『大丈夫だよ、ソフィアは』

頭に直接響いてくるような聲にアランが顔を上げると、フェンリルのハナコが視界に映った。

ガタリと、アランは椅子から立ち上がり半歩下がった。

一方のハナコはまるで主人に付き添うように、ソフィアのそばに腰を下ろしている。

「さっきの狐の人が言ってた通り、ちょっと疲れて眠っちゃってるだけだからさ。そんなに心配しなくて大丈夫」

先程までのアランの心配を払拭するようにハナコが言う。

対するアランは目を見開いていた。

（この俺が、聲をかけられるまで気づかなかった……だと）

軍事の中でも國のトップにを置くアランの気配察知能力は相當なものだ。

確かに霊は人と違って観測が難しいが、莫大な霊力を持つアランが気づかないなど本來ならあり得ない。

（この霊は、一……）

改めて、アランは思う。

アランにとってハナコはソフィアが連れてきた高位の霊、くらいの認識だった。

霊は気まぐれで自由の存在だ。

両者に上下関係はなく、対等な関係として接してきた歴史がある分、こちら側から深く干渉するという風自が乏しい。

故にハナコに関しても、出自や正確な力の保有量などを調べた事はなかった。

見たところソフィアにべったり懐いており、それ以外の者に危害を加える様子もないため、深く調べる必要が無かったのだ。

とはいえ。

（この霊は、他の霊と比べて明らかに違う……）

改めて対峙すると、そんな確信がアランの中に湧き上がった。

ソフィアが桁外れの霊力を保有しているから、彼と何年も共にした霊が膨大な力を保有するに至った、と考えるのが普通だが、もっと特殊な事柄がこのフェンリルに絡み付いている気がしてならなかった。

（一、この霊は……）

何者なのだと思ったその時。

『そんなに警戒しなくても大丈夫だよ』

張のない、悪戯好きな年のような聲。

こちら側のを読み取られた事に、アランは眉を顰める。

『僕はソフィアが大好きなだけの、ただの霊さ。特段、気にかけるようなものでもないと思うよ』

「……気にかけるかどうかは、こちらが判斷する」

『そうかい』

ひょいっと、ハナコはソフィアのを乗り越える。

それから枕元に移して、ソフィアの顔をひと舐めした。

すると、ハナコのがぼうっとる。

そのはソフィアの方へ移して、彼のを包むように纏わりついた。

「霊力の譲渡か」

『君たちの言葉ではそう言うんだね』

相変わらず飄々とした調子で言うハナコ。

『ソフィアには數え切れないくらいパワーを貰ったからね、お返ししないと』

ソフィアの頬に顔をり寄せつつ、霊力を譲渡しながらハナコは言う。

ハナコとソフィアの間でどのようなやりとりが行われていたのか知る由がないが、想像以上に二人の絆が固いことを象徴するかのような景だった。

『ああ、これだけは言っておきたいんだけど』

ふと、ハナコが顔を上げてアランの方を見た。

今までの屈託のない表とは打って変わった、強いを燈した雙眸。

『ソフィアに萬が一の事があったら僕……許さないからね？』

アランの背中に走るピリリとした張。

ハナコの全から放たれる例えようのない圧力に負けじと、アランも強い瞳で返しながら口を開く。

「萬が一、はあり得ない」

はっきりと、決意を燈すようにアランは言葉を告げる。

「俺が、ソフィアを守る」

今回のようなことは二度と起こすまいと、強く心に誓う。

『そっか』

ハナコから圧が消える。

まるでアランの襟を察したように、ハナコはどこか笑うように表をらかくして。

『信じているよ』

それだけ言い殘して、ふっと姿を消した

再びソフィアと二人きりになって、息をつきながらアランが椅子に座り直す。

霊というものはやはり、どこまでも気まぐれで、自由な存在だ。

だが、とアランは思う。

ハナコはきっと、ソフィアの強い味方なんだろうと。

自分もそうでありたいと、改めて思うアラン。

仮初の婚約、種族間の報われない、本気で好きになるわけにはいかない。

そう々と理由をつけてきたが、ソフィアに対する自の執著を、想いを、誤魔化す事が出來なくなっている事に、アランは自覚を持ち始めていた。