《ワルフラーン ~廃れし神話》傭兵の違和
その言葉を一瞬疑った。五十二。それは、五十一の次の數字だ。どんなに間違っても、四十六の次の數字ではないのだ。
だが男は言った。『五十二人』と。それがどういう意味なのか、リルダには分からなかった。分かるはずもなかった。
「な……な……」
弓兵の姿は見えなくなっていた。一番近くにいたであろう弓兵の場所へ向かうと―――額を割られた死があった。あの男は短剣などもっていない。では一誰の武なのか――――そう、既にと化した仲間の用していた短剣だ。男の足元に重なる死を見ると、やはり幾らかの武が消失している。その數、実に六つ。
まさか、回避と同時にあれを投げたというのか。
男のに矢は一本たりとも刺さっていない。あれは完璧に不意をついたはずだ。たとえ一人前の冒険者だろうと、この狀況では、鋭部隊である彼等の矢からは逃れる事は出來ない。
ましてや一本も當たらないなどある訳がないのだ。だというのに、それを男はやってのけた。
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この男は何者だろうか。リスドの辺境にこれ程の者がいるなど聞いたことが無い。今まで無害な市民等を狙って、品を盜み取るというせこい方法で暮らしてきたリルダだが、今回ばかりは運が盡きたようだ。まさかこんな化けと當たるなんて。
男の服には一滴のも掛かってはいない。一対五十二。無謀とも思える戦闘の中ですらも回避の対象としていたと言うのか。
「あり……えん……」
神の業。そう言わざるを得ないだろう。
恐怖で手が震え、足が震え、顔が引き攣る。何とか恐怖を抑えようと武を握るが、その程度で恐怖は収まらない。
「惜しかったな」
「……畜生!」
リルダは懐から短剣を取り出し、男へと構えるが、その手は震えているし、何より両手で短剣の柄を握るという、素人丸出しの構えだ。それは抵抗というよりも、『こちらに來るな』という拒絶のようで、先程までの態度と比べてみれば酷く無様で―――酷くお似合いだ。
リルダの空しい抵抗をあざ笑うかのように、男は刃にこびり付いたをこちら側に払い、そして近寄ってくる。払われたがリルダの頬に掛かるが、彼に気にしている暇はない。
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こちらに、死が近寄ってくる。
「來るな……」
「ん?」
「來るなっつってんだろ!」
これ見よがしにナイフを前に出すが、男がその行に怯えた様子はない。
「……今何と言った?」
「來るな……頼むから來るなよぉ……そう言ってんだよ!」
脅しているのか頼んでいるのか。まるで分からないが、今は何よりも生きる事が重要だ。たとえどれ程矛盾した発言をしようと、今生き殘る事が出來るのなら、何度でも言おう。
そんな思いが通じたのか、男が剣を納めた。
「もっと大きな聲で言ってくれないか?」
「え?」
リルダが怪訝な顔を浮かべると、男がこちらを睨みつけてきた。選択の余地はない。早く言え、という事だろうか。
「こっちに來るんじゃ―――!」
後に続く言葉は無かった。
何が起きたのか、事態が理解できない。突如男が短剣を逆手に持ち、近づいてきたと思えば、リルダのへ―――背後にある木をも貫く勢いで、短剣を突き立てていた。
「ガ”……」
赤いが、リルダの口から盛大にぶちまけられた。それと同時にやってきた痛みが、命を侵食していく。それは『痛い』というより『熱い』に近い痛みだが、生憎リルダにそれを伝える手段はない。抵抗する事が出來ない無力な民のように、黙って耐えるしかないのだ。
その狂気とも暴とも言える痛みがリルダの神で膨張し、意識を保てるだけの容量を削っていく。本能的に武を引き抜こうと手をかすが、指の覚が無い。それどころか、全が寒い。
