《ワルフラーン ~廃れし神話》カテドラル・ナイツ
この世界には、五つの大陸がある。リスド、アジェンタ、キーテン、フルシュガイド、レギ。これらの大陸には、々な特徴があって、気候があって、人種がいた。
數年前までは。
人間との戦爭に負けてからは、魔人―――人間以外の種族をそう言うのだが、彼等は大陸を追い出された。リスド以外の大陸は、人間の支配下へ置かれてしまったので、魔人達はリスド大陸に避難するほかなかった。
そのリスド大陸にある大都市、リスド大帝國と川を隔てて存在する村、リタルア村。
リタルア村は、農産に定評のある村だ。勿論、その理由としては、かな土だったり、富な水資源だったり、その理由は、いくつかあるが、やはり特筆すべきは、大都市であるリスド大帝國との繋がりが、濃厚である事だろう。それ故に、資も潤っていて、人口も多い。二百五十人といった所だろうか。
この平穏な村に住む、キリーヤは、鳥の囀り、窓から差し込む朝日と共に起き、朝食を食べ、母を手伝う。そんな日常を、起伏が無い平凡な日常を送っている。そしてそんな日常を過ごせることが、どれだけ幸せなのかという事を、このは知っている。
過去の痛み。それはすぐ消えるような生易しいモノではない。だが、すぐ消えるようなものではないからこそ、魔人達はこうして、平凡で退屈な毎日に文句を言うことも無く暮らしている。
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忘れられる筈も無い歴史は、後世にも影響をもたらす、という事だ。現に、大半の魔人には人間と爭える程の強さはないし、その気は一転して穏やかなものになっている。
問題など無い。闘いなどむはずもない。このまま平穏な日常が続いていくのであれば、それで―――
勿論、この數分後にそれが躙られる事など、彼は考えてすらいないだろう。
「はあッ、はあッ、はあッ」
キリーヤは森の中を必死に走っていた。後ろからは、ぶつかり合う剣戟の音と、悲鳴。
人間達が攻め込んできたのだ。勇敢にも大人達が武を持って応戦しているが、こちらは長い歴史の末に戦いを忘れた種族。どれ程持つかは、分からない。幸運にもキリーヤは森の中に逃げ込めたために暫くは大丈夫だろうが……自分だけが助かるつもりはない。
キリーヤは脳に森の地図を思い浮かべながら、その方向へと走り続ける。向かうは我らが魔王の住む大聖堂。この森を抜けたさらにその後に、広大な砂漠を抜けなければ辿り著けないが、辿り著かなくてはならない。このまま自分だけが逃げても、そこには自分だけが助かるという、當たり前の結果しか殘らない。
ならばたとえ、果てしなく遠い道のりだったとしても、皆が助かる道があるのなら、それを選ばないわけには行かない。
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「痛ッ!」
地面から剝きだした木のに足を引っ掛けてしまい、転ぶ。歩けない程ではないが、膝からは出。のには痛々しい傷跡が出來ていた。
 普段のキリーヤなら、間違いなく泣きながら家へと戻っただろうが、殘念ながら今それをすると、キリーヤは間違いなく捕まるか殺されてしまうだろう。泣きそうになりながらも立ち上がり、ゆっくりと歩いていく。
歯を食いしばり、震える足を抑えつけながら、ゆっくりと、一歩。
膝を焼かれたような痛みが走る。本能がくなという指示を出すが―――傷痕から目を逸らしながら、また一歩。
「こっちに逃げた可能がある。探すぞ!」
人間の聲が聞こえた。五・六人程の集団が、音を隠すことも無く、凄まじい勢いで距離をめてくる。
を隠せばやり過ごせるとは思わない。それはむしろ悪手だろう。しかし逃げようにもこの足では……走れない。殺意を忘れ、痛みに恐怖を覚える自分には、から発せられる危険信號を無視する事なんてできない。
キリーヤは木の幹に背を預け、その場に座り込んだ。
どうすればいいのだろう?
自分にできる事は、休みたいというの求にひたすら抗う事だけだ。だがあまりにも遅い。後五分も経てば追いつかれるのは目に見えている。
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どうすればいい。どうすればいい?
