《彼の名はドラキュラ~ルーマニア戦記~改訂版》第十九話 トランシルヴァニア侵攻その3

ブラショフへのワラキア侵攻の報は公都であるシギショアラのトランシルヴァニア宮廷に激震を走らせた。

の発達が未で都市の防力というものが高いこの時代、わずか一夜で都市が陥落するということは珍しいことであったし、先代のヴラド二世の時代にはハンガリーの屬國化さえしていた

ワラキア風がまさかこのトランシルヴァニアに侵攻してくるなど驚天地というほかはないものであったからである。 

 

「おのれヴラド!慮外者め!」

 

留守を預かるフニャディ・ラースローは若干15歳らしい清冽な激とともにんだ。

父のいない國は自分が守らなくてはならない。

フニャディ家の次期當主としての自覚と若さゆえの純真な使命がラースローの戦意を熱く滾らせていた。

 

「セスタス、今兵はどれほど殘っている?」

 

ラースローは父が殘していった歴戦の腹心に問いかける。

トランシルヴァニアはワラキアと違いいまだ常備軍を用意していない。

軍役を負った貴族の半ばは父ヤーノシュとともに上部ハンガリーの地にあるから現在どれほどの員が可能かはラースローには判斷がつかなかったのだ。

 

「おそらくここ數日ということに限れば四千に屆くまいかと」

 

セスタスはざっと遠征に參加していないトランシルヴァニアの貴族の主だった顔ぶれを思い出してラースローに告げた。

Advertisement

同時にラースローが気にはやらぬよう忠告することも忘れない。

 

「ブラショフが落とされた以上もはや東部の諸侯は當てにはなりますまい。大公殿下の援軍を待つが上策と心得ます」

 

ブラショフはトランシルヴァニアの臍のような都市だった。

この都市の陥落はトランシルヴァニアを東西に分斷されたに等しい。

十分な兵力を期待できない以上、危険は犯さず萬全を期すべきだとセスタスは考えていた。

  

しかしラースローはセスタスの消極策にはあからさまな不満を隠さなかった。

侵略者ヴラド三世當年とって16歳、自分とたった一年しか変わらぬ若い年齢である。

16歳のワラキア君主にできることが15歳の次代トランシルヴァニアを擔う自分にできないことがあるだろうか!

このままおとなしく父の帰還を待って、無辜の民の怨嗟を放置していてよいものか!

それにラースローは父が上部ハンガリーから帰還するころにはヴラドは悠々とワラキアに略奪品を満載して凱旋しているであろうと考えていた。

現在父ヤーノシュが上部ハンガリーに率いている兵は一萬を超えており、殘存する駐留兵を合わせると一萬五千に近い大兵力になるはずであったからだ。

今を逃したら手柄を立てる機會は失われる。

ラースローがセスタスの諫言を聞かずに出撃の陣れを出したのにはそうした焦りが存在した。

Advertisement

弁舌に定評のあったラースローの檄文とともに伝令の兵があわただしく國を往來し、數日後には北部と西部の殘存貴族からほぼ四千の軍勢が參集したのである。 

 

 

このとき、セスタスはラースローと同様にワラキア軍が近いうちにブラショフを離れワラキアへ帰還することを疑っていなかった。

いかにワラキア公が戦上手といえどカルパチア山脈を越えてブラショフを維持するのはいかにも小國のワラキアには荷が勝ちすぎるはずであったからだ。

しかもブラショフを出てこのシギショアラへ向かい雌雄を決しようとしているという偵察の報も聞かない。

である以上セスタスの想像は軍事的にいって全く妥當なものであった。

ならばあえてわずかでも出陣を遅らせることでラースローの軽挙を防止することができる。

セスタスの思はたった一人の伝令によってもろくも崩壊した。

 

「公子様!ワラキア公はブラショフを恒久的に占領するつもりでおります!」

 

