《彼の名はドラキュラ~ルーマニア戦記~改訂版》第三話 覚醒編その2

翌朝、すこやかな俺の睡眠時間は突然に激痛によって破られた。

 

メリメリメリメリ…………!

 

「あいだだだだだだだだだっっ!!」

 

閉じていた目を無理やりこじ開けられたあげく、今度は無造作に口に手を突っ込まれ舌を引き出される。

これは何かの拷問か?

 

「ふむ、どうやら後癥は心配なさそうですな」

 

てめぇ!本當に瞳孔と舌を見て転落の後癥がわかるのか?なくとも俺は聞いたことねえぞ!?

 

涙目で睨みつける俺をこともあろうにフン、と鼻で嗤って男はラドゥの頭を優しくでつけた。

 

「もう心配はいらないでしょう。心やすらかになさいませ、ラドゥ様」

「ありがとうございます!先生!」

 

こいつ………俺とラドゥじゃ隨分と態度が違うじゃねえか!

俺には一瞥もせずに悠々と退出する大男を剣呑な目で睨みつけているとラドゥが呆れたように小のような仕草で肩をすくめて見せた。

 

「兄様も先生にお禮を言ってください。寢ていてわからなかったでしょうが、昨夜つきっきりで看病しててくれたんですよ!?」

「そ、そうか………そりゃ悪いことをしたな………」

 

何故か奴が気に食わんのは変わらんが。

 

「本當に兄様はどうして先生と仲が悪いんですかね?あんなに優しいのに…………」

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すまんが奴が優しいということに犯罪的な匂いをじてしまうのは気のせいか?

奴の対応は同じワラキア公國の公子にもかかわらず明らかに私的な差別をじずにはいられなかったぞ?

というか奴が俺達の家庭教師とか何の拷問だよ!

 

「でも…………もう………大丈夫ですね…………」

 

前世からの仇のようにメムノンに憤慨している俺を見てホッとラドゥがため息をついた。

そんな弟の様子に俺はようやくラドゥの瞳が赤く充していることに気づく。

迂闊だった。

目の前で兄に自殺されかけた弟が、意識を失った兄を放っておけるはずがないではないか。

ヴラドほどに聡明ではないだろうが、ラドゥもどれほどヴラドが絶し悲憤慷慨していたか薄々は気づいていただろう。

昨夜はきっと俺がまだ自殺したりしないか、急に病狀が悪化したりしないか気が気ではなかったに違いない。

 

「ああ、もう大丈夫だ」

 

いったい何に対してかはわからないが無意識のうちにそう俺は答えていた。

その言葉を合図にしていたようにグラリとラドゥのが傾き、薄ぼんやりとした表で俺のに倒れかかってきて眠そうな目をる。

張り詰めていた張の糸が切れて眠気をが思い出したのだ。

 

「起きるまで傍に…………いてくださいね?」

 

あっという間にスヤスヤと寢息を立て始めたラドゥに俺は苦笑しながらその小さなを寢臺に乗せた。

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「そんなにがっちり袖を握られたら離れようにも離れられないだろ………」

 

 

約2時間後

やばいやばいやばい!

ラドゥさんそろそろ起きてくださらないかしら。今とっても人間の尊厳的なピンチを迎えているのですけど。

的には膀胱の限界的な意味で――――――。

 

「お願いだから離してええええええええ!!」

 

れちゃう……れちゃうからああああっ!神年齢22歳にしてその恥プレイは何かに目覚めちゃうからあああああああああああ!!

 

 

 

 

 

 

「―――――本當にいったい何が大丈夫なんだか」

 

積み上がった難問の數々に重いため息ばかりがれるのを俺は止めることが出來ずにいた。

考えれば考えるほどに現在のこの狀況は詰んでいる。

 

「ちゃんと人の話を聞きなさい」

 

ゴメス!

