《いつか見た夢》第110章

「……沙彌佳? 沙彌佳なのか」

突如として目の前に現れたのは妹である沙彌佳だった。通りで聞き覚えのある聲のはずだ。沙彌佳は相変わらず冷たい目でこちらを見つめている。

「怪我はない」

と言葉にいささかの差異なく沙彌佳は無にそう聞いた。無さをじさせるその言は、便宜的にそう聞いているような印象すらける。

「怪我? いやそんなものは特にないが……それよりお前、なぜここに? バドウィンはどうなったんだ。……いや、そうじゃない、そんなことはどうでもいい。お前一どうやってここに乗り込んだんだ。それに今起きたことは……」

喚き立てるように質問に次ぐ質問を続ける俺に、沙彌佳はほんのしだけ眉をひそめて、やや困げな表を見せる。けれど、その表は再び鉄仮面のような無表さに変わり、早く來るように促した。まるで今の質問の全てをはぐらかすかのように。

「それはまたいずれ話すから、今は早く」

「必ずだな。あとで必ず喋ってもらうぞ。この際だからはっきり言わせてもらうが、再會したお前はどうにもそれまでのお前とは本的に何かが違ってる。はじめは俺のためにこんな世界に足を踏みれたからそうなったのかと思ったが……バドウィンたちと行していたときも、バドウィンたちのお前に対する態度はただの同じ部隊の紅一點ってじじゃなかった。部隊を統率するあの男のお前に対する態度は、明らかに畏まってるってじにしか見えなかったんだ。お前のとる行についてもあの男はまるで嫌な顔一つ見せなかったのも引っかかる」

そうだ。シンガポールで初めてバドウィンと出會ったとき、あの男は沙彌佳に対してまるで崇拝するかのような言いで語っていた。そのときの俺は茶化してみせたものだったが、こうして度々行していると、あの男の、ひいては部隊の全員が沙彌佳に対して心底惚れ込み、信じ込んでいるかのような錯覚にとらわれることがしばしばあったように思う。馬鹿なと思われるかもしれないが、明らかにそういう瞬間があったのは紛れもないことだった。

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これまで俺の中の奧深くで渦巻いていた疑問や引っかかりをぶちまけると、沙彌佳は小さく頷いて再度ここから出るよう促した。俺は必ずだぞと念を押し、裝置に置いておいた薬を取り忘れることなくコンテナから出る。必要はないかもしれないが、それこそ念のためだ。

「それで、これからどうするんだ。逃げようにもここは地表から何千メートルもの上空だ。見たところパラシュートもない。逃げようたってあと考えられるのはパイロットのいるコクピットくらいしかないぜ」

當たり前のことをもっともらしくいう俺は、沙彌佳がどういうつもりで俺を助けにきたのかまるで理解できないでいた。もちろん、俺の最善の策としてはやはり裝置を手中に収め、そこをパイロットに日本へ引き返させるつもりでいたが沙彌佳とてそのはずだ。大空においてやれることなど極端に限られているのだ。

「だから今からコクピットにいくわ。まだ効果が続いてるはずだから、しは時間が稼げるはず」

「効果? なんだそれは」

沙彌佳は貨室からキャビンへと続くむき出しの階段をあがり、俺もそれに続いた。その途中に、沙彌佳は意味のわからない単語を口走り、俺からの質問は黙殺した。どうやら、それも今はまだ言うつもりはないということなのだろう。目の前で起きたことに対して決定的な部分で納得のいっていない俺は、先行している沙彌佳の後ろ姿を疑わしげに見つめていた。

キャビンに出ると沙彌佳は機前方のキャビンからコクピットへと通じる通路を無防備にいこうとするので、思わず沙彌佳の肩を摑んで止めさせる。

「何考えてるんだ。このまま行けばすぐに奴らに見つかる。慎重にいくべきだ」

「いいから。今は私に従って」

肩を摑まれて振り返った沙彌佳は大丈夫だからと強く頷いて、摑んだ俺の手をさっと払った。そのとき俺は奇妙な違和を覚えた。こんなときにどうかしているが、沙彌佳の俺への態度がそれまでとはどこか違ってじられたのだ。これまでなら、俺が無作為に肩を摑もうものなら親の仇でも見るような目でこちらを冷たく見放し、この手を払ったに違いない。だというのに今は、むしろ自分を信じて行してほしいから手を握り払ったといったじで、それまでとは明らかに違うものだった。

