と壁と》第十四章 帰還

第十四章 帰還

恵子は、仕事がおわると、クレジットカードでホテルを渡り歩く生活をしていた。福生市にはなかったが、八王子駅にいけばかなりよいところがあった。こうしていることは、職場の人には誰にも知らせていなかった。知らせたら最悪だ。ホテルでは、テレビを好きなだけ見て、豪華な食事をして、贅沢を思うつくまま味わった。この快楽を、恵子はつぶしたくなかった。一晩泊ると、ホテルから學校に通い、終われば別のホテルへ泊まって、次の穂は、また別のホテルと、八王子駅の近辺から、八高線のホテルをぐるぐる周る。その生活が続いていた。

「恵子先生、ちょっと。」

また校長に呼び出された。

「なんですか?」

あの、不祥事以降、校長は恵子に対してあまりよい顔をしない。

「ちょっと、校長室に來ていただけませんかね。」

「はあ。」

言われるがままに校長室にいった。

「失禮いたします。」

校長が、恐る恐るドアを開けると、

「どういうつもりなんだ!」

という怒鳴り聲がなり響いた。一瞬誰なのか恵子は不詳だった。

「お父様、落ち著いてください。確かにお気持ちはわかりますが、他の生徒もおりますので、、、。」

校長が一生懸命なだめている相手は、篠田正代の父親であった。

「正代さんがどうしたんですか?」

「どうしたではないだろう!正代が、違法薬の取引をしていたばかりか、いま神錯狀態なんですよ!その責任をどうとってくださいますか!私たちは、あの子をああなるように仕付けた覚えはありません!必ず、學校に問題があったんだ!いったい何があったというのですか!恵子先生、聞かせていただけますかね!」

恵子にしてみれば、何があったかなんてまったくわからない。ただ、育の授業を擔當していたとしか言えない。仕方なく何も知らないと答えた。

「そうですか、學校というところは、進學率をあげそうになってくれる生徒には、ベタベタするほど可がるのに、進路変更すると、ごみみたいにすてて、なにも知らないで通してしまうわけですか!本當にいつからそういう信用できない場所になったんでしょうか!教育なんて、これっぽっちもない!」

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正代の父親は、やり場のない怒りを表現した。

「ま、正代さんはいまどこにいるんですか?」

「いまは、自宅におりますよ。家が一生懸命なだめていますが、まるで効果なしです。毎日毎日泣きはらしております。」

「しかし、違法薬というのは、正代さんが勝手にやったことであって、私たちがそうしろといったわけではありません。」

「はあ、そうですか!しかし、先生方は正代が東大に進學するように、ずいぶんとプレッシャーをかけたのではないですか!」

「だって大學へいくのは彼ですし、その方が、將來的にも、役に立つと思ったから、そうしただけの事です。」

「先生の進學率のために子供が犠牲になったことをよく考えてください!いいですか、先生は自分達の願をそうやって押し付けることはいくらでもできるけど、違法薬の事後処理をする方が、もっと大変であるということを、忘れないでくださいよ!」

「ま、まあ、ちょっと待ってください。勿論、私ども學校の責任はあると思いますが、正代さんは誰からその薬手したのでしょうか。その犯人は逮捕されているのでしょうか。」

校長が、恵子を援護するようにいった。

「それが、どうもその辺りがはっきりしないのです。しゃべってはいけないのと言うだけですし、何しろ錯狀態なので、全像が全くつかめません。ただ、正代はれ墨をした人にあっていたことは確かなようで。もしかしたら、暴力団とかそういう人ですかね。その人が、正代をそそのかして、薬の売人に引き渡したとしか、思えないです!」

恵子は、怒りというより呆然としてしまった。

まさか、自分の夫がしたとはとても言えない。

「恵子先生、どうしたんですか?ぼんやりしないでくださいよ。」

校長がそういうが、恵子は、それからの話も全く耳にらなかった。単に口のくのが見えて聲が聞こえてくるだけである。

不意に、誰かのスマートフォンがなった。

正代の父親が、何か二言三言かわして、また、校長との會話をはじめた。

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「恵子先生!」

校長に言われて恵子ははっとした。

「犯人、逮捕されましたよ。なんとも、正代さんに覚醒剤を手渡したのは、ただのけ子のようなものだったそうです。犯人は、彼を所屬組織本に連れていくことしか、役目を與えられていなかったとも供述しています。しかしですね、不思議な事があるもので、犯人が警察署に出頭したときに、大きな犬に追いかけられてきたとか、、、。」

と、言うことは裕康が正代をその組織にひきわたすように依頼し、け子が連れてきたということか?

