《いつか見た夢》第118章

轟々と、遠くで唸るように吹雪く音が響いてくる。まるで、その場にあるもの全てを吹き飛ばしてしまおうかというほどだ。しかし、それは昨夜にしてもそうだったので、特に問題はないだろう。気にしたところでどうにかなる問題でもなく、吹雪の中をテントで過ごしたことを思えば大したことじゃない。そうした経験から、心の中に余裕ができているからそうじるのだろう。

この宿舎も一応は來賓があった際、その周辺の人間たちが揃って宿泊できるように設計されているはずだから、それを俺がいちいち心配するというのもおかしな話だった。だというのに、そんなことを考えてしまうのはやはりロシア製というのが大きく影響しているのかもしれない。

提供された宿泊施設の窓からは、その雪のためにまるで外の景を伺うことができない。おそらく、明日の朝もこの雪のために數十センチの積雪があるのは間違いない。もっとも、取引相手が到著するまでの間は何かできるわけでもないので、これはこれでしは骨休めできるのも確かだった。

極寒の地という極限世界では、それだけで神的なダメージをけやすく、ストレスを抱えることになるために生活はおろか、その場に留まっているだけでも疲労があった。だからこそ溫暖で、かつ過ごしやすい場所での休暇というのは、それだけで一種の贅沢でもあった。それを簡単に満喫できるというのが、一応は連中も來賓として扱っているというのがわかる。

俺は開閉できない窓にそっと近づいた。開閉する気もないが、元々窓は完全にはめ込まれていてそもそもが開閉そのものができない仕様になっているようだった。この極寒世界だからこそ、ほんのわずかなすきま風すら時に驚異になるからだろう。溫暖な地域に住む人間にとっては、それくらいと思ってしまうようなことが一大事になりかねないということが、この窓一つとっても窺い知ることができる。

六つ割りになった窓は、縁の部分をレンガとそれの隙間を埋めるために塗りこまれたセメントだけで、それが直接壁になり分厚い窓ガラスを取り込むような仕様だ。そんな窓の中腹あたりにまで雪は積もっているので相當の積雪があるようだった。話によれば、これがここら一帯の冬だというから、よくもまぁこんな場所に基地など作ったものだ。

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窓の外は雪の白と、その向こうにある闇だけで面白いものなど何もない。なんとなく窓に近寄った俺だったが、そんな景などすぐに見飽きて、奧にあるテーブルの上のウィスキーを取り適當なグラスに注いで一気に飲み干した。ロックグラスで注いだこともあって、その飲んだ量は通常よりも遙かに多く、さすがにだけでなく食道や、口の中の舌や粘が灼けるようでむせ返る。

しかし、この灼け合が心地よくもあった。日付がすでに変わっているため昨日のことになるが、町唯一の酒場でまずいウォッカに悪酔いしそうになった俺は、大して仕れの良くないスコッチの中から、グレンモレンジーを見つけてそれをボトルのまま持ち帰ってきたため、ようやくスコッチにありつけることができて宿舎に退散した。サービスを求める気もないが、しかめっ面をしたロシアのバーテンのいる酒場など、その場にいるだけで、こっちまでしけた酒しか飲めなさそうに思えてならなかった。

それにしても、モルト・ウィスキーであればグレンリベットなどの王道ともいうようなものがあってもいいはずだが、グレンモレンジーというややマイナーな部類にるものが置いてあるのにしばかり苦笑した。本場のイギリスなどでは頻繁に飲まれているグレンモレンジーだが、それ以外の國ではあまりメジャーではないようで、とりわけ日本ではスコッチ飲み以外にはほとんど知られていないようなものなのに、なんでこれをチョイスしてあるのか不思議だ。

ともかく、そんな理由からしていたスコッチにありつけたからか、普段と比べ酒を煽るペースが格段に早かった。このペースなら明日、どんなに粘っても明後日までにはすっかり空になってしまいそうだ。だが、それでも構わないだろう。多ペースが早かろうと、なくなればまた酒場にいって適當に見繕ってくればいいだけの話だ。スコッチの種類はないのが悩みどころだが、それでもウォッカを飲むよりはいい。

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それに、電気もつけずに真っ暗な部屋の中でこれでは、どれだけの量を飲んでいるのか殘量の確認などできるはずもない。だったら、というのが自分の中にあることが確実に影響を及ぼしている。

再びグラスに酒をどぼどぼと注ぎ込んだところ、突然に部屋の中に冷たいとは言わずに寒い風が一瞬吹き込んできた。瞬時に部屋の中の溫度が下がったのをした俺だが、すでにその前には反応しており、クラスノヤスクで調達しておいた銃を手に、壁に背中を預けていた。

いうまでもなく、この部屋に誰かがってきたのだ。宿舎も暖かくはされているが部屋の中はさらに暖かく、部屋のドアが開かれるだけでも宿舎からってくる風はどこかひんやりしてじられるのだ。そして、同行者である妹と遠藤はこの提供された部屋の奧のベッドで寢ているので、部屋のドアが開かれるということは即ち、別の人間がってきたこと以外に他ならない。

「そんなに飲んで大丈夫なのかしら」

「誰だ」

壁を背に、開けられたドアのほうに向けて気配を隠していた俺に、突然全く別方向から聲がして思わず喚いた。寢ている二人に気を遣ったわけでもないが、聲のトーンが低かったのは、完全に予期せぬ方向から聲がしたのに大して驚いてしまったというのが正しいだろうか。

「あら、レオンに私を呼べといったんでしょう。だから來てやったのよ」

暗がりにいるの影がしばかり浮かんできた。聲からしてもまさしくエロスとはこういうことだろうと思えてしまう妖艶なもので、男の本能を突き刺すような響きを含んでいる。

「あんたが例の魔とかいうか」

「まぁよく言われてるかしらね。別に好きに呼べばいいといっているから何とでも呼んで結構よ」

「名前なんてなんでもいいっていうのか」

「そうね、どうでもいいわ。私にとって大事なことは名前ではないから」

の響きに、ついそれもそうだと肯定してしまっている自分がいた。普通であればそんなのは個人の考えで済ます俺だが、どういうわけか彼の言葉に妙に化されてしまっていたのだ。

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「そうかい。だったら魔と呼ばせてもいいってわけだ。それよりも今、どうやって背後に」

ドアが開いたとじた直後、半ばは無意識にそちらのほうを向いて移していたが、ドアは向かって一箇所しかない。つまり、この人の聲がしたのならドアの方、あるいはそれに近い場所でなくてはならないのに、どういうわけか俺の背後だったのだ。これを驚かないわけには行かない。

しかし、はそんな俺の質問には一切れることなくいった。

「呼び方については好きにして呼んでもらって構わない。それより契約の話よ。レオンから聞いたわ、私が武田を追う理由を話せば請け負ってくれるのでしょう」

「そうとは言ってない。言っちゃないが……それよりもあんた、一どうやってここにってきたんだ。いや、それにこんなに早く到著するなんて……始めからこの地にいたとしか」

「もう一度いうわ、私は契約の話をしにきたの。それ以外のことは気にする必要などないでしょう」

にべもなくいったに俺は半ば混してしまい、どう反応していいのかわからなかった。この魔と呼ばれるが到著するまで、數日はかかるはずだと踏んでいたのに、実際にはたった一日にしか経ってない。どう考えても近くに潛伏していたとしか思えない、そのくらいの早さでは現れたのだ。そのせいもあって、完全に不覚をとっていた。

「そいつはそうだが……まぁいい、し待て」

不覚をとった俺は、自を落ち著かせるために一旦深く深呼吸をして、呼吸を整える。こうも悸が激しくては、対等な話もできない。

「それで? 契約の話ってのは俺が武田を始末すれば、こっちの條件は飲んでくれるって話だな。だがその前に、まずそっちの話をするのがフェアだっていってるんだ。最初はなから腹に抱えてるような奴からの條件なんて飲めるはずがないってだけさ。依頼をけるけないは俺の自由であって、あんたらに決定権はないぜ」

暗がりのに向かって俺はそう言い放った。落ち著きを取り戻すと、背中と脇がいつの間にか汗ばんでいたのがわかる。どうやら突然のの出現に、考える以上に張していたというのがわかる。そのせいだろう、へ向ける言葉の語気には荒々しさがあった。

