《傭兵と壊れた世界》第百五話:鬼の子
次の瞬間には戦いが始まった。否、「戦いのようなもの」が始まった。右往左往するローレンシア兵を、二人の亡霊が確実に摘み取っていく。ディエゴ小隊も狼に連なる兵士であり、本來であればルーロの亡霊が相手でも抵抗できたはずだ。だが隊長のディエゴが茫然自失となったため小隊の機能が完全に麻痺していた。
次々と命を散らすローレンシア兵。彼らの勇姿を見てもなお、ディエゴの頭は馴染みのことでいっぱいだった。
「ナターシャ! 俺だ、ディエゴだ!」
戦場のど真ん中でディエゴがぶ。その姿を見たローレンシア兵は口々に嘆いた。
「ついにディエゴ隊長が錯したぞ!」
「俺達はおしまいだ!」
ローレンシア兵の絶は計り知れないだろう。頼みの綱であるサーチカ副はディエゴの隣でじっと立っているだけであり、戦えとも逃げろとも命じてくれない。
「何でだよナターシャ!? 俺だっ、聞こえているんだろ!?」
ディエゴはび続けた。彼の中のナターシャは孤児院時代で止まっている。傭兵になって同期と仲良くなり、酒をわしながら朽ちた聖城に送り出したことをディエゴは知らない。
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「気付いているか、年。彼は君を見ていないよ」
イヴァンは冷めた目で敵兵の首をかき切った。ひどく不な戦いだ。部下の命を預かる者が戦場で喚くなど言語道斷。
されどここは戦場である。イヴァンとナターシャは相手の狀況などお構いなしに躙した。あのような上を持った兵士に同すら湧いてくる。一撃で仕留めるのがせめてもの慈悲であろう。
時間にすればあっという間だった。傭兵達に怪我はない。十數名いたはずのローレンシア兵はほとんどが無力化され、立っているのはディエゴとサーチカだけになる。
「あなた、名前は?」
「サーチカです。第二〇小隊の噂はかねがね、流石の腕前でした」
「こちらこそ導謝するわ。あなたが協力者よね。無事に合流できて良かった」
「第二〇小隊隊長のイヴァンだ。君の話は団長から聞いている。向こうに著いてからもよろしく頼むよ」
ディエゴは夢を見ているような気分だった。數年ぶりに再會した彼は記憶よりも大人びているが、夕日が似合う白金の髪や水晶のような瞳は昔のままである。
「彼はどうするの? あなたが隣に立っていたから理由があるのかと思って、あえて撃たなかったんだけど」
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「彼は――」
「ナターシャ!」
サーチカの言葉が遮られた。もう我慢ならん、と彼はキラキラとした瞳でナターシャを見る。
「良かった。生きてて本當に良かった! 今まで何してたんだよ馬鹿やろう!」
彼はサーチカを押し退けて腕を広げた。の再會だ。抱擁しようとするディエゴから、ナターシャは一歩下がって距離をとる。
ディエゴはようやく違和を覚えた。なぜかわからないが鼓が早くなる。自分を見る馴染みの瞳に敵意はない。ただ、モノを見るような冷えきった眼差しだけが存在する。
「師団長クラスなら生かす価値があるけど、ただの部隊長では渉材料にもならないわ。むしろ私たちやサーチカの報がれるほうがまずい。不安の芽は摘むべきよ」
「ちょ、いやいや、冗談だろ? ああ、ローレンシアの軍服を著ているから分からないのか? 俺だ、ディエゴだ、証明のためなら今すぐぐぜ」
「要らないわディエゴ。全部、わかっているから大丈夫」
ナターシャは結晶銃を指ででた。伏せられたまつげに灰が乗る。
「人を狙うのが上手くなったの。第二〇小隊のためなら躊躇しなくなった。だから安心してディエゴ。苦しませないから」
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「俺を、撃つのか?」
「そうよ」
「俺は、お前のためにヌークポウを出て、軍人になって、握りたくもない銃を握って戦ったんだぞ……全部、お前のために!」
逆上する年。握りたくない銃で友を撃った男。
百年戦爭による結晶が生まれて以降、世界は厳しい環境になった。むという行為が贅沢になり、明日の生活が不安になり、日々落々、する者を守れない無力が世の中を覆った。
