《傭兵と壊れた世界》第百二十二話:探求心に飲まれる
川の流れはそれほど速くなく、試しにすくってみると雪解け水のように冷たかった。川底にはイソギンチャクがっている。周囲を照らすほどの明るさはないが、道しるべ程度にはなりそうだ。
「そうだ、もうし寄ってくれ、銛が屆くまで頼むよ」
ボルドゥ學士の指示のもと、彼の船が淺瀬を進む。二名の若い學士が銛を構えて甲板に立っており、その表にはわずかに張が帯びていた。彼らが狙っているのはるイソギンチャクだ。地下の生態系は未知の寶庫。これを機にしでも多くのサンプルを確保しておきたいという算段である。
すでに五匹の生け捕りに功しており、ボルドゥ學士は「オオイソビツ」と命名した。オオイソビツは想像以上に大きい。遠目では水面の屈折も相まってあまり違和がなかったが、間近で見ると人間の頭をすっぽりと覆えるほどの長である。
陸上げされたオオイソビツはつぼみのように手を丸めており、無理に開こうとすると手の毒針で刺そうとしてくるため、船の水槽で経過観察がおこなわれていた。
「冷靜に見ると気悪いですね。大きさの問題でしょうか」
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「僕は神的だと思うよ。この暗い窟において自ら発するのは危険だ。にも関わらずしく輝こうとする彼らはとても興味深い」
ボルドゥ學士が水面を覗きこむ。集落の外へあまり出ない學士達にとって、川の流れにを任せるオオイソビツの姿はすごく自由な生き方に見えた。
「よし、とった!」
學士の一人がオオイソビツを突き刺した。そのまま甲板上に持ち上げる。図こそ大きいが重はそれほど重くない。オオイソビツは傷口から明なを流しながらぐったりと手をおろした。
「慎重に頼むよ。刺されないように気を付けてね」
「ボルドゥさん、この大きさだと水槽から逃げ出しませんか?」
「そしたらもう一度捕まえたらいいさ。探す必要すらないほど沢山いるんだから」
ボルドゥ學士の指示により船に運ばれていく。捕まえたオオイソビツは集落に帰ってから解剖だ。りの屆かぬ谷底でどのような進化を遂げたのだろうか。毒の分は。彼らの主食は。ボルドゥ學士は待ち遠しさにを震わせる。
「そこの君、気分はどうだい?」
「參加できて良かったと思います」
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「僕も同じ気持ちだよ。やはり僕達は集落の外へ出るべきなんだ――ああ、そこの君、こいつを船倉に運んでおいてくれ。くれぐれも落とさないように頼むよ」
ボルドゥ學士が若い學士を呼び止めた。
「あの一番大きな水槽に移したらいいんですよね?」
「そうだ。他の水槽があるからわかりやすいと思うよ」
若い學士は言われたとおりに船倉へ向かった。オオイソビツの水槽を抱えながら薄暗い船を進み、木製の扉を開けて封晶ランプの明かりをつける。
船倉にったとたん、磯の匂いとった空気が學士を歓迎した。
「うう、暗くて気味が悪いのよね。早く置いて帰ろう」
彼はまだ異変に気付かない。なぜ船倉がこれほどにも暗いのか。ボルドゥの話が正しいならば、水槽に捕らえたオオイソビツが発して船倉を照らしているはずなのに。
「あれ? 場所を間違えたかしら?」
船倉の奧に五つの水槽が見えた。だが、水槽にいるはずのオオイソビツが一匹も見當たらない。學士は近くに水槽を下ろしてから、不思議そうに首をかしげた。
「おかしいなあ。まあいいか、とりあえぞボルドゥ學士に報告を――きゃっ」
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學士の頭上から何かが降ってきた。ぬめりとしたが學士の頭を覆う。一瞬、苦悶の聲が上がったが船倉の外には屆かない。
