《いつか見た夢》第121章

暗闇の中を、くぐもったき聲をあげる人がいた。しかし、その人は今自が暗闇の中にいることを認識できてはいないだろう。

椅子に座らされている人の頭には真っ黒な袋が頂辺から口元のあたりまで被せられており、袋ごと口元に猿轡がかまされて袋がずり落ちないよう配慮されていた。両手は背もたれに後ろ手に縛られているだけでなく、両足首も同様に椅子の足に完全にくくりつけられている。おまけにその椅子は床に據え付けられているため、必死にもがいたところで倒れることもない。

「うぅ……」

聲の主はだった。それもまだ若いだ。は拘束された頭をもたれさせ前傾姿勢となっているため、猿轡を噛まされた口元からはたらたらと唾が垂れ流しにされていた。抵抗の意思を示してか、くぐもった聲を上げる度に滴る唾の量が増し、それを気にして靜かになったかと思えば今度はその唾が座らされている太ももなどの上に垂れ、嫌なに齎している。そのせいでまたもがき、また唾が滴るという悪循環に陥っていた。

「もう十分だろう」

突然、暗闇の中からまた別の人の聲がの耳に響く。男の聲で、ロシア語を喋った。その男の合図で、暗闇だったその場に徐々に燈りがつき始めた。暗闇から突然明るい場所に行くと目にダメージをけるという配慮から、燈りはゆっくりと周囲を照らしていく。

「さあ、そろそろここにやって來た目的を話してもらいたい」

完全に燈りがついたところで、男はそういって拘束されるの元に歩み寄り、強引に被らされている黒い袋を取り払った。強引に袋を取られたため、の黒い髪も摑まれて引っ張られていった。

「うっ」

は明るくなった場所で突然袋を取り払われたため、強烈な量が眩しく痛みどころではなかった。そのせいで、再び口元から唾が纏まって滴り落ちていく。しかめた表に口を猿轡に噛まされ、手足を拘束されてきが取れない。それだけで、猛烈な勢いで嗜心の芽が這っていくのを男はじていた。しかもは中々にしいで、おまけにわざわざこんな場所にやってきたスパイというから、男にとって格好の獲だった。

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しい黒い髪に、強い意思を持った瞳、それに白い。その顔立ちも整っているとなれば、そこになんのも沸かない男など存在しないだろう。それが、たとえこんな特殊な狀況であってもだ。

「それで? なんでこんな場所にやってきたのかな、ガスパージャ・エンドウ」

「うぅ……うぅぅぅぅ」

男に問いかけられて唾を垂らしながら、眩む片目をつむったまま男を睨んだのは遠藤だった。その表には怒りのが見て取れる。

「そう睨むな。これも仕方のない措置だというのは、スパイをやっている君なら良く分かるだろう」

そういう男は、黒っぽい地味なスーツを著ていて明らかに僚といったていだ。罠にかかった獲をどう料理しようか考える狩猟者のような笑みをうっすらと口元に浮かべ、しい東洋のを舐めるように見下している。遠藤は男の視線からそれをじ取り、さらに抵抗の意思を見せる。

しかし、それも束の間、男は足を上げて遠藤の撃たれた太ももに思い切り踏みつけた。

「ぐぅぅっ」

まだ足に食い込んだままの弾丸は遠藤に痛烈に存在を示していて、そこを突然足蹴にされて遠藤は絶する。痛みに見開いた瞳にも管が浮き出る。

「さあ、早く言いたまえ。おっと、このままでは無理だったな」

始めから分かっていたくせ、男はわざとらしく告げながら部下に遠藤の猿轡を外させた。だらりと多量の唾が猿轡との間から垂れ落ち、薄い粘著を持った明のが自の太ももと、まだどけていない男の黒の革靴にかかる。その様子を黙って見ていた男は、明らかな汚と判斷して眉をひそませると、お返しと言わんばかりに銃創部分をぐりぐりとさらに踏みつける。

「がぁああああっ」

再び上がった絶が室に木霊する。拘束される前から痛みをじていた部分に、どうしようもない激痛が遠藤の理に訴えかけてくる。

「せっかく話せるようにしてやったんだ、話せ」

なおも強く踏みしだく男に、遠藤は味わったことのない苦痛に気丈にも悲鳴を上げることなく耐える。しかし、ここぞと言わんばかりに男は確実に傷をより大きくしてやろうと靴の角で傷口を広げようとする。

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「あくぅ……あ、あたしは別にここに來たくて來たんじゃない、連れてこられ――ああっ」

素直に言ってところで止まらないということくらい遠藤にも分かってはいたが、例えそれが真実だとしても、男のむ答えでない限り、決してこの苦悶から逃れることはできなかった。真実か否かというのはさしたる問題ではない。男にとって、都合のいい理由こそが真実なのだ。

そしてこの男にとっての真実は一つしかなかった。男は、を徹底的に痛めつけ苦しませることに快を覚える真正のサディストだった。それも、だけの苦痛こそ男を興の坩堝へとう、ただ一つだけの真実だった。つまり、遠藤にとって最悪なことに、ただ自分は苦痛の悲鳴を上げるためだけの存在でさえあれば、それでいいのだ。そのためにわざわざ部下に殺させず、ここにまで運んできたのだ。

「そんな理由が通じると思ったのかな? 違うだろう? 言え、お前はなんのためにここへ來た」

「うあっ、ぐあぁぁっ」

遠藤の悲鳴とも言えない悲痛なき聲が、室に木霊し続ける。工作員としてもちろんある程度の拷問への対処法も學んだ彼も、想定していなかった苦痛にもなかった。ただ、一刻も早くこの時間が終わるのを祈るしかできなかった遠藤の脳裏に、ロシアにやってきてからというもの、図らずもずっと行を共にしてきた二人のことを浮かばせながら。

カンカンと金屬質特有の乾いた足音が周囲に反響させながら、俺たちは錬所地下にあった施設の中を走っていた。もちろん都合、敵に見つかる概算が高いが、どの道連中にはすでに知られているのでもう気にする必要はない。ならば、しでも連中を探せる時間を作ったほうが得策というものだろう。

