《いつか見た夢》第97章

ざわざわと背筋を嫌なじが抜けていく。いくら意識が他にいっていたとはいえ、まさかこうも簡単に背後をとられるとは、深くといわざるを得なかった。そしてそれを行ったのがどうにも奇妙なことに、とても矮小な人だったとあればなおのことだった。

「お前は……」

俺の背後に音もなく現れたのは、矮小というには歪な、人男の頭を持ちながら子供と見紛う軀をした矮人だった。長は一メートルにも達しておらず、頭もせいぜい三頭ちょっとというところだろう。しかしこれがどうしたことか、顔だけはなかなかに男子といってもいいほどの奴で、目鼻顔立ちが整っている分、余計に歪さが増している。

「やぁ、待っていましたよ、クキ」

「待ってただって? お前は一何者なんだ」

すぐにも銃を引き抜けるよう、わずかに構える。だが目の前の矮人は、そんな俺の行になど微塵も興味がないといった合に続けた。

「君はもう知ってるんじゃないかな? 私こそ君が知りたいと思った人間、それさ」

微笑をたたえたまま意味のよくわからないことを口走る奴に、俺は眉をひそめて鋭くいう。

「俺はお前みたいなちび野郎なんざ知らないね。ここにいるってことは、今回の件に一枚噛んでる奴だってことはよくわかるがね」

「くっくっく……じゃぁヒントだ。これまでに出てきた登場人を消去法で消していけば、おのずとわかりますよ」

厭味っぽく笑う矮人の仕草が癪にきながらも、シンガポールに訪れてからの登場人たちを頭の中で消していく。トニー・イサーク、シュガール・ヤン。こいつらの顔はしっかりと覚えているし、まずこんな矮人などではない。ジョン・マクソンについても同様で、そもそもマクソンは今この場にいるはずがない。となると殘るのは……。

「ライアン……そうか、お前がライアン・トーマスなんだな」

「くっ、くくくく。そう、いかにも私がライアン・トーマスさ。驚いたろう、まさか謎の人で通っているライアン・トーマスがこんな場所にいるだなんて」

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「ああ、驚きだね。まさかライアン・トーマスがこんなにちっこい奴だったなんて、驚かない奴のほうがどうかしているというもんさ」

いっぱいにそういうと、かすかに奴の整った頬が上下にいた。やはりコンプレックスであるらしい。しかし、日系二世という店主の報について間違いではなかったらしいが、まさか矮人だなんて思いもしなかった。いや、それにコンプレックスを持っているからこそ、謎に包まれた存在だったのかもしれない。

「くっくっ、そう怒るなよ、挨拶みたいなもんだろう。それで、そんなライアン・トーマスがなんだってこんな屋敷にいるんだ」

「……ふん、まぁいいでしょう。どうしても君という人間に會ってみたくなってね。だというのに君は私の招待に応えることなく、つっぱね、それどころかこちらの貴重な人員を抹殺する始末だ」

「なるほど。あの兵士たちは、お前の差し金だったってわけか」

やれやれといった風に首を振るライアン・トーマスに、俺はあえてその口車に乗ってやった。どうも、俺の摑んだ事実とは食い違いがあるようだった。

「そう、私が君に差し向けた。いやなに、貴重な人材とはいったが、やられたからといって報復しようなどとは思ってはいない。報復など、野蠻人のやる行為ですからね。むしろ、君という人間のデータも取れた。それだけでも彼の死は無駄ではなかっただろう」

こいつのいっているのは一味のアジトを襲った際に、俺が背後から近付いてきたところを仕留めた奴のことだろうか。あれだけでどれほどのデータが取れたというのか、なんにしてもこいつの人を見下した言い方は癪に障って仕方ない。

「それで、ライアン・トーマスがなぜ俺に用なんだ」

「ふふ、そう警戒しないでもらいたい。とりあえずここを出て話をしようじゃないか。まだ私は君の敵ではない」

まだ、ね。要するに、俺に渉を持ちかけようとしているわけだ。そして回答いかんせんによっては、その場で俺を始末しようという算段なのだ。まぁいい。向こうがその気なら、しばらくのあいだ付き合ってやることにしよう。俺としても聞きたいことはいくらもある。

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ついてきたまえというライアンの言葉に従い、俺はようやく薄ら寒さをじさせるこの部屋を出た。部屋を抜けると屋敷二階部分の廊下に出る。どことなく武骨さをじさせる裝は、いかにも英國貴族風といった合で、こんな小さな島國によくもまぁこんな屋敷を建てられたものだと心する。

「それにしても、隨分と熱心に”彼”を見ていたようだね」

「彼だと」

「そう、”彼”さ。君があの部屋の奧で見つめていた、死のことだよ。しいだろう? この世に顕現した神とは、きっと彼のようなことをいうんだろう」

「あのつぎはぎの死神だっていうのか、あんた。神だといっておきながらそいつを切り刻むだなんて、どうかしてるぜ」

「仕方がないな。ああでもしなければ、私たちの前から彼は消えてしまうからね」

「消える? あの死がか。それはどういう意味だ」

「まぁ、それは順を追って説明しましょう。君が知りたいのは別に”彼”のことではないだろう」

ひょこひょこと歩くライアンに質問を投げかけると、この矮人はなにがおかしいのか妙に甲高い聲で、くような笑い聲をあげながら語りだした。

「まずは私の正から話すとしようか。本來なら極なので、いくら君のことが興味あるとはいえ、簡単に話していいことではないんだけれどね。まぁ、特別サービスと思ってくれればいい。私は高等弁務ジョン・マクソンの、というのが一応の肩書になっている」

