《いつか見た夢》第107章

バケツをひっくり返すような、地面に激しく叩きつけられる雨が降りしきるようになって早數日、まるで降り止む気配がないこの雨にテレビの気象予報士たちはこぞって、なくとも後三日か四日はこの異常ともいえる豪雨が続くことをこぞって口々にしている。その様はまるで、この世の終末を高らかに宣言し酔っているかのようにすら見える。

これが単なる異常気象による集中豪雨であれば、ニュースに取沙汰にされることはあろうと人々も深刻に考えることはなかったろう。というのも、この豪雨は集中豪雨などとというには及ばないほど広範囲に及んでいて、局地的とはとてもいえない規模の雨を降らす雨雲は、沖縄県や東京都に屬する離れた島々と、北海道の東岸部分を除く日本のほとんどを覆っているのだ。これまで好き勝手にやってきた人類に罰を與えるかのごとく、この雨雲からもたらされる強い雨はときに一時間で一〇〇ミリ以上、ところによっては一五〇ミリに及ぼうという激しい雨を、數時間おきに降らしていた。

そんな狀況ではあるが、メディアもここまで激しいものになるとは思わなかっただろう、始めの頃は面白おかしくこの雨を取り上げていたものだったけども、さすがにそんな激しい雨が全國的に何日にも渡って降り続いてくると、それらを伝えるキャスターや気象予報士たちの顔もどこか困と危機を募らせた表を見せだしていた。別に彼らとてしたくてそんな表になっているわけではないのかもしれないが、やはりここまで異常な豪雨が続くと本能的にそうなってしまうのかもしれない。

こうなってくると問題は深刻で、日本中の山々から流れてくる川という川の水位は急激に上昇していき、ついには氾濫するようになっていた。これがどこぞの地方で起こった局地的なものであるとすれば問題はまだマシだけども、それが日本各地、小川大河関係なしの狀態となると話は別だった。

これは都市機能の多くを支える河川の氾濫は周辺流域や、河口付近に建てられた街々への影響は計り知れず、河川の源となる山を襲ったことによる。あまりに強い雨は多くの山々で土砂崩れを起こし、出した土の表面を叩きつける雨がその土を削っていくことで、本來なら土砂崩れを起こしにくいような部分への発を引き起こした。この土砂によって山の周囲にある集落はたちまち土砂の餌食になり、山沿いの道は分斷されトンネルの出り口は塞がれる事態になってしまったのである。

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土砂は集落や道はもちろん、各地の谷や河川へと流れ落ち、これにより土中に眠っていた石や山の表面を覆っていた木々も大量に河川へと流れ込んで、さらなる驚異となっていった。大中規模の河川域上流では、大量の土砂と石、さらに木々が河の淺瀬や急激に曲がりくねった傾斜のある流域において上手く流れていかずに積してきたことで、小さなダムを形し始めたのである。

一度形され始めた天然のダムはもはや人の手の負えるものではなく、ただ黃土の巨大な湖へと変わっていき、それらはある一定のところにまで水量を溜め込むと一気に決壊し、轟音をあげながら下流へとなだれ込んでいった。こうした結果、上流域に住む人々は完全にライフラインを斷たれ完全に外界から孤立した。

攜帯電話やインターネットの普及もあって該當地域の人々も都市への救助を求めるも、下流および河口付近流域の都市でも、都市が故の困難にぶち當たっていた。上流の水が都市近郊の流域にまで到達するまでの間、中流域にも當然ながら豪雨の水量過度による氾濫がすでにおき始めていたからである。ここまでなら、大規模人口を抱える政令都市などでは持ちこたえることはあるいは可能だったろうが、それに加えて上流で土砂などによって作られたダムの決壊により、下流および河口付近に到達するまでに水が溢れ出し押し寄せてきたのだ。その水量と水流の勢いたるや、もはや世界各地に見られる洪水伝説にもなぞえられてもおかしくない。

結果、水流域に住む人々や家屋、近くの道を走っていた車なんかは押し寄せる土砂と黃土の洪水に飲み込まれていき、そのまま河口を通り過ぎて海にまで流されていった。この自然の驚異に対して人間が太刀打ちできるはずもなく、ただそれらを傍観する以外に他はなかった。この自然が振るう猛威の前に、人間の考えうる防衛手段など子供が作る砂の城と大差ないだろう。

特にそれが顕著であったのは東海地方で、とりわけ巨大な河川が三つもぶつかるような合流ポイントにおいては、ただでさえ広かった川幅が見事に一本になり、その川幅たるや軽く三キロ以上には及んでいるだろう。このため、巨大河川に挾まれた縦に細長い島はほとんどが水沒し、その上、いまだ鉄筋やコンクリートで作られた何十トン、何百トンもある建造すら押し流してしまう洪水が河川上流から流れてきているのだ。もはや周辺地域の人々の安否は絶的といっても過言ではない。

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こんな慘狀では経済も滯り始め、ある者は都市部へ働きにいったまま家に帰ることすらできずに取り殘され、ある者は逆に家でやり過ごすことができたはいいものの、外へ一歩も出ることすら葉わずに食料の買出しにすら行けず困窮しているといった狀況に陥りだした。もちろん各業界ともに、なるべくしてこの危機的狀況をしようと試みてはいるが、そのどれも葉わずじまいであった。

各地へ食料や資を運ぼうにも、氾濫というにはあまりに規模が巨大すぎる洪水現象を引き起こしている河川周辺地域へは、立ちることがもはや不可能な狀態に陥っているのだ。各地で河川にかかる鉄筋製の橋がこそぎ押し流され分斷、あるいはなんとか持ちこたえてはいても流れの速い河の水によって浸水、車一臺通るにもエンジンが水に浸かってかすことすらままならない有り様では、とても食料や資など屆けることなどできはしない。

