《ワルフラーン ~廃れし神話》偽りの魔人

町からは大分離れた。この間に何とか出ていければいいが。父親である自分に刃を向けた事で娘に因縁を付けられている可能も否めないが、どうにか丸く収めてくれればそれで構わない。今、自分にはそんな事を気にする余裕は無いのだから。

「場所に心當たりはあるのか?」

「部下を偵察に行かせてある。竜の魔人はここから遠く東に行った所にある廃墟を城としているらしい。七日間程見張らせているが、きは無い様だ」

「何をしている?」

「私達にも分からない。だがこれは好機と捉えるべきだ。同族殺しはこの國に限らず、『蛟』の國においても重罪。そのような大罪人を野放しにしておく訳にはいかない!」

「……一つ聞きたいが、その咎人に手傷を與えた者は?」

「報告はけていないが、それがどうかしたか」

の傷口を強引に閉め続けるのは苦だが、ここだけはどうしても聞いておきたかった。被害の狀況からして、相手は間違いなくカテドラル・ナイツの事を知っている。いや、狙っていると言った方が正確だろう。この手の愚か者の実力を分析するのは本來自分の役目ではないが、今はチロチンが居ない。代わりと言っては何だが、どれだけの実力者か、見極めなければならない。

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「…………同族殺しが大罪である事を知らぬ者は居ない筈だ。その上で行ったという事は……腕に自信がある証拠だと、考える」

程。ならば報告が挙がっていない以上は、居ないと結論付けておくのが賢明だな。油斷するつもりはないが、心に留めておくとしよう」

彼等が意見を聞いてくれたのは、自分が『化生殺し』の武士であるが故の行だろう。例えばこれが全くの素人なら、きっと耳を貸さなかった。ディナントは己の二つ名について不服には思いつつも、初めて二つ名に謝した。

それにしても、カテドラル・ナイツを狙っているのなら當然自分も標的に含まれる。この道中で襲撃を仕掛けてきそうなものだが、気配を探っても引っ掛かりやしない。僅かな音さえも正確に聞き取るつもりで耳を澄ませても、音一つ聞こえやしない―――いや、これは見廻隊の者達に足音を隠す気がない、若しくは隠せないからだ。襲撃を掛けるという事なので、恐らくは後者。見廻隊の隊試験の厳しさは知っているつもりだったが、自分がジバルを離れている間に溫くなってしまった様だ。

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―――戦を知らない顔をしている。

たかだか數年、されど數年。ディナントがまだ鬼となる以前、フェリーテの力に枷が掛かっていなかった頃とは、周囲の様子が明らかに違っている。隊長である式羽はともかく、その取り巻き質の優しい顔つきと言ったら、時代の変化をじずにはいられなかった。新顔ばかりなので、最近った者達なのだろう。

補足しておくと、それを嘆きたい訳ではない。平和であるに越した事はないだろうから、どちらかと言えばむしろ喜ぶべき事だ。しかし一定の平和をして育った者は、不測の事態というものに対応が出來ない。不測/不足に苛まれる事なく生きていた故、當人に文句を言っても仕方ない事なのは分かっているが。

―――今は邪魔だ。

フェリーテが居れば足音を消してくれただろうが、無いねだりなんてしても仕方がない。そもそも娘と二人きりの時間を過ごしたいと言い出したのは他でもない自分だ。

「―――止まれ!」

それを言い出したのは自分ではない。式羽だ。抜きをこちらの首にあてがって牽制しつつ、懐に隠し持っていた小刀で部下達も牽制。部下達とは対照的に、彼からは常在戦場の心構えをじた。

「…………何だ」

「私達は、つけられている」

「……何?」

改めて気配を探る。が、何も見つからない。ディナントは眉を顰めて、頭を振った。式羽という男との付き合いは今日から始まったものだが、この男が察し間違いをするとは思えなかった。この覚は武士である自分にしか分かるまい。

太刀筋には使用者の為人が現れる。見た所、この男は確信を持った時にしか行出來ない質だ。つまりここで何かを間違う道理はない。

―――では、何をじた?

いや、そもそもじたというのが間違いか。じるものではないなら、五だ。

視覚……特になし。

聴覚……何も聞こえない。

覚……れているのは空気だけだ。

殘るは二つだが、味覚は探索向きとは言えないので、殘るは嗅覚―――!