自分のに、一何が起きているのだろう。
まるで側から熱が逃げていくような、或いはの中だけを抜かれたかのような覚。そんなどうしようもない空しさが、リルダを包んだ。
もうどうでもいい。が焼ける。思考による負荷で脳が破裂する。が寒い。何が起きてる。やめてくれ、死なせてくれ。楽にしてくれ苦しませないでくれ解放してくれ。
オネガイダカラ……
「『口は災いの元』だ……忘れておけ」
次第に薄れる意識の中、リルダは確かに見た。
男が柄に右手を押し當て―――
「死人が覚えておく必要は無い」
ウルグナは柄に右手を押し當て、男のを強引に刺し貫いた。背後の木に刺さった音が聞こえた所で、力を掛けるのをやめる。
男に反応はない。既に息絶えたのだろうが、用心に越した事はない。ウルグナは仕上げと言わんばかりに短剣を捻り、首を滅茶苦茶に抉っていく。
「……こんなものか」
抉られたその場所には、暗く空しい空間が広がっていた。男の生存は、殘念ながら諦めた方がいいだろう。
ウルグナは短剣を投げ捨て、興味を失ったように男に背を向ける。ウルグナの向かう先は、キリーヤ。
「大丈夫か?」
ウルグナは膝を曲げ、キリーヤと同じ目線になって尋ねる。
「はい。ウルグナ様の蔭で、怪我一つする事はありませんでした」
キリーヤはそう言って笑顔を見せる。その禮にかに照れつつ、ウルグナは襤褸切れマントの端を引っ張る。「大帝國に著くまでは何があっても外すな、分かったか?」
「はい!」
キリーヤの元気の良い返事に、自分の指示に従順である事は有難いな、とウルグナは心の中で笑っていた。
チロチンのマントが無ければこの笑顔は見られなかっただろう。何せこのマントは、今回キリーヤを同行するという事で急遽作らせた(作ってくれた)『不快を覚えるあらゆる事象の不可視化、除去』の効果を持っているマントなのだ。
実は野盜を躙する直前、ウルグナはキリーヤに言っていた。『私がそちらに行くまでは、一歩もくな』と。
彼に死を見せるのは早すぎると、そう思ったからだ。確かにキリーヤはリタルア村襲撃の件で、死を間近で見てしまったが、それはあくまで事故に過ぎない。死とは一度見て慣れるようなものではないのだ。それを証明する事として、助かった後のキリーヤはひたすら涙をこらえている様子だった。ディナントの隣に居た時は、泣いていたというではないか。
忘れてはならない。たとえ彼が『人狼』だろうと、魔人だろうと、まだ彼は年端もいかないなのだ。そんなに『死』を見せるなど、ウルグナには到底出來ない。
しかしいくら見えないとは言っても、この死の山は処理しなくてはならないだろう。ここは獣道ではない。街道なのだ。
想像してみよう。久々に故郷へ帰ろうと決意した若者が、意気揚々と馬車にのってこの道を通ったとする。
……で、こんなものが街道にあったら彼はどう思うだろうか。答は簡単。非常に不味い。
「馬車にって待っててくれ」
「え? ……はい」
ウルグナの表を察したのか、キリーヤはそれ以上何も言わなかった。その気遣いに謝しつつ、ウルグナは死を片づけていく。多くは生首と、その首と泣き別れになったの寄せ集めの為、処理が面倒という事はないが、何分數が多い。一人ではとてもではないが、完璧に隠蔽する事など出來ないだろう。
キリーヤに手伝わせる訳にはいかない。一どうした事やら。
「兄ちゃん。俺で良ければ手伝おうか?」
聞こえてきた聲の方向―――前方に、ウルグナは視線を向ける。
容姿に特筆すべき點はないが、何かが違うおかしな男、と言うのが第一印象だ。
「誰だ?」
「ああ、何だ何だそんな睨まないでくれよ。なあ兄ちゃん。俺は怪しいもんじゃないぜ、おい。何せ兄ちゃんが今している事に協力してやるんだからさ」
