《ワルフラーン ~廃れし神話》不可なる者の命め
チロチンが倒れている姿を見た瞬間、アルドの気は転した。カテドラル・ナイツが倒れている姿を見た事が無い訳ではないが、こうもあからさまに倒れていた事は無い。倒れるにしてもどうにか立とうとしていたりと何かしらの抵抗を見せている事が殆どだったので、そういう意味ではこんな事は初めてだった。
「あ、アルド様…………ッ!」
「大丈夫か、お前……怪我は?」
意識はあるらしい。外傷は見た所存在しないようだが、あの彼がここまで骨に倒れているのだから、何もないという事はあるまい。急いで助け起こすと、彼はどうしてかこちらと視線を合わせようとしなかった。
―――ああ。そうか。
戦闘中ではないにしても、彼の気持ちは痛い程よく分かる。き頃の自分が幾度となく味わったそれは、人にとても見せられる様なものではない。もしもそれを人に見られてしまった場合、それは俗に醜態と呼ばれ、人によっては泣くほど慘めな思いを味わう事になる。流石にそこまでの弱さは無いものの、チロチンは正にそれだった。彼にしてみれば上司たる自分に醜態を曬したのだ。恥ずかしくない筈がない。
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珍しく、彼の気持ちを上手く汲み取れたと思う。そうなると、今自分がすべき事は、彼の恥を出來る限りなくしてあげる事だ。慌てふためいた様子でずっと目をあちこちに逸らし続けるチロチンの雙眸を見據え、アルドは優しい口調で言った。
「……よくやった」
「…………え?」
彼の表が明らかに困した事に、アルドは気付くべきだった。それに気づいてさえいれば、アルドはほんの僅かな食い違いにも気づけた筈である。しかし人の気持ちを汲む事に全力を注いでいた彼にはそんな所へ気を回す余裕はなく、的外れになりつつある言葉を優しく語って見せる。
「お前はよくやったよ。確かにお前の働きは僅かだったのかもしれない。けれどその働きが勝利に直結するんだ。分かったか?」
「は……は? え、えーとアルド様?」
「何だ?」
「いや…………あの。その……非常に言いにくい事なのですが。どうやらアルド様は何か勘違いをしていらっしゃるようです」
…………勘違い?
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「何を勘違いしているんだ? 私はお前が敗北したと思って……」
そこまで言って、アルドの表も変わる。自分の勘違いに気付いた訳ではなかったが、彼の反応から違和を覚える事が出來たのだ。いや、ここまで來ると些細な違和すら確信と言い換えてもいいだろう。チロチンの表は困を極めていたのだから、きっかけさえあれば誰でもその勘違いには気付けるのだから。
「………………」
沈黙が時を支配する。人として生活する以上、一度は必ずこのような狀態になる事があるものの、この沈黙がどういった類のものなのか、アルドには判別しかねた。
或いは勘違いをしていた主の恥とも言えるし。
或いは主に勘違いをさせる様な行をとった部下の恥とも言えるし。
この沈黙がどちらなのか、それは分からなかった。只一つ言える事があるとすれば、お互いに何と言い出したら良いか分からないという事か。
余程考え込んでから、アルドは恥ずかしそうに口を歪めながら言った。
「この場合…………私はどうすればいいんだ?」
「……私に尋ねますか、それを」
「お前に尋ねているんだ。答えてくれ」
チロチンは複雑な表で言葉無しに抗議してきたが、アルドにも自分の問いを解消できる納得の答えは用意出來ていなかった。視線だけでその事を伝えても、譲れないものがあると言わんばかりにチロチンも沈黙する。
彼に何の外傷もないだけホッとするべきなのだが、どうにもこの張というか気まずい雰囲気はどちらかが折れない限りは続くらしい。アルドは早々に折れて、己の勘違いを認める事にした。
「……済まなかった。凄く恥ずかしいな、今の勘違いは」
「いえ。私も……けない姿をお見せしましたから。アルド様の前であの様な怠惰な勢を取ってしまうなど」
「あのような勢……ああ、そういう事か」
彼が倒れているくらいだから何事かあったに違いないと思い込んだのが、つい先程の気まずさの原因だった。何事も無かったのだ。何事もなく、彼は橫たわっていただけだったのだ。最初にその発想をするにはあまりに危険な狀況だが、それに最後まで思い至らないのも問題である。チロチンは機械でも無ければ生以外の何かでも無い。疲労という概念のないドロシアならばともかく、彼にだって橫たわりたい時くらいあるだろう。