「威勢のいい坊や。あなたがどうあれ、どのみち私からの頼みごとを聞くしかなくなると思うけれど、いいでしょう。話してあげる」

の語り口は魔と呼ばれるに相応しく、かといって高圧的なものでもなくどこか威厳に満ちたものだ。の語り口調がそうだからというわけではないが、いつの間にか俺はの話をじっくりと聞きってしまっていた。頭の片隅に、のそれがどこか田神などにも似ているような、そんな気分だった。田神とは全く違うが、それでもそんな気にさせられてしまっていたのだ。

「あなた、この地についてレオンからどこまで聞いたのかしら」

「隕石が落ちたことでこの基地が建造され、その目的がその隕石落下の際に起きた事象の再現のため、だろう。それがなぜ武田に繋がるんだ」

これまで俺からの問いには一切答えなかったが、ようやく質問に答えた。無駄は一切省きたいという意思が隨所にじられて妙に気持ちが浮ついて仕方ないが、スムースに進むのも確かだった。

はなぜ武田に固執するのかを簡潔に説明し始めた。元々と武田は顔見知りの関係で、それこそは何年と言わずに武田を追っているという。にとって、武田はどうしても始末をつけないといけない対象らしい。

「あなたもあの男と會ったならわかるでしょう? 彼はどういうわけか、人の隙にるのがすごく上手い。私もなぜか彼を無條件に信じてしまってた時があったわ」

この魔とて俺からすれば似たようなものだが、そんなをしてそうも言わせるなんて武田の人心掌握は相當なもののようだ。俺の場合は何か気にらないという合でしか思えなかった部分があるが、それでもいつの間にかやり込められていたことがあり、それを思い出すと々苦い気分になる。

「顔見知りといったが、あんた、奴とどういう関係だったんだ。顔見知り程度の人間に固執して何年も追い続けるなんて、普通に考えれば単なる顔見知りってのは考えられない。復讐か」

「ふふ、そこはあなたには関係ないんじゃないかしら。まぁ、復讐といえば復讐といえなくもないから、そうということにしておきましょうか」

やけに含みのあるの言い回しに、俺はレオンにもいったことをにぶつけた。

「そこははっきりさせてもらわないと、俺としては依頼をけるわけにはいかない。奴がどういう人間であるにしろ、あんたがなぜ自分で手を出さないのか不思議だね。魔と呼ばれるくらいだから、自分でなんとかできるだろう。

それこそ、レオンを使って武田の奴を消せばいい。レオンの立場なら暗殺者の一人や二人、なんとかできるはずだ。なのにそうしないってことは、何か理由がなきゃわざわざ俺を雇うことはないだろう。いくら俺が武田と関係があるとわかってたとしてもな。

それどころか、あんた……俺が奴と関係してることに何か理由があって利用しようとしてるんじゃないのか」

「勘のいい子ね。あなたの言う通り、あなたと彼が関係していることに理由があったとして、別にそれを利用したとしてもあなたに直接危害が加わるわけではないでしょう? 初めから危険は同じなら、それこそ問題はないはずだわ。違うかしら」

「こちとら簡単に、はいそうですかというわけにもいかないのさ。あんたからしてみりゃ大した理由じゃないがな。だとしてもだ。あんたが腹を割って話してくれるまで俺は絶対に首を縦にする気はないぜ」

強気にいったもののはまるで意に介さず、ただ低い不敵な笑みを響かせるだけだった。その様は、もし今一人で暗闇にいたとしたら、とんでもなく不気味で、とんでもなく恐怖に縛られたに違いない。

「そういう威勢のいい男は好きよ。けれど……ふふふ、そんなに意地になるなんてまだまだ子供ね。それこそ、あなたに言わせれば”大した理由”じゃないの。私はあなたと敵対したいわけじゃないの。いいえ、どちらかといえば私はあなたの味方に近い立ち位置にいるといってもいいかもしれないわ。

それに、あなた、武田との関係を利用したといったけど、あながち間違いではないのは認める。だから半分正解、半分外れよ」

「半分ってのは」

「あなたがなぜ武田に狙われてるかっていう本的な理由になるかしらね」

「俺が付け狙われてる理由って、あんた、まさか知ってるのか。だったら教えてくれ、なんで奴はああも俺を敵視するんだ。やはり妹……沙彌佳が関係してるからか」

思わぬキーワードに俺は喚いた。まさか、武田が俺を狙う理由を、このが知っているだなんて思いもしなかったのだ。俺は、てっきり奴の行理念を知れるのではないかと踏んでいたのに、もし本當だとすればこれはとんでもない収穫になるかもしれない。

「落ち著きなさい、お姫様が起きるわよ。ふふ、本當に鼻息が荒いわね、若い子って。けれど、その様子じゃなんで彼に狙われてるか、まるで知らないようね。

いいわ、教えてあげる。なんであなたが彼に狙われることになったのか」

はそう前置きして、淡々と語り始めた。なぜ、俺が狙われることになったのか、その経緯を。しかし、その経緯は俺だけでなく沙彌佳、家族そのものにもれることだった。その息吹は、すでに俺たちがガキの頃からあったらしいという。

「まず、ざっと武田のことをおさらいしておきましょうか。あの男がいつ、どこで、どうやって誕生したのかは殘念ながら知らないわ」

「どうやって? おかしな言い方だな、それは。言ってる意味が今いち分からない」

「黙って聞いておきなさい。あの男の出生については一切不明。何年も何十年も追ってきた私がいうことなのだから、これは間違いない。いつ頃からか姿を見せ始め、気づけばひっそりと誰かのバックについていた。あるいは誰かを陥れるか。彼はそうやって何年も、何十年も生きてきた。

もしかしたら、権力のために生きているのかとも考えるけれど、そうじゃない。彼が権力を利用することはあるけれど、あくまで目的のためという合ね。いいえ、彼が誰かのバックについたり、あるいは陥れたりするのは、その人間の持つ権力を使って自の目的を達するために過ぎないわ。彼にとって、全ての人間は単なる盤上の駒といっても過言じゃないわ」

「奴の目的ってのは」

「すでにあなたも知ってる通りよ。彼は、不老不死とタイムワープ、この二つをしてる。彼にとってこの二つは不可分よ。不老不死を造り上げるためにはタイムワープが必要であり、タイムワープには不死の生が必要なのよ。それはあなたも、これまで何度も見てきてるはず。日本でも、イギリスでも、あるいはシンガポールやかつてのアメリカでのことまで全てね」

その通りだった。これらでは全てが何らかの形で繋がっており、何らかの形で補完しあうこともあった。そして、各國がなぜこうもこぞって伝子研究なぞに力を注いでいるのかまで、裏事もまた然りだ。俺にとっては、どうでもいいことばかりだと思っていたそれらは、どうしてか多側面的に沙彌佳へと繋がっていたこともあり、それだけにの言葉からは実験的な納得が得られた。

さらに、なぜ武田の奴がそこまでしてそれらに執著するのか、はいう。

「あなたは召喚実験というのを知っているかしら」

「聞いたこともない。なんだそれは」

「召喚実験というのはその名の通り、ある特定の場所から全く違う場所に出現させること。もう地下の実験を見たのなら、わかるでしょ? 要するに転送の概念に近いわ。けれど違うのは、全く違う世界からの転送だということかしらね」

「待ってくれ。話がよく見えないんだが、全く違う世界ってのはどういう意味だ」

「つまり、転送と召喚は同義語でもあるけれど、厳にはし違う。転送は同じ世界、同じ時間軸と流れの中から時間を伴って行われる。けれど、召喚は違うわ。異なる世界、異なる時間軸、異なる時系列からでも時間を伴わずに行うことができるの。いってる意味、わかるかしら」

「もちろんだ、といいたいところだが、なんとなくというのが正直なところだ」

の説明によると、今こうしている所に、同じ時刻、全く違う場所にいる誰か、あるいはモノを時間をかけて呼ぶのを転送というらしい。同じ時間に同じ世界ということだから、つまり電話やファックス、インターネット上のやり取りなんかを連想すればよく分かる。これらはの速さをもって電波にのってやってくる。それは瞬時といっても差し支えない程度だが、厳にはその速さの分だけタイムラグが起こるのだという。

タイムラグが起こるということは即ち、目標地點に送ろうとした際に送るときの時間的な流れが必要になるということだ。例えば一秒後にモノが送られてくると仮定すると、一秒という時間の経過があって初めて出現するということである。

