《ワルフラーン ~廃れし神話》

『邂逅』の森は素晴らしい場所だ。

二度と會えない者にも會え、上手く使えば人生を変える事も出來る。だが幾らなんでも、この森は不法投棄を認めすぎだと思う。

記憶、聲、影、涙、絆、種族。恐らくは他にも何かあるだろう。ウルグナの知った事ではないが、ここには、この場所にはきっと々なモノが捨てられている。大事なものであれ、どうでもいいものであれ、それだけは確かなはずだ。

しかし、制限が無さすぎる。

まさかデュークが、『素』そのものを捨てているとは。所謂、発想の勝利という奴であり、本來ならこちら側は、負けを認めざるを得なかった。この石が無ければ、最終手段―――森を消し去るという行為に及んでいただろう。森を消したくは無いため、本當の本當に最終手段だったが、そうならなくて何よりだ。

―――『素』とは何か。

奴隷商人ならば、その時の記憶。殺人鬼ならその時の記憶。素とは要するに、裏の顔のようなものだ。

そして今回、デュークはそれを捨てた。だからこそ、どんな場面、事においても、自分のしている事を、誰にも気づかれない。當然だ。自分の事に一番詳しい自分が忘れているのに、どうして他人である相手がそれを分かると言うのか。

つまる所、デュークは奴隷商人という事を忘れたまま、奴隷商人の仕事をやっているという訳だ。これだけでは何が何やらさっぱり分からないが、ここで魔力喰の石の出番だ。これは魔力を量喰らう事でその魔を分析するというもの。

「―――つまり、ですね。デュークさんは素を捨てる寸前、自分に魔を掛けたんですよ。えーと、この魔は、『冥塗ヘイズオウス』という魔ですね」

聞いた事も無い魔名に、二人が揃って首を傾げた。「『冥塗ヘイズオウス』?」

「この魔は自分の記憶をに刻印し、その記憶が失われても魔力の供給さえ続けば、その行を繰り返す、というモノですね」

その言葉の後に、ふむ、とフィネアが言葉をらした。

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「それ程の魔を、騎士団わたしたちが知らない筈はないのだが……」

騎士団は自國の安全の為、危険魔と判斷された魔(どんな基準で決めているかは知らないが、ウルグナに言わせれば殆どの攻撃魔は危険である)が記載されている魔導書を、回収している。それはウルグナが騎士だった時代から変わっていない。だからこそ、ウルグナも気づけなかった。危険な魔は、全て把握していたため、こんな事はありえないと思っていた。

しかし魔力の量、。全てが既存の魔と合致しない。フルシュガイドは最強の都市、流通する魔導書も世界一だ。むしろ流通していない魔導書を見つける方が難しい程度には。

考えたくもない可能だが、人間はまさか、神を真似ようとでもいうのか。

「私もこんな魔は見た事がありません。まあとりあえずは人造魔とでも呼ぶべきなのでしょう」

「人間が、魔を造るだと? 馬鹿げてる」

「ありえない話ではないですよ、かつて最強の種族と呼ばれた魔人に立ち向かったのですから」

気に、ウルグナが薄ら笑いを浮かべた。

「私はそんな話を聞いた事がないが」

人造魔。それはよく言えば、手作り、悪く言えば神の業を模倣しただけの贋だ。神造魔である『悪闢』とは比較対象にすらならない、ゴミだ。

だが、一応は模倣。それ自能は、既存の魔をも上回る。

ウルグナ達になじみ深い従來の魔霊が作ったらしいが、それを考えると、どうやら人間は霊を超えたらしい。

流石、『最強の種族』だ。

「私も存じ上げませんが、しかし実際にここに存在しているんです。魔を造るなんて、砂上の樓閣に過ぎないものだと思ってましたが、その実巖上の樓閣だったという訳ですね」

「な、何を言ってるんだ?」

「昔の言葉ですよ。決して異邦の地の言葉とかそういう訳では」

フィネアが困気味に尋ねるのも、無理はなかった。これは幻の國、ジバルに伝わる言い回しだ。ジバルの位置を知る者など、この世に十人といない上、四人はウルグナの下にいるので、殘りの枠は々三人か五人か。或いはゼロかもしれないが、とにかくフィネアが知る筈のない言葉だった。