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俺はそんなことを思いながら、阿呆のようにただ分かったと頷くことしかできなかった。

……いや違う。これまでの態度とは明らかに違う接し方の沙彌佳に、どこか安堵を覚えたから頷いていたといったほうが近いかもしれない。こんなときにつくづく俺という人間は間抜けな奴だと戒めつつも、反面、このために雲を摑むような生き方をしてきた俺にとっては間違いなく求めていたものであったのも否めない事実だったからだ。

「連中がいない。多分コクピットのほうだと思うわ」

キャビンを一瞥して下した沙彌佳の判斷に俺も同だった。ガルーキンのことだから、こうなったときのことを想定して、最後の砦となるコクピット近くに待機していたとしてもなんら不思議はない。奴の考えることだから、きっとそうしているに違いないだろう。奴とてこの飛行機の出用裝置が搭載されていないことくらい重々承知のはずだ。

沙彌佳はキャビンから踵を返し、コクピットへと向かって通路を走りはじめ俺もそれに続いた。キャビンからコクピットへのルートは限られているので、當然その行程に奴の部下がいることも予想される。今の沙彌佳にそれを指摘したところで意味はないだろう。沙彌佳も當然それくらいのことは考えているはずで、沙彌佳はそこを強行突破しようというのだから、なんとも向こう見ずな選択をしたとも思う。

だが、俺が沙彌佳の立場に立って考えてみても、やはり結局は同じ選択をしただろう。どうあがいても、コクピットをジャックしなければ、その先にある運命は決まっているのだ。分かりきったことだからと、ただ傍観しているのはに合わない。やはり、やると決めた以上は何がなんでもやり通すのが流儀というものだ。同じ死ぬにしても、行を起こすことなく後悔しながら死ぬより、行を起こして後悔するのとではどう考えても後者のほうがまだいくらか意義がある。

それに、信じろという沙彌佳の言葉には昔聞いた、一度決めたら絶対に譲らない強格をもったあの沙彌佳のものと同じものだ。こんなときに昔の沙彌佳を思いだしてダブらせる俺も呆れるものだが、ともかく今はこいつを信じるしか道はないのもまた確かなことだった。

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「止まって。奴らがいるわ」

「何人だ」

「四人。多分、ガルーキンの直屬の部下だと思うわ」

真っ直ぐ進めばもうコクピットというところで、沙彌佳が足早に進めていた足を止めに隠れるようジェスチャーしてみせると、顔だけこちらのほうへ向けてそういった。促されるままに俺はからそっと顔を覗かせてみると、確かに黒い裝備をにつけた男どもが四人、一分の隙もなくこちらのほうを伺うように銃を構えている。

「ありゃ完全にこっちのほうに気づいているってじだぜ。攻撃してこないところを見ると、俺たちの侵攻など容易く反撃できるっていうことか。よほどの自信があるらしい」

「普通ならそうでしょうね。だけど、後一回か二回くらいないなんとかなるはず」

「後一回なら? さっきから何をいってるんだ」

「……見てて」

そう告げた沙彌佳は、そっとからを出して連中の方へと靜かに歩み寄っていった。まさかの行に俺は思わず沙彌佳の手を摑もうと手をばしたが、その手を摑むことはできなかった。いや、摑むどころか、れることすらできなかった。れようとした沙彌佳の手からは、どういうわけか高圧力で噴出されるスチームにも似た熱さを帯びていたからだ。

「さ、沙彌佳」

予期せぬ熱気に、俺は摑もうとした手を慌てて引き戻してその手をった。どういうわけか、沙彌佳の周囲から目には見えない熱気が立ち込められているようにじられる。その熱さは、まるで沸騰した水の水面近くにまで手を持っていったような覚に近い。

