《傭兵と壊れた世界》第百十話:悩める元帥

ナターシャはアーノルフに會ったことがない。だが傑と呼ばれる者たちは一目でわかるほどの覇気を持っている。彼はローレンシアで最も大きな力をもつ男であり、可能な限り接してはいけない要注意人だ。

「君は寄宿舎の出だと言っていたな。生まれもヌークポウか?」

「違いますよ。心がついた頃には國を転々としていたので故郷の記憶がありませんが、水が綺麗な國だったと聞いています」

アーノルフとの世間話。かたや軍部、かたや傭兵。敵同士の優雅なお茶會だ。

シェルタは子供達の面倒を見るためにどこかへ行ってしまった。部屋に殘されたナターシャは「こんなはずじゃなかった」と心で嘆く。

「なぜ孤児院を建てたんですか?」

「ヌークポウにローレンという警備隊長がいるんだが、あいつに面倒をみてくれって泣きつかれたんだ。あいつは古い馴染みでね、昔は共に戦場を駆けたこともある。舊友の頼みとなれば私も無下にできんよ」

「それで、元帥でありながら孤児院の経営者ですか。偉くなるのも大変ですね」

「元帥を名乗った覚えはないが?」

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「誰でも知っていますよ。アーノルフ閣下」

ナターシャは澄ました顔で流した。知っているで話したほうが互いに楽だろう。

「寄宿舎出の君から見て、この孤児院はどう思う?」

「シェルタの顔を見れば、あの子たちが良い暮らしを送っているのがわかります。ヌークポウはひどい場所でしたからね。不安定な配給で生活もままならず、薬がないから小さな傷が致命傷になる。路肩の石が人を殺すのです。それに比べたら居心地の良い場所だと思いますよ」

これは本心だ。羨ましくなるほど穏やかな暮らしぶりである。

アーノルフは憂いを帯びたように視線を宙に向けたまま、思わずといった調子で尋ねた。

「良い暮らしとは、普通の暮らしを送れているということかね?」

「はい?」

質問の意図が読めずに困するナターシャ。基本的に察しの良い彼だがさすがに言葉足らずだった。

「私は孤児院に普通の暮らしを提供したい。綺麗事ではないぞ。醜くえた大人の指が屆かず、政治や宗教とは関係のない、穏やかで自由な場所を作りたいのだ」

「それはまあ、なんともご立派なお考えで」

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アーノルフの瞳は愚直に夢を追い続ける年のような輝きをしていた。顔に刻まれた皺(しわ)の跡が彼の苦労を表している。

(子供たちのため……ではなさそうだけど)

ふいに窓からが暗くなった。日が暮れるにつれて外周の窓が閉じたのだ。該當が燈るまでの間、室は相手の顔が視認しにくい程度の薄い闇に包まれた。

「だが、たまにわからなくなる。本當の幸せとは何だと思う?」

「幸せ、ですか」

「人は幸福を求める生きだ。なのに進めば進むほど幸せから遠ざかっている。君も顔から苦労が滲んでいるが、似たような経験があるんじゃないか?」

「んー、そうですねえ」

當たらずとも遠からず。そもそも第二〇小隊は幸せを目指していない。そんな曖昧なものを求めるよりも目に見える結果がほしいから戦っている。墓や復讐、仲間、研究。

ナターシャは思案した。ここで背中を押してもいいのだろうか。アーノルフは間違いなく敵である。しかも天巫に接するうえで一番の壁。そんな相手に助言をするのは悪手に他ならない。

だが合理的な脳とは裏腹に、彼はアーノルフを後押しするような言葉を紡いだ。

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「幸せにならなくたっていいじゃないですか」

は言いきる。なにせアーノルフがあまりにも不安そうな顔をしていたのだ。ナターシャは斷じて許さない。

「幸せよりも優先したいことがあるから、あなたは元帥なんでしょ? そのために食らった人たちがいるんでしょ? じゃあ、もう立ち止まれないじゃん」

アーノルフは勝者だ。ならば背負う責務がある。アーノルフも、そしてナターシャも、生きるために、もしくは自らの夢(エゴ)のために他人を撃ったのだから。彼たちは俯きながらでも歩き続ける覚悟が必要なのだ。

