《チート能力を持った高校生の生き殘りをかけた長く短い七日間》幕間 鵜木和葉

/*** 鵜木和葉 Side ***/

この部屋とも、今日でお別れ。

明日から、また、あの街に、戻ることになる。自分の意思で、戻る事にした。私の事は、誰も知らないはずだけど、それでも、何が、起こるか解らない。

両親は、2年前に、車の事故を起こして、他人を巻き込んで死んだ。

両親に、ある程度の資産があったことや、巻き込んだ相手が新聞記者だった事もあり、かなりマスコミで、騒がれた。私の事も、一部週刊誌が寫真りで、取り上げていた。親の産は、全部、私に相続されたが、叔父が、管理するといい出した。

正直、どうでもいい話だ。叔父は、善人ではないが、悪人にもなりきれなかった人だ。どうせ、産は、叔父の赤字の會社に注ぎ込まれるだろう。産を、管理すると言いながら、大學卒業までは、面倒を見ると、いい出した。おかしな話だ。

叔父の中では、私から管理を任されたという考えではなく、自分が産を貰ったと思っているのだろう。

叔父の家も、好きになれなかった私は、叔父が家に來なさいという言葉を無視して、権利の中で、しの現金と”あの街”の家だけをもらう渉をした。ほかは、全部叔父に譲渡した。法律的な事は、事故の処理を行った叔父の會社から來た弁護士が全部やってくれた。

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そして、しの現金を持って、母方の祖父母が、住む街に引っ越した。その街で、中學卒業まで過ごしていた。

無事、祖父母の家から近い高校にかって、1ヶ月が過ぎた頃。

祖父が、農作業中に倒れて、そのまま帰らぬ人になってしまった。それから、祖母と二人暮らしになってしまった。祖母も、祖父の49日が終わって、し落ち著いた時に、同じように、農作業中に、倒れてそのまま帰ってこなかった。一人殘された私は、誰も頼る事がなくなってしまって、帰りたくはなかったが、両親と、過ごした街に、帰る事にした。幸いな事に、家から近い高校に編する事が出來た。祖父母に引き取られた時に、養子申請して名字を、変えた事で、私が、”人殺しの娘”だと、思う人は居なかった。

最初は、家に住もうかと思ったが、思い出が強烈過ぎて、家にれなかった。両親との思い出が、頭をよぎって平常心で、居られる自信がなかった。

それに、家に戻ると、知った叔父が、文句を言ってきた。面倒に、なってしまって、叔父に、生家を売ることにした。二束三文にしかならなかったが、祖父母が、殘してくれた貯金と併せて、慎ましく生活すれば、大學卒業位までは、生活出來るだろう。

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新しい住処になるマンションの手続きをしている時に、祖父母の葬儀を取り仕切ってくれた住職から連絡が來た。祖父母が、生前相談していた弁護士が、來て話をしたいと言われた。

もちろん、問題ないと伝えて、街まで來てもらう事になった。

待ち合わせ場所で待っていると、が私に聲かけてきた。

「鵜木さんですか?」

「そうです」

弁護士は名刺を出してきた。上野和と、名乗った。気楽に、和と呼んでしいと言われた。

そして、立ち話も疲れてしまうから、喫茶店にでも行きましょうと言われて、駅前の喫茶店『いつものところ』に、った。

和さんも、この街の出で、學生の頃に、よくここを使っていたと、笑って話してくれた。すごく安心出來る笑顔だ。

注文したが來て、一息つけた時に

「いきなり本題で、申し訳ないのだけど、鵜木和葉さんで、間違いないですよね?」

「はい」

「何か証明出來るはありますか?」

そう言われて、し考えた。こういうときには、免許とかになるだろうけど、免許はないし、パスポートも持っていない。保険証では、寫真がない。

「あっ學生証でいいですか?」

「えぇ問題ないですよ。本人確認が出來れば良いですからね」

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昨日貰った學生証を見せた。

和さんはにっこり笑って

「ありがとう。和葉さんで間違いないようです。鵜木ご夫婦と養子縁組したのは覚えていますか?」

「はい」

「あぁ大丈夫ですよ。事は知っていますからそこの説明は必要ないですよ」

「あっはい」

「鵜木ご夫婦の言書を預かっています。」

「え?言書?」

「はい。既に一通は処理してあります。それ以外に、言がありまして、和葉さんにに確認してもらうために來ました」

「・・・・」

「なんの事かわかりませんよね?」

「はい」

うなずく。

そして、和さんが、手に持っているを、見つめてしまった。確かに、祖父の字で、私の名前がかかれている。

「私は、この言書以外にも、ご夫婦に、ある事を、依頼されて居ました。それに、ついての報告を、和葉さんに、しなければなりません。でも、それは、ご夫婦の意思ではありますが、和葉さんには、それを拒否する権利もあります。どうしますか?」