「なっている?」

「そう。だがそんなものは所詮、単なる肩書にすぎない。君もここまで潛してきたのだからもう知っているだろう。ジョン・マクソンが突然この國の弁務として派遣されることになったことをね」

「ああ。前高等弁務はジョン・マクソンではなく、別の人間を推薦していた。だが、彼が死んだことでそいつが流れてしまい、代理としてマクソンがその職に就いたものの、そのまま今のポストに就いている」

「そうです。しかしジョン・マクソンは、単なるポスト爭いに勝ったから高等弁務に就いたわけではない。私が彼に譲ったんですよ、高等弁務のポストの座をね」

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「譲っただと。つまりあんたは」

「ふふ、そう。本來なら私こそが前高等弁務に推薦され、高等弁務になるべきはずだった者なんですよ。しかし私にとって高等弁務などというポストは、あまり重要なものではなかった。あればそれなりに便利なポストだったのでしょうが、とにかく私にはさほど重要のあるポストではなかったのですよ。

しかし、ある時私の進めている研究を行うのに場所が必要となった。そこで以前、私の口利きで弁務に居座ったジョン・マクソンのことを思い出し、彼のという形でこのシンガポールにやってきたというわけです」

「なるほどな。高等弁務には特級の外特権が認められている以上、多の融通はきくというわけか」

俺はてっきりジョン・マクソンがこの男とのポスト爭いに勝利したものとばかり思っていたが、実際はそうではなかったらしい。研究者だというライアンの格を鑑みると、確かにそんなポストなどというのは興味がないのは當然だろう。おそらく、一國の王になれると約束されたところで、この矮人にはしの興味も持てないに違いない。

「その通り。なんせ、彼には私からポストを譲りけたという恩がある。そんな私からの頼みを斷れるはずもないわけだ」

「まさか後任だったというのが、あんたとは思いもしなかったがな」

ライアンのコンプレックスを刺激してみるつもりで多の皮をこめていったつもりだったのに、この男はそれに気付くことなく語り続ける。

「今いったが、私は元々研究者でね、このなどという肩書も実際にはほとんど意味はない。彼のという肩書があれば、大抵のことはできるからそれを拝借したに過ぎない。あくまで私はここで研究ができるからやってきたにすぎないわけですから」

「そうか。渡邉政志が取り付けた契約の施設ってのに、あんたが研究長として配屬されることになってるんだな」

「ええ、そうですよ。実際のところは、私がそれをジョンにいって進めさせたんですけどね。國を発展させたいと考える者は、その國をする者であれば當然。そんな彼たちと素敵なパートナーシップを保つことで、互いの利益をしようとしたわけです。ところがだ。どういうわけか、これを良しとしない連中もいるもの事実でね」

今まで軽快にらせていた口が、ここにきてかすかなりを帯びた。例の政志たちを襲った一味の連中のことをいっているのだ。ライアンにとっても、まさかあんな形で橫槍をれられるとは思いもしなかったのだろう。

「その連中は國家の擔うプロジェクトに、ジョン・マクソンが絡んでいることを知って行を起こした。ジョン・マクソンは高等弁務である以上、イギリス本國の利権を最優先とすることが使命だからな。そうだろう」

「ええ、そうでしょう。さすがに驚きましたよ、彼らが下手な行に出たときはね」

しかし、ここで疑問が浮かぶ。ここまでライアンの話す容に噓はないだろうし、話の筋も通っているとは思う。ジョン・マクソンがこの男の傀儡だったとなれば、國家プロジェクトの裏にあるの研究についても知らされなかったとしても不思議はない。

そしてもちろん、あの連中を気に食わないと思うことも當然だろうが、すでに政志たちが契約を取りつけた後に連中が襲われたのだ。これでは行を起こしたにしても遅すぎやしないだろうか。なんせ相手は國家プロジェクトなのだから、襲う相手が違うだろう。ジョン・マクソンのことを知っての行だというなら、もっと直接的な行をとるはずだ。あるいは、奴を攻撃しようものなら、イギリスとの戦爭になりかねないと判斷したからなのか、定かではないが。

そう口にしようとしたところで、ライアンが話を止めて目の前の大扉を開くよう指示を出した。

「客人だ。ここを開けたまえ」

すると観音式である大扉の向かって右側の扉が、かすかな軋む音を響かせながら開いた。どうやら中から人が開けたようで、黒づくめの服とサングラスをつけた男がその姿を覗かせる。

「どうぞ。私は所用でしだけ外しますが、すぐに戻ってきます」

客人だという以上、とりあえずは敵意がないことは間違いない。俺は頷いて部屋の中へとった。

大扉の端に、二人の黒づくめの男が立っているこの部屋は、どうもここはライアンの私室兼書斎といった合の場所らしい。ホールのように天井が丸みを帯びた形になっており、出り口以外の三方の壁には人の背では手が屆かないところにまで、ぎっしりと本が積まれている。本の壁を背に、部屋の中央辺りにえらく立派な機と椅子があり、その前にソファーとテーブルが鎮座していた。

「話の続きは戻ってからにしましょう。それまでは自由にくつろいでもらって結構ですよ。ただし、この部屋の外に出ることだけはお勧めしません。その理由はもう判っているでしょうがね。

しのあいだ私たちは外しますがこの二人は外にいるので、何かあるのなら申し出てもらえば対応しますよ」

そう告げると、ライアンと黒づくめの男たちは部屋から出ていく。念を押すライアンのいうことはごもっともだ。黒づくめの二人の立ち居振る舞いを見れば、単純に素人とは思えない。前後の流れからいって、例のコマンド部隊の一員だろう。一人や二人くらいなら俺にでもなんとかできるだろうが、どれほどの人員が殘されているのか知れたものではない以上、無駄なことは避けたほうがいい。