先ほど降りた所は薄暗く、赤いランプが一帯を照らしていたためか重要な場所であることを予させたが、一旦通路にるとそこはそれまでとはまるで違う空間だった。通路と床は黒く、金屬らしい素材でできているようだが鉄とは明らかに違う質で作られており、壁にはアクリル質を思わせる素材の白いもので、それそのものが照明の役割を果たしている。通路床の隅の部分にも時折、似たような素材と真下から通路を照らし出すための照明が點在していた。

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まるで気分はSFの世界に吸い込まれたような、そんな気分にさせられる。もちろん実際には映畫や何かで見るものとは明らかに違い、よりリアリティを強くじさせ、重々しく機械的な重厚が漂っている。そんな通路を俺たち二人は巨大な迷路で彷徨うプレイヤーの如く、妙な焦燥に煽られながら走っていた。

「また分かれ道だわ」

先に見えてきた通路は、四辻に分かれていた。分岐點に著たところで俺たちは立ち止まりそれぞれの方向を眺めて回る。

「連中どっちに行ったと思う」

「わからないわ」

「だよな。……仕方ない。ここからは二手に別れて行しよう。これを」

そう提案した俺は、沙彌佳にレオンから手渡されていた役立ちそうな道の一つをサックから取り出して渡した。

「通信機だ。ロシア製だからどこまで信頼できるかわからんが、ないよりはマシだろう。こいつとセットらしいから電波を飛ばして今いる場所が確認できるはずだ」

「なるほど。GPSに報が表示されるようになるのね」

頷いて、俺たちはそれの電源をオンにして耳につける。すると、持っていたGPSに現在いる場所の大まかな表示が映し出される。レオンの説明では、周囲の電波や音波などの反響をデータ化し、それをGPSに立化した映像として映し出すことができるというものだ。他にも、通信報もキャッチできる仕組みにもなっているらしい。

「俺は左だ。お前は右を」

真っ直ぐも考えたがここは左右を行って、もし何もなければまた戻ればいいという考えで左右に曲がる通路をそれぞれ行くことにした。もっとも、おそらくそれぞれの先にも似たようなものがありそうなのが予見できるが。

「分かった。気をつけて」

早速小走りに進みだした俺の背中に、沙彌佳はそういって走り出した。沙彌佳の走る足音が響き聞こえる中、俺は、お前も気をつけろと、俺以外には誰にも聞こえない聲でいい、ぐんぐんスピードを上げていく。すると、すぐに手元のGPSに反応があった。俺が走ることで周囲に反響していた音に反応して、耳につけた集音機能のついたモニターがGPSに解析したデータを送り込んでいるのだ。

何気なくGPSの畫面を覗くと、ポリゴンの多面様の立映像が映し出されている。あくまで音が響いて返ってくるところまでの報だが、確実に映像はこの施設の全像を構築していっているようだ。しかも、反対を行った沙彌佳が送ってくるデータも同様に解析しているため、向こうで蓄積させるデータもこちらに映し出されている仕様だ。

これなら、確かに施設全の構造が分かる。なるほど、レオンも大したものを渡してくれたものだ。これは潛などを行う場合には、非常に役立ちそうだ。いや、今現在すでに役立っているのだから、これは優れものだといってもいいだろう。おまけに、データをやり取りするための中継裝置を必要としないのが最大の利點というから、大いに満足いくものだ。

通路はどこまで行っても似たような仕様になっており、だんだん辟易しつつあったが、それもようやく終わりを迎えようとしていた。目の前には、これまでとは明らかに違う構造をした扉らしいものが見えてきたのだ。GPSを確認すると、やはり沙彌佳の方も同様に通路の先で扉にぶち當たったらしい。

扉の前にくると、脇にある開閉裝置を確かめる。どうやらカードロック式で、この手の施設としてはやや古めかしくじる。カードの差し込み口の下には、手で開閉ができるためらしいテンキーが據え付けてある。もし萬一カードが無くとも、所屬コードとかそういうものを力すれば開くというシステムだろう。

「ちっ、まずったぜ」

俺は舌打ちし、何かこじ開けることができそうなものがないかを探し周囲を見回すが、役立ちそうなものが落ちているはずもなくゴミひとつ落ちていない。本來ならばここを警備する連中から侵用のコードキーか何かを奪うつもりだったのに、異様な事態の隙に侵したことのツケが回ってきたようだ。

こんな場所で立ち往生している場合ではないのに、どうすることもできない俺のGPSに見慣れない、九文字の見慣れない數字の羅列が表示された。”084366327”、そう書かれた文字を見た時、即座にそれがクリアコードであることを理解した俺は、その數字を手解除のための數字ボタンを押して力した。

すると、ピッというなんとも間抜けな音がして、ドアの上にある赤っぽいランプがクリアを示すものなのか緑に変わった。どうも、反対側にいる沙彌佳がこの解除コードを送ってくれたらしい。ということは、沙彌佳も似たような狀況で、多分敵がいたんだろう。沙彌佳は例の不思議な力を使って一時的な催眠狀態にしたと考えて差し支えないはずだ。

開いた扉にってまず目に飛び込んできたのは、真正面がガラス張りになった先に見える赤黒い巨大な空間だ。ここは、なんらかのオペレータールームといったところのようだ。それらしいモニター類はもちろん、その前には椅子があり、奧は階段を降りて一段下がっている。そして、その全てに何らかのデータを數値化したものが映し出されている。

そのいくつかの畫面を見ると、そのほとんどで映し出されている數値やデータは、ガラスの向こうに見える巨大な赤黒い空間の中にあるあの球裝置にまつわるものであるらしいことが判斷できた。俺は何気なくそののひとつのモニターに近づいて、適當にスイッチやボタンを押してみた。

すると、すぐにそのモニター畫面が切り替わり、そこにはデータ化された資料が現れる。その畫面の資料を手元のスイッチでスクロールさせていくと、あるところに見慣れた文字の羅列が見つかった。

「NEAB-4……だと?」

思わずその言葉が口から出ていた。NEABはもはやお馴染みだが、4ということはつまり、第四世代ということだ。以前ライアンの野郎が口走っていたことと照らし合わせると、そのような意味合いになる。あの野郎は自の研究を持って第三世代と言っていたから、第四世代となると更なる進化を遂げたということか。

