《いつか見た夢》第119章

カツカツと無機質な廊下を歩む、一人の男の姿があった。かっちりとした制服にを包んで、そのにはいくつもの勲章が広い面積をもっていて、階級の高さとこれまでけてきた勲章への誇り高さをうかがわせる。そんな男は、いわゆる制服組と呼ばれるグループの一人であった。そんな彼がやってきているのは、ロシアでも限られた一部の人間しか立ちることのできない場所だ。

地図上には一切表示されることはなく、裏に運営されているこの場所は、設営されている町そのものもまたこの場と同様に地図上に記されることはない。ここは、ロシア國において特別な理由で設営されている場所だからである。そして、その報は局黨員であっても全容を把握することはできない。それがゆえの都市だった。

そんな都市に設営された基地、その中をこの男はある場所に向かって歩いていた。理由は、つい先日一人の人間がこの町に侵してきたことによる。軍、もっというとFSBによって厳重な警備制が敷かれているこの町に単一人で乗り込むなど無謀にもほどがあるが、案の定、その人はあっけなく捕まり現在はこの基地の取調室に拘束されていた。

報告によればほぼ丸一日口をきかなかったが、つい半日ほど前にようやく口をきいたというその男は、口を開いたかと思うとここの責任者であるこの人と話をしたいと申し出た。普通であれば侵者ごときにそれを了承するわけにもいかないのが鉄則であるため、今回もそのような手はずになっていた。

しかし侵者の男は、この責任者である人でなければ一切喋らないと再び口をきかなくなったらしい。しかも、その人にならばここに侵した理由以外にも、他の報も話そうというのだ。その容がなんなのか、それは誰の知る由もなかったが、結局埒があかないとこの人が侵者に直接対話する流れになったのである。

男が目的の部屋にやってくると、ドアの両脇に立つ二人の見張りが頷いて見張りの片割れがドアを開け、そのまま中へると続いて男が通される。連れ立ってった三人の前には、捕らえられたという侵者が一人、椅子に座ったまま黙ってそちらを見つめていた。

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「君が例の侵者という男だな。……なるほど、一人で侵しようとしてくるだけはある顔つきだ」

者の男は答えない。そういう前置きを嫌う質なのか、あるいはスパイとして教育をけたからこその態度なのか、判別に困る無表さだ。

「モロゾフ將軍だな」

囚われの男は、ってくるやいなやそう評した制服に一言そういった。そこからは、必要最低限の會話以外はしないというのが確かにじられるものだ。

「そういうお前は何者なのだ」

「スパイさ。今のところは」

「面白いことをいう。つまり、場合によってはそうでなくなるというわけだ」

モロゾフがいったことを肯定するように、男は小さく頷く。その徹底した契約者ぶりを見せようとしている男に、モロゾフは心中でどうしたものかと考える。この男は間違いなくスパイにとしてここに乗り込んだ敵であることは間違いないが、いくつか疑問點がじられるのも事実で、こんなにもあっさり捕まって見せた男になんらかの思があってこそのものだというのを思わせてならなかった。

となれば、當然男は始めからなんらかの思があって捕まり、その後こうして自分と掛け合うためだということになる。そうでなければ、いくら都市とはいえこんなロシアの僻地にまでやってくるはずがない。もし、もっと思想的な意味があるのなら、それこそクレムリンにでも乗り込むべきはずなのにそうしなかったということは、それを示唆している。

「いいだろう。お前の話に乗るか乗らないかはひとまず、話を聞こうじゃないか。どんな目的があってここにやってきた?」

「數週間後、ロシアに一人の日本人の男が訪れてくる。彼に協力してしい」

「ほう? 何が目的で訪れるというのかな」

「ツングースカ」

男の答えに、モロゾフは眉をぴくりとかした。

「ツングースカとは? 一何のことをいってるんだ」

「お互い惚けるのはよそう、モロゾフ將軍。彼はすでにツングースカで起きたことまで把握してる。まだロシアを訪れるには時間がかかるかもしれないが、だがそれも時間の問題だろう」

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モロゾフと違い、男は口調も一切無のままそういって、モロゾフに同意を求めさせる。

「仮に、仮にだ。お前の言う通り、一人の日本人がロシアを訪れるとしよう。その確証はあるのかな」

「ある。彼は父親を追って必ずここにやってくる。そうしなくてはならない理由が彼にはあるはずだからだ。それに、彼はお尋ね者でもある。ロシア側にとっても決して悪いカードじゃないはずだ」

斷言した男に、モロゾフが目を細める。ただでさえ鋭い瞳がさらに細くなった。

「彼に、ツングースカのを全て教えてやるんだ。そうすれば、彼は必ずかざるを得なくなる。今下手に自分たちの部隊をかすより、”あの男”を追うに違いない」

「あの男だと」

「そうだ。あの男……武田を必ず追う。いや、彼は武田を追ってるんだ。現在世界を混に貶めようとしている武田を追う理由は様々だろうが、単なる殺し屋じゃない彼なら、必ず武田の尾を摑む」

「やけに、その男のことを買ってるようだな。確かに我々も武田というコードネームの男の行方を探っているのは事実だが、その我々であってもたどり著けないというのに、殺し屋だというその男に武田の尾を摑めるとは思えんな」

「いいや、必ずできる。もっといえば、武田にとってはその男は邪魔な存在なんだ。武田にとっては、どうあってもその男を始末したいと考えてる。つまり、二人は互いに憎み合う敵同士だというわけだ。互いの目的が互いだというなら、それを利用しないという手はないと思うが。