 

「うごごごごごご………割れる……頭が割れるううううう」

「兄様、せっかくメムノン先生が講義してくださっているのに失禮ですよ?」

「ラ、ラドゥよお前もか………」

 

基本真面目っ子だからな、ラドゥは。

拳骨を脳天に食らってのたうちまわって見せるのも半ばは現実逃避に近いものである。

それほどに狀況は悪い。――――というか最悪だ。

 

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今のところ親父はワラキアで小部隊を指揮しそれなりの戦果をあげてはいるらしい。

しかしワラキア公國程度の國力ではオスマンの兵をいくらか殺すことはできても土地を占領し、さらにそこを維持していくことなど夢のまた夢にすぎない。

すなわち、戦いが続くほどに味方の兵と資金は失われ、それを補充する見通しもたたないというわけである。

逆にオスマン帝國には巨大な國土と支配下の屬國から上納される莫大な資金源がある。

ワラキア公國にできるのはジワジワと衰弱死するのをわずかながら遅らせることだけにすぎないのであった。

史実どおりであれば2年後の1447年、親父ドラクル2世と長男ミルチャは味方の貴族に裏切られ暗殺されてしまう。

彼の暗殺はハンガリー王フニャディ・ヤーノシュが企んだ謀であるという説もあるが定かではない。

結局のところ自國の貴族に負擔をかけるばかりで、將來的な希すら提示できなかった親父が悪いのだ。

じり貧で被害が拡大していくのに一方的に忠誠を維持しようというほうがおかしいのだから。

 

(2年後………ムラト2世は親父の後釜に俺を據えようとする………)

 

オスマンとハンガリーの間に橫たわる緩衝地帯がおめおめとオスマンの軍門に下るのをハンガリー王ヤーノシュが見過ごすはずもない。

オーストリアに野心のあるヤーノシュとしてはワラキアとオスマンは適度に敵対関係にあってくれることがましいのだ。

當然自分の息のかかったヴラディスラフをかつぎあげ俺に敵対してくるのは自明の理であった。

まずはここで敗北しないことがフラグ回避への第一歩となるだろうか。

 

(…………ああ…………気が重い…………)

 

キリキリと痛み始める胃を片手で抑えて俺は苦笑する。

14歳で胃痛持ちとか本気で笑えない。

國力において圧倒的な差があるばかりでなく、ワラキア公國の周りは敵ばかりだ。

かろうじて隣國のモルダヴィア公國とは良い関係を築いているが北方のトランシルヴァニアの領主を兼ねるハンガリー王はワラキアを屬國化する気満々である。

遠方にはオスマンに対抗できそうな強國フランスもいるのだが、いかんせん彼の國は現在イングランドと百年戦爭の真っ最中であった。

つまり頼るべき盟友が期待できない。

獨力でオスマン朝にワラキア公國程度の小國が立ち向かうとか、第二次世界大戦で日本がアメリカと戦うよりも遙かに無理ゲーに近い話だった。

 

(…………ったく、いったいどうしたもんかねえ…………)

 

ドビシイイイイイイ!

 

「んのおおおおおおおおおっ!!」

 

目が!目が!今、鞭の先っぽがビシッ!って目に!ぐああっ!いでえええええええ!しみしみしみりゅううううう!

 

「本當にいつまでたっても懲りることを知らない人だ…………」

 

懲りるとか懲りないとかそういう問題じゃねえだろ!しかも今明らかに嬉しそうに笑ってやがりましたよね??

ふふふ…と不敵に笑って再び講義を始めるメムノンと心配そうに見つめるラドゥの手前、必死のやせ我慢で俺は右目の激痛から意識をそらした。

いつかきっと後悔させてやるからな!

 

 

 

 

 

その場面に出くわしたのはまったくの偶然であった。

いころにありがちな幸せな晝寢タイムに移行していたラドゥを殘して俺は宮殿を考え事をしながら散策していた。

歩きながらのほうが脳の活が活発になると昔、高校時代に聞いて以來の俺の癖だった。

もっとも、人間は実は脳を10%しか使っていないとかいう拠のない都市伝説の類なのかもしれないけれど。

 

「我らが神の尖兵に逆らう愚か者よ!報いをけよ!」

「やりたければやるがいい。そんなことでワラキアの誇りは揺るぎはせぬ」

 

………どうやら馬鹿親父のせいで國境沿いからワラキアの騎士が囚われてきているらしい。

騎士を嬲っているのはオプタとかいうイェニチェリ軍団の百人長だった気がするが………確か金に意地汚いことで有名であったはずだ。

せめてはいつくばって慈悲を乞えば自尊心を満足させられたのだろうが、一向に萎えることを知らない凜とした騎士の佇まいにいらだちが募っている様子であった。

 

