの夜明けは早い。夏の北半球は北回帰線にまで赤道が移してくる関係で、六月後半から七月の上旬頃までが最も日が長い。しかし、八月も終わって九月になる頃はたとえ気溫が高かろうと、赤道はこの東南アジア付近あたりの緯度にまで下がってくる。よって、この國ではこの時期がもっとも日が長いのだ。

となれば、當然今は早朝の四時半頃ということになる。同時にここが生活を漂わせているのは、つまるところ彼の家であることに帰結する。そう判斷してついた言葉を、初老の男は微笑みながら否定する。

「いや、君が眠っていたのはもう丸一日以上だよ。君がマキによって擔ぎ込まれてきたのが昨日の午前四時頃だ」

彼のいったことに驚いた俺は、昨夜の襲撃が結局のところ失敗に終わったことを悟り、思わずため息をらした。あの連中は一なんだったんだろう。はじめから俺を狙っていたというのは本當のようだが。

「真紀は」

「今出かけている。あと一、二時間もすれば戻ってくるとは思うが、待つかね」

「……そうだな、そうさせてもらうよ。まだ本調子じゃないみたいだ。

それで、あんたは一何者なんだ。真紀のことを知っているようだが」

「私は協力者だよ、マキのね。よくいえば、現地協力員というやつさ」

つまり、世界中に張り巡らされたネットワークの末端員というわけだ。しかし、だとするなら一まず安心していいだろう。彼らのような報員の類に、工作員を売ったりするような真似をする度はないだろうし、それに俺に不意打ちをかけて始末しようというのなら、眠りこけていたこの一日の間に何度もそのチャンスがあったのだから。

俺は今度こそ起き上がろうと、うつ伏せになち腕に力を籠めてゆっくりと起き上がる。

「まだ無理はしないほうがいい。本調子じゃないんだろう」

「そうなんだが、そういうわけにもいかないんだ。それよりも、真紀からなにか聞いてないか」

やっとのことでベッドから上を起こし、ベッドの縁に腰かけたところでそう聞いた。

「君たちを襲撃した者たちのことかね。真紀は現地の報屋に報を買いにいったところさ。それと、失った裝備の補充を含めてね。

とはいっても、ある程度は予測できないわけでもない。予測というよりも噂程度のものだが」

「噂でもいいさ。ことの真相を調べたりするのが俺たち工作員の仕事でもあるんだ。そいつを聞かせてくれ」

「うむ。君は工作員という立場上、あるいはもうそれなりには知っているかもしれない。組織が度々、他の組織といざこざを起こしているは知っていると思う。今回はその組織のの一つと衝突していることが問題になっている」

俺は黙って男の話を聞いていた。彼のいう組織というのは、いうまでもなく武田が組織した戦闘集団のことだ。これまではあまり武田側との接については組織で知らされてはいなかったようだが、近頃はそういうわけにもいかなくなったのかもしれない。

思い返すまでもなく、ここのところは何かある度に組織と武田側とのいざこざが続いていた。こうもそうしたことが頻発すれば、々にいる者であればある程度の察しはつくというものだろう。その結果、我が組織も敵対組織との戦爭を認識することになったというわけだ。

「我々と衝突した組織の実態は、私のような末端のものには知らされていないがこれ以上衝突が続けば、全面戦爭に突しないともいえない狀況になってきているらしい」

「全面戦爭だって? そいつは隨分な言い方じゃぁないか」

男のいっていることは半分正解、半分不正解といったところが妥當だ。なぜなら、すでに事実上の全面戦爭に突しているといっても過言ではないのだ。そうでなければ、こんな東南アジアくんだりまでエージェントたちが派遣されるはずがない。當然ながら、こうした地域にも工作員の一人や二人いたって、なんら不思議もないのだ。

だというのに、わざわざ日本からそうした工作員を送り出すということは、それだけ事態も切迫しているということ。組織同士の戦爭にとっくに突している狀況だといっても、なんら支障はない。俺がそういうと、男はバツの悪そうな表を作っていう。

「それはそうなんだけれども……困ったことに、どうも各國の報部がそれを察知してき出しているという未確認報があるのだよ」

そういえば、CIAなんかの報部がき出しているといった報を、前にちらっとだが聞いた記憶があった。だとしたら、非常にまずいことになる。ここはシンガポール、イギリス連邦加盟國だ。イギリスには王陛下と國家のためという名目のもと、かの有名な荒事の専門家であるMI6が存在している。もし、この國でこれ以上のいざこざが続けば、連中が実働してこないとはいえない。もしかしたら、もうき出しているのかもしれない。

いくらシンガポールが獨立した國家とはいえ、その利権などの元がグレートブリテンはシティ・オブ・ロンドンに集約しているわけだから、國家の利害を侵害される、ないしはされたとして連中がかない道理などあるわけがないだろう。ほんの數年間ではあったが、イギリスで”おいた”をしてきた俺としては、連中が出張ってきてもらっては非常に困った事態に陥ることは必至なのだ。