それに、その男には”魔”がいる。必ず尾を摑める」

「魔だとっ」

モロゾフは思いがけない言葉に、つい語気を荒げた。もちろん、魔などという存在がいるわけではないが非公式ながら、政府、黨局員の上層部では実しやかにその存在が認められているというのも知らないわけではなかった。いや、彼も一応はその魔に出會ったことがあるのだ。得のしれないの存在に、背筋が凍るような思いをしたのはもう二〇年以上も前だったろうか。

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まさか単なる殺し屋風が、魔と繋がっているとこの男はいうのだ。だが、だとすれば確かにその殺し屋がツングースカに訪れない理由はない。いずれは間違いなくやってくるのは違いない。問題はいつか、ということだが……。

しは話に乗る気になってくれたかな」

初めて見せる、男のニヤリとしたような話しかけ方だった。これがとんでもないガセネタであれば、モロゾフも鼻にもかけないところであるが、そうでないというのをこの男自の行がそう示している。まさか、その行のために敵地にまで単乗り込んでくるだろうか。ありえるはずがない。つまり、これはかなりの報だということになる。

「その男の名は」

囚われの男は、ここでようやく無に思わせる表を崩し、端正な顔をニヤリと口元を歪ませてみせた。

「九鬼、そういえば分かるだろう」

「クキ……今世界中に追い回されているといわれるあのクキか」

「そうだ。なんだったら、俺が彼をこっちに訪れやすいようにしてもいい」

男の提案に、モロゾフはでしゃばるなと釘を刺した。しかし、この男のいうように姿が見えないクキという男の存在を炙りだそうというのに、この男が加わるというのならそれはそれで悪い話ではないかもしれない。それに、もし何かあればこの男を切ってしまえばいいだけの話なのだ。

「いいだろう。一応、作戦があるというのなら聞いておこうか」

「簡単な話だ。彼は今に日本に戻る。そうなったら、そこで彼をロシアに來るように仕向ければいい」

「ほう」

「今、アメリカで一つのきがある。外員が來日することになっているという話を聞いてる。それを利用するんだ。そちらも一枚巖ではないだろうが、FSBの工作員が絡んでいるという話だ」

再びモロゾフの眉がわずかにく。彼もまたその報をどこからかキャッチしていたのだ。基本的に報は裏に処理されているため、同じ組織にいながら全く流れてこないことも決してなくなかった。そのため、その報がどこからどこまで本當であるのか、まるで摑めないことも確かにあることだった。

しかし、このスパイである男がわざわざこんな所にまで乗り込んで捕まり、こうして提案を持ちかけるほどだから、それは限りなく事実といっても過言ではない。この男が一何者なのか判らないが、かなりの報網を有している人であることだけは間違いなかった。だからこそ、その點では非常に信頼に足るということが判斷できる。

「ここまで話した。答えはイエスだな」

「ふふふ。お前の名は」

モロゾフは再び無表に戻っている男の返答に、そう返した。

「田神――そう呼ばれてる」

その男こそ、九鬼が探していた田神、その人であった。

出立の準備を整え終わったのは、晝の一三時になろうという頃だった。旅に必要なものはレオンたちが用意してくれたので、それらはありがたく頂戴した。もっとも、用意とはいうがそれらのほとんどは武などの、旅行用ではなくまさしく暗殺を目的とした裝備ばかりで、ただでさえ重い裝備がさらに重くなってしまった。

しかし、中にはいくつかの重要そうなアイテムも手にれることができたので、それはそれで良しとしておこう。今後、それらのアイテムが役立つ時がくる可能は大いにあったからだ。俺はポケットにしまっておいたそのアイテムの一つを、おもむろに取り出して見つめた。

このツングースカの基地では、ツングースカの大発事件で起こった事象変異を解析するために、様々な研究が行われているのはすでにレオンの説明から聞いていた。その中からは當然、技として応用できそうなものも存在しないわけではなく、そのために俺が降りた最深フロア以外のフロアではいくつかの技開発もそのまま行われているということもまた確かであった。

そこで新たに作られた技がまたツングースカの研究に充てられるという、技応用の循環が行われているということだ。従來の舊ソ、ロシアのやり方は、ともすれば數を多くブチ込むことで果を上げようとするアメリカ式ではなく、幾多の可能を導き出して行うやり方であるらしい。このため、舊ソ連、ロシアの研究は的外れになることも決して珍しくないが、この結果大きく可能を広げてもいる。

多くの理論と研究が進んだ結果、それまで全く的外れとされたものが時として大きな進展を迎えさせることもある。このために、ロシアでは確立された一つの形式だけでなく、それとは別の、常に主だったものの考えややり方が行き詰まった際には、すぐに別のやり方が員されるというシステムが確率していた。

このやり方は莫大な資金が必要になる上、アメリカなどのやり方と比べると格段に時間もかかるため、それが舊ソ連の近代化を大きく遅らせた要因にもなっている。本來であれば社會平等主義を謳う以上、國民に循環されなくてはならない金が一部の人間にのみ流れるという悪循環が、まさしくそれを阻害したといっても過言ではないだろう。

しかしながら、対アメリカを意識したソ連にとって、それを本音としながらも國民の幸福などという建前の元、國庫から莫大な資金が投され、そうした數多くの理論と開発が研究されては機として取り扱われた。殘念なことに、それらの研究をした多くの研究者の高齢化により、徐々に途絶えつつあり、特に二次大戦以前から活していた研究者や、その管理者の多くがすでにこの世にいないというから、された研究データを完全に把握し、それを的確にアドバイスできる人間がいないということはロシアにとっては大きな痛手となった。