一気に興味の湧いた俺は、その資料をなんとか電波に飛ばせないかと考え周りを探ってみたが、舊世代による徹底的な殺人機械になるための教えをけている俺には、そんな用なことができるはずもなく諦める。こういうとき、もうしデジタル方面の勉強もしておくべきだったと後悔したところで遅い。とりあえず今のところは分かる部分だけでも見ておこうと判斷し、資料に目を通していく。

ツングースカに潛する以前にも、隕石などについての資料を事前に見たことがあったあの時と同様、今回も専門用語の羅列ばかりである資料に四苦八苦することは目に見えていた。それでも拙いロシア語彙を自分の中で消化しつつ資料を読み通していった。

それによると、一年以上も前にライアンが言っていた第三世代は完しており、それに連なる形で第四世代も完していたなどといった件くだりがあった。一年前といえば、俺がまだ坂上の研究所を訪れる何ヶ月も前のことだ。ライアンが坂上の研究を半ば引き継ぐ形で次の段階へ進めたのは本人の口から聞いて知ってはいたが、それがさらに次の段階に進んでいたなんていうのは初耳だった。

そこから先にも々と興味深そうな容らしいことが書かれているようだが、俺には大半が解読不可能の文字列でしかなかった。沙彌佳や遠藤がいればツングースカ潛前に見た資料の時のように意訳なりしてくれるところではあっても、殘念ながら今は二人共いない。

けれども、時折NEAB-4という文字が現れるので、その資料が一貫してこのプロジェクトについて語っていることだけは理解できた。難解な言葉が延々と続き、所々に見知った言葉が現れるといった合のテキストではだんだんと見るのも嫌になってくるもので、いい加減テキストから顔を上げようとした時、そこでようやく俺にも理解できる言葉が出てきた。

いや、そこだけは妙に生々しくじられて仕方なかったかもしれない。どういうわけか、そのリポートの段落には”sayaka”とはっきりと書かれていたからである。その前後の文章にもNEAB-2という表記がなされているので、これが間違いなく沙彌佳のことを指していることだけは確実だった。

伝……変異……それに、これは雌、か? いや、この場合はのことを指しているのか」

やはり俺にこの部分を全て理解することなどできるはずもなく、かいつまんだ意訳くらいしかできない。それでも、書かれてあることを整理すると、人、つまりはには種を維持していくための伝的なシステムがあるのではと示唆された容らしい。の持つ伝子の中には、男にはない特別な伝子が組み込まれている場合が確かにあり、これが何らかの影響を及ぼしているのではないのかといった合の容だった。

「エムブリオン……確か、胎児という意味だったな。、母……これは対象による母への影響に関するリポートなのか」

沙彌佳の文字があった箇所から次の項目に目を通すと、そこには被検の妊娠やその母、赤子への様々な影響を示していることが窺えた。それがどういう意味合いなのか全ては理解できないのは仕方ないが、だとしても明らかに母と胎児への影響を調べることが急務だということが強調されているようだった。

當然ながらそれ自は科學者ならば避けることのできない自然的求なのだろうが、どことなく連中の行ったことについては糞悪くなる思いが先行してしまう。そして、その項目はどうやらある一人の科學者によって提唱された理論であるらしい。その人の名を見つけて俺はこの糞悪さ加減に思わず納得がいってしまった。

「坂上か……あの野郎、こんなところにまで」

忌み嫌う理由も坂上の名が出た途端、このリポートはもちろん、ここで行われている研究全てが奴の研究の延長上、あるいは重複しているのかと思うと反吐が出そうだった。當の本人はとっくの昔に地獄へ行ったというのに、こいつのした産は未だ世界各地にあるなど俺にはどうにも許し難かったのだ。

そして、この研究に何らかの形で関わっている疑いのある武田についても同様だ。あの野郎が何を持ってこんな場所にやってきているのか明確な理由は知らない。だとしても、これを潰さなくてはならないというのを確信したのは言うまでもない。

難解なロシア語のレポートに目を通していたところ、GPSが小さな電子音でもって新著報を表示した。レポートからGPSに目を向けると畫面には新たに現在位置のポリゴン映像が広がっていた。沙彌佳は反対側を方調べ終え、再び移を開始したとようだった。

俺は、難解で解読するのに時間がかかりそうなレポートから全てを読み解くのに時間がかかりすぎると判斷し、沙彌佳を追って部屋を出た。GPS機能を使ってなんとかデータの送信を試みようと考えはしたが、作が分からないことに今時間をかけるのはさすがにいただけない。どの道追っていけば何かしらの事は摑めるに違いない。

來た通路を四差路のところまで戻ると、今度は左に曲がって本來の直進の通路へと折れる。GPSを確認すると、沙彌佳はそれなりに部屋を早く移したのか、だいぶ先行しているようだった。元々運神経の良いあいつのことだから、もちろん早く移することは難なくできることだと判斷できるが、いかんせん早い。なくとも俺の方が長も歩幅もあるはずなのに、どういうことなのかと考えつつ苦笑した。

そんなくだらないことを考えていると、通路の先で突然銃聲が響く。それもそう遠くない。すぐさまGPS畫面に目をやると、沙彌佳の移した辺りでGPSのきがないことに気がついた。嫌な予がして俺は、これまで以上に走るペースを上げる。もはや癖と言わんばかりに、俺の手はレオンからもらっていた線銃を手にしていた。

「出てこいネズミめ」

突然の怒聲。男の聲だ。GPSでそれらしいところの近くまでやってくると、通路の壁に背をつけ響いた聲の主に気づかれないよう、そっと聲の主を探した。

「おい、こんな時に侵者など困るぞ」

「そんなことは分かっている。お前は彼に伝えろ」

「わ、分かった」

いた。今しがた怒聲をあげたらしい男は銃を片手に、不機嫌そうにもう一人いた男に向かって指図している。困げに頷きながら、その男は広間の奧にある別の通路へと急ぎ消えていった。どうやら、この二人は追ってきた先ほどの二人に違いない。顔まで見てないが、スーツで二人組ということで間違いないだろう。

銃を持った男は、消えていった男の方とはまた別の方へと視線を向け、銃口を定めている。その先には、直徑一〇メートルにはなる巨大な円柱のパイプが三本、その周りに數十センチから一メートルにはなる大小のパイプが所狹しとあった。なんの働きをしているのか知らないが、例のの柱を発生させたものの一部であるように思われ、シューシューとパイプの中かられているのか、あるいは中を移しているのが聞こえるだけなのか、そんな音が聞こえる。