そんな環境の中で暮らす大変さを、ナターシャは誰よりも知っている。故に、ディエゴの言葉が虛言や誇張の類いではなく、本當に必死で、歯を食いしばりながら生きたのだと理解できる。
だからこそ――。
「……そう」
なぜ、それほど他人のために努力できる男が軍人になった。なぜローレンシアを選んだ。
なぜ私のために銃を握った。
船から落ちた馴染みのことなんて諦めてしまえば、ディエゴが朽ちた聖城でリリィと爭うこともなかったのに。他人のために生きるのではなく、自分のために汚く生きれば良かったのだ。綺麗な言葉で飾れるほど我々は誇り高い生きでないのだから。
「お待ちください狙撃手殿。彼を殺すには及びません。ディエゴ隊長は除隊申請を出しております」
「どういうこと?」
「つまり、彼は軍人を辭めます。こたびの戦いが始まる直前だったので間に合いませんでしたが、じきに承認が下りるはずです」
「は、おいサーチカ、俺はそんなもん出していないぞ!」
「って言ってるけど?」
「隊長が酔っているときに無理矢理書かせて、獨斷で出しました。つまり、彼はまもなく一般人になります。軍人でないならば撃つ必要もないでしょう」
サーチカの言葉を聞いてし思案する。
(この勢ですんなりと軍を辭められるかわからない。もしも報がれて天巫の警備が厳重になると、潛任務も難しくなる。ましてや――)
彼はナバイアから帰還した日の夜、第二〇小隊のために生きると決心した。そのために裏切り者を排除した。
(ドットルを撃ったのに、ディエゴは見逃す? そんなことが許される?)
許されるはずがない。ナターシャは結晶銃を構えた。
「狙撃手殿、私の話を聞いていましたか!?」
「俺は軍を辭めねーぞ! ナターシャを連れて帰るんだ! そうだ、傭兵なんて辭めてしまえ!」
「黙ってください、隊長が喋るとややこしくなります」
「迎えが遅いな……ベルノアのやつ、なにかあったのか」
「狙撃手殿、ご再考を!」
「ナターシャ、俺と帰るぞ!」
「狙撃手殿――」
サーチカは見た。顔を上げたナターシャの表。白金の髪に朱が差し、大きく開いた瞳に炎が渦巻く。
悪鬼羅剎。
人の愚かさと運命を呪う、鬼の子だ。サーチカの耳にチリチリという音が聞こえた。思わず自分の髪をる。燃えていないが、ひどく熱い。戦場の熱気が一段階上がったように思えた。
「狙撃手殿、あなたも亡霊に魅られたか……」
サーチカは第二〇小隊に対して多大な敬意と、同じだけの恐怖をじている。ローレンシアに潛している間、兵士から亡霊の恐ろしさを嫌というほど聞いたからだ。
彼の姿がソロモンとかぶる。は著実に、亡霊の系譜をけ継いでいた。
「落ち著けナターシャ。その年は危険度が低い」
「彼から報がれないとも限らないわ。目的の邪魔になるかもしれない」
「聞く耳なし、と。まあ俺はどちらでも構わんがな」
イヴァンは早急に手を引いた。らぬ神に祟りなし。そもそも見知らぬ年に興味がないため、「ベルノアはいつになったら迎えに來るんだ」と別のことを考えている。
サーチカは必死に頭を働かせた。イヴァンに見限られた今、ディエゴを助ける方法は殘されているか。恐らく、ない。目の前の狙撃手を納得させる言葉も、対抗する力もない。
「へいナターシャ。ここは私に任せてくれよ」
彼の手が止まった。
いつの間にか廃墟の上に機船が停泊しており、ぶかぶかの作業服を著たが甲板から顔を覗かせている。本來ならばベルノアが迎えに來るはずだが、現れたのはなぜかリンベルだった。
「イヴァンも待たせたな。ギリギリ間に合ったってことで許してくれ」
「ベルノアはどうした?」
「ホルクスと戦って救護テント送りさ。代わりに私が來たってわけ。大丈夫、わりと元気だったぜ。二人とも連日の戦いで疲れているだろ、船にって休んでな」
ベルノアが怪我をしたと聞き、ナターシャの熱気がしゅーっと萎んでいく。戦意よりも心配が勝った。彼は結晶銃を擔ぎ直してから「さようなら」と言い殘して機船の中へっていく。
「待てナターシャ、俺の話を!」
「へいへいへい、馬鹿ディエゴ。拾われた命の使い方もわからんのか」
「痛っ、なにする……ってリンベル!?」
今さら気付いたかのようにディエゴがんだ。この男は本當に目の前のことしか見えないようだ。
「なんでお前が傭兵になってんだ?」
「傭兵じゃないさ。私は今も昔もジャンク屋だぜ」
