《彼の名はドラキュラ~ルーマニア戦記~改訂版》第四十一話 悪魔の弟子は

ヴラドが去った後事を託されたベルドは責任の重さをじつつも湧き上がる高揚を抑えきれずにいた。

自分がヴラドのもとでどれほど長することができたのか。果たして自分はヴラドの側近に相応しい実力をにつけることが出來たのか。

「シエナ様、ご協力をお願いします」

「無論、全ては大公殿下のために」

もともと勝利のあとにはハンガリーを占領するつもりであったヴラドは多數の報員を軍勢に同行させていたのである。

……誰よりも殿下の近くで殿下の考えも策略もつぶさに見続けてきた。

あとはけ継がれた力を信じるのみ。

ベルドは負傷者を送り返し、二千まで減った軍を引き連れ一路ブダを目指した。

殘された全力を十字軍に注ぎ込んだハンガリーにはもはやまともな戦力は殘されていなかった。

首都であるブダもまたその例外ではない。

それでもわずかに殘された軍部は抵抗するために市民から志願兵を募ったが反響は乏しいものであった。

ここでヴラドの串刺し公という異名が効果を発揮したのである。

もちろんそれはシエナの配下がヴラドが殘酷な君主であると同時に、敵対しないかぎりにおいては寛大な君主であるという流言を広めた果でもあった。

「今こそ正道に立ち返れ!反逆者フニャディ・ヤーノシュのくびきから解き放たれるときは來た!」

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満面で聲を張り上げているのはヤーノシュとの権力抗爭に敗れ暗殺されたバルドル公爵の息子マルクトである。4男である彼は本來どこかの貴族に養子に出されるか僚として自ら出世を爭わなければならない立場にいたが粛清によって一族の兄が全て殺されてしまったために國王の従兄弟にあたる公爵家の唯一の生存者となってしまった。

一時は一族の不遇と自らの不幸を呪ったが、ワラキア大公がヤーノシュと対立するなかで彼はハンガリー王國を主導すべき立場を手にれた。

災い転じて外の好機となったわけである。もちろんそれは彼が信じる限りにおいてではあるが。

わずか二千ながら統制のとれたワラキアの兵と串刺し公の恐怖、さらには反ヤーノシュ派が恭順にいている狀態で抗戦を続けるのはさすがのハンガリー王國軍であっても不可能であった。

ヤーノシュへの忠誠の深かった一部の軍人が立てこもるきを見せたものの、市民によってから城門が開かれるとたちまち彼らはワラキア公國軍によって駆逐された。

「おおっ!おおっ!またこのブダに戻れる日が來ようとは!」

マルクトは激にむせび泣いた。

いころから王族に近しい公爵家の一員として蝶よ花よと育てられた記憶はマルクトの人生でもっとも幸せな記憶であった。

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かつての栄華は失われてしまったが、今の自分にはかつてを凌駕するほどの栄華を築ける可能すらあるのだ。

「マルクト様………」

「おお、ベルド殿か。この度の助力謝いたす!」

「全ては大公殿下の思し召しでございます――――ですがまだご安心なされませぬよう。まだまだヤーノシュ公に心酔していた貴族は多くマルクト様を敵視する貴族もまた多うございます。我が大公殿下はハンガリーと敵対することをんではおられません。しかしハンガリーがワラキアを敵に回したいのならば今度こそ殿下の鉄槌が下されるでしょう………」

暗に再侵攻と処刑を匂わせるベルドの言葉にマルクトはブルリと背筋を震わせた。

そう、ヴラドは何も慈善事業でマルクトを助けてくれたわけではない。

マルクトがハンガリー國の親ワラキア勢力を結集させワラキアにとって友好的な隣國を誕生させるためにこそマルクトは助けられたのである。

目的の果たせぬ役立たずとわかったときにはどうなるか、ヴラドに敵対して命を失った數々の貴族たちの運命を思ってマルクトはそれが決して自分と無縁ではないことを自覚した。

「か、必ずやご期待にこたえて見せますと殿下にお伝えいただこう!」

聲を震わせながらも虛勢を張るマルクトにベルドは恭しく頭を下げた。

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「もちろん殿下はご期待されておられますとも。……お互いのために」

心の中では全く逆のことを考えながらベルドは微笑する。

傀儡は傀儡らしく上手に踴ってもらわなくては――――そうでしたね?ヴラド様?