もちろん、電車などもっての外だ。ほとんどの場合、日本の路線は必ずといっていいほど河川の上を路線上どこかの地點で通らなくてはならず、かすことができても結局のところ、折り返し運転にならざるを得ないのだ。運よく屆けることができても、各都市部で似た狀況に陥っている以上、流通上どこかで流通がストップしてしまう。このような狀況下では、海から運ぼうにもやはり同様の理由により、資を屆けることが非常に困難になっていた。

いくら水害の多い日本であろうとも、ここまでの水害を経験した記録はない。ましてや、その水流のほとんどが海という外界からの侵略ならばまだ話は違ったろうが、歴史上、まるで予想もされなかった界からとなると手の施しようがなかった。

「それでも仕事を休むわけにもいかない、か」

「どうした」

「いいや」

暇を持て余す俺がつけていたテレビからの映像をぼんやりと眺めていった呟きに、バドウィンが目ざとく聞いてきたのを肩ですくめて返した。いくら作戦実行中とはいえ、さすがにやることがなさすぎて暇を持て余していた俺に支給されたワンセグテレビから、大した興味もなく顔を上げる。

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「しかし、この急な雨は一どういうことなんだろう。秋雨前線というわりには季節外れだし、なにより降水量が半端じゃない。臺風だってこんな強烈な雨は降らせないはずだ。このままじゃいつまで経っても車をかせやしないぜ」

運転席のアレンが誰もが中にある疑問を口にした。アレンのいうことはもっともで、この異常気象にはほとほと頭を悩まされっぱなしなのだ。この豪雨のおかげで、日本各地にある主要の幹線道路が水浸しになって通行できなくなってしまっていて、俺たちも作戦実行中の俺たちもまた、きがとれない狀況になっていたのだ。

「時間は」

「一八時四〇分……もう時間がないな。距離を考えると、一九時までにかなければ間に合わなくなる」

俺の問いにバドウィンが答えて、そう付け足した。バンに乗っている俺たちだけでなく、この作戦に參加している全ての人間に多なりとも焦りが出始めてもおかしくない頃合だ。それほどこの雨に足止めを食わされているということであり、事実、今回の作戦に參加したほかの別働隊からの連絡が絶えずきている狀態であった。

「おいバドウィン、このまま雨が弱まるのを待ってたって意味ないんじゃないか。どうせ弱まったとしてもそんなのは一時的なものでしかないだろうから、すぐにまた強い雨が降ってくることは間違いないぜ。だったら予め連中を先回りしてすぐに強襲をかけるほうが、まだいくらか時間を有効にできると思う」

俺の提案にし考え込んだバドウィンは、重々しく頷いた。その様子はそれも止む無し、仕方ないといったじだ。

「できれば、連中がこの道を通るところを狙いたいところだったが……仕方ない。九鬼、君の言う通りだ。作戦変更したほうが得策かもしれない」

アレンと他のチームへのここをいて行き先と作戦変更の指示を出すと、アレンは待ってましたといわんばかりに車を急発進させ來た道を戻っていく。どしゃぶりの雨の中を猛スピードで突っ走っていくアレンの運転は、普段の運転とは明らかに違っていて、明らかに何時間も狹いバンの中に缶詰にされていたことで溜まっていた疲れとストレスを発散させるかの如く荒々しい。

けれども、この數日に渡って降り続ける豪雨は俺たちにとっても予想外のことではあったが、それは連中にもいえることだろう。なんせ、急遽來日したアメリカ外使節団は、今夜の便でアメリカに向かって飛び立つ予定だったのだから。それをこの雨が足止めさせていてくれているのだ。実際のところ、今回の作戦立案にはしばかり時間的に無理のある部分があったのも確かで、最悪の場合は連中を出し抜けるか怪しいと思われることがあった。それをこの雨が可能にしてくれた。つまり、裏を返していうと、この雨は恵みの雨とも言い換えることができるのである。

「悪いが著くまでの間、しばかし眠らせてもらうぜ」

俺はそういって、のそのそとバンのトランクへと移し、野戦用の防護服やシーツを適當に敷き詰めるとそこにを橫たわせて丸まった。到著まではざっと一時間かそこらだろう。それまでの間、車に何時間も閉じ込められてせいで凝り固まったしでも休ませることにする。

寢そべった俺はバドウィンたちのほうをチラリと見やり、何もいわないことを確認するとすぐに瞼を閉じた。何もいわないということは別に構わんということだろう。今日は作戦実行の日ということもあってか妙に気が張り詰めっぱなしだったうえ、車に何時間も詰め込まれっぱなしだと、どうにも頭が重くなって仕方ない。

もっとも、大して眠ることなどできはしないだろう。それでもほんのしでもを橫にしておくだけでも違うというもので、それでいくらか後の仕事がやりやすくなるというなら、他の人間になんといわれようが寢ておいたほうがいいに決まっている。それが判っているからこそ、バドウィンも何もいわないのだ。

俺が瞼を閉じて幾ばくもしないうちに車は差點にまできたのか、方向を大きく九〇度変えて進んだようだった。遠心力の影響で、寢ている頭にぐっといものが當たるがあって瞼を開けた。スピードを殺しきれていないせいもあって、思いの外遠心力がかかっていてなんともいいがたい。文句の一つでもいってやりたいところだがそれはぐっと堪え、強引に瞼を閉じる。スピードのせいで、ちょっとしたことでガクンガクンと揺れる車で寢る俺はぐっとくさせて、しでも衝撃を軽減させる。

やれやれ。ア長いこと足止めを食らったおかげで、アレンのやつも隨分と気が立っているらしい。まぁ、そいつも仕方ない。アレンに限らず、俺や他の人間とて同じだろう。恵みの雨だともいえる反面、やはりこちらも大幅な作戦変更を余儀なくされたわけだから、苛立たないはずもないのだ。