その上CIAやらSVRやらまでが、互いに大義名分を掲げてこの組織同士の戦爭に介してこようものなら、ミスター・ベーアにしろ武田側にしろ危うい立場になるだろう。だがしかし、あまりに不確定要素が多いため、事実関係を調べるためにも真紀はすぐにもいたといったところか。

「それに……」

「それに? なんなんだ」

「いや、今の君は裏の世界じゃぁ割りと名の知れた人だからな。そうした諜報組織がいていたとしても、しも不思議じゃない」

どうやら、この初老の人は多なりとも俺のことを知っているらしい。

「俺が有名だって? そいつは」

どういう意味だといおうとして口をつぐむ。すっかり忘れていたが、俺はほんの數ヶ月ほど前に、日本國でテロ容疑がかかって全國に指名手配されたことを思い出したのだ。あまりに自分の周囲の狀況とはかけ離れた場所でそれらの話が進行していただけに、ほとんど気にもとめていなかった。しかも、それらがすぐに解除されたとあれば、それも致し方ない。

「さすがに、日本みたいな平和な國でテロリストが現れたとなると、そうした筋の人間であればどういう人間なのか、その人となりを調べるのが普通だろう。そうなれば當然、裏の世界にはそうした報もなからず流れてくるものさ。イギリスのテムズ河沿いで起こった破事件や、伝子學者のチャールズ・メイヤー殺害事件、さらにはウィリアム・ボネット殺害の件についても。

おまけに日本でもビルの破事件を二回も起こしているとあれば、テロリストとして名前が挙がったとしても不思議はないな。しかし、それがまさか我が組織の工作員だったとは思いもしなかったが。それと、ホテルの武裝ヘリ襲撃事件も隨分話題になっていたな」

確かにそのどれもが直接俺が関係したものであることに違いなかった。日本でのビル破というのは、例のヤクザ者のビル破と、Tビルについての破事件のことを指しているのだろう。こうして客観的に指摘されてみればなるほど、まるで俺がテロリストのように思えなくもない。ましてや事の知らない他人からすれば、なおさらのことだ。俺は苦笑して肩を小さくすくめる。

「関わったのは事実だが、別に俺が破したり死なしたってわけじゃぁないさ。俺が関わっていたところ、流れでそうなったに過ぎんさ」

「まぁそうだろう。本當にテロリストであれば、いくら工作員といえど、いつまでも放っておかれるはずはないからね。

そしてだ。君がこのベトナムにったのと前後して、不穏なきがあったんだ。一つはもう君自が経験しているからわかっているかもしれないけれども、ここのところ鳴りを潛めていた海賊が突如としてき出したことだ」

俺は彼に頷いた。不穏といっただけあり、やはりこの時期に突如として海賊がいたことは、東南アジア地域の業界においても、おかしいと思える向だったようだ。このこと一つだけ見ても、海賊が今回の件に一枚噛んでいるという推測は當たっていたことになる。

「他には」

「君はこのシンガポールという國にきて思ったことはないか」

男が唐突にそう尋ねた。俺は突然の振りにわずかな困を抱きながらも肩をすくめた。

「ふむ。君も世界中の大都會をいくつか渡り歩いた人間だと聞いているから、注意深く観察していればどこにでもある景だと思う。おそらく、あまり大きな議論に出されることはないだろう。だが、たしかにどこにもある問題だ」

謎解きゲームは嫌いではないが、こうも象的にいわれては謎の解きようもない。俺は焦らさずにいってくれと相手にむかって告げる。

「この國には公式的にはホームレスがいないことになっている」

「ホームレス……いわれてみれば、この國にきてこのかた、ホームレスは見たことがないな。しかしそいつがどうしたんだ」

日本の都會であれば、高架下や公園、大きな駅の周辺なんかには確かにホームレスの姿を見ることができる。それはロンドンにいたときだってそうだったし、パリに至っては未だ、そうした住民が寄り集まってできたバラック街が構されているくらいだ。未だというより、さらに拡大しているといったほうが正確か。

「シンガポールの國民は、給料の五分の一が強制的に天引きされ、それが住居費用として充てられることになっている。こうすることで、決して広くはない國土の中で平等に國民が家を追い出されることのないよう、制度として備わっている。

しかし、事は必ずしも絶対そうとはいいきれないのが現実だ。極々わずかではあるが、この國にもホームレスがいるのだよ。彼らが晝間どうやって生計を立て生活しているのか、その実態はほとんど摑めていない。それもそうさ、公式には存在していないことになっているからね。