「何かあったのか?」
「はい。実はですね―――」
チロチンは自分が直前まで見舞われていた狀況をアルドに語った。空間の外に一度逃げたのにも拘らず、一人の男に追い回された事。どうにか逃げ切ったが、瞬間的な疲労には慣れていないせいで橫たわっていた事。そして宮本武蔵之介が、謎の男達と組んで、作戦を立てている事。
謝罪も含めて説明されたが、大事なのはチロチンが休憩していた事ではない。彼を追い回したその人間こそ、宮本武蔵之介に違いないという事だ。特徴まで聞けば幾ら何でも流石に分かる。一度剣をえた人間の事を、アルドは決して忘れない。
懺悔にも似た告白を聞き終えた後、アルドが一言らす。
「……やはり私は言葉を間違えたな」
「どういう事でしょうか」
「よくぞ生き殘った。いや、生き殘ってくれた」
黒い雙眸が拡大、収する。あの男を相手によくぞ生き殘ってくれた。何らかの敗北を味わっていたからと當初は思ったが、これは敗北ではなく勝利だ。逃げるが勝ちという諺もある。戦いが生殺與奪の奪い合いだとするならば、その土俵から逃げる事の出來たチロチンは、言い換えれば生殺與奪を奪われなかったという事だ。そう考えると、チロチンは宮本武蔵之介という男に完全勝利したとも言い換えられる。神殺しの男から、今の所唯一逃げ切ったのだから。
「後は私に任せてくれ。お前は…………他のナイツ達はどうしてるか分かるか?」
「いえ。アルド様の言いつけ通り、それぞれの休暇を楽しんでいるかと思われますが」
「そうか……」
彼がその會議とやらを目撃したから襲撃してきたのかもしれないが、自分を怒らせる為だけに、他のナイツにも危害を及ぼす可能がある。切札の関係でヴァジュラは心配しなくても良いだろうが、問題はそれ以外……特にディナントが心配だ。正確に言うと、彼の娘の事が心配で仕方ない。
カテドラル・ナイツはアルドが直々にスカウトした最高の人材なのは言うまでもない。これでも人を見る目には自信がある。戦闘向きではないチロチンですら逃げ切りを達した事からも、その実力が窺えるだろう。その中でもディナントはずば抜けた耐久力を持っており、彼を本気で殺そうと考えるならば一週間の殺し合いは覚悟しなければならない。彼一人で一週間だ。第三まで使ってきたなら、一か月は覚悟するべきだろう。
しかし、カテドラル・ナイツに所屬する彼の娘までもが、そんな強さを保持している訳ではない。筋的に優秀だったとしても、今はまだ未だ。それを狙われ、仮に殺されたともなれば、責任は自分にある。なくともあの子への手出しだけはどうにか防ぎたい。
「アイツがどっちの方向に行ったか分かるか?」
「……アルド様。私が『隠世の扉』を用いても逃げ切れなかった程の移を持つ相手に、どちらの方向へ行ったかなどという質問は、愚問かと」
「それもそうか…………參ったな」
パターンさえ把握出來ればいいのだが、チロチンの話を聞いた所によると、宮本武蔵之介は作戦に関わらないでこちらへ引導を渡すと言っていたらしいので、パターンなど読む事は到底不可能だ。何か別の手段を用いて彼を見つけ出す必要がある。
手っ取り早いのは第三切り札だが、けなくなるのでは本末転倒だ。ここはシターナに意見を仰ぐべきだろうか。何か良い智慧を貸してくれるかもしれない。
「チロチン。お前はさっきの事をクルナに伝えろ。その道中でまた何か見つけても、今度は無視するんだ、分かったな?」
「……仰せのままに」
不満そうな顔をしながらも、彼はマントを翻し、空間の外に出した。これでいい。彼は関わりたかった様だが、彼を関わらせてしまっては、五大陸での闘爭より前に疲労をためる事になる。
「聞いていたよな、シターナ」
背後の樹木にを翻す。だが、そこには何も見えない。
「聞こえていたよな」
「二度も同じ事を言わないでくれ。ちゃんと聞いていた」
「なら顔くらい出してくれよ」
「面倒だ」
寢る事すら億劫という時點で何かがおかしいので、顔を出すのも面倒という発言には今更驚くまい。時間的効率も優先したかったが、彼をこんな森の中で放置するのは幾ら何でも外道すぎるので、アルドは一歩で樹木の裏側まで移して、彼を持ち上げた。
「どうすればいいと思う?」
「……そうだな。お前の部下も言った通り、背中を追うだけじゃ追いつけないだろうから、取り敢えず私が挙げた場所に向かってみてくれ」
「當てがあるのか?」
「このジバルを落とすという事なら、鉢合わせするだろう」
憂いを帯びた瞳は、これから起こる面倒事を予期している様でもあった。
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