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フィネアが半目でこちらを睨みつけてくるが、視線を逸らして誤魔化した―――が、ある事を思いつき、直ぐに戻した。

ウルグナの眥が裂けんばかりに見開かれる。

「そんな事よりエリさん、フィネアさん、私は天才ですよッ」

突然、そんな事を言いだされてもと、二人は首を傾げざるを得なかった。

「デュークさんの行が、あの魔に依存しているのなら、魔を消してしまえばいいんですよ」

「……魔を消す?」

フィネアは頭痛でもするのか、額に手を當てた。

「……説明が高尚過ぎて、私達には理解できないみたいだ」

「仕方ないですね」とウルグナ。

「対極の屬ぶつけて、消し去ろうっていう事ですよ」

「お前は皮も通じないのか……いいか、考えてもみろ。火の弱點は水、の弱點は闇。それは學校で習えるレベルの常識だが、『人』だぞ? 対極なんてある訳がない」

今更だが、魔には相がある。

火は水に、は闇に、風は雷に。

それぞれ対局の方向に位置する屬であり、その屬同士なら、同位魔は打ち消す事が出來る。だが、今回はそんな単純な話ではない。

人の対極とは如何なる屬だろうか。火? 水? 風? 雷? 無? 土? ? 闇? 正解はどれでもない。

というかそもそも、常識に當てはめる必要が無い。発想の勝利なのだから。

「いいえ。全ての事象、質において対極は存在しています。火は水で、は闇で、人は―――『神』ですよ。差し當たっては『神』造魔とでも呼ぶ事にしますが、ともかくそういうものは実際に存在しています。ここには無いでしょうが……私の記憶が正しければ、フルシュガイドに在ったはずですよ」

二人の視線が、フィネアに注がれると、フィネアは左手と首を激しく振って、否定する。

「いやいやいや! 私はそんなものは知らないぞ。例えあったとしても、私は星の數程もいる記録係の一人でしかないからな。むしろ私としては、そんな報を存じな副団長様に所在を聞きたい所だがね」

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見事な切り返しに、ウルグナは僅かに揺した。そのせいなのかもしれない。ウルグナの口がついってしまったのは。