(何なんだ、今のは)

ただ、今沙彌佳の周りでは通常では考えられない何かが起きているということだけが俺の頭を支配した。一瞬は靜電気かとも思われたが、ビリっとくる放電の覚はまるでなく、むしろ今もまだれようとした指先には熱がこもっているのがありありとじられる。つまり、靜電気などではないことだけは今いえる確実なことだった。

ゆっくりと歩む沙彌佳の周囲は、やはり熱を持っているのだろうか、周囲の空間が目に見えて歪んで揺らぎ始めた。そこからは確かに沙彌佳を中心にして、熱が立ち込めているように見える。つまり、あの高熱を沙彌佳が発しているということに他ならない。沙彌佳が歩を進めるとともに、周囲の熱気もまたそれに比例するように膨大な熱を発し、たった今の今まで見えていた奧にあるコクピットへ通じる扉はその熱気に遮られ、うまく可視することができない。

膨張する熱気は、に隠れる俺にもじられるようになっていた。膨大な熱気は、ただ単に空間を歪ませるだけでなく空気の熱膨張を起こしており、機の溫度を急激に上昇させ始めていたのだ。始めは走って悸のあがった俺の勘違いかとも思ったが、そうではない。俺のからはひっきりなしに汗が吹き出ていて、飛行機の中だというのにまるでサウナにでもいるような、そんな有り得ないほどの熱上昇を実していたからだ。

「沙彌佳、お前は……」

なかば無意識だった言葉を発した口を思わず塞いだ。言葉を発しようと開いた口に、想像もつかなかった熱気が流れ込み、熱さのあまり一瞬呼吸困難に陥ったためだ。もはやその熱さたるや、サウナなどぬるま湯に漬かった程度にしか思えない。そうじられるほどの高熱。信じられなかった。サウナが摂氏七〇度から摂氏九〇度、さらに高溫になると摂氏一〇〇度にもなるという話をどこかで聞いた覚えがある。それでもあのクソ暑い空間に揺う熱気もここまではない。つまり、今沙彌佳が発しているこの熱気は軽くそれ以上だということになる。

こんな熱さでは、熱さのあまり下手にき聲をあげることも危険であるように思われた。サウナですらあの空間に三〇分以上いることは命に関わるともいわれているのに、サウナ以上の広い空間を持ち合わせたこの飛行機でそれ以上の熱さともなれば、空気を吸うだけで肺にとんでもない熱気が流れ込み側から焼ける危険もあるかもしれない。

危険なのはそれだけではない。隠れていたに接する俺の皮にもとんでもない熱さが伝わってきたのだ。その熱さに俺は接していた壁から飛び退くように離し、れていたあたりに手をやっていた。この熱さはもはや、炎の燃え盛る火事の現場にも匹敵するのではないか。融解度の低いものは急激な溫度上昇に耐え切れなかったのだろう、熱に負けて見るからに形を変えているものもあったからだった。

こんな高度のあるところで、こんな急激な熱上昇があれば機にある電子機にも影響があるのではないかと、熱にやられてぼんやりしてきた俺は、ついにその場に倒れこむ。もちろん、倒れ込んだ床も考えられないほどの高熱だ。にも関わらず、その熱さすらおぼろげになりつつあった。このままでは熱さにやられて死んでしまう……昨今の熱中癥で死ぬ人間はこんな気持ちで死を迎えるのだろうか……そんなことが脳裏を橫切ったとき、不意にその熱膨張が止んだようにじられた。

「大丈夫?」

うずくまっていた俺の背中にそっと手を添えられ、頭上でそんな言葉が聞こえてきた。

「ぅ……ぁ」

熱さにやられて、呆けた返事しか返すことができない。橫倒れにうずくまった俺を仰向けにそっと手を添えられ、あまりの熱気につぶっていた瞼をうっすらと開くと視界に目を細めて見下ろす貌があった。その様子は心配になっているのか、どこか憂いを滲ませた表をしている。

