《永遠の抱擁が始まる》第一章 二人の抱擁が始まる【振り向かざる者】

またかしこまった店を選んだものだ。

キャンドルの向こうに座っている彼は正裝していて、なかなか様になっている。

 

「たまには背びして、夜景の綺麗なレストランで食事するってのはどうだい?」

 

そうわれた時は「最近はずっとお金がないって言ってたクセに」と意外に思ったものだ。

あたしと彼の休日といったら互いの意向から大きく外れない容のDVDを借り、二人でのんびりと見るぐらいだし、たまに外出しても居酒屋で飲むぐらいで、デートらしいデートをしなくなってもう長いから、たまにはこういうのも新鮮で良い。

 

「たまにするから、贅沢は贅沢にじるんだ」

 

恩著せがましく言って、彼はメニューをこちらに差し出す。

 

食前酒で乾杯をして、私はふと今朝のニュースを思い出した。

 

「ねえ。あのニュース、もう見た? 今度ので三組目だって」

「ああ、あの抱き合った骨ね。君は一組目が発見された時から興味深々だったな」

 

最初の発見はイタリアでされた。

まるでし合っている最中に亡くなったかのような勢。

互いを求めるように、でるように、抱き合った男骨。

二人が果てた後、何者かにそのような勢に寢かせられたのか、先立たれた方が後になって相方のに寄り添ったのか、死を覚悟した二人が永遠のを誓い合って同時に人生を終えたのか、今となってはもう知るよしもない。

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あたしはその謎めいた太古の男をテレビで見て、衝的にを乗り出していた。

まるで自分のことのような、他人事ではないような気がしたのだ。

 

「すっごい素敵だよね」

 

あたしはうっとりとし、否応なしにロマンに溢れたドラマを空想してしまう。

 

「三組とも、どんな人生だったんだろう。どうにか解明されて映畫にならないかなあ」

「自分で腳本でも書いてみたらどうだい? いい舞臺になるんじゃないか?」

「あんたが書いてよ。あ、でもそのときのヒロインはちゃんとあたしをイメージしてよ? でないと脇役に回されちゃう」

「いいミュージカルになりそうだね」

 

談笑していると前菜が屆いた。

あたしたちは行儀よく軽く手を合わせ、頂きますと小さく頭を下げる。

 

太古の骨には共通點があった。

抱き合っている男は三組とも、そこそこ若いらしい。

どれも五千年から六千年前の住人だと推定されている。

 

不可思議なのが、三組の発見場所が様々で散らばっていることだ。

イタリア、アメリカ東部、エジプト。

特定された地域での風習で同士を抱き合わさせたのではなく、たまたま偶然それぞれの理由によって、抱き合う格好のまま白骨化したと解釈するべきだろうか。

 

「それにしてもさあ、五千年も昔、どんなことがあったんだろうねえ」

 

食事の合間にも、あたしは骨の話題に夢中のままだ。

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「ホント素敵。永遠のってじでさ」

「そうでもないかも知れないぞ」

 

彼がゆっくりとフォークを置く。

 

「彼らは、し合ったわけではないかも知れない」

「そりゃ、そうだけど」

「今から話すのは、とある夫婦の怖い話だ」

「急になに?」

 

彼は前菜の続きを楽しむことなく、テーブルの上で両手の指を組み合わせ、肘をついて私を見つめる。

振り向かざる者

 

 

 

「こんな遅くまでありがとうございました。馬車、手配しましょうか?」

「いえ結構。ここから遠くないので歩いて帰りますよ」

 

診察にずいぶんと時間がかかってしまった。

患者の自宅を訪問した時にはもう既に日が暮れていたから、きっと今頃は酒場も閉まっている時間帯に違いない。

 

玄関まで見送ってきた主人に「奧さんをお大事に」と告げる。

自分で放った言葉が、私のを絞めつけた。

 

ランプに火を燈し、コートの襟を立て、闇に向かって歩き出す。

 

街は眠り、空気は冷たく、霧は深い。

街燈の松明やランプのほとんどは消えてしまっていた。

いくら進んでも細い路地から抜け出すことができず、やはり馬車を頼めばよかったと私は若干の後悔をする。

 

闇のせいだ。

完全に自分の位置を見失ってしまった。

 