ところが召喚はそうではないらしい。全く違う時間、違う世界の人間、モノをタイムラグ無しで呼び出すことができるというのだ。例えば、俺が今手元に銃がしいとき、全く違う時間に存在する俺、一年前の俺の手元から銃を呼び出すようなもの……らしいが、俺の脳みそではそういう認識でいなければ、混してしまいそうだ。

全く異なる時間だろうと、全く異なる世界からも、今いる全く違う場所にモノを出現させるだなんて、まるで魔法ではないか。誰しも一度はガキの自分に夢見ることがあったような、そんな夢語のことを召喚というらしい。ともかく、大まかに転送と召喚の違いは分かった。

「今地下で行っているのは、召喚ではなく転送実験なのよ。あなたも見たならもう説明は不要よね、被験がどこか別の場所に飛んでいったのをね」

「ああ。どこだかの戦場に送られて、その場にいた兵士たちを皆殺しにしてたのまで覚えてる。だが、この転送だけでももはや常識からは考えられないものだというのに、まさかロシアは召喚だなんて魔法みたいなことまで実験しようとしているのか」

「さぁ、それはどうかしら。ま、それもないとはいえないでしょうね。けれど、武田にとってこの転送実験はまだ経過途中に過ぎないということだけは確かね。彼は転送実験などではなく、その先である召喚を見據えている。

……ふふ、鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔してるわよ。そうなるのも仕方ないかもしれないけれどね。だけど、本當よ。それに召喚という概念は、すでに古くは歴史に姿を消した錬金師たちによって定義されているくらいなのよ? もっとも、彼らの定義した召喚は意味合いが違うから正しい概念とはいえないけれど。

召喚という概念の起源は、なくとも古代エジプトなどの古代オリエントまで遡るといわれてる。錬金というのが歴史に、あるいは広く知られるようになったのが中世ヨーロッパの頃だからどうしてもその頃のイメージが強くなってしまうけど、そもそも錬金という考えはアラビアが発祥。

もっといえば、古代エジプトで行われていた系化されたものを錬金と呼ばれるようになったの。すでに古代エジプトに存在したという、その中の一つに召喚の基礎概念が存在していたのよ。これが、古代ギリシャ・ローマ、中世アラビアへと時代が下るにつれ系化された考えになっていったというわけ。その最後の時代だったのが中世ヨーロッパの時代というわけね。

そのヨーロッパの古代と中世を分ける一つの基準點となるのは、十字軍遠征が一つに挙げられる。ローマ帝國が崩壊したと同時に、古代ギリシャ時代から続くヨーロッパ文明は完全に崩壊していた。人々は疫病や飢に見舞われ、荒みに荒んでいた時代よ。それにかこつけて、宗教が流行ったのも事実だけどね」

「ふん。古今東西、宗教が流行る時はいつも人間から余裕が失われてるときってのは本當だな」

日本でも戦國時代に數多くの寺社仏閣が建てられており、現在も殘っている大半がこの中世期に建立されたものばかりだ。中國でも同じで、戦の頃に數多くの寺院が建てられるだけでなく、獨自の宗教が生まれては発展するという頃でもある。結局のところ東洋も西洋も、人々が求める救いに応じるために宗教が生まれるというのは変わらないということだろう。

もっとも、いつ死ぬかわからないそんな時代であれば武人でもない限り、何かにすがりたいという気になってしまうのも仕方はないのだろう。誰だっても心も安定をはかりたいと考えるのが自然なことなのだ。しかし、その結果、やはり貧富の差を生んでしまうことになるわけだから、人は常に問題にぶち當たり続けるのが宿命といってもいいかもしれない。

「この時の遠征が一つの文明レベルが上がっていくことになったのは事実。あなたも習ったから知ってるはずよね、十字軍がなぜ派遣されることになったのか」

「まぁ、それくらいはな」

俺は腕を組みながら頷いた。世界史を習ったとき、十字軍が結された理由として挙げられたのが、アラビア世界の中心的都市の一つとして発展していたエルサレム奪回という大義名分のために、遠征軍を結したというやつだ。もっとも、そんなのはもはやにっちもさっちもいかなくなったヨーロッパ側の思でしかない。

當時のエルサレムは、イスラム教の布教もあって中世アラビア世界の中でも中心的な役割を果たす都市だったという。宗教的、経済的、歴史的、神的にも最もかな時代を迎えていたのは事実で、そんな時代に自分たちの思だけでヨーロッパが突如遠征軍を派遣したため、混へと陥れられたことになる。最も、全く違う文化圏同士によるはあったろうが、だとしてもあまりに突然すぎる出兵だったのは違いない。

半ば奇襲に近い形で勝利を得た十字軍はエルサレムを”奪回”し、ここをキリスト教側のものとすることで人々に”安定”を與えようとしたわけだが、そんなのは一時しのぎでしかなく、結局はその後実に二〇〇年も続く十字軍派遣、つまり戦の時代に突してしまったというわけだ。

しかも質が悪いことに、十字軍は第一回の遠征以外は結果的にいつもアラビア側にいいようにやられてしまっていて、大した果を上げることもできなかった。さらに十字軍は、すでに第一回遠征時から遠征軍の中でも派閥ができ始め、結果それらによる紛もあるなど、ゲバ化するという有様だった。

おまけに、十字軍の連中は全くもって背負う十字の意味や威厳などまるで持っていない恥知らずの畜生以下のクズばかりで、進軍する先々でなんの罪もない人々を殺し、曬し者にすらしているのだ。男や老人たちは殺され、當然若いは自処理のためにレイプされ次の進軍地まで同行させられただけでなく、奴隷として扱われた。年端もいかない年は時にレイプされ、同様の末路をたどっている。

中には妊娠していたの腹から赤子を引きずり出し首をくくらせ、挙句には村の口にトロフィーのように飾ったなどという殘非道なこともやってのけているほどだ。こんなのが十字軍を名乗るなんて馬鹿々々しいにもほどがある。そんな名ばかり十字軍には噓か本當か、派遣された十字軍の人數よりも、イスラムの軍とはまるで関係ない人々の殺された數の方が多いという説もある。

ともかく十字軍の結は、表向きはキリスト教にとっても聖地であるエルサレムの奪還ということだったが、そんなのは戦力を數に頼るための都合のいい大義名分に過ぎず、実際には大量の口減らしと裏に潛んで私腹をやそうとしていた王侯貴族、より強い権力を得ようとしていた宗教者たちのくだらない思というのが大きい。

とっくに歴史になってしまって過去のことだというのに、この手の話はいつ聞いても糞が悪くなる。俺が権力者だとか宗教者を絶対に信じない理由もここらにあるのかもしれない。実際、そういった連中も過去に何人か地獄に叩き落としてやった経験があるだけに、なおのことだった。

人の世の道理では、罪人とて人権はあると主張する。確かにそれはそうかもしれない。大抵の奴は出來心からの軽犯罪だろうし、他人に迷をかけないというわけではないが、人間そのものが持つ尊厳というのを踏みにじっているわけじゃない。ところが、そんなことすらも承知の上で、さらに恥知らずに私腹をやそうとする連中こそがどうしようもない悪なのだ。

手に負えないのは、そういう連中に限ってちょっと自分が損したり、立場が危うくなった程度のことでうるさく喚きたてるのだ。だからこそ、俺みたいなどうしようもない職業の人間もまた必要なのである。偽善という仮面をつけた連中に鉄槌を下し、地獄に叩き落とせる人間がいなくてはならないのだ。

でなければ、そんな一部の連中に踏みにじられ続け、人権を尊重されない弱者の気持ちなど一萬分の一だって理解できやしないだろう。もっとも、理解する気すらないだろうから俺という人間が機能しているのが実ではあるが。

「すでに話したように、錬金は古代ギリシャやローマでも一部の知識階級にとして伝わってはいたの。しかし、當時のヨーロッパ文明ではそれらを実踐、系化できるほどの技もあまりなかったことで、だんだんと廃れていっただけでなく、ローマ帝國が東西に分裂した頃、その歴史の闇に消えていった。

そうしてヨーロッパの知識人たちにとってはキリスト教における奇跡であり、神にのみ起こせるものだとされた。もちろん、消えていった知識の多くには、現在誰しもが當たり前のこととして知っているような知識も含まれていたわ。例えば天文學的な知識や數學的な知識、さらには航海技や農耕技に、建築技なんかもね。