ライアンたちが出ていくのを橫目で確認したあと、俺は早速行を開始する。もっとも、向こうもこうした行に出ないなどとも思ってはいないだろうが、元々そのつもりで屋敷に侵したのだから、やれることはやっておくべきだと判斷したのである。

とはいっても探る場所など、部屋の構造上、機の一ヶ所しかない。俺はふかふかのカーペットの上を機まで移し、機の引き出しを引きあける。何か重要な資料かなにかないかと、四段ある引き出しを全て開けた。

「ちっ、やはりこんなところにはないか」

書斎とはいえ、侵者である俺を客人と稱し招きれるような奴が、まさか真っ先に報の知れるような資料を置いておくはずもない。せめてパソコンでもあれば別だが、殘念ながらそれらしいものすら置いてはいなかった。おそらくライアンの野郎は、はじめからここに通すと決めていたのかもしれない。

俺はため息をついて、改めて部屋の中をあおぐように眺める。日本のように大地震でもきたら、それこそ雪崩ととなって落ちてきそうな大量の本の壁に、しばかりの興味を持って歩み寄る。

そこには奴の興味の対象となる様々なジャンルの本が並べられてある。神話と民族と題された本に、舊約聖書新訳と書かれた本、古代人はなぜ星に魅了されたのか、などといった本なんかもある。考古學や言語學、天文學から地質學、それに経済學といった分野まであり、それらがきちんとジャンル分けされてあるあたりは、さながら個人図書館といった趣きがある。

俺も変なところで知りたがりの分のせいか、こうした知的分野というのは好奇心がうずくものだが、そんな中で一際、興味の引く一角があって思わず足を止めた。その棚には伝子工學、さらにその下の段には理工學の類の本が陳列されてあったのだ。

それらを何冊か手にとって見てみる。伝子工學の本に伝子の基礎知識から、それらを応用し新しく治療法を作りだそうとする技の話や、理工學のほうには、タイムマシンは本當に可能なのかを証明しようとする段落から、宇宙の理法則を論ずる段落まで、本の容はちょっと興味がある程度の俺には難しそうだ。こんなときに田神がいれば、噛み砕いてわかりやすく講じてくれそうなものだが。

それらの本を戻そうとしたとき直した本のすぐ隣に、見知った著者の名があって眼を引き、その本を手にとった。

「チャールズ・メイヤー……まさか、あのメイヤーか」

まじまじと見るその本の著者名には、確かにチャールズ・メイヤーと書かれてあった。チャールズ・メイヤーとはイギリスの伝子工學者で、あの奇妙なのサンプルをするあまり、マフィアどもすらけしかけた食わせ者だ。サンプルのを生すれば、劇薬である、あのヘヴンズ・エクスタシーを作ることもできる。

そんなメイヤーだが、研究の材料としてあれを手しようとしたが結局は學者、殺し屋同士のいざこざに巻き込まれ、命を落したわけだ。だが俺も著名な學者であるメイヤーの本を見たことはなかった。さすがに興味津津といった合に中を開いて読んでみる。

「『ある特殊型の由來と発生』、か」

目次を見ていって思わず目に止まって、そうつぶやいた。そのページを開いてみると、さすがに伝子學者でもない俺には難解な言葉の羅列が飛び込んでくる。おまけに英文ともなれば、なおのことだ。それでもいくつかの文章は、ある程度かいつまんで読むことはできそうだ。

そこにあったのはメイヤーが伝子の研究をしていく際に、に関する論文とぶちあたったことによって書かれた論文であることが、前書きとしてあった。メイヤーは、よく型を簡単に説明するのにABO式の型選別法が用いられることがあるが、これはあまりに大雑把過ぎて當てにならないと論じていた。

単純に考えればそれはそうだが、人間がたった四種類の型で人格や格、や行が決定されるなど稽でしかないことは確かではある。これは所詮、形式ばったもので、実際には伝子の與え得る影響も加味しなければ、個々人の面や格、行は決定できないと書いてあった。

そこでメイヤーは伝というものを研究する人間らしく、別の方法で研究することが適正だとする考えを述べていた。まずはRh因子式と呼ばれる、赤球中にあるRh因子の抗原を數十種類に分けることで選別する方法、白の抗原を用いて選別するHLA式型など、他數種類の選別方式で型は分類されるらしい。

特に、キメラ型と呼ばれるタイプの型があるというのには驚いた。これは、本來一人の人間につき一つしか保有しないはずの型が、同時に複數有していることでついた名稱らしく、例えばABO式に則っていえば、九〇%がO型に対し殘りの一〇%がAB型といった特異なタイプも存在しているというのだ。

他にも、Rh因子式ではRh null型といった一〇〇萬に一人しかいない希型も存在するという。當然、型としては全く違う種類の型になるため、これらの型を持つ人間には、たとえABO式で判定された型のを輸したとしてもなんの意味もないわけだ。それどころか、が反応をおこして中の赤球などが溶けだす溶や、が固まる凝集反応を引き起こしてしまう。

まだまだ本には興味深い容が書かれてあるようだが、さすがにこれ以上は俺の英語の理解力では追いつけそうにない。半ば口惜しい気分になりつつも、本を元の位置に戻した。

というのはとても不思議でしょう」

突然聲がして振り向く。ひっそりと開けられた大扉から、例の矮人がひょこひょこと歩きながら部屋にってきながら続ける。

「私はね、昔から人間のというものにとても興味を持っていたんですよ。だってそうでしょう? 猿や他のなどにも人間でいうところの型は存在しますが、人間ほど多様なタイプの種を持った生は類をみない。人間というものが自然界において、特別であることがわかる。