今から五日前になる。まだ、この大洪水を引き起こした大嵐の到來直前のことだ。商社マンである馬場隆弘という男を捕えた俺たちは、男から作戦に必要になるであろう報を聞き出して解放してやった。バドウィンからの提案もあって、俺たちのことを口外させないためと、これから俺たちが日本での活しでもしやすくするための現地協力員に仕立てあげるためだった。こうして”首”をつけた狀態にしておけば、馬場も本というものではないだろうか。面白半分で裏社會に踏み込んだ結果、こうしてプロの駒としてこの業界にを置けるわけなのだから。

俺とバドウィンは馬場への尋問を終える際、俺たちの後ろ盾の大きさと、アレンのハッキング・テクニックの高さを目の當たりにさせて逃げ道がないように脅しつけてやった。拷問という言葉にも程遠いものだったが、しばかり痛い思いをさせたのも効果があったのか、馬場は涙目で何度も何度も頷いていたので裏切ることはないだろう。

馬場の尋問を終えると、もう夜は明けていたこともあって馬場はすぐにでも解放し、通常の生活に戻るよう指示を出した。監視を裏付けるために、家に帰ったかどうかは奴の家の電話へハッキングをかけ、きちんと帰ったのかの確認をとったので俺たちの言葉が噓でないことを更に強く印象付けることができたろう。

また、馬場と取引に応じた二人のヤクザ者に関しては、事態を把握する前にとんでもないことになってしまったの処置に困ったものだった。ビルで気絶させてアジトまで運ぶのにはし手間がかかったが、馬場の尋問を終えるまで、バドウィンがチームの一人に麻酔を打って馬場とは違う部屋に、別々に眠らせておいた。眠りから覚めたところで、俺が若いチンピラの男を、バドウィンが中年男のほうをそれぞれ尋問し同様に脅しをかけておくことに功した。

當初はヤクザというだけあって、若いながら厳つい表と態度でこちらを威嚇してきたものだが、それ以上のものを知っている人間からしてみれば、鼻で笑える程度のことでしかない。目の前のものを何気なく取るような、暴力の片鱗を全くじさせない作でぴいぴい騒いで五月蝿いチンピラの手の指を摑むと、思い切り甲のほうへと反り返らせて指の骨をぶち折ってやる。

まさかいきなりこんなことをされるとは思わなかったチンピラ野郎は、目をひん剝いて突然の激痛に泣きをれだした。後ろ手にされているため痛みの走る患部を押さえることもできないのは余程辛いのだろう。しかし、そんなことは俺には関係のない話で、そのままさらに男のを痛めつけ、利用できそうな報を聞き出したところで中年男とともに病院へと連れて行ってやった。

當然ながら二人を労わるつもりで病院にやったわけではなく、馬場同様に監視と裏工作のためにだ。ヤクザだとかマフィアなんてのはいくらでも始末してやってもいいと考えている俺ではあるが、一度手を出すと面倒なことになるのも事実なので、二人が席を置く組の連中に変なことをかぎまわらせないためにも、そうした工作が必要なのだ。そこで俺は二人に目隠しをさせてバンに乗せ、実に數ヶ月ぶりとなる、ある病院に向かった。

「ここは……いいのか、個人の病院のようだが」

「構わない。ここはこうした業界用達でね。まぁ、話をつけてくるからし待っててくれ」

バンを降りた俺は、まだ診時刻になっていない病院の敷地へると表玄関に向かわず、小さな庭になっている裏へと周って裏口のドアの鍵をピッキングにて解錠して中へとり込んだ。

ここを訪れるのはいつ以來だろう。最後に訪れたのは確か、田神を追ってO市に向かう直前だったので何ヶ月も前になるけども、不思議と気持ちの上ではもっと経っているような気分だった。そう考えると、隨分と々な場所を巡ってきたものだと思う。

「誰だ」

完全に気配消したはずなのに、ここの主は俺がここに侵したのとほぼ同時に俺の前に姿を表した。以前と比べるといくらか髪がびて、ぼさぼさになっている。おまけにそれまではなかったはずの髭までたくわえていた。たくわえたというよりも単に放っておいたらびてきただけといったのが丸わかりの、まさしく無髭だ。

「久しぶりだな。醫者とはいえ、中々にいい勘してるぜ」

「お前は……九鬼、か」

目の前に現れたのは、この醫院の院長で裏世界の人間の診療をもけ持つ醫者、利だった。俺が裏工作のために訪れたのは、あの利の醫院だったのだ。當の本人は、まさか俺がこんな診療時間の直前にくるとは思わなかったのか、驚きを隠してきれていない様子だった。

「突然で悪いが、しの間ここに居座らせてもらえないだろうか。もちろん、診療の邪魔はしないし數時間程度の時間だけでいい」

「それは構わないが……やけに突然だな。いや、あんなことがあった後なら、それも仕方ないか」

やけに意味深な利の言葉に反問したところ、向こうは向こうで伝えなくてはならないことと知りたいことがあるといい、俺を診療所奧の生活スペースと思しき部屋に連れてきた。いつぞやに俺が世話になった部屋ではあったが、以前と比べ、隨分と部屋が片付いている。この男の格から察するに、自分からは決して掃除などしなさそうに思われるが、何か心境の変化でもあったというのか。

「実は、病院の前まで仲間と一緒にきたんだが、彼らもいいかな」

無言で頷く男のきを合図に、俺は耳にしている裝置へ向こうで待機しているバドウィンたちに上がってくるように指示を出した。運転手のアレンだけは、こちらの裝置が作してさえいれば問題ないということと、いざという時のことも考え、すぐにここを抜け出せるよう車に殘っているよう伝える。

間もなく、俺と同様に裏口からバドウィンと沙彌佳の二人がともに部屋にってきた。ってきた二人を見て利は、まさか俺のいう仲間が外國人であるとは思わなかったようで、一度だけこちらに視線をよこしてそう訴えた。沙彌佳については、バドウィン以上の反応を見せて、大きく二度頷いて見せた。よほど、何か思うところがあるらしい。