第一回の遠征で勝利した遠征軍は、エルサレムは元より、故郷であるヨーロッパよりも繁栄していたイスラム世界に驚くとともに、勝利したことをいいことに彼らの持つ技や知識を持ち帰った。これが現代へと続いていくヨーロッパの文明化の布石となり、同時にこのとき一度は斷絶したヨーロッパ地域における、つまり錬金の知識も持ち込まれることになった。

錬金はありとあらゆる知識と技を用いて、不可能を可能にしようとした。あなたもし位は知ってるんじゃないかしら。賢者の石や人造人間ホムンクルス、不死の霊薬エリクサーなんてのもあったかしらね。他にもあるけれど、こういった名稱は全て錬金に収められてるから、聞いたことはあるでしょう? これらは全て人類が不老不死に至るために必要なものだとされたわ」

「不老不死……」

の言葉を聞いて、俺は思わずその言葉を口にしていた。また不老不死だ。もちろん、俺とて錬金というものが歴史上確実に存在していたということくらいは知っている。容と結果がどうであれ、錬金は確実に現代科學への進展に寄與した學問であるということも。

俺が好きなウィスキーだって、や一部の男が好き好んでつける香水だって、そこで使われた道は全てが錬金で使われたものが原型となっていて、それをより特化させた程度に過ぎない。建築技や天文學的な知識においてもそうで、これらの原點は全てイスラムに起因していて、この知識を得た人間たちの研究が、さらに後代になり、ルネッサンス時代を向かえるのに必要な知識や技になっていくわけだから。

だがそんなことよりも、俺が気になったのはここでまたも出てきた不老不死だ。これまでも何度となく出會ってきた言葉に半ばうんざりさせられつつあったが、それでも今ここで出てきたというのが意味深で思わず言葉になっていた。

「不老不死という考えは太古の昔から存在しているわ。神話などにもあるでしょう? 有名なところでは三分の一が人間、殘りの三分の二が神のだという古代シュメール文明の國家、ウルクの征服王ギルガメシュの冒険譚を描いたギルガメシュ敘事詩が有名かしらね。ギルガメシュは友人であったエンキドゥが神の怒りにれて死んでしまったとき、いずれは自分が死んでしまうことを悟って死の恐怖から逃れるために世界中を旅して回った。そのにウトナピシュテムという人間と出會い、彼が不老不死の存在であることを知る。

ギルガメシュは彼からどうすれば不老不死が得られるのかと問いかけた。そこでウトナピシュテムは舊約聖書などの元となった有名な洪水伝説を語り、その行いによって神から褒として不老不死を得たと答え、さらに六日六晩眠らなければ不老不死になれると教えたけれど、結局ギルガメシュはこれを守ることができず、不老不死を得られなかったという話よ。

不憫に思ったウトナピシュテムは最後に海底にあるという薬草をで煎じれば、不老になるといってギルガメシュをウルクへ帰した。ギルガメシュは助言に従って苦労してこの薬草を手にれたにも関わらず、その薬草を蛇に掠め取られてしまったために不老にもなれず、半神半人のまま終りを迎えることになったというわけね。もう分かるでしょうけど、この話に出てくる薬草から作られる霊薬というのがエリクサーの元になっていると考えられるわ。

ギルガメシュ敘事詩から判るように、神話の時代から不老不死というのは存在していた。この神話上から著想を得た結果、究極的には人間の不老不死という形に表れたのが錬金というわけよ」

「まさしくファンタジーとはよくいったもんだな」

俺は肩をいからせながら苦笑した。沙彌佳の話から々と考えて連想していたので、突飛な話が出てきてもまるで驚かない自分に驚いていた。いや、驚くというよりも合點がいって納得したというほうが近いだろうか。

「つまりあんたがいいたいのは、武田の野郎はその神話で起きたことを求めてるってことか」

「あら、勘がいいのね。全てじゃないけどあながち間違ってないわ。彼は神話そのものを再現しようとしてる。そのためにも彼には不老不死が必要であり、そうした霊薬をしてるのよ。それだけじゃない。彼はありとあらゆる場所と時間に偏在する”存在”(もの)を手中に収めたいと思ってる。そのために時間を支配するということは即ち、神の領域に達したといっても過言じゃない」

「言いたいことはわかるが、話についてけないな。あの野郎が神たる存在だって? 二一世紀の世の中に、そんなバカ言わないでくれ」

「どうしてそういいきれるのかしら。彼の目的が何か知りたいといったからこうして話してるのに、そう思う拠はなんなの」

れず反問してきたに、俺はうまく返せることもなく押し黙ってしまう。確かにそう思う拠となるものは何もないからだ。奴の行理由の最終目標がそうというのなら、確かにそうなのかもいれない。というよりも、それを否定する材料もないのだ。唐突に神話だとか錬金だとかいわれたところで、こちらからして見れば、はいそうですかとしかいいようがない。

しかし、ここで符號の合うことはないわけではなかった。思えば、バドウィンたちが今世界で起きていることを防ぎたいとか、そんなことを話していたのを思い出していたのだ。自分にとっての目的は決して世界がどうこうとかそんな話ではなく、あくまで妹であり、仕方なくそこに便乗せざるを得なくなった程度のものでしかない。

俺一人が加わったところで世界の流れを変えれるとも思えないし、変えたいと思うこと自、俺から言わせてもらえれば大層おこがましいことだとしか思えてならないのだ。世界を変えるには人數ではなく、もっと大きな人の意思がなければ無理なのだ。それがもし自分に害の及ぶものであれば俺は徹底抗戦することになるが、そうでもなければ然したる問題ではない。

よってそんな話は単なる夢語の一つであって、與太話の類でしかないと考えていたが、それが妙なもので、武田のやろうとしたことと照らし合わせてみると、なんとなく頷けてくるものに思えてきてしまうのだ。奴とはほんの數える程度しか會ったことはないが、いつも何かをはぐらかすように話していた。の話が本當だとすると、あのときの奴が目的を俺に話したところで信じてもらえるはずもないと踏んでいたからなのかもしれない。

どうせ話して信じてもらえないなら、最初から話す必要もないというものだ。俺が奴の立場でも同じことをしたはずだから、妙に納得がいってしまった。

「そういわれると、拠なんて何もないな。なんとなくそう思ったって程度だ。まぁ、全てを信じれるかっていえばそれも無理な話だがな。だが、今はそういうことにしておこう。だが、不老不死とタイムワープが奴の目的とはな」

「その表現は適切ではないわ。彼はその両方をしてる。というより、その二つすら真理に到達するための手段の一つとか思ってないはずよ。彼は失われたを手中に収めるために行してるということなのよ。いったでしょ、神話の中で出てきた不老不死というのは、言い換えればそこに時間という概念はないの」

「確かに不老不死になっちまったら、時間の流れなんてまるで意味をなさなくなるってのは理解できるぜ。だがわからないのは、かといってなぜその二つが真理に到達……するための手段なんだ。それ以上何を求めてるっていうんだ」

「古代エジプトにとして伝わっていたものが系化されたといったでしょう。系化というのは、普通ではし得ないからこそ、一つ一つを分解して判りやすくしていく必要がある。そうでなければ、理解できないからよ。一つ一つを理解して、それを最終的に統合して考え、かつ一つ一つも引き出せて変容できるようになるため、系化というのはあるの。

それだけ膨大なものを理解するため、実踐するためには數え切れないほどの実験と個別の理論が必要になる。真理に到達するというのは、それもまた重要なこと。一つ一つ確実に手中に収め、最終的にはそのを修めきることで真理に達する。それが彼の最終目的。そうなったとき、彼は次元の壁を超えるといっていた。次元の壁を超えるには、まず不可避とされるのが時間の攻略だとも」

の話を聞いていたら、だんだんに頭がこんがらがってきつつあった。俺は何かとんでもなく、くだらない話に付き合ってるんではないのかという疑問に囚われ始めていた。次元の壁だとか真理だとか、なんとなくどこかで聞きかじった言葉が出てきた程度のもので、そこに含まれる意味まではとても理解できるものではなかった。

「まぁいい、だいぶ話が逸れたような気がしなくもないが、あんたの話を聞く限り、その真理、といっていいのか……に到達するための知識や理論、ついでに技って呼ばれるものだという理解で問題ないか」