それでも、今あるものをなんとか研究に繋げられないかという考えに転換していった一九九〇年代になって、ようやくそうした研究果の多くが日の目を見ることになったわけだが、こと、このツングースカだけは常に特別扱いだったようだ。莫大な資金流はもちろん、ここの連中はあまりに余った泡銭あぶくぜにで自で全てを管理し、徹底した主義のもと多くの技を開発したらしい。

俺がありがたく頂戴したアイテムというのは、そういった技で開発されたものの一つだった。もっとも、俺は元を辿れば人の金だからなんだと騒ぐ気は頭ない。それはごもっとものことだが、結局金というのは世間の回りである以上、それがどういう形であれ使われなくては意味がない。その結果、多くの人々のためにはならなくとも、今こうして俺のもとで役立つかもしれないというのなら、それは十分に意味のあることだといえるだろう。

「それにしても……」

手にしたを見つめて、半ば無意識的に呟いていた。俺がありがたく頂戴したそれは、所謂線銃と呼ばれるものだった。近未來的な武だが、すでに実用化されていたなんて驚きだ。なにより、それを人が使うことができるレベルにまで小型化させているというのが嬉しい。嬉しいのと驚きが半々といったところだろうか。

基本的に拳銃をモチーフに設計されたこの線銃は、構造がどうなっているのか今の俺に理解できるわけではないものの、対象に向かって引き金を引けば中のエネルギーパックから発生したプラズマを出することで打ち込めるしようになっているらしかった。しかし、やはり小型化とはいっても打ち込めるエネルギーの殘量は要注意のようだった。

むしろ、小型化されているからこそ、より注意が必要だという。エネルギーは引き金を引き続ければ出続けるということなので長く引いたままにしておくと、あっと言う間にエネルギー殘量がゼロになってしまうらしいのだ。そのため、極力エネルギーを使い続けないようにしながら使うのがましい。しかし、長時間エネルギーを出し続けるというのにもメリットがゼロというわけではないので、場合によってはそれも有りだろう。

もちろん、研究チームもそれについての対策をとっていないわけではない。エネルギーが充填されたエネルギーパックが拳銃でいうところのマガジンと同じ狀態になっているということは、もし裝填されているパックのエネルギーが切れたら、それを取り出して予備のパックを裝填させるという作りになっているということだ。

これが解消されれば、多の使い勝手は悪くなくなる。後は、銃とは違うこの線銃の使い方を間違わないようにしないといけないことを注意點として挙げられた。線銃は普通の拳銃と違い、鉄などの金屬がほとんど使われていない質で構、設計されているため、銃と同じ覚で使うと、照準が合いにくいなどといった不合が出やすいというのだ。

おまけに數分の一しかないという、現代技では限りなく軽量化されているに違いない線銃の重量も、計算にれないわけにもいかない。ここまで軽ければ、もし拳銃と同様のきと速さで扱えば、早く線が飛び出たり、やはり照準が合わずにあらぬ方向へ線が飛んでいってしまうということになりかねないのだ。

さすがに滅多とこんな間抜けはしないとは思うが、やはり注意は必要ということだろう。萬一、引き金を引いてしまって自分の手足を怪我でもしようものなら、あまりにけない話ではないか。

それともう一つ。レオンの奴が萬一のためにと、魔から渡すように言いつかっていたを渡されていた。これも、もちろんこの基地で製造されたものだが線銃などとはまるで違うものだった。よく分からない代であったが、簡単な説明では”増幅”だという。

増幅とはなんのことなのか俺にはまるで理解できなかったが、レオンはこれが一番必要になるはずだといって聞かず、決して手放すなと一言いい添えて俺に手渡した。これがどういうものなのか、何一つ説明がなかったために使用法については一切知らされることがなかった。

”増幅”だというそれは、格段特殊な形狀をしているわけではないが、特に何か突起がついていたりだとか、あるいは武になるようなモノが中に仕込まれているなどといったこともない。丸い楕円型のリングで、手の平サイズも手の平サイズ、握りこんでしまえば全て握った指の中に収まってしまうほどの小さなもので、表面には継ぎ目らしい継ぎ目も見當たらない。唯一あるのは、リング狀のこれを真橫から切りにするように円周をぐるりと一周する一筋の線がっているくらいだった。

殘念ながら俺にとってはこんな用途不明のよりも、重かろうと銃やマガジンといったもののほうが何倍も使えそうなものでしかない。なのに、こんなものを手渡す魔やレオンの思が今ひとつ理解できなかった。もっとも、話の流れから今後必要になるかもしれないという、漠然とした覚からけ取ったのであるが。

「ところでクキ」

「ああ」

「君は確かシンガポール沖の海底で、巨大な裝置が建造されているといったな」

「それがどうしたんだ」

別に俺自がこいつにシンガポール沖の海底に建造されていた巨大な裝置と基地の存在をおおっぴらに言ったわけではないが、やはり、この連中はそれを把握していたようだった。もちろん、あれほどの景を見せられては、それを知らないというほうが考えにくい。第一、世界有數の諜報機関であるFSBを有するこの連中が知らないというのは、逆に不自然に思えるくらいだ。