「ごめんなさい。ここまでするつもりはなかったの」

「……一なんだったんだ、今のは……突然空気が熱く……」

なんとか言葉を発そうとするが、突然に起こった急激な熱膨張のために呼吸が上手くできずに咳き込んでしまって上手く喋ることができない。そんな俺の様子に沙彌佳は喋らないようにといいながら抱き起こしてくれた。著した沙彌佳から甘い香りがふわりと鼻腔をかすめる。

「起きれそう? 起きてもらわないと困るけれど……」

「……なんだ、結局は起きなきゃいけないんじゃないか」

「それだけの元気があれば大丈夫そうね」

咳き込みながら返す俺に、沙彌佳はほんのしだけ頬を緩ませた。けれどそれもわずかな一瞬のことで、すぐにまたそれまでの無表な顔になって俺を立ち上がらせる。

「おまえ、今……」

「なに」

再び無表を取り戻した沙彌佳の視線はそれまでのようになんとも冷たいもので、こちらも再びどこか居心地が悪くなって仕方なかった。しかし、気持ちの上ではそれまでとは違う奇妙な覚が殘った俺には、その無表な仮面の下に憎悪や怒りといった負のだけでなく、それら以外の別のも存在しているのではないかと思えたのだ。

「いいや何でもない。それより……何をしたか知らないが、今起こった急激な溫度変化はお前がやったってのは間違いない。そうだろ」

「……ええ。だけど、今はそれについて議論してる暇はないわ。今ので飛行機の制に影響が出たはずだから」

さらりと恐ろしいことをいった沙彌佳に言葉を返す間もなく、沙彌佳がコクピットへ向かって歩みだした。いわれてみれば、なんとなくだが機が傾いているようにじられる。まさかとは思うが、本當に機の電子機に影響が出たというのか……。

コクピットへ向かう沙彌佳の後について通路へ出ると、その先に先程まで辺りの警備に當たっていた兵士たちがぐったりと四枝を投げ出して倒れていた。その誰もがピクリとくことはなく、まるで死んでいるかのようだ。

「死んではないと思う。そこまでの熱線は出さなかったから多分、酸素不足で中毒を起こして倒れてるだけ」

男たちの様子を見た俺の想を読み取るように告げた沙彌佳。その言い方からは、自在に熱をコントロールできると考えていいのだろうか。一人の人間が、人が倒れこむほどの高熱を発するというのか。

(ばかな……)

思わず否定の言葉が脳裏に浮かんだ。だが今しがた験したこの高熱による周囲の反応は、間違いなくそれを示唆している。周囲の壁はどういうわけか熱により一部が変形を起こしており、それどころか、融點に達したためだろう、プラスチックのものは完全に歪んで表面がとろとろに溶けているものもあるのだ。もちろん俺自もその熱さにやられて倒れこんでしまったので、これらの事実からはどう考えても沙彌佳がこれらを自分の意思により起こしたものだということを示している。

もはや自分の考えつく限りの範囲を超えた現象に、俺の思考は停止し、ただただつかつかとコクピットへと向かう沙彌佳の後についていくことしかできなかった。そんな俺の様子は、傍から見ればまるで夢遊病患者のようだったかもしれない。あるいは、圧倒的な何かに導かれるまま進む巡行者か何かであったかもしれない。

コクピットへと通じる通路の奧にあるドアを開けて進むと、そこにはアレクセイ・ガルーキンと護衛らしい男二人が苦しそうに床にびていた。二人共元に手をやり、新鮮な空気を求めて口をぱくぱくとかしている様はまるで水中で口を開く魚のそれと同じだ。二人が倒れる周囲は、今通ってきた通路と似たような狀況になっていて、プラスチック類なんかは同様に融點を迎えて一部がとろとろに化している。この様子では、先のコクピットも似たような慘狀かもしれない。