「もう一度だけ待ってやる。出てこい。今出てきたら命だけは助けてやる」

男は完全に沙彌佳の方へと意識を向けており、俺のいる背後の通路側へは完全に配慮を怠っていた。

「命だけってことは、痛めつけはするってわけだ」

「!?」

まさか自分の背後に敵が近づいているとは夢にも思わなかったのか、男はひどく驚いたように振り向き銃も向けた。しかし、すでにこちらの方があらゆる意味で素早く、男がこちらを振り向き終えた時には放たれたレーザーが男の肩を撃ち抜いていた。音もなく突然激痛に襲われた男は、もなく撃ち抜かれたショックにぐらりとその場に倒れこむ。

男が倒れこみ、想像できなかったに違いない激痛にをすくませているのを確認し広間へと出た俺は、そのそばにあった俺と同じ型のGPSが落ちているのを見つけた。畫面の表示は俺と同じ狀態で止まっており、所持者である沙彌佳本人との信は途絶えている様子だ。

それを拾い上げた俺は、周囲に沙彌佳の姿がないことを確認すると撃たれた肩を押さえながら、痛みにき聲を上げて床に蹲る男へ近づいた。激痛に持っていた銃が落ちている。男としてはそれどころではないというのが顔を赤らめて苦痛に表が歪んでいるのを見て窺える。

「あんたを殺すことができたのに殺さなかった理由はわかるな」

男の側に寄った俺は、無慈悲に男を足蹴にし仰向けにする。

「一、何を……」

「なんだっていいさ。それよりもこちらの質問に答えるんだな。おたくらはここで一何の実験をしてるんだ」

無理やり仰向けにされ、男はほとんど無抵抗にこまらせている。経験したことのない痛みに、恐怖を滲ませているようだ。もちろん、それを狙っての行だが思う以上に効果的らしく、俺を見る目は先ほどまでの冷靜で理的なものをまるでじさせない。

「完したんだろう? タイム・マシンが」

俺がそういうと途端に男の悲鳴が止み、痛みに震えながらもこちらを睨みあげてきた。當てずっぽうで言っただけだったが、その反応だけで言う通りであることを告げている。俺は小さく頷くと、無慈悲に男の撃たれた肩を押さえる手ごと踏みつける。

「がっあぁぁぁ」

「答えるんだ。量子コンピュータを搭載させたタイム・マシンで一何をやろうとしてる」

踏みつけた肩をさらに力をこめると、聲にならない悲鳴が男の口かられる。俺は意に介することなく男を摑み上げて立たせると、苦しむ男にボディブローをお見舞いし尋問を続けることにする。

「おたくら、西側のものが完してると言ってたな。ロシアにだって完品があるだろう、あれはどういう意味なんだ」

男は答えようにも、ボディブローをまともに食らって息も絶え絶え、おまけに肩の激痛と相まってか混しているようだった。その男を引きずるように引きずるように壁際にやると、そのまま壁に叩きつけてその背中を強く押さえ込む。

「お、俺は何もいわんぞ、決して……。そう、西側に有利になるようなことは一言だって……」

「なるほど、立派な心がけだ」

押さえた背中はそのままに、撃たれた方の腕を強引に摑んで後ろ手に固めた。肩の激痛と関節を捩じ上げられる痛みに、再び男の口から短い悲鳴があがる。しかし、次の瞬間にはその悲鳴すら止んだ。続けざまに男の後頭部あたりに銃口を突きつけたのだ。

「死にたくなければ言うんだ。ドミトリー・ボーリンという奴がここを出りしてるはずだ。奴はどこにいる」

「し、知らない。ボーリンなんて奴は……」

まだ言うか、そう告げようとした時、背後に人の気配をじた俺は、飛ぶように男から離れて床に伏せると、すかさずそちらの方に銃口を向けていた。すると、そこには探していた男の顔があったのだ。

「ほう。音もなく気配も消したはずなのに察知するとは長したようだ」

「ボーリン」

その人の顔を見た俺は、短くんだ。そこにいたのは間違いなく探していた男、ドミトリー・ボーリンが立っていたのだ。それも、こちらに銃口を向けて。

「しばらくだな、クキ」

ニヤリとの端を吊り上げて、男はそういった。以前出會った時とは表も恰好も、當然ながら雰囲気もまるで別人だったが、確かに男はドミトリー・ボーリンだった。以前は會ったときはサンクトペテルブルグのビルだったためか恰好もスーツという出で立ちだったが、今はその時のイメージとはかけ離れた戦闘服にを包んでいる。

俺はゆっくりと銃口を向けたまま床から立ち上がった。ほんの一瞬でも隙を見せようものなら、次の瞬間にはこちらの額に風ができていてもおかしくない相手だ。それは奴の佇まいから簡単に判斷できる。ボーリンは間違いなく一流だ。初めて出會ったときはそうはじさせなかったのも、こいつの言う通り俺もそれなりには長した証だろう。

「しばらくとは言っても、會うのはこれで二度目だがな。それよりもどういう風の吹き回しだ、あんたがロシア側のスパイなんてな。あんたは俺と同じ組織の人間だろう」

するとボーリンは、呆れ混じり、半ば小馬鹿にしたような雰囲気を滲ませ、かぶりを振る。

「同じ組織の人間だって? それは違うな、クキ。お前はもう私と同じ組織の人間ではない。元、同じ組織の人間だ」

「どう言う意味だ」

「分からないとでも言いたいのかね? この期に及んで冗談はよしておいたほうがいい。まさか、本當に分からないとでも? 組織を裏切っておきながらか」

「組織を裏切っただと? 俺がか」

「そうだ。お前は組織を裏切った。組織を裏切り、別の組織に買われたという事実があるだろう? まだ惚けるか」

ロシア人らしい刺すように鋭い瞳がさらに細められ、俺を抜いてくる。惚けるとはどういうことだ。今のところ、俺はまだ組織を裏切ってはいないはずだ。もちろん、最終的にそれはあるだろう。実際にそう考えてもいる。だが、それはまだ決定的といいうわけじゃない。一番いいのは、このまま行方知れずのままフェードアウトできればこの上ないことだと考えていたくらいだ。