「……確かに、つけられているな」

枯葉で火を焚いた様な臭い。誰かが焚火でもしていれば何てことはない臭いだが、生憎とそんな奴は一人も居ないので、この臭いが付いてくるのは不自然だ。記憶違いなどまさかないとは思うが、自分は家で焚火などしていない。

「…………式羽隊長! この臭い……!」

「ああ。くな。先手を取らせろ。我々は後の先を狙えばいい」

後の先。相手の攻撃を空かした上で攻撃する事だ。賢明な判斷ではあると思う。どんな妖かはさておき、臭いに変化出來る相手には先手を取るべきではない。狙っている作戦をわざわざ明かしておきながら、それでも相手が何もしてこないのは、分かっているからだ。

先手を打てば負ける事を。

ディナントはの傷口を緩めて、虛空に手をれる。

「『化生殺し』……何を」

「セん……を、トル」

程なく手を抜くと、その手には並みの人間をも凌駕する長刀が姿を現した。

刀『神盡』。

自分にとっての第一切札であり、我が主を助けた事もある素晴らしい刀だ。鯉口を切り、全神経を嗅覚に集中。先手を取るとわざわざ明言した甲斐があり、臭いが迂闊にも接近してきた。『後の先を狙われたらどうしようもないのに馬鹿な奴が居たものだ』とでも思っているのだろう。

真に馬鹿なのは果たしてどちらなのか。今に思い知る事になる。

「…………抜刀。『牙』」

剎那。ディナントを取り巻く烈風。果たしてそれが居合によるものだと見廻隊が理解したのは、何もかも終わってからであった。

虛空を切り裂いた筈の刃には鮮が付著しており、足元には真っ黒い裝束の人が、腹を押さえて蹲っている。切り口は深く、尋常な手段ではどれだけ早く治療をした所で間に合わない事は誰の目にも明らかだった。

すぐさま男の顔を調べにかかる式羽を目に、ディナントは振るいをし、納刀。再び傷口を閉めて、強引に喋る。

「……済まない。加減に失敗した」

『神盡』は由緒正しき退魔の刀。魔とは形無き恐怖であり、外敵であり、それらへの対抗策として鍛えられたこの刀は、形無きを切り裂く特を持つ。相手が魔力の源であれ、臭いであれ。存在さえしているなら、この刃に切れぬもの無し。

「構わない。同族殺しの大罪人にけなど不要だ」

「……斬り捨てておいてこんな言い方はどうかと思うが、その男は同族殺しの犯人ではないだろう」

「ほう? やけに詳しいな『化生殺し』よ。如何な理由からそう思う」

「―――オレは元々この國の住人だが 今はとある主人に仕えている。この國で生きていただけでは知り得ない様な事をたくさん知った。これで理由は十分ではないか?」

「『化生殺し』が主に仕えたか……いや、失禮。これ以上は詮索になる。私達は業務遂行の為、貴方に協力していただいているだけだ。どうかお許し願いたい」

「……どうでもいい」

アルドとの関係は娘にさえ知られなければ、後は誰にどんな伝わり方で伝わっていようと知った事ではない。娘にさえ伝わらなければいいのだ。

娘にさえ……彼が生きている事が、伝わらなければ。

何気なく切り捨てた人を見遣ると、既に事切れていた。の震えも止まり、既に腐敗が始まっていた―――

「……何?」

腐敗?

あり得ない。人であれ魔人であれ、死が腐敗するのにはそれなりに時間を要する。だがこの死は、まるで死して尚証拠を渡さぬとでもいう様に、腐敗し、蒸発しているではないか。

「式羽。保存の手立てはあるか」

「用意はない」

「部下の方はどうなんだ」

「『化生殺し』殿、勘違いしないでいただきたいのだが、我々見廻隊は飽くまで治安維持の部隊だ。うさんくさい妖師共とは違い、この様に醜悪なを持ち帰る用意は端からされていないのだよ」

「だが、これは手掛かりだ」

「言われずとも分かっている。赤木! どんな手段の行使も認める。この醜悪な異を持ち帰れ!」

「ええ……俺ですか! 人使い荒いですねえ、隊長」

「我々は引き続き先へ進む! それで良いなッ」

「…………ああ」

一人置き去りにされた赤木と呼ばれる青年を背中越しに見ながら、ディナントは殘りの者達と共に、竜の魔人の城を目指す。

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