俺はのいうことを噛み砕いてそういった。そうとしか理解できそうにないというのが本音だったが、はその程度の理解で構わないわというので、これ以上話を掘り下げる気はなくなった。

「だが、これであんたの言いたかったことも理解できたぜ。先の転送と召喚の差はもちろんだが、召喚という理論が古代から存在していたってことはつまりだ、それも武田の求めてるものの一つってことだろう」

「そういうこと。そして、召喚を行うには転送と時間の両方が必要になる。だからこそ彼は、この実験を行っていたレオンに接を図ったということね」

「ってことは、この地下の裝置はやっぱり召喚を行うためのものじゃないのか。転送裝置としての機能と、一応はタイムワープの裝置として完はしてるとレオンはいってたが。それで召喚とやらができるのか」

「現段階では無理じゃないかしら。転送とタイムワープができたとして、召喚は難しいわ。召喚というのは、全く違う場所から瞬時にこの場に呼び寄せるためのものだから、今この世界のものであれば可能でしょうけど、彼のいう召喚というのはそんな程度のものじゃないから」

それはそうだろうと俺は頷いていた。ありとあらゆる世界、この場合なんと呼ぶべきなのか俺には解りかねるが、SF的にいえば別世界、平行世界と呼ばれる場所からも呼び寄せることを意味しているからだ。だが、それも一つの手段に過ぎないのだろう。おそらく、奴はこの世界から呼び寄せるのではなく、別世界のものを呼び寄せたいのではないかと考える。

明確な答えがあるわけではないが、奴は完璧にものを突き進むタイプのように思えるのだ。これまで數ない回數しか會ったことがなかったが、その時々の中でも自分のやりたいことのためには徹底しているように思われたので、そんな奴が中途半端のままで済ますはずがない。そんな程度のことで、俺はなんとなくの話を納得していた。

召喚などというファンタジーよろしく、そんなものは存在できるはずがないというのが俺の意見であり立場だが、どうにもこうにもそれも有り得るのではないかというのも、確実に自分の中であることでもあった。実際、地下の裝置であれだけのものを見た後では、それも不可能じゃないと考えるのは決してやぶさかな事ではあるまい。

「武田の目的ってのはわかったさ。だが、それだけじゃあんたが奴を追う理由にはならないな」

「……あなた、もしタイムワープが本當に完していたとしたらどう思う」

「唐突だな。レオンのやつも言ってたが、かといってどうこうできるもんでもないというのが俺の正直な想だ。というよりも、験したこともなければ、想像もつかないことをどうって言われても困るぜ」

これが俺の一貫した答えだが、レオンもそうだったがこのもまた、どこか含みのある臺詞にどこかわされそうになって困る。

「……確か、セント・ヘレンズの噴火原因、だとかいっていたな。あれのことか」

俺は記憶を頼りにそういうと、がそれを肯定した気配を思わせた。の影がほとんどかなかったので分からなかったが、そういう雰囲気だったのだ。

「だが、あれは巖石を送り込んだって話だろう? それに今冷靜になって考えてみりゃ、その功がいつ行われたのか分かったもんじゃない。転送の失敗で噴火させることになったとかいってたが、転送を行った時期がちょうどその噴火した時期と重なったってだけじゃないのか」

「そう考えるのも無理はないかもね。だけど、それはない。私も見たしね」

「セント・ヘレンズに送り込まれたのを、か」

「そうよ。けれど、おかしなことに事象の変化はあっても、結果の変化はなかったわ。これは起こりうる結果に対して、どういう過程を行っても結果として対象に起こる結果に変化が見られなかったということ。つまり、この場合はセント・ヘレンズの噴火に例えてみましょうか。あれはどうあがこうとも起こり得たということ。

最初の実験で行われたセント・ヘレンズ山で噴火が起こった以上、それはどんな行に変えようとも、結局起こりうることが判明した。レオンはいわなかったかもしれないけれど、あの実験は數度に渡って行われてる。けれど、巖石をどこに送り込もうとも、セント・ヘレンズ山の噴火という結果はまるで変わらなかった」

なるほどと納得しかけたところ、俺はある疑問にかられた。何度も実験を行っているだと? その結果を変えられないなどとは一どうやって判明したのだ。そういう結果をいうということは即ち、誰かがそうした観測結果を知っているということに他ならない。あるいはスーパーコンピューターにかけるなんてのもありかもしれないが、そこでそもそもタイムワープが可能という答えに導くまでも疑問だ。

しかし今のの言葉からは、どう考えてもそうとらなけば説明のつかない臺詞だった。こいつらはセント・ヘレンズの噴火という結果は変わらなかったといったが、一どうやってそれを確認したというのだ。その方法は? そして、実験の観測結果が殘されている以上、誰かがそれを見聞きした上での実験だったはずだ。

言い換えると、こいつらはすでに転送実験と同時に”生の人間”による実験をも行ったということではないのか? 俺はそう気づいて、表を険しくつくっていた。

「あら、そんな怖い顔してどうしたのかしら」

「あんたら、その観測結果をどうやって知ったんだ。巖石だけの実験だったら、何度も実験したところで結果が変わらなかったということに気付けるものなのか。

俺は専門家じゃぁないから詳しい理屈はわからないが、タイムワープの実験をしたんなら結果は変わらなくとも、その過程くらいは把握してるってことだろう? その過程をどうやって知り得たんだ。なくとも、その観測結果を知らせるための要員がいたんじゃないのか」

「そう、わかったのね。やっぱり勘が鋭いわ、あなた。だからこそこの世界で、何度も危険にを曝しながらも生きてこられたのかもしれないわね」

はあけすけもなくそういった。そんな態度のに俺は険しくなっていた表から、ますます鋭く突き刺すようにを見據えていた。どうにも嫌な想像が頭の中をめぐる。そしてその想像は、ほぼ俺の予想通りなのだろう。ほんのしでも、こんな実験を行う連中に人としての道理があるなどと思った自分がけない。

「あなたの言う通り、私たち……というよりも、レオンたちはすでに巖石の結果と同時に人間を送り込んだわ。そこから得られたデータがあなたにも見せられたはずのもの。けれど、時間を逆行するなんてだけでも被験者には相當な神的ストレスを及ぼしただけでなく、そもそも実験そのものに耐えられることができなかったから、結局は途中で中止したようだけれど」

「そういう問題じゃぁないと思うがな。あんたやレオンはそのタイムワープが完したとかいったが、結局のところ、それは不完全で完してないってことじゃないのか。そのデータも本當の結果なのかも疑わしい」

「いいえ、本當よ。いったはずよ、実験に耐えられなかった者がいたのは事実だけれど、全員というわけじゃない。あの裝置が不完全だというのはその通り。だって、時間の順行は可能だというのに、その逆、つまり逆行はできないというのだから」

「逆行はできない? なぜだ。時間を逆行するってことはつまり過去に行くってことだろう。未來には行けて、過去には行けないっていうのか」

「そういうことになるわ、殘念ながらね。まぁ、言葉に語弊があるからいうと裝置自には過去にも未來にも送ることは可能よ。けれどできない理由は、逆行したところで、今現在の私たちの世界になんの意味ももたらさないからというのが一つ。もう一つは未來に行った際にも同じことが言えるのだけど、送り込まれた被験者が結局は戻ってこれる保証がないというのが最大の原因ね。

想像してみて頂戴。過去に送られた人間は例え未來になったとしても、生きていれさえいればまた會えるかもしれないわけでしょう。けれど反対に過去に送り込まれた人間は、自分で戻ってこない限りこちらと接できる可能なくなる。これは極めて難しい問題なのよ、わかるでしょう。

そして、戻ってこれない以上、こちらに何の有益な報を生み出さないどころか、仮に一〇年前の世界に送り込まれたとして、送り込まれた人間がこちらと接するのにその人は一〇年も待たなければならない。そして、被験者はそのほとんどに問題が生じたの。つまり、実験は功したけれど、送り込まれた人間にまともな生活はおろか、人間として生きることすらできなくなったのだから実験が功したとは言い難い。生ではとても耐えられないのよ、神が。

未來に行くのはよく分からないというのが正直なところ。こっちが接できる機會自があるかすら分からないからよ。もちろん、今の時代でも未來に送り込めたのだから、未來となればなおのこと過去に送り込むことが可能だと誰もが考えたわ。けれど、結局は」