そういおうとから言葉が出かけそうになったのを思いとどまった。今のこいつにそんなことを言ったところで、決してこちらの立場が好転することはないからだ。仮にそう訴えても奴が言い分を信じることはないだろうし、信じたとしても自分の仕事を曲げる気は頭ないはずだからである。奴が一流ならば、それは火を見るより明らかだ。

組織の報は何よりも絶対、組織に屬するということはそれこそが”真実”であり、その真実こそが”事実”と思い込むよう叩き込まれる。そうでなくとも、結果としてそうなるようにいくらでも作ができるというのがこの世界なのだ。つまり、俺が裏切ってはいないと言ったところで、奴が俺の始末を付けるという事実は変わらず、始末された俺は二重スパイだったという汚名を被るだけである。

となれば、いらないことを言う必要はない。それよりも、俺には奴がこの場にいることが気がかりだったからだ。

「惚ける気はないね、いちいちあんたに言う必要もないって意味さ。それよりも、その組織に屬していながら、當のあんたはなんでこんな所にいるんだ。それこそ、組織への裏切りなんじゃないのか」

そうなのだ。この男がここにいるという理由が俺には分からないでいた。同じ組織でありながら、なぜ敵対しているはずの武田が潛伏しているらしいこの土地にいるのか。これを解決しないことには、この男と武田の関係は元より、俺自の仕事にも差し支える。

「くっ、くっくっく……孤高の一匹狼気取りというのも哀れなものだな」

「なんだと」

「何も知らんのだな、クキ。武田とミスター・ベーアのことを言ってるのなら、それは飛んだお門違いというものだぞ。武田については言う必要はないだろう。だがミスター・ベーアも、お前を組織の裏切り者として追手をかけた事実を知らないようだな。お前は両方から追われる立場になったのだよ。どんな手段を使っても始末しろ、というのが両者の合意だ」

冷たい表でボーリンは嘲笑の聲をあげた。そんなボーリンを見つめながら、俺はそんな馬鹿なと、うわの空で呟いていた。まさか、敵対していたあの二人がここに來て突然裏切ったというのか。いや、裏切ったというよりも元々から味方ではないので正確ではないが、武田は仕方ないにしてもまさかミスター・ベーアまでもがいつの間にか敵に回っていたというのか。

もちろん、こいつの態度からそれが事実であることを語っている。それでも俺は半ば信じられずに、のろのろと力なくかぶりを振って否定した。

「信じられないか。だが、それは思い込みというものだ、クキ。お前はこれまで幾度も組織を危機に曬してきた。そのツケが回ってきたというわけなのだよ」

「俺のツケ、か」

思い返せば、そう取られても仕方ないことを山ほどしてきた俺に、ツケがなかったといえば噓になる。組織の殺し屋なんぞをしておきながら、俺はそんなことは関係ないと自由に好きな場所を移し、あまつさえ警察の世話になったかと思えば、各國の諜報機関にも指名手配されるというたらくである。これは上の判斷として切って當然というものだ。

しかし、そんなことで俺はやられるわけにもいかない。ようやく第一の目的であった沙彌佳を見つけることができたのだ。そのためにこれまで幾つもの危険な橋を渡ってきた俺が、ここにきてそんな理由でやられて満足するはずがない。まだ、沙彌佳をあんなにした連中にツケの支払いをしてもらってないのだ。

「やはりな。この程度で屈する気はないらしい。良くも悪くもお前は一流に育ったというわけだ」

くつくつと癪にる聲を上げながら笑うボーリンは、俺の取る選択肢についても予想していたようで、止めておけと鋭く制する。

「まさか、お前はここまでの間、全く何事もなく來れたのは単に運が良かったとでも思っているのか。それとも、全ては自分の判斷のおかげだとでも?」

どこからともなく、誰かのく音が聞こえた。

「お前は常に監視されてると思ったことはないか」

「俺が」

ないといえば噓になる。しかし、それは四六時中というわけでもない。監視されている時はかすかにだが、空気が変わるのですぐに分かる。常に監視されてるだなんてことはさすがに考えられない。

そこで俺はある考えが思い浮かんだ。あまり考えたくない可能だが、もしこいつが言ってることが本當なら、という仮説の上での可能ではあるが最悪、有り得ない可能でもない。それだけに、俺はそれを必死に頭から追い出すようにかぶりを振った。

「くっくっく、気づいたか。そのまさかだとしたらお前はどうするね?」

「まさか、そんなことは有り得ない」

「おいおい、私は何も言ってないさ。何を一人で興してるんだ」

憎たらしい態度で、ボーリンの野郎は腹の立つ笑みを浮かべながらいった。俺はそんな奴に向かって、睨みつけるだけで一杯だった。自分でも無に腹が立ってしょうがなかった。どうも自分のこんな冷靜でいるつもりで冷靜になりきれない自分が憎い。だが、ボーリンがいうようにこの可能が単なる思い過ごしであるかもしれないのだ。

「お前のいう監視してるのが誰かっていうのは、この際考えないようにする。だが、監視してたってことはここまでの間、ずっと俺を始末するだけの算段は取れたはずだ。なのになぜそうしようとしなかったんだ。何か目的があるんだろう」

「ふん、それはこれから教えてやるさ。私が裏切ったわけでもないということも含めてな。さあ、そいつをよこすんだ」

俺の持つ銃を指し示しながら、ボーリンは手を差し出した。渡せというジェスチャーだ。簡単にこいつをくれてやるわけにはいかない俺は渋るが、通路の奧から複數人の走る足音が響いてくる。つい先ほど通路の奧に消えていった男が応援を呼んできたのだろう。こうなってはこちらに勝ち目はない。

俺はため息混じりに銃をボーリンの元に投げた。どうせなら投げるついでに奴めがけて線を浴びせてやろうかと思ったが、これほどまでに隙の見せない男から、投げると見せかけて引き金を引くというのは難しいだろう。ここは一旦引いて様子を見た方がいいかもしれない。

しかもこの様子だと、すぐに殺そうというわけではないらしい。もし殺す気なら、監視の話も含めてとっくに始末しているからだ。それに沙彌佳のことも気にかかる。俺の脳裏によぎった考えたくない可能のことも、おそらくこの後すぐに分かるに違いない。