ブラショフから命からがら逃れてきたという騎士がもたらした報は驚愕に値した。

ワラキア公ヴラドはブラショフの主だった支配者を処刑すると、ルーマニア人から代表者を選んで都市の行政に組み込み始めている。

さらに屈辱なのはシギショアラのラースローは積極的に出撃はしないだろうと、軍勢を分割し東部諸侯の討伐に派遣したらしいということだ。

Advertisement

現在ブラショフに殘るワラキア兵は千名を超える程度であるという。

そしてヤーノシュが戻るころに合わせてオスマンから大量の援軍が派遣されてくる手はずになっているとのことだった。

騎士の言うことが事実ならばこれほどヴラドが強気で強引な戦略をとっていることにも納得がいく。

 

「もはや一刻の猶予もない!今があの悪魔ドラクルを倒す好機ぞ!」

「………お待ちください。いくらなんでもシギショアラを放置して東部に軍を派遣するなど……どんな罠があるかしれませぬ」

 

しかしその場に參集した貴族たちにとってワラキア兵がわずか一千でブラショフにいるというのは、まるまるとえ太った獲を目の前に曬されたのに等しかった。

彼ら自も上部ハンガリーへの遠征に參戦できなかったこともあって武勲に飢えていたのである。

もちろん相手にするなら勝ちやすい相手と戦いたいのは當然の心理であった。

 

  

「ワラキアのひよっこなぞなにほどのことやある!」

「今こそ我らが武威を背教の徒に見せつける時!」

「我がトランシルヴァニアの力見せてやりましょうぞ!」

 

勇ましい言葉を一に浴びてラースローは頼もしそうに頷くと意気揚々として抜剣した。

教皇庁にすら一目置かれる父のような英雄となる夢が今、現実になろうとしていることを考えると、まるで自分が無敵にでもなったような昂揚を押さえることができなかった。

 

「我れフニャディ・ラースローは主に誓う。暴なヴラドに主の裁きを!そしてトランシルヴァニアに勝利と平和をもたらさん!」

 

もはや慎重論を唱えるセスタスが口を挾む暇もなく瞬く間に軍議は出戦に決した。

手柄を立てるのは今だと言わんばかりに我先に貴族たちが己の兵を叱咤して東へ東へと軍を進め始める。

勝ち戦を信じて疑わぬその姿にセスタスは一抹の危うさを覚えずにはいられなかった。

確かに常識的に考えればこちらの勝利はかない。

これで味方が劣勢であるなどと言えばセスタスは臆病者のそしりを免れないだろう。

だがワラキアが隠している切り札がほかにあるのではないかという疑いは晴れることなくセスタスのに沈殿していた。

 

かくなるうえはこの命を以ってラースロー殿下をお守りするよりほかあるまい…………。

 

それに何かあると決まってわけではない。

むしろ何もない可能のほうが高い、高いはずだ。 

ヴラドの向に不自然さをじるセスタスではあるが、ではヴラドが何をしようとしていくのかと問われれば全く想像がつかぬのもまた事実であったのである。

 

――――――しかしラースローより直々に褒賞をけ取ったブラショフの騎士が、ルーマニア人であったことに注目したものは誰一人としていなかった。

そして褒賞をけた後、いずこともなく姿を消したこともまた……………。

 

 

 

 

気盛んなトランシルヴァニア軍の目の前で、これみよがしにブラショフの城壁に翩翻とワラキアの旗が翻っていた。

それは略奪しに來たわけではなく、恒久的にブラショフをワラキアが所有するという明確な意思表示であると、トランシルヴァニアの諸將はけ取った。

実際に彼らの解釈は事実でもあった。

 

「なんという無禮な!いつまでも奴らにわがもの顔をさせてはおくまいぞ!」

 

トランシルヴァニア軍の面々は絶対に許容できぬヴラドの無法に対して嚇怒する。

たかだか千程度の軍勢にここまで正面から挑発されて黙っていてはトランシルヴァニア軍の鼎の軽重を問われかねなかった。

もちろん彼らがそうけ取るであろうことをヴラドは正確に察していた。

 

「――――そうをとられた寢取られ男みたいに喚くなよ」

「そりゃ仕方ありませんぜ、殿下。このブラショフは奴らにとってはかけがえのない別嬪でさぁ」

「違えねえ!」

 

