「夜屬……？　何だそれは？」

「自分達の屬の天敵です！　父上！　そいつから離れ――」

『遅い』

完全に黒煙と化した鵺(ぬえ)の前足が音もなくびる。

目視では獣の足なのかただの黒煙なのか識別できない。

だが黒煙はゆらりと揺れて、その意思のままでるように【雷の巨人(アルビオン)】の剣にれた。

「なに……！？」

鵺の足がれた剣先から徐々に【雷の巨人(アルビオン)】の雷屬が消えていく。

流石のクオルカもこの事態を予想できなかったのか表には揺が表れていた。

自が誇る最強の魔法であり長年貴族として強く在り続けたオルリック家の歴史の結晶がこうもあっさりと崩れる姿は記憶になかったのである。

『流石に統魔法……れた瞬間に消滅とはいかないが……』

巨軀に走る雷の魔力も消え、黃の魔力も消えた。

【雷の巨人(アルビオン)】はただ騎士の形をした魔力の塊にり下がる。

統魔法を支えるのは魔法としての在り方と家の歴史そのもの。汎用(はんよう)の魔法のように夜屬の魔力にれた瞬間に自壊するような事こそなかったが、屬をかき消されて魔法の"現実への影響力"は當然激減する。

そう、魔法と魔力の間に位置付けられる曖昧な魔法……無屬魔法のように。

『にゃららら！　ハリボテだ』

「こりゃいかん！」

鵺が口のような黒煙を開くと、そこに黒い魔力が集中する。

屬が消え、ただの巨人となった【雷の巨人(アルビオン)】からクオルカはすぐさま飛び降りた。

『【捌奈落(はちならく)】』

鵺の口から放たれる黒煙のブレスが巨人を呑み込む。

本來の"現実への影響力"を失った巨人がその威力に耐えられるわけもなく……巨人は黒煙に包まれそのまま融解し、ただの魔力となって霧散した。

「屬の特に干渉できる屬か……"浸食"の特を有する闇の派生屬だな？」

「流石父上、理解が早くて助かります！」

「理解が早くても対抗策が思いつかん。數十年前の戦爭時にはこのような屬は無かった。水の派生である毒屬なるものは見たことあるが、ここまで極端な特ではなかったはずだ」

夜屬は元々は常世ノ國(とこよ)で生まれた屬であり、常世ノ國(とこよ)とかに流があったカンパトーレの魔法使いくらいにしか周知されておらず、そのカンパトーレですら近年まで実用化に足る使い手がほとんどいなかった屬だ。

魔法大國と言われるマナリルでも変異させたのはリニス・アーベントのみであり、ダブラマですら使い手が存在しない(ダブラマは代わりに鬼胎屬が発現しているが)希を持ち……クオルカのような練の魔法使いですら存在を知らないのである。