不意にそう問いかけてきたレオンに、俺は特に気にする風でもなく準備を整え終わった荷の最終チェックを行っていた。

「それは稼働していたか」

「何が」

「だから、その巨大な裝置がいていたかといったんだ」

強くいったレオンに、俺はそこでようやく準備のチェックを終えて顔をあげた。

いてなかったぜ。代わりに、とんでもない化と出會ったがな」

「化?」

「ああ。おたくのとこの、あの狼人間みたいな奴だ。もっとも、そいつは狼というよりもっと……言葉にするのは難しいが、なんとも形容し難かったがな。そいつも初めは人間だった」

「……なるほど。わかった」

俺がそういうとレオンは黙り込み、何か思案している様子だった。男の様子に俺は疑問を持ち、何かあるのかと問い返した。すると、男は俺の問いにしの間をおいて考えた後、靜かに語りだした。

報では、イギリスが……というより、イギリスを中心とした西側が生をすでに投しているという。もちろん、それは我々もだが、連中は何処からかあれを投してきているのだ」

「あんたがいいたいのはつまり、あの空間転移みたいなのが行われてるんじゃないかってことか」

俺は妙な遠まわしにいうレオンに、単刀直にそういった。どことなく渋るような表で頷いた男に、俺は小さく肩をすくめていった。

「殘念ながら俺には、正直あれがどこまでの裝置なのかも理解できないんでね、あんたのむ答えをいえるわけじゃないがまだどことなく建設途中という印象だった。ま、あれが稼働してたら確かに驚異になるもんな、あんたらにとっちゃぁ。最悪、このツングースカに攻められても文句はいえないだろうしな」

「いや、違うのだクキ。私が考えているのはそうではない。あれが建造されているという事実はすでに分かっていたことなのだ。問題は、あれが転送裝置以上の役割を果たしているかもしれないということを懸念してるのだ」

「転送裝置以上? 今立っているこの地下の裝置だった同じだろう。何がいいたいんだ」

俺が眉をひそめていうと、今度はレオンがかぶりを振った。

「奴らの狙いさ。あのシンガポール沖の基地は、隨分前から建造が進められていたからな、おまけに他の裝置建造のノウハウを得ているから、実際にはもう使用が可能になっていてもおかしくないのだ。だというのに、未だにあそこではそれが稼働する気配がないのがな。まさか、あれにはそれ以上の目的があったのではないかと考えたわけさ」

レオンの説明に俺は首を縦にした。俺があの時に知ったのは、今年の三月に日本のN市で行われていた実験の裏計畫として進められていたものとして、シンガポール沖でも行われていたという事実くらいだが、どうもレオンの様子を見るとそれ以外にも何か隠された事実がありそうな雰囲気だ。

その気配に気づいた俺が問い詰めようとしたのを察したのか、レオンは自らそれを制するように先を口にした。

「その見たという裝置、一どういった構造をしていたか覚えはあるか」

「俺も詳しくは見てないぜ。第一、あの時はそれどころじゃなかった」

そう、あのシンガポール沖の海底にあった巨大な裝置が建造されていた基地では、あの狂人ライアン・トーマスの実験に付き合わされた結果、とんでもない化と命からがら向き合ってそれどころではなかったのが思い出される。あのとき、もし沙彌佳やバドウィンたちの助けがなければ、俺は今頃海の藻屑となっていたのは確実だったろう。

「だが、覚えている限りでは、円盤狀になった巨大な橫があったのは確かだ。それに、確かあの裝置をライアン、研究主任をしてたクソ野郎がいっていたにはタイムマシンだとかいっていた」

「むぅ、やはり連中も完させていたのか。

いいかクキ、あれは確かにタイムワープさせるための裝置だというのは間違いない。だが、あれはそれだけではないのだ。空間そのものを捻じ曲げて、そこに全く違う世界とを繋ぐゲートの役割をもっているのだ」

「ゲート? あの巨大な裝置が……」

俺はあの時に見た裝置を思い起こしていた。ゆうに一〇〇メートル以上はあったろう深く巨大なに、その中腹辺りにできていたやはり大きな橫。橫の大きさも、直徑は三〇メートルか四〇メートルはありそうなほどのものだったのを確かに覚えている。

ライアン・トーマスがいうにはタイムワープのための裝置だとかいっていたが、レオンはあれが空間を捻じ曲げて違う世界とを繋ぐためのゲートだという。両者の言い分がまるで食い違うのはどういうことなのだろう。いや、どちらとも噓をいっている可能もないわけではないが……どちらも食わせ者である可能を捨てきれない以上、どちらを信用に足るか考えものではある。

だが、それでも冷靜に考えてみると、そのどちらも同じことを言っているのかもしれないと思い直した。深夜に突如として現れた、あの魔とか呼ばれるのいっていたことが思い出されたのだ。武田がしているという、召喚というなまじ正気の沙汰とは思えないの再現。これが両者の食い違いの線上に存在しているからだった。

空間を繋ぐゲートだというのも、タイムワープだというのも両方が召喚という一つのキーワードの沿線に、そしてわっているのだ。その両方が昨晩現れた魔の口から聞かれたキーワードである以上、むしろそう考えたほうが正確かもしれない。もっとも、今それを確かめるはないが、だとしてもそういう腹積もりでいたほうがいちいち他の連中の言っていることに振り回されなくていいだろう。

「あの裝置が完しているとなると、おたくらにとっちゃぁよほどまずいようだな」

「空間と空間を繋ぐゲートというのは、転送裝置の建造よりもさらに困難を伴う。いくつかのメリットがあるが、タイムワープよりも現時點での世界の軍事バランスを大いに変えてしまう代なのだ。それを完させていながら、今だ使っていないということはまだ何かパーツが足りなないのか」