「私は存在を知っているだけであり、位置を知っている訳ではありませんよ。今騎士団で、位置を知っている者と言えば……団長とラハルくらいでしょうか」

その言葉に、フィネアは怪訝な顔を浮かべた。

「お前、何時の話をしているんだ」

「え?」

記憶を遡り、間違いに気づいた時には、既に遅かった。そうだ。ラハルが今も総括長であるとは―――限らないのだ。揺していたので、気付かなかったが……やってしまった。

フィネアの視線が、不審なモノを見るような視線に変わった。

「ラハルさんは死んで、今はフルージさんが教會騎士団団長だぞ? ……お前、本當に騎士団か?」

芝居がかったきで、ウルグナは顎に手を當て、頷く。

「……私も歳ですかね」

「バカ言え。お前はどう見てもまだ三十代だろ」

「ああ……『そうでした』ね」

二人の視線を真摯にけ止めながら、ウルグナは今しがた知り得た事実に、驚きを隠せなかった。

まさか、彼が死んでいたとは……さすがに予想外だった。こんな事になるのなら、大聖堂にいる間に、チロチンにでも調査頼んでおくべきだっただろう。

しかしながら覆水盆に返らず。これでウルグナに対する信頼がし下がってしまった。次からは、下手に記憶を參照して名前を挙げない方がいいだろう。

一応得るモノはあったから怪我の功名とでも言うべきだろうが。

「ま、まあその話は置いといて、ともかくそれには手が出せませんか」

フィネアはウルグナを一瞥した後、腕を組んだ。

「……當たり前だ。仮に使えたとしても、ここからフルシュガイドまで何時間、いや何日掛かると思ってる」

「まあ、それもそうですね」

現実的な案でなかったことは分かっていたのであっさり流す。

今までの流れをまとめよう。

デュークは、記憶を失いながらも、裏稼業の奴隷商人を続けている。

記憶が無い為、いくら問うても、答えが得られない。

ここから導き出される結論は―――魔さえ消せば、デュークは一般市民に元通り。

ではどうやって魔を消し去るか。

フィネアを利用できない以上、ウルグナが神造魔を行使するしかないのだが……正は隠しておきたい。

導き出される結論は……

「まずは、馬車を探して、被害を食い止めましょ―――」

ウルグナがそこまで言った時、突如部屋の扉が開かれた。音に驚き反的に振り向くと、そこには、肩から腰に掛けて、大きな切り傷を負った兵士がいた。

兵士は扉を開ける事で力を使い果たしたのか、おぼつかない足取りで二、三歩近づき、ウルグナの頭上に崩れ落ちた。

邪魔っけな死を払い、ウルグナが立ち上がる。

「どうやら、砦の中で何かが起きているようですね」

「冷靜に言っている場合ですか!」

エリが武を取り、誰よりも早く、部屋を飛び出した。

しかし、流石は隊長クラスの人間。死の部下だろうと、決して雑に扱ったりはしない。

ウルグナなら、蹴飛ばす所だが。

「私はデュークさんの所へ行ってきます。貴方はワドフさんの所へ」

「分かった」

地獄を現したかのようなそこの名は、リスドアード砦。突破不可能の砦とも言われていた、最の砦だ。破れる者など殆どいない。

だからこそこの國は、総合力最強のフルシュガイドにも狙われる事はなく、常に平和を保ってきた。

だが今はどうだ。至る所に、。ある者は首を穿たれ、ある者はを両斷され、ある者は四肢を分解された上で、雑に組みなおされているなど、悪逆非道を謳う歌でも流れていれば最高にり得る景が広がっている。

一言で表せば『凄慘』であり、むしろこれ程表現がぴったりなものは、見つからなかった。

カテドラル・ナイツならばいざしらず、並の人間がこの砦に存在する歩哨の數十人を、こんなにあっさりと、慘殺出來るはずがない。これは……一

ウルグナがデュークの部屋に來ると、案の定、デュークの姿は無かった。代わりに置かれていたのは、彼の服、だった。

服を手に取り、魔を行使―――やはりか。

服を放り投げ、部屋を出た直後に、黒い塊とぶつかった。勝手に吹き飛ばされた塊を見ると、フィネアだった。

「フィネアさん、どうでしたか」

フィネアは剣と盾を取り出し、ウルグナに差し出した。それを手に取って、様々な角度で見てみる。「これは?」

「知ってるだろう。ワドフの剣と盾だよ……そっちは?」

ウルグナが首を振ると、フィネアは「そうか」と言い、來た道を戻り始めた。フィネアは気づいているだろう、デュークとワドフがどこへ行き何が起きるのか。

しかし、幾ら分かっているとしても、あそこへはウルグナ一人が行くべきであり、むしろ大人數では邪魔なだけである。

フィネアの背中を追って數分。不意に前方の扉が開いた。エリだ。

「エリさん、何を確認しに行ったのですか?」

「……いえ。特に何も」

何もない訳がないだろう。特にこういう場合は。

エリの顔は暗いし、その上、エリの部屋だけは綺麗そのもの……何をどう見ても何かあったように思えるが、今は聞かないでおこう。

エリが気づいたように顔を上げた。

「そうだ、デュークさんと、ワドフさんは?」

「どっちもいないぞ。どこに行ったかは検討がついているが……」

「そうなんですかッ? だったら早く行きましょう。ワドフさんが危ないですよ!」

「あー、うん、そうなんだが……な。あそこは何というか……」

フィネアの表は、良いモノではなかった。當然と言えば當然。他人の思考なので分かっているとは言い切れないが、フィネアが考えている所と、ウルグナの思う場所は合致している。それは反応から見ても明らかだ。

「『邂逅の森』ですよ」

「えッ」

フィネアを一瞥し、表を確認。

「何故デュークがこんな事をし出したのか、私には想像は付きますが想像でしかありません。ですが今まで分かっている事から考えて、彼は『邂逅の森』にいるでしょう。それこそ、殆ど確実に、ね」