ハンガリー王宮にかつてヤーノシュに粛清された貴族たちが復権するとその報復は熾烈を極めた。

「ヤーノシュの犬め!」

ヤーノシュの政権で中樞を擔ってきたものたちが次々と粛清されその多くはブラの郊外で磔の刑に処された。

復讐の快に酔ったマルクトたちは婦子も容赦なく磔にしてその死にざまを酒宴を開きながら歓聲をあげて見守ったという。

當然庶民の風評は最悪であり、マルクトたちがハンガリーの政権を擔っていくことに深刻な社會不安が醸されつつあった。

さらに行政の実権を握ったマルクトは処刑した貴族の資産を沒収するとともに増稅を実施し、ヤーノシュが軍事費をねん出するため痛めつけたハンガリー國民にさらに負擔を押し付けていく。

マルクトの政策に反対した良識ある僚は全て罷免されるか処刑されていった。中にはハンガリーに見切りをつけて辭職する僚たちもいたが、その者たちの多くはなぜか富な資金を持ち國外に移することなく自宅で悠々自適な生活を送っていた。

「策のためとはいえ有能な持ち駒を失わせるのは非効率的というものです」

ひとつ変えずにシエナはそう呟く。

こんな茶番がいつまでも続くはずがない。いや、自分が続けさせはしない。全てはヴラドが戻るまでの時間稼ぎにすぎないのだから。

そのために速やかなハンガリーの占領と掌握のために、有能な僚はいくらいても足りはしないのだった。

「―――――どうやら全てはうまくいったようです。殿下も妃殿下もご無事で休息中、明日にはトゥルゴヴィシテを発つとのこと」

腕木通信の容を一読したベルドが相好を崩した。

ヴラドがザワディロフごときに負けるとは思わなかったがヘレナの無事だけが心配だった。

神のごとく尊敬するヴラドだが、どこか細く頼りない糸でしかこの世界と繋がっていないような危うさをベルドはじている。おそらくヘレナはラドゥ以外で初めてヴラドを繋ぎとめる碇となりうる人であった。

「そろそろ用済みということですか」

「殿下が到著する前に片づけて置きましょう」

マルクトは実に良い仕事をした。

ヤーノシュの息のかかった貴族を粛清し、國民と僚にハンガリー王家に対する信頼を完全に失わせた。

改革を標榜するヴラドがハンガリーに善政を布けばたちまち國民はヴラドを歓呼の聲で賞賛するだろう。

そのために傀儡は出來る限り即的で馬鹿な男でなければならなかった。

「………それにあの男、オーストリアのフリードリヒ3世と渉を始めているようだ。いつまでも我が國の傀儡でいるつもりはないらしい」

「なるほど、同する価値もないというわけですね」

暗くベルドは哂い、シエナは相変わらず無表のままワインを飲みほした。

「全ては予定通りに」

「お任せを」

マルクトはわが世の春を謳歌していた。

ヤーノシュに尾を振っていた連中は大半が粛清されるか権力を失い、ハンガリー宮廷の主要なポストはあらかたマルクトの族と縁者によって固められていた。軍事的にはワラキアに屈服したような狀態だが、増稅で得た資金で軍を再建すればもともと國力に勝るハンガリーはいずれかつての栄を取り戻すであろう。それまでの間は神聖ローマ帝國を利用してワラキアに対抗する。

落ち目であるとはいえ神聖ローマ帝國の権威と底力は歐州世界に冠たるものである。り上がりのワラキアが正面から対抗することは難しいに違いない。

ハンガリー王國そのものが地上から存在を消されようとしているのにマルクトはその現実に全く気づいていなかった。

フリードリヒ3世がハンガリーを帝國に取り戻そうとしていることすら気づいていない。

彼の頭にはフリードリヒ3世の後援をけて新たなハンガリー國王に即位する極彩の未來図しかないのである。

「そのためにもまずは余の親衛隊を整備しなくてはな……」

現在ブダの治安維持は駐留しているワラキア軍に頼っているが、マルクトが信頼できる親衛隊が整備できればそれを理由にワラキア軍の撤収を依頼するつもりであった。

さすがにワラキア軍の懐の中で神聖ローマ帝國や教皇庁と連絡を取りあうの神衛生上よいものではない。

マルクトは苦笑いを浮かべて練兵場へと足を運んだ。

「この者たちが騎士候補か」

「はい。いずれ劣らぬ剛の者でございます」

マルクトの前に見事な軀の若者たちが並べられる。

親衛隊候補として縁者たちに推薦させた信頼できる若者たちである。

彼らが自分に忠誠を誓い、手足となって戦うならばワラキアとて恐れるに足らないのではないか、そう思わせるほどに素晴らしい若者の雄姿にマルクトは満足そうに笑みを深めた。

そして激勵の言葉を與えようと彼らに近づいた瞬間。

「我が一族の仇!」

1人の年が當たりするようにマルクトの腹部へ深々と剣を突き刺していた。誰も止める猶予もないあっという間の出來事だった。

「ば、馬鹿な!そんな馬鹿な!」

こんな馬鹿な話があってたまるか!