しかしなぜ、人間がこのような何種類もの型をもつのか。私はそれがたまらなく不思議に思えてならないのです。別にABO式の型のことをいっているわけではないですよ。その本を見るとわかるんですが型というのは、実際には四種類とはいわず、何十、もっと細かく選別していくと何萬種類にも及ぶ。

それだけではない。なぜは赤いのか。もちろん、赤球の赤を赤たるものにしている。だが、なぜ赤でなくてはならなかったのか。別に黃でも青でも……あるいは緑でもよかったはずなのに、なぜ赤なのかといった疑問すら持ったことがある。そして、人間に型というものがあるのなら、で區別できればそれが一番なんではないのか、などと時に思ったこともありましたね」

に必然を考えるなんて、とんだガキだな」

ひょこひょこと歩くライアンにそう投げつけるようにいうと、この矮人はニヤリとを歪めて笑う。男子といってもいい面をしているだけに、その顔がやけに厭味ったらしい。

「まぁ、そうだったのかもしれません。私にとってというのは、それほどまでに魅了してやまないものなんです」

「そのためにこんな本を手にれるほどなんだから、よほどのことなんだろう。だが、そのってものを研究して、結局はあんたはどうしたいんだ」

別に研究者にとって、こうした疑問は愚問に近い言葉なのだろうが、とりわけなどというものにさほど興味など示せない俺としては、どうにも理解しがたいものだった。

「古來より人間は、にどんな形であれ特別視していた。とりわけ解りやすくいえば、族なんかがそれに當てはまるだろう。を分けた兄弟だとか親だとか、まぁそういったものが連綿と続いていくとるものが族だ。所謂、ある家系の直系と呼ばれるものだね。

ある偉業をし遂げた人伝子をけ継いだ人間が代々、その時々の中心に添えられるといったことはままあることでしょう。世襲がまさにそれです。そこで私は思ったわけですよ。いくら偉大な人を引いていようと、子孫など所詮は別の人間であるはず。なのにどうしてなのか、とね。

偉大なのは偉業をし遂げた人なのであって、そのを引く人間などではない。彼ら彼らは、あくまでそのを引いて生まれたに過ぎない。だというのに人は遠く、悠久の頃よりそれを重きにおいてきた。なぜ、どうしてというのものがここまで比重を大きくするのか、私には不思議でならなかった」

語るにつれ、しずつ語気を強めていくライアンの口調は、彼らのしてきたことがあまりに下らないものだといっているかのようだった。まぁ、ライアンのいわんとしていることが理解できないわけでもない。確かに、よく二世は能無しだとか、親の七りなどと呼ばれることが多いわけで、その世襲が功をそうじることはあまりないというのが実だろう。

そんなのがトップに立てば、対象が國民であれ、組織の末端員であれ、不幸にしかならないというものだ。あるいは右腕がよほど優秀であれば、また話は変わってくるのかもしれないが。

「けれど同時に私は考えるわけです。そのを引くからこそ、人は偉大な人の面影を脈絡とけ継がれるに、それを求めているのかともね。

人間は、先祖のけ継ぎながら様々なれてもいく。過去に生きた人間への哀愁を抱きながらも、決してそれだけではいけないとも無意識下に思ってもいるわけだ」

「……がまた別のを呼んでいるとでもいいたいような言い草だな」

「ええ、まさしくその通りでしょう。は多種多様の型を作り、拡がりを見せていく。が、それだけでもないように私は思うのです」

「それだけでもない?」

「そうです。これは私の持論ですがね、今もいったように人がかつて存在した人に哀愁を抱くというのはすなわち、もまたかつてのに哀愁を抱くとも言い換えることができるとは思いませんか。哀愁を求めるということはつまり、そのと同じものを求めているということにもなる。

では、その求めるとは何か。もちろん、それは人によって違うかもしれません。人は自の思想によっても、求めるものも変化しますからね。ですが……」

ライアンは好奇心をくすぐるように、わざとらしくそこで一端話を區切ってみせる。

「ですが、なんなんだ」

「ですが、その思想そのものすら上回るものがあるとすれば、はそれを再び世に生み出すためにありとあらゆるパターンを試行錯誤し、新たに、そして偉大なものの再來を、再現を求めているのかもしれない」

「いっている意味がよくわからない」

「要するに、人間の源となるものと同じものを作れるかどうか、といっているのですよ。あなたは知っていますか。かつて人類が一人であったことを」

「聖書じゃぁ神とやらに創られたアダムから摘出された肋骨からイヴが生まれ、人間は複數になった。そういいたいのか」

下らないとは思いつつも、問いかけられてつい口走った自分が憎かった。かつて母親が、それなりに熱心だったキリスト教徒だったこともあるかもしれない。

「ふむ、それも間違いではない。しかし、それは唯一神、創造論者による創作だ。ともかく人類とは、最初期にはごく數しかいなかったとされることが多い。その後、繁能力を備えた人類が増やされ、増えていくというのが神話でお馴染みですね。

一人であれ複數人であれ、極最初期の人類は極端に數がなかった。時を経ていくにつれ人類は數を増やしてはいくが、同時にその頃の人間のは薄くなっていく。仕方ないとはいえ、これでは人類は全く別のものになってしまうかもしれない。が、伝子が、そう危懼したと考えてみるとどうでしょう。