「じゃあ、今すぐ助けに行かないと……!」

が昂りっているエリの肩を摑み、ウルグナはただ、その瞳の奧を見據えた。

エリは最初こそウルグナの目線など気にも留めず、喚きたてていたが、その目線に気づくと、自分が如何に焦っているかを自覚した。

エリの表が落ち著きを取り戻した所で、ウルグナは告げる。

「貴方は何を聞いていたんですか? 私達三人があの森に突した所で、どうせ三人とも會えなくなるだけですよ。フィネアさんもそうですが、やめておいた方がいい。場合によっては―――全てを失いますよ」

「それはウルグナさんも同じはずですッ。どうして私達だけが駄目なんですか。ウルグナさんだって、同じ『人間』じゃないですか!」

エリの言う事は尤もだった。フィネアも、エリも、そして『今』のウルグナも、同じ人間だ。二人が駄目ならば、ウルグナが良いという道理があっていいはずがない。

正しい。正しいのだ。しかしその言葉は正しすぎる。その言葉が絶対的な正論故に、彼を言葉で説得しようとはきっと誰も思わない。

この時殆どの人間は、ここで二人の承諾を得ずして突っ込むか諦めるかするだろうが、ウルグナだけ……どちらも取らなかった。

「私も、同じ『人間』ですか。確かにそうでしょうが、しかし私と貴方達は決定的に違いますよ。だって―――」

ウルグナは徐に右手の薬指を加え、歯を立てた。そして―――不快な破砕音と共に、指を食いちぎった。何の躊躇いもなく、一瞬で。

「な、何をしてるんですか!」

「な、にを……?」

指からは鮮が滴っていた。切斷面には白い何かが見えており、それが骨だと分かると、胃が戻るような強烈な不快が、二人を襲った。

幾らその前に異常な行を取っていようが、戦地を見慣れた人間ですら、この反応だ。平和ボケした人間ならば、失神は確実か。

「例え指を食いちぎってでも何かをし遂げようとする覚悟が、貴方達にはない。そんな人間が、『邂逅の森』にったら、どんな事がおきるか」

口だけなら、何とでも言える。だがウルグナは、たった今ここでその『覚悟』を証明したので、誰も何も言う事が出來なかった。

ウルグナの薬指からはまだが滴っている。は何度も見たが、先程の行為の後という事もあって、不快さは従來の何倍、或いは何十倍だ。

言いようのない震えが、エリの全を駆け巡った。

「い……たくないんですか?」

ウルグナが薬指を吐き出し、握りしめた。

「痛いですが……今までの痛みに比べれば大した事はありませんよ」

ウルグナの過去には絶対に何かある。それは幾ら察しが悪くても、察せてしまうものだった。

しかし、それが如何なるものか、知りたくは無かった。それを知ってしまえば、きっとエリは呑まれるだろうから。

ウルグナが切斷面を近づけた。

「さて……何だかんだ言ってしまいましたが、結局の所、どうしますか? 私の魔によると、どうやら兵士は例外なく全員が既に息絶えています。もはやここは空の砦同然。そんな時に敵が來たら……」

間違いなく突破される。

口には出さなかったが、エリにはウルグナの言いたい事が分かっていた。砦を離れる訳には行かないのは分かっている、でも、ワドフを探さなくては。

自分でも気づかぬうちに、エリは下を強く噛んでいた。皮が裂け、が出た頃に、ようやくそれに気が付いた。

ああ、自分は無力で在りたくないのだ、と。

この砦を任され、協力を依頼され、エリの心は満たされた。ああ、誰かが頼ってくれている。自分は……自分が強くなった事は、決して無意味ではなかったのだ、と。

しかし、今の狀況はどうだ。曰く兵士は皆殺しで、ワドフとデューク、彼の消息すら不明。

果たして、本當に無意味ではなかったのか。

「私は……!」

無力にだけはなりたくない。

ウルグナが平淡な聲で彼に告げる。

「貴方が何に対してを昂らせているか、やはり私には分かりかねますね。しかし―――なくとも、私は貴方を頼っている」

「え」

「この砦を守るには、隊長クラスの貴方が適任なのは、言うまでもありません。それに邂逅の森に大人數でるなど愚の骨頂。そんな事をすればそれこそ貴方は無力ですし、何より私はもう『供くすりゆび』を作ってしまいましたから。私が行かない道理はないでしょう」