「で、だ。お互い何かあるようだから、ギブ・アンド・テイクといこうか。まずはこっちからだ」

二人がそれぞれの立ち位置に立ったのを見計らい適當に置いてあったパイプ椅子に腰かけると、俺は早速切り出した。ある程度、駆け足にはなるが、俺はO市に向かって以降の事柄を大まかに説明した。O市で田神と出會ってから、二人組みのスパイのこと、さらにはそいつらを追っていった結果、東南アジアにまでいき海賊船と出くわした挙句、行き著いたシンガポールでとんでもない事業の一端にれたこと……それらを話し終えた頃には、すでに診療時間が始まってもう一時間近く経過しようという頃だった。

利は、まだCLOSEのまま戸を閉めていることをいいことに、興味深く何度も俺の話に耳を傾けていた。

「そうか、この數ヶ月の間でそんなことが……」

「ああ。數はないが証拠もあるし、狀況証拠はいくらもある。ここからわかるのは、武田の野郎とミスター・ベーアは同じものを求めるライバル関係にあるってこと」

「使用目的、機が今ひとつわからないが」

「殘念ながら、そいつについては俺たちも目下継続中でね。月並みではあるが、ミスター・ベーアという男は裏世界に多大な影響力を持ってるから、それらを手にすることでより強大な力を手にれようとしていて、武田は……やはり、武力制圧の手段としてしがっているのか、ってところか。まぁ、武田についちゃぁミスター・ベーア以上に謎だがね」

そう、武田については本當に謎が多すぎて、正直なところ、こちらも困してしまうときがある。武田という人間は存在しておきながら一、まるで雲を摑ませるような存在なのだ。それにどういうわけか、俺に何かしら思わしくないを抱いている節もある。俺の判りうる限りでは、奴との接點など無きに等しいはずだ。なのにどういうわけか、俺を貶めようとしているので、疑問が浮かばないはずがない。

ただし、壯大な何かを畫策しているのも事実なので、その壯大な計畫の過程において、俺が奴を足止めしてしまった可能は大いにある。あのN市の事件だってその一つなのだから、それらが積もりに積もって俺に恨みを抱きだしたというのなら、ざまあみろと、笑って中指を立ててやるところではあるが。

「しかし、君のいう話が本當なら……いや、私とてこの業界にを置いて長い。話を疑うつもりはないが、それが本當ならいくつかの點で納得がいく。今はニュースの時間だから、もしかしたらやっているかもしれん」

そういっても利は、おもむろにテレビのリモコンを手に畫面へ向けて電源をつけた。すぐさま畫面にはキャスターが現れ、海外で起こっているニュースを読み上げている。衛星放送なのか、海外のニュース番組らしい。しかし、この異常気象による影響なのか、畫面は頻繁にれて見にくく、音も飛びがちだった。

「ちょうどいい。こいつだ」

ニュースは字幕や同時翻訳なしのまさしく、海外のニュース番組そのままを放送してあるがここには幸い、英語堪能の連中ばかりなので容のほうは然したる問題はない。ニュースによれば、今世界各地で起きている紛爭で生の思しき新兵が投されていることを示唆している可能があるという。

いくつかの映像で、逃げう兵士たちの姿が映し出され、そこでは敵軍に向かってではなく、全く別の方を見て逃げ出しているようだった。映像は、たった數秒程度の短いもので、たったこれだけでは全てを把握することなどできはしないが、全く虛空を見上げて恐怖する兵士たちの表を察するに、間違いなく例の生だということがわかる。

気になるのは、何度となくループして流されているこの映像が、明らかに何らかの意図を持って編集されていることが窺える點だ。畫像がいもののテレビに放送されているわけであり、ただ兵士たちの逃げる姿を映すだけでは、単なる敵前逃亡でしかない。逃げ出さなくてはならないほどの理由が、映像には映っていないところにあるということだろう。だとするなら、この流れている映像の前後かに、確実にその理由が映っているに違いない。

こう考えれば、ある程度の推理が可能になる。まず、この映像に映っている兵士たちは殘念ながら、もうこの世にはいないだろう。俺自、この目で見たあの化どもを相手に生き殘れたこと自が奇跡に近いことであるはずで、普通に考えれば結果は推して知る。となれば、この映像の映ったカメラか何かを、先の何らかの意図を持った人が兵士、および撮影者の亡き後に手し、數秒しかない映像への編集を行ったと見るべきだろう。

つまり、この映像を編集した人は、なんらかの政治的な意味合いをもってこの映像をマスコミに流す必要があった立場にいるということだ。それが一どういう人なのか、今のところはまるで見當もつかないものの、そうした必要があるということは即ち、そうした意味を理解している人間にこれを見せなくてはならないということであり、映像の編集には俺たちからは見えない敵が存在しているということを意味する。もっとも、本的な問題として誰がこれを編集したのかということになるが、それがわかりさえすれば、そいつの敵も自ずと見えてくるに違いない。

「この映像が昨日くらいからだろうか、ループして流れるようになっている。何か、意味があるように思えるが」

昨日といえば……俺が、ブランドンの滯在するホテルへ乗り込んだことと、何かリンクしているのではないかとすぐに直した。

「ところで、この數日、來日しているアメリカからの外使節団についての報はなにかないか」

「使節団の? いや、私もそれなりにそうした報に目を通してはいるが、特にそれといった報はないな。……いや、待ってくれ。噂程度で悪いが、外メンバーが一人、昨日帰國したという話が流れていたよ。外メンバーが一人で帰るはずがないと思って、変だとは思ったが」

まさしく俺の知りたい報だった。その一人というのはもちろん、ランディ・ブランドンに違いない。外メンバーの死となれば、もっと大々的に取り上げられるべき事態であるはずなのに、全く政治的なきがないところを見るとアメリカ側は完全なもみ消しにったらしい。それだけ、あのメンバー中ではブランドンのポジションが低かったということだ。