ああ、もう!何て言うやつなんだろう。

もう嫌だ!あんなやつ!

恵子の頭にはそれしかなくなっていた。もう二度と、あいつとは、言葉なんてわさないと決めた。

校長と、正代の父親は、警察のこととか、休學の手続きなどを話し合っていたが、恵子は全聾のように何も聞こえなかった。

一方。

裕康の部屋には、房恵がやってきていた。

裕康は、布団に座っているのがやっとになっていた。

三、四回咳き込むと、口に當てた両手指の間から赤いものがれ出してきた。強そうなの手が、その背を叩いて吐きやすくしてくれた。

「ふうちゃん、ごめん。タオル濡らして持ってきて。」

養護教諭の鈴木多恵子先生は、いつもとかわらず、にこやかなままそういうので、房恵はさすが先生、すごいなと思った。自分にはとてもそんなことはできないはずだ。

実は、鈴木先生をこっちへ連れてくるのは、相當勇気がいった。でも、裕康をこのままにしておくのは、もっとかわいそうだから、房恵は勇気をだして難儀している人がいると、放課後に保健室を訪れて、鈴木先生に話してみたのだ。そして、自分にはどうしたらいいのかわからないので、先生に手伝ってほしいと懇願した。鈴木先生は、本當にそういう人がいるのか、半信半疑のようだったけど、房恵がドアを開けた時に咳が聞こえてきて、彼が部屋にって四畳半のふすまを開けたとたん、醫療従事者としての、本能が刺激されてしまったらしい。すぐに相をかえて、著をとり替えたり、布団を乾かしたりしてくれたのだった。

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房恵が、濡れタオルを先生にわたすと、先生は裕康の手と口の回りを拭いてくれた。

「ああ、多分を起こしてるね。病院にいった方がいいかもな。これは。」

鈴木先生がそういっても裕康は首を縦には振らなかった。

「でもね、こうなると、怖いよ。下手をすると、命にかかわるよ。その前に何とかしてもらわないと。」

それでも裕康は激しく首を橫に振る。

「橫になろうか?」

鈴木先生は、裕康を布団に寢かしてやって、かけ布団をかけてやった。裕康は再び咳き込んだ。

「何かあったら診てもらったほうがいいよ。あ、でもそうか、その桐紋のせいでむりなのか、、、。ごめんごめん。まあ、無理はしないで養生して、を大事にしてね。」

房恵は、その間にドッグフードを皿にれて友蔵にあげた。友蔵はすぐくらいついた。犬はニ三日ご飯を食べなくてもいいと聞いたが、友蔵の食から判斷すると、長くご飯を食べていなかったことが容易にわかった。

「すみません。」

裕康は、弱弱しく言った。

「すみませんじゃないですよ。あんな無殘な姿で、もう、どうなるかと思いました。」

房恵は裕康に返した。発見した時の姿は、強烈に頭に焼き付いたままだ。人間というより竹の棒と言ったほうがぴったりなくらい窶れていて、まさしく誰かの本にあった「棒になった男」という言葉がぴったりだった。あのような姿は二度と見たくない。

「それにしても。」

不意に裕康が言った。

「強くなりましたね。」

「ええ。裕康さんが教えてくれた、子相撲にも出ましたよ、私!まだ普通の前頭ですけど、平幕優勝もしたし、金星も取りましたから!」

どうしてもこれだけは伝えておきたかった。今伝えておかないと、二度と報告できないのではないかという気がした。

「次は、番付をもう一個あげますから!努力して、綱とり目指します!」

「頑張って。」

「はい!」

一生の誓いと同じくらい、強く誓った。

「しっかし。」

鈴木先生は、頭を掻いた。

「恵子先生も、よくこの人と一緒になったものねえ。全く。ああいう人は、この人みたいな人と、絶対長続きしないわよ。まあ、長年病気の人ばかり相手にしてきた私としては、何日も放置されたままって、すぐに手を出さなきゃなって思うけど、若い人はどうかなあ。」