「……」

ウルグナは砦の出口へと歩いて行った。もはや誰も付いていく事が出來ない。フィネアすらも、その存在の圧に恐れをなし、その場からく事は出來なかった。

森からはどす黒い瘴気が噴いていた。魔力の塊である事は素人でも分かる辺り、その濃度が理解できる。しでもその気にあてられれば、頭痛は確実だろう。

ウルグナも例にはれていないが、その程度の事など腐る程味わってきた。今更恐れる事は、許されない。

ウルグナが森へと足を踏みれると、直後に現実が変容した。先程まで何も居なかった空間には、多種多様な魔が出現。牙を剝き、今にも襲い掛からんとしている。

気づけば薬指は、消えていた。

どもは、こちらが雌で無い事に、一層腹を立てているようにも見える。盛んな騎士の妄想はどうしようもない事が多いが、どうやら魔もそうらしい。強いて違いを挙げるならば、魔は積極的で、騎士は消極的で妄想的という事だろうか。

しかし、そんな事はどうでもいい。この先に―――ワドフがいるのだ。もう、変な柵を気にする必要はない。

思う存分に。

一方的に。

相手を躙できる時間の始まりだ。

ウルグナの足元に在る影が、立ち上がった。影は最初こそ二次元的だったが、やがてそれはウルグナと同じくらいの格になるまで膨れ上がり、ウルグナのを侵していく。暫くも経っていないがウルグナのは影に包まれ、もはや郭すらはっきりしなくなった。

そしてそれは起きた。

突如影が収。魔達がその事象に構えていると―――影は人の形をしていき、それは間もなくして『ウルグナ』となった。

「私はデュークの所へ行かなくてはならない。邪魔するモノは―――全力で葬らせてもらう」

ワドフの剣に手を當てたが、思い直して手を離す。この程度の雑魚に、武は必要ない。

「我がを喰らうは何処の者や?」

ウルグナはゆっくりと、しかし確実に歩き出した。同時に獣達も、そのを喰らわんと襲い掛かってきた。

背中に生暖かい溫度をじ取りながら男は確かに馬車へと歩いていた。後ろで魔の犇めきが

聞こえるが特に気にはしない。來たとしても、おそらくはエリだろう。

の吐息が、男の耳を擽った。それはの呼吸。即ち生きている証であり、男としても嬉しい限りであった。

の音が小さくなっているような気がしたが、気のせいだろう。あの數を突破できるような人間は居ない。ましてそれがならば、途中で苗床になるのがオチだ。突破は出來ない。

馬車が見えてきた。馬車の中からは、相も変わらず魔が出てきている。びは、もう聞こえない。

が生まれている以上、死んではいないだろうが……だからといって、神までが壊れない訳では無い。自らのや口から魔が出る事に、もう何もじなくなっているのだろう。果たしてそれが『生きている』と言えるかは置いといて、なくとも死んではいない。

もうすぐ、自分の背中で休んでいるも同じ末路を辿るだろう。今のはとても穏やかな笑みで寢ているが、一度あの馬車の中にれば、そうはいかない。自分のに潛り込まれる事に不快を覚えながら、今までと同様に、神を犯され、只の苗床と化す。このとは仲が良かったが、特に悲しいとはじなかった。今までも、そしてこれからも。

