《傭兵と壊れた世界》第百十八話:新たなる旅路

組織の長というのは大変だ。毎日のように発生するトラブルに頭を抱え、さもすれば他國からきな臭い雰囲気が漂ってきたり。特に世の中の勢が読みにくくなった昨今では、慎重な舵取りが要求される。

シザーランドも例にれず厄介な立ち位置だ。仕事柄、どうしても他國からの恨みを買うことが多い。そんな傭兵団の団長・ラトリエは不機嫌そうな様子で報告書を読んでいる。

「なるふどね。ミラノ水鏡世界は忘れ名荒野の大斷層にある。向かうには狩人の案が必要。よって紹介狀を用意しろ、と……おいイヴァン、お前は報告書の書き方も知らんのか?」

「知ったうえで、だ」

「私に喧嘩を売っているのなら買うぞ。目上の人間に対するモノの頼み方を教えてやる」

ラトリエは気が強いだ。傭兵は力がすべて。だからと舐められたら団長は勤まらない。

放っておくと本當に喧嘩を始めそうなため、ナターシャは重いため息を吐きながら仲裁をした。

「じゃれあってないで早く書いてください。というかイヴァン、私は必要なかったでしょ」

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「たまには団長と顔を合わせた方がいいだろう、という隊長の粋なはからいだ。もしかして會いたくなかったのか?」

「もちろん嫌よ」

「おお、私は団員に嫌われて悲しいよ。親睦を深めるために任務(プレゼント)を用意しよう」

「結構です。命令書をもらって喜ぶはいません」

ナターシャは使い走りにされた時の記憶を思い起こした。ミシャと二人で毎日のように戦場へ放り込まれる日々。傭兵になってから一番忙しかったといっても過言ではない。

「それにしても、ミラノ水鏡世界といったか。忘れ名荒野に眠る前人未踏の足地ねえ。そいつはまた夢のある話だ。まだ見ぬ境、手付かずの。私もぜひ行ってみたいよ」

「危険を伴う長旅だ。団長には厳しいだろう」

「私が歳だと言いたいのかい? お前もずいぶんと生意気になったもんだ。どれぐらいかかる?」

「わからん。數週間か、數ヵ月か。なにせ誰も行ったことがないからな。まあ、帰(・)っ(・)て(・)こ(・)な(・)い(・)前(・)提(・)でいてくれ」

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帰ってこない前提、というのは「生還できないかも」ではなく「生還しても傭兵を続けない」という意味だ。つまり、もしも面倒な任務が発生した場合、今後は別の小隊に頼めと言っている。

「ハハッ、冗談はよしてくれイヴァン。お前達には頼みたい任務が山ほどあるんだ」

「殘念だな。俺もここの雰囲気は嫌いじゃなかった」

「……そいつぁ笑えないなイヴァン」

ラトリエの相貌が兇悪に歪む。

「ようやくお前らの足地探しが終わって、任務を任せられるんだ。今までんな報を渡してやったのに、いざ終わったら用済みたぁ不義理だと思わんかね?」

「俺達はいつ抜けても構わない。その代わりに頼まれた任務は斷らない。対価は足地の報。元々そういう契約だろう? あんたも傭兵なら約束を守ろうぜ。それとも契約の容すら忘れるほど歳を取ったのか?」

「ヤッ、ヤッ、そうかい、私は人の話をしていたんだが、お前はそういう話をしたいのかい」

イヴァンがあえて大袈裟に煽る。それをけたラトリエは「仕方がない」と言いたげな様子で立ち上がると、い足音で近づきながら拳を振るった。

イヴァンは団長の手首を狙ってをけ流す。続けて肘鉄、これもけ止める。

お返しとばかりにイヴァンの突き上げるような一撃。これは団長に止められた。二人の組み手はまるで舞踴のようだ。

さらにを捻っての裏拳。やはり団長に止められる。トン、トトン、とイヴァンの拳が軽く流される。

「これは、まいったな」

「お前に対人格闘を教えたのは私だぞ?」

そういって彼は勢いのままにイヴァンを投げ飛ばした。大の男が宙を回ってしたたかに打ち付けられる。ナターシャが「あれは痛そうだ」と他人事のように見ていると、団長の視線が次なる獲に向いた。