「あたしなら、ずっとそばにいたいと思いますけど。」

房恵は素直に言った。

「何?ふうちゃんは、あの人に何かしてもらったの?」

「ええ!だってあたしが相撲を始めたきっかけは、あの人にもらったんです。」

「なっるほどねえ。まあ、ふうちゃんは、思春期の真っ盛りで、一番思い出が心に殘るときだから、そうやって熱的になれるんだけどね、若いころに、そういう経験がない人は、看病なんて、できやしないわよ。だから、介護殺人なんていう言葉もあるでしょ。近頃はね、そういう経験が全くない人のほうが多いのよ。恵子先生だってそういう事じゃないの。きっと、この人を介護するのに、疲れて逃げちゃったのね。」

「そうか。それで、友蔵君があたしに、それを知らせに來たわけですか。あたしが學校から帰ってきたら、犬が玄関前にいて、、、。」

実はそうなのである。房恵が學校から戻ってきたら、房恵の自宅玄関前に友蔵が座っていたのだ。彼の姿を見ると、友蔵はすぐに走り出して、房恵をこのマンションに連れてきたのである。そこで房恵は、裕康の家族が何日も帰ってこないで、彼は、放置されっぱなしだったことを知った。

「あたし、何でも手伝いますから。力なら、誰よりも自信があります。」

「よし、頼むわよ。私も、彼を放っておけないから、時々見に來るようにする。その時は、お手伝いを頼むかも。」

「ご飯なんかはどうしたら。」

「ああ、宅配弁當で頼もうか。いわゆる流食の。でもね、私から見たらね、本當はどこかの病院に行ってもらいたいな。ここまで酷かったら、院して何とかしてもらうのが當たり前なんだけど。もしかしたら、他の部位に転移する可能だってないわけんじゃないから。國立のがんセンターより、靜岡に行ったほうがいいかもよ、子線とか最新の治療もあるし。それができなくても、緩和ケアとかそういうところで、しでも楽にさせてあげるべきなんじゃないかな、、、。」

と、いう事はやっぱりそうなのだろうか。

「でも、あそこは遠いよね。」

鈴木先生はため息をついた。

「そこへたどり著く力が問題よね。ご家族の同意があるとか、そういう手続きがないと、あそこはいけないものね。恵子先生が、協力するとも思えないしな、、、。」

それよりも、肺がんであるかどうかが定かではないが、鈴木先生は、たぶんそうだと思っているらしいのだ。

「やっぱり、難しいかな、、、。」

鈴木先生と、房恵は顔を見合わせた。

「でも、私は思うんだけど、恵子先生がこの人を選んだには理由があるわけではないですか。その責任放棄しているということになりますよね、恵子先生は。」

房恵は、なんとなく苛立ってきてしまった。

「そうそう。本當はね、家族になるっていうのはそういうことでもあるんだけど、それを忘れている人って本當に多いよね。恵子先生もはじめとして、自己本位で結婚しちゃう人は多いから。本當にね、今私たちがしたことは、恵子先生がやることなんだけどね。」