「失敗だったわけだ」

半ばうんざりしたようにの言葉を遮っていった。

「未來に、過去に安心して行ける裝置が開発されていた可能もあるが、そうじゃない可能もあるってことだろう。未來の人間だって、過去からの來訪者をはいそうですかと匿うとも思えないからな。普通に考えれば、神異常者か何かと思われるのが関の山だろう」

「そういうこと。仮にうまく接したところで、接した相手がこちら側の任務に必ずしも同意してくれるとも限らない。何より、過去から未來にやってきた人間を再び過去に送り込むということそのものに、不確定的な要素が多すぎるからよ」

がいうには、未來から過去に送り込まれると、その時點その過去が歪む可能が高いのだという。本來起こるべきものが、過去に送り込まれたことで時空の流れに歪みが生じ、起こらなくなるという不合が起こるらしい。そうすると、現在とはまるで違う世界になってしまうため、連中のいう全く意味のなさない行為になってしまう。

これは俺の持った疑問それ自といってもいい。世界が変わったということは、歴史的な事象もまた変わると仮定したほうがスムースだろう。”今”を生きる人間にとっては、歴史上の事件の真相がどうあれ、それはあくまで”過去”に起きたものであり、歴史なのだ。歴史的な事象が変わったとなれば、全く違う過程で起きたことであっても、こちらからは確認のとりようがない。

”未來”については、まぁその通りだろう。これは”今”から見た”未來”であって、未來の人間だってその時代に”今”を生きている人々なのだ。そうしたあ人々からしてみれば、過去である”今”からやって來た人間がやって來て、かつその人間を元いた時代に戻すということは、それだけでまた違う歴史が生み出されてしまう可能が極めて高いということなのだろう。

つまり、”今”から見て”未來”の人間にとって、やってきた人間を元いた”過去”に戻すだけで、世界が変わってしまい自分たちにとっても、なんら有益なことにならないということを示唆している。おまけに、仮に”未來”の人間が”過去”からの來訪者について分かっていたとしても、自分たちのいる”今”から何かを掠め取っていく盜人程度の認識しか持ち合わせないかもしれない。彼らからすれば、”今”から”過去”へと本來あってはいけないものが持ち込まれてしまうためだ。

確かにこれでは、未來に行くメリットはあまりないように思われる。未來に行くメリットは、學者や何かでない限り、大抵の場合は未來に存在するかもしれないアイテムやなんかを持ち出したい程度くらいしか、世の中の人間は考えていないに違いないからである。そして、その後に全く同じ場所に戻ってこれなければ、それはほとんど意味をさないのだから。

だが、そうした結果もありながら、やはり過去にものを送り込み、未來である”今”の観測を行った。つまり、やはり何かしら難しいとされる時間的逆行を行っただけでなく、それを何らかの形で功させていると見たほうが自然だろう。そうでなくては、そのようなデータや何も得られるはずがない。

「……そうか、過去に行った連中がほとんど意味をなさないというのは、”こちら”から観測したところで、結果は一つしか導き出せないからだな」

つまりこういうことだ。例えば今から過去に人間を送り込んだところで、戻って來れない以上観測結果は一つしか得られない。先のセント・ヘレンズに例えてみよう。レオンは巨大な巖石をセント・ヘレンズに送り込んだことで噴火したという”歴史的な”観測結果を得たといったこれはあくまで今俺たちがこうしていられる時間軸上で起きたこと”歴史”であって、それが確実にタイムワープしてきた巖石による結果だという確証は得られないはずである。

ということは現時點から過去を観測しようとしても、それは常に一つの時間軸上での観測、つまり歴史しか見れないため、やはりどうあっても『セント・ヘレンズが噴火した』という歴史的事実が記されるのみで、どういう経緯でその噴火が起きたのかということまで解りえないはずである。

しかし、このは幾度かタイムワープを行っているといっていたので、だとするなら、その行った回數分の歴史が存在していることになる。いわゆる平行世界とかそんな風に言われる歴史だ。過去に起こった歴史的な事件がその歴史である以上、現在に対しての影響は及ぼさないということはつまり、そうした理由でなければ説明がつかない。

となると、たった一箇所からの観測でそれらを観測しうることが不可能である以上は、連中が未來に監視要員を送ってその結果を収集してきたのではあるまいか。つまり、巖石を送りこんだ回數分、全く違う時間軸の世界が存在し、その時間軸上の未來から結果を集めたということだ。

こう結論づけた俺のつぶやきに、はゆっくりとしたきだったが、確かに頷いていた。

だがこれだけでなく、今このが語った途中で人間を送るのをやめたという言葉の意味にも引っかかる。これではまるで人間以外の別の知的生命を送り込んだかのような言い方だ。しかしながら、それはすぐに自分の中で答えを導き出していた。レオンが見せたあの実験、その脇役に配されていたあの狼人間の存在だ。

は人間では神的に耐えられないといった。人間では、と。

(まさか、あの化であればそれが可能だというのか)

で導き出した答えに、俺は息を飲んでいた。確証はない。しかし、地下の実験裝置で行われている意味と今の言葉の意味を照らし合わせれば、そうした答えになるのは必然的だろう。それを確かめるために聞いてみたところ、やはり肯定してみせたに小さく舌打ちしていた。

「彼らは、被験者としては非常に優秀よ。なんせ、普通では死なないもの。けれど、一つだけ言っておくわ。彼らがあんな姿になったのは、実験の必要からそうなったに過ぎない」

「まるで自分たちは関係ありませんって言い草だな。

……ふん、まぁいい。これで確信できたぜ、おたくらが再現したいってことに、あの化たちもまたその大きなファクターの一つだってことはな」

あの狼人間を使って、連中は幾度となく未來と今を行き來させているということだ。普通の人間には耐えられないが、あの化たちにはそれが可能である。ということはだ。あの狼人間は”今”という一つの現在から見て、複數の”未來”と何らかの相互関係があるということに他ならない。連中にとっては、この実験において、”現在”という今と、”未來”における今を繋ぐ唯一の接點ということになる。

これはが説明した、”実験に耐えられなかった者がいたのは事実だけれど、全員というわけじゃない”という言葉の意味から考えると、ほとんどいなかったことになるがそれに功したのが例の狼人間だったということだろう。

「理解してくれて助かるわ。けれどここまで関わってきているのなら、あなただってもうわかっているんじゃない? あのNEABの正だって、薄々づいてるんじゃないかしら」

その通りだった。これまではずっとNEABのことを単なる隕石の部に潛んでいた外來の特殊なものだと考えていたが、あの実験を目の當たりにしてからというもの、そうではないという気が薄々ながらじていたのだ。あの裝置からは、信じられないほどの衝撃波と破壊力を発生させ、通常からは考えられない効果をも生み出した。

先のNEABにしたってそうだ。宇宙から飛來してきたNEABが発生した衝撃により、何らかの影響をけたためにああいった効果を生み出すものへと変容したということは考えられる話だ。田神がいっていたように、ツングースカなどの隕石落下による効果は、周辺の生態系にも甚大な影響を及ぼす。

確かNEABは、ロシアの北中西部で起きた隕石落下地點で見つかったと記憶しているので、直接ツングースカとは関係ないかもしれないが、これまでのことからあのNEABがこの場と無関係だったとは考えられない。レオンが見せた資料群と補足説明からは、連中はツングースカの比較研究の材料として世界中にあるクレーターや隕石落下の事例を集めていた。

これが何を意味するかはもう火を見るより明らかで、連中はその中の一例としてNEABが見つかった場所と比較し、何が起きたのかを突き止めた。何より、ツングースカで起きた事例に関しては、數多の事例と比較しても謎が多い。その比較対象は一つでも多いに越したことはない。だからこそ、連中はあんなにも必死だったのだ。

「あの発で、その周辺に存在した生は軒並み影響をけたわ。それも、考えられないほど甚大な影響をけたものもね。

あそこでは本當に、全てが考えられないような事象が同時に起きたわ。生態系はもちろん、レオンからの説明もあったようなことも同様に、そしてこの世界とは違う世界の人間が紛れ込んでしまったのもね」

「この世界とは違う人間?」

「そうよ。その人こそ、武田なのよ。彼はあの発の中から生まれた人間なの。いえ、そうじゃないわね。彼は、あの発の中から突如として現れた人間といったほうがいいかしらね」

