《彼の名はドラキュラ~ルーマニア戦記~改訂版》第十六話 魔弾の

15世紀のワラキアのみならず歐州や亜細亜全を見渡しても科學者なる言葉は存在しない。

もしそれに類するものがあるとすれば、それは究極の生命のを探究することを目的とした、錬金師と呼ばれる人々のことであったろう。

知識はあれども実踐と周辺知識のない俺にとってギリシャの火の開発にはどうしても彼らの力が必要であった。

しかし……………

 

「ふむ!これは実におもしろい!」

「ほう!なかなか興味深い製だの」

 

原油を常圧蒸留するとナフサが生される。

沸點が低く石油化學製品の原料とされることの多い平凡な石油製品だが、これにパーム油から出された増粘剤を加えてゼリー狀にするとある有名な質に変化する。

ベトナム戦爭でアメリカ軍によって使用され悪夢のような戦火の爪痕を殘した悪名高い兵、ナパームである。

著火すると極めて高い溫度で燃焼し、親油が高いため水をかけても消えない。

また燃焼する際、近くにある酸素を急速に消耗するため、近くにいるだけで酸欠死しかねないという恐ろしい代だ。

 

「おいおい、あまりおかしな真似をするなよ?気化ガスが引火したら大発だぞ?」

「気化………?水元素が空気元素になることですな?それを防ぐのに土元素を加えるとなると………ふむ」

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まったく四大元素説面倒くせえ!

 

遙か紀元前、古代ギリシャの哲學者デモクリトスは萬な微小な粒子でり立っているという原子論を発表した。

いったい何をヒントにその結論にたどりついたのかわからないが、はっきりととんでもない発見であった。

もしこの學説が普及していれば理學の発展は數百年早まったかもしれない。

ところがここでデモクリトスに強力すぎるライバルが現れる。

形而上學で有名なおそらくは人類史上最大の哲學者アリストテレスである。

「萬學の祖」などという空恐ろしい尊稱が彼の人類史に殘した足跡を語っていると言えよう。

しかし問題なのは彼が偉大すぎるがゆえに、その誤りもまた後代にけ継がれてしまったということだ。

アリストテレスは原子アトムなどという目に見えない粒子が萬を構しているなどとは考えもしなかった。

彼は萬の構要素として、土、火、水、空気の四元素と、完全元素であるエーテルからなるという四大元素説を唱えたのである。

ネームバリューの大きさからか、あるいは可視可能なわかりやすさゆえか、この四大元素説は當時の學者たちの通説として発的に広まった。

錬金師として著名なあのパラケルススもこの四大元素説の支持者であり、科學者がこの呪縛から解き放たれるには実にフランス革命直前の1785年アントワーヌ・ラヴォアジェによる

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水の分解の証明を待たなくてはならなかった。

要するに錬金師は水銀や硫黃などの各種鉱の化合などの実験を通し、火薬や塩酸、硝酸などの合にも功し、のスペクトルを解明し、未來の蒸気機関の出現を予言したりも

していたが、その本となるところが迷信をしていなかったためにひどく不安定な存在であったのである。

 

「うむ………アラビアの三原質を加えることで水元素に対する影響がどうなるか…………」

「いやいや、もう元素の話はいいからこの油をゼリー狀にするためのつなぎを見つけてくれよ!」

「……つまり製された油に粘を加えたいわけですな?ならば鯨油の脂肪酸を加えればよろしい。量を調節すればお好みで油に粘りを與えられるでしょう」

 

お前ら、ちょっと知識偏りすぎだろう!

俺がパーム油の代用品を見つけられなくて四苦八苦していたのにこいつらいともあっさりと解決しやがった!

 

「私が思うにやはり水銀に含ませる月の魔力が足りないのでは…………」

「魔力の大きなということも考えられるが………」

 

だからお前ら知識偏り過ぎだって!