己の仲間を増やそうという本能ともいうべき無意識下にある理を、自ら変えていくかもしれません。極最初期の人類に似たを造り出し、自らを回帰させようとするために気の遠くなるような試行錯誤を繰り返し、再び一つの、かつていた人類と同じになろうとすることが人類が増加する理由とも考えられる」

さらに目の前にきた矮人が続ける。

「今現在、人類は啓蒙主義の煽りをけて、愚かにも全ては一直線に歴史が進んできたと考えている。もちろん、ある地點から見ればそれは間違いではないでしょうし、もし人類が創造されたものだとして考えれば、やはり一直線に進んだとしてそれは間違いではないでしょう。

だがね、始まりはそうだとしても、人類が現在まで幾度となく同じような歴史を繰り返してきているとしたらどうでしょうね」

「あんた、一なにをいってるんだ」

「くっくっく、何、”矮小”な人間の戯言だと思って聞いてください。

啓蒙主義とは、口ではうまく説明できない事象全てに、神や霊的な存在を肯定した考えから理的に、かつ論理的に事が構されるということです。こうして初めて、自分たち人間が利口で賢い生きだと認識するようになったともいい換えることができる考えです。

長い歴史を全て始めからそうだとするなら、そうかもしれない。しかし、ある地點から區切って見てみれば必ずしもそうとは限らないかもしれない。

この啓蒙主義というのは実際のところ、ここ五〇〇年、長くみても一〇〇〇年程度の歴史しかない。進化論も同じで、一人の神が全てを創ったとされる時點から見て、全ての事が一から作られていくという考えから、しずつ、長い時間をかけながら変化し長していくという考えだ。これはまさしく、現在の考えの底にある唯論だ。

だが、古代ローマや古代ギリシャの人々は違った。世界は、なくとも人類が誕生してから彼らの時代まで、文明と人類は幾度となく滅んでは再生するといった、歴史が円環であることを知っていた。現在のように、最後の審判が下されれば全てが終わるわけではない。またゼロに戻り、そこから新たな文明がかつての文明をけ継ぎながら創造され、繰り返されていくと信じていたんですよ。

実際に、判明しているだけでも九〇〇〇年にはなるという巨石居住跡や水路、祭壇と思しき文明の痕跡も発見されていますからね。有名なところでは、古代エジプト文明の興りは現在よりも、さらに五〇〇〇年以上は古いとされる研究結果もいくつも出されている。これはキリスト教のいう世界が始まったとされる歴史よりも、ずっとずっと前の時代だ。おそらく創世記にあるノアの大洪水も起こったと考えていいでしょう。

そしてノアの方舟の話に限らず、世界中にある洪水伝説は実際に起きたことだろう。過去に生きた人々が殘した記憶が、神話という形で殘ったというわけですね。こうして繁栄しては滅び、繁栄しては滅ぶというサイクルの中で人類は、その時代時代に起こった災厄を生き殘った人々がそれぞれの地域でアダムとイヴになり、子孫を増やしていったのでしょう。

しかし、人が極端になくなった狀態ではの回帰は難しい。だからこそは生き殘った人類から、自らの回帰を目指すべく人類を新たに生産し、特別なを持つ人間を生み出そうとしているのではないか……と私は考えるわけです」

いい終えたライアンの言葉に呆気にとられながらも、聴きっていた自分に喝をいれる意味も含めて返す。

「面白い考えだな。だがな、俺にはたかだかがそんなことを無意識にでも考えているだなんて、とてもじゃぁないが信じられないね。確かに數ない俺の知識にも、人類が一直線に歴史を歩んできたわけじゃないっていう説があることは知ってるぜ。古代ギリシャの數學者がゼロという概念を生み出すことはできなかったのに、古代エジプトの神はすでにこのゼロという概念を知っていたっていうのも知ってる。

だがな、だからといってが回帰するってのは信じることはできないね。自覚できないのに自分のに意識があるだなんて、さすがに突飛すぎるというものだ。大、あんたの理論はに意識があるってのが前提なわけだが、それを証明する手立てはない」

「くくっ。しかし、私のいっていることを否定することのできる絶対的な理論も存在しない。まぁ、それはひとまず置いておきましょうか。あくまで私個人の考えでしかありませんしね、今のところは」

こいつの長そうな講釈などうんざりだった俺は、気障きざったらしく厭味っぽいライアンの言葉を半ば遮っていう。

「それで、今の話がどんな風にさっきの死と繋がるというんだ。あれは単に、お前の猟奇趣味を満たすためのものではないのか」

「おっとそうですね、しお喋りが過ぎましたか。まぁ、あながち無関係ではないのですがね。

私がライアン・トーマスであることはいいましたね。前高等弁務にそのポストを推薦されながらも、それを斷った人間が私というのも。そして、君は勘は良さそうだからもうわかっているかもしれないが、ジョン・マクソンをっているのも私だ。

これもいいましたが私がこのシンガポールにきたのも、ある研究施設の建造を目的としているからです」

「例の國家プロジェクトとかいうやつのだろう。シンガポールという國の地利を活かして、海上……いや、海底にか? 表向きは真水を供給するための施設だが、実際にはお前たちの馬鹿げた実験のための研究施設だ」

「その通りです。ここにかつて頓挫したプロジェクトを移行させ、後継施設として発展させるのが私の使命というわけですよ。だがしかし、哀しいかな、當然この國にも、そんな我が使命に橫槍をれようとする者がいるのも事実でしてね。そこで私は施設の今後のためにも、きちんと訓練されたプロを雇う必要があると考えた。できうることなら本國からこうした兵士たちを呼べればいうことはなかったのですけれど、さすが私にもそこまでの権限はない。しかし、イギリス連邦加盟國でならどうでしょうか」

