《彼の名はドラキュラ~ルーマニア戦記~改訂版》第三十五話 クロスクルセイドその5
「包囲して締め上げろ!!敵は小勢ぞ!」
あの新兵には驚いたが、こちらには無傷の兵士がまだワラキア軍の四倍近い數で殘存している。損害を省みず攻撃を続ければいずれワラキア軍は疲弊に耐えられず瓦解する、とヤーノシュは察していた。
「ちっ!もうちったぁ驚けよ!」
舌打ちとともにゲクランは聲を張り上げる。
「てめえら!にモテてえ奴から前に出ろ!」
「そいつぁ先を越されるわけにはいかねえな、シェフ殿」
旗揚げ以來ゲクランにつき従ってきた手長団を中心に常備軍の最鋭部隊が堅固な方陣を形した。
その不退転の意思力と鉄壁の防力はこの時代最大の評価をけているスイス槍歩兵すら凌駕していた。
「構ええええ!」
ようやくワラキア軍に供給されつつある最新のスナップハンスロック式の銃を一斉に構えゲクランは不敵に嗤う。
「ぶっ放せえええええええ!!」
信じられないような集隊形から撃ちだされた一斉撃は突撃に移った十字軍兵士をなからずなぎ倒した。その命中率の高さにヤーノシュは驚愕する。
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(―――――そうか、度の違いか)
いったいどこまでワラキアの技革新は進んでいるものか。
従來の火縄銃は発の際に派手に火のを撒き散らすためあまり集団を集させられないという弱點が存在する。それを克服する機構をワラキア軍は開発したということらしい。
―――――よかろう、なおのこと手にれる価値があるというものだ。
いかにワラキアが新技と投しようとも銃という兵科は火力の連続に乏しい。どんなに急いだところであと一度撃する時間があるかどうか。懐に飛び込まれた銃兵など狼を前にした仔山羊のように無力な存在にすぎないはずであった。
「いいか!てめえら!上品な騎士様のを掘るより商売をベッドで啼かせらるほうがずっと難しいもんよ!てめえのマラに自信があるやつは銃先をあげろ!よっしゃ!突けやああああ!!」
「おおおおおおおおおおおおっ!」
あとは躙するだけだとばかり思っていた騎兵たちの前に白銀の林が出現した。小回りが利かず防力の低い騎兵の天敵は統制された槍兵である。しかし自分たちの目の前にいたのは近接戦闘では全く無力な銃兵なはず―――――――。
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槍の穂先に貫かれ浮足立った騎兵に向かって至近距離から銃兵の第二列が一斉に火ぶたをきる。はずしようがないほどに至近距離で浴びせられた銃撃はハンガリー騎兵の士気を折るには十分な一撃だった。
両翼からワラキア軍を包囲しようとする騎兵部隊にも手榴弾が投擲され、銃兵部隊が鉄壁の方陣を組んで迎撃する。數において圧倒していながら十字軍の攻勢はワラキア軍の高い士気と新兵群の前にとん挫を余儀なくされていた。
「銃兵が………槍だと??」
ヤーノシュともあろうものが正しく瞠目した。
近接戦闘に弱いことこそが銃兵最大の弱點であった。それをまさかこんな方法で解消してしまうとは。
(悪魔め!なんということを思いつくのだ!)
これが手榴弾のような新兵であればヤーノシュもここまで衝撃を覚えはしなかったであろう。しかし銃槍という裝備はその気になればいつでもハンガリー軍でも裝備することができる単純なものだ。ただその発想の飛躍がヤーノシュは何よりも恐ろしかった。単にヴラドが異端な人間であると言うだけでは足りない。間違いなくヴラドは同時代の人間とは本的なところで発想の質が異なっているはずであった。
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銃剣の歴史は意外に淺く、初めて銃剣が裝備されるのは17世紀のフランス、バイヨンヌで農民の咄嗟の機転によって発明されたという。銃剣をバイヨネットと呼ぶのはこの來歴が由來している。
しかし真に恐るべきはワラキア軍の士気の高さであるのかもしれない。
確かに銃槍という武の出現は騎兵の突撃を防ぐには有効であったろう。馬という生はいかに訓練しようとも尖ったものに突っ込むことを恐れるためだ。
とはいえ馬という巨大な質量が猛然と接近してくる恐怖はそうそうぬぐえるものではない。まして構造上、銃槍は間合い、リーチという點で正規の槍兵に比べて數段劣るものになるのである。
ほとんどが傭兵出者で占められているはずのワラキア軍でこれほどの統制された勇気が発揮されるということがヤーノシュにとっては完全に予想外の誤算であった。
所詮金で雇われるだけのなし草である傭兵はスイス傭兵のような例外を除いて勝ち戦では勇猛に戦うが負け戦ではいち早く逃走してしまう使い勝手の悪い戦力である。しかし必要なときに必要なだけいてくれればよく、常備軍ほど金がかからないために歐州では長く戦力の中心を擔ってきた。
もともと傭兵の出であるヤーノシュは傭兵の長所と短所を知り盡くしていると言ってよい。
(信じられんがあの悪魔が荒くれ者の傭兵を騎士にしたか)
若き日の自分が神聖ローマ帝國皇帝ジギスムント陛下に騎士にしてもらったように。
「認めよう、ヴラドよ。貴様は紛れもなく天才だ。だからこそ貴様とはこの地上で相れることはない。貴様は英雄であるこのわしの前に倒されるべきなのだ!」
戦いの開始から數時間、十字軍の損害を省みぬ波狀攻撃の前にワラキア軍もまたなからぬ損害をこうむっていた。