「諦める理由を探したら駄目よ。楽して生きる道は捨てたでしょ。苦しいからって逃げようとしたら、本當に自分を嫌いになっちゃうよ」

「……自分以外に誰もんでいなくてもか?」

「自分だけで十分。私たちって自己中心的な生きなの」

アーノルフは腕を組んだ。一拍の瞑目。

「だから進むのアーノルフ。ここはまだ、道半(なか)ば」

男はずっと迷っていた。彼の前に選択肢があり、もしも進めば予想できないほどの影響が大國にもたらされる。多くの民が怒り、悲しむだろう。故の迷い。だが決めた。

「そのとおりだな。進むしかない。ああ、そうだとも」

両者が見つめ合う。

水晶の瞳と鷹の瞳。目指す場所も戦う理由も違えど、同じ塗られた道を往く二人。

「私、そろそろ帰りますね。アーノルフ元帥も忙しいでしょう」

立ち上がるナターシャ。

「そういえば君、隨分と騒なものを隠しているな」

アーノルフが呼び止める。彼の視線はやや下。白拳銃を隠している腰のあたりを見ていた。彼も軍人だ。銃の気配に敏である。

の七つ道です。こんな世の中ですからね」

「私の街が危険だと言いたいのか?」

「ラスクは平和な街ですよ。でもね、閣下。平和だからと武を捨てた人間は、いつか淘汰されるのです」

牙を失った狼が獲を獲れぬように、羽を失った鷲が二度と空を飛べぬように、平和だからと武を手放す阿呆は生き殘れない。

「怖いお嬢さんだ。君を見ていると、どこぞの無想な男を思い出すよ」

「無想だと言われて喜ぶはいませんよ」

「ああ失敬。君を無想だと言ったわけじゃないんだが、気を悪くさせたなら謝ろう。なんとなく雰囲気が似ていたものだから思い出してしまった」

きっとその男は合理的な考えを好むのだろう。ナターシャは靜かにはにかんだ。

ついでにラスクの名や文化財、人気の高いあれやこれを教えてもらった。時間があればイヴァンをってみよう。食に目がない彼ならば喜んでくれるはずだ。

「今日は面白い話が聞けて良かった。もうすぐ星天祭だ。ぜひ楽しんでくれ」

アーノルフ元帥。軍部の頂點であり、シェルタ達の生活を救った恩人であり、そして第二〇小隊の天敵。冷徹で謎だらけで、だが深いを宿した男。

気付いていますか、閣下。あなたはラスクを「私の街」と言ったのですよ。ああ恐ろしや。

それから數日後、アーノルフは天巫の祭壇を封鎖した。天巫の力の実質的な止である。

時間の流れはあっという間だ。準備をする余裕なんてほとんどないまま、星天祭の初日が始まった。まずは前夜祭。各塔の支柱を中心にして多くの出店が立ち並び、街全が活気に包まれる。

そんな前夜祭の夜。第一軍の食堂に多くの兵士が集まった。

アメリア軍団長は部下に慕われている。でありながら軍団長にのぼりつめた努力と才覚を尊敬する者。長で綺麗な髪を結い上げた姿がしいと稱える者。彼に憧れて第一軍を志願した者もなくない。

そんな彼が珍しく荒れていた。理由はアーノルフ元帥が発令した容のせいだ。

「なにを考えているのだ閣下は!」

「ちょっ、聲が大きいです軍団長」

部下が必死に止めようとするも、酒がったアメリアはヒートアップする。

「あの男は『こたびの星天祭をもって天巫様の祭壇を封鎖、以後は専用の別室を用意して執務に準じてもらう』と言ったのだぞ? 何様のつもりだ!」

「元帥様です!」

反論した部下に拳骨が落ちる。

アーノルフの発令は大きな波紋を呼んだ。祭壇の封鎖は「天巫の力なんて必要ない」と言っているようなものであり、第一軍だけでなく國民からも批判する聲が上がった。

このような暴挙、以前ならば元老院が許さなかった。だが度(たび)重なる失策によって國民の支持を失った彼らはアーノルフを止められない。

「軍団長が憤る気持ちは分かりますが、たしかに我々軍部の果は天巫業として元老院の手柄になっていましたから、こうしてアーノルフ閣下が思いきったご決斷をされたおかげで我々も正しい評価を得られます」