「懸命な判斷だ。こちらもすぐにお前を殺す気はない」

「すぐには、ね」

投降の意で両手をあげた俺とボーリンの周りを、やってきた兵士たちが囲む。これで完全に包囲されたため、俺はすぐには始末しないというボーリンに皮を聞かせてみたところで、優位さが崩れないこの狀況では奴のいけ好かない態度が変わることはなかった。

完全に丸腰であることを確認する兵士たち數人に囲まれながらも俺は、あくまでその視線に見據えているのは気に食わないボーリンただ一人だった。

「ふん。最近のロシアは大した代を作れるようになったらしい。まさか線銃とはな。噂には聞いたことがあるが、まさか実用化されていたとは。まぁいい。そいつを連れてこい」

丸腰が確認されたところで俺は後ろ手に拘束された。それを見たボーリンは、放り投げた銃を拾い上げまじまじと見ながら短く命令すると、拘束した一人が背中を小突いて歩かせる。くるりと背中を見せて歩きだしたボーリンと、その後ろを行くことになる俺の間に兵士二人がり、あくまで奴と俺の間に壁があることを意識させようというつもりらしい。

今は抵抗する気のない俺に、無駄なことだと心の中で呟きながら黙って連中の後を歩き出した。

モノクロのコントラストに浮かび上がる通路をどれほど歩いたろうか、俺は連中に連れられて例の円球の裝置の前にまでやってきていた。そして、そこには思いがけない、いやむしろ俺にとってはある意味好都合な連中と出會うこととなった。連れられてきた俺に、そのの一人が一歩進み出てこちらを見據えた。

「來たな、クキよ」

「東南アジアの直前に會って以來か、武田」

目の前進み出た人、俺の探していた人の一人、武田その人だ。周りの連中は全員が何らかの裝備と戦闘服にを包んでいるにも関わらず、この男だけは明らかに浮いた格好をしていて、前回と同じ糞掃に似た明らかに普通でない裝を纏い、まるで僧を思わせるような出で立ちは忘れたくても忘れられそうにない。

外見的なことだけではない。俺を見據えているはずの目は、やはりどこか遙か遠くを見るようで、こちらを観ていないようにじられてならない。喋り方も、その立ち居振る舞いも、何もかもが以前のままだった。いいや、この男の存在そのものが悠久の頃からそうあったかのような、そんな錯覚を思わせる存在は見る者をどこかへっているような不思議な雰囲気だ。

それでも、俺の中ではこの男が危険だとじてさせて仕方なかった。普通であればこの男の存在は、人によっては救世主か何かのようにすらじるかもしれない。これまで武田と出會ってきた人間の多くが、この男に追従してきたという事実はそのように思えもするが、俺にはどうにもそんな存在だからこそ敵と認識できる、そんな男だった。

「あんた、ミスター・ベーアと手を組んだって? あれだけ敵対してたのに、えらく心変わりしたようだな」

そう続けた俺に、男は瞳を閉じてかぶりを振って見せた。

「そういうな。彼とは利害が一致した、それだけのことだ」

「利害の一致ってのに、俺の始末もってるといいたいのか」

「そういうことになるな」

さも當然のようにいう武田に、俺は目を細めて男を抜く。

「こうして今俺がここにいるってことは、何か目的があって生かしてるんだろう。何が目的だ。なのに、なぜこうも俺を敵視する? 確かに俺はあんたのことが気にらないし、邪魔するってんならこちとら出るとこ出る気だがな、だとしてもこうもあんたに狙われなきゃならない理由なんてなかったはずだ。

おまけに話じゃ、あんたと俺、ロンドンで出會ってたそうじゃないか。あの発した倉庫でな。それが俺を狙う理由になったのか。いいや、そうじゃない。あんたはあの時、俺の名を知った途端に態度を変えた。つまり、そうしなくてはならない理由があの時から存在したんだ。一何が理由なんだ」

この時を於いて奴に尋問できる機會はないと、俺は立て続けに言葉を続けた。奴は再び小さく首を振って、靜かに、淡々と言葉をつなげた。

「どうやら、君は自覚がないようだな。元からなのか、あるいは単に覚醒してないのか……こうも鈍というのも珍しい」

「俺になんの自覚がないっていうんだ。それにあんたは俺の敵じゃないとか抜かしてたくせに、今度は俺を始末しようってのはどういう理屈なんだ」

以前、テロリストとして警察に捕まった際に、護送車を襲撃して俺を助けたことがあったが、あの時は俺の敵ではないなどと言っていたのに、どういうわけかこの男の行は俺を敵視している人間の行だった。しかし、決定的な答えが返ってきていないというのもまた事実で、俺は漠然とそう考えていた。

それこそ、今話しに出たロンドンでの一件もその通りで、野郎は俺の名を聞いた途端態度を豹変させたこともそれを裏付けている。だというのに、俺を助けた時は敵じゃないとは正反対ではないか。この男の考えが、俺には全く読めなかった。

「ふむ。これまでの君の言から察するに、全く気づいてないようなので一つ一つ説明しようか。

まず、私の言ったことはつまり、マリアのことを指していると言えば分かるだろう。彼がなぜ、ああなったのか、その自覚が君にはないらしい。マリアがなぜあのような力を持ったのか、そこをまず理解してもらわなくてはな」

武田は、これまで通り、全くじさせないようでいて、どことなくらかい口調で語りだした。その様子は、糞掃のような服と相まってか、僧の説法のようにも思えるのが不思議だった。

「マリア……沙彌佳のことか。あいつがああなったのは俺の責任だってことがいいたいってんだろう?」

「私が言いたいのそういう意味ではない。それは彼がなぜ連中に捕まったか、その過程と要因の一つに過ぎない」

「だから、あいつが連中に攫われて人実験されたからだということだろう」

この男の口からマリアなどと呼ばれるだけで、どういうわけか俺の神経は逆でされるような気分になってしまう。そのため、語気が荒くなり、武田を抜く目もさらに鋭くなっていた。

「それこそが間違いだと言っているのだ、クキよ。彼が坂上の……引いてはあのプロジェクトに関わった全ての組織側の手にかかった要因こそ君だったかもしれないが、それは結果的に彼が捕まるだけの條件が偶然にも揃ってしまっただけで、それそのものには何の意味もないのだ。