矮人の語りを聞いた俺は、悅になりながら続きをいわんとするライアンの言葉を遮って続けた。

「つまり、本國では難しいプロジェクトを、加盟國という言葉を変えた植民地で安全にそれを行おうとしたわけだな。お前はそのために昔辭退した高等弁務のことに目をつけた。そのために々な裏取引がされたのかもしれないが、ともかくこうしてお前が弁務の執政として、事実上の特殊外特権を手にれたんだ。

特殊外特権を手にしたお前は、早速この権利を使ってジョン・マクソンをり親英派の政治家や軍人らを取り込んだ。もちろん、その本當の目的はほとんどの人間に知らせることなくな。そして、この事実に気付いた右翼派は、知ってか知らずかお前の意を汲んだ渡邉政志に目をつけた。こいつらをどうにかすれば、建設自が困難になるに違いない、そう思ったのかもしれん。

だからお前は、そんな右翼派の実行部隊である武闘派マフィアの一味を一人殘らず殲滅することにしたってわけさ。これは右翼派に対する無言の忠告だ。邪魔すれば、次はお前たちだというな。そうだろう」

早口にまくし立てた俺に、ライアンは何がおかしいのか拍手しながら引くような笑い聲をあげる。矮人という特殊な形狀のためだろう、その様はなんとも奇怪に見える。

「ええ、ええ、まさにその通りです。現場指揮をとったバドウィンに君以外、一人殘らず殲滅するよう命令したのは、君の言う通りこの私ですよ。いえ、殘念ながら一人、狐を取り逃がしてしまいましたがね。まぁ、あれはイレギュラーといえばイレギュラーなので、かまわないでしょう。彼に世界帝國の一角を相手できるほどの力もないでしょうしね」

バドウィンというのは、あの夜俺と真紀を襲った連中のリーダーのことだろう。あの男が去り際に口にしたことを思い出し、ライアンに問いかける。

「あの晩、俺を襲った連中がお前の差し金だったってのは、これではっきりした。だがあのバドウィンとかいう男は、のために自分たちは集ったといっていたぜ。それも、そのが俺に會いたいとも。こいつについてはどういうことなんだ。話を聞く限り、そこが矛盾しているんじゃないか」

「ああ、”彼”のことですか。彼らが優秀な兵士で、かつ”彼”に従順であることは間違いないでしょう。たった一人ののために、よくもまぁ盡くせるものだと、ほとほと心しますがね私は。

まぁ、それは置いておくとしましょうか。彼のいうことは半分正解、半分外れといったところでしょうか。実のところ、彼らを私一人で掌握などできるはずがないのも間違いなくてね、そこで私は”彼”を利用したのです。”彼”に心酔する彼らを言いくるめるには、やはり”彼”を使うことが一番有効でしょうからね」

「お前のいう”彼”ってのは、もしかして、あの部屋の奧にあった薬漬けになったつぎはぎ死のことか」

「ええ、もちろん」

にこやかにそういったライアンは目を細め、ニヤリとを歪める。その表は、にこやかにしているせいか逆にとんでもなく邪悪に見える。まるで、ああすることこそ”あれ”のためには良かったのだといわんばかりだ。聞きたくもないがライアンはもはや自制心などまるでなく、次から次へと口をついて語りだした。

あの死は、ある一人のをモチーフに作られたものだというのだ。ライアンは以前、東歐に滯在中とても不思議な験をしたという。それはある一人の東洋人らしいとの出會いで、これがどういうわけか、とても惹きつけられずにはいられなかったらしい。

「本當に不思議なひとでした。見る者を惹きつけてやまないというのは、ああいうことをいうのかとをもって験したわけです。正直なところ私は、こんなでしょう? だから、それまでは自分のこのにコンプレックスを持っていたが、”彼”を目にした瞬間から、そんなものは私の中から一切が吹き飛んで消えた。

しいといえばそれまでですが、本當にこれ以外の言葉が見當たらない。いや、しいという言葉すら”彼”を比喩できない。もっとこう……もっと高い次元に”彼”はいるのだと、本能で理解したのです。おかしいでしょう? 仮にも科學を信とする人間が本能だとか直だとか、とても理や科學とは相容れないものを信じてしまったわけですから。

だがね、同時に私は思ったわけです。科學とはあくまで今起こっている、あるいは起こりうることを定義するための手段に過ぎないのに、その目的と手段が逆になってしまっていると。私も科學を信とするのであれば、その直だとか本能と呼ばれるものを、緻に研究すべきだと思い至ったのです。

それに”彼”と出會ったのは、ほんのわずか……せいぜい十數秒の間でしかない。にも関わらず私は、”彼”に魅られてしまった。もし神がいるのだとしたら、きっと”彼”のことではないのかと本気で思ってしまうほどに。

もちろん、それから數日もしたある日に、あれは単なるまやかしだと自分に言い聞かせることで、”彼”のことを頭から追い払うことにしました。だというのにどういうわけか、私の中で”彼”の存在はますます大きく、自分を制できないほどになっていった。もはや、自の信念を変えてしまうほどに”彼”の存在は大きくなっていた。

しかし、たった十數秒の験で見た”彼”を、今さら追いかけることなど不可能でした。いや、もちろんやるだけのことはやったつもりです。つてを使って、私が見て覚えている限り”彼”の特徴をいっては探らせることはしましたよ。それでも”彼”を見つけることは葉わない。”彼”への想いは募るばかりで、私はついぞ、見つけることができないというのなら、作ってしまえばいいのではないのかと、結論に至ったわけです」

