《鸞翔鬼伝〜らんしょうきでん〜》天命.三 偶発〔弐〕
―――暗黒の夢。
はあ、はあ、はあっ
走る翔隆の荒い息の音だけが聞こえる。
闇の中にぽつぽつと炎が現れて、いきなり業火に巻かれる。
「うあっ!?」
立ち止まると、突然後ろから悲鳴が上がった。驚愕して振り返ると、楓と彌生の首が飛ぶ。
「姉さ…母…っ」
駆け寄ろうとすると、目の前に大きな斧が見えてビクリとした。
「逃げろ!!」
志木がんで、槍に貫かれる。
「父さん!!」
泣いて縋ろうとするが、その異形な槍の切っ先が自分の首に向けられる。
「死ね!!」
炎と呼ばれた男が、槍を突き刺す。
「うあああっ!!」
翔隆はんで起き上がり、痛みでうずくまった。
が恐怖で小刻みに震え、冷や汗が止まらない。
〈夢…じゃないっ! 父さん…っ!!〉
翔隆は泣きながら震えるを抱き締める。
〈殺された…っ! 俺を庇って……俺がっ俺のせいでっ!!〉
自分がもっと早くに逃げていれば…
もっと強ければ、志木は死なずに済んだのか?!
〈………義…〉
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最後に、あの男と戦っていた義は無事なのか…?
そう思って我に返り、自分が畳にいる事に気が付く。
「え…?」
顔を上げて、辺りを見回し、天井を見つめる。
〈…ここは……何処だ………!?〉
よろりと起き上がり、障子を開けてみてやっとここが那古野城だと判ると、翔隆は茫然として立ち盡くす。
「にっ、庭に居た筈なのに……!」
おろついていると、塙直政と平手政秀(五十九歳)がやってきた。
「お主が領を騒がせていた〝鬼〟か?!」
見て早々、怒鳴る様に言ったのは平手政秀。
「あっあの、俺―――っ」
すっかり狼狽する翔隆を見て苦笑すると、塙直政は小袖と指貫を渡す。
「まあ中にれ? 著せてやろう」
「………」
言われるまま中にると、著慣れない著を著せられる。
「ちと大きかったか」
くすっと笑いがれる。
翔隆は、ぎこちなさそうにしながらもペコリと頭を下げた。
「あの…ありがとうございます…」
「いや、良い。…しかし、何故あんな所に倒れていたのだ?」
「それは………」
言い掛けて、翔隆は昨夜の事を思い出し、きゅっとを噛み締めうつむいた。
何か、辛い事があったのだろう…。
塙直政はうなずいて微笑む。
「良い。無理に問い質ただしはすまい。何があったとは聞かぬ故、何故ここに來たのか答えよ」
その問いに、翔隆は一息吐いてから喋り始めた。
「…あの…。俺の居た所が…その……行き場が…なくて…どうしても人気が無い所だとまずかったから……一度は村に逃げたんですが…〝追っ手〟がもし村に來たら、皆が危ないと思って…だから〝奴ら〟が來れなさそうな所と考えたら、〝ここ〟だったんです。…済みません…こんなつもりじゃなかったんだけれど…迷をお掛けしました……」
そう言い、翔隆は目に涙を溜めながら両手を撞いて平伏した。
それを見て、黙っていた政秀は二、三度うなずき微笑する。
「ふむ。〝鬼〟などと言うから、どの様な族かと思えば、仲々禮儀をわきまえておるではないか。のう、塙殿」
「はい」
塙直政は、微笑して答えた。
「ふむ…。良い面構えじゃ。お主、年は?」
「十五…です」
翔隆は、戸いがちに答える。
「丹羽より一つ下か。聞く所、三郎さまを慕っておるそうじゃな」
「は、はい、まあ………」
八年も追い掛けていれば、そうなるか。
「殿の心を、開いてはくれぬか?」
「え…?」
「あの方は、己が心中を我らにお話し下さらぬ。普段はうつけておられるが…誠は、とても領民思いで良いお方なのじゃ。だが、大殿さま達にはそれがお判りになられぬ。何かお悩み事でもあろうに………わしでは駄目なのじゃ…。殿の心の重荷、お主が軽くして差し上げてくれぬか?」
何やら難しい話だが、理解は出來た。
「…俺で…出來るのなら………」
「ん! しかと頼むぞ」
そう言うと、平手政秀は嬉しげに行ってしまった。
すると塙直政が立ち上がる。
「さて。平手さまのお許しも貰った事だし、行くとするか」
「? どこに…」
「殿がお待ちだ」
「えっ?!」
「三郎さまに、お會いするのだ」
慣れぬ著を引きずって、やって來た所は本丸。
悪たれ城主、織田三郎信長の居る広間だ…。
中にると信長は湯づけを食らっていた。
翔隆はその前に正座した。
「とびたか!」
「は、はい?!」
「その姿、似合わぬの」
「はあ……俺もそう思います。一度も著た事ないし…」
その言葉で、信長は大笑いする。
「アハハハハハハッ! 気にった! お主をわしの〔軍師〕に引き立ててやる!」
「ええ?!」
驚愕の聲をらしたのは、その場に居る小姓の丹羽萬千代、佐々蔵助、池田勝三郎らである。
「と、殿!」
「異存あるまい?」
ニヤリとして言う。
信長は一度言い出すと、誰が何と言おうと聞かない事を、皆分かっている。
反論の余地はない。
まあ、どうせたかが土民上がりの〝鬼〟だ。化けの皮が剝がれて飽きられる…そう、各々納得する事にした。
一同が黙ると、信長は悪の顔をして翔隆を見やる。
「良いな?」
「えっ? あ、はあ、俺でいいなら…」
「良し! 九郎、教育を命ず」
「承知。では〝元服名〟も與えねばなりますまい」
「ふむ…」
……話が余りにも急展開すぎて、當の本人はただ呆然としている。
「とびたか、とはどう書くのだ?」
「え…あ、飛翔の翔に隆起の隆です…」
「ほう…」
その説明に、信長のみならず皆心した。
漢字の読み書きなど、武家の者でもきちんとしていない者も居る。
だがこの〝鬼〟は、きちんとした教育をけているというのが、今の返答で明らかに分かるからだ。
〈道理で……言葉遣いも丁寧で〉
塙直政が思っていると、信長はパンと自分の足を叩いて言う。
「篠蔦というのはどうだ! 篠竹に石垣に這う蔦だ」
「篠蔦翔隆、ですか…宜しいかと」
 塙直政がニコリとして同意した所で、翔隆はやっとその意味を悟った。
つまり〝家臣〟となってしまったという事だ!
 〈掟…――――!!〉
そう…すぐに思い浮かんだのは、〔不知火一族〕の掟…。
主君を待つは、死罪―――――。
ぞくっ…と背筋に悪寒が走った。
〈…ばれなければ、きっと平気さ……〉
そんな甘い考えが、後々どれ程の“重荷”となって己にのし掛かってくるかなど、今の翔隆にはとても想像すら付かなかった。
篠蔦三郎兵衛翔隆
それが、翔隆の〔元服名〕であり〝仕の証〟でもあった…。
それからすぐに翔隆は塙直政に連れられ、〝教育〟をける羽目となる。
漢字の読み書きは勿論、小姓勤めの〝基礎〟…掃除の仕方から城構造、臣下の何たるか、各國の事、喋り方や武道についてまで、嫌という程教え込まれた。
…まるで“〝義〟の様に………。
それだけで一日が過ぎてしまっていた。
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