いわば初見殺しに近い屬。そして相手が人間ならまだしも、敵が巨大な怪とあらばその脅威は遙かに増す、

「『炎王の祝詞(フレイムシング)』」

「『雷鳴一夜(らいめいいちや)』！」

夜屬が無効化できるのは直接魔力がれた魔法のみ。使い手のそのものに影響する補助魔法は無効化できない。

それを知っているルクスとファニアは向かってくる黒煙の獣に対抗すべく、すぐさま強化の魔法を唱えた。

『にゅららら！　の能で競うか？　この俺様(ぬえ)と？』

しかし……それだけで勝てるなら対魔法生命に苦心するわけがない。

鵺は嗜をむ意地の悪い笑みを浮かべながら、黒煙の爪をばす。

敵はし小さくなったとはいえほぼ誤差だ。見上げればやはり二十メートルはあるだろう。黒煙のに代わり、のの力強さがなくなっただけで脅威度はさして変わらない。

そんな怪が前足を無造作に人間に振るえば、當然結果は見えている。

「ぐ……うううううううううううあ！！」

「ぐ……むうっ……！　老には効く……！」

『にゅららら！！』

も何も無いただ前足で薙ぎ払おうとした一撃をルクスとクオルカがを張って軌道を逸らす。完全に防ぐなど今となっては高みだ。

鬼胎屬と夜屬の共存するだからか"現実への影響力"はし下がっているものの、人間を殺すだけならば大して違いもない。

わかりやすい相による劣勢。屬による絶。生命としての能(スペック)による躙。

だがそれで思考を止めて諦めるようならば……とっくの昔にこの男は死んでいる。

「ファニアさん！　宿主を！！」

ルクスは口での味をじながらも鵺が吐き出したノブツナが走っていった方向を指差す。

「核があるとすればあっちだ！　機力があるファニアさんが追ってくれ！！」

「心得た！　【夜空駆る華(アステラス)】！」

ファニアは剣を構え、統魔法を唱える。

重なる聲と共にファニアのが燃え上がり、炎に包まれながらファニアの目が赤く輝いた。

ファニアの統魔法は魔法を纏う事による高速移。足に力がこもる瞬間を逃さず、鵺はファニアに飛び掛かる。地面を揺らがせながら黒煙となった巨が宙を舞う。

「「【雷の巨人(アルビオン)】！！」」

飛び掛かる鵺の橫から二の雷の巨人がその巨を活かして突進する。

れた瞬間、二の巨人はどちらも雷屬の魔力が消失するが……巨による突進の威力はそのまま殘っており、ファニアの前方から鵺の巨をどかした。

巨と巨がもつれて倒れ、周囲に地響きが響き渡る。

「こいつは僕と父上で抑えます！！」

「行けファニア殿。ルクスの言う通りそちらは任せる」

「了解。ファニア・アルキュロス……任務を遂行します」

ファニアは統魔法による高速移でその場から飛び立つ。

向かうは宿主。狙うは魔法生命の核。

この場にいる二人を信じてファニアは飛んだ。

『無駄な事する……自分(ぬえ)が向かえばいいだけの話だ』

起き上がった鵺は高速移するファニアを視線で追う。

その間を遮るようにルクスは鵺の前に立った。

ほんのしの時間稼ぎになればいいとルクスは鵺に語り掛ける。

「その姿……一化した宿主を切り離すなんてリスクが高い事をしなければなれないんだろう？　煙のような姿から察するに、実を有する宿主と一化すると立しないってところかな」

『それがどうした？　その程度わかったところで我(ぬえ)を倒した気にでもなったか？』

「いいや？　だがいいのかい？　一化しなければ霊脈への接続は難しいんじゃないのかな？」

『霊脈の接続……？　にゅららら！　安心するといい、余(ぬえ)は神の座などに興味は無い』

「なんだって……？　ならば何故オルリック領に來た？　僕を殺しに……なわけないか。僕を殺すならアルムやミスティ殿のほうが優先のはずだ。君達にとっては特にね」

それはルクスの自己評価が低いのではなく真っ當な分析からの結論だった。

鵺はそんな冷靜なルクスを見て笑う。

黒煙の顔で表が見えないというのに、その笑みは殘忍で不快を催す絵畫のよう。

『僕(ぬえ)は不吉を運ぶ怪。私(ぬえ)の目的は世界に不吉をもたらす事にある……であれば、今のこの世界はあまりに安定し過ぎている。人間と大蛇(おろち)の対立構図など不吉には程遠い』

「……軽く言ってくれるね」

『そうとも。二年前までは様々な魔法生命が散らばり、思い思いに人間を躙していた……生きて話を聞いているだけで酒も人もうまかったというのに、貴様らによって魔法生命の數も減った。ファフニールも大嶽丸(おおたけまる)も、大百足もいなくなってモルドレットは戦線を離……アポピスも復活しない。そんな世界、吾輩(ぬえ)はんでいない』