 

 

 

 

 

それから4ケ月の時が流れ1448年の春が訪れた。

ヴェネツィア商人が領を訪れるようになり新規の市場が開拓され國商人も順調に力を付けてきている。

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海のないワラキアはどうしてもモルダヴィアの易都市キリアを使うしかないが、それがモルダヴィアとの貿易を活発化させ両國によい影響をもたらしていた。

ジョバンニ以外のヴェネツィア商人もモチェニーゴ家の獨占を許すまいと続々とワラキアに取引を申し込んでおり、デュラムも大わらわの狀態だ。

ザワークラウトは船乗りたちの魔法の必需品となり、ヴェネツィアのみならずジェノバ、さらにはオスマンや黒羊朝の商人までもが買い付けに奔走している。

船乗りたちの職業病であった壊病の予防の効果が既に現れ始め、噂が噂を呼んでいるらしい。

テンサイから製した砂糖も概ね好評で、莫大な利益の投下がワラキアの経済をさらに良い方向へ循環させようとしていた。

種痘の方も順調で既に國民の八割が種痘をけている。

今年中に羅患者が目に見える形で激減すれば各國はこぞってワラキアに教えを乞うだろう。

実のところ既にモルダヴィアやヴェネツィア・ジェノバ・フィレンツェなどから是非種痘のを売ってしいと複數の打診をけているのだ。

この間はフランス王室からも使者があった。

ローマ教皇庁にも影響力の強い國だけにこの機會にパイプを繋いでおきたいところだ。

しかし殘念ながら各國で天然痘以上に期待されているペストのワクチンまではオレの知識ではつくれなかった。

予防的な意味で衛生管理の浸を指導してやることぐらいが一杯だ。

これに関してはワラキアは世界に先駆けて公衆トイレの設置や煮沸消毒などの衛生指導などを行い始めている。

トイレの糞尿は國家が買い上げて料や硝石の原料(土硝法)にすることになっていた。

 

貿易黒字で増えてきた國家予算の投先だがやはり軍事費の増強は避けられない。

軍事的にいってワラキアはまだまだ小國の域を出ていないのだから當然だ。

近代編の二個大隊が練中とはいえ、その數わずか二千。常備軍としては十分に大きい數字ではあるが最終的な員兵力ではやはりオスマンやハンガリーのような大國には及ばない。

兵力差を解消するため青銅砲の小型化と車付砲架の配備を進めているところだがこれがまた大喰らいだ。

一回の実弾演習でまだまだ貴重な火薬の備蓄が大量に消費されてしまう。

今後の火力戦への移行を考えると頭の痛い問題であった。

國家の基礎力のひ弱なワラキアは大量の資を消費し続ける近代戦を維持するだけの準備がまだ整っていないのである。

 

 

「殿下の前だ!気張れええええ!」

 

ゲクランのもとで前衛隊長を務めるレーブの大隊がテルシオの方陣を左に旋回させる。

そして一斉撃の後、歩兵が槍先を揃えて突撃に移った。

流れるようにスムーズなその機はつい數カ月前まで素人同然だった急造の軍隊のものとも思われなかった。

レーブのテルシオが下がると今度は満を持して控えていたネイの率いる騎兵部隊が突撃する。

一隊が正面から、もう一隊が右に迂回して標的の背後に移した。

こちらの仕上がりも合も悪くない。

この様子ならばハンガリー騎兵とだって互角に戦えるだろう。

ネイの軽騎兵部隊が鮮やかに隊をまとめて撤収すると最後に現れたのはタンブルの率いる竜騎兵部隊であった。

戦力として計算するにはまだ數がなすぎるが、火力と機力を同時に発揮することが可能な竜騎兵はいざというときの切り札だ。

 

「撃てえええええええ!」

 

火縄銃の轟音にも調教と訓練を経た騎馬はいささかも揺るがず騎手を背に背負い続けた。

臆病な馬を銃に慣れさせるのは十分に果が現れているらしかった。

 

「見事だ」

 

演習場のし高くなった丘の天幕で俺は満足気に頷いてみせた。

戦ならばともかく攻勢に出るためにはどうしても練度に優れた鋭軍が必要になる。

ワラキアの兵站能力を考えればその傾向はさらに顕著なものになる。

新たな士を追加してを増した常備軍は、どうにか俺の考える鋭としての必要條件を備えているように思われた。

 

「どうだ?ベルド?」

「素晴らしいと思います。ゲクラン殿にお任せした殿下の英慮の賜かと」

 

俺の弟子としてとても役に立ってくれるベルドなのだが、なんでも俺に好意的に解釈するのが困りものだな。

そんなことを考えて苦笑する俺に向かって二人の伝令らしい騎士が駆けてくるのが見えた。

まだ何か演習項目があっただろうか。

 

「伝令でございます。急ぎ殿下にご報告申し上げたいことが!」

「何事だ?」

 

シエナやジプシーからの報ではヤーノシュは上部ハンガリーに出兵しているという話であったが………あるいはまた貴族どもが蠢したか?

