《サウスベリィの下で》1._2.

1.

ペンが折れた。

これでもう、何本目だろう?

僕は新しくペンを作ろうと、斗から鵞鳥の羽とそれを削るナイフを取り出す。

顔を上げたついでに、靜かに流していたピンクフロイドの『孤立マルーンド』を、ジョン・レノンに切り替える。『神ゴッド』。過去にその嘆きに惹かれて以來、ずっと聴き続けている曲だ。その詩がきわめて子供っぽく、凡俗だと思うようになってなお、最高に気にっている。

(「神とは僕たちの不幸を計る定規にすぎない」なんて恥ずかしくて、いまの僕にはとても書けない)

そのときだ。樹の向こうに彼が現れたのは。

「ああ。サウスベリィが実っている」

は言った。

それは例の戦爭が終わってから、ちょうど10年たった**年9月はじめの、とある夕方のことである。

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駅前からの長い下り坂の果て、煤けた建地上1階に住み、幾月もが過ぎた。

數年前、この國を、とりわけM県K地區を震撼させた例の連続殺人事件に巻きこまれて以降、僕はこんな蒙りを好むようになった。なぜかは判らない。知ろうとしたこともない。

僕の名前は、月群カノン。小説家だ。

在學中にある有名雑誌編集部主催の小説作品公募で新人賞を獲得し、それから空白をおかず第2、第3と、続けて作品を上梓させてもらった。新しい作家の名は俄かに浮上していった。

そんな周囲に反比例するように、しかし僕の意識はなぜか醒る一途を辿った。自分でも重大な仕事をしたとも思えない。

新人賞の評価をけた作は、現実の僕自が、“日常”に呑まれゆく様と死や狂気への逃亡を図る直前までの日記が組みこまれた、記録書式の嵌め絵だ。あくまで架空上のものとすれば語と読めなくもなく、僕以外の者が見たら々は面白いのかも知れない。しかし、じつはあれは書の習作のようなもので、巧く書けたときはその直後、現実の僕自が“崇高なる破滅”を迎え、その幻影を追う予定だった。

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それがたまたま、とくに親しくもない級友――出版業界に伝手があることを唯一の頼みに威張り歩く、まったくイヤなだった――に見つかり、目をつけられ、半ば脅されて、偉そうに批評されるままに加筆・修正を繰り返し、投稿させられたものだ。それを思い返すときの僕の恥は理解されるだろうか?

當然、彼は自分のご威と骨折りで賞が下ったものと信じて疑わず、卒業して別れるまで、僕に対していかなる敬意を払わなかったうえ、王に傅かせるような真似までさせた。

そういえばあのは、いま、どこでどんな生活を送っているのだろう?

次作は僕にとって初の書き下ろし長編だったが、前作に比べて時間も手間もかけていない。ノートの余白に不規則に殘された、大して深い意味も持たない(書いた時點では気の利いたフレーズだと思ったのだろう)走り書きなどを前作同様にコラージュした――悪戯書きを賭博場の札のようにバラ撒いた――だけで済ませた。

容は、僕自長し、“ごく普通の大人”になろうとするその「境界の日」、「誰にも知られない時間」に、獨り隠れて自分の“狂気”と最後の接を持ち、そして永訣する――そんな幻想小説仕立てとなっている。明確な主題があるかのように書き上げたのは、たしかに進歩だ。

そしてそれが刊行された時點で、小説家「月群カノン」の様式が広く確実に認識された。

が、しかし。これより後の作品には例外なく、共通した“”が隠されることになる。

打ち明けてしまうと、以降の作品には原本が存在する――つまりは剽竊、本的に“盜作”なのだ。

プロットを立てたのもシノプシスを組んだのも、たしかに僕本人だ。文章にしても前述のとおりなので、いわゆる“盜作”とは幾ぶんが違う。

それならいったい、何をどのように盜作したのか?

僕が剽竊したもの――それは、その世界観、その

概要や設計図も組まれていない、作品化の意図以前の“”なんてものを他人から拝借したところで、その剽竊を咎める者もまずいないだろう。ましてや、作中に違和が漂うどころか、より筆者の作風を際立たせてさえいては。

たしかに作品1篇1篇を“書いた”のは僕以外の何者でもないが、しかし実際にそれを“創った”のは、擔當編集者や広報関係の人々だ。彼らは誰も、理想家だ。そして、いまなお心を熱く焦がしている。

彼らの、時代にみただろう夢の為に僕のノートの仄かなびはそのつど活字へと化けた。いかにも若く、“狂気”との端境にあるかと思わせる神経質な字となり、傍點、傍線、太字などで裝飾され、厚ぼったい深紅のハードカバーに閉じこめられた。

しかしいくら執筆と出版を重ねてみても、剽竊の翳りは消せないまま、ハッキリ顕れる一方だ。それは、苦しいだけだった。

ここに至って僕は、自分の剽竊行為を告白し、罰せられる機會は、既に永遠に失われていると知った。

僕が盜み見ていたものは何か? 僕はいったい、何者から盜作を続けたのか?

