と壁と》第九章 ふうちゃんは相撲取り

第九章 ふうちゃんは相撲取り

広岡房恵は、今日も落ち込んでいた。

その日も、學校から帰ってきたら、真っ先に母親に言った。

「お母さん。」

「どうしたの、ふうちゃん。」

母は優しかったが、その呼び方が何よりも嫌だった。

「私、もう子供じゃないわ。」

「ごめんね。」

そういってくれるけど、一向に母が自分のことを、ふうちゃんと呼ぶ癖は治らない。それだけ自分をかわいがってくれているとわかるのだが、大変な心の負擔でもあるからだ。

「お母さん、私、どうしてこんなにが大きくて太っているのかな。高校生なのに、100キロ近くあるなんて。」

そういわれると、母も困るだろう。まさか食べ過ぎたというわけにもいかないし、どういったらいいのだろうか、答えに迷いに迷って、

「まあね、人は、重い人も軽い人もいるからね。痩せてても太っていても、どちらでもいいのよ。」

それだけ言うのがやっとだ。

房恵がなぜここまで太ったのかは、だれもわからなかった。特に父も母もひどく満しているわけでもない。確かに赤ん坊のころから、彼はミルクを大量に飲む癖はあった。それのせいで、丸々太ったからだになり、顔が運會で使う大玉ころがしの大玉のような形だとまで言われたこともある。まあ、赤ちゃんというのは、生まれてしばらくは、よく太らないといけないというのは確かであるが、ちょっとこれではまずいのではと、健診で聞いてみたけど、醫者に度を越しているとは言われたことはなかったという。しかし、彼は、のころから、痩せるということは一度もなかった。ぷくっとした丸いで、洋服もきれいにるということはまずない。だから著用している洋服も限られた。

それでも小學校の時は、まだみな違う服裝で學校に通えるからよかった。そうしてくれれば服の柄や形などで、多系をカバーすることはできた。なるべく大きな花柄とか薄地は系が目立つから避けて、に大きなアクセントがあるものが、型から目をそらす効果があると聞けばそれを信じ込んですべての服をその通りにした。もし、変な格好と言われても、を目立たなくするのなら、それでよかった。

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ところが、中學生になって、學校で指定された制服を著るようになると、みな同じものを著ていくわけだから、型がことごとく目立ってしまった。房恵は、同級生の男子から、でぶでぶとからかわれて、子からも散々にいじめられた。彼は、學校へ行くのが苦痛になり、初めは學校に行くふりをして、公園や映畫館などで時間をつぶし、生徒の下校時間になると、帰ってくる生活を始めた。しかし、そのような生活をしていることを、擔任教師と同級生に見つかり、ことごとく叱られた。こっぴどく叱られてからは、もう外へ出るのすら嫌になった。彼は、外へ出ず、一日中部屋に引きこもった。人間は嫌いだとわめき続け、ご飯も家族と一緒には食べず、一日中部屋にこもって、何もしない生活が続いた。そうしているとスカートがきつくなってきた。またサイズの緩いスカートをとわめいて、新しいスカートを母親に勝ってこさせ、さらに太り続ける生活を送った。

そんな生活が2年続いて15歳、つまり験の年になった。房恵は、高校には行きたくなかったし、験する気は到底おこらなかったが、彼の父親は、高校にいったほうがいいとアドバイスした。もし、全日制で辛いのであれば、定時制でも通信制でもいいから、いったほうがいいと、彼の父親は、必死で説得した。房恵は、何度も撤回を求めたが、父は何としてでも彼を高校へ行かせようと思っていたらしい。無理やり、都にできたばかりの、新しい通信制高校にるようにと命じた。房恵は激怒した父には怖くて反抗できなかったから、従うことにした。ただ、その高校は、通網のあまり整備されていないところに立地していたから、都心に住んでいた房恵には、毎日通うのは難しい注文であった。それを父に相談すると、引っ越したらいいよと簡単に言われてしまった。父も母も、特に重大なポジションがあるわけではなかったし、大切な友人が東京都心に住んでるわけでもないからいいといって、すぐにあわただしく小さな一戸建てにひっこした。