自らが手塩にかけた常備軍の初演習ということで油斷していた俺は伝令が常備軍の兵士であることを疑っていなかった。

無意識にを乗り出した俺を見て騎士は邪悪な表を剝きだしに哂った。

 

「―――――ワラキア大公ヴラド殿下が暗殺されたよし」

 

騎士がそう告げるのと抜刀して向かってくるのはほぼ同時であった。

これ以上ないほどの絶妙なタイミング。

報告を聞くためを乗り出していた俺と騎士の間を妨げるものは何もない。

悲鳴をあげるベルドも護衛の騎士も、この瞬間の兇行には間に合わないことは明らかだった。

 

―――――咄嗟にを右にひねって剣を避わしたのは僥倖であった。

観戦に訪れただけの俺は剣を佩いているだけでチェインメイルすらに帯びていなかった。

幅広の騎士剣で斬りつけられては無事には済まない。

二人目の斬撃も剣を鞘から抜くことなくどうにかこれを弾く。

しかしここまでが俺の幸運の限界だった。

剣を弾かれたものの躊躇することなく剣を捨てて當たりしてきた騎士の前に線の細い俺のはひとたまりもなかった。

 

「俺ごと貫け!」

 

ごと覆いかぶさった騎士がもう一人の騎士に命令する。

圧倒的な重と鎧の重みに全くきのできない俺にとっては最悪の命令だった。

それではたとえ奇蹟が起こっても回避できない。

 

「殿下あああああああ!」

 

目を走らせてベルドが駆けよる。

しかし騎士が高く剣を振りかぶる方が早かった。

両手で剣の柄を握った騎士が犠牲にする仲間を見やってほんの一瞬躊躇するが―――――

 

「死ね!この悪魔ドラクルめ!」

 

の力をこめて必殺の剣が振り下ろされ―――――仲間の騎士とともに俺を貫くはずだった剣は――――わずかに右にずれて大地に大きく食い込んで突き立った。

 

「なっ??」

 

予想外の事態に俺に覆いかぶさっていた騎士が揺する。

千載一遇の機會であり、はずしようのない一撃であったはずだ。いったい何が――――――。

 

「セディン!」

 

止めをさすはずであったセディンと呼ばれた騎士はグラリと揺れたかと思うと、糸が切れたり人形のように力を失ってどうと倒れた。

鈍いを放つ金屬鎧に小さなが穿たれ、そこから噴き出すように赤いが大地に流れ出していた。

魔弾の手の一撃がギリギリのところで刺客の命を奪い去ったのだった。

 

「くそっ!!」

 

仲間を失った騎士の男はそれでも不屈の意志で俺を絞め殺そうとその太い腕を俺の首にばしてきた。

その妄執に近い執念の深さは恨みか、忠誠か、それとも信仰の力なのか………。

だがそれを黙って見逃す魔弾の手ではなかった。

 

 

「―――――下賤な手で殿下に手をれるな、下種が」

 

発砲音とともに弾かれるように男の頭が後ろに飛んだ。

グシャリという音がして割れた頭蓋から白い脳がとともに大地に零れてグロテスクな華を咲かせる。

寸分の狂いもないヘッドショット。

ゲクランが100m先の的でもはずさないと言ったのは事実だった。

寡黙なワラキアきっての撃の名人マルティン・ロペスは一人冷靜にヴラドを守るべく撃の準備を整えていたのである。

 

 

 

―――――忘れていた。順調なワラキアの発展ぶりにここが裏切りと謀の渦巻く悪しき世界の巷であるということを。

俺が幾百、幾千の人間を殺したように、俺を殺したがる人間がいくらでもいるのだということを。

命をベットした賭けの敗北はすぐに死に繋がるのだということを。

 

 

だが今こそ俺は思いだしていた。

そして二度と忘れはしない。

俺の理想を実現するために敵対するものから奪うことに躊躇はしない。

それがどれほどその人間にとって大事なものだとしても、たとえそれが彼らの命であったとしても。

幾千幾萬という大量の命を犠牲にしても、俺は俺自の理想と幸せのためにそれを踏みにじって見せる。

 

「貴様たちの死が俺の勝利の証だ」

 

荒い息の下で俺はそうつぶやくのが一杯であった。

じりにかけよってくるベルドの姿を最後に、酸欠と當たりの衝撃で朦朧とする意識はブレーカ-が落ちるかのようにぷっつりと途絶えた。

 

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