変わった依頼を、けているんだと思って、最初に気になった事を聞いた

和さんは、祖父母とは、どういう関係なんですか?なんか、すごく親になってくれているように、思えるのですけど・・・」

「そうですね。昔、お世話になっただけでは、納得できませんか?」

「・・・・・(コクン)」

「そうですよね。あっ鵜木さんが、昔、先生をやっていたのは知っていますよね?」

「っはい」

「その時の、教え子だと思って下さい。そして、ご夫妻のおかげで、私は馴染を、大切な人を、失わずに済んだ」

「そうなんですか・・・」

「私の話は、今度、ゆっくり話すとして、和葉さんの、気持ちはどうなんですか?」

「教えてください。何も失うはありませんから話して下さい」

「わかりました。それでは、場所を移しましょう。容が、容ですので、ここではまずいです」

カラオケに移

部屋にって、適當にBGMになるような音楽を流し始める。80年代のJPOPだ。

和さんは、祖父母が、依頼していた事を話し始めた。

娘夫婦が、起こした事故の詳細を、調べると言う途方もない事だ。

そして、被害者家族の事や、現在どうしているのかを、調べると言うことだ。

なんで、そんな事をさせたのかわからなかった。被害者家族に関しては、すぐに調べる事が出來て、祖父母に伝えたとのことだ。

私も、知らなかったが、被害者は、夫婦と子供2人の家族で、子供の一人は、事故當時既に、亡くなっていた。夫婦二人を、亡くして、子供一人が殘された。

私と同じように、祖父母に預けられて生活していら。私よりも、一年早く祖父母がなくなってしまって、一人になってしまって生まれ故郷の街に帰ってきていると言うことだ。

そして、被害者家族の事を知った祖父母は、見舞金として毎月10萬を、相手の祖父母に送っていたとのことだ。和さんが、窓口になって、相手に屆けていたとのことだ。

口座にれていくだけの作業で、一切手をつけられていない預金通帳が、出來上がっただけだったらしい。

被疑者の祖父母がなくなって、それを知った族が、和さんを呼び出して、通帳を渡して、祖父母に返してしいと、言われたそうだ。

「謝罪は、け取った。自分一人になってしまったが、もう大丈夫だから、このお金は殘された、加害者家族に、使ってしい」

と、言われて、祖父母にそのまま伝えた。

祖父母は、その預金を、使って事故の真相を調べてしいと、言われた。

”酒が飲めない”娘婿が、飲酒運転するはずがないと、言うのが拠だった。でも、父の會社の人の話や、立ち寄った店の話で、酒を飲んでいるのは間違いないと言うことで、飲酒運転の上での事故と処理されていた。

和さんが來た理由は、中間報告をする事と、このまま調査を続行するのか?

それを、聞きに來たとの事だった。

金銭的な、問題もあるから、きっちりと説明してから、私に判斷してしいとの事だ。

2~3日は考える時間がしいと伝えると、和さんは、にっこり笑って、”もちろん”と答えてくれた。

中間報告と、祖父母からの手紙と言を、私に手渡してくれた。

言には、勝手に、被疑者家族の支援をした事への詫びと、寂しい思いをさせた事への懺悔が、書かれていた。

そして、好きに生きてしいと、言う言葉が書かれていた。そして、好きな人と結婚して幸せになってしいと綴っていた。

”加害者への懺悔は自分たちでする。和葉は自分の事を考えて幸せになって”と、まとめられていた。

産の目録を見た。

祖父母はかなりの資産家だったようだ。山を、3つ保有して、それぞれの産の権利を持っていた。

信託していた資産もある。ただの農家だと思っていたが、自分たちで、使わない土地を、貸している所もある。某スーパの土地も祖父母の持ちだと言う事が書かれてた。大きすぎてよくわからない。これは、今度和さんと會うときに相談すればいい。

中間報告も読む事にした。

い丸文字で、書かれた文章が続く、和さんの文字なんだろうか?

雰囲気は、出來るだけど、こんな可らしい文字を書くんだ、と思って読み進める。

事故が、発生した時に、車からアルコール臭がしたと、報告が上がっていたが、當初は父親/母親からはアルコールが検出されなかったとされていた。しかし、警察が、調べていると、直前に合っていた人が、さそった店で、お酒を飲んでいたと、証言した事から、よっぱらい運転の可能ありとなって、事故を、通報した運送會社の社員の証言が、”蛇行運転していた”と、言う話もあり、そのうえ、ブレーキ痕が、ないことは酔っ払って寢てしまったのではないかと言われている。

當初警察では、事件の可能もあると、調べていたが、証言が出てきたことから、酔っ払い運転の上、ハンドル作を誤っての事故と、結論づけた。

不可解な點も多いとされていた。これらの事は、今後調べる事になると書かれていた。

最後のページに、被害者家族の名前が、かかれていた。

神崎進(死去)

神崎鈴(死去)

神崎凜

神崎悠(死去)

被害者の名前は、勿論知っていた。子供が、居る事も知っていた。でも、名前に見るのは初めてだ。

両親が起こした事故の、被害者を知るのが、怖かった。ニュースや雑誌も見ないようにしていた。祖父母に、引き取られてからは、余計にニュースや雑誌には、れないで居た。

名前を見た『神崎凜』。

そして、當時の、私に向けられたわけではない笑顔の寫真と、現在の何もかも諦めた目をしている寫真。

それを見た時に、涙が溢れてきた。

小學4年の時に、クラスに馴染めないで、められていた私を、助けてくれた男子の名前が『凜』だった。同じ苗字が、多い地域だから、忘れていた。

『神崎凜』だ!!

私は、その男子のおかげで、徐々に子の友達が出來て、小學5年に、上がる頃には、嫌がらせもいじめもなくなっていた。

かに、憧れていた。心と言ってもいい。凜君には、馴染のの子が、隣に居て、羨ましいとさえ思っていた。

その凜君の両親を、私の両親が、奪ってしまった。取り返しのつかない事をしてしまった。

中間報告には、現在の凜君の事が、載っていた。

そう、私が、週明けに編する高校名が、書かれていた。

私は、い頃に、好きだった人と再開する。被害者家族と、加害者家族と言う立場で・・・。

私は、真相を知りたい。両親が、本當に、お酒を飲んで、事故を起こしたのなら、凜君の前で死んで、詫びよう。

そうじゃなかったら、凜君に、知られる前に、私の責任においてなんとかしよう。

この書類は、スキャンしてメモリに保存しておこう。盜まれないように.・・・。

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