俺はその話を薄気味悪い気持ちを抱きながら聞いていた。正直なところ、今日初めて會う男ののろけ話を聞かされて、うっとうしく思わないほうがどうかしているとは思うが、ましてやこの奇妙な人となればなおのことで、おまけに一目惚れしたのことを想うあまり、つぎはぎの死を作ってそれを観賞しながら悅になっているのかと考えると、もはやそこには嫌悪すら通りこして異常に思えて仕方ない。そこで沸き起こったを振り払うように、質問を変えた。

「それでお前はあんな異常な死を作り上げたわけだな。それだけでも常軌を逸してると思うがこの際はいいとしよう。だが、あの連中をどうやって説得して言いくるめたんだ。あのつぎはぎ死はどう見たって、ここ何日かで出來上がったものとは思えない。それなのにあの連中が一人ののもとに自らの意思で集ったというのなら、そのは今もいるはずだ。なのにお前の話からは、あの死を利用したという割りに、連中をうまく従えたようにはとても思えない」

「そうでしょう。彼らもまた”彼”に魅了された人間だということです。”彼”に魅了された人間はまさに、”彼”のために付き従う従者、いや奴隷といっても過言ではないかもしれません。彼らもあるときに出會ったのですよ、”彼”とね。

こうして”彼”と知り合いだという私の甘い言葉に簡単に乗ってきたわけですよ、普通であればこんな甘いいに乗ることなどないのでしょうけれど、そんなことなど考えうることもできないほどに”彼”は魅力的ということです」

「つまり、あの連中はあのつぎはぎ死とは、まだご対面になってないというわけか。ごもっともなことだが、それは本當なのか。連中はあの部屋に通じている階段を使って、この屋敷と外を行き來してるんだろう? なのに、あの死を見ないというのはし変だ」

當然のことを口にすると、矮人はそんなことなどどうとでもなるという風に続けた。

「もちろん、彼らとて”彼”を見なかったわけではない。それどころか、あの狀態を見た瞬間、彼らは私に対して激怒したほどですよ。ですが、彼らも信じているんですよ、”彼”がまだ生きているということをね」

「生きている?」

力強く頷いた矮人は、よくぞ聞いてくれたといった合に得意げにいった。

「そう。今の”彼”はただの抜け殻。あの死……と呼ぶには々憚れますが、まぁいい。あの死に”彼”を取り込むことで、”彼”を顕現させようとしているわけです。……くくっ、そんな顔しないでください。確かに々奇抜なことをいっているかもしれませんが、私は至って真剣ですよ」

そう付け足していったライアンの言葉の通り、今の俺は話された容があまりに突飛すぎて、とてもついていけないというのが表にそのまま出ていただろう。この野郎は、魂だなんというのを本気で信じているらしい。そんなオカルティックなことを信じる信じないは人の自由だが、それを本気にするあまり、あんな異常な死を作り上げるという異常さに、とてもこの矮人が通常、人が持ち合わせる倫理など持ち合わせていないことを目の當たりにして気分が悪かったのだ。

しかもだ。俺の比ではないほどの本を読み漁り、多くの知を兼ね備えているはずの人間が、それがゆえにとんでもないことを信じて実行しようとするなど正気の沙汰ではない。こいつは外見が醜いがゆえに面も歪んだのかと思ったがそうではないらしい。外見のことなど全てが吹き飛んだという言葉の通り、元から歪んだ人間なのだ。

人は生まれたときから悪人というわけではないという、なんともありがたい言葉があるが俺にはとてもそうとは思えない。そう考える人間の思想にも共できないわけではないが、人間は環境次第で善にも悪にも染まれるのだ。環境がそうさせるのなら、環境がすでに整った場所であれば生まれた瞬間から、そうなることがもう決定されたも同然ではないか。

ということは、この矮人はやはりそうなるべくしてなったのだろう。矮人になってしまったのは、こいつのせいではないが元々歪みやすい人間だったということなのだ。運命などということばを簡単に使いたくはないが、それに抗おうとしなかったのは間違いなくこいつの自業自得なのだ。

第一、魂を取り込もうだなどと戯言を抜かしたがそんなのとてもできるはずがない。仮に本當に魂があるとして、まだ生きているはずであろう人間の魂を、あんなつぎはぎの死に詰め込もうだなんて一どうしたらそんな理論に結論に至ったのか、そちらのほうが気になるものではないか。

人間など自の考えに當て嵌まる思想、あるいはそれに近い思想があると勝手にそうなのだと思い込んでしまうものだ。それは本當だとしても、この矮人の行った、行おうとする所業はあまりに非人道的ではないのか。殺し屋というどうしようもない職にを落としている俺ですらそう思うのだから、こいつは本當にどうしようもないところにまで來ているのだと実する。

あまりに非現実的なことをいうライアンに俺の態度は骨だったのか、たたみかけるようにいう。

「まぁ、君が馬鹿げたことだと思うのも無理はありません。実際のところ、この実験はようやくき出したところなんですから、それを証明するにはまだ時間が必要だ。ですが、すでにこれに近い理論は完しているんです。私の理論が正しければ、”彼”を顕現させることは可能でしょう」

「おい、待てよ。あんたのいう実験ってのは、例の……タイムワープに関する実験じゃぁないのか」

思わぬライアンの言葉を遮った。話の流れから、海上に建設されるという研究施設は、てっきり例のタイムワープに関するものだとばかり思っていたが、こいつは丸きり違うことを口にしたのだ。これに疑問の余地を挾まずにはいられない。