だがね、夜になると海辺の公園や遊歩道の脇にはそうした人間たちの姿が、ないながら見ることができる。これはホームレスがいないと公式に謳っている我が國においては由々しき事態ではあるが、今は置いておこう。

問題は半年ほど前に遡る。夜明けの海辺を散歩していた老人が、浜に打ち揚げられた人間の死を発見した。これが後にこの國のホームレスにを當てることになったわけだが、死は海水に長い間さらされていたためか、腐敗と損傷がひどく、一誰であるのか捜査當局も見當がつかなかったという」

唐突に語りだした男の話に、訝しみを覚えながらも黙って耳を傾ける。間違いなく、今回の件に絡んだ出來事であるに違いないのだ。

「男の死であることは間違いなかったそうだが、捜査は難航した。それも當然で、死をDNA鑑定にかけ照合したにも関わらず、それらしい人が浮かび上がらなかったというのだ」

「照合するにも、検証のためのDNAがないんじゃわからないだろう」

「いや、警察は死の損傷合から、過去五年以の人間であることだけは間違いないとした。そこで、彼らはこの間に失蹤した人間を洗い出したわけさ」

「だが、そのどれにも引っかからなかったってわけか」

男が頷く。聞けば、シンガポールでは、國民一人ひとりに國民番號をつけてあり、失蹤やなんかで誰が失蹤したのか、すぐに割り出せるような仕組みをとっているらしい。日本でいうところの住民基本臺帳のようなものなのだろう。この國民番號によって、先の給料の二〇%の天引きが絡み、すぐにどこの誰かというのがわかる仕組みなのだという。

「それに引っかからなかったとなると、死の主は外國人かもしれないとしてそれも検証されたが結果は同じだった。つまり、彼は國民番號すら失ってしまったホームレスだという結論が導き出されたわけだ。しかし、この國においてホームレスはいないと公言している以上、それを公に発表するわけにもいかなかった。隠蔽されたんだよ。

もちろん、噂だけは裏の世界には知れ渡った。警察、ひいては國の失態だとね。そして、一月としないうちに忘れ去れらたこの事件が、再び浮上することになったのだ。きっかけが、その海賊がき出したことに関係があるという噂とともに。死がある日系シンガポール人のものであるという噂が、まことしやかに流れたんだ。

この人が何者であったのかはわからない。しかし、海賊がき出したことと関連付けられて再び話題に上げられたことから、彼がなにかのきっかけで海賊たちに殺されたのかもしれない、そんな噂が流れた」

「その話、真紀にしたのかい」

「したよ。それでマキはすぐに出ていったんだ」

「真紀のやつは何かいってなかったか」

そう質問した俺に、彼は黙って首を振るだけだった。しかし、初老の話を聞いてすぐに出ていったということは、この話になにか気付いたということにもなる。となるば、俺もすぐきべきかもしれないが……真紀がここに置いていったということは、放っておけばいずれはここに戻ってくるだろう。話は確かに気になるので、俺自も自分でいて確かめたいところだが結局は、真紀の摑んだものと同じことを摑まされることになるはずなので止めておいた。

「それともう一つ」

「まだ何かあるのか」

「うむ。これも未確認報なんだが海賊がき始めた頃のし前のことだが、軍から一個中隊、あるいは二個中隊ほどの規模と思われる兵士が丸ごと走するという、信じがたい話が流れていたよ」

「軍隊が?」

全員が一斉に夜の繁華街へと抜け出し遊んだという話で、初老は呆れ気味に笑っていたが俺にはどうにも気にかかった。昨晩俺と真紀を襲った連中のことを思い出したのだ。連中のきは、明らかに素人のそれとは違っていて、単なる寄せ集めとも思えなかった。明らかに特殊な訓練をけた者たちであることは明らかだった。

(まさか、な)

もしかすると、連中は遊びたいがために抜け出したという軍人たちではないのか、そんなありもしないことを想像した。遊びたいためだというこれまた俄かに信じがたい話が、そう思わせたのかもしれない。だとしても、それはもう何週間も前の話で、今回の件とは関係なさそうな気もした。気もするが、どうにもそれを払拭できずにいる自分がいるのも確かだった。

とりあえず、それも含めて真紀の帰りを待ったほうがよさそうだ。ひとまずは俺への疑の目がしは反れたに違いない。それだけに事態をより正確に摑んでおく必要がある。海賊船の船長に政志のタイム・マシン施設の建造、その政志の取引相手を襲撃した一味を壊滅させたプロ集団とその背後にいるらしい。そして真紀が助けるはずだった本當のエージェントについても。これら全てだ。全てを知っておく必要がある。

これらのピースは間違いなくどこかで繋がっているに違いない。漠然としてはいるが、それだけは間違いない。俺は小さくため息をつきながら膝に力をいれてゆっくりと立ち上がると、今だけは頭を空っぽにするよう努めて男に朝食をもらえないか頼んだ。

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