から聞こえる雷鳴のような笑い聲。

鵺は呪詛をばら撒きながら自分の(エゴ)を語る。

世界をもっと混迷に。歩けば呪詛と恐怖に出會うような。

人間と怪。怪と怪。人間と人間。

疑い合い、恐怖の衝にくようになり、怯えて眠るような日々こそみ。

大蛇(おろち)だけが脅威の世界は鵺にとってはあまりにみからかけ離れている。

大蛇(おろち)が勝てば人間は支配されるが、その世界は人間の敗北によって安定してしまうだろう。人間がんでいない形であるとはいえ、そんなもの鵺にとってはつまらない。

人間が勝てば人間はその勝利に希を見てしまう。そんな世界も鵺はまない。

ならば――新たな勢力を生まなければ。

『鵺(ぬえ)の目的は常世ノ國(とこよ)の巫にしか出來なかった新たな魔法生命の召喚――そしてその魔法生命の宿主としてアオイ・ヤマシロの死を使うことだ』

「……あ？」

ルクスの額に青筋が張る。

鵺の目的があまりに許せぬものだったからか……憤怒に満ちたが顔に上って、明らかに普段とは違う顔を見せた。

その表を見て鵺は満足そうに黒煙を漂わせる。

「……こいつは何を言っているルクス？」

「……」

話が半分ほどしかわかっていないクオルカの表も険しく変わる。

ルクスのように完全に表に出しているわけではないが、鵺を見る目付きは當然のように鋭くなった。

『貴様なら死を宿主にするは知っているだろうルクス・オルリック？　スピンクスやサルガタナスがそうだった。あの二はさして位が高い存在ではないゆえに宿主の蘇生まではかなわなかったが……余(ぬえ)が召喚するは國をいで神獣と呼ばれる"九尾"、奇跡の一つや二つ起きてもおかしくはない』

「……」

にたり、と鵺は笑う。

黒煙で正確な形は見えずともその悪辣さが垣間見えるような変化だった。

死者の復活……本來ならば有り得ない話だが、魔法生命が話すからこそその言葉には真実味が増す。なにせ魔法生命そのものが二度目の生を歩む生命なのだから。

だが鵺にとってルクスの母親が蘇るかどうかなどどちらでもいい。

奇跡をむ人間の前に砂粒程度の希をちらつかせて心を弄ぶ……ただそれだけのこと。不吉をもたらし、世を不安定にもたらさんとする在り方ゆえだった。

人間の神が不安定になれば當然、人の世は不安定なものになるのだと鵺は知っている。

『母親に會いたくはないか？　一目見たくないか？』

「……」

ルクスは黙ったまま鵺を見つめている。

『妻をしていると言ったな。であれば、悼むよりも再會(・・)したいのではないか？』

「……」

クオルカは黙ったままルクスを見ている。

『人間に奇跡は起こせない。だが星と神ならば可能だ。私(ぬえ)は神に並ぶ獣をこの世界に呼ぶ……自分(ぬえ)は神になる気は無い。だが奇跡を可能にする者を呼ぶ土壌がこの星にはある。

神無きこの星で奇跡に縋るというのは、この上なく幸運な巡り合わせだぞ？』

鵺はそんな二人の無言に改めて笑顔で応えた。

人間はどうしようもなく弱い。だからこそ幸運や奇跡を切する。

一番大切な人間との再會という奇跡を前にして、ルクスは無言を破った。

「話は終わったか？」

『……ほう？』

ルクスを見て鵺は怪訝な聲を上げ、クオルカは満足そうな笑顔を浮かべた。

「最初こそ怒りを覚えたが……あまりに的外れな高説に馬鹿らしくなったよ。わざわざ自分から時間稼ぎをしてくれてありがとう」

『ふむ……餌がよくなかったか？』

「いいや？　恐らくは僕にとって最も魅力的な提案だったとも。母上との再會は僕が一番むことだ」

鵺にはわかってしまう。ルクスの心は本當に揺れていない。

「母上は言った。あなたが立派になる所を見たかった、と」

『ならば――』

「なればこそ、その心殘りを母上亡き地で示すのが僕のやるべき事だ。お前の言葉に乗った僕はきっと、母上の見たい僕じゃない」

ルクスの金の瞳に宿る意志。

亡き母をだしに自分の心を弄ぼうとした鵺に対する怒りはある……だがそれでいてルクスの心は平靜を保ったままだった。

「母上は人間を脅かす怪と戦った。これから生まれてくるであろう次代を守るために……ならばその意思を無視する事は母上に対してどれだけの侮辱となろうか。新たな魔法生命の召喚？　奇跡をちらつかせたくらいでそんな蠻行を許すと思ったのか？」

ルクスと鵺の格差は一目瞭然。

それでもルクスは一歩も引きさがることなくを張って立ちはだかる。

対峙し、鬼胎屬の魔力によって恐怖の記憶を流し込まれながらも……その神は決して揺らがない。

「僕はマナリル四大貴族の一角、オルリック家その次期當主……ルクス・オルリック！　この名において僕の大切な人達がいるこの國を脅かそうとする貴様を許さない」

『それは上々。ならば、この夜(ぬえ)を前に慘たらしく死ぬといい』

「いいや。僕には追い付かなければいけない友がいる。隣に立つ守りたい者がいる。母上の所に行くにはまだ早い」

ちらつかされた再會の奇跡にわされることなく、ルクスは自の在り方を選ぶ。

貴族として。魔法使いとして。そして彼(・)に相応しい友として。

ルクスの背中を見たクオルカはその姿に涙を流していた。