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その高校では制服を著るのは任意であったから、房恵は制服を著用しなかった。ただ、育の授業で著用する服だけは購しなければならなかった。まあ、育の授業だけだからいいだろうと思ったが、トラウマというはなかなか消えない。周りの生徒が気にしないから大丈夫と言ってくれても、擔當の教員が気にしないでいいと言ってくれても、彼はやはり怖いというがわいてしまうのである。

房恵は、太っていたので、徒競走系の競技は苦手であったが、ただ一つ、得意なことがあった。それは力仕事である。風で倒れたサッカーゴールを一人で起こしたこともあり、授業でグラウンドを仕切るポールを運ぶのも何のそのでこなした。幸い、高校の生徒たちは、それをねたんだり、やっかみを言ったりする生徒はいなかったので、力仕事は自的に彼の擔當になった。時に、授業で怪我をしたり、合の悪くなった生徒を背負って、保健室まで連れて行ったこともあったくらいだ。

その日は、彼は自主學習の日で、學校に行く必要はなかった。通信制ではどの生徒もそうだ。毎日學校に規則正しくやってくる生徒のほうが珍しい。今日も機と椅子に座って、DVDによる授業をけて、一生懸命まとめノートを作っていた。優等生というわけではないけれど、房恵は勉強嫌いではなかったから自主學習の日も熱心に勉強していた。

「ふうちゃん。」

不意に、母が部屋にやってきた。

「悪いけど、コロの散歩いってきてくれないかな。ちょっと、これからお客さんが來るみたいなのよ。聖子おばさんが。」

聖子おばさんは、母の友人であるが、犬がしにがてなのは房恵も知っていた。

「勉強してるときに邪魔して申し訳ないけど。息抜きのつもりでお願いしていい?」

「いいわよ、お母さん。行ってくる。」

房恵は、鉛筆を置いて、椅子から立ち上がった。

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「コロは?」

「居間で待っててくれてるわ。」

母の言う通り、居間に行ってみると、茶の長ダックスフントが、ソファーの上で寢ていた。母がなでてやると、バネがはねたように起きた。

「コロ、今日はふうちゃんに行ってもらって。」

母が言うとコロはちょっと不服そうな顔をした。房恵は母からリードをけ取って、コロの首に付けた。コロはいやいやそうに、房恵について歩き出した。

とりあえず、コロを連れて玄関に出、家の外には出たものの、房恵はどこに行ったらいいのか全くわからなかった。コロの散歩は、いつも母任せだったからである。母に散歩コースを聞いてくるのを忘れたことを、し後悔した。戻ろうかと思ったら、向こうから軽自車が近づいてくる音がしたので、これは聖子おばさんがやってきたのではないかと思い、ならば家からし離れた公園に行こうと考えて、その方向へ向かって歩き出した。そのため、軽自車とは、鉢合わせすることはなかった。

靜かな通りをし歩いて、しばらくすると、綺麗な池のある公園にやってきた。房恵は、ベンチのほうへいって、コロのリードを放し、しばらく自由にさせてやろうと考えたが、コロはパッと走っていくことはせず、その場に座ってしまった。遊びに行かないのか、と房恵ががっかりしていると、遊歩道のほうから人と犬が歩いてくる音がした。暫く見ていると、著を著た男が、灰の大きな犬を連れてやってきた。彼は比較的小柄な男で、長も房恵より小さいし、重は彼の半分もないのではないかと思われるほど痩せていた。その左手の甲から小指にかけて、桐紋が描かれているのを見ると、房恵は、この人は極道の若頭とかそういう人だと思ってしまった。絡まれる前に急いで逃げなければと考えて、コロのリードをつけようとおもったその瞬間、コロも犬の存在に気が付いたらしい。短い腳でパッと彼のほうへ走って行ってしまった。

「コロ待って!」

いくらダックスフントでも、四つ足は四つ足だ。その気になれば、人間よりも早く走ることもできる。コロはあっという間に飛んで行ってしまった。房恵が追い付いたときは、もう、コロは、灰の大きな犬にじゃれついていた。

