《ゆびきたす》【7話・夕闇を二人が呑み込む前に】

私が日張丘雲雀に告白をしてから一週間が立った。その一週間のに、特に何か劇的な変化があるわけでもなく。私達の距離が変化したと分かるのは、私が下校時刻に日張丘雲雀を迎えに行く時くらいである。毎日短いメールをわして、一緒に帰る。そんなちょっとした時間が、私達が作り上げた変化であった。

毎日、彼を駅前まで自転車に乗せていく。そんな鞄持ちみたいな様子は、日張丘雲雀が目を引くせいもあって、學校ではちょっとした話題になっているようだった。

あの生徒會長が、自転車の二人乗りをして帰る。しかも相手は、よく分からない下級生。その事実は、話の種に飢えた暇人達の、丁度いい暇つぶしになったようで。

最初は日張丘雲雀も、周囲の反応を気にしていた。しかし私という人間が、格段面白いわけでも無かったせいか、その話題も數日で立ち消えた。もはや誰も気にしなくなっていた。

いや、私はそう思っていた。放課後のパソコン室で、霧野家桐野が私に質問してくるまでは。

「ゆずっち、人でも出來た?」

ほとぼりも冷めたと思っていた頃に、霧野家桐野は急にそんな質問をしてきた。

文化祭の発表容を決めると宣言した彼が、悩み始めて數分後、口を開いたと思えば文化祭のアイディアではなくそんな質問で。

思わぬところから飛んできた直球に、私が驚いて顔を上げた。霧野家桐野はキーボードを叩く手を止める。彼のPCの畫面には、何かをしていた形跡は無く、今まで叩いていたキーボードのは何の意味があったのだろうかと訝しんだ。

私の反応を見た彼は、頬杖をついて姿勢を崩した。私はなんて答えたものかと回答に悩む。し悩んでから私は小さく頷いた。

「いつからよ」

「先週ですよ。別に隠そうとしてたわけじゃないですよ」

「いや、それは良いんだけどさ。あたしにも黙ってんのは、なんか引っかかってるからかな、と」

引っかる言いに私は首を傾げた。その言葉の意味が私には分からなかった。

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人になるってのは、同でも友達の好きでもないからさ。そのへん分かってるのかな、って何となくね。ゆずっちはいつも、自分の中で整理付いてないのに行が先走る癖があるじゃん」

「私はその人の事、好きですよ。そんなの間違いないですよ」

私の反論には気の抜けた返事しかなかった。その態度にし苛立つ。分かった様な口を利く彼は、一私達の何を知っているのだと。

「なら人の好きってなんですか」

「同ってのは大変なもんだぜ。はっきりさせとかないと後で後悔する」

あっけからんと言ってみせた彼の言葉に私は固まる。いつになく真剣な表な目をしていたので、視線をはずしたくなった。私は返事の言葉を探す。自分の中の冷靜さを探し回る。霧野家桐野が冗談の言葉の一つも繋げないので、私は誤魔化すことを諦めて問い返す。

「……知ってたんですか」

「生徒會長だろ、相手。まぁ勘だったけど。てか、あんな質問をしといて、急に生徒會長と一緒にいるようになって、あたしにバレないと思ってる方がおめでたい」

そういって、彼は口の端を上げた。良く見せるいつもの仕草には違いなかったが、それはどこかぎこちない様にも見えた。

私と日張丘雲雀が付き合いだした。霧野家桐野はその結論に簡単にたどり著けたのだろうか。彼の認識を疑わなかったのだろうか。そうであるならば、霧野家桐野という人間は、「溺れない様な人間」であると私は思う。

私は黙って彼の言葉を待った。力無い姿勢のまま、彼は私に言葉を刺す。

「ゆずっちはさ、レズビアンじゃないんでしょ」

その言葉は、その短い問いかけは、どうしてか重かった。突きつけられた言葉には、どうしてか嫌な冷たさがあった。

私は日張丘雲雀とは違う。

とは違う。

日張丘雲雀がの子を好きになる事を、日張丘雲雀自は知っている。彼はそういう人だから、例えば私を好きになったって、そのプロセスを疑問視することは無いのだろう。それが彼にとっての、當たり前だから。

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の子を好きになることに、そこに彼は一々疑念なんてきっと挾まない。

「じゃあ、ゆずっちの好きは彼の好きと同じなのか」

けれども、私はそうではないのだ。

私はの子を好きになったりする質なんかではない。だから、私が日張丘雲雀を好きだという事に、その事実に隙間が空く。考え込む余地が空く。

私は本當に日張丘雲雀が好きなのだろうか、と。

あまりにもあっさり出た結論は、私の底を揺るがしかねない事で、故に霧野家桐野の言葉が刺さり込む。り込んで隙間を広げようとする。

私は日張丘雲雀を好きだと思った。けれども、それは私達の前にある筈の隙間を飛び越えなければ出ない結論で。けれども、私が越えた境界は、あまりにも私を引き留めようとしなかったから。