「かはっ……き、さま……な、にを……」

倒れながらもファーストクラスのキャビンにってきた沙彌佳を苦しげに見つめながら、ガルーキンは口を開いた。

「おじさん、今からこの飛行機は落ちるわ。最期に聞きたいことがあるの。この飛行機でどこに向かうつもりだったの? 教えて」

努めて冷靜にそう告げる沙彌佳は、苦悶にを震わせているガルーキンのもとに歩み寄りすっとをかがませる。その仕草はまるで、そこらの小娘が道端にあったものを目新しく発見して、それをより近くに見ようとをかがませたのと同じものだ。ともかく、倒れてまともに呼吸のできないガルーキンに何かを聞き出そうとしても、そのままでは無理というものだが沙彌佳はお構いなしにそう問いかけた。

「沙彌佳、そのままじゃぁ無理だ。どこかに縛り付けて……」

そういって沙彌佳の背後からガルーキンに近づいた時だ。過呼吸になりまともに喋ることすらままならないはずのガルーキンが、途端に何かを喋り始めた。何かの暗示にかかったみたいに途切れ途切れに口をかしていく。

「ウ、ウラジオ、ストク……」

「そう。そこからどういうルートで中の荷を運ぶつもりだったの? 行き先は」

「た、大陸、鉄道……ウラジオストク……クラスノ、ヤル……スク」

「そこに行けば何かあるのね」

「ロシア、アカ、デミー、ある……河……は、運ぶ……」

沙彌佳の質問に次々と答え続けるガルーキンの表は口を開くたびに蒼白さを増していき、もはや呼吸をすることすらままならない様子だった。俺は目の前で起きていることを今ひとつ信じることができず、ただ怪訝に表を歪めながらじっとり行きを見つめていることしかできずにいた。

「どこに運ぶつもりなの」

「軍……、輸送船……じ、実験施設……」

「実験施設? ロシアの片田舎にそんなものがあるのか」

ガルーキンはき聲すら満足に上げることができないのか、んっんっと奇妙な音を発しながらますます顔面を蒼白にし、眼球も白目をむき始めていた。それだけでなく、口の端からは泡も吹き出してきており、分泌される唾にうっすらとが混じっている。あまりに急激な調の変化によるものなのか、かあるいは食道などといった粘の通り道にが開いたのかもしれない。

「答えて」

俺の質問に答えさせようとしたのだろう、沙彌佳の聲のトーンがにわかに変化した。どこか焦っている……とまではいわなくとも、もうガルーキンに時間がないということを察しているのか、早々とした質問となっていた。

「かっ、かっ……」

「答えなさい」

蟲の息という表現でいいのかわからないが同様の狀態にまで陥っているガルーキンに、沙彌佳は無慈悲にも質疑を求め、なおかつ一切の妥協を許していなかった。たとえこれからの言葉が最期の言葉となったとしても、この男が生きている限り質問は続くのだ。沙彌佳の聲の調子からは、そうとしか思えない冷淡なものだったのだ。

「……い、いんせ……落下……」

海老反りになり全をガクガクと異様にも思えるほどに震わせるガルーキンは、その言葉を最期に肺に殘るかすかな空気を出し切り、そこで息絶えた。いや、それは正確な表現とは言えないかもしれない。肺どころか、中に混じった空気すらといったほうがより近いように思われる。もっとも、そんなことはどうでもいいことだが、そうと思えてしまうほどガルーキンの死に様は苦痛に満ちたものだったのだ。

「最後の言葉……聞き間違いじゃぁなけりゃ、隕石と落下、そういったな。俺の拙い知識じゃぁロシアでそこに當てはまるのは一つしかない」

俺のつぶやいた言葉に沙彌佳は重々しく頷いた。ガルーキンのいっていたのは、間違いなくツングースカのことを指しているに違いない。ここでなぜツングースカなどということはいわない。これまで、沙彌佳を探す過程で幾度もそれを聞いてきた俺だ、その意味が判らない道理はないというものだ。俺にとって、いや、沙彌佳にとっても因縁の場所といってもいいだろう。あそこで見つかった質こそ、あの忌まわしきNEAB-2を生み出すものとなったのだ。

俺は複雑な気持ちで沙彌佳を見つめる。今沙彌佳がどう思っているのか、俺にはまるでわからない。たった今目の前で起きた現象は、全て沙彌佳が引き起こしたことであることは確実だ。では、そんな説明のつかないことを起こせるようになった原因はなんなのか。どう考えたってNEAB-2しかピースは當てはまらない。