手に持ったランプをの辺りまで掲げ、周囲を巡らせる。

せめて現在地だけでも把握したい。

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明かりが、私の近くにある様々なを照らす。

酒樽や木箱、レンガの壁。

住宅とアパートの隙間に白い影が浮かび上がり、私は手を止める。

濃霧の夜中とはいえ、白いワンピースは目を引いた。

 

の後ろ姿だ。

長い黒髪が揺れることなく垂れ、背中を隠している。

 

が黙って立っていた。

足を組むでもなく、歩き始めるわけでもなく、ただ直立しての正面を奧に向けている。

私が持つランプの明かりのせいで影ができているはずなのに、は微だにせず無言のまま通りに背を向けていた。

この寒さの中、上著も著ずに。

 

背筋に鳥が立つ。

先月見た時と全く同じ姿だ。

そしてこのは、やはり妻に似ている。

 

妻が失蹤したのは一ヶ月前だ。

本屋で萬引きと間違えられた時は、自分の潔白を証明した上で店員を責め返すような気の強いだった。

 

「確かな証拠もないのに先走って人を決めつけることが不條理だと思うの。あたしにとってこれ以上ない侮辱よ」

「そう怒るなよ。その店員もちゃんと謝ったんだろう?」

「許すとか、許さないじゃないの」

 

できることなら、あの明るい食卓をいつまでも験し続けたい。

あの頃に戻りたい。

私は妻を心からしていた。

 

妻が行方不明になって三日目になると私は深夜を待ち、人目を避けるようにして家を出る。

従者と馬車はあらかじめ街の郊外に待機させてあった。

私は大通りではなく、ひっそりとした裏路地を進む。

迂回になっても構わない。

誰かに見られるわけにはいかなかったからだ。

したがってこの時の私は暗がりにもかかわらずランプを點けていなかった。

 

闇の中でも白いワンピースは目を引く。

積み上げられた木箱と置の間にそのは立っていた。

壁に前面を向け、ただ真っ直ぐに立っていた。

私の足音に反応もせず、ただ立ち止まっていた。

 

不気味に思いつつも急いでいた私はその場を足早に離れる。

 

帰路につく頃はもう明け方で、うっすらと朝日が街を照らしだそうとしていた。

私は街を出るときと同様、誰にも見られないように息を殺しながら狹い道を急ぎ足で進む。

立ち盡くすのことを思い出し、ふと置のに視線を投げた。

 

は、まだそこに立っていた。

何も言葉を口にせず、薄著のままで壁に向かっていた。

その後ろ姿や服裝が妻に似ていると、そこで初めて気がついた。

しかし私は聲をかけず、長い黒髪の前をそそくさと通り過ぎる。

 

あれから一ヶ月。

今、目の前にあの時と同じ後ろ姿がある。

 

にもし意識があるのなら、後ろでランプを掲げている私の気配を察しているだろう。

明かりが壁を照らし、彼の影を浮かび上がらせてもいる。

では何故振り向かないのか。

寒空の深夜に薄著のまま、何もない方向にを向け、何をしているのだろう。

普通なら誰も通らないこんな路地に、どうして居るのだろう。

 

疑問が渦を巻き始める。

  このは今、どんな表を浮かべているのだろう。

 

の背中にそっと近づき、さらに照らす。

後ろ姿はやはり妻とそっくりで、ワンピースの柄にも見覚えがあった。

しかしこいつが妻のはずがない。

あの頃にはもう戻れないのだ。

 

出所不明の恐怖心をこらえ、私は息を飲んでから、ついにに聲をかける。

 

「君、どうかしましたか?」

 

はそれでも振り向かなかった。

こちらに背を向けたままで返事だけをする。

 

「戻れない」

 

頭の片隅にあった不安通り、妻の聲と同じに聞こえた。

意図せずに、私のの奧から小さく悲鳴が上がる。

 

こいつが妻のはずがない。

いくら背格好や服裝、聲までもが同じであっても、このが妻であるはずがないのだ。

 

「貴様、一誰だ!」

 

怒鳴りながら、先月の出來事を思い出す。

人目を避け、街から出た夜更け。

このの後ろ姿を初めて目にしたあの日、私は街の郊外で馬車に乗ると従者に告げた。

 

「夜分にすまんね。実は、妻は拐されたらしいんだ。今日になって脅迫狀が屆いていた。指定する時刻に、ある場所まで來い、と」

「本當ですか!?」

 

従者は目を大きくし、馬にムチをれた。

 