誰も彼を止められない。止められはしないのだ。あの完璧な魔の前では、自分は疑われようと、捕まる事は無い。そう―――この作業は、きっと生涯続く。

「見つけましたよ、デュークさん、それとワドフさん」

男の聲が聞こえた。とても冷たく、変化のない聲。それでいて丁寧な態度。

「……あんたは……」

「初めましてではありませんが、私は……っと、もう分かりますよね? 奴隷商人のデュークさん」

「……そこまで気づいたのか、新米傭兵のウルグナ」

二人は微だにせず、淡々と応答を繰り返す。どうする、全力で馬車に向かえば、間に合うか……

かない方が賢明だと思いますよ。今の私なら、貴方が足を上げた直後にワドフさんを取り返せますからね」

この言葉は噓ではない、とデュークは確信していた。自分の死に対する評価が変わっていないのであれば、この背中に突き刺さる殺気は、まがいではないはず。

デュークは膝立ちになると、ゆっくりとワドフをその場に下した。あちらの目的は奪還だけではない。取り敢えずはワドフを下しておこう。

「それで」

デュークは初めて振り返り、ウルグナの顔を見た。

「何の用だ?」

「馬車の破壊と、ワドフさんの奪還はそうですが……し気になる事があるんですよ。フィネアさんやエリさんには噓を吐いてきたので、安心してください」

「噓?」

「ええ。貴方が平気で居られる理由。私はずっと気になっていました。今から話すのは、私の推測ですが―――聞いてもらえますよね」

ウルグナの表は珍しく変わった。それも目を細め、を綻ばせる程度だが。

「まず、貴方が捕まらない理由でも話しましょうか。私は當初、貴方が『邂逅』を利用して『素』を捨て、何らかの方法で仕事を行っていたからだと思っていましたが、厳には違う。正確には素そのものではなく、自分の犯した行為の記憶だけを捨てていたんです。貴方はその行為を何度も行う大罪人。何度も『邂逅の森』に足を運んではを浚い、馬車で苗床化。森から出る際に、その時の記憶を捨て、表世界へ戻っていく。これを繰り返しさえすれば結果的に、『自分が奴隷商人の仕事をしている時』が捨てられる。つまり『素』が消えているように見える訳です。纏めると―――貴方は、自らの行為の殘と記憶だけを忘れ、のうのうと表世界を生きている……ここまでは合ってますかね?」

想像した事はないだろうか。もし人を殺したら、なんて。

當然それは妄想の域を出ないので、怖がる事はない。だが、そういう人間に限って、本を見た時に全が戦慄き、失する。それと同じような事だ。

自分の仕事こそ覚えてるが、容のみが記憶にない。ならば、など出るはずはない。後は適當に芝居を打っておけば、まるで記憶そのものを忘れているように見える。そういう事なのだ。

デュークの顔が険しくなった。

「いつから気づいてた?」

「怪しいのは、出會いの時からですよ。私と貴方は偶然にも死を挾んで出會ってしまった。それもかなり慘い死をね。しかしながら貴方はそれに驚きもせず、あろう事か死隠蔽を手伝ってきた。おかしいですよね? 貴方が記憶そのものを失っていて、何らかの方法で無意識のに仕事を行っているだけの、り人形だとするならば、當然は一般市民と同様のはずです。……死を見て何とも思わない一般市民なんて、いると思いますか?」

あの時か。あれは好意のつもりだったのだが……とんだ失敗ミスだ。

「さて、次に何らかの方法とやらですが―――貴方、奴隷ですよね?」

デュークの表は驚愕に染まっている。見抜かれたことに驚きを隠せていないようだ。

「誰が主人かなんて話は今は置いといて、貴方は奴隷に違いない。その証拠に、貴方に掛かっている魔、『冥塗ヘイズオウス』は隷屬の人造魔ですし、貴方の服の側には奴隷の印章。何かに隷屬している事は明らかです。そう考えれば、貴方がそれを忘れていても、主人が命令すれば貴方は仕事を実行できる。どうでしょう? 私、貴方が本心でを浚っているようには、とても見えないので、この考えには自信がありますが」

それはどういう事か、と尋ねようとしたが、ウルグナの視線がワドフに移っている事に気づき、デュークもワドフを見た。そして理解した。何故、そう思ったのかを。

「生まれた魔は種付けの機能を持つ。何も馬車に放り込む必要はありません。でも貴方は、執拗に馬車にれようとしている。それがどういう事を意味するのか、貴方自が一番よく分かっている筈です」

自分の真意。『邂逅の森』で何度も捨てるうちに、デュークは己が分からなくなっていた。自分は何を思っていて、何を考え、何のためにこんな事をするのか。しかし、しだけ思い出してきた。

あの時も、あの時も、あの時も。そして今も。

自分の手からが救われる事を願い続けてきた。自分は抵抗出來ない故に、彼達を助ける事が出來ない。だから、誰かに來てほしかった。

それでも誰も來なかった。皆、たちを捜そうとはしなかったのだ。神隠しやら天罰やらと宣うばかりで、皆、死を恐れた。

自分の無力さがとても恥ずかしかった。出來る事なら逃げてくれとびたかった。だが、出來なかった。主人の命令故に。自分の為に。

「貴方は彼達を助けたかった。そうでしょう。そうでなければ、貴方が馬車に向かう意味がない。だって、本當に貴方がその気なら、その辺の魔にでも、差し出しておけば済む話ですから。勿論それをされていたら、如何に私といえど、間に合う事はなかったでしょうが……あなたの蔭ですよ」

