《出雲の阿國は銀盤に舞う》プロローグ / 一章(1)

プロローグ

さんざ様。

あたえとお前様のあの離別から、ずいぶんな年月が流れました。

過ごした日々、の溫もり、そして共に傾き目指しました天下一。もう會うこと葉わぬと心得てはおりますが、しかし郭をくっきりと心に焼き付けた思い出たちは、そこにを張り未だ離れようとはいたしません。

だから瞼を閉じれば、心の暗闇には鮮やかにあの頃が駆け抜け、あたえは戻らぬ日々を偲び明け暮れ決まって泣いているのでございます。涙を流すは果てて久しゅうございますが、それでも泣かぬ日はございませぬ。せめてただ一度でいい、あの舞いをお前様と共にしとうございました。

今日もそうでございます。心にお前様のお顔を思い浮かべますと、それだけでに強い気持ちがぐんと衝き上げ、あたえはまた晝間からけなくおろおろと泣いておったのでございます。そしてことが起こったのは、その最中でございました。

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何故かふと、懐かしい気配を覚えたのです。

花が咲くようにらかく耽だけれど、どこか現のない雰囲気。それは心に詰まったあたえの晴れぬ気持ちを、まるで春を見た雪のように溶かしてしまう溫かいものでした。生き別れ捜していた、己の半に出會ったかのよう。

目を向けますと、ああ、なんということでございましょう。丈夫でこそございませんが、しかしさんざ様と瓜二つの空気を持つ者が、連れと語らいながらこちらに向かってきておるではありませんか。

あたえは我が目を疑いました。

けれど、この眼がお前様を見間違いましょうか。

言い切れます。あの者はお前様の縁の者でございましょう。恐らくは、近しいなにかも持っているはずでございます。

ただあいにくなことに、彼の男は目の前のあたえに気が付きませぬ。

こちらに向かって手を合わせると、足を返して行ってしまおうとするではありませぬか。いくら「待ちなされ」と、心の中でんでも、それは他の人間と同じくあの者に屆かぬようです。

ですが、今回ばかりは諦められません。もう後悔はしたくありませぬ。

ああ、ああ。そこへ行きたい。いますぐさんざ様の生き寫しの許へ、この場所に桎梏される我がを運びたい。百年河清を俟つのはもうたくさんじゃ。

助けてくだされ、さんざ様。いや、もはや我が主でも魔でも仏でも、他のなんでもかまわぬ。どうか、どうか頼むえ。あたえを――。

一章

バスは『吉兆館前』の停留所に到著すると、俺を含む數人の乗客を降ろし、鈍いエンジン音を響かせて行ってしまった。舞い上げる埃は初夏の朝日を反していて、ちょっとっぽい。

「ここで合ってる……、よな?」

俺は顔を上下させて、風景とガイドブックを見比べる。すると確認はその通りで、目の前にかかる橋には上品な白の欄干が、まっすぐらかに向こう岸まで延びていた。目を先にやると石製の巨大な鳥居が道路をまたぐ形で立っていて、その厳かな雰囲気に俺は妙な頼りがいをじてしまう。

この神門通りという道をそのまま進めば、やがて目的地である出雲大社が見えてくるだろう。晴れ渡り抜けるような青空も心地好く、今日できっとスランプは底打ちしてくれると思ったり。期待に口角を緩ませながら、俺は鞄の所定位置にガイドブックを仕舞う。すると、

「兄ちゃんも、お參りかい」

バスを一緒に降りた爺さんが、親しげに聲をかけてきた。

「はい。ちょっと近くまで來たんで、寄ろうと思って」

「へえ。しかし若い人の一人は珍しい」

「あー、みんなで來てたんスけど、ここに用があるのは俺一人だったんで。抜けてきました。まあ、最近ちょっと々あって。厄を落とせればなーってじです」

俺の言葉に爺さんはハハハと笑い、軽く目禮して先に歩いていった。冗談と取られたのだろうか。でもここんとこはマジで憑きものを疑うほど不運が連続しているので、厄落としってのはけっこう本気なんだけど。

俺は「はあ」と息をつき、記憶を辿る。

數ヶ月前のとある一件を皮切りに始まったこの不幸。

風呂の溫度を確認しに行ったらスマホを落として水沒させ、寢坊したときに限って信號は赤ばっかりで、予定があるときにはだいたい雨が降る。昨日だってサビ抜きで頼んだ壽司にたっぷりワサビがっていた。

だから全ての不幸の始まりであるあの一件を含め、それらを祓うという行為は、俺にとって修學旅行のグループ行を抜けて參拝するのに充分な理由である。友人たちの失笑はけっこう心に痛かったが。

まあ、いい。

今日できっと、そういう全てに區切りを付けられる。

區切りを付けたら、あの一件を引き起こしたこの質だってどうにかなるはず。厄落としに的ななにかを求めるほど信心深くはないけれど、こういうのはきっと気持ちの問題だから。

「さ、行くか」

誰に言うでもなく呟き、俺は靴紐が解けていないか、ボタンはきちんと留められているか、鞄のストラップは裏返っていないかを確認し、そして決意のこもった一歩目を踏み出した、そのときだった。

「トモちゃーーーーん!」

ってびと共に、を貫く衝撃。不意打ちも重なって、思わず腹の空気が魂と一緒に口から発されそうになる。視界は裏返り、目にった太が眩しかった。

「あ、あ、姉?」

俺は呼吸と勢を整え、自分の腰に抱き付くの名を半ば確信を持って呼ぶ。俺をその恥ずかしいあだ名で呼び、かつ挨拶の前にタックルかますような不躾なはこの世でただ一人だけだ。

「ちょっと、姉だろっ! なんでっ? なんでここにいんの?」

「なんでって、心配してきたんじゃん! 大丈夫だったっ?」

姉は俺の腰にしがみつきながら顔を上げた。華のある顔立ちの中に心配のが浮かんでいるが、その理由が不明である。

「だいじょばねえ。姉に出會う直前までは平気だったけどな。いまは腰が痛えよ」

「腰がっ? 誰かにいじめられたの?」

「違う、皮に気付け。って言うか、なんなんだよ。なんでここに……!」

「誰にいじめられたの? 名前言ったらあたしが殺してきてあげるから!」

「人の話を聞け!」

と、人の話を聞かない人間に言っても無意味である。俺は舌打ちをして、自分の腰から姉を無理矢理引き剝がす。そして服をパンパンと払い、睨むように彼を見た。

「……で、いいか、姉」

「うん! どうしたの?」

「無理だとは思うけどよく聞いてくれ。俺は誰にもいじめられてねえし、なにも困ってねえ。もし困ったことがあるとしたら、いまというこの狀況に対してだけだ」

一言一言に力を込めて口にするが、でも姉は俺の口調にこもった険なんて気にしない。それでも狀況だけは理解したのか愁眉を開き、白っぽいノースリーブのワンピースを、ひらひらと風に揺らした。

「――で、マジでなんなの? なんで姉がここにいんの?」

「だってトモちゃん、修學旅行の自由行抜けるって言ったじゃん。いじめられたのかと思っちゃうし。お姉ちゃんとして心配すんの、當然って言うか?」

「言うか? じゃねえ」

俺が息を吐き出して屈み込むが、姉は「よかったよかった」と、腰に手を當てガハハと笑う。

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