レオンはそういったきり黙り込んだ。レオンの言う通り、世界の軍事バランスはもちろん、今後數十年先、世界の覇権を制するには持ってこいの代であるということくらいは俺にだって理解できる。

もしそんなものが稼働すれば、縦橫無盡に世界中を行き來することが可能となる。この場合の世界というのは、”今”という時間軸上に多數存在する”別世界”のことである。ここを自由に行き來できれば、これまで困難だったことも難なく事務処理の如く行えるようになってしまう。

俺から言わせてもらえば、空間を捻じ曲げるだとかタイムワープだとか、そんなのは相変わらず夢語のようなものでしかない。それが使えるとしても、結局は攜帯電話やパソコンのように単なるツールとしてしか認識できないので、今ひとつ実が沸かないというのが正直なところで、武田だとかそういう連中を追う仮定でそんな話が出てきたという程度でしかなかった。

武田の野郎に弾丸をぶち込むというのが今のところ目下の問題となったので、世界の命運だとかそんなのは全くもってどうでもいい話だった。俺にとっては、そんなのはあくまでついでという程度の意味合いしかない。俺から言わせてもらえれば、最悪なクソ面倒くさいことに巻き込まれて、全ての連中を蹴散らしてやればそれで終了という話だ。

それを行うことで世界が混するというのなら、それはそれで構わない。結局、世界もその程度だということだろう。一度落ちるところまで落ちて、底を知れば後は上しかない。よって、そこから始まる何かもあろうというものだ。いつだったかライアンの野郎がいっていたことを踏襲するわけではないが、神話のように人類が破壊と再生を続けてきたというのなら、不思議な話ではなくそれもまた必然であるはずだ。

結局は、それに抗えるか、れてもなおその世界で戦い続けることができるどうか、というだけの話だ。できない奴は淘汰され、できる奴だけが生き殘る世界というのも悪くない。人類が大幅に減ったところで、地球が死ぬわけでもないのだ。むしろ、地球にとってはそちらのほうが遙かに有意義なのではないかと思えるくらいだ。

しかし、それはまぁ置いておくとして、ふざけた武田の野郎に弾丸をぶち込み心臓を停止させるということが、俺の中での決定事項である以上は武田を追わなくてはならない。何度もコケにしてくれた落とし前というのは著けさせてもらわないと、俺も後味が悪いのは確かなので、連中のためなどではなく俺自のためにそれを実行してやる。

それを行ってこの連中が俺と沙彌佳の安定を約束するというのなら、確かに悪い話ではない。今更、都會で悠々とした生活を送りたいというわけでもない。むしろ人が多ければその分敵も多くなる。となれば、暮らすのだって不便な田舎暮らし、それも自給自足の生活をするのも悪くない。もっとも、それは連中が約束を守るかどうに大きく左右されるが。

「ま、短い間だったが世話になったな」

「いいや、私はあくまで言われたようにしたまでだ」

「魔の言われたように、か」

というにはあまりにストレートだが、男は口元を吊り上げながら苦笑するに留まった。否定しない辺りがなんともいえない空気を生んだ。

「そうそう、これを持っていくといい」

そういってレオンが差し出してきたのは、一枚の書簡だ。それに目を通すと、どうやらレオン直筆の通行証だった。男によれば、これを見せれば國はもちろん、周辺諸國、つまりは獨立國家共同CISであっても十分に通用するものだという。場合によっては、対西側にもこれで切り抜けられるだろうとのことだった。

こうして改めて考えてみると、レオンという男の立場は大層高い地位にあるのだと思い知らされる。何か問題があっても最悪実力行使でいく俺の考えからすれば、これは願ってもないものだった。もっとも、今は沙彌佳がいるから仮に何か問題があったとしてもそれを頼ったほうが遙かに効率がいいのは確かだが、ここは”正規の許可証”を持っていたほうがより安全といえるだろう。

思い出したように渡してきたレオンだが、実際にはこれを渡すためにわざわざ見送りに出てきたのかもしれない。一応、魔と武田との始末をつけるということを契約したからこその対応なのだろうが、あるいはこうなることもすでに読んでいた可能もある。俺自の引っ掛かりがなくなれば、後は貰えるもの、使えるものは全て頂戴しておくというのが流儀だ。

そして、最後にレオンが用意してくれたのは、移に不便のないようスノーモービルだった。武の類はもとより、このスノーモービルの支給はある意味で最も嬉しい誤算だったといえるだろう。これで格段に移が楽になるのだ。これで次の目的地となる軍所有の特別発場に行くことができる。

ゴロゴロという新雪を踏みしめる軍用車両の進む音に、そちらのほうへ顔を向ける。この車両で、途中までは送ってもらえるという算段になっていたのだ。俺が武田の始末をつけると決めた途端、連中からける待遇は目覚しいほどの高待遇となり、俺があれが必要だこれが必要だといえば、できる範囲であればすぐに用意すると申し出てきたほどだった。

よほど武田のことをどうにかしたいらしいというのが窺わせるが、かといってそれらを鵜呑みにしてしまうのもあまり良くないといえるだろう。俺のような世界に生きるからこそ、こういった連中にとって使い捨てといっていい殺し屋にここまでの破格待遇を出すかという疑問の余地が常に存在しているからである。