元々、彼には何らかの不思議な力が眠っていたのだ。それをたまたま引き出してしまったというわけさ、君の思う忌まわしい事件が引き金となってな。君も何らかの形で、その片鱗をじ取ったことがあるはずだ」

「あいつに、超能力みたいなのがあったっていうのか。俺が知る限り、そんなのはじたことがない」

改めて思い直してみても、武田のいうような力の片鱗など一度だってじたことがなかった。いや、こいつらが勝手にそういっているだけで、あるはずがない。それが俺の一貫した答えだった。ところが、武田はそんな俺に良く思い出してみるがいいと釘を刺す。

「何かあったはずだ。例えば、すば抜けて頭が良い、異常なほど能力が高い……もしくは、何か魅力的な個を持っているようなこともだ。何か人を惹きつけるような、そう的な魅力を思わせるほどのな。それは外見的な意味ではない。覚的な意味での魅力だ。例えそれがを分けた兄妹であったとしても」

そう……言われると、確かに沙彌佳は昔からどうも小気味良い聲質の持ち主であったように思う。年齢を超えた、どこか落ち著きのある聲、俺が兄でなければ、あの聲が耳元で囁こうものなら、それだけで虜になってしまいそうな錯覚を覚える、的な魅力がなかったとは言えないかもしれない。

かつて、ただ一度だけという約束のもと冒した過ちを指しているのかと、心驚いた。けれども、それがそのまま武田の言うことに當てはまるとも思えない。あれがその一端であったなどと考えるにはあまりに早計と言わざるを得ないだろう。

それを思い出したのがいけなかった。武田の奴はそれを肯定とけ取り、自分の言った通りだといわんばかりに頷いた。

「彼は、偶然君の妹として生まれてきたわけではない。この世の全てに、ただの一つも偶然というものは存在しないのだ。マリアは、君の妹として生まれるべくして生まれる必要があったからこそ生まれたのだ」

「説教なんてされても、そんなの信じられないね。この世は全て偶然の産だ。もちろん、中には人為的に行われたことだってあるだろうが、それだってあくまで過程の中から生まれた結果であって、やはり偶然だ。あいつが妹として生まれたことも、俺やあんた、ここにいる連中もこの世の全ての奴らもまた偶然の産だぜ」

「いいや、この世に於ける全ての事象は必然、意味があるのだ。それはこれまでのことからも明らかだ。違いは、いかなる過程、つまり行を起こしても行われ方が違うだけでも結果は同じだということなのだよ。こう言い換えることもできる。運命は決まっているからこそ、人は常に自由なのだ」

言い切る武田に、俺は返す言葉を失う。運命が決まっているからこそ自由だって? 馬鹿な。そんなことはない。こんな時にタイム・マシンの話を持ってくるのも我ながらおかしなものだと思うが、何度も実験を行っているからこそ、それが一定でないことの証明になっている証拠ではないのか。

俺はかぶりを振って、これ以上分からないことにあれやこれやと考えたところで無意味だと判斷し、一旦この話は打ち切った。

「まぁいい。あんたがそういうってんなら、そういうことにしておこう。で、そのあんたから言わせれば、あいつが俺の妹として生まれたことは決まってたと言いたいわけだ。だが、なぜわざわざ兄妹でなければならないんだ。その説明にはなってないぜ」

「違うな。それもまた手段が違うだけで、目的は同じ。決してマリアが君の妹として生まれてこなければならなかったわけではない。あくまで、君のすぐ近くでなくてはならなかっただけなのだ。極端にいうと、妹でなくとも姉でも良かったかもしれないのだ」

「あいつが姉? 冗談もほどほどにしておいてくれよ、あんた今、この世の全てに於いて意味があるとか言ってたじゃないか。それをいきなり否定するのかい」

に口元を歪める俺に、武田はただ首を小さく振ってそんなことは些細なことだと続ける。

「彼が妹か姉かということは関係ない。重要なのは、君とすぐ近くに生まれ著くというのが重要なのだ」

「あんたが言いたいのは、俺とが繋がっていることに意味があると言いたいわけか」

「そういうことだ。そのことに最も意味がある」

武田は決してぶれることなく言い切った。男の表は相変わらず、こちらを見ているはずなのにどこか遠くを見つめているかのような、どこか達観したもののままだ。それは強く男の言い分が正しいことを告げているようにすらじさせる。

「君と彼の繋がりがあることに最も重要な意味がある。そうでなければならないのだ。そうでなければ、君は目覚めることはなかったからだというのを、既に君自が証明している。

君は言ったな、彼がああなったのは自分のためだと。それは間違いではないが、決して正しくはない。彼は君の元に生まれたことで、ああなることが決定していたのだ。いや、ああなるために君の元に生まれたといった方が正しいだろう」

「さっきから、証明してるだとかなんとか、小難しいことばかり言ってるが何のことだかさっぱりだね。俺のせいでああなったのなら、間違いでないんだろう? それを訂正する必要なんてないぜ」

「まだ分からないか? 彼は君の力によってああなったのだ。NEABのせいでああなったと考えているようだが、それは違う。君こそ彼を変えた張本人だ」

「馬鹿な。何を拠に」

あまりに突拍子もない答えに俺は鼻で笑った。俺の何が原因でああなった? 俺の力で? この男は一何を言っているんだ。俺にそんな力などあるはずがない。大、ひと一人を変えてしまうような人間がこの世にいるはずがないではないか。そんな有り得もしないことを本気らしい表でいう男に笑わないではいられない。

拠ならある。すでにこれまで行ってきた実験から証明されている。君はいつも彼のためにき、そして常に彼を我がしようとするためなら、例え非人道的なことすらもいとも簡単に行える人間だ」

さも全てを見てきたかのようにいう武田に不快な気分になった俺だったが、ふと行ってきた実験によって証明されているという言葉に引っかかった。

「あんた、今証明されてるとかいったな。まさか、すでに何度もタイム・マシンを使って俺の取った行を見てきてるとでもいいたいのか」

問いかけた直後にできた突然の間――それが確かに肯定を表していた。まさか……そんなことが本當に起こっていたというのか。いや、そんなはずがない。こんな簡単にタイム・マシンが稼働なんて、そんなことは……。