「なにが正しい評価だ。ローレンシアを大國足らしめるのは天巫様のおかげ。祭壇を封じれば得られる評価すらなくなるぞ」

ちなみに今日は宴會だ。祭りに向けて英気を養うという名目で開かれた。食堂には第一軍の兵士でいっぱいになり、あっちでえんや、こっちでえんや、と賑やかな様子。アメリアもまた存分に酔っている。

「昔からこの國はそうなのだ。男の聲ばかりがよく通る。私が軍団長に昇進したときだって酷いものだったぞ」

酔えば愚癡の一つもこぼれるものだ。

は母になるから守られるべき、という意見は理解できる。だからといって、軍人に志願したを揶揄するのは違うだろう。國に殘るは大切に守られ、戦地に向かうは勇敢だとたたえられるべきだ。アーノルフ元帥には、そういう國を作ってもらわねばならんのだ!」

だんだんと聲に熱がこもるアメリア。

「そもそもアーノルフ元帥は天巫様に対する敬意が足りていない!」

「そうだそうだ!」

「閣下だけ祭壇にれるのもおかしい! 私もりたいぞ!」

「そのとおりだ!」

「しかも――いやまて、貴様は誰だ?」

見覚えのない娘がアメリアの隣で相槌を打っている。なくとも軍人ではない。まさか侵者かとアメリアが問いただそうとしたが、その前に部下が嬉しそうな聲をあげた。

「ナターシャちゃんだ、今日は宴會のお手伝い?」

「そうですよ。人手が足りないので駆り出されました。そろそろ働きすぎかと思うんですけどね」

「俺は嬉しいよー、星天祭までと言わずにずっと居てほしいぐらいだ」

部下の頭が叩かれた。上たるアメリアの問いを遮ったからだ。

「うちの馬鹿どもが熱を上げているのは貴殿か。迷をかけていないか?」

「いえいえ、皆さんのおかげで早く馴染むことができました」

「そうか? それならいいが」

「はいな。あら、お酒がきれていますね。ささ、私が注ぎますから、どんどん飲みましょう」

アメリアのグラスに手際(てぎわ)よく酒が注がれる。あまりローレンシアで見かけない酒だが、見るからに上等なものだ。景気良くグラスを傾けると、芳醇な香りと共に熱の塊がを通りすぎる。はてさて、こんなに度數の高い酒が食堂にあっただろうか。

「さきほどおっしゃった話、天巫様の祭壇が封鎖されるというのは本當ですか?」

「アーノルフ元帥が是と言った以上、必ず封鎖されるさ。まあ明日からの祭りには影響せんだろうが、來年からはどうなるやら」

「ああ良かった、星天祭は行われるんですね。中止かと思ってびっくりしました」

祭壇の封鎖はただの始まり、というのがアメリアの予想だ。アーノルフは恐らく、天巫様の座を完全に地へ落とすつもりなのだ。元老院が失墜した今、アーノルフの言葉が國をかす。玉座に座ってなお、かの元帥は何を求めるか。

「アメリア軍団長は天巫様が大好きなんですねえ」

「私ごときが大好きなど、いささか不敬。敬謝だ」

「當日は軍団長が天巫様を守ってくださるんですか?」

「そうだぞ。天巫様に近付く不屆き者は私が許さん」

「それは頼もしいですねえ。ささ、どうぞ」

酒がとっくとっくと注がれる。アメリアは酒豪だ。この程度では酔いつぶれない。豪快に、盛大に。とっくとっく。注ぐ手は止まらない。

「ま、待て、し休憩を」

「これも食べてくださいな。私が作った料理ですよ」

「ナターシャちゃんが作った!? すみません軍団長、これは俺も譲れないです」

「ふざけるな。上に出された飯を奪う軍人がいるか」

「いつも言っているじゃないですか! 時には上に逆らうぐらいの気概を見せろと!」

「私の料理を取り合ってくれるなんて嬉しいですね。まだまだあるから大丈夫ですよ。あなたも、あなたも、軍団長様も。思う存分、飲んで食べて、英気を養いましょう」

白金のがテーブルを回る。あっちへとくとく、こっちへとっくとく。度數が高い酒をかかえて、甘い笑顔を振り撒きながら、小さな悪魔が食堂を飛び回る。

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