ロシアが手にれたそれはあの狂った科學者である坂上の手に渡り、そこで新たに生されNEAB-2へと進化を遂げた。あのNEAB-2により、生の出來損ないのような姿をした化、ゴメルを生み出した。それだけじゃない。なくとも坂上はゴメルに限らず、幾多の奇怪な生を生み出しており、その実験には人間、それもまだい子供も使われたのだ。妹はそれを投與され、こんなことにされてしまった。

仕方のない部分がないとはいわないが、だとしてもそれをよりによって沙彌佳に施したというのは、とてもじゃないが許されることではない。坂上は死んで地獄に落ちるべきだし、そこから這い上がろうというのなら何度だって喜んで地獄の鍋底へと蹴り落としてやってもいいような奴だ。奴を許そうなどという奴がいようものなら、そいつもまた同類というものだ。それほどあの男はやってはいけないことを平然とやってのけていた。

だが、その坂上を地獄に蹴り落としたところで、沙彌佳が元に戻るという保証など何もない。同行していた田神は、俺がひょんな思いから盜み出したデータがあれば、あるいは治すことも可能かもしれないといっていたが、それだって本當にできることなのか怪しいものだった。もちろん、田神も何かと良くしてくれる部分があり、だからこそ俺にそういったのだともいえるだろう。しかし、だからこそ実は単なる気休めだったんではないのかと考えてもしまう。なくとも、今の沙彌佳のこの狀態を目の當たりにして治す手立てがあるのかという疑問が浮かぶと同時に、その疑問に當然の如く答も用意されているというこの覚。

それを思い出して、俺は沙彌佳にかける言葉を失った。なんといえばいいのか。大変だったな。よく耐えた。よく地獄から戻って來れた……自分が馬鹿らしくなるくらい貧相な言葉しか脳裏をよぎらない。そのどれもが不相応であり、何もかもが沙彌佳への償いになりはしないということだけが確実にいえるただ一つのことだった。

言葉を失い、芋蟲を噛み潰すような表をしていた俺に沙彌佳は不意に立ち上がり、それまでと至って変わらない無表な仮面をつけたままこちらに向き直った。

「行きましょう」

「あ、ああ」

そういうと、沙彌佳はまだ意識を他にやってままの俺の腕をとり、再び先へと進みコクピットへとやってきた。中は想像通り、機械である計のアラーム音が鳴り響いており、その中心にはパイロットらしい男が縦機の前で座ったままぐったりともたれかかっていた。もはや息も絶え々々といった合の男は、ガルーキンと似たような癥狀を見せている。

「やり過ぎたわ。これじぁ飛行機を立て直せない」

沙彌佳は男の姿を見てしい眉と鼻筋をわずかに歪ませる。どうやら、熱気をコントロールできるらしいがそれも正確なものではないようだ。

「さっきこの飛行機が落ちるといってたが、あれは噓だったのか」

「ここまでするつもりはなかったんだけれど……」

やや後悔があるといった合にいう沙彌佳は、一縷のみをかけてここまでやってきたらしい。もし立て直せるものならこのまま飛行機を出のために使うという選択肢があったわけだ。しかし、中はやはりプラスチック製のものは表面が溶け始めていて、そうでない金屬製のものなど、まともにれば火傷くらい簡単にできてしまいそうなほどの熱気を帯びていそうだ。

それにコクピットにったとき、どこか焦げ臭い匂いが辺りに立ち込め始めているように思えた。もしかすると、計の一部が急激な溫度上昇により不良を起こすだけでなく、中の回線やショートしやすい部分の融解が起きているのかもしれない。だとすれば、そこから中が燃えだしたとも言い切れない。

來た道を戻り始めた。そこに一切の迷いはじられない。

「どうするつもりなんだ。こいつはこのまま墜落しちまうぜ。さすがに俺も飛行機の縦訓練なんてけてない」

ようやく頭の回り始めた俺は、墜落の二文字を思い浮かべるとともに、現狀がとんでもないことになっている現狀に不安を抱きだしていた。ガルーキンへの質疑の間にも、機は確かに傾いてきていて、その傾き方はこれまで飛行機で経験することのない傾斜角となっている。文字通り、この飛行機はあとどれほどかで墜落することは確実だということだけが間違いない予としてあった。