結論を出そうにも、幾つもの思考が重なり、思うように纏められない。そして纏められたところで、それが最善とは限らない。
「……ヤ」
―――聲が聞こえる。に満ちた、穏やかな聲。幾度となく聞いたことがあるような、そんな。
「キリーヤ、何処にいるのッ?」
「……え」
自然とに力がる。キリーヤは幹に背をこすりつけながらもどうにか立ち上がり、聲の方向に視線を合わせた。
「お母……さん?」
信じられない。聲が聞こえたその時からまさかと思っていたが、自分の母もこちらに逃げてきていたのだ。その顔には不安を浮かべながら、辺りを見回している。
「お母さん!」
キリーヤは一直線に駆け出した。足は怪我など忘れたかのように軽く、早い。母の元へは十秒も掛からなかった。
「……キリーヤッ!」
母もまた自分との再會に喜びの表を浮かべている。余程キリーヤを心配していたのだろうか、その眼は涙で滲んでいる。
キリーヤは母のに飛びつき、力の限り、抱き締めた。もう喜びで、頭がどうかなってしまいそうだった。
母親が生きている。今キリーヤが居る狀況において、これ以上嬉しい事が果たしてあろうか。……いや、親が生きている事ほどうれしい事はあるまい。
先程の足音も何故か消えているし、後は魔王様に助けを乞う―――
―――――――――? 何だろう、この違和は。
「お母、さん?」
「ん……なあに、キリーヤ」
顔を見上げて母を見遣る。変化はない。別に、どこもおかしくはない。ならば一―――この違和は何なのだ。
表から、顔の造形、口調、長、髪の長さ、黒子の位置まで寸分の狂いも無い。間違いなく彼はキリーヤの母の筈だ。興を抑えて思案する。何処だ、何処だ。
『何かが違う』という囁きが、言い換えれば警告が、キリーヤのから離れない。
「……ねえお母さん。お母さんは、お母さんだよね?」
その顔に、微笑みが生まれた。「ええ、そうよ」
「―――なら、どうして。どうしてエプロンが、違うの?」
キリーヤの家は、エプロンを一枚しか所有していない。キリーヤの母は存外めんどくさがり屋で、『エプロン何て一著あれば事足りる』とまで言うなのだ。言葉通り、彼は決してエプロンを新調しようとはしなかったし、キリーヤもこの紺のエプロン以外を見たことが無い。
そもそも著眼點が違っていた。違和の正は母のではなく、服裝を見てのモノだったのだ。
母の瞳は……壊れた機械のように、揺れている。
「ぁ…ぁぁぁ…」
危険信號が全に発せられる。後退しようとするが―――先程の怪我の影響か、キリーヤはバランスを崩し、餅をついてしまった。
「どうかしたの、キリー、や?」
言葉がだんだん機械的になっていく。聞きなれた聲は錆がついたかのように荒くなり、そのからは溫が失われていく。
「キリー? ヤ? どうし、タの?」
これは母ではない。母とみなしてはいけない。これは……そう。母の形をとっただけの、別の何かだ。
母の手から魔力が放出。その手に鉄の斧が生まれると同時に、ゆっくりと、こちらに歩いてきた。握られた斧は徐々に頭上に持ち上がっていく。
もう自分は逃げられない。足に力はらないし、この狀態から攻撃を防ぐも持たない。はっきり言って、詰んでいる。
キリーヤはその辺のと何ら変わりない一般人。不用意にも母に近づいたその時から、自分の運命は決まっていた。
これより先の數秒。キリーヤには不可避の結末が待っているだろう。勿論その結末をけれる心は持ち合わせていない。
それでも―――次の人生の幸せを願う時間くらいは。
キリーヤは、目を閉じた。その後には、きっと斧が振るわれたのだろうが、キリーヤには、何も聞こえなかった。
アスリエル・クレイツは、どこにでもいる騎士とは違っていた。自分でもそう思っていたし、他人からも、そう思われていた。
忌魔の一つである―――人を生き返らせ、使役するを、騎士団の中で唯一使役できるのだ。
忌魔の習得など騎士団に許されるはずもない。本來ならば、彼は即刻背徳者と認定され、処刑されるのが道理。
それでも、彼が生きていられるのは、偏にその強さのおかげである。
で従魔アンデッドを増やし、數の暴力で制圧するその闘いから、アスリエルは『蒔き』や『軍団長』などと呼ばれている。今では、第三兵士長の地位も賜り、アスリエルはそれなりに充実した毎日を約束されていた。
そんなアスリエルに屆いたのは、とても簡単な任務だった。容は、魔人の子供を拐ってくること。
果たして、これ以上簡単なものがあるだろうか。
彼は直ぐに、部下と共にリスド大陸に向かった。大臣からけ取った資料など、とっくに焼き捨てた。あまりに簡単すぎて、必要ないとじたからだ。
著いてからはいつも通りだ。を発揮し、従魔と共に村を襲い、子供を拐う。一人逃げた子を見つけたので、追うべきと思ったが、そこでアスリエルは考え直し、足を止める。
あのの子、とても可らしかった。自分の僕に、めものに丁度いい。本來なら、捕まえなければいけないのだろうが、もう百二十人も捕まえた。『私達には魔王様がいる』などと、ほざいている子供は、この村の教會に収攬しゅうらんした。一人二人くらい欠けたところで何の問題もないだろう。
そして思い付いたのは、殘酷な案。捕らえていた母親だろうを殺し、娘を殺させるのだ。出來るだけ綺麗に。そうすることで、彼を従魔にし、生涯においてみものにするのだ。
それを想像しただけで、笑いが込み上げてくる。
善は急げ。母を刺し殺し、従魔化。娘の名前を聞き出した後、予定通り殺害を命じる。その命令を、遂行すべくきだした、の後を、アスリエルはついていった。
の付いたエプロンは取り替えておいた。あのが異変に気付くことは無いだろう……
資料
偵察へ行った、一個中隊が消息不明。再び部隊を組んだものの、その部隊も例外なく消息不明に。最終連絡は、決まってリタルア村近く。これらの事から、この村の近くには、大帝國を脅かすレベルの、化けが潛んでいると考えられる。これ以上部隊を減らす訳にはいかないので、『軍団長』であるアスリエル殿に一任する事とする。これは、———直々の指名であるので、失敗することのないよう慎重に事を運ぶべし。
大臣ウスドラ
その時は、唐突に訪れた。いや、彼にしてみれば、訪れなかったのかもしれない。
斧が、振り下ろされない? それとも、もう振り下ろされた?