「ん、んん――!」
くぐもった悲鳴。細い手足が痙攣したように跳ねる。學士は頭を覆うナニカを剝がそうとしたが上手く力がらず、次第に彼の抵抗は弱まっていった。を麻痺させる神経毒だ。學士がようやく自分の狀況に気づいた時、すでに彼の四肢は力を失っていた。
○
ナターシャとソロモン、そしてミシャは甲板に並んで立っていた。彼たちの視線は學士船に向けられる。
「神聖な場所だって聞いたけど、ああも生きを獲して良いのかしら」
「……域を主張しているのは祭司たち。學士とは別派閥」
「狩人も一枚巖じゃないのでしょう。長い歴史は軋轢を生む。ローレンシア然(しか)り、狩人もまた然(しか)り、です」
狩人船の周りに油鷲が飛んでいる。周囲を警戒しているのだろう。油鷲は人間の言葉を理解できるほど知能が高く、戦場での索敵はもちろんのこと、地形の把握や狩りの手助けといった、あらゆる面で優秀な生きだ。
油鷲の飼い慣らし方がわかれば傭兵の死亡率もしは下がりそうだが、殘念ながら狩人は教えてくれない。
「あれを見て。壁や天井のも全部、イソギンチャクのだわ」
ナターシャが天井を見上げた。星のように點々と輝く。落ち蛍であれば可いものだが、あれらすべてがオオイソビツならば話は別だ。天井にびっしりと生えるオオイソビツの景を想像したナターシャは両腕をさすった。
「彼らは陸上でも生きられるのですね。両生類、にしては見た目が珍妙ですが。念の為に他の船にも伝えておきましょう」
「……珍味は味。アレは食べられる?」
「イヴァンといい、あなたといい、謎の食い意地を張るのは何故かしら。気になるなら學士に分けてもらえば? 私は遠慮するけどね」
「……ナターシャは意気地無し」
「勇気と無謀は別ものなのよ」
三人娘がどんぶらこ。船に揺られて谷底を進む。太が屆かぬ闇の世界、彼たちは気付いているだろうか。立ちり止の危険地帯を足地と呼ぶならば、ここもすでに足地。人らざる者達の領域に足を踏みれているのだ。
空が見えない谷底。結晶に埋もれた川岸。刺すように冷たい水。
段々と川幅が広くなった。陣形は変わらず第二〇小隊と戦士船が前に並び、他の二隻が後ろに続く――。
「まずいわ。學士船がし先行している」
はずだったのだが、學士船がナターシャ達を追い越してぐんぐんと前に進んでしまった。気になるものを見つけたのだろうか。守られるはずの學士船が前に出てしまうと陣形が崩れる危険がある。ミシャは不機嫌そうに表を歪めた。
「……勝手な行は迷」
「いや、様子が変ですよ。見張り役が立っていませんし、油鷲も飛んでいない。いくらなんでも不用心です」
甲板の扉が開いた。現れたのはベルノアだ。
「おーいお前ら、そっちから學士どもの姿は見えるか?」
「いいえ、まったく。通信は?」
「返答なしだ。困ったもんだぜ、先走りたいのは俺だってのに」
「ちなみに縦はどうしたの?」
「リンベルになすりつけた」
まあそうなるだろう。ソロモンとベルノアが甲板にいるのだから、運転できるのはリンベルしかいない。
続けて通信機を耳に當てながらイヴァンが出てきた。彼は額にしわを寄せて面倒そうに話している。やがて暴に通信を切った。
「マクミリア祭司からのありがたいお言葉だ。學士船の様子を見てこいだと。戦士隊を行かせたらいいだろうに、俺たちと殘るのは嫌らしい。まったく、勝手についてきたうえにお荷とはな」
「じゃあ誰が良いかしら。私とミシャ?」
「俺もいくぜ!」
「そうだな、船を空けるわけにはいかないからナターシャとミシャに頼むか。暗闇に何が潛んでいるかわからんから気をつけてくれ」
「俺も! いくぜ!」
第二〇小隊がゆっくりと學士船に近付き、やがて橫並びになった。結晶銃は船での取り回しが悪いため、白拳銃だけ裝備して乗り込む。
「嫌な雰囲気ね」
人の気配がない。あの気な學士達の船なのに。
「……これはダメな匂い」