アメリカのことだから今はまず伏せておき、今後なんらかの不都合が生じた際の切り札にでもしておく腹積もりに決まっている。日本でそうした事実あったとなれば、裏に進めているらしいプロジェクトに支障をきたしかねないうえ、連中とてブランドンを日本に送り込んだ理由を知らないはずはないのだから、なんとしてでもプロジェクトの遂行を進めなければ意味がない。そのために、北朝鮮との協議だなんて抱腹ものの言い分を立てて來日してきたわけだから。

「昨晩、そのメンバーの一人が死んだよ。ランディ・ブランドンという男で、アメリカで粒子加速の研究をしているそうだ」

「だからアメリカは公表しなかったのか……しかし、まさか粒子加速研究とはな」

「どうしたんだい、なにか心當たりがあるのか」

「うむ。もう一月ほど前になるが、田神がなにやら同じ言葉を口走っていたんだ」

「田神が? なんで」

俺はO市で離れて以來、接のなかった田神の名を聞いて思わず口走っていた。田神は田神で、なんらかの目的のために一人で行していることは知っていたのでそれは別になんとも思っていなかった。しかし利によると、どうも田神も別のルートから自分の仕事に関して、今度の粒子加速研究というものが大いに関わりを持っていることを突き止めたらしい。

今、世界ではこの粒子加速研究が盛んであること、それに伴い、その周辺では各國のスパイどもが暗躍しているという事実に目をつけたという。

「そしてもう一つ……これは決して証拠があるわけではなく、田神が斷定的に告げたに過ぎないから確かなこととはいえないけれど、各國のスパイだけでなく、それ以外のエージェントも深く関わっているらしい。それこそ、君たちのような人から、私たちコミュニティの人間のような者までね。いや、私たちはもはや単なるコミュニティではなく、単一の組織になっているといってもいいかもしれないな。

……そういえば、まだ君にはいってなかったな。ここのところ、コミュニティでは、武田の呼びかけによって本格的な武裝化が進んでいるんだ。つい三ヶ月くらい前までは、もっと頻繁にそういった筋の人間の出りがあったもんだが、どうしたわけか最近はめっきり減ったんだよ」

「その武裝化の中心に、武田の野郎がいるってわけか」

靜かに頷く利は、瞳を閉じて続ける。なんとコミュニティを形していた連中は、武田の意をけてそれぞれが數名から大所帯ともなると五〇名にもなるチームを組織し、各國で行を起こしているというのだ。ついては、必ずといっていいほど紛爭地域に展開しているという點、そこでいくつか奇妙な共通點があるという。

「今起きてる紛爭地域で、異様な化が暗躍してるといったがそれと何か関係があるんだろうか」

「これはあくまで私の憶測に過ぎんが、十分にあり得ると思う。田神が口走っていたことを私なりに検証をしてみたのだが、やはりそれらしい存在の噂が流れたらしい。その地域周辺では、観目的とは思えない外國人數名の姿が目撃されていることもあり、信憑は高いだろう。彼らの目的がはっきりしない以上、明確なことはいえないが関係がないというと、それこそ逆に不自然だろうしな」

利の言い分は全くもって同だった。連中の目的がなんであれ武田が自営軍を結し、その部隊を各地へ裏に派遣している事実がある限りは、そうけ止めることが自然なり行きだ。

しかしだ。武田の軍が異様な化どもが出沒したという地域に展開している事実とを照らし合わせてみると、どうにも化たちがまるで武田軍の使役する兵であるように思えてくるのは自分だけだろうか。俺には、化どもは完全に武田たちの手ので、完全に制されているような印象をけるのだ。

的証拠もなく、あくまで狀況証拠に頼らざるを得ない結論なのは認めるが、それでも、過去に二度も同じような生と出會った俺だからこそ、こうした証拠でしかなくとも直的にそう思うことができる。なくとも、過去に出會った二の化は、使役する連中で制できているという風には見えなかった。坂上が創りだしたゴメルにしろ、ライアンの行った人実験により変貌した松下薫にしろ、両者ともに、あくまで実験の延長的なニュアンスがあったのは間違いなく、まだ何かしらの意思をじさせる部分があり、連中に制しきれているものではなかったようにじられたのだ。

「また、全てが関係しているとはいい切れないかも知れんがね、紛爭周辺地域には何かしらの研究施設が存在していることは同じらしい」

「研究施設か。それがまさか粒子加速の研究施設だっていうのか」

「田神はそう踏んだようだ。しかし、私が調べてみた限りでは、それだけでもないようなんだがね。例えば、伝や理工學といった様々な分野に渡っている。田神がいった粒子加速の研究施設だけではないんだ。もっとも、今回の部隊展開の裏には、それらをも包括した何かがあるという意味で田神が粒子加速とつぶやいただけかもしれない。あの男もあまり自分の機を喋らないから、一なにを思ってそうつぶやいたのか理解できないのも事実だが……」

利がそういいつぐむと、俺も田神が何を考えて行しているのか、それを思案して黙り込んだ。確かにあの男が何か目的があって一人で行していることは以前より知ってはいた。俺も俺で妹と考えていたために、知ってはいても深く追及することはなかったが、會うたびに時折、俺との仕事とは関連があるといっていたのを思い出すと、もっと聞き出しておくんだったと後悔した。あの男のことだから、きっと俺に何かを伝えようとしていたんではないのか。

こう考えると、俺が沙彌佳と再會する直前にO市で出會ったドッグというコードネームを持つスパイのときに行をともにしていたことも、簡単に説明がつくではないか。あのときアジトにした雑居ビルで、田神は俺に化の一部と思しき寫真を見せたついで、NEAB-2やそれに伴って、ツングースカでの伝的、生學的に起きていた異常現象を語っていたではないか。

どうやら俺は、それらを聞くたびに逐一納得しつつも、その真意までは気付いていなかったようだ。おそらく田神はそれらが今度の新兵として使われている化たちが、俺の追う事件に全て帰結していると判っていたのではないだろうか。そして、あの時點でそれを知っていた田神は、その兆候をすでにそれ以前から知っていた可能も高い。だとすれば、それを強く自覚したのは島津研究所での出來事が引き金になったに違いない。