鈴木先生は苦笑いした。

「まあ、その被害者が、うちの學校に來る生徒ともいえるんだけどね。」

うん、確かにそうかもしれない。

「ま、線するのはやめましょう。とにかく、私たちは、頻繁にこっちに來て、彼のこと見てあげないと。」

鈴木先生は手帳を取り出して、スケジュールの確認を始めた。房恵もそれに加擔して、定期的に訪問する日付などを決定した。

その翌日から、二人は定期的に裕康の下を訪れたが、回復するどころか一層深刻になっていき、房恵も鈴木先生もある覚悟を決めざるを得なかった。

それから數週間たった。季節的には、秋が深まり、日常の中で寒いという言葉が登場するようになってくる。

「えーと、なんていうアパートだったっけ。」

「確か、東福生から歩いてちょっとだったかなあ。」

どこからか、西洋訛りの強い日本語と、の聲が聞こえてきた。

「それにしても、ずいぶん遠いところまで行ってしまったものだ。」

「まあ、結城から來ると遠いけどさ、東京の人にはそうじゃないかもよ。」

「いや、電車は結構疲れた。」

「何年寄りみたいなこと言ってるの、ルイちゃん。」

「はい、すみません。」

つまり、川口ルイと妻の富子が、福生を訪ねてきたのだ。著に著けた二人を見て、東福生駅の駅員たちは目を丸くしていた。

「裕康、喜ぶかなあ。」

「たぶん、連絡位しろとか言われて、迷な顔をされるんじゃないの?」

「そこがいいんだよ。連絡をしないで突然押しかけるのが。」

「はいよ。そこが西洋と日本の違うところだわ。えーと、確かこの角を曲がってもうちょっと歩いたところにあるはずだった。」

二人は、スマートフォンの地図を頼りに裕康のマンションを探し當てた。

「やっぱり東京だよな。結城に比べると空気悪いなあ。」

「そんなことばっかり言わないの。そんなこと言ってたら、ここに住んでいる裕康さんたちに、悪いわよ。」

「すまんすまん。えーと、そろそろつくと思うんだけど。あ、寫真から判斷すると、たぶんここだ。この一階の角部屋だ。」

二人は、あるマンションの前で止まった。ちなみに、日本でいうマンションは、西洋ではマンションとは言わないことが多い。

「なんだか殺風景なところだなあ。周りの木は枯れてるし、、、。」

「冬が近いからそう見えるだけよ!もったいぶらないで呼び鈴鳴らして。」

「はい、すみません。」

ルイは、ドアに近づいて、インターフォンを押した。

返事はなかった。

「あれ、出かけているのかなあ。ちょっと鳴らしてみるか。」

したといわれるスマートフォンの番號へ電話をかけてみるが、電源は切れたままである。

「反か、道でも買いに行っているんじゃないの?」

富子がそういったが、

「いや、どうせ今日しか會えないんだから、もう一回やってみる。もし、居なかったら待たせてもらう。あれ、ちょっと待て。」

「どうしたのよ。」

「犬がいる。聲がするんだよ。あいつ、犬なんか飼い始めただろうか。」

富子にも、確かに犬の鳴き聲は聞こえてきた。

「何か、迫したような鳴き方ね。」

ルイが、ドアノブに手をかけると、ドアノブはガチャンと開いてしまった。

「なんだ、いるじゃないか。おい、裕康、久しぶりだぜ。昨日、富子さんの用事で東京に來たので、ついでに寄ってみたけれど、、、。」

と、言いかけてルイの言葉は止まった。返ってきたのは、返事ではなくて、苦しそうにせき込む音であったからだ。ルイは、斷りもしないで、部屋に上がっていき、四畳半のふすまを開けた。と、中には膨大ないかけの反と、一枚のせんべい布団にやっとの思いで座ってせき込んでいる裕康の姿が見えたのである。

「どうしたの、調悪いの?」

富子が中にって、裕康に聲をかけると、裕康はやっと振り向くことができた。その顔も手も、簡単に折れてしまう割りばしのように細かった。

「ど、ど、どうしてここまで悪く?」

「ごめんなさい。」

力がなかった。

「恵子さんはどうしてる?養生しなきゃいけないでしょうに、」

「恵子さんならとっくに寄り付かなくなりましたよ。」

「もう、、、。せめて手紙でも出してくれればよかったのに。あんまりしゃべらないほうがいいのか。橫になるほうがいい?」

裕康が力なく頷いたので、富子は彼を布団に寢かせてやった。

「せめて、こんなせんべい布団じゃなくてさ、布団くらい新しいのにすればよかった。隅の方の綿がし見えてるわ。もう、恥ずかしいったらありゃしない。」

富子はいつもの勝気な口調で言うのだが、鈴木先生のような強さはなかった。

「こんなほこりっぽいところで寢てたら、余計に悪くなるから、し掃除するわ。えーと、掃除機はどこかなあ、、、。」

富子が、掃除機を探しに四畳半を出て行くと、ルイは裕康の枕元に座った。

「お前も大した役者だぜ。東京に行ってから一度も連絡がないので、たぶん恵子さんと幸せに暮らしているんだろうなと思っていたが、こんな、割りばしみたいな姿になっているとは思わなかった。全く、よくもだましてくれたな!」

裕康は、黙っていて答えなかった。

「ほんとに、やるせないよ、お前!何か言ったらどうだ。黙ってないで。」

「川ちゃん。」

不意にしわがれた聲で裕康が言った。

「何!」

「もう、結城市に帰りたい。」

裕康の顔に涙が浮かんでいる。

「帰りたい。」

ルイは、一生懸命考えていたが、いきなり何かを思いついたらしく、ピシャンと膝を叩いて、でかい聲でこう言った。

「わかったよ!いくらだまされたとしても、最期までお前の親友でいる。その夢、何とかしてかなえてあげるよ。ただ、もう、だますなんてことは絶対にしないでくれ。ハリセンボン飲むどころか、釜茹でにしても足りない。富子、ちょっときてくれる?」

