《鸞翔鬼伝〜らんしょうきでん〜》天命.三 偶発〔壱〕

真夜中ともなると、外は靜まり返っていた。

ただしい蒼い月のが、大地を照らし付けているだけだ。

翔隆は、やっとの思いで辿り著いた那古野城の城下町の片隅で、翔隆は荒い息を整える。

「はあ、はっ、はあ…くっ!」

ズキズキと傷が痛む。

無我夢中で逃げていた時に、〔狹霧さぎり一族〕に斬られたのであろう傷痕があちこちにある。

〈一どうすればいいんだよぉ……!〉

今更、痛むなんて…

〈父さん……っ!〉

…何一つ爭いの無い、平和な暮らしだったのに!

〈…母さん…楓姉さん…!!〉

突然〔一族〕の事を聞かされ、己は〔不知火〕なのだと知らされた。

だが、そんなものを急に言われたって判るものか!

〈千太さん…爺様…みんな……!!〉

…頭が混しきっている。

〔狹霧〕に奇襲を掛けられ、集落は無くなり……

父親を目の前で殺されて!!

〈何で…なんで……どうして?!〉

もう、訳が判らない所の話ではない。

翔隆はへたり込んで左足を抱える。

「く…う…っ!」

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涙が止めどなく溢れ出る。

痛みと…悲しみ、悔しさで。

「ねえ」

突然、の聲がした。

ビクリとして見上げると、そこには見知らぬ可らしい子おなごがいた。

「ケガしてるの? ちょっと待っててね!」

そう言い子おなごは行ってしまう。

〈なんだ…今のは…〉

幻でも見たのだろうか…?

いや、今はどうでもいい。

とにかく落ち著かなくては…。

翔隆は、苦しげに橫たわり深く呼吸する。

〈落ち著け……落ち著くんだっ! 今は、悲しんでいる場合じゃない…っ!!〉

必死に、自分自に言い聞かせる。

だが…こんな現実を、れて平靜を保つなんて無理だ。

翔隆は頭を抱えて、聲を押し殺して泣く。

い頃からの記憶が蘇る…。

優しく接してくれた集落の皆は戦っていたのに、自分だけが逃げてきた。

いつも遊んでいた達も死んだかもしれない…なのに、自分だけ!

育てた植や蟲や鳥も、何もかもを放り出して…一人だけ!

〈…戻らないと…!〉

しかし、父や睦月、義に…〝逃げろ〟と言われたのだ……

〈戻ったら駄目だ! ……これからどうするべきかを考えなくちゃ……!〉

「いかなる時でも冷靜であれ」

に、教えられた言葉が脳裏によぎる。

翔隆は涙を拭って、懸命に考える。

〈今は、俺一人なんだ…俺の力だけじゃ何も出來ない。………何処かに隠れて…義達からの連絡を待たないと…大丈夫、必ず生きている……風麻呂かざまろが知らせてくれる!〉

風麻呂とは、翔隆が生まれた時より一緒に遊んでいた烏の事だ。

遊ぶだけではなく、〝彼〟は集落の連絡役や見張り、時に翔隆を守ってくれたりする大事な〝仲間〟なのであるが…。

〈死んでない…! 死なないで…!!〉

高鳴る心臓を押さえてそう念じていると、さっきの子が駆けて來て座った。

「大丈夫? 今 手當してあげるわ」

…幻、ではなかった様だ…。

翔隆は起き上がって座る。

「村の皆が気付くといけないから、そっと出て來たの」

そう言って普通に手當てをする娘…。

翔隆はふと尋ねる。

「お前…俺が怖くないのか…?」

「どうして?」

用に手當をしながら、娘は微笑して言う。

「俺は〝鬼〟と呼ばれてるんだぞ…? もしかしたら、お前を取って喰らうやもしれないのに…」

そう言うと、娘はくすくすと鈴の様ならしい聲を立てて笑った。

「〝鬼〟のくせに、そんな事言うのはおかしいわ。…そんな悲しそうな目をした〝鬼〟なんて、見た事ないもの。ちっとも怖くない! はい、いいわよ」

手當てを終え娘は優しい眼差しで、じっと翔隆を見つめた。楓の様な優しい瞳…。

……ドクン…。

急に、ドキドキと心臓が高鳴り…が締め付けられる。

〈な、なんだ…!?〉

これも、生まれて初めて味わう“”。

…顔が火照り、が熱くなってくる。

〈お、落ち著けっ〉

しゃんと背を正して深呼吸すると、娘はにこりとして言う。

「あたし似推里いおりというの。あなたは?」

言いながら地面に〝似推里〟と漢字を書いた。

翔隆は戸いながらも、地面に名前を書く。

「…翔隆、だ…」

「じゃあ、また會いましょう翔隆!」

 明るく微笑むと、似推里は鹿の様な軽い足取りで駆けていった。

  サワサワサワ… 寂しい風が吹く。

〈ああ………とにかく何処かに隠れなくちゃ…〉

何処か…といってこのままここにいて追っ手が來たら騒ぎになり、あの信長を困らせてしまうかもしれない。

…かといって、野宿など出來る狀態ではない…。

〈…どこか安全な…とこ、に…!〉

翔隆は半ば朦朧としながらも、よろよろと歩き出した。

篝火が城の外を照らし出す。

那古野城では、塙ばん九郎左衛門直政が番衆(見回り)を務めていた。

カサ…

茂みが、微かにいた気がした。

〈刺客…?〉

來るとすれば信長の兄弟の手の者か、清洲城の……まさか!

 だが、萬が一という事も有り得る。

塙直政は刀の鍔に手を掛け、慎重にその茂みへと近付いた。

「あっ…!」

思わず聲を上げ周囲を見回し、もう一度そっと茂みを覗き込んだ。

そこには、確かに晝間自分を投げ飛ばした小鬼が倒れていたのだ。

長い間、気を失っていたのだろう。

顔が蒼冷め、一応手當てしたと思われる所からが滲んでいた。

〈これは刀傷! ……しかし、一何があったのだ…〉

優しく抱き上げると、塙直政は小鬼を誰にも見つからぬ様に仮寢所に運んだ。

翔隆を布団に寢かせると、塙直政はそのまま慌ただしく駆けて行く。

そして薬箱と湯を持った佐々蔵助、丹羽萬千代を連れて戻ってくると、塙直政は翔隆のボロ布と化した著がせてを拭いて、傷の手當てをし始めた。

「鬼同士で戦ったのかのぉ?」

蔵助。

「何かの爭いに巻き込まれて、逃げて來たのやもしれんな。…しかし、あれ程の軽いこ奴がここまでやられるとは…」

萬千代も、手當てをしながら話す。

「二人共、早うせぬか。この者が凍え死んでしまうぞ」

「はい」

手當てが済むと二人は〝小姓〟の任に戻っていく。

塙直政は、ふうとため息を吐いて翔隆を見つめた。

〈殿には明日お知らせするとして……その前に平手さまにお知らせし、相談せねばな…〉

平手政秀は、信長の宿老・目付家老として仕える武將である。

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