「信じられないといったところかな。もちろん、信じる信じないは君の好きにするといい。信じようと信じまいと、事実という結果は変わらんからな」

「なぜだっ。なぜそんなにも俺に拘る? 俺に拘る理由はなんなんだっ」

これまで気づかない間に様々なことを監視されていたというのが癪にった俺は、武田に怒聲を浴びせる。一、タイム・マシンなんていう本當に稼働しているのか、未だ信じきることができないものを使ってまで俺の行を見てきたというのがどうにも気にらなくて仕方なかったのだ。

自分でいうのもなんだが俺という人間自に、連中がこんなことをしてまで監視しなくてはならないほどの価値ある人間とは思えない。かつて、黒田の件についても同じことがいえるが、俺は連中が思うような人間ではない。確かに、そこいらの同業者たちの中では優れてるといえるかもしれないが、それでもやり方は舊式、現代の報戦ありきの業界では々時代遅れといったなのだ。

「君が片鱗を見せたのは、今井……そういえば分かるだろう? 彼との事があって君はその力の片鱗を覗かせた。君も気づかないか? たまに自分に力があるとじることがな」

「いいや、そんなことをじたことはないね。殘念ながら俺は至って普通の人間だ」

「何もそこまで焦って否定することもない。だというなら、なぜ君はあんなにも短期間で致死量に達するほどの失をしておきながら助かったのだ? 彼に刺された腹部の傷は、急所をわずかにずれていたわけではなく、確実に急所をさしていたはずだ。なのに、なぜ今君は生きていると思う? それは君自の持つ回復力のおかげなのだ。

あの時、今井に刺されて運び込まれた病院で手けた際、検査などはもちろん、いくつかのデータが取られている。それらから、偶然にも君にその素質が見られたのが全ての始まりだったといっていいだろう。その報告をけたときは、図らずも君という人間を無視できるはずもなくなったということになる。

もう分かるだろう? 以後、私は君にその素質がいかなるものか確かめるべく、幾度か試練を與えてきたのだ。君のその素質を開花させていくための環境を提供し、能力を見極めるために。

そしてそれは十分に示された。その驚異的な回復力によって幾度か命を救われてきただろう。私からの銃弾を背中にけながらも助かったのも、坂上の研究所で出會った怪に全の骨を砕かれながら生きながらえたのも、全て君に宿る力のおかげなのだ。そしてそれらは、君が異能の力の保持者だからだ」

そう斷言する武田だが、當の本人には突然そんなことを言われたところで面食らうだけで、とてもけいられるような容の話じゃない。俺が異能の力の保持者だって? 武田の言う通り、自分でも自の回復の速さにはこれまでいくらかは助けられてきたのは事実だ。

おまけに、醫者からもそれらしいことを告げられたことだってある。武田のいう病院での話が本當なら、その時に何らかの思いたのも事実だろう。かといってそれを全面的にれられるほど肯定できるわけではなく、あくまでそうなのかという程度のものだ。

第一、この回復力の高さにしたって俺には、元々誰にも備わっているものが誇張されている程度にしか思えないのだ。俺からすれば異能の力があると仮定して、平然と人を殺せてしまうそちらの覚と技の方がよほど特殊に思えるくらいだ。

「ふふ、その顔は自分は特別ではない、といっている顔だな。まぁ、突然そんなことを言われたところで簡単に信じる人間でもないのも確かか。だが、君のその力のおかげでマリアは、君の妹は助かったと言えばどうかな」

俺がどう言う意味だとぼうとしたのを見計らって、武田は右手でそれを制止した。話すから落ち著けと無言の圧力があった。

「その前に彼達に出てきてもらおう」

「彼?」

「そうだ。この數週間の間、ずっといた彼だ」

武田はそういうと、脇に控えていた男に向かって顎を使って連れてくるよう指示を出した。男は頷くこともなく、音も気配もなく、白い照明と照明の間の暗闇にすっと消えた。その仕草ときだけで、とんでもない使い手であることは一目瞭然だった。もちろん、今俺の背中に銃を突きつけている連中だって同じだろう。

この連中相手では、仮に一人や二人隙を見せたところで、簡単にこの狀況を打破できるとは思えない。気に食わないが、今はこいつらの言いなりになっていなければ、こちらの命も危ない。すぐに殺すことはないまでも、いらぬダメージをけるのは極力避けたかった。

「さて、どこまで話したか……そう、君が力の保持者で、そのおかげで君の妹が助かったというところまでだったな。これに関しては、間違いなく事実だ。君がその力を持って、妹に干渉した結果、彼もまた能力を発現できる質に変わったのだ。兄妹だけあって、彼にもまたその因子があったという所だろうが、直接の原因は君だ」

「さっきから原因だとか言ってるが、一なんの話をしてるのか俺にはさっぱりだぜ」

「ふふふ、隠す必要もあるまい? 君は、干渉した人間の質を自と同じ様に変えることができる特異質だ」

その説明に俺は思わず目を細め眉を潛ませる。自分と同じ質に変えるというのは一どういうことだ。れただけで、人間をヴァンパイヤか何かに変えてしまうような特異質とでもいいたいのか。

「ヴァンパイヤか。なかなかに面白いことをいう。だが、それもある意味では同じかもしれん。伝説上の存在であるヴァンパイヤもまた、もしかすると本當は君と同じような特異質の人間の語が、キリスト教という宗教に利用されただけの存在かもしれないな。

まさしく、その通りさ。君も伝説のヴァンパイヤと同じ、自と同じ特異質に変えるという點では全くの同質の存在だ。干渉した人間を変えることができるなど、選ばれた人間にしかできる行為ではないからな。その點、君は確実にその発生源と言っても過言ではないだろう」

「待て。勝手に人を吸鬼扱いするんじゃないぜ。大、俺が干渉した人間なんて言い回しが気にらない。もっとはっきりと言ったらどうなんだ」

その言葉を俺から引き出させたかったというのを言い終えた後に気づいた。野郎は、そう告げた俺を見てニヤリと口元を吊り上げる。

「君とマリア、中々に興味深い。兄妹でありながらし合うとはまた罪深い。いや、あるいは兄妹が故なのか」

奴のこちらを見ているのにまるでそうじさせない目が、初めてこちらに意識を向けて見つめていた。その視線に捉えられた俺は全く反論できずに魅られたまま、その場から息をすることすら忘れて完全にきを停止させてしまっていた。

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