「大丈夫。私にまかせて」

「大丈夫って、お前、この狀況でよくそんなことがいえるな。墜落するってのに、そんな悠長なこといってられんぜ」

「いったでしょ、私にまかせて。助かる手段はあるの。それを実証してみせるから」

沙彌佳はああいうが、さすがに実証などといわれても、はいそうですかといえるほど俺もおめでたくはない。この狀況で出する手段を実証してみせようなど、どういうつもりなのだ、沙彌佳は。

沙彌佳は引き止めようとする俺の手を反対に引いて、コクピットを出ると強引にキャビンを通り、さらに貨室へと連れて行こうとした。俺はキャビンに著いたとき、そこで沙彌佳を大聲で傾く座席に引っかかった狀態で気を失っているのところに行くようんだ。沙彌佳は明らかに不機嫌そうな表になり、信じられないといいながらも座席に引っかかった遠藤のもとにまで俺を連れてくる。沙彌佳の言いたい気持ちも判らないではないが、俺自も呆れとも怒りともいえないを抱きながらも、まだあのには聞かなくてはならないことがあるため、今ここで死なせるわけにはいかない。

すでに機の傾斜は自分のを支えることすらままならないほど、急なものとなっていた。なのに沙彌佳は俺が遠藤を摑もうとするよりも早く遠藤の首っこを摑むと、そんなことなどまるで関係ないといわんばかりに軽快にを跳躍するように移させ、あっという間に貨室にたどり著く。俺はともかく、とはいえ遠藤を抱きながらもいとも簡単にを泳がせる作は、まさしく人間離れしたきだった。

辿り著いた貨室は先ほどまでと比べ、明らかに蒸し暑くなっていた。やはり、先ほど沙彌佳が起こした高熱波による影響だろう。まるで真夏の日しに堪えて逃げ込んだ日にでもいるかのような、そんな蒸し暑さだった。その貨室の中を、沙彌佳は俺を引き連れながら、床に設置された整備用のハッチを用に起こし、中に飛び込む。手を引かれたままだったため、無條件に俺も中に引き込まれる。いや、引き込まれるという覚ではない。奇妙なものだが、むしろ沙彌佳と同様に中へと飛び込んだような覚だった。

整備用ハッチの先は狹く、せいぜい小柄な大人二人がれるかどうかのスペースしかない。沙彌佳はいいとしても、大柄な俺がると途端に窮屈になってしまう。おまけに遠藤というおまけつきで、下手にこうものなら頭はおろか、の節々をぶつけてしまいかねないスペースの中ではあまりに窮屈な俺がまごまごしているうちに、沙彌佳はようやく手を離し床面にあるハッチをいとも簡単に開けて、できたの中に飛び込んでいった。

そのハッチの下には巨大なタイヤが収められており、そこが車格納庫であることが理解できた。ほとんどてこずることなくここまでの行をしていた沙彌佳はその手際の良さから、あるいはここから侵したのかもしれない。なくともそれ相応の訓練をけたに違いないだろう。

出するといったが、まさかここから出する気なのか」

「そうよ。この飛行機はもう落ちる。ここからしか出できないもの」

格納庫に降りた沙彌佳に向かって中を覗き込みながらわめいた俺に、沙彌佳は平然とそういってのけた。どうやら本気らしい。いや、今もこれまでも沙彌佳は常に本気だ。ここまできてわざわざ噓をつく必要もないだろう。しかし、だからこそ俺には正気の沙汰とは思えなかった。ここが今上空何メートルなのか知らないが、なくとも落ちれば間違いなく死ぬことだけは確実という高度なのだ。おまけに見たところ、沙彌佳がパラシュートなどの出用救命を持ち合わせている様子はない。

