《ワルフラーン ~廃れし神話》僥倖と奇禍と
『悪闢』。
対象の記憶と存在をこの世界から抹消する魔。それは英雄に対する究極の対抗呪文であり、最強と呼ばれた自分ですら僅かに影響をけるものだ。
神造魔と呼ばれるそれは、本來使用をじられているものだが、あくまでそれは人間社會での話。魔王が使った所で、何の問題も無く。むしろ模範的な魔王と言えるだろう。
使用した魔力は魔力の九十五パーセントと、周囲の魔力百五〇パーセント。周囲においてはこれから生み出されるだろう魔力を先取りしているので、當分はここで魔を行使する事は出來ないだろうが、ワドフを助ける事が出來たのだし、後悔はない。
しかしその代償はあまりにも大きかった。
これだけの魔を放ったのだ。當然周囲が気づかないはずもなく、今頃はこちらに向かってくる者の一人くらいは居るだろう。
「ワドフさんッ」
魔を放ってから數秒。あの槍を手に持ったエリがこちらに向かってきた。エリはこちらの存在を認識していないのか、真っ先にワドフに駆け寄り首の辺りに手を置いた。
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「……良かった」
「貴方の他には誰も來ないのですね」
エリが顔を上げ、ウルグナ―――アルドを睨みつけた。その目には尋常ではない殺気が宿っている。並の者はき一つ取れないだろう戦士の覇気。
しかしアルドは歴戦の覇者。その程度の殺気など飽きたとばかりにエリを『見る』。
ここまで骨に敵視されると、し困るのだが……。
「貴様が彼を?」
「違いま……」
そこでアルドは気づいた。そういえば、今自分の顔は素顔で、言い換えれば別人だ。
綺麗な銀髪も、本來の煤けた白髪に戻り、端正だった顔立ちも、痛々しい火傷に蝕まれた恐ろしい顔になっている。
口調も変えておかなければ。
「……ッそうだ」
「貴様!」
直後、認識のずれが生じる程の神速の突きが放たれる。
真のアルドならば、何て事のない速度だが、今は影人。魔と一部の能力以外は一般人のそれと変わらない。避けられる筈など無い。
「え―――」
エリの槍は、確実に心臓を貫いたはずだった。しかし、その刃がへと沈む寸前、止まった。何かにぶつかった訳ではない。エネルギーのみが急速に消失していき、寸前で止まったのだ。
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―――『侵障ロウンオウス』。
この攻撃を防ぐ手段は、今のアルドにはこの魔以外存在しない。
瞬間的に対象のエネルギーを消失させる能力を持っており、中位の割には使用できる者がない無屬魔だ。
こちらに向けられたまま靜止した槍を。アルドは優しく握りしめた。
「まあ、待て。私の相手なんかより、彼の方が重要だと思わないのか?」
「……そう言って気を逸らして、不意打ちを食らわせる戦法か。その手には乗らないぞ?」
「そう思ってもらっても構わないがな。今助ければ間に合うかもしれないを、不意打ちをされたくないが為に、お前は見捨てるのか」
二人の視線が剎那の時間、錯。
アルドの手が離れると同時に、エリは槍を納めてワドフを抱きかかえた。
「勘違いするな。貴様を許した訳ではない」
アルドは両手を上げ、後ろへ下がっていく。
「さあ、早く砦に連れていけ。急がないと手遅れになるぞ」
「……」
エリは、こちらを怪訝な顔で見つめているが無理もない。これ程までズタボロにしておいて、いざ増援が來た途端に逃がすなど、都合が良すぎる。
アルドが逆の立場でも、きっとエリと同じ事をしただろう。
「……何だ。早く行け。私の気が変わらぬに」
「彼がもし死んだら……貴様、分かっているだろうな」
「分かっているとも。さあ早く行け」
「貴様……何を企んでいるッ」
駄目だ。埒があかない。単純に促すだけでは、彼はここを離れようとしない。
あまり気が進まないのだが―――致し方あるまい。
「あまり私を怒らせるな―――早く行けッ!」
その聲と同時に、アルドの周りに千を超える刃が出現。極限までに薄く、鋭く研ぎ澄まされた刃は、まさしくれるだけで切れるといった所であり、エリを恐れさせるには、十分すぎるものだった。
「貴様!」
アルドはエリに左手を向けると、虛空で待機していた刃は一斉にその方向へと、出された。
「なッ!」
エリはを翻し、逃げようとするが、遅い。周囲の景を塗り替える程の無機質な金屬は、エリの腕や肩を掠め、出を引き起こす。
「……早く戻れ」
その言葉が果たしてエリに屆いたかどうかは分からない。しかし、確かにその背中は離れ、小さくなっていった。
左手を上げると、刃は停止。アルドの左手へと収束した。