「……教えろリンベル、なんで俺は無視されるんだ?」
「お前はなんにも知らないんだなあ。まあ仕方がないか」
リンベルは一見すると昔のままに思えた。ポケットに手をれて、へらへら、ふらふらとナターシャの周りを飛び回るジャンク屋、というのがディエゴから見た印象――。
「知りたいか?」
今は違う。貓のような瞳をスンと冷たくし、どろどろと濁ったを宿している。ディエゴが知らない顔だ。ナターシャだって知らないだろう。
「私はお前にも悪かったと思っているんだ。何が、とは聞くなよ? とにかくこれは謝罪の代わりってわけ」
「なにを言って――」
「時間がないから一つだけ教えてやる」
リンベルが人差し指を立てた。指先が天を指し、続けてディエゴを指す。
「お前が朽ちた聖城で撃った傭兵のことを覚えているか?」
「ああ、覚えている」
「あいつは私らの友達なんだよ」
「……私ら?」
「私と、ナターシャのな」
また一つ、歯車が合わさった。ディエゴは覚えている。忘れられるはずがない。彼が初めて戦場で撃った相手だ。
知りたくなかった。知った瞬間、巡った因果がディエゴを磔(はりつけ)にする。彼の意識が「あの日」に引き戻され、命を狙われる恐怖や極限狀態の混、思いのほか軽い引き金、そしての傷口から大量のが溢れだす景が思い出される。
我慢できなくなったディエゴは盛大に吐いた。突きつけられた事実と、仕方がなかったという言い訳で頭の中が混する。
「選択には責任が伴(ともな)うもんだ。お前はたしかに努力をしたんだろう。努力して、私らの敵になったのさ」
うずくまるディエゴに銃口を向けた。すぐさま反応するが一人。
「サーチカと言ったか。ここで撃てば私はどうなる?」
「その前に私があなたを撃ちます」
「なんでそこまでするかね」
「私はディエゴ隊長の副なので」
「副が隊長を辭めさせるなよ」
サーチカが銃を構えている。ナターシャやイヴァン相手では太刀打ち出來ないか、リンベル一人ならばサーチカでも対処できる。否、しなければならない。
リンベルが年を見下ろす。算するならば今ではないか。されどリンベルにもがある。リリィを奪われた痛みも、馴染みに対する親も。ナターシャのために撃つか。自分のために撃つか。それともディエゴのために――。
「なにやってんだかな」
リンベルは銃を下げた。命の奪い合いは彼の領分ではない。
「ありがとうございます」
「私は平和主義なんでな。いくぜサーチカ。そこの馬鹿は船に乗せられないが、お前は首都に來てもらう」
「構いません。隊長が出するための経路は確保しております」
サーチカは明らかに安心した様子だ。賢い彼は、リンベルと爭えば第二〇小隊と敵対すると理解しているのだろう。
「ディエゴ隊長、お世話になりました。軍部との手続きは私が済ませておきます。どうか隊長は軍を離れ、爭いと無縁の生活を送ってください」
「お、俺は……」
彼はまだ混しているようだ。だが何か伝えたいことがあるらしく、船に向かおうとするリンベルを呼び止めた。
「待ってくれリンベル!」
「だから乗せねえって――」
「わ、わかってる。けどひとつだけ……首都ラスクの中央広場周辺に新しく建てられた孤児院がある。そこに寄ってほしい」
「何の用でローレンシアの孤児院に?」
「そこにみんなが……シェルタがいるんだ」
さすがにリンベルも知らない報だ。たしかに孤児院のみんなが生きているならば、ナターシャに伝えたほうが良いだろう。
「了解だ。じゃあなディエゴ。今度こそ、お前のために生きるんだぞ」
サーチカを連れて船に向かう。これで良いのだ。友人同士が爭う景なんてリンベルは見たくない。潛任務を考えるとディエゴを排除したほうが確実だが、それではナターシャが重荷を背負うことになる。
「爭いと無縁の場所なんて、存在しないけどな」
「何か言いましたか?」
「馬鹿ディエゴが平穏に暮らせたら良いなって話だ――ゲホッ、コホ」
「大丈夫ですか?」
「……ああ、平気だ」
はあ、と重いため息を吐いた。震えた指を覆って隠す。
遠くで大きな炎が昇った。戦闘が激化する中、ナターシャとイヴァンは戦場を離れ、足地の報を求めてローレンシアの首都を目指す。
來週から首都ラスク編です。
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