そうこうしている間にも沙彌佳は、格納庫に併設されている回転式ハンドルの開閉裝置を手で回し、格納庫のハッチを開けていく。すると當然、格納庫のハッチが下に向かって観音式に開きだし、眼下に暗い大海原が広がった。傾斜の著しい機も真っ逆さまに落ちているわけでなく、まだなんとか推進力を保って飛行しているのだということがわかる。だが、高度は確実に下がっていることもよく分かり、開いたハッチからは猛烈な風が機へと吹きつけられて、しっかりと摑まっていないとちょっとバランスを崩すだけで、あっという間に振り落とされてしまいかねない強風だ。

今機はちょうど雲の切れ間を降下中で、機へかすかな雲のガスが猛烈な勢いをもって流れ込んできていた。そのため著しく呼吸がきかなくなり、思わず摑まっていた手を離して鼻と口を塞いで呼吸のための空気を確保する。そうでもしなければ、圧倒的な風圧に機に殘る空気すら後方へと押しやられてしまう。

「できたわ。急いで」

「もう一度確認するが、どうやってここから出する気なんだ。まさか飛び降りようってんじゃないだろうな」

「そうよ」

吹きつける風の勢いとその音にんだ聲すらかき消されてしまうが、互いになんとか會話がり立ったようだった。だが、それでも正気とは思えない沙彌佳の返答に、どう切り返していいのかわからない。これまでの冷靜さをもった沙彌佳の行から、本気でそう考えていることはわかる。わかるだけになんでそんな答えに辿り著くのか俺には全く理解できない。

躊躇ってきのとれない俺に、沙彌佳は急かすように早くとんだ。頭の片隅ではどこかこうなることを予していた自分がいるのも確かで、沙彌佳の元に行こうとする意思に反して、はその先に待つ末路を知っているためかうまくかすことができないという合だった。それを見た沙彌佳は仕方なくといったじで格納庫を上がって、足がすくんでしまってけない俺の腕を引いた。

「大丈夫。私が守ってあげる」

「なにを……」

腕を引いた沙彌佳は、ふわりという不思議な覚を俺に與えながら格納庫へと降り、ついには格納庫に収まる車の支柱にまで引きやった。もしほんのしでもバランスを崩せば、次の瞬間、真っ逆さまになってこの空をダイブすることになる。先のわかることほどの恐怖などないかもしれないと、ふとそんなことが脳裏をよぎって消えた。

「大丈夫よ。この程度で死ぬことはないから」

そう告げた沙彌佳が、格納庫の壁と車の間にできたスペースにそっと片足を降ろしだし、ついでに俺の手を引いてごと一気に引き寄せた。

その瞬間だった。絶対に味わいたくない無間地獄に落ちていくような覚に全からの気が引き、俺は無意識のうちにび聲をあげていた。それが俺の発する聲だなんて、とても思えないほどの絶だった。

飛行機の中とは比較にならないほどの寒さと猛烈な風に、俺のび聲は完全にかき消されていたに違いない。地表何千メートルもの大空へと投げ出された人間に出來ることなど何もない。ただただ地表までの數十秒だか數分だかの時間を、圧倒的な恐怖の前に怯えることしかできなかった。運にをまかすだとか、神頼みだとか、そんなことも記憶の彼方に消し飛ぶほどの恐怖。

(もう駄目だ。なんだって沙彌佳は……)

こんな手段を選んだんだ――そう考えたのは束の間、落ちていく俺の脳裏に過去の様々な記憶が呼び起こされては高速の最中に彼方へと消えていく。ああ、これが走馬燈とかいうやつなんだな、そう思う俺のが突然ふわりと浮いたような気がした。時速數百キロに及んでいたに違いない降下速度に、緩急がつくなど有り得ない。だというのに俺のは、今確かにその速度を緩めた。

「……やっぱり、これはあなたのせいだったのね」

俺と気を失った遠藤を支える沙彌佳のそんな言葉を最後に、俺の神はショックのあまり突如として意識をシャットダウンした。いつしか抱きとめられていた出したから、抱きかかえる沙彌佳の力強さと暖かみを意識の底に焼き付けながら――。

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