あああ、どうしよう。私も極道に絡まれるのか、何とかして切り抜けなくちゃと一生懸命考えていると、

「珍しいですね。」

いきなり彼がそう切り出した。

「あ、あの、ご、ご、ごめんなさい!すぐに辭めさせますから。」

房恵は一生懸命しどろもどろに言った。犬二匹のほうは、どうも仲良くなってしまったらしく、互いの顔を舐めあったりしている。

「いえ、構いません。いまどきスタンダードを飼っているなんて珍しいなと思ったのでそういっただけです。」

その人はそういった。

「スタンダード?」

房恵が素っ頓狂に言うと、

「はい、この大きさだと、そうかなと思ったのですが、違うんですか?」

と返ってくる。口調は穏やかで、房恵は極道ではないなと考え直した。

「ああ、ああ、ああ、違うんです。この子、ミニチュアなんですけど、それなのに、なぜかこんな大きさになってしまいまして、、、。」

実を言えばそうなのである。スタンダードダックスフントとしてではなく、ミニチュアダックスフントとしてペットショップで購したのであるが、毎日毎日大量の餌を食べさせていたら、なぜか巨大化してしまい、ミニチュアとはとても思えない大きさになってしまった。

つまり、平たく言えば太ってしまったのである。

「そうですか。」

と、その人は言った。

「すみません!やっぱり飼い主に似るとでも?あたしがデブだから。」

「いや、いいじゃないですかね。それだけ幸せだったということですからね。うちの友蔵に近づいてくるなんて、なかなか勇猛だなとも思ったので、てっきりスタンダードかなとも思ってしまいました。ミニチュアよりも、スタンダードのほうが、勇敢と聞いたことがありましたので。こちらこそ勘違いしてしまってごめんなさい。」

「ともぞう、ですか?」

ちょっと大きな犬にはあわなそうな名前。

「はい、友蔵です。鑑札を見ていただければすぐにわかります。」

確かに大きな犬の首には、「小川友蔵」と書かれた鑑札がついている。なんだかあまりにミスマッチな名前で、笑ってしまいたくなった。

「ちゃんと、漢字名まであるんだ。」

「彼の名は何というのですか?」

「コロです!」

「コロ?」

ダックスフントには合わない名前かもしれない。

「お互い、ミスマッチな名前ですね。」

が、そういって、二匹のほうを見た。コロはなぜか友蔵の前足の下にって遊んでいた。もしかして、コロも初めての友達なのかもしれなかった。母が、犬同士でけんかをするといけないからと言って、犬がよく散歩をしている時間にはわざと連れて行こうとしなかったからだ。コロはじゃれついて、遊んでもらっているというじだが、友蔵は落ち著いたままでんとそこに立っている。

「コロ!あんまりじゃれつくと、友蔵おじいちゃんの迷になるから帰りましょう。」

房恵は、コロにもう帰るように促したが、コロはそんなことは知らず。新しい友達ができて、激しているようである。

「いや、よく言われるんですけどね、友蔵も子供なんですよ。よくおじいさんに間違われるんですけど。」

「そうなんですか!」

「はい。ディアハウンドは、なぜか老けて見えるようですね。たぶんこの並みのせいでしょうね。髭も生えているし、白髪みたいに見えるし。」

「それにしては、本當におとなしいですね。しつけがしっかりしているのでしょうか。」

「どうですかね。しつけなんて、本當に放置しっぱなしなだけですよ。なぜか勝手に覚えたというじですよ。」

「そ、そうなんですか!」

この人は全く怖い人でも悪い人でもなく、寧ろ面白い方だなと房恵は思った。ここで一期一會で終わってしまうのだろうか?