「ところで、話に出てきたついでに聞いておきたい。田神のやつは今どうしてるんだ」

俺が何気なく尋ねると、利は途端に表を曇らせ重々しく口を開いた。

「うむ……実はいいにくいことだが、さっきもいったように粒子加速のことをつぶやいた彼は、それ以來一切口を開かずじまいになったと思ったら、次の日にはもう姿を消していた」

「姿を消したって、つまりどこにいったのか知らないということか」

「殘念ながらそういうことだ。エリナもそんな田神の様子を困気味に心配していたんだが、彼にもなに一つ語ることはなかったようだ」

「そういえば、あのもいないな。話の流れから考えるに、いなくなった田神を追っていったんだな」

「ああ。それと、君にはあまり良くないニュースもある」

良くないニュース……現狀でそうした報は、はっきりいってとんでもないバッドな容でしかないことを知っている俺としては、そんなものは聞きたくないところだがそういうわけにもいかない。利が突然重々しい雰囲気になったのは、それが原因なのかもしれない。

「君は近くのホテルに父親を預けたろう。その父親が、ほんの數日としないうちに姿を消した」

「親父が? ちょっと待ってくれ。それはどういうことだ。何もいわずに出ていったっていうのか」

「ああ、そうだ。定時連絡を怠らないようにいっていたんだが、君がいなくなって四日目の夜、定時連絡に出なかったのでおかしいとじた我々がホテルに問い合わせてみたところ、その日の晝過ぎに突然用事ができたといってチェックアウトしたらしい。荷やなんかもきっちり手にしていたそうだから、自分で出ていったのは間違いないだろう」

「待てよ、誰かしらの工作って線はないのか。親父には出かける際には田神やあんたに一言いってからだといっておいたのに」

「だからこそ我々とて困したよ。我々とて、あるいはそう考えて君の父親に工作員が変裝していたんではないかと疑ってはみたものの、そうでもないらしい。事実、対応した田神はどこからか、映像をハッキングしてきて父親の姿が映し出されている映像寫真を持ってきた。これがそうなんだが……」

そういって利は、普段使っているデスクの引き出しから一枚の寫真を取り出して手渡してきた。そこに映っているのは、紛れもなく俺の父親である九鬼真一郎の姿があった。年相応ながら小じゃれたスーツを著て小さな旅行用鞄を片手に、左手首にしている腕時計で時刻を確認している。足元に黃の枠線を見るに、どこかの駅のホームであることが窺える。

「田神は、これは姿を消した翌日、O市の駅で撮影されたものだといっていた。寫真が手元に屆いたのが、腕時計の時刻から五時間ほど後のことだった」

よくよく見れば、親父のしている腕時計の針は午後の一時半頃を指し示していた。周囲の様子はあまり詳細ではないものの、通行人數人の足元が映っていることから、この時刻がまさか夜であることもないだろう。聞けばその日、O市で特に目立った混などはなく、電車が突発的に運休などになったわけでもないそうだから、親父が晝間の時間帯にどこかを目指して電車を使ったということは確実にいえる。

「この日の夜、田神は例のつぶやきを言い殘して消えたんだ。それからというもの、彼らからは全くといっていいほど音沙汰がない。あったのは、今話した程度のことだけだ」

ここのところ會話らしい會話はもちろん、口がきけなくなったのかと思いたくなるほど無言を貫いていた沙彌佳が、俺と利のやり取りを聞いて珍しく整った鼻筋の上に小さな小皺をつくってしかめる表をしている。もう何年も會っていないだろう父の話に、昔を思い出したのだろうか。なんとも難しい表だ。

「わかった。元はといえば、あんたに押し付けた俺にも落ち度はある。ここからは俺がなんとかするよ。それで実はあんたに裏口を合わせてもらいたくてここにきたんだ」

これ以上この場で悩んでいたところで何も解決しないと、俺は話を切り替えてここを訪れた本當の目的を告げると、利は一言返事で快諾してくれた。ここを訪れるのは俺たちのようなプロだけではなく、ヤクザものもそれなりにいることから、なんとかなるだろうということだった。利という醫者もそれなりに危険な橋を渡ってきた人間だから、本人がそういうのならこちらもそれに従うだけだ。事を察してくれたのか、質問らしい質問は何一つされることはなかった。

すぐにバドウィンが部屋を出て裏へ回る。アレンと二人でチンピラ二人をここに連れてくるよう指示を出したためだ。バドウィンが外へ出たのを悟ったところで、唐突に無言を貫いていた沙彌佳が靜かに口を開いた。

「ドク、今の話、本當なの」

何かを確認するかのように一言そう投げかけた沙彌佳に呼応した利が、靜かに首を縦にする。

「そう……。なら、もしかしたら行き先が分かるかもしれない」

「行き先って、親父のか」

「そうよ」

この俺はきっと、わけもわからずに困した表を浮かべていたはずだ。今の話の容のどこに、親父の行き先が分かるヒントがあったのか、俺にはとても理解できるものではなかったからだ。

「だけど確証がないの。それに行くにしても準備がいるわ」

「話が突飛しすぎだぜ、親父はどこにいったっていうんだ」

「多分、ロシア。あるいはアメリカかもしれないけれど、ロシアだと思う」

「隨分と大雑把だな。それじゃぁ結局わからないのと同じじゃぁないか」

「だからいったでしょう? 確証がもてないから、まだどちらとはいえないのよ。し心當たりがあるからすぐに調べはつくと思う。……けど、もう隨分時間が経っているから、そうともいえないかもしれない。あくまで私がいっているのは、その寫真の時までの行での話しだから」

そう聞いて、俺は再び考え込む。沙彌佳の言う通りに親父が海外へ行ってその地で足跡が途切れたとしても、問題はない。またそこから追跡できないわけでもないのだ。ましてや親父が出ていったとなると、十中八九、仕事上の都合に決まっているのだから、その線からいくらでも調べようがあるというものだ。