しかし時代を先取りした火力とゲクランの巧みな戦指揮によってワラキア軍の戦闘力はなお健在であった。
それでもヤーノシュは自らの優位を疑っていない。
限定された騎兵部隊しかもたないワラキア軍は攻勢に打って出るだけの能力がない。いくら堅固であっても防一辺倒の軍に最終的な勝利はないことをヤーノシュは経験的に知っていた。
無敗を誇りながらフス派が結局分裂を繰り返しその影響力を失ったわけがそこにある。追い足がないために敵対勢力を殲滅しきれず戦線を維持できないのだ。
しかし懸念がないわけでもない。問題なのは時間の経過である。この時代の軍隊は夜間戦闘を続けられるほど軍事技が発達していない。日沒までにワラキア軍を倒しきれなければそのままワラキア軍を取り逃がす恐れは高かった。
現にワラキア軍は防戦しつつもすでに數キロ戦線を後退させていた。しかもその途上で林のなかにわずか數百名ではあったが伏兵をひそませていたために側背を衝かれた右翼が食い破られてワラキア軍に貴重な時間を與えてしまっている。まったくあれほどの寡兵でありながら伏兵に數を割くとはどんな神経をしているのだろうか。
それにしても――――――。
「へっへっへっ……どうしたい?腰がふらついてるぜ騎士さんよぉ!」
「シェフ殿、俺もそろそろ膝が笑ってんですけど……」
「ん?シギショアラでアンナ相手に5回も闘したのに比べればまだ2時間くらいは平気だろうがよぉ!」
「なんでシェフ殿が回數まで知ってんですか!?」
「そりゃおめぇ……お前らのアノ聲がちょっと派手なもんでよぉ……」
高らかに哄笑する男たちで無傷の者はほとんどいない。戦闘が始まってからもっとも激烈な十字軍の攻勢に耐えてきたにもかかわらず彼らの士気は一向に衰える気配はなかった。
(…………続くはずがない。奴らも同じ人間であることに変わりはないのだ)
時として死を覚悟した兵士が常軌を逸した戦闘力を発揮することは戦場では往々にしてある。しかし人間の力には限界があり、ある境界線を越えてしまえばそうした兵は逃げる力すら失って倒れ伏すのが常であった。
だからといっていたずらに時間の経過を許すだけの余裕がヤーノシュからはなくなりつつあった。
通常であればワラキア軍が撤退すれば十字軍が勝利したということができるのだが、このままワラキア軍が組織力を保ったまま撤退すれば彼らは十字軍に対して一定の戦果を與えたため一度再編のため兵を自主的に引いたと喧伝する可能があった。実際に十字軍側の損害はワラキア軍のそれと比べれば控えめにみても3倍は下らない。いや、おそらく最終的には5倍ほどに達するであろう。それでは勝利を宣言したところで教會や兵を出してくれた各國の君主が納得しない可能があったのである。
「あの者たちの強がりも限界のはずだ。前面の銃兵に攻撃を集中せよ!」
「ありゃりゃ、こりゃ怒らせましたかね?」
口調こそ軽かったがレーブは背筋が凍るような恐怖を抑えるのに相當の意思力を必要とした。すでに兵たちのの限界はとっくに超えている。かろうじて殘された気力も長くは続かないことをレーブは気づいていた。
「レーブ、おめぇ運に自信はあるか?」
「あったら今頃こんなとこで命賭けてはいないでしょうよ」
「俺もいばれるような運なんざもっちゃいねえが………忠誠を誓った主君だけははずしたことがねんだ。先祖代々そういう運命らしい」
もっともそんな主君にめぐり合う機會もなく死んでいく人間のほうが多いのはである。
「だからここはちとご主君の運にあやからせてもらってもう一踏ん張りしようじゃねえか!」
「………まあ、あの方は運なんていかさまでひっくり返しそうではありますがね」
「違えねえ!」
殘された力を振り絞って最後の手榴弾を投擲する。総攻撃のために集中度が高くなっていた十字軍兵士が次々と風に吹き飛ばされ大地に赤い花を刻印した。
「野郎ども!ぶっ放せ!」
「攻撃の手を休めるな!」
素晴らしい!実に素晴らしい兵士たちだ。
しかし気力を振り絞るのもこれが最後で次はない。蝋燭の火が燃え盡きる前の揺らぎなのは彼ら自もよく承知しているのだろう。否、あれほどの勇士たちが気づいてないはずがない。それでもなおヴラドに殉じようとするか。それもまたよし。
最後の予備兵力を投しようとヤーノシュが決斷しかけたとき、ワラキア軍の後方、わずかに小高くなったなだらかな坂の上でむくりむくりと兵士たちが立ち上がった。その數およそ二千。ヤーノシュにとっては完全に想定外の戦力である。
「この後におよんで伏兵だと?」
確かに無傷の二千が投されることは痛いがこちらにも無傷の予備兵力は二千以上殘されている。もはや気力だけで持っているワラキア軍に逆撃するだけの余裕はないはずだ。なぜだ?奴らはいったい何のために?
混するヤーノシュの頭上に伏兵から弩の一斉撃が浴びせられた。二千もの矢の襲撃に十字軍の前衛が隊をして混する。
「なんだとっ??」
この日最大の驚愕がヤーノシュを襲った。
伏兵のいる丘に向かってワラキア軍が全速力で逃走を開始したのである。秩序だった撤退ではない。背中を見せて無防備な潰走――――それではなんのための援軍なのだ?わからない、わからないが…………。
「追え!奴らを生かして返すな!」
ここでワラキア軍を見逃すという選択肢はありえない。なくともそれは間違いのない事実であるはずだった。
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