「一どうして拐なんか。あんなにいい奧様を」

「それは解らない。とにかく街を出て、私が言う場所で降ろしてくれないか」

「かしこまりました。ところで旦那様、どうして雨を?」

 

雨も降っていないのに、私はこの夜レインコートを纏っていた。

 

「森の中が目的地らしくてね、コートが汚れないよう、著込んできたんだ」

 

數十分も走れば道は木々に囲まれる。

森を分斷するように作られた道。

このどこかに目指す場所がある。

目印は木に立てかけられた鉄の棒で、赤い布が巻きつけられているはずだ。

従者にそのことを教えると、彼はほどなくして目的の場所を見つけてくれた。

馬車が減速し、やがて止まる。

 

「旦那様、ありました。赤い布付きの、鉄の棒です」

「ありがとう。君はここで待っていてくれたまえ」

「くれぐれもお気をつけて」

 

馬車に背を向けたまま従者には片手を上げて応え、森へとる。

私はしばらく、木のでじっとを潛めた。

靜かに顔を出すと木と木の間から馬車の松明に照らされた従者の橫顔が見える。

見れば見るほど彼は若く、整った顔立ちをしていて、そのことがさらに私の怒りを増幅させた。

 

「君!」

 

私は息を切らせ、馬車の前に踴り出る。

 

「妻が……! 妻が……!」

「どうしました!?」

「妻が、殺されている」

「なんですって!?」

「一緒に來てくれ!」

 

森の奧地に向かい、先導する。

しばらく進むと、妻の亡骸が橫たわっていた。

 

私が殺したのだ。

裏切り者の妻を、三日前にこの手で殺した。

 

「なんてこった……! 奧様が……」

 

従者がに駆け寄る。

 

妻は白いワンピースの上に何も羽織っておらず、確認するまでもなく死亡していることが判る程度に顔面を負傷していた。

 

「奧様が……」

 

従者ががっくりとうなだれ、その場にしゃがみ込む。

彼の低くなった頭を、私は見下した。

 

「おいお前」

 

語気が荒いので、自分に向けられた言葉だとは思わなかったのだろう。

従者が顔を上げるまでしばらくの間があった。

彼の目がようやく私を見る。

そこには悪魔のように憤慨する、怒りに燃えた私の表が映ったはずだ。

 

「お前、妻と寢ただろ」

 

不思議そうな顔をした従者の顔を目掛け、私は一気に鉄の棒を振り下ろす。

赤い布が素早く、宙に弧を描いた。

 

「私のとそんなに寢たかったら、永遠に寢てろよ」

 

気が済むまで毆って、彼の死を妻と抱き合わせる。

もしいつか誰かに発見されるようなことがあっても、これなら心中だと思われるだろう。

 

馬車を走らせ、湖に兇と返りに染まった雨を捨てて街に戻る。

は疲れていたが、興からなのかなかなか寢つくことはできなかった。

 

二人を殺しても、腹の蟲が治まることはない。

あいつらは私を裏切っていた。

浮気をしていたのだ。

昔の患者が切り出した世間話が発覚のきっかけになった。

 

「さすが人命を救う職業をされる方は奧様までご立派で」

「いえいえ、そう言っていただけると悪い気はしませんが、買いかぶりですよ」

「買いかぶりなんてとんでもない! 先生の奧様は従者にまで優しく接しておいでですし」

「と、言いますと?」

「いやね、こないだもお二人で買いをしてまして、聲をかけさせていただいたんですよ」

「ほほう、そしたら?」

「いえ、聲をかけたと言っても挨拶だけです。楽しそうにしておられたので、邪魔をしたくありませんでしたから。いやあ、明るくて雰囲気のいい奧様で、羨ましい限りです」

 

疑わしく思い、急患だと偽って外出し、私はかに妻を見張った。

そうして見たのは、市で評判の良い高級宿にっていく妻と従者の楽しげな笑顔だ。

 

結婚して五年。

あれだけしていたのに。

あれだけしてくれていたのに。

 

強く噛み締めたせいで、奧歯がかけた。

 

帰ってきた妻に「おかえり」とも言わず、今日は何をしていたのかを問う。

 

「特に何もしてないわ。夕食の買い出しに行っただけよ」

 

妻の無邪気な口調が余計に勘にった。

楽しそうに笑いやがって。

私以外の男にも、その顔を見せたのか。

 