俺が気がかりなのは、まさかこの時期にアメリカ、あるいはロシアだということだ。どちらの國も、俺に対してテロリストとして警察や公安などの警察に顔寫真が配られていないとはいえないのだ。そんな狀況だからこそ、バドウィンたちは俺を裏に日本へと逃してくれたのだから、はいそうですかと日本を出るわけにもいかない。

り行き上とはいえ今の俺には、やらなくてはならないこともある。その結果アメリカなりロシアなりに行くことになれば、それはそれで仕方ないかもしれないが、今はまだその時ではない。にとらわれては正確な仕事などできはしない。もっとも、親父としても仕事で外出したというのに息子に引き止められるなど煩わしいだけだろう。

そう考え込んでいたところ、バドウィンとアレンがチンピラ二人を連れてきたところで思考を停止させ、予定通り、次なる作戦へと行を開始した。

ゴツンと、後頭部のあたりに衝撃があって目を覚ましたところ、はっとしてすぐに上を起こした。眠っている間に、バンはある施設へ辿り著いていた。馬場隆弘の口を割らせて得た報から、今日の夜にこの施設から、ヤクザどもがある品を空港へ向けて出発するということを突き止めたのだ。

ヤクザとはいうが、実際にはヤクザとも言い切れない”真っ當な”業者であるわけだが、経営者はどういうわけか日本の暗部とも繋がりを持っているらしい。だからこそ半グレである馬場は、ここに目をつけたのだ。さらに、ここは佐竹の件で知ったヤクザ者とも、よろしくやっている連中だそうなので馬場が目をつけたというところだろう。

もちろん、そのヤクザというのが馬場が取引しようとしたチンピラ二人の屬する組織ということもあり、二人を使ってこの日の段取りを事前に知ったからこそ、俺たちが作戦を立案できたわけである。アレンのハッキングも役に立った。ここで重要となる、出荷されることになる品の日取りも確認できたことで、ますます信憑を高めることになったのである。

「……おかしい。この周辺に待機しているはずの班と連絡がとれない」

不穏なバドウィンの言葉に、俺は後部席後ろから顔を覗かせてどういうことか尋ねる。

「わからない。先ほど作戦変更の指示を出した際には連絡があったはずなんだが……」

「この嵐で電波の調子が悪いということはないのか。待機している場所へいってみよう。今は事が事だから、しの不備も許されないぜ」

釈然としないバドウィンをけしかけて、アレンに施設の周囲を巡るよう指示をして間もなくのことだった。施設を囲む壁沿いを道なりに、最初の角をバンが曲がったところで前方に一臺の見慣れないバンが停まっているのが見えた。こんな場所に停止しているのは、どう考えてもお仲間のものに違いない。

バンは周りに植えられている樹木の枝々と高い壁に隠れており、三階建てらしい施設の中からでは最上階からでもまさかバンが停まっているなどとは思いもしないだろう。まさしくプロといっていい行ではあるが、おかしなことにバンにまるで反応が見られない。後部座席ならまだしも、運転席からは路地にってきたこちらの姿がわからないはずもないので明らかにおかしい。おまけにバンを見たバドウィンの呼びかけに応答する様子が全くないのだ。車中に嫌な予と雰囲気が漂い始める。

「連中、まさかとは思うが眠りこけているわけじゃぁあるまいな」

「まさかだな。今は作戦中だ、ありえんよ」

俺たちは反応のないバンから視線を外さずに重々しく頷きあう。俺はすかさずトランク部分に見えないよう隠されている銃を取り出して服の中ににつける。

「車を止めるんだ。俺が行く」

徐行で進むバンを急停止させ、後部座席後ろのドアを開けて叩きつけるように降りつけてくる雨の中を濡れることなどお構いなしに走り、バンへと駆け寄る。運転席付近まできたところで、車から反応がなくなってしまったのか悟った。運転席には座ったまま橫ばいになり、隣の助手席底部へもたれている一人の男のが見えたのだ。道を曲がった際、その位置からは見えなかったのでわからなかったが、運転席側の窓ガラスが細かく蜘蛛の巣狀にひび割れて、その中心となったろう部分にぽっかりとが開いている。明らかに銃撃によるものだ。

俺は用心深くバンを半周し、後部にきたところで反対側に敵がいないか確認したのちに、手前の取っ手に手をかけてドアを開けた。黒塗りのバンは窓ガラスも黒く外からは中が見えにくくなっているため車がどうなっているのかはわからないが、それでも運転席でああいう狀態なのだから、中も推して知るところだろう。慘狀を目の當たりにして、思わず舌を打っていた。

「……まずいぜ。どうやら敵のほうが先に到著しているらしい」

「敵だと。CIAか」

「連中かどうか確信はないが、可能は十分あるだろうぜ」

バンの中では運転席を含め、黒い戦闘服にを包んだ男たちが二人、塗れになって言わぬ塊に変わっていた。なぜこうなったのか理解できない俺は、力任せにドアを閉め乗ってきたバンへと走る。

「一どういうことなんだ。まさか、CIAが予めこちらがくことを察知してたのか」

「なんともいえん。敵の正も正確なところは今はまだわからん。とにかく今施設の中には敵がいる、こう考えたほうがいいのは間違いない」

アレンの疑問にたたみかけるように早口にまくし立てるバドウィンは、俺が戻ってくるなりすぐに裝備の準備を始め、俺にも防弾チョッキなども著ておくよう渡してくる。

「おかしなことに、他の班の連絡も途絶えている。まるで、敵にこちらのきが読まれているようなじがしてならん。現存しているチームにはその場を移するよう指示をしておいた」