「この近くの方なんですか?」

思い切って聞いてみた。

「ええ。この公園には毎日散歩で來ています。」

「そうなんですか!私もこの公園の近くなんですよ。私、広岡房恵と言います。」

「ああ、僕は小川裕康と申します。よろしくどうぞ。」

犬だけでなく、人間まで仲良くなってしまうとは、どういうことなのか。でも悪い気はしない。何か大きな収穫を得た気分だった。こうなれば、コロに謝しなければならないか。

足元ではコロが友蔵にじゃれついて遊んでいた。友蔵も、コロをなめたりして、応じているようである。房恵は二匹の友立を、心から喜んで、応援してやりたかった。

突然、後方からうめき聲のあとに咳の音が聞こえてきた。

「だ、大丈夫ですか?」

「あ、何でもありません。」

裕康はそういったが、その顔にし脂汗が出ていることに、房恵は気が付いた。

と、同時に十二時の鐘が鳴った。

「あ、そろそろ、私帰らなくちゃ。うちの家族が、私に何かあったのではないかと心配しますから。」

房恵は、急いでコロにリードをつけた。裕康も、友蔵の首についている紐をもった。

「じゃあ、またここで會いましょうね。宜しくお願いします!」

はひさしぶりに気持ちが明るくなって、晴れやかな気分になり、軽く一禮してコロと一緒に自宅へ戻っていった。ああ、今日はいいことがあった。犬を通して、あんなによい人と知り合いになれたのだから。よし、これからは、散歩に行こう。房恵はそう決めた。

その次の日、房恵は登校日だった。今日は、高校生であれば、一度は経験する、進路希調査が行われる日だった。

房恵も、調査用紙を目の前にして、一生懸命志大學を考えたが、どうしても思いつかないのだ。就職しようにも、こんなに太った自分をれてくれる會社なんてあるかもわからないし、れたとしても太っていれば上司や同僚と何らかのいじめのようなものが発生してしまうことは確実だ。そんなことを気にしていたら、生きてはいかれない、気にするなと教師が勵ましてくれたこともあったが、これまでのトラウマのせいか、どうしても自信がもてない。かといって、大學へ行こうとおもっても、何か秀でている科目があるわけでもないし、績だってさほど優れているわけでもない。好きなものと言えばスポーツだったが、スポーツを極めるとしたら育大學だ。しかし、育大學の學生というのは、みんな細くてすらりとして、軽で俊足な人たちばかりだろう。そこに太った自分が現れたら、確実にいじめられることは間違いない。それに、自分は力だけはあったが、俊足でもないし、特定のスポーツに秀でているわけでもないから、もう何もない。つまり、太った人間というのは、日本社會で生きていくためには本當にリスクが大きすぎるという種族なのである。そればかり考えていると、時間はどんどんたってしまい、結局彼は白紙のまま、進路希調査を出してしまった。これは問題になるぞ、と、彼は思ったが、制限時間が來てしまったので、そうするしかなかった。

案の定房恵は、放課後教師に呼びだされた。呼び出したのは恵子だ。たぶん、他の教師より生徒に近い存在と認められているから、上の教師から命じられたのだろう。恵子に連れられて、面談室に行き、改めて、行きたい大學も、就職したい企業もないのかと問いただされたが、太っているからということを理由として挙げて、無理だ、自信がないと言い続けるしかなかった。

「だけどねえ、人間なんだし、必ずどこかで働かなければならないでしょ、ふうちゃん。」

恵子も、自分への距離をめてほしいので、彼をそう呼んでいるが、彼は、それが本當に苦痛であるというところは、まるで気か付かなかった。

「そうですけど、無理ですよ。だって、高校生なのに、100キロ近くあるんですもん。」

「だったら、力仕事みたいなそういうところに就くのは?」

「それも無理です。だって、そういうところは大男の人ばっかりだから、やっぱり馬鹿にされます。男の人って、変なところばっかり見るでしょう。先生もわかるんじゃないですか。」

まあ、確かにそれはそうだ。最近では男によるおかしなわいせつ事件も數多い。先日も有名なタレントが、一般の的な暴をしたという事件が、テレビでセンセーショナルに放映されたばかりである。

「だから、私、進學も就職も無理なんですよ。だって、どんなに良いことをしても、太っているせいで、全部帳消しになっちゃうでしょうが。」

それが嫌なら、何とかして痩せろと恵子は思わず言いたくなったが、それはやめておいた。もし、安易にそんなことを言ってしまったら、摂食障害のような、重大な神疾患に陥る可能もある。ここの生徒たちは、そうなる確率が高いので、絶対に彼らの人格を否定してしまうような発言はしてはいけないと、校長から厳格に注意されている。