「異教徒め!自らの非を悔いひざまづいて許しを乞うのなら息子の命だけは助けてやらんこともないのだぞ?」

「騎士の忠誠は家族よりも崇高なものだ。そんなことすらわからんか」

 

一言の下に息子の命をも斬って捨てた騎士の姿にオプタはおもしろくもなさそうに鼻白んで見せた。

 

「まったく薄な父親じゃないか?ええっ?」

 

オプタの傍らに座らされているのは々12歳ほどの年だった。

赤みがかった収まりの悪い金髪に鳶の瞳のかしこそうな年だが、それほど形というわけでもないから寵として売り出されずに済んだのだろう。

目に涙をためつつも必死にオプタを睨みつける迫力はさすがに親子というべきかもしれなかった。

 

―――――この時代の命は軽い。

それは知識ばかりでなく実地の験としてに浸みて理解させられていた。

ラドゥはいということで同行させられなかったが、先日俺は処刑の現場の見學を強制されている。

およそ數十人の人間が斬刑や火刑に処せられるのを見て、さすがに數度に渡って嘔吐したが、それでも現場を離れることは許されなかった。

上に立つ人間として人の生死に責任を持たせるつもりなのだろうが、現代では待としか言いようがないぞ。

 

 

そのときほんの偶然、年と俺の目と目があった。

別に年は俺に対し助けてくれと言ったわけではないが、それでも無念の思いだけはその目を見れば理解するには十分だった。

おそらく親父がオスマンと事を構えるまでは小さな領地ながら家族と平和に暮らしていたのだろう。

それが突如大國オスマンと戦うとなれば、寄る辺のない國境沿いの小領主などは真っ先に躙される対象となる。

彼らがいかに戦しようと、彼らがどれだけ善良な民であろうとそんなことに関係なく破滅は訪れ、それを救う力は親父にはない。

なんという理不盡

しかしその理不盡がまかり通ってしまうのがこの15世紀という時代であった。

臍の奧で埋み火にようにくすぶり続けてきたヴラドの殘滓が再び急速に熱を帯びていくのを俺は自覚した。

 

力がしい

チカラがしい

理不盡に負けないだけの力が

他人に人生を左右されないだけの力が

神は決してそれを人間に與えてはくれないけれど

 

―――――――ああ、そうだなヴラド。どれだけ祈ろうと神が地を這う者どもを救うことはない。

 

何十萬の人々の祈りも何十萬の人々の死も決して神をかす理由にはなりえない。

この世界をかすために必要な力は畢竟人間の力にほかならないのだから。

 

「オプタ様、お取り込みのところ失禮をいたします」

 

ならば始めよう。

この一歩を踏み出さないかぎり俺が歴史を変えられるはずもないのだ。

 

 

人質として宮廷に保護されているワラキア公國の公子の登場にオプタは新たな獲が現れたとかにほくそえんだ。

いささかサディスティックな癖のある彼にとって騎士とその息子はめ甲斐のある獲ではなかった。

 

「ほう、これはこれは公子殿。お國の騎士の処刑に立ち會いたいとは見上げた忠誠心ですな」

「まあ父の愚行にはお詫び申し上げるしかがございませんが……今日お聲をかけさせていただいたのは別の件でございます」

 

なんとか俺の言葉を捕えていたぶりたいという表が見え見えのオプタに心辟易しつつ俺は丁重に頭をさげた。

 

「公子殿が私のような戦人になんの用で?」

「実はメムノン先生から従騎士によさそうな年がいたようだとお話をいただきまして、おそらくその年ではないかと思うのですが」

「―――――メムノン殿の」

 

舌うちしたい思いをこらえてオプタは年を見た。

なるほどワラキア公子に従騎士として伴をさせるには格好の人材かもしれない。

スルタンとも親のある醫師にして科學者、哲學者でもあるメムノンを敵に回すのは彼としても得策ではないのは明らかだった。

この時代の醫師は単純に醫者というよりはむしろ賢者として為政者のブレーンである場合がよくある。

メムノンも宮廷ではそれなりに顔のきく重要人であるのだ。

そうとなればあまり無理もできない。

忌々しいがここは父親だけで満足しておくしかなさそうだった。

 