それを常に忘れないよう自分に言い聞かせながら、俺たちは車に乗り込んだ。運転手が一人いるだけで、後は俺と沙彌佳、それに相も変わらずついてくると言い張る遠藤の三人のみである。おそらく、これも不用意に俺への敵愾心がないことへのアピールなのだろう。なくとも、連中にとっては目的を達させるまでは下手に出ることはないだろうが、それでも決して俺の敵愾心がないとはいえないというのを踏んでのことだ。

実際のところ、俺自も連中からの施しは有り難くけるとしても、全くの味方として考えるにはさすがに無理があるのだから、最悪の場合に敵が複數よりも一人の方がまだいくらか気が楽になるのも確かだ。それに、車中で何かしら會話をすることになった場合も考えて、やはり敵はないに越したことはない。

乗り込んだ車両の中には、荷臺部分に三臺のスノーモービルが収納されていた。車で行けるところまで行き、そこから先はこのスノーモービルで行く予定になっていた。途中、どうしても針葉樹林を行かなくてはならず、この車両ではその針葉樹林を抜けることができないのだ。

しかし、より近代化が進む現代ロシアにおいて多のインフラも進んでいて、途中までは陸路で行くことができる。これにより、シベリアとはいえど主要都市にまでなら大きく迂回ルートを使わずとも行軍が可能となっている。そのため、スノーモービルが必要になるのはそこよりももっと北の地で、ということになる。

これから俺たちが向かう場所は、殘念ながらレオンの管轄外にある場所のため、それまではなるべく事を起こさない方向で話が固まっている。それでも途中までは、この許可証で素通りできるというので、それならばということになった次第である。

ともかく収納されているスノーモービルは、そもそもが軍用ということもあってか通常のものよりもだいぶ大きく、前に運転手席、後ろに補助席という二人乗り用になっている。同行者が俺と沙彌佳だけの二人なら荷も含めて二臺で事足りるのだが、おまけがいることで仕方なく三臺注文する必要が出てきたのである。

もちろん、その場合でも二臺にできないわけでもないが、一〇〇パーセントの信頼をもてない遠藤が最悪裏切る可能を考慮すると、やはり一人と二人という二臺では危険が伴うため、仕方なくこうなったという次第だ。まぁ、一人一臺となったおかげで、あの數日に渡った徒歩による雪の中の行軍を考えると、大幅に疲労が軽減されることになるだろうことは謝しなくてはならないだろうが。

こうして俺たちは、レオンに見送られる形でツングースカの都市を出ることになった。車は俺たちが乗ったのを確認するとすぐに発車させ、車中に聞きなれない振音とその発生原因である雪を掻き分けく踏みしめていく振が伝わってくる。どうやってここを壊滅させようかといった考えにも囚われた時もあったが、連中から変な頼みごとをされながらも、無傷でここを出ることができたのは幸運だったとしかいえない。様々なことが重なったとはいえ、これを幸運と言わずなんと呼べばいいのだろう。

それだけでなく、連中はここで本來なら一國のトップですらほとんど知らされない容の実験を繰り広げており、あまつにはそれを見せるというおまけ付きだ。これだけでも十分ここに來た甲斐はあったというものだが、武田がどういうわけか俺を付け狙う一端を知ることができたのは収穫だった。これまで、どういうわけで奴から狙われなくてはならなかったのか疑問だったのだから、やはり幸運だったとしか言い様がない。

車中は小さな小窓が左右の両側に一つずつついているだけで、非常に薄暗かった。それ以外には向かって前方に、運転席に繋がる窓があるだけだ。おまけに後方には三臺ものスノーモービルとあって、搭乗者三名の俺たちはそれぞれが非常に集しているといった合だ。荷は、お互い座り込んだにできた空間に、半ば抱くような狀態である。

座り込み胡座をかけないでもないが、ともかくあまりじろぎできるようなスペースはほとんどなく、始めのうちはいいだろうが、これが何時間も続く行軍になるのは確実であるため、こまめに適度な休憩が必要になるだろう。そのためのいくつかのポイントもレオンから聞き、目的地までのルート上で休憩できそうな場所も予め決めていた。

ともかく、俺たちはエニセイ川に近いノリリスク市へと向かうことになっていた。ルートとしてはまずツングースカを離れてエニセイ川に沿って北上しイガルカ市にり、そこからは船で舊タイミル自治管區の行政都市であるドゥディンカ市に、その後目的地となるノリリスクへとるルートである。

これ以外にもルートがないわけではないそうだが、北シベリアというツングースカよりもさらに厳しい環境の地方へと赴くにあたり、もはやきちんと整備された道などはないに等しく、いくら軍用車とはいえ立ち往生しないとは言い切れないらしいのだ。

そこで今回は急がば回れという故事に従って、ここは連中の示したルートで向かうことにした。実際に、地図上で見ると直線距離なら陸を真っ直ぐノリリスクへと向かうのが最短なのだが、地元の人間は元より、訓練された軍人やその裝備ですら立ち往生してしまうような場所では、さすがに遠回りした方が利口だろう。

それでも限界はあるというもので、レオンはこのツングースカ基地から最初の目的地であるイガルカ市や行政都市であるドゥディンカ市までは行けても、そこをこの車両でノリリスクにまで行けないというのだ。理由もやはり、そこではこのツングースカとは似たような理由であるそうだが、互いに都市の基地を保有するということもあって、互いが完全に獨立した特別區として全く流が取れないという。