私はビアンではないのに、こんなにもあっさりと、日張丘雲雀が好きであるという結論が出たりするものであろうか。

「でも、じゃあ私は。私が日張丘さんを好きなのは何なんですか」

なら、私の日張丘雲雀に対するは何だろう。彼の言葉を聞いたとき、彼が抱いていた好きというを教えてくれたとき、それはまさしく私の抱えているものと同じであると思った。私達は同じ線の上に立っていたと思った。

私は彼と同じものを見ていると思った。

「ゆずっち、人の好きってのはさ、あたしの基準じゃ一つだ」

「なんですか」

「寢たいか、ってこと。寢れるじゃなくてさ」

霧野家桐野がそう言って、そしてまた急に帰ると言い出して、私は一人部屋に殘された。言葉だけが殘されて、私の耳の中で反響し続けていた。空気の振がそれ以上の意味を持つ。

ふと私の攜帯電話が振した。誰からかのメッセージが屆いた事を教えてきた。確認してみると日張丘雲雀からのメールであった。

生徒會の仕事が終わったので、帰るのだと言う。時計を見るといつもよりずっと早い時間であった。返信を打とうとして私の指先が止まる。

私は、まだ同好會の活があるから、なんて返信を打った。メールを送って、真っ暗なPCの畫面に映った私の顔を見つめ直す。その後ろに映るのは私以外誰も居ない部屋。椅子に深く腰掛け直し溜息を吐いた。両手で私は自分のを抱き締める。確かなはまるで、此処にいることを否定できないようで。

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攜帯が再び振した。私の返信に日張丘雲雀から返事があった。容を確認する。それは控えめな言いで書かれたデートのいであった。

次の土曜日。私達の関係が変わって初めてのデートであった。

【7話・夕闇を二人が呑み込む前に】

作者・さたけさん

いつもと違う待ち合わせ場所。大泉學園駅の改札前に日張丘雲雀は居た。白いワンピースにクリームの薄手のカーディガンを著て、珍しく化粧をしていた。私に気が付いて手を振っていた。

「お待たせしました」

「そんなことありません。結之さんは時間通りです」

私は何となく照れ臭くなって、わす言葉もそこそこに電車に乗った。今回は、品川駅にある水族館に行ってみたい、といういであった。

日張丘雲雀からのデートのい。その事実に、何となくむずくなって、橫で笑顔を見せる彼から私は視線を外す。人という名前の付いた関係が、急に私を躊躇わせてしまって。私は何を話したものかと口數がなくなっていた。それとは逆に、日張丘雲雀はおしゃべりであった。初めて彼と池袋で會ったときの事を思い出す。本當はよく喋る質なのであろうと、相槌を打ちながら思った。

品川駅から徒歩五分程で目的地の水族館はあった。映畫館等との複合施設になっていて、水槽の數自はそれほどでもないが、ショーを行えるプールが二つもあった。駅前という割には十分に広い。新しい施設だけあって、何処も綺麗で明るい。

り口近く、南の海をイメージした明るい水槽の前で私達は立ち止まった。明るい水を見上げていると、日張丘雲雀が私に肩を寄せてきた。彼の髪からは柑橘類の甘い香りがした。彼は躊躇いがちに呟く。

「手を繋ぎませんか」

珍しくそんなことを言ってきた。水槽に映っていた私は、口をぽかんと丸く開けている。彼の方から手を繋ごうとってくる事は、一度も無かった。いつも私が勝手に手を握っていた。

私が頷くと彼は私の腕にしがみついてきた。そうして彼は照れ臭そうに笑った。

私は今までの彼を思い起こす。

今まで彼は歯止めをかけていた。誰かに近付くことを恐れていたから。彼が好きになるのはの子だから。

故に、今までの彼は、私に対しても歯止めをかけていた。私にれることを、彼は自分からしようとはし無かった。

私の腕が張で強ばる。手を繋ぐことを一瞬躊躇わせる。腕にれたが私の側をでた様で。彼は、に、好きというを乗せることが出來るのだ。彼は、に、好きというを見出すことが出來るのだ。私と今まで手を繋いでいた瞬間も、彼はその理的な要素に価値を見いだせた。

それは私が手を繋ぎたかった理由とは違う。彼と手を繋ぎたいと思っていたのは間違いないのに、どうしてズレを覚えるのだろう。彼れても、何をじることも出來ない。私の指先はまるで不癥みたいで、なら日張丘雲雀ならば、その指先は一どうじるのだろうか。