「ええ、そうですよ。君が今までに関わってきたタイムワープの実験も兼ねている。私にとって、その実験はあくまで仕事、契約の都合上にすぎません。私の命題は、あくまで”彼”についてですからね。

まぁ、教えておくと、”彼”の顕現を実行に移すためには、このタイムワープの実験が必要になるからなんですよ。だからこそ私は、シンガポールにまでやってきたのです。とはいっても、私は実験ができるならイギリスであれシンガポールであれ、別に日本であっても構いませんが」

こいつは驚いた。今まで高等弁務という肩書きで事実上の執政としてこの國にまできたライアンは、てっきりイギリスの國益のために例のタイムワープ理論を完させようとしているとばかり思っていた。だというのにこいつは簡単にそれはあくまで都合上仕方ないと言い切ってみせたのだ。

「さて、と。他になにか聞きたいことは」

呆気にとられた俺に、ライアンは何事もなかったかのように問いかけてくる。それはまるで、とりとめもない世間話の中でふと思いつきで話題を変えるような、そんな気軽さと同質のものだった。こんなことは口が裂けてもいえないが、俺としてもまるで正気の沙汰ではないこいつの與太話に、いつまでも耳を傾けているとこっちがどうにかなってしまうかもしれないので、助かったというのが正直な気持ちだった。それにこんな與太話を聞くためにここに潛したわけではないのだ。

「大知りたいことはわかったさ、お前が”中も含めて”普通じゃぁないってこともな。しかし、まだわからないことはある。のことだ。バドウィンは俺にが會いたがっているといってたぜ。これについては」

確かにこいつの長々とした話を聞いた限りでは、どうも”彼”と呼ばれるのことが、ライアンやバドウィンのいうのことであることは間違いない。しかし、それでもどうにも納得できないのだ。目の前の矮人はたかだか何秒か出會ったのために、つぎはぎ死を作るという猟奇的な行に出たようだが、あのバドウィンのいったことは明らかにまだがどこかに潛伏しているといっていいニュアンスだった。

今の説明では、どうにもこの點だけが納得できない。どちらかが嘯うそぶいているのか、あるいは俺を欺くために両方が噓を並べ立てているかもしれない。まぁ、心的にはどう考えても、この矮人のほうがどうかしていると見るほうが正解に近いだろう。よって、今のところはバドウィンの方の説を有力候補と見るべきだ。

それにだ。このライアンはバドウィンを洗脳や何かで従わせているわけではないらしい。バドウィンのほうもそのに心酔していることは間違いないようだが、まだ自の意思をはっきりと持った理的な部分があったことは疑い得ない。これだけは確信を持っていい。

「……君はこのことについてわざわざこんなところにまで來たのかもしれないが、それは彼に聞きたまえ。殘念ながら私は、彼のいったことについて関知しない」

「おい、そいつはどういう意味だ。あんたはあの男をわけのわからん理由で説き伏せたんだろう。知らないとはどういうことなんだ」

「そのままの意味ですよ。私は確かに、彼らを手のに納めたが別に全てをおさめたわけではないですし、彼が何を行しようと関係ありません。あくまで私に害が及びさえしなければね」

あっけらかんというライアンの言葉に、おそらく噓はあるまい。それほどまでにこの矮人は言い切ってみせたのだ。つまり、ライアンにも知らないなにかが、どこかにあるということになる。それを知るには、やはりバドウィンとかいうあの男と會う必要がある。

「さて、もうそろそろお開きとしましょうか。私にはやらなければならないことがある。君と話せてうれしかったですよ」

もう俺に興味などないといったじでライアンがくるりと背を向け、再びひょこひょこと、しかしどこか軽快に歩き始めた。

「待て。俺にはまだ聞きたいことがある。あんた、海賊についてなにか知らないか」

「海賊?」

海賊という言葉に反応し、ひょこひょこよ歩く矮人のきがとまる。頭だけをこちらに向けた矮人の顔は、おそろしく冷めた眼をしていて、それがとても先ほどまで狂気を纏っていた同一人とは思えないほどだった。

「そのような不逞の輩のことなど私は興味ないし、どうでもよいですよ。知りたいのなら……ふむ、バドウィンに聞くのがもっとも手っ取り早いかもしれませんね。まぁ、それができるのならば、のことですが」

癪に障る言い方のライアンに俺は、矢継ぎ早に疑問を口にしようとしたものの、さらに気になるようなことを口にしたためそれは葉わなかった。

「君はもうそのようなことを気にする必要はない。君のような強靭な意志と神力を持った人間こそ、最後のパーツに相応しい。野なところもあるようですが、まぁいいでしょう」

「勝手に話を進めるんじゃない。俺の質問に――」

「それではごきげんよう、クキ」

ライアンがそういった瞬間、背後に人の気配をじて後ろを振り返ると首のあたりにチクリと小さな痛みをじ、思わず手で押さえた。背後には、どういうわけか黒盡くめの男が一人、こちらに麻酔銃を向けて立っていたのだ。

いつの間に……そう口にしたかったのに口がくことはなかった。男がもつ麻酔銃によるものだと判斷するにはあまりに遅く、俺は膝から力なく崩れ落ちた。

「ああ、別に毒ではないから安心なさい。それは前にバドウィンが打ったものです。ただし、そのときとは々濃度は高いですがね」

ライアンのいうことは間違いなくそうなんだろう。俺の意識はすぐにも闇の底へと落ちていった。これまで麻酔薬で眠らされることは何度もあったが今度ばかりは危険だと、誰かが頭の奧でぶ聲がした。

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