つまり、レオンの権力は大抵の軍やあるいはFSBの軍には有効でも、そうした獨立した地區や基地では、そうした効力はほとんど失われるということである。また、それまでにある二つの都市においても、とりわけ行政都市のドゥディンカ市はノリリスクの基地側とは獨自のコネクションがあるそうで、そこでは今回のように役立ちそうな道の補給などは期待できそうにない。これはつまり、ここで補給した後は、事実上ほとんどそうした援助はできないことを意味している。

それでも俺たちは行かなくてはならない。あの魔がもし、あの男がいるとしたらそこかもしれないと告げたからだ。武田の野郎はある時から、姿を消してしまっていて消息が摑めていないらしい。しかし、その側近らしい男の姿をドゥディンカで確認されたそうで、となれば奴がもっとも潛伏している可能が高いのはこのノリリスクということになるだろうということだった。

これに伴い、その人の顔寫真を見て俺は驚いた。寫真を見せてきたレオンの前ではほとんど無表のままだったとは思うが、それでも心では驚かないはずがなかった。側近らしい男というのが、以前バドウィンやカナダ人寫真家のジョージが撮った寫真に寫っていた、ドミトリー・ボーリンであったからだった。

ツングースカを出た俺たちは、レオンの計らいによって與えられた軍用車に乗り、まずは最初の中継地となるイガルカ市にった。途中、點在している軍の中継基地で車両の燃料などを補給しつつ、その時以外は外に出ることがない、なんとも息苦しい行軍だったものだがなんとかここまで來れることができた。しかも、ツングースカを出て四日でイガルカにまで辿り著くというちょっとしたおまけ付きである。

一時は猛吹雪に遭ってしまい、車を進めようにも進めないという狀況にすら陥ったりもしたため、このペースでは一週間近くはかかるかもしれないと予想したものだった。しかし結果としては四日でたどり著けたのだ。イガルカからは船に乗り込みエニセイ川を航行、北上し、ドゥディンカを目指すことになる。冬季のエニセイ川クルーズに灑落こもうというわけだ。

ただし、すでに秋も終わりがけとなるとこの地方では當然辺りは雪に覆われ、さらに、いくら世界有數の大河とはいえエニセイ川の表面は氷に閉ざされる。このため、レジャー目的の船は基本的に航行できなくなり、砕氷船の航行が一般的だ。もっとも、北極海クルーズというのもあるため、観目的のために砕氷船がないわけではないが。

もちろん今回俺たちが使うのは、軍用達の砕氷艦だ。なるほど、レオンの奴が発行した免狀には中々に効力があるらしかった。軍用達の船というのは決まっていて、軍自ら所有する砕氷船か、あるいは軍と何らかの関連を持つ企業の使うものに限られる。そのため、レオンの免狀も十分に効果が期待できるというわけである。

こうして船に乗り込み丸っと四日は船に缶詰となるが、五日目の晝頃にドゥディンガへ港し、そこではレオンの免狀が効力を発揮できた最後の地點だった。単なる距離の計算だけなら、もっと早く著く概算もしていたがこれが思った以上で、川の表面が凍りつき、確かに砕氷船でなければここを抜けることは不可能だと深く思わせるに十分なものだった。

日本ならようやく冬支度になろうという時期であるが、この地方はすでに完全に真冬、それも日本ではほとんど験不可能なレベルの寒さだった。いや寒さというにはあまりに厳しいもので、極寒、この言葉こそが相応しい。高山のように、例え空が晴れていても、ものの數十分であっと言う間に白だけの世界に早変わりしてしまうほど天気の変化が著しい。

さらに、この地方は北極圏というだけあって、晝だというのにまるで夜か日が沈んで薄暗くなった夕方のような、あるいは夜明け前のような薄暗さがあるだけで、とても晝間とは思えない。こんな極寒の町をロシアは閉鎖都市として指定したのだから、よほど重要なものがあるようだと考えながらも、とにかく一刻も早くノリリスクに赴くことだけが俺の中に強くこだましていた。あまりにも寒すぎて、すでに半ば覚がなくなりつつあったのだ。

閉鎖都市は晝間だというのにほとんど人通りがなく、不気味に沈み返っていた。時折人がいるのを見かけたが、その全てがすぐにも手近な建に隠れるようにっていき、とても人が住んでいる町とは思えない。こんな極寒の世界で、俺たちのように外を出歩くこと自が自殺行為なのだろう。

ともかく、こうしてドゥディンカにった俺たちは、ここですぐにもスノーモービルで南へ、ノリリスクを目指すことにする。ここからはレオンにとっても、自の肩書きが効力を発揮できない領域であり、ここまで送ってくれた軍用車はまたツングースカまで引き返すことになっていた。當然ノリリスクまでの行程は決して一筋縄ではいかないだろう。

ドゥディンカにった俺たちは、そこで一端レオンの息のかかった奴が住むという住居に行き、そこで一晩を過ごした後、寒さにスノーモービルがやられていないか等、簡単な整備を手伝ってもらい就寢した。住居人は俺たちが來ることを事前に聞かされていたのか、こちらが要求する全てのことに相槌を打つ程度でほとんど質問などをすることはなかった。ただ來訪者に食事とベッドを提供し、場合によってはスノーモービルの整備を行う、ただそれだけだった。

そして、冬至に向かって日に日に太の明かりが無くなっていく町の中で、出発するなら人がほとんどかない深夜がいいということで、日付の変わった午前二時頃に出発することを提案し、ノリリスクまでのルートはもちろん、街の方がどうなっているかなどの報を聞き出すことも忘れない。こうして、住居人を殘して俺たちは提供してもらった決して広いとはいえないベッドにを橫たわせ、出発の時間までしばしの休息を取った。