「あの黃いお魚は、池袋の水族館にも居ましたね。結之さん」

「そうですね」

好きというの正解が私には分からない。

  ◆  ゆびきたす  ◆

この水族館で一番大きな水槽はトンネル狀になっている。水槽の下を潛る様にして通るのだ。トンネルの中で、上を見上げてみると、巨大なエイが泳いでいく姿が見えた。

水槽を見上げていると、此処はまるで深い海の底であるかの様で。溺れているかの様な覚になる。私達の上を泳いでいく魚の影が唐突に散った。日張丘雲雀が、視線は上に向けたまま、私の腕を摑む手に力を込める。

水槽を見上げていると、私の視界の隅にちょっとした違和があった。顔をあまりかさないようにして視線だけをそちらに向ける。し離れた位置に、一人のが立っていた。白いレースで縁取られたゴシックチックな黒のワンピース。手には赤いレザーのバッグを持っている。染めていない黒髪は腰の辺りまでの長さがあって、良く似合っていた。

違和の正はその彼であった。どうも先程から私達を見ている気がする。

考えすぎだと思ったが、私達が移すると彼も遅れて著いてくる。様な気がした。

私は顔を向けないようにして彼の様子を窺うが、やはりこちらを気にしているように思える。

「結之さん、ショーの時間みたいですよ」

日張丘雲雀の聲でふと我に返る。その言葉に続いて、イルカショーが始まるという館放送が流れた。期待に満ちた目を向けられて、笑いながら頷いた。私達はイルカのいるプールへと向かった。池袋の水族館にイルカは居ないんだよなぁ、なんて私はぼんやりと思った。

ショープールのエリアにると強い風が冷たく吹いた。屋プールは大きく開けていて開放があり、高い天井は室であることをじさせない。橫にいる日張丘雲雀の口から驚嘆の聲がれていた。

大きなプールを丸く囲って、座席は階段狀になっている。私達は家族連れの側に腰掛けた。日張丘雲雀が私の方に寄せて座ってきて、彼の肩が私の肩にれた。私はそっと周囲を見渡す。目立つ格好ではあるので、件のゴシック姿のを見つけた。し離れた位置に座っている。私はそっと指さしながら、日張丘雲雀に耳打ちする。

「日張丘さん、あの子知ってます? 赤い鞄を持ってる、あの黒い服の」

「いえ、存じませんが。あの方がどうかしたのですか」

日張丘雲雀はそう答えた後も、その姿を暫くじっと見つめていたが、やはりもう一度首を橫に振った。やはり私の考え過ぎかと思い、不安がらせないように笑顔を作る。

「いえ、何でもないです」

「他の子なんて見ないで下さい」

日張丘雲雀がプールの方を見つめたままそう言った。小さく、でも強い聲であった。

そんな言葉に呆けてしまう。彼の頬がし赤く染まっていた。妬いているのだと気が付いて、私は笑いを噴き出した。私に顔を向けず何も居ないプールをじっと見つめている日張丘雲雀の橫顔に、私はどうしてか嬉しくなる。

「イルカは見ても良いんですか」

「イ、イルカは構いません」

私が笑うと彼は顔を真っ赤にした。観覧を許可されたイルカショーが終わると、出口は観客の群れでごった返しになっていた。私は先程の彼の姿を見失ってしまう。それらしき後ろ姿は何処かに消えた。件の彼の姿を探して余所見をしていると人の群れに肩を押されて私はよろめいた。

よろめいた私はふと手首を摑まれて、驚いて視線を向けた。日張丘雲雀が私の手を強く握って、そうして出口まで歩いていった。手を引かれながら私は付いていく。水族館を出て人が疎らになった帰り道でも、彼は私から手を放さなかった。

「日張丘さん、もう大丈夫です。ありがとうございます」

駅前までの道の途中で私はそう言った。日張丘雲雀が立ち止まり振り返る。私の手を握る力がし緩んで、その手は私の袖を摑む。建で、私の袖を摑んだまま彼し俯き押し黙る。どうかしたのかと思って私は首を傾げた。彼は恥ずかしそうに周囲を見回して。そうして俯きがちに何かを言う。聲が聞き取れなくて私は顔を近付けた。

その瞬間、彼の顔が目の前にあった。に何か溫かくてらかいものがれて。その剎那、私から慌てて顔を遠ざけた彼の顔は、夕闇の中でも分かるくらいに真っ赤に染まっている。し視線を俯かせ、恥ずかしそうな顔をして、彼にその指先でれていた。