「なあに?今掃除してるんだから邪魔しないでよ。」

「いや、そういう事じゃなくてさ、大事な相談があるんだよ。」

「だったら掃除が終わってからにして。ルイちゃんの相談はなくとも小一時間はかかるでしょ、話聞いていたら掃除する暇がなくなるでしょうが。」

「そういう意味じゃないんだよ!」

「じゃあ何!」

「だから、大事な話。」

「全く。30分だけよ。」

富子は掃除機の電源を切って、頭をかじりながら四畳半にやってきた。二人は一度外へ出て、ふすまを閉め、「大事な話」を話し始めた。

同じころ。房恵が、リンゴ箱を大事に抱えてやってきた。

「こんにちは。」

と、慣れた手つきでドアを開けると、

「無理よ。あそこまで弱ってしまったら、かえってかわいそうよ。」

「いや、どうしても、裕康を結城に帰したいんだ。たぶんきっとこれがあいつの最期のみになると思うから、何とかしてかなえてやりたい。」

「あたしだってできればそうしたいけどね、そんな大掛かりなことをして、かえって逝っちゃうのが早くなるだけよ!」

「そんなことはわかってるさ。だからこそ行くんだよ!と、とにかくね、そうなるのはもう誰が見てもわかってるんだから!」

一人のと、一人の男が話しているのが見えた。

はわずかながら、外國語訛りがあった。

「だけど、遠いわよ。こっから結城まで連れていくの。だってあたしたち、東京駅から中央線で來たけれど、それだけでも一時間以上かかったでしょう。」

「一時間じゃ、大したことないじゃないか。」

「わかってないんだから。いい、中央線で東京まで行って一時間でしょう、そのあと小山駅までまた一時間以上乗るのよ。そして、小山駅から、結城駅。」

「それはすぐ著くじゃないか。」

「あのねえ、水戸線は、一時間に一本しか走ってないの!それを待ってる間にどうしたらいいのよ!」

「あ、すみません。」

房恵は、二人が何を考えているのかすぐわかってしまって、同時に、裕康が自分の手の屆かない場所に行ってしまうのだということを知った。とりあえず今回は、大事な話の邪魔をしてしまうといけないから、帰ろうか。このリンゴだけは食べてもらいたかったとし落ち込んだが、それも仕方なかった。

方向転換しようかと思ったが、なぜかリンゴ箱が手から落ちてしまった。

「すみませんじゃなくて、もうちょっと考えて。そうやって、何でも簡単に口にするから、外國人は軽薄だって言われちゃうのよ!」

「だって、本當に行かしてやりたいなあと思ったから、、、。」

ルイが口ごもると、玄関先でどすどすどすと何かが落ちる音がした。

「なんだ今の音は。」

と、玄関の方を振り向くと、

「あら、どなた?コープか何かの配達員さん?」

富子が房恵の存在に気が付いてくれた。

「あ、あたし、広岡房恵です!」

それだけ言うのがやっとだった。彼の足元には多數のリンゴが落ちていた。どれも、大型のリンゴで、いかにも栄養満點というじだ。

「ああ、裕康さん、契約農家でもいたのかなあ。」

「農家じゃありません!まだ高校生です!」

「高校生っていうと、、、。ああ、恵子さんのけ持ちの生徒さんか。」

「そうなると、彼が、裕康の世話でもしていたのかなあ。そういう事だろうな。あ、僕らは悪人ではないよ。決して。裕康の世話してくれて、どうもありがとうね。」

房恵は、本當に言いたいことをぐっとこらえて、やっとこう発言することができた。

「いえ、とんでもないです。あたしは、大したことないですから!」

の大きさに合わず、純粋だなあ。」

富子が、ルイをつねった。

「それより、私今の話を聞いてしまいました。裕康さん、本當に帰るんでしょうか。」

「まだわからないけど、どうしたの?」

「だったら私手伝います!」

本當に言いたいことはそうではなかったし、正反対であるのだが、、、。

房恵はそういった。

そう言わなくてはだめだと思った。

「手伝うって何を?」

「裕康さんが安全に結城に帰ってもらうようにするためです。仲の良い養護教諭の先生にも相談して、電車を使わずに帰れないか話してみます。」

そう言って、彼はスマートフォンを出し、鈴木先生に電話をかけてみた。ところどころで詰まりそうになりながら、今すぐここへ來てくれないかと頼んだ。

電話を切ると、ボロンと涙があふれ出て、わっと泣き出してしまいそうになった。親切そうな著のおばさんが、そっとハンカチで顔を拭いてくれると、遂に聲を出して泣きだしてしまった。おばさんは、黙って彼を抱いた。そうしてもらうのが、思春期のにとって一番いいのだった。