休息を取った俺たちは、日付が変わってしばらく経った午前一時頃に目を覚まし、すぐに準備に取り掛かった。就寢したのが午後六時前だったので、ざっと七時間程度はベッドで橫になっていた計算になる。もっとも、は疲れていたのに興からか、あまり眠ることができずにいたのだが。結局眠ったのは午後の一〇時かそこらという時刻だった。

それでも仮眠としては十分なので、俺は再び住居人に提供してもらった早すぎる朝食をとって、すぐに準備に取り掛かった次第だった。住居人は、わざわざ朝食を作ってくれていたので、俺たちが休んでいる間も一人ずっと起きていたのかもしれない。

「それにしても、とんでもない寒さ……早く行きましょうよ」

遠藤があまりの寒さに服の上からっている。もちろん、それは俺も似たようなものだった。ここに訪れることを計畫した時點で、レオンの奴がご丁寧にも極寒対策のために支給してくれた皮のコートのおかげで、その寒さを免れてはいるものの、それも一時凌ぎなものでしかない。この中を俺たちは強行軍でノリリスクを目指すことになる。

「ねぇ、早く」

寒さに耐えかねて、普段はほとんど自分から何かを要求してこない沙彌佳が、珍しく促してきた。沙彌佳も遠藤と同様、コートの上からを抱くように寒さに耐えている。俺は頷いてスノーモービルのチェックを済ました。こんな極寒の世界では、ほんのちょっとのことが命取りになりかねない。だからこそ、絶対に出立前に準備を怠ってはいけないのだ。

「よし、行こう」

住居人と二人でスノーモービルの準備を整えた俺は二人にそういって、スノーモービルの後部座席部分に荷を放り込む。二人も同様に荷れると、エンジンを吹かした。エンジン音と共にあまり聞きなじみのない回転音が聞こえ、妙な不快を覚えさせる。二重構造になったレンガ造りの建家に、三臺のスノーモービルのエンジン音が響き渡った。

スノーモービルがいつでも発進可能であることを確認すると、住居人はガレージを手で開けた。開かれたガレージから俺を筆頭に沙彌佳、遠藤と、それぞれが乗ったスノーモービルが飛び出していく。寒さに耐えれるよう、コートの下に厚手のシャツを著込み、走行中寒さにやられないようフェイスマスクを覆っておいたので、一応はマシのはずだ。

俺は後続二人がついてきているのを確認すると、ついでといわんばかりにドィディンカの町の方を眺め見た。これといった目立つような建などなく、その全てが町の企業や製造に従事している人間たちの家や必要日用品や食料品が並ぶショップが數える程度あるだけの、小さな町だった。

それでも、小さな建の向こうにはドィディンカの港にある古ぼけた、コンビナート・クレーンが異様な雰囲気を醸し出しているのが、真っ暗な夜の中からでも窺えた。そのクレーンを目に、俺は二度とこんな町にくることはないだろうという予を思わせつつ、前を向いた。閉鎖都市というだけあって町の周囲にはツングースカ同様に、軍管轄のバリケードが築かれているので、まずはこれを突破しなくてはならない。

住居人によれば、通りを抜けて町外れにあるバリケードを行くのがいいという。監視員の姿もほとんどないだけでなく、この時期からは周辺に大量の雪が降り積もって、小さな建家くらいは簡単に覆い盡くし埋もらせてしまうほどというほどだというから、ジャンプ臺の要領でバリケードを突破できるらしいのだ。

スノーモービルなど運転したことのない俺だが、そうまでいわれてはやらざるを得ない。そうしなくては、結局は捕まって処刑されるのがオチだ。どの道俺は今のところ指名手配されているなので、それを免れるにはそうするしかない。かといって、ここでずっと立ち往生しているわけにもいかないのだ。

俺は二人に、住居人から教えてもらった場所へと向かうため手を差し出して指示をした。俺がハンドルを切って盛り上がり始めた斜面に乗っかると、続けざまに二人もそこに乗り上げ一気に速度を上げていく。暗さのために分かりづらいが、今のところ天候は悪くないらしい。高速で走っているにも関わらず、ゴーグルにほとんど雪がかからないところを見ると、晴れているようだった。なくとも雪は降っていない。

盛り上がりに乗っかってすぐに、視界の先、右後方にバリケードらしきものが確認できた。すると話しの通り、盛り上がった先が途端に削れたようになくなっており、そこが話に聞いていたジャンプ臺というのが分かった。

俺はもう一段階ギアを変えると、一気にバリケードを飛び越えるために速度を上げた。速度を上げた途端、今まで雪の地面をっていた覚が消えた。その瞬間、肝っ玉を握りこまれたように全がすくんだのをじ、俺は思わず運転席でこまらせるような勢になっていた。

間までその違和にすくんだのを思わせると、次の瞬間にはスノーモービルは大きな音を立てて新雪の壁にぶち當たっていた。そこへ立て続けにスノーモービルが半ば突き刺さるんではないのかという合に雪の地面に著地した。どうやら二人とも功したらしい。

俺はを打ち付けていないことを簡単に確認すると、すぐに勢を立て直し再び雪面をるように走り始めた。これくらいのことでは大丈夫のように設計されているとは聞いていたので、問題はないはずだが、どことなく不安に思うのはこれがロシア製だからなのか、あるいは有り得ないことをやってのけた直後だからなのか。

ともかく、俺たちは再びノリリスクを目指しドィディンカの町を抜け出した。

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