「待てよ、じゃぁあんたは武田の野郎が異世界の人間だといいたいのか」

「簡単にいってしまうとそういうことになるわ。彼はあの発の中で発生した異次元の中から突如として現れた存在」

が突然としてもあまりに変なことを言いすぎて、俺は話の端を折って考えた。あの野郎がこの世界の人間じゃないだって? そんな馬鹿な話があるのか……いや、だとしたら、あの得の知れない存在は、なんとなく頷けてしまうのも確かだ。奴がタイムワープだとか不老不死だとか、そんな夢語にも手を出そうとしているのも、それが関係しているということからなんとなくだが頷けてしまう。奴ならあるいは……そう考えてしまうのだ。

それだけじゃない。これまでのとの會話からも、それを読み取れる。奴がなぜ不老不死とタイムワープを求めているのか……この二つは一つの通過點にすぎないというのが、よりそう考えさせるに十分な気がするのだ。地下の裝置を使って連中は一何をしようといっていたか。転送ともう一つ……。

「召喚……ツングースカで起きたのは、まさかあんたの言っていた召喚とやらが起きたっていうのか。そしてそこから召喚されたのが武田だと……そういいたいのか」

「そういうこと。一九〇八年六月、ツングースカ川の上流で起きた大発は偶然にも召喚という、とんでもない時空変異事象を引き起こしたわ。その結果、この地ではそれまでとは全く違う世界になってしまったのよ。彼の出現は、この世界に一つの波を発生させた。歴史そのものが変わったといってもいい。それは、これまで行われたタイムワープの実験からも確か。

なぜこのツングースカの地が普通では考えられない事象を引き起こしたと思う? 単なる発が原因なんじゃないの。あの発によって召喚という時空変異事象が起きたけれど、その効果は決して長時間持つことはなかった。そのため、中途半端に変異事象が起きてしまったわ。

この地で確認されている生やその生態系の異常は、その中途半端に起こってしまった召喚による影響なのよ。偶然にもその場にいた生たちは発によって出現した召喚の影響で、瞬間的に伝的な疾患を伴わされたのね。異世界と中途半端に繋がったことで、全く違う生伝的に組み合わされたのよ。

あの瞬間、あの地にいた全ての生命は耐え切れずに死ぬか、生き殘っても死ねない……もっというと伝的にはもちろん、細胞レベルで死ぬ瞬間のまま維持され続けているの」

「待ってくれよ、死ぬ瞬間のままってのは……」

再び頭が混しつつあった俺は、そこでの話の腰を折っていった。補足説明されて、ようやくだがなんとかその意味を理解できた。は確かに、通常考えられる不老不死の存在らしいが、それは細胞や伝子が普通の狀態とはことなり、常に発が起きて死ぬはずだった瞬間に戻ってしまうため、という。

だから細胞がなんらかの理由で傷ついたとしても、それを発の瞬間に戻ってしまうために傷ついた細胞が再生されることになる。この結果、細胞には常に発的なエネルギーが蓄えられている狀態にあり、それをうまくコントロールすることで様々な効果を起こすことができるのだという。

これは沙彌佳の例でも幾度となく目にしているので、なんとなくだが納得がいった。、細胞には、発によって引き起こされた召喚という事象が引き起こした異世界との瞬間的な繋がりと、その発による特殊なエネルギーを浴びた影響によって、普通に生きるだけでは得られない、得られるはずのない量のエネルギーが常に満たされ続けているということらしいのだ。

そして、その召喚という特殊なエネルギー帯を発生させたのが、武田という人がこの世界に現れたことによる波及効果だというのだから、これが混せずにいられるだろうか。

「……確かにそうした事実はあったとしても、どこまでその話を信じていいのかわからないな。とても普通じゃないぜ。もっとも、普通を求めること自が愚かなことなのだろうが。とにかく、奴が召喚されたってのが今いち信じられない。可能がゼロでないにしても、な」

「でしょうね。けれど彼のいたおかげで私は生きていられたという事実があるわ。いったでしょ? 私と彼は知り合いだって。

彼はあの場に現れて、死にかけていた私を救ったのよ。でも、そのおかげで私もまた呪われたになってしまったけれどね」

そういうの言葉に、俺は力強く頷いていた。これまでの話の流れから、この話が一九〇八年の出來事で、かつを助けたのが武田という事実の憶測がそのまま當てはまっていたからだ。全く、二一世紀にあたる現在で、生き続けているとしたらゆうに一〇〇歳以上、いいや、その時點ですでに人前後の年齢があるのだから、生きていたとしても今はしわくちゃの婆さんでなくては、計算に合わない。

だというのに、暗闇に紛れて全像を把握できなくとも、雰囲気からある程度の若いだというのをはっきりとじさせるとは、その事実を肯定しなくては説明できそうになかった。それでも、理というものがそうさせるのか、頭の片隅でこれが噓だったら、などと考えていたのはいうまでもない。

「だから、私にとってきっかけを作った張本人が武田という関係になるわ」

が暗闇の中から、確かにこちらを見つめているのがはっきりと見て取れた。

「沙彌佳、沙彌佳起きてくれ。遠藤もだ」

早朝、俺は朝っぱらから大聲をあげて二人をたたき起こした。二人とも寢ていたベッドの上で、まだ眠そうに目をこすっている。それも當然というもので、まだ時刻は朝の六時半を回ったところだった。

「なぁに、こんな時間に。もうし寢ててもいいんじゃなかったの」

寢起きの機嫌の悪さに加えて叩き起こされたというのが、より遠藤を不機嫌にさせているのが窺えた。沙彌佳のほうも聲にこそ出さないが、同様に表に眠気と不機嫌さを滲みだしている。遠藤がそういうのも無理はなく、実のところレオンに啖呵を切っていた手前、まだ數日はかかるだろうという目論見から、その間は朝もゆっくりできるはずだと言っておいたのだ。

ところが、それが急転した。その晩遅くに、レオンに打診されて魔と呼ばれるが突如として現れたのだ。こればかりは、さすがの俺も驚いた。まさか、こんなにも早く訪れることになるだなんて思いもしなかったうえ、何より早すぎる。はどこに潛伏していたのかまるで答えようとしなかったため、その辺りの詳細は不明だが、ともかく俺の目の前に現れたのだ。

このおかげで俺は全ての予定を繰り上げていかざるを得なくなった。予定らしい予定などなかったのだから、結局流されるままだといわれたらそれまでだが、結果をいえばの言う通り、俺は武田の奴を始末させるということで合意したのである。というより、せざるをえなかったというのが正しかった。

「悪いが予定が変わった。今日中に出発する」

「ちょ、ちょっといきなりどういうこと」

遠藤が眠気顔に困げな表を浮かべる。

「數時間前のことだが、魔が現れた」

「魔?」

遠藤が眉をひそませる。沙彌佳はさのある表を作り、どういうことと俺に問いかけてきているのがわかった。それを目を伏せて頷くと、二人に説明する。

「俺もなぜいきなりあのが現れたのかはわからない。それこそ、が現れるまでは二日か三日くらいはかかるものだと踏んでたからな。だがどういうわけか、実際には昨日の今日で現れた。そこでと契約することにした」

「ちょっと、契約ってなんなのよ。私たちになんの相談もなく?」

「相談もなにも、あんたには関係ない話だぜ。あんたにとっちゃ俺には々と恨みがあるだろうが、それは俺の契約の話とはまるで関係ないはずだがな」

り行きで同行を許しているうちに、いつの間にか同行者として一括りにしようとしていた自分に、俺は自制の意味も含めてそう強くでた。今のところ、このも今すぐにも俺の元を掻き切ろうなどという気はないようだが、それでも虎視眈々と狙っている可能は否定できない。沙彌佳がいる限りは大丈夫かもしれないが、いつまでも同行させておくわけにもいかないというのが本音ではある。

しかし遠藤としては、やはりそう簡単にこちらから離れるわけにはいかないということだろう、だとしてもついていくの一點張りだった。向こうとしては簡単に、はいそうですかと引き下がるわけにもいかない上、諦められるはずがないのだ。しかし、こればっかりはこちらの問題なのだから復讐だろうがなんだろうが、それはあくまで遠藤の都合であって俺の都合ではない。