ウルグナの表は変化が無い。しかし、その言葉からは、確かに謝が伝わった。

「……エリさんと関係のある人が、貴方の主人ですか?」

「……何故そう思う?」

「エリさんの部屋だけは妙に綺麗でした。他はまみれにも拘らずにね。そしてその部屋から出てきたエリさんは、暗い表と言うか、不安げな表と言うか、そんな顔をしていたのでね。そういえばエリさんが砦を出た後、砦の中にいたのはフィネアさんと、貴方だけだそうですね。フィネアさんは貴方を捕らえる為に來ているから、犯人からは除外できる。そうなるとデュークさん……貴方しかいないんですよ」

―――これは本當に推測のレベルだろうか。とてもそうは思えない。まるで未來を見たかのような、詳細な推測だ。

「ですが、分からない事が一つあります―――どうして、貴方はそいつに従っているのですか? あの砦の歩哨全員を慘殺出來るあなたなら、『冥塗』に反抗など訳無い筈です」

ここまでばれているなら、話そうが話すまいが、同じだろう。デュークはを荒ぶらせ、暴にしゃべり始めた。

「……確かに、『冥塗』程度なら、確実に破れるさッ。だが―――家族が掛かっているんだッ」

「それはつまり……」

「俺がこの仕事をやれば、家族に金がる。だがやらなきゃ、家族全員が奴隷になっちまうんだよ!」

「家族にその事は?」

「―――へっ。あんた、人殺しをやっているとして、それを家族に伝えるか?」

首を振るウルグナ。

予想はしていたが、そういう事か。リスドにしろ、フルシュガイドにしろ、貧しい者は必ず奴隷にされる。男なら働き手に、は―――みモノだろう。陳腐な理由だが、これ以上ない理由だった。

「そして、俺が死んでも家族は同じ結末を辿る……正がばれても……辿る。だから―――続けるしかねえんだよッ!」

気づけばデュークは剣を取り出し、ウルグナに向けていた。

「だけど俺には無理だった。仕事のたびに浚うが可哀想だった。どうしても。何年やっても。家族の為と考えこんでも、仕事と割り切れなかった! だからこんな手段を取るしか……記憶を捨てるしか、俺の神が保たれる方法は無かったんだよ……そうすれば、今まで俺のしてきた事が妄想になって、全然悲しくなんかないからなァ!」

程。記憶を捨てていたのは、指示ではなく自分を保つためだったのか。

デュークがウルグナの首を狙って薙いだが、それはいわゆる殘像で、ウルグナは刃の屆かぬぎりぎりの位置に移していた。

「強くても無意味だった! 知識があろうと無意味だった! 逆らっても! 泣いても無意味だった! 大切な者がいる限り、あのクソッタレの『フォーミュルゼン』には! 従うしかねえんだよォ!」

デュークの刃はとても真っ直ぐで、その全ての軌道は、一撃必殺になりかねない程鋭かったが、『今』のウルグナにはまるで止まっているように見えた。

刃をギリギリで回避し、ウルグナが言う。

程、貴方の理由はよくわかりました」

デュークの一撃が、ウルグナを斷ち切る直前、刃は止まっていた。視線をゆっくり落とすと、ウルグナは両の掌を合わせて、鎬しのぎを挾んで止めていたのだ。

デュークの表が畏怖に染まるよりも早く、ウルグナの前蹴りがデュークの顎を捉えた。脳が揺さぶられた影響か、デュークは後ろへ二、三歩たたらを踏み、そのまま餅をついた。

ウルグナが拳を構えた。

「しかしまだ弱い。貴方が真に家族の為を想うのなら―――ここで私を斃してみせろ」

「言われなくてもッ! 殺ってやるよオオオオオォォォォォオオオオッ!」

デュークは立ち上がると同時に、魔力を解放した。

この男には、本気でなくては―――勝てない。

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