「ならば構いはしませぬが……公子に仕えるということはこのオスマンに仕えるということ。そのことをわきまえてもらわなくては困りますぞ?」

「肝に命じて――――――我が責任において教育いたしましょう」

 

言質をとって満足したのかオプタは再び騎士に向かっていやらしげな笑みを浮かべた。

 

「貴様も主君のご子息に看取られるなら本であろう?さあ公子殿ごろうじろ?これが我がオスマンに逆らうものの末路にござる!」

 

どうあっても俺と息子の見ている前で処刑しなくては気が済まぬらしい。

丸太のように太い腕が振りかぶられ、に反して円月刀が眩い閃を放った。

ほんのわずかに騎士が俺に向かって頭を下げた気がした。

それも俺が罪悪から生みだした幻想であったかもしれないが、子を持つ親としての最後の真心をけ取った気がして俺は痛いほどにを噛みしめた。

 

 

―――――まだだ。まだ俺には力が足りない。

ゴトリと無造作に騎士の頭が地に落ちて主をなくした首から真っ赤な鮮が噴き上がった。

 

我が民が

忠実なる部下が

最後まで神を信じた敬虔な信徒が――――――。

 

ああ、神よ!

弱きものにこそ救いが必要なのではなかったか?

信仰の厚いものにこそ福音は與えられるべきではなかったか?

真っ黒い狂熱が腹の中で暴れ狂うかのようだ。

 

 

もの言わぬ骸と化した騎士に向かって俺は頭を垂れる自由すら與えられていない。

―――――我慢しろ、かつてブラドであったものよ。

俺もこのままで終わらせるつもりは頭ないのだから!

 

「顔が悪いですぞ?公子!」

 

ニヤニヤと俺の顔を窺うオプタに俺はともすれば毆りかかりたい衝を抑えつけるの必死であった。

脳が沸騰して灼けそうな覚にひきつった笑みを浮かべることにすら多大な意思力を必要とした。

 

「面目ないですが、どうやら暑気にあたったようで」

 

弱者には何も主張する権利などない。

現代日本ならばいざ知らず、ここは暴力と狂信の支配する15世紀の修羅場いほかならないのだ。

ならばどうする?

よろしい、今度はこちらが強者として躙してやるまでのこと。

爪が食い込むほどに固く年の肩を握りしめて自制を促すとともに、震える聲で俺は年に問いかけた。

 

「私はヴラド・ドラクリヤ……ワラキア公國第二公位継承者である……君の名を聞こうか?」

 

目と目があった瞬間に俺の意を察したのか、年は全にみなぎらせていた敵意を解いた。

それでも瞳に宿る激甚の恨みまでは消せない。

ただ、戦うべき時は今ではないのだ、と、年なりに折り合いをつけるまでに數瞬の時間が必要であった。

 

「………私の名はベルド・アリギエーリでございます。公子殿下」

 

「ついてこい、今日からオレがお前の主人だ」

 

「………………はい」

 

わずかな逡巡の後、ベルドは力強く頷いた。

名譽を重んずる騎士や貴族にとってオスマンの庇護下で生きることは死ぬことよりずっと難しい。

この宮廷でオレとともに生きていくということは、父の仇にひれ伏し慈悲を乞うて生きることに他ならないからだ。

いっそオプタに斬りかかって斬殺されるほうがベルドにとってよほど楽な生き方であったろう。

しかしベルドはオプタたちに対する復讐を諦めていなかったし、ヴラドが決して安易な諦念をれようとはしていないことを理解していた。

理解した以上、生き続けることがベルドにとっての責務だった。

 

「今日は公子様はよい経験をなされた。これを機によりスルタン様に対する忠誠をお盡くしあるよう」

「…………ご忠言、かたじけなく」

 

ベルドの目から屈辱で涙が溢れそうになるのを俺は目で制する。

オスマン朝に仕えるものにとって今の俺たちはのいい見世であった。

言葉にこそ出さないが、異教徒め、泣け、わめけ、のたうちまわって絶しろ、と兵士たちは明白な悪意をもって嘲笑していた。

そんな下種な期待にこたえる気は頭ない。

 

 

―――――今はまだ駄目だ。

だからそんな苦しそうに悶えないでくれ。

いつかきっとこの借りを返す。

このはすでにヴラド・ドラクリヤそのものなのだから。

 

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