「だけど、なんでいきなりそんな流れになったのか気になるわ。大あなた、向こうの條件にあまり乗り気じゃなかったじゃない」

そう言われると返す言葉がない。沙彌佳のいうように、ほんの一日二日前まではレオンの頼みなど飲むつもりは頭なかったのだ。ところが、それを聞かないわけにはいかない狀況になった、なってしまったためにこんな流れになってしまった。俺は昨晩、とはいってもまだ數時間前のことだが、とのやり取りを思い返した。

本來ならあのと契約を結ぶわけにはいかないが、どうにもあののいったことが引っかかっていた。そのために、俺はこんな條件を飲むことにしたのだ。もっとも、條件自は決して悪いものではない。だが、のいっていたことが本當だとするなら、それだって不確定な要素でしかない。

「沙彌佳、お前、そのが……今のようになったきっかけとなったのに、きっかけを作った人間がいるとかいってたな」

「え? ええ、そうだけど」

俺は一度大いに頷いた。

「そのきっかけとなった人間はお前たちにとって、二人と必要ないともいったな」

今度は沙彌佳が頷く。どうやら、俺が何をいいたいのか、なんとなく察したようだった。

「どうやら、俺がお前とのきっかけを作っちまった人らしい」

そういうと、沙彌佳はしだけ間をおいて、小さく頷いた。やはり、というじだ。

「やっぱり。きっかけを作った人間というのは、必ず一度は自分の前に現れるはずといってたから。もしかしてって思ってた」

「あのいってたぜ、もし俺とお前にそういった関係があったのなら、決して離れ離れになれないとか、そこを狙って武田の野郎が現れるってのもな。それに、なんで俺が奴に狙われてるのかっていうのもだ。お前、もしかして知ってたんじゃないのか」

確認するようにいった俺に、沙彌佳はしだけ困したように眉をひそめて笑みを浮かべ、靜かに首を振った。

「知らなかったわ。だけど、バドウィンたちと一緒にいるうちに、薄々そんな気がするようにはなっていったけど。ただ、彼は私のきっかけを作ったのは自分だといってたわ。最初それが何を意味しているのかわからなかったけど、今なら良く分かる。

多分、きっかけを作った人間が一人いれば、私たちにとってはその一人だけで十分になってしまうのかも。だからこそ、彼は」

「俺を殺そうとしてたんだな。つまり、俺がお前を適合者としてのきっかけを與えてしまったというわけだ。そういうことだな」

俺と沙彌佳の間に訪れた沈黙が、肯定を意味していた。

あのは、自分や沙彌佳が特別な力をにつけることができたのは、あるきっかけを作った人間の存在が必要不可欠だといっていた。その狀況は、決して一概ではないらしい。あのの場合は、武田とその出現、つまりツングースカの発がそれにあたり、それをきっかけとして、いつしかあのは不死に近い存在になったというのだ。

だが、だとすれば沙彌佳の場合はどうなるのだろう。武田の野郎は、イギリスで出會った時、俺の名を知った途端に俺を殺そうとした。あれはそういう理由からだったというのが判明したが、なぜあの野郎が初めから俺が沙彌佳のきっかけを作った人間だということを知っていたのか。この謎は殘ったままだ。

奴はまだ何か、俺たちの知らないを知っている。奴が召喚されたとかいう話もだが、錬金だとか、不老不死、神話……全くどうしてこうも、こんな頭の痛くなるような話ばかりが俺の周りでは舞い込んでくるのか、自分の不幸を呪いたくなる。だが、あのが教えてくれたことで、その手がかりを十分に摑めることはできた。

何よりも、適合者であるあのや沙彌佳が、不死者として生きていかなくてはならないという事実――それが俺の中で引っかかる。沙彌佳が本當に死なないのかなんて、今の俺に調べようがないし調べたいとも思わないが、なくともあのの語ったことが本當であるなら、俺の妹はそんな存在になってしまったということらしいのだ。

不死者かどうかは別としても、俺の前で沙彌佳は、幾度となく考えられないことを起して見せては切り抜けてきた。このおかげで俺の命も救ってくれたことも確かにあり、それを否定する気は頭ない。ないが、だとしてもだったら不死者だなどと決め付けるわけにもいかなかった。

だが、あのは自分がそうなったのは例のツングースカの大発によってだと言っていた。あの発により偶発的に起きた事象と重なって、自分はそうなったんだと。もしそれが本當なら、あのはすでに一世紀以上に渡って生き続けるモンスターではないか。暗くてその全像を見たわけではなくとも、聲の調子からはとても一世紀にわたって生き続けている婆さんの聲とは似てもつかないものだった。

あのが実は妄想癖の強いイカれただというのであれば、これが最も現実的な結論にいたるが、あれだけの會話のやり取りをしていてそういうわけでないことは間違いなかった。つまるところ、やはり答えを二極化してしまうと、やはりあののいっていることが最も正解に近いという結論に至ってしまう。

信じたくなくとも、そういうものなのだと考えを変えなくては、とてもじゃないがついていけない。かといって、萬一の可能を考えて沙彌佳を銃で撃ち抜くなんてとんでもない行にでるわけにもいかない。

ともかくあののいう様に、適合者たちはそのきっかけを作った人間と何らかの形で結ばれているらしい。そして、その存在は必要であると同時に、それは一人で十分であるということらしい。なぜ、適合者にとって必要な存在なのかまでは口にしなかったが、それも武田を追えば自ずとわかってくるだろう。

それにしても、ここまでくると何がなんだか理解不能だ。あのの言い分では、きっかけとなった人間は自の活力、いうならば生命エネルギーのようなものを生み出すに一番最適な存在だといっていて、もはや意味不明なのだ。おまけにある特定の人間でなければいけないというのが、なんとも胡散臭くじられて仕方ない。

俺はそう思いつつも、疑いの眼差しを向ける妹のほうへ視線をやった。沙彌佳にとっては、適合者としてのきっかけを與えたのは俺だ。沙彌佳がどう思うかは別として、きっかけを作った張本人がこのまま何もしないというのはなんとなく気が引ける。

それに武田とは決著もつけなくてはならないのだから、この際あれこれ考える必要もないだろう。とにかく俺の気持ちとしても妹から離れるという選択肢は今のところ考えられない。だったら、行くところまで行ってやる。

俺は二人のケツを叩くようにいって出発の準備をさせながら、視線を外した。が別れ際にいった言葉とそのやり取りが、頭の中でリフレインしていたからだった。

「あなたの父親を見つけなさい。そうすれば分かるはずよ」

「親父が? なんで親父が関係してくるんだ。俺の親父は単なる會社の中間管理職で……」

そこで言葉がつまった。ふと、利のところに預けたはずの親父が忽然と姿を消してしまったことを知った沙彌佳が、ロシアに行ったんではないのかと呟いていたことを。

「そういえば、俺は親父がどんな仕事をしてるのか、生まれてこの方知らない。てっきり、どっかの會社で家族のためにあくせく働いてる父親ってくらいしか」

そうなのだ。俺は親父がどんな仕事をしているのか、まるで知らない。息子が二十數年に渡って親父がどんな仕事をしているのか知らないというのは、なんだかおかしい気もする。もっとも、子供などそんなものかもしれないが、だとしてもどんな容の仕事なのか、というのはこれまで一度だって話した記憶はなかった。

「その沈黙が答えね。きっとあなたのむ、かどうかは別として、きっとなんらかの答えが得られるはずよ。そうすれば、あなたたち兄妹のこともきっと解るわ」

そういったの言葉に食らいつこうと対して考えもせずに口を開こうとしたが、は現れたときと同様、突然に目の前から姿を消した。元々暗闇に紛れていたが、どうにかその郭だけは判斷できていたが、一瞬その背後の闇に溶け込んだかと思うと、次の瞬間には再び寒さを伴った空気が部屋の中に流れ込み、部屋を出て行ったのがわかった。

俺はただその場に呆然と立ち盡くしたまま、いつの間にか持ったままだった銃のグリップをガチガチに握りこんでいた。そうして、ため息を一つ、盛大につきながらベッドへ向かい潛り込んだのだった。結局一睡もできなかったが、三〇分ほど前にレオンに連絡し、のいう條件を飲んでやることと、そのために必要なものは全部揃えるようにということを伝えた。

窓の向こうは、ようやく太が顔を出そうと、東の空を焼こうとしているところだった。

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