「こうなったら一刻も早く中に突しよう。敵がCIAなら、加速裝置をしがっているに決まってる」

「私もいくわ」

不測の事態に、能面をり付けたように無表のままでいる沙彌佳も、銃を手に短く告げた。ちょっと前までの俺なら、無駄とはわかっていても、お前は來るなと一言いっていただろうが今は、そういう沙彌佳を當たり前のように頷いていた。全く、どういう心境の変化なんだろう。思えば、今までも突然俺の前に現れては、特に何かを告げるわけでもなく、ただそこにひっそりと佇む姿を目にしている。

あるいはこれを慣れというべきなのかもわからないけども、そういう様子の沙彌佳のことをあまり気にしないようにしている自分がいるのも確かだった。それとも、男という生の哀しい質さがともいうべきなのか、自分の求めるものが手にるといつの間にか興味を失せてしまうという、あれとでもいうのか……。

俺は思考の波に流されまいと、小さくかぶりを振った。なにを考えているのだ、俺は。今は目の前のことに集中するべきだというのに、こんなことに頭を悩ませているようではこれから先、何度も頭を痛めてしまったとしても仕方ない。頭を切り替えて、アレンに施設裏口からの侵ルートをシミュレートさせ、表示結果を記憶すると雨の中を飛び出した。

「オペレーションは頼んだぜ」

『任せてくれ。システムにハッキングをかけてみたが、施設のセキュリティ自はどう難しいシステムを使ってるわけではないみたいだ。だがまずいな。やはり、何者かによってシステムをいじられた形跡がある』

「二人の死からはまだしばかしが流れていたから、そんなに時間は経ってないはずだ。これで、まだ敵は中にいるとみて間違いない。おまけに厄介なことに、敵はかなりの手練だ。このチームも相當に訓練されているチームだというのに、その連中の暗殺に軒並み功している」

「複數の班と連絡が取れない點を考慮すれば、敵も複數、チームだと思っていいだろう。その中でもここには鋭がいると思ったほうがいい」

俺とバドウィンのやり取りに、沙彌佳とアレンは深く同意した。

『裏口のドアロックを解除する』

雨の中でも近距離であれば、正確にこちらの位置を把握できているらしい。アレンは、俺たち三人の目の前に見えるキーコード式のドアロックを解除してみせ、俺たちは躊躇いなく金屬製の無地のドアを押し開けて侵する。

ったな。真っ直ぐいって、最初の階段を下へ降りろ。一番下にドアがあるから、そこから倉庫へ繋がる通路へ出られるはずだ。その通路を左に行くんだ』

アレンの指示に従ってすぐに現れた階段を下に向かって降りていくと、薄暗い階段の一番下には古ぼけたドアがあった。勢いよくドアを突き破り通路へと出る。通路は窓など一切なく、等間隔にある蛍燈の人工的な明かりが無機質な印象を與える薄暗い場所だった。通路を左に進むと、その先に灰っぽい通路の合いとはまるで対照的な黒い扉が見える。

『ドアの先で地下倉庫に出るはずだ。気をつけろ、敵がいるかもしれない』

俺たちは扉を前に頷き合い、左の脇に沙彌佳、右の脇に俺とバドウィンの二人という狀態で壁を背に突のため臨戦態勢を整える。全員が一度深呼吸すると、再度頷いて沙彌佳がそっとドアノブを摑んで回し、これを皮切りに俺、バドウィンの順番で地下倉庫へと突する。

タイミングが良かったというべきなのか、中では數人の男たちが荷をトラックへ運び出そうというところだった。連中の中には銃を攜帯している者もいる。

「なんだ、てめえらは」

野な言いで連中のリーダー的な存在であるらしい男が驚いた表ぶ。他の者も突然のことにわけもわからず、作業していた手を止め、こちらのほうを眺めている。

「おい、こいつはどういうことだ。CIAなんていやしないじゃないか。ここにいるのは全員チンピラばかりだ」

「あるいは、こいつらがそうなのか……」

俺の問いかけに、バドウィンも肩かしを食らったようにふるふると弱々しく首を振る。かくいう俺にしても同じで、目の前にいる連中は顔つきは確かに堅気ではない連中ばかりだが、どう見ても慇懃な、それでいてその無表な仮面の下に隠し持つ暴力的なものを全くじさせない。バドウィンのありもしない言葉を否定し、俺は小さく肩をすくめる。

「まさか。こんな連中があんたの鋭メンバー二人を片付けたっていうのか? そんなのあり得ないね。あれは間違いなくプロの仕業だ、それもとびきりの」

もちろんバドウィンとてそう思っているだろう。だとしても、納得のいかない景であることは間違いなかった。地下倉庫は二臺のトラックがあり、その荷臺にそれなりに大きな品を積もうとしてることで、ここが馬場が取引し、ヤクザどもが取り仕切る場所だということも本當だというのも間違いない。

だというのに、どういうわけか連中の中にはプロらしいプロが一人もいないというのがあまりにおかしな話だった。鍛え上げられたチームの鋭たちを數人片付けたほどの腕前なのだから、相手も相當腕に覚えのある奴らだというのは想像に難くない。しかし目の前の連中は、それらからは程遠い人間ばかりなのだ。

「悪いがその荷を運び出させるわけにはいかないんだ」

「なにぃ?」

突然の來訪者の言い分に訳のわからんことをとでも言っているのだろう、男は眉を盛り上がらせてひそめ、こちらを威嚇した表をして見せる。

「おたくらに聞きたいんだが、ここに俺たちの前に誰かきたはずだ」

「なんだてめえらは。突然わけのわからねえことを」

「九鬼、無駄だ。この手の連中は聞いて話のわかるような連中じゃない」

バドウィンのいうことはごもっともだ。噓をついているのか、あるいは単に突然の出來事に頭が回っていないのか、それはさておいて、まともな話し合いで事が進めれるような連中でないこともまた間違いない。俺はため息混じりにいう。

「面倒だ。どうせ連中の手に渡せないんだ、いっそのこと連中もろとも痛めつけてやろう」

こいつらを締め上げてやれば、しはこの事態の説明もできるようになるかもしれない。俺たちは視線で合図を送ると、素早く連中へ銃口を向けた。

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