ヴラドとゲクランたち傭兵出の軍首脳は笑みさえ浮かべながら悠然とトランシルヴァニアの大軍を見下ろしていた。

もとよりこれは想定の範囲

むしろラースローに出撃してもらわなくてはこちらが困る。

彼らが冷靜さを失い激昂することもまた當初からの策のうちなのである。

 

 

まさか頭上でヴラド達がそんな會話をわしているなどとは思いもよらず、ラースローたちは旺盛な士気を利用して一気に決著をつけようと考えていた。

それをするだけの戦力差が両軍にはある。

確かにワラキアにブラショフを占領されたのは腹が立つ話ではあるが、これは同時にトランシルヴァニアにとってチャンスでもあった。 

わずか千の兵しか率いていないワラキア公を捕えることが出來れば、そのままワラキア公を幽閉して代理統治することも。ヴラディスラフのように傀儡を立てることも思いのままだ。

それはこれまでワラキア相手に蒙った損害を贖ってなお余りあるものであるはずだった。

 

「ものども、かかれ!褒は思いのままぞ!」

「おおおおおっ!」

「悪魔ドラクルの首をあげるのは俺だ!」

 

形ばかりの降伏勧告ののち、トランシルヴァニア軍は攻撃を開始した。

數においても、士気においても、さらに兵の戦場での経験と実績においても全てにおいて味方が勝っている。

躊躇する理由も恐怖する理由も何もなかった。

自分達は猟師であり、そしてワラキア軍は獲なのだ。

その力関係が変わることは未來永劫ありえないと彼らは信じて疑わなかった。

ブラショフに立てこもるワラキア軍は包囲され退路を斷たれている。

常備軍などという金食い蟲をワラキアが用意しているなどとはほどにも予想していないトランシルヴァニア軍はこうした絶的な戦況では傭兵の士気がもつまいと予想していた。

 

「なんだ?あの貧相な陣地は?」

 

ブラショフの城門の前から突出する形で土嚢と木材で補強されたわずか10mほどの陣地が見えた。

確かに攻撃の主軸が城門に集中するから、何らかの形でそれを補完することは正しい。

しかしあまりに中途半端なサイズと配置されたわずかな人員からトランシルヴァニア軍の兵士は完全にこれを侮った。

 

「馬鹿が、真っ正直に死にに來る奴があるか!」

 

聞いたこともないような轟音が轟いた。

小規模な野戦陣地と侮って突した百を超える兵が一斉撃の砲火にさらされて壊滅する。

そのあまりの火力の集中と命中率にラースローは我を忘れてんだ。

 

「そんな馬鹿な!」

 

城郭を守る戦のひとつとして橫矢掛けと呼ばれるものがあり、投を多角的に運用するという思想は中世においても存在した。

しかしそれを銃に応用しようという発想はまだなく、そして日本の武田軍などが得意とした馬だしによる機と火管制區域の運用は歐州においては一般的ではなかったと言っていい。

彼らが與し易しと考えた貧相な防陣地は実は城壁に展開した火縄銃部隊の十字砲火の中心點でもあったのである。

 

「な、なんだ………ワラキア軍はいったい何丁の火縄銃アルケブスをこの戦場に持ってきているのだ…………」

 

トランシルヴァニア軍が揺するのも無理はなかった。

當時まだまだ貴重品であった火縄銃は、その高い金額の割に使用される機會がないことで百年戦爭を戦うフランスやイングランドほどには東歐では普及していなかったのである。

そしてあまりの火力の集中を見たことで彼らはこの戦場にワラキア軍が持ち込んだ火縄銃の數を完全に誤認した。

激しい撃を浴びて歩兵部隊が壊する。

彼らの撤退を援護しようと騎兵部隊が進み出たところで今度は城門が開き、ワラキア軍槍兵部隊がトランシルヴァニア騎兵の前に展開した。

天敵といっていい槍兵部隊にその突進を阻まれた騎兵が算をして撤退に追い込まれるまでそれほどの時間はかからなかった。

再び轟く一斉撃の轟音がトランシルヴァニア軍の兵士から冷靜さを奪っていく。

彼らが混を収拾するまえにさらに數百の兵士がワラキア軍の犠牲となって大地にそのを吸わせたのだった。

 