今の一瞬に何が起きたのかを、私は遅れて理解する。自分のれたのが、目の前の彼であると気が付く。恥ずかしそうに視線を何度も私に向けては外すを繰り返す。

私は揺して、言葉を忘れて、目の前の存在が滲んで。

「だ、駄目でしたか」

「いや、そういうわけじゃ」

私は、その言葉を最後まで言えなかった。私は気付けば彼を重ねていて。そのに思考は停止する。理論より理屈より理より。理由のないが私の中を一杯にする。

目の前にいる彼の顔を見たくなくて私は目を強く瞑った。れる違和が不快なものに変わって。今、私が彼とキスをしているという事実を、今すぐにでも手で押し退けたくなる。こんな不愉快なを知りたくなくて、そんな私を否定したくて。それでも私はけなくて。あまりにも突然沸いたを理解出來ずにいた。

が抱いたを私は知らない。

夕闇が消えそうな隙間に潛り込んで、私は彼とキスをした。好きというの正解を誰も教えてくれないまま。

「先輩?」

その聲に私は勢い良く振り返った。日張丘雲雀から咄嗟に離れる。そこに居たのは先程のの姿。彼の言葉から、私は日張丘雲雀の知り合いかと思った。間近でも見てもやはり覚えがない。日張丘雲雀の事を、うちの學校の生徒であれば大半が彼のことを知っているであろう。そんな彼と、私がキスをしているところを見られた。事態の重大さから取り繕うと言葉を探す。そこで私の思考は違う方向へ行った。

目の前のの姿に何処か、何故か、違和を覚える。例えば手の甲だとか、頬骨のじだとか、肩の付きだとか。どうしてか一瞬、私の認識が小さな違和ぶ。

私の脳裏をふと全く関係ない人が過ぎった。今、この瞬間に過ぎるにはあまりにも場違いな存在。しかし、その姿がどうしてか、どうしても、その名前を私に連想させた。

私達は半開きの口で間抜けな表をして。互いに顔を見つめ合って。私の口をついて出たのは場違いな名前で。けれども、絞り出した言葉が私に現実を認識させる。私の認識を、確かなものであると実させる。

「立田、何してんの」

私の前に居るそのは、裝した立田達巳であった。

  ◆  ゆびきたす  ◆

立田達巳の裝は、なくとも私の目から見て完度の高いものであった。その長い髪はウィッグの様で、綺麗に前髪を編んである。下手な私よりもしっかりとした化粧をしていて、彼の男の要素を綺麗に隠していた。薄いピンクのチーク、パールのグロスを重ねた、眉は描いていないが、まつげは付けているようだった。

私はそんな彼の姿を見てただ呆然と呟く。の姿をした立田達巳に何も考えず、そのまま思った通りの言葉を向ける。

「なんで、そんな格好してるの」

「これは、その」

何故、立田達巳が裝などしているのか。目の前の知っていた筈の存在は、私の理解を超えていて、まるで知らない人間の様だった。私の中で認識していた立田達巳という存在から、目の前の存在は大きく乖離していて、それが彼であると私の認識は上手く処理してくれなかった。

私と彼は突然の事態に、互いに不用な遣り取りをする。そんな私達を見ていた日張丘雲雀は私の橫で狀況を理解出來ずに言葉を無くしていた。

彼は私の問いへの答えに窮して。私も何を言っていいか分からず。彼は、私と日張丘雲雀を並び見て言う。

「それより、今。生徒會長と何をしてたんですか」

その答えはきっと簡単な、短い単語で完結するはずなのに。私は答えられなかった。彼に、その答えを伝えて良いのか分からなかった。霧野家桐野の言葉がふと蘇って、私の何処かで響く。

『ゆずっちはさ、レズビアンじゃないんでしょ』

そうだ。あの時の霧野家桐野の言葉はきっと正しい。私と日張丘雲雀の関係はそういう言葉にしかならないのだ。それが私の言葉を迷わせる。それが何処か違和を私にじさせ、それが私を戸わせる。

「先輩ってが好きなんですか」

彼が私に向けた、その質問はあまりにも難しかった。誤魔化すわけでも、偽るわけでもなく、私は答えに窮す。答えは全く出なくて、それに苛ついて。私が何故悩まなくてはならないのかと苛ついて。私は彼に食ってかかる。

「別に、立田には関係ないじゃん」

「僕は先輩の事が好きなのに」

私は彼の言葉にコタエることが出來ず、黙り込む。誰もが今に相応しい言葉を見つけることが出來ず、沈黙に支配されたこの場から、立田達巳は逃げ出すように去っていった。取り繕う言葉が見つからない私と、理解できずにいる日張丘雲雀は、互いに無言のままで帰路についた。帰り道、言葉をなくしたままの私の手を、日張丘雲雀はずっと離そうとはしなかった。

【7話・夕闇を二人が呑み込む前に 完】

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