男はわざとらしく両手を広げ、ウルグナに語り掛けた。そんな男の発言を気にも留めず、ウルグナは淡々と死を隠蔽する。
「なあおい、聞いてるのかい?」
「……死が置いてあれば片づけるのは當然だと思いますが」
「それにしては何の慨も抱いてないように見えるが?」
男の聲音が変わり、口元がつりあがった。その聲はさながら弱みにつけこむ小悪魔のようで、とても微笑ましい。
作業を続けながら、ウルグナは返す。
「それは実におかしな話ですね。もし私がこの慘劇を起こした犯人だとするなら、証拠隠滅のために、貴方もこれのようにするはずですよ」
「―――ああ、それもそうだな。悪かったよ、疑ったりして。俺はデューク。あんたは?」
キリーヤと違い、ウルグナのマントには、『容姿の誤認』という効果を持っているため、本當の顔を見られてはいないだろうが、一何だろうか。この不安は。
まあいい。これはチャンスだ。ここで集団を組んでおけば、関所でも怪しまれずに済むが……念のためだ。用が済んだらこの顔を使うのはやめたほうがいいだろう。
「私は……この辺りで傭兵をやっているウルグナという者です。以後どうぞ、お見知りおきを」
ウルグナの丁寧な自己紹介に、デュークは快活に笑った。
「ハハハッ! 何だか騎士と話してるみたいだな。気にったよ。なああんた、実は俺、パーティーを組もうと思ってるんだが一人分空きがあるんだ―――組まないか?」
初対面でも思わず心を許してしまいそうな優しい笑顔。々な人間を見ていない者なら、忽ち心を許してしまうだろう。
だが、ウルグナは彼を信用していない。明確な理由こそないが、信用してはいけないと本能が語っている。
「いいですよ。私も一人ではお金を稼げませんから。しかし、私は傭兵ですから、雇用の金額は、きちんと払っていただきますよ。後、この子を連れて行ってもいいですかね?」
「可い子は何歳だろうと大歓迎だ」
「決まりですね」
あまり親しくなりすぎないようにしなければと、ウルグナは心の中で誓うのだった。
「そういえば、いつまでこうしている気ですか?」
ただ一つ殘った空席を一瞥し、ウルグナは尋ねる。今回のパーティーとやらは、デュークから事前に聞いていたワドフを含め三人と思っていたが、それならば空席を用意する必要がない。という事は、今回のパーティーは四人らしい(分かり切っているが、キリーヤは數に含まれていない)。もっとも、いつまで経っても四人目が來ないため、『予定していた人數』という扱いになりそうだが。
デュークは一瞬困ったような表を浮かべるが、次の瞬間にはお手上げとばかりに頭を掻きはじめた。
「いやあ、ビックリだぜ。まさか來ないなんてさ。誰が予想した? こんなこと」
「デュークさん、返事も祿に聞かないでったとかではありませんよね?」
ワドフが真剣な表で尋ねるが、メンバーが足りないことに対して真剣なのは、ワドフだけなのだから、殘念という他ない。ウルグナもデュークも、日常茶飯事のような軽いじで話しているというのに。
これが新米と一人前の違いか。ウルグナは職業を偽っているので、例外とする。そうしなければ、ワドフが可哀想すぎる。
デュークが鼻をほじりながら答える。「そんなはずはないんだがな。ちゃんとあっちも行くとは言ってたはずなんだが、何か用事でも出來たのかな。まあとにかく、もう彼は來ないものと考えて、先に進めよう。いいか?」
「まあ、いつまでたっても來ないのなら、仕方ありませんね」
「ええ! いいんですか? その人が來るまで、待たなくて」
やはり驚くのもワドフのみ。この調子ではそうそうに新米ではないと見抜かれそうだ。気をつけなければ。
「んじゃ、今回の依頼を説明するぞ。今回はな―――」
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