「でも、いつまでも學生でいるわけにはいかないのも事実だし。」

恵子はそれだけ言ってみたが、それだけでも房恵は落ち込んでしまったようだ。ここの生徒たちは決して自分のことがわかっていないとか、親に甘えて將來の事をまるっきり考えていないとか、そのようなことはほとんどない。むしろ自分がわかっていて、世の中のこともわかりすぎるくらいわかっていて、そのせいできが取れなくなった生徒が大半を占めている。彼らに、どうやったら、そこから出してもらえるか。その糸口を見つけることが、ここの教師の必須的な使命であることに、恵子も気付いていた。

「ふうちゃん、もうちょっと、自分に自信が持てるように、何かしてみてごらん。なんでもいいからさ、本當に本気出してやってみてごらん。幸い、ここでは、學年もないから、験をいつするかはあなた次第だからね。先生、待っててあげるから。何か一度だけでも、自信が持てれば、運命なんてすぐに変わるわよ。」

的にはどうしたらいいんですか。だって、もしいたとしても、太っているということは、付きまといますよ。それのせいで、大事なものを手する前に、退するのが落ちですよ。」

「それを乗り越えることも必要なのかと思うけど、、、。」

房恵は泣いている。恵子は、彼にこの課題を課すのは、まだ早いと思った。おそらく相當傷ついているのだ。それがふさがるまでは、相當な時間を要すると察した。もしかしたら、醫療機関に助けてもらう必要があるかもしれないし、催眠療法のような「意識改革」的なことをやらないと、彼は助からないかもしれなかった。

「そうね。確かに、今までそういう経験しかないわけだから、怖くなるのも仕方ないわよね。まあ、ゆっくりやっていきましょう。今日はこれで、おしまいでいいけど、しずつでいいから、自分の進路を考えてほしいわ。もし、何か疑問點が出たら、先生、何でも相談に乗るからね。」

「はい、恵子先生。ありがとうございます。」

房恵は、もう嫌だという表をして、面談室を出て行った。彼も、恵子も互いにため息が出る面談だった。

翌日も授業があったが、房恵は欠席した。欠席で文句をいわれることは、學校の方針上あまりないが、恵子は深く傷つけてしまったかと、改めて頭を抱えることになった。

房恵は、また自信を無くして、部屋に閉じこもっていた。これまで悩みがあると何度もそうしてしまった。機に向かっても、何も勉強する気にならない。昨日の恵子に言われたセリフ、いつまでも學生ではいられないというのが、頭の中を回転している。母がご飯を持ってきてくれたりしてくれるけど、人間は嫌いだと言っておきながら、全部を母に頼っているのを忘れるなと、教師に怒鳴られたことも多かったので、非常に強い罪悪じていた。

ふと、足元にの息がかかったのがわかったので、足元を見ると、スタンダードと間違われたミニチュアダックスフントが、何か言いたげに彼を見ている。コロはいいな、太っていても、スタンダードと言って誤魔化せば通じるじゃないかと房恵は思ってしまった。

「ワンワン!」

そうか、もうそんな時間か。最近、コロの散歩は母ではなく、房恵が擔當になっている。さすがに、今日は無理だとは言えない。

「よし、行くか。」

房恵は部屋を出ると、コロの首にリードを付けて玄関から外へ出て行った。母に散歩コースを教えてもらっていたが、たまには違うところへ行ってもいいだろうと思い、今日は公園に行ってみることにした。そのほうが、コロも刺激があっていいとおもった。

公演にって遊歩道を歩いていくと、コロの歩くスピードが急に速くなった。なんだと思っていたら、また人と犬が歩いてくる音がした。

「こんにちは。」

前方を見ると、裕康と友蔵がいた。コロもそれに気が付いたらしく、あっという間に友蔵の方へ走って行ってしまった。

「こんにちは。」

裕康は、先日あった時より、やつれた姿になっていた。

「細い人はいいなあ、、、。」

思わず、口を継いで出てしまった。

「今、なんといったんです?」

「あ、ああ、ごめんなさい、ま、まずいことを言ってしまいましたね。」

「座りましょうか。犬二匹をしばらく遊ばせてやりたいので。」

裕康が、近くにあった東屋を、顎で示した。房恵もそこへ行った。コロと友蔵は、キャンキャンと聲をあげながら、じゃれあって遊んでいる。そこから判斷すると友蔵もまだ子供だとわかった。