思いっきり泣いてしまうと、不思議にもう泣かないという選択肢が初めてわいてきた。おばさんが背中を叩いてそれを促してくれると、房恵はきっぱりと

「すみません!私、もう泣きません!」

と、初めて誓うことができたのだ。その數分後に、鈴木先生がやってきてくれた。

房恵は、鈴木先生に、目の前にいる二人の人を紹介し、彼らがもくろんでいる、裕康を結城市へ帰すという計畫を詳しく話して、鈴木先生もおおよその流れと、問題點を理解してくれた。

「なるほどね、確かに電車を使うんじゃ問題が多いわね。電車は、弱い人にとって、便利な乗りとは言えないしね。」

「そうか、日本の電車は厳しいなあ。」

ルイはがっくりとため息をついた。

「じゃあ、介護タクシーとかそういうのを使えば?それなら何とか連れていけるかも。」

「ストレッチャーもって、車いすもってですか?」

鈴木先生の発言に富子が聞いた。

「ええ。そういうものは事業者に申し出れば貸してもらえますから、大丈夫よ。」

「そうですか。でも、この福生市にはなかなか営業所もないのでは?都心部なら、走っているのを見かけたことがありますが、、、。ここではそんなにないですし。」

富子は、心配そうに言った。

「いや、八王子の方に行けばかなりの営業所があるようよ。ちょっと調べてみるわね。車いすと、ストレッチャーが手配できところよね。」

「ありがとうございます、先生。」

「でも富子、日本の介護タクシーはお金がかかりすぎるよ。フランスのそういう乗りは、ほとんど普通のタクシーと変わらない料金で使えるのに、日本では介助料が多すぎて、なくとも五倍、下手をすると十倍はかかっちゃう。」

「ルイちゃん、そんな余分なことばっかり言わないでよ。あんたが、裕康さんを連れていくって発案したんだから、それを放棄するような発言はしないで。日本では、何でもかんでも口に出して言ってもいいのかっていう社會じゃないのよ。」

「じゃあ、どうしたらいいんだろう、、、。」

房恵は、このやり取りを聞いて、日本の介護には問題が多いのだと改めてじた。介護をける権利は保障されているとしても、お金がかかりすぎて、それが使えないとはなんという不便なんだ!

「そうねえ。まあ、、、確かにそうなのよ。彼のいう事もまた事実。それはある意味では仕方ない。」

「鈴木先生、何とかして、結城へ帰らせてあげる手段はないでしょうか。」

房恵は、鈴木先生にそっといった。確かに普通の人よりも大変なのは事実だろうが、ここまで議論をしなければならないほど、大変とは思わなかった。

「あたしは、帰らせてあげたいんです。」

「そうね。」

鈴木先生もため息をついた。

「ふうちゃん、ありがとうな。裕康も好きになってもらって喜んでいるさ。」

ルイはそういった。もう、自分の気持ちはとっくにばれてしまっているらしい。

「よし、わかった!」

富子さんが手を叩いた。

「私が運転していくから、ミニバンでも借りていくか!ここにはレンタカーってものはなかったっけ?そのほうが変な人件費より安く済むかも!」

「富子さんそれがいいわよ。そうするしかないと思った。じゃあ、私もその日同行するから。一日借りればいいわ。宿泊はどうする?」

「僕が、天川店長に頼んでみるよ。」

三人の大人たちは、何とかそういう結論を導き出したらしい。大人ってすごいなと房恵は思った。同時に三人寄れば文殊の知恵とはこのことであると思った。

そして參加できない自分は悲しかった。

「ふうちゃん、ありがとうな。今はできなくても、大人になって同じ場面に遭遇することは、いくらでもあるからな。」

ルイさんが、そういってくれて初めて將來の道が決まった。

赤いリンゴが、祝福するように、コロンと転がってきた。

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