「噓をつけ噓を!」

 

一聲でが枯れそうになるほど私は取りし、拳を握った。

そこからは、あまり覚えていない。

気がつけばにまみれた妻が橫たわっていた。

 

森まで死を運び、私はあの忌々しい従者への報復を巡らせる。

 

心中と見せかけて、死を野曬しにしてやろう。

  その思いつきを実行してはみたものの、気分は晴れるどころか最悪なままだった。

 

周囲には「妻に蒸発されてしまった男」としての毎日を送る。

後日になって妻の妹が訪ねて來た。

 

「姉は、あなたを見捨てたわけではないと思うんです」

 

は最初にそう切り出した。

 

「姉とは、いつも手紙のやり取りをしていました」

「手紙?」

「ええ。『もうすぐ結婚五周年だから、主人に緒でプレゼントを買った』と」

 

結婚記念日のことを、そういえば私は忘れていた。

唖然とする私の姿は、彼には妻のを案じているように映っているのだろう。

義理の妹が私の心を案じるかのように続ける。

 

「ちょっと発して評判のいい宿を下調べするつもりだと、それは楽しそうに書いてありました」

「それは、いつの手紙です?」

「姉がいなくなる直前のです」

 

は言って、私に封筒を差し出してきた。

読んでいる間、私の手がずっと小さく震えていたのは後悔からなのか悲しみからなのかは解らない。

 

私は、なんということをしてしまったのだろう。

 

妻の部屋を調べると、引き出しからは小さな包みが見つかる。

開封するとネクタイピンで「親なる貴方へ」とカードが添えられていた。

 

今まで生きて、私はここまで自責の念に駆られたことがあっただろうか。

妻は浮気などしてはいなかった。

それなのに私は妻を、最をこの手にかけてしまった。

 

「姉は、あなたを見捨てたわけではないと思うんです」

 

妻の妹は、もう一度同じことを言った。

 

私は取り返しのつかないことを仕出かしていたのだ。

悔やんでも悔やみきれず、仕事に明け暮れることでしか理を保てなかった。

仕事に熱中することで、現実を忘れたかった。

晝夜を問わずどこにでも駆けつけ、今夜のように深夜に帰ることも珍しくなくなった。

 

あの頃に、妻と平穏に暮していたあの頃に戻りたい。

 

「戻れない」

 

あれから一ヶ月。

私は今、聞けるはずのない聲をこうして耳にしている。

 

間違いない。

今は亡き妻と同じ聲だ。

この背中の持ち主は、やはり妻なのだろうか。

いや、そんなはずはない。

死者は絶対に還らない。

それは醫者でなくとも知っている前提だ。

 

再度、私は震えた大聲を出す。

 

「お前は誰なんだ!」

 

の肩を摑み、暴に引き寄せる。

冷たく堅いがして、慌てて手を離した。

 

途端、意識が遠のく。

 

の顔がこちらを向いた。

だらけの顔面は腫れ上がり、怒りの形相凄まじく、焦點の合わない瞳で私を睨みつける、それは間違いなく妻の顔だ。

妻の、鮮まみれの死に顔だった。

錯覚などではない。

薄れつつある意識でも判別ができる。

やはり妻だった。

 

大きく見開いた妻の目から視線を外すことができない。

私は聲を振り絞った。

 

「許してくれ」

 

妻の腫れた口元がパリパリと音を立て、ゆっくりとく。

 

「許すとか、許さないじゃないの」

 

そうだよな。

そう返したかったが、私にはもはや喋ることさえできなかった。

視界が白く染まり、足の力が抜ける。

 

妻が私を許すはずがないのだ。

そのことを私は最初から知っていた。

 

「確かな証拠もないのに先走って人を決めつけることが不條理だと思うの。あたしにとってこれ以上ない侮辱よ」

 

回想の中から屆いた聲なのか、今目の前にいる亡霊の言葉なのか、朦朧としている私には區別ができない。

私は膝をつき、ついに倒れ込む。

石の地面に頬がれたが、冷気をもじ取ることができない。

地面に打ちつけた際にはもはや痛みすらもなかった。

まだ目蓋を閉じていないのに目の前は真っ白で何も見えない。

 

このまま死ぬのなら、せめて私が妻と抱き合って果てたい。

 

最後の願いが葉わないことも、私には判っていた。

妻のは今も、従順で罪のない従者と共に森の中にいる。

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