東屋に行った二人は、長椅子に並んで腰かけたが、房恵の幅が裕康の二倍以上あり、なんとも異様な景であった。どちらが年上なのかわからないくらいだ。

「どうしたんですか。今日は何か、落ち込んでいるみたいだから。」

どうしてわかってしまうのだろうか。隠すことすらできないのか。でも、罪悪を持っているのもまた事実なので、思い切って話してしまうことにした。房恵は、時々言葉を詰まらせながら、昨日の進路希調査の事や、恵子に言われたこと、そして、生きていることへの罪悪などを話した。裕康は、途中で話をさえぎったり、わざとらしい相槌を打つこともしなかったので、事の顛末をすべて話すことができた。

「だから、私、生きていても仕方ないなと思うんです。太った人間というのは、やっぱり生きていくのは難しいというか、負の條件のほうが多いので。」

「そうですね。」

裕康は言った。このセリフには意外だった。親をはじめとして、教師もそうだけれど、ほとんどのものはそんなことはないよという。でも、この言葉は彼にとって、悲しいセリフである。その時はそういってくれても、現実社會に戻ってくれば、またいじめにあってしまうことを彼はよく知っている。だから、嫌なセリフになってしまうのだ。

「まあ、誰かが大切なのは見た目と言っていたことがありましたけど、ある意味正しいですからね。」

「でしょう?だから私、、、。」

初めて自分の苦しみを理解してくれた人だと思った。でも、そのあとに、がりがりも困るのだと言われたらどうしようかという不安もあった。これも彼にはきついセリフだ。

「確かに苦しみますよね。なかなか格を変えることは難しいですからね。でも、一人でサッカーのゴールを持ち上げられるほど力があるんですね。」

それはそうである。確かにそういう事は何度も頼まれてやっている。

「それだって、一つの才能だと思うんですよ。ある競技においてはですけれど。」

一つの才能?なんだそれ?何もならないじゃないか。

「もしよかったら、大會に出てみたらどうですか。そこへ行ったら、たぶんそのくらいの重の人がたくさんエントリーしていると思いますから。確か、日大でやっていたんじゃないかなあ。うまく勝てれば、橫綱になれる可能もありますよ。」

「なんていうスポーツなんですか?」

「ああ、新相撲ですよ。相撲は個人の努力次第でいくらでも強くなれるでしょう。それに伴って、前頭、小結、関脇、と番付もついてくるわけですしね。番付が上がれば、自信もついてくるのでは?」

「相撲ですか。でも、前には土俵から降りてと放送された事件もあったから、はだめなんじゃ、、、。」

「いや、意外にそうでもないようです。子相撲ともいうのですが、ヨーロッパでは結構流行りの様ですから。それに一度大會にでて勝利すれば、自信がつくのではないかと思いますけどね。」

そうか。確かに自信が付けば、一気に數々の関門を突破できるという生徒はなくない。それをどうするかで教師は悩むのであるけれど、彼の事さえ解決すればいいので、もしかしたら非常に単純な問題なのかもしれなかった。

「まあ、考えてみてください。僕は、ただ、例を出しただけですからね。」

裕康はそう言った。そうしろ、と命令を出さないところが、またすごいなと思った。

相撲取りか。もしかしたら、それが、彼重を生かす唯一の場所なのかもしれなかった。そんなことを考えていると、また頭上から咳が聞こえてきた。

「だ、大丈夫ですか?」

思わず聞いてしまった。

「あ、すみません。」

「どこか、お悪いのでしょうか。いつごろから、、、。」

「生まれつきなんですよ。」

と、裕康は言った。同時に、十二時の鐘がなった。

「ごめんなさい、もう時間なので帰りますね。」

裕康は立ち上がって、まだ遊んでいる友蔵とコロのほうへ歩いて行ったが、なんとなく痛々しい様子も見せていた。

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