「やっぱり、そういうこと?」
「……たぶんね」
ミシャが防護マスクの鼻をおおった。彼ほど敏ではないがナターシャも薄々付いている。重く粘りつくような気配は大抵が最悪の結末だ。
ちなみにベルノアはちゃんとついてきた。二人に守られながら後ろで大人しくしている。
船の扉を開けるとった空気が流れた。まず見えるのは廊下だ。両脇に個室が用意されており、三人は順々に中を確かめる。
「誰もいないわね。殘りは縦席と船倉。誰が先陣を切る?」
「……いけ、後輩」
「先輩の威厳を見せてほしいわ」
ナターシャが縦席の扉を開けた。同時に白拳銃を前に構える。
縦席に一人、床に一人、學士が倒れていた。顔は判別がつかない。彼らの頭がオオイソビツに丸ごと飲み込まれていたからだ。半明なの奧にうっすらと人間の顔らしきものが見える。これは、現在進行形で捕食されているのか。酷い異臭が鼻をついた。腐った匂いとは別種の、生々しい臓の匂い。
「ちっ、オオイソビツにやられたか。俺様の忠告を無視するからだ」
「オオイソビツ?」
「そこで味しそうに食われている學士達が命名したんだ。楽しそうに通信を寄越してきたぜ。解剖すれば利用価値が見つかるかもしれないって。テメエが食われたら終いだってのになあ」
ベルノアが學士の足をつついた。手に覆われて判別できないが、服裝から察するにボルドゥ學士だ。
ナターシャがナイフを使って慎重にオオイソビツを引き剝がした。めくれあがる顔面。頭の半分はすでに食われ、顔の大部分も溶けている。ナターシャは込み上げた吐き気を無理やり我慢した。
「死因はこいつらの毒か、もしくは窒息死ってとこだな」
「とどめをさしておく?」
「いいや……やめておこうぜ。下手に刺激して毒をまかれたら困る。他に生存者がいないか捜そう」
ナターシャはしばし黙禱した。好奇心は時にを滅ぼす。せめて出発前に會話をしなければ何も思うことは無かったのに。
三人は縦室をあとにした。廊下の階段を降りて船倉の扉を開ける。
中は縦室と似たような景だった。頭だけをオオイソビツにすげ替えたような死が三つ転がっており、いているのはヤツらの手だけである。
「生存者なし。イヴァンに報告しましょう――」
「ナターシャ!」
の頭上から手が降ってきた。迎撃は間に合わない。ナターシャがせめて頭を守ろうと腕を回した瞬間――。
「……まだまだひよっ子」
ミシャの蹴りが落下中のオオイソビツを捉えた。明の毒をまきながら襲撃者が地面に転がる。
ミシャが格闘を披するのは初めて見た。だが當然といえば當然だろう。第二〇小隊に所屬しているのだからイヴァンの手解きをけていてもおかしくない。
「ありがとう。助かったわ」
「……素直に禮を言えるのは偉い」
「でも私を囮にしたのは許さない」
「……囮も後輩の役目」
「お前らはいっつも喧嘩してるな。とりあえず俺は船を停めてくるから、報告とかもろもろは任せたぜ」
念のために船倉の三人を確認したが結果はドロドロだった。せめて死因が窒息死であることを願おう。
報告をけたイヴァンはすぐさま戦士隊と祭司隊に連絡をし、駆けつけた各隊で船の積み荷を運んだ。學士が全滅してしまった以上、資を殘しても意味がないからだ。マクミリア祭司に「お前たちのせいだ」と睨まれたが、ナターシャは無視をした。あの手の輩は何を言っても無駄だろう。
逆にラバマン戦士長からは謝された。流石はリンベルの師匠。どこぞのエセ祭司と違って人ができている。
積み荷を運び終えて狩人達が別れの言葉をかけた後、學士隊の船はソロモンによって燃やされた。ナターシャは祈りを捧げる。ここから空は見えないが、學士達がどうか安らかに眠れますように。
船は進む。仲間の死を越えて、どこまでも。
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