これで良い。こうすれば正はばれないし、ワドフも助かる。思いつく限り工夫はした。これでエリは、『魔王アルド』と『傭兵ウルグナ』を違う人と考えるだろう。
もしこれだけ手を盡くしてもバレるのなら―――アルドはエリの評価を見直さなければならないが。
予定通りこちらを敵視してくれるのであれば、大いに結構。心の中で笑いながら、アルドは歩き出す。
「さて、顔を戻すか……」
「ハァハァ……」
質な足音が砦に響く。その周期的に聞こえる音に、何事かと一度振り返れば、そこにはまみれのを抱えるエリの姿がある。
あの男、一何がしたい。
ワドフをこんなになるまで甚振って、エリが來たら途端に見逃して、躊躇していたら刃を投げつける。もはや何がしたいのか分からず、エリからすれば非常に奇妙で冷酷な男だった。
幸いにもワドフは死んでいないし、エリもかすり傷程度なので何という事は無いが、後數秒でも遅れていたら―――なんて思うと、ぞっとする。
エリは息を荒げて、醫務室へと駆け込み、抱えていたワドフをベッドへ下した。ワドフから出るが、ベッドを真っ赤に染め上げる。
それはさながらの蕓のようで、見ているだけで彼の痛みが伝わってくるような、いやそんな事はありえないと分かっているのだが……
「大丈夫……みたい」
ワドフの呼吸は弱弱しいが、それでも生きている事には違いない。ワドフのに手を當て、魔で傷の狀態を確認する。
ワドフの狀態は所謂『瀕死』。あの男の言う通り、し遅れれば手遅れになっていただろう程の重傷だ。
あの男はそれほど悪い奴ではないのか、という考えが頭を過ったが、ありえない。そもそもあの男がワドフをここまで甚振ったのだ。
しかしそう考えると、何故エリが來た途端にそれをやめたのか、という新たな疑問が生まれてくるが、そこで思考を止める。
「穢れを知らぬ聖霊よ。我が掌中へと収束し、生命の乖離を食い止めよ、『浄休リバイバルオルタ』」
エリの掌から翠緑のが発生。それはワドフのを覆うと同時にその傷を染め、傷の存在を変容。が消失するころ、傷は小さくなっていた……中位魔でどうにかなるかは不安だったが、一応は大丈夫そうだ。
……エリの気持ちを知らないワドフは、幸せそうな顔で寢息を立てている。普段なら腹の立つところではあるが、
「―――良かった」
その寢顔を見ていると、全てを許してしまえる。心配が杞憂に終わって、本當に良かった……いや、まだ心配事はある。
つい先ほど出會ったあの男の事だ。あれ程の數の刃を無詠唱で出すなんて狂っている。あれ程までに鋭く早い刃など躱せる道理はない。男がその気だったならば、エリは今生きてはいないだろう。
それが、この程度の怪我で済んだとなると……殺意が無かったのは明らかだ。
何か目的でもあったのだろうが、そうだとするなら―――やられた。エリはその通りにいてしまったではないか。
しかしあの時とれた行は、エリの考えうる限りこれしかなかった。勿論、ワドフを考慮しての行だ。
「ダメだ……」
あの男は一誰なのだろうか。推測こそ無限に出來る訳だが、決定的なものはない。これ以上考えても結論にはたどり著けそうもない。
エリが席を立ち、醫務室の扉に手を掛けようとした時、不意に扉が開き何かがエリとぶつかった。何かは驚いたように靜止し、餅をついたエリに手を差しべてくる。
「すみません、大丈夫ですか」
ウルグナだった。
「……どうしてここにッ?」
手を取って、立ち上がる。
「フィネアに言われましてね。様子を見に來たんですよ」
「え。フィネアさんが……?」
走っている所でも見られたのだろうか。
「しかし、貴方の表からすると、助かるみたいですね」
「……はい」
ならば良しと、ウルグナは部屋から出ていこうとしたので、慌ててその左手をエリが摑む。
「ちょ、ちょっと待ってくださいッ、心配じゃないんですかッ?」
「心配ですよ勿論。でもそんな事をする暇があるのなら、その発端を叩くべきだと私は思いますがね」
ウルグナは冷靜に、しかし優しくそう言った。言い分は尤もであり、言い返す事は出來ない。
「己の心配によって時間を浪費されるのは、ワドフさんとしても本意ではないはずです。そんな事をしてしまえば、自分のせいで……と、彼は自分の事を足手まといだと思ってしまうでしょう……今はしでも依頼を進めるべきではないかと思いますがね」
「……それもそうですね」
エリは力を緩め、左手を離した。
「さあ、そうと決まったら、フィネアさんの所へ行かなくては。『邂逅の森』にって分かった事もありますし、エリさんも來てください」
そう言い殘し、ウルグナは足早に部屋を去っていった。殘されたエリは一人考える。
何故こうもあっさりとしていられるのだろうか。とても人間がとれるような行とは……
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