葉のれる音が聞こえる。膝にれると、ズキリとした痛みをじる。
ああ、生きている。生きているのだ。キリーヤは目を開き、母を見つめる。
「斧……」
斧はどこかへ消えていた。殘ったのは、降り下ろしたであろう態勢をとっている母のみ。
一何が起きたと―――
「なっ何者だ、貴様!」
母であった者の近くに、全に鎧を纏った男が現れた。男の五指からは、紫の魔力が見えている。
分かり切っていた。母がもう死んでいる事なんて、さっき気づいたではないか。だけど……どうして。が締め付けられるのだろうか。
男はキリーヤなど見てはいない。恐らくは、キリーヤの背後にいる人を、見據えている。
「アルドさ……まもレと、イアれた」
鑢で鉄を削るかのような聲が聞こえる。耳心地のいい聲ではない。しかしもう危険をじる必要は、ない。
ああ―――ディナント様。
「なっ何者だ、貴様!」
「アルドさ……まもレと、イアれた」
アスリエルの問いに、魔人はそう返した。アルド? マモル? 何を言っているんだ。
その魔人の特徴は一言で纏めると、大男。
この辺り、いや、おそらく五大陸を回っても、このような異様な鎧は見られないだろう。世界の果てには、ジバルという國があるらしいが、その國にある鎧に似ている。
赤を知らない民族に、どう赤を説明すればいいのだろうか。赤は赤としか言えない。これはそれに似ているような気がする。
額や側頭の部分に裝飾が鏤められていて、特に額の左右に並んだ、一対の角狀の金屬の立。こんな兜は五大陸には存在しない。今までだってあった事が無い。
一あれは何なのだ。
腕部分に著けている籠手は、指部分が出していて、その籠手の下に著けている布のようなものは、上腕から手の甲までびている。鎧もそうだが、とにかく奇妙な格好だ。
魔人の顔が僅かに、いた。
「おマえ、ニンゲン……か?」
賢い者は、逃げるだろう。実力が違うのだから。
しかし、アスリエルにはプライドがある。この任務は王が直々に自分を指名してくれたのだ。失敗する訳には行かない。
魔人など、いくら飾っていても、所詮はゴミ。恐るるに足らない。
そんな事を思っていたからか、アスリエルは腰に手を當て、高らかに告げる。
「ほほう、私を知らないのか。魔人。では、説明してやろう。私こそはッ、大帝國第三兵士長! アスリエル・クレイツ! お前ら魔人に、生という、慈悲を授けた、高等種族、人間だ! そして今ッ、私は対価を貰うべく、この村に來た。貴様も武裝を解き、教會へ集まれ! この私と、戦いたくは、ないだろう?」
鷹揚に手を広げ、自らの強さを滔々と述べるアスリエル。そんなアスリエルの言葉を聞き、魔人はい聲で心した。
「ほオ……キサ、は武人という、事か」
「そういう事だ。私は強いからな、心も広い。貴様に選ばせてやろう。このに殺されるか、それとも大人しく教會に行くか……」
6/15発売【書籍化】番外編2本完結「わたしと隣の和菓子さま」(舊「和菓子さま 剣士さま」)
「わたしと隣の和菓子さま」は、アルファポリスさま主催、第三回青春小説大賞の読者賞受賞作品「和菓子さま 剣士さま」を改題した作品です。 2022年6月15日(偶然にも6/16の「和菓子の日」の前日)に、KADOKAWA富士見L文庫さまより刊行されました。書籍版は、戀愛風味を足して大幅に加筆修正を行いました。 書籍発行記念で番外編を2本掲載します。 1本目「青い柿、青い心」(3話完結) 2本目「嵐を呼ぶ水無月」(全7話完結) ♢♢♢ 高三でようやく青春することができた慶子さんと和菓子屋の若旦那(?)との未知との遭遇な物語。 物語は三月から始まり、ひと月ごとの読み切りで進んで行きます。 和菓子に魅せられた女の子の目を通して、季節の和菓子(上生菓子)も出てきます。 また、剣道部での様子や、そこでの仲間とのあれこれも展開していきます。 番外編の主人公は、慶子とその周りの人たちです。 ※2021年4月 「前に進む、鈴木學君の三月」(鈴木學) ※2021年5月 「ハザクラ、ハザクラ、桜餅」(柏木伸二郎 慶子父) ※2021年5月 「餡子嫌いの若鮎」(田中那美 學の実母) ※2021年6月 「青い柿 青い心」(呉田充 學と因縁のある剣道部の先輩) ※2021年6月「嵐を呼ぶ水無月」(慶子の大學生編& 學のミニミニ京都レポート)
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