これから、我が栄華はこれからではないか!

ようやく至高の座に手が屆くところまで來たのに、こんなところで死んでたまるか!

「この剣には毒が塗ってある。萬が一にも助からぬよ!々絶して死ぬがいいさ!」

そう言った年は剣を引き抜くと自らの頸脈へ刃を向け一気に剣を引き下ろした。噴水のようにしぶきがあがり哄笑したままゆっくりと年はあおむけに倒れる。

満足そうに息を引き取った年とは対照的に、マルクトは赤子のように泣きわめき助けを乞うていた。

「いやだ!死にたくない!誰か!誰か余を助けよ!なんなりと褒をとらす!余を…………殺す………………な」

ゴフリとひと際大きく口からを吐きマルクトは絶命した。

「誰だ?この男を推薦したのはどこの家のものだ!?」

しかしその問いに答えられる者はいなかった。

どうやら集合に遅れてやってきた年を誰も見覚えがないにもかかわらずその堂々とした態度と見事な軀のために誰も疑問に思わず隊列に加えてしまったらしかった。

後に判明したところによれば、マルクトに族滅させられたノブレ家の児である年は城の後宮から部に潛し、偶然にも衛兵に出會うことなく練兵場へ向かい、運悪く全ての騎士候補の審査を終えて休憩のため無人となっていた付を通り抜けて練兵場の列に加わったらしかった。

あまりに不幸な偶然が幾重にも重なった結果に、誰もがマルクトの非道を思い出し、自業自得であると噂した。

しかし不幸とは往々にして人為的なものであることを知っているものはその背後の意思を想像して戦慄したが、賢明にも誰も表立って口に出すことはなかった。そんなことをすれば今度は自分たちに不幸な偶然がやってくることを彼らは知っていたからである。

マルクトの死は新たな政治の季節の到來であった。

次期國王にもっとも近い男が死んだ以上その代わりになるものが必要であるはずである。自分こそ新たな指導者に相応しいと思う野心家が頼ったのは、現在ハンガリーを実効支配するワラキア軍にほかならなかった。

ワラキア大公の支持をけた者こそが新たな王に近づく。

先を爭うように貴族たちは駐留ワラキア軍の宿舎に押しかけたのである。

「何卒大公殿下に取り次いで下され!」

「貴様はひっこんでいろ!」

「わ、私は大公殿下のためならば國土の割譲も……」

「この売國奴め!そこまでして王位がしいか!」

「お黙りなさい!」

靜かだが有無を言わせぬベルドの聲に貴族たちは言い爭いを止めた。

取るに足らぬ子供だがベルドはワラキア公の側近であり寵臣である。彼の機嫌を損ねればワラキア公の支持はおぼつかないのだ。

「さきほど大公殿下より通信がありました。謹んでお聞きなさい」

ワラキアが腕木なるもので報をやりとりしていることをほとんどの貴族は知っている。國境からブダまでの間に新たに三つの腕木が晝夜兼行で建設されていたからである。

「余はハンガリーがワラキアのよき友であることを願いマルクト殿を支援した。しかしそのマルクト殿を醜い権力爭いで殺すにいたったのは事実上ワラキアへの宣戦布告である。余はハンガリーを友とすることを諦め自らこれを統治することを決意した」

「そんな!」

「このハンガリー王國を滅ぼすおつもりか!」

激昂する貴族たちに向かってベルドは高々と右手をあげる。

同時にネイとタンブルが率いるワラキアの鋭部隊が貴族たちを包囲するように完全武裝で宿舎に整列した。

「殿下は貴方方に失しておられます。さらに失されることをむならそれも結構、殿下の手を煩わせることもなく今ここで殺してさしあげる。失させぬために何をすればよいか考えるものは幸いです。それこそが自らの命を救いよりよい將來の扉を開くでしょう」

悲しいかな軍事力という後ろ盾のない彼らに抵抗するという選択肢はなかった。

逆らえば死あるのみ、という現実をようやく彼らは認識した。

そして力なく床に膝をつき貴族たちは次々とベルドに向かって頭を下げた。

「我ら大公殿下のために忠誠を盡くしまする」

「良い判斷をなさいました。きっと殿下もお喜びになることでしょう」

もはやそこに若すぎるヴラドの寵臣はいない。

悪魔的な策士が罠に落ちた獲を眺めて味しそうに舌舐めずりする姿があるだけだ。

ヴラドの創業の家臣として、子供のころからベルドを見守り、どこか兄貴分を自認している風のあるネイとタンブルはさすがに顔を青くして顔を見合わせた。

「―――――化けたな」

「悪魔ドラクルの弟子はやはり悪魔ドラクルだってことか。金際あいつには逆らわんぞ俺は」

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