 

 

「…………あの男は悪魔か!」

 

集計された損害を聞いたラースローは驚きとともにんだ。

彼我の戦力差三倍以上、目標は勝手知ったるブラショフの街、勝利を確信し戦闘を開始してからわずかに半刻にしてトランシルヴァニア軍が蒙った損害は死者百二十名

負傷者三百余名を數えていた。

この調子で損害が拡大すれば數日を待たずしてトランシルヴァニア軍はブラショフの大地に溶けることになるだろう。

トランシルヴァニア軍が許容できる範囲を遙かに超える大損害であった。

 

「このうえはこちらも柵を立て、包囲を厳重にして持久戦に徹するべきと存じます」

 

策による出の拡大が許容出來ない以上セスタスの獻策は妥當なものであった。 

時はワラキアの敵なのだ。

こちらも兵站は萬全とは言い難いが何と言っても自國の領であるのに対し、兵糧や火薬もワラキアの所有量には限りがあるはずであった。

さらに時がたてばこちらはヤーノシュ公のご出馬すらめるのである。

 

……………あえて火中の栗を拾うまいぞ…………。

 

ラースローはなお隙を見て出戦することを主張したが、今度は大半の貴族が反対に回った。

ブラショフに存在する三か所の出り口に兵を分散し、柵と簡易の濠を築いてワラキア軍を封じ込める。

軍議はそのように決し各將はその手配に走りだしたのである。

 

 

包囲網が完していくに従ってどんな重圧をじているかと思えば當の本人はいたってのんきなものであった。

戦況は俺の予想から一歩たりとも逸していない。

わざわざ苦労さま、と俺はラースローの境遇に同すらしていた。

殘念だったな、ラースロー。ヤーノシュならきっとこんなまだるっこしいことはしないでただひたすら俺の首を取りにきたろうにな。

ヤーノシュはオレの首にそれだけの価値があることを経験的に知っている。しかしラースローは知らない。

悠長にこんなことでワラキアを封じ込められると考えているのがその証拠であった。

 

「あまり城壁に寄りにならないでください、殿下」

 

うっ………出たな小姑め。

 

「狙撃されたらどうするのです?私の目が黒いうちは危ない真似はさせませんよ?」

 

先日の襲撃以來ひっついて離れないベルドが腰に手をあてて上目遣いに睨んでいた。

正直過保護すぎて息が詰まるのだが、ベルドの心配も決して故ないことではないので斷ることも難しかった。

ヴラディスラフの首を手土産に降伏した貴族どもだが、命惜しさにワラキア國でヴラディスラフに応を約束した貴族の名を洗いざらい吐いてくれたのである。

その中にはこのところ協力的で俺が信を置き始めていた中立派の重鎮もいたのだ。

史実のヴラドが人間不審になるのもむべなるかな。

俺もベルドやゲクランたちのような気の置けない仲間がいなければ同じ道をたどったに違いない。

そう考えるととてもベルドの善意を袖にすることなどできるはずがなかった。

 

「どうされました?」

 

聲をかけたきりこうとしない俺を不審に思ったのかベルドが俺の顔を覗き込むようにして問い返した。

苦笑するとともに俺はベルドの赤みがかった金髪を暴にでまわした。

 

「心配をかけるな」

 

――――――――本當にお前たちが俺の命綱だよ。

 

    人が読んでいる<彼の名はドラキュラ~ルーマニア戦記~改訂版>
      クローズメッセージ
      あなたも好きかも
      以下のインストール済みアプリから「楽しむ小説」にアクセスできます
      サインアップのための5800コイン、毎日580コイン。
      最もホットな小説を時間内に更新してください! プッシュして読むために購読してください! 大規模な図書館からの正確な推薦!
      2 次にタップします【ホーム画面に追加】
      1クリックしてください