「お前も來い、ナターシャ」

「イヴァンがのされる相手に挑むほど無謀では――」

「今なら私を毆っても不問にするぞ?」

「本當ですか!?」

ナターシャは嬉々として毆りかかった。こき使われた恨みをここで晴らすのだ。イヴァン仕込みの格闘が炸裂する。

まあ結果はいうまでもない。イヴァンが負ける相手にナターシャが勝てるはずがなく、くの字にを曲げたが地面に橫たわった。安い挑発にのった者の末路である。

「これで満足かいイヴァン?」

「俺はもうし優しい返事を期待したんだがな」

イヴァンが頭を痛そうに押さえながら立ち上がった。彼に近接戦闘で勝てる相手なんてローレンシアで探しても見つからないだろうに、赤獅子を彷彿させるこのには何度挑んでも勝てない。ちなみに強烈な反撃をお腹に食らったナターシャはまだ地面でうめいている。

「いつ出発するつもりだ?」

「準備が整えばすぐにでも」

「ふん、相変わらず落ち著きのない奴らだな。お前達が抜けたを誰が補うと思っているのやら」

「第二〇小隊の後継者は育てているんだろう?」

「そう簡単に育つと思うな。私だって歯がゆいと思っているさ。だがな、大きな戦爭がめっきりなくなったせいで経験を積む機會も減った。平和は我々を殺すんだ」

「傭兵ってのは世知辛いな」

「そう思うならソイツだけでも殘していけ。なにかと便利だ」

ラトリエがくの字のを指差した。彼はお腹をおさえたまま「ふざけるな」とにらみ返す。

「勘弁してくれ。うちは一人も欠けてはならん」

「なら私の代わりに後進を育てろ」

「そういうのは第三六小隊の役目さ」

イヴァンはまだ立ち上がれない様子のナターシャを抱き上げた。これで話は終わりだ。一応、筋は通した。第二〇小隊の意思を伝えた以上、あとは団長の判斷に委ねるのみだ。

ナターシャを橫抱きにしたままイヴァンは傭兵の本部を出る。當然、周囲の視線がこれでもかと集まった。まるでお姫様のように運ばれるナターシャ。流石に恥ずかしいが、いかんせんラトリエの一撃が重かったせいで歩けない。

「なんで煽ったのさ」

「契約上は問題ないが、俺たちの態度は不義理だった。その落とし前を拳で片付けた。細かいことは々あるが、これでちゃんちゃんってわけだ。傭兵なんてそんなもんだ」

「なんで私も毆られたのさ」

「お前が嬉しそうな顔で毆りかかったからだろ」

返す言葉もない。ナターシャは反省した。次からは武を用意しよう。

イヴァンは自宅に向かってずんずんと歩く。渓谷都市は対岸が見えないほど薄暗い街だが、すれ違う人の顔ぐらいなら視認できる。今、ナターシャの姿を生暖かい表で見送ったのはイグニチャフではないか? よもやこのような醜態を見られるとは。

「ねえ、そろそろ下ろして大丈夫よ。もう自力で歩けるわ」

「そう言うなよお姫様。隊員に無茶はさせられん」

「何を言って……まさか、ラスクでのお姫様だっこをに持っているの?」

「ハハッ、俺は寛大(かんだい)な男だ。これは隊員への純粋な思いやりだよ。ああ、もちろんだとも」

「あっきれた! いい歳の大人が仕返しをするなんて!」

「お前だってもう子供じゃないだろう。黙って運ばれるんだなお姫様」

なおもギャアギャアと罵り合いながら二人はシザーランドを歩いた。頭上でアカホコリがぷるぷると震えている。行く先を照らすのは落ち蛍と封晶ランプ。ツバメの産聲が遠くで聞こえ、油鷲が優雅に谷底へ飛んでいく。

今日という一日を噛み締めよう。新たなる出會いに謝をし、去りゆく友人に手を振ろう。渓谷の先で足地が待っている。頬をでる冷たい風も今となっては慣れたものだ。

ここは渓谷都市シザーランド。傭兵が集う國であり、狩人の縄張りであり、そして大斷層へ向かうためのり口。

心の準備はできたか? ならば始めよう。地図上から消えた足地、果てに沈んだミラノ水鏡世界への旅路を。

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