告白はできる。しかし処罰の失効した現在、そんな自白は煙草の灰と同じくらいに空虛だ。

とにかく“狂気”だった。“面”だった。

そんな、一個の大人になれそうもない若く脆弱な魂が自らの面と向かい合えばそれだけで高尚な作品と見なされる時代があった。そうとしか言い訳できない。その後、僕は幾つか書き捨てて休養にった。

正直、ウンザリだった。もともと人間の“面”なんかに造詣を持っていたわけじゃない。書き続けるだけの熱もまるで失せていた。僕が好きで書きたかったものが完全に違う分野――探偵小説だったこともたしかにあったが。しかし何をんだとして、言い訳以外のものが仕上がるわけもなく。みっともないのも好きじゃないから、こんな小理屈も、ただ中で繰り返されて終わる。

僕を含めた多くの作家が調子に乗り人間の面探訪の方法を伝授したのだ。そのを心得た若い作家志願者が、いちばんに自らの“面”に足を踏みれないはずがない。

そしてそこに何を見るか? ごく平凡な中流階級社會に巣食ってきた優等生たちの、キチンと舗裝された(ごていどには歪んだ)面白みのない歴史だ。そもそも人間の奧深くに、記述してまで他に伝える価値があるものなんて潛んでいない。無意味で無価値だから、心が暗闇へと片づけたのだ。そんなものが“文化”を創れるわけがない。

流行は早々に去り、そして“次の波”が押し寄せた。不用な職業作家やそこまでにも至らぬ存在――始まる前に終わったトラウマ作家を後に殘し。振り返りもしないまま。

しかしそんな流れも、予測が可能だったことだ。1980年代の歐米ではこうしてネオハードボイルド文學が滅んだのだから。ただ知らない顔で探偵小説を書き散らすには不勉強に過ぎる。

だから僕は休筆を告げ、同時に、これから老いてゆくだけの両親を屋敷に殘し、都市へと紛れた。

その間に僕は、暗く煤けた住居を求め彷徨っては(このとき自分の蒙りへの渇きを自覚した)、いつも短く終わる自分だけの生活を幾つも過ごした。「月群カノン」でないときの僕は、様々な人間として生きた。大抵は“蕓家”と自稱したが、疑った者はひとりもいなかった。可笑しな話だ。

本當は休筆なんかしていない。

いまでも執筆は続けている。ただ、「月群」は名乗らない。

例えば文蕓雑誌に短編小説の空きができれば、およそ特徴のない掌編を掲載させ、締切の破れたコラムがあれば、主筆記者の文を真似て代筆し――そんな調子で、そのつど作る銀行口座に報酬を振り込ませている。生來の矜持の欠損か、そんなデタラメな活でも生きるのはつらくない。

執筆、それ自は大好きだ。だから書き続けられる。僕の文章は幸い、いまだ金銭に変わってくれる。問題などない――が。

いつか僕のペンの綴りが無価値となる日など、本當にやって來るのだろうか?

これから先、僕は一生このままのような気がしてならない。或いは、それがいまの僕のみと言える。

僕のみ。興味や魅力を覚えるもの。信頼し安心できるもの。

それは、過去。歴史。

死人。

彼らのしていったもの。

ジョンの、『神』への恨言。(もちろん當時と同じ覚で聴くのはもう不可能だが)

そしての繋がった人間。

いったい何が、僕をこんなカタチにした?

原因は判っている。あの日の夕方の殺人事件だ。

あれが、けっきょくはどんな事件だったのか?

當時、あれだけ新聞に報道に釘付けだった人々も、もう仔細を忘れつつある。いや、そもそも仔細を知り得た者など初めからいないのだ。真実にれた者は誰もが、無慘なとして発見されたのだから。いま、こう書いている僕にしても、當時、犯行現場に立ち會っていながら、真相の近くに在ったとは、これまでいちども思ったためしがない。

僕はいま、非常に私的な小説を書いている。

白紙にペンを走らせるのが好きな自分だけのための、昔のままの姿勢の筆記だ。しかし偶然にも、或る不可思議な事件の記録となってしまっている。同時にまた、別の慘な殺人事件の顛末への補足とも読み取れ、さらに次ぐ不吉な事件の前兆が浮かんで見える――。

やがて僕はどのあたりからか1篇の探偵小説を